2015年7月10日金曜日

奏でる音色

デパートを徘徊中、聞き覚えのある音楽が耳に入った。

最初は全く知らないクラッシック音楽かと思っていたけれど、集中して聞いたら主旋律の部分を

キャッチできてようやく何の歌か思い出した。

小学校4年生~6年生まで器楽クラブという楽器を演奏するクラブに入っていた。

当時は4年生になったら全員が野球・陸上・水泳・合唱・器楽のどれかに所属しなければいけない

決まりになっていて、全員放課後や土日はその練習に明け暮れる。

私はたしかに楽器を弾くのは好きだったけれど、それよりも消去法で器楽部しかできそうなのが

なくてそれで入ったようなものだった。

器楽部はコンクール曲の練習もあったけれど、その他に運動部の人たちが何かの大会に出る前、

校内で「激励会」なるものを催し、その時の入場行進や退場行進の曲も担当していた。

それがそのデパートで流れていた優雅なクラッシック曲の正体だった。

最初気付かなかったのも無理ない。

デパートで流れていた曲調は言葉にするなら「優雅」。

一方、わたしたちが弾いていた曲調は「元気」とか「活発」。

まさに「行進曲」にふさわしい感じだった。

あまりに気になってyoutubeで色々検索したら、「ワーグナー」の『タンホイザー』だと判明した。

たしかに、『タンホイザーマーチ』と呼んでいたことも思い出した。


同じ曲なのに、演奏方法が違うと全く別の歌のように聞こえる。

同じ旋律、使っている楽器もそんなに大差ないとは思うけど、それでも全く別物だと感じた。

帰り道、ここから「あぁそういうことか」と思ったことがある。

オリジナルは同じ。

同じものでも表現方法は無限にある。

それこそ、ワーグナーが生きた時代は今から120年以上も前になるけれど、当時だってどんな

風な曲調だったのかなんて今は知る由もない。

それでも名曲としてこんにちも受け継がれてあちこちで奏でられている。

表現方法=奏でる音色、は自由でいいんだ、ということがはっと頭をよぎった。

それは音楽に限った話じゃなくて、自分の色んな部分を表現するのに、「○○というやり方」に

こだわるんじゃなくて、どんな風に奏でるのも可能だということ。

同じことを話したり書いたりするのだって、自分の色がある。

それはいつでも自由自在で、自分の好きにいくらでもアレンジができるようになっている。

「音色」という言葉、「音の色」、まさにその通りだなぁと思いながら家に帰ってきた。


追記:youtube流したままにしてたら、『天皇の料理番』で使われているオープニング曲がエルガーの『威風堂々』という曲名だということも判明した。

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