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2018年4月20日金曜日

特大奇跡がやってきた日

2018年4月19日

朝から頭は痛いわお腹は痛いわで、外の天気はとってもいいのにまたすぐに布団の中に戻りたくなった。

でもそろそろバイトなり派遣なり何かしら食いっぷちの仕事も決めていかないとで、それに対してはものすごく焦った。

それが落ち着かないから心もざわざわするし、でも正直どうやって二足のわらじで行くのか見当もつかなかった。

食いっぷちの方はあれこれ要望があるわけではないけれど、いかんせん興味がないことには勤労意欲が全く湧かない。

田舎は田舎に相応しく、バイトはすんごい時給が低いし、じゃあかと言ってフルタイムで行くとなると今度は仕事の内容も重たいし、プラスしてそこから生じるストレスもでかくなる。

これまでも何度となく試した二足のわらじで成功体験のない私は、また生活に追われて終わってしまいそうな先々を想像しては大きなため息しか出なかった。

非常に頭の痛い問題で、まるでそこから逃げたいかのように体調不良も引き起こし、あぁやばいやばい、ものすごい悪循環だと思っていた。

こういう先延ばしの時、私は99%自分を責める傾向がある。

あぁ今回もやらかしてる、どうしてこうも行動力が伴わないのかと今回もご多分にもれず自分を責めた。

責めたところで行動力アップに繋がらないのはわかっていたけれど、止まらない。

本格的に具合も悪く、夜明け前に飲んだ薬が効かず、さらに強い薬を朝飲んだ。

無理矢理動こうとしたけれど、もう体の方が悲鳴をあげていたから、今日はとにかくゆっくりしよう、心がざわついていてもゆっくり過ごそうと決めた。

お昼になろうという頃、ヤマトの配達員さんがうちにきた。

やっと離職票がきた。

今思い出した。

今回私は自己都合で辞めているから、離職票は希望制だった。

3ヶ月の待機期間を待てる程の貯金などないから、不要の長物になるのはよくよくわかっていた。

だけどどこで何があるかもわからないし、どうせ本当に未来に必要になった時、また取り寄せるのに2~3週間かかるのは知ってるから、今一緒に取り寄せてしまおうと思って希望した。

過去に1回、それまでの期間の全部の離職票がいると知り、それで取り寄せるのに2週間ぐらい時間がかかったから、それ以来たとえ不要でももらうようにしている。

だから今回もまぁ今回使わなくてもいつかは必要かもだからということで希望して出してもらった。

それがやっと今日の昼前に着いた(3月末日に書類一式は派遣会社に郵送したから、離職票到着まで2週間強かかっている)。

当たり前だけど、「自己都合」と印字されていた。

その他にも文言が入っていたけれど、「自己都合」もしっかりとあった。

何がこの先どうなるかなんてわからないから、とりあえずハローワークに行くだけ行ってみようと決めた。

だけど体の方が言うことを聞かないから、とりあえず一旦横になってそれで体が回復したら行くことにした。

3時半前になってようやく起き上がり、必要な書類をかき集めた。

証明写真のようなものが2枚必要だけれど、もう手元には1枚も残っていなかった。

私はそんなこともあろうと何年か前の証明写真をスマホのアルバムに入れていた。

ハローワークのようなところで使う写真は、正直何百円も払って写真を撮るのがあほらしい。

だからデータだけ持ち合わせておいて、それをセブンイレブンの機械にデータ送って印刷するという方法を取っていた。

行く前にセブンに寄ったはいいけれど、そもそもやり方を忘れて1人でコピー機の前で10分ほど悪戦苦闘した。

ようやくコピーして(60円也!)、ちょっとサイズ間違えたなと思ったけれど、まぁ小さく切ってごまかすことにした。

見たら2013年9月に撮影したものだった。

今よりも痩せているのがわかったけれど、髪の長さはそんなに変わらなかったから、まぁ過去3ヶ月以内に撮影したことにしておけばいいと思った。

閉庁20分前に到着し、窓口はものすごく空いていた。

この上なくスムーズだった。

1人目の担当職員が若いイケメンで、もう少し身だしなみをきちんとしてくれば良かったと後悔した(これまで若いイケメン職員など当たったことがなかった)。

イケメンはしかもすごく丁寧で、もう今日はこの人の丁寧な対応を見るために来たと思えばいいなどと思っていた。

そんな矢先、イケメンはおかしなことを言い出した。

「武士俣さん、こちら退職理由ですが、会社都合ということでいいですか?」

私は最初イケメンが何を言っているのかわからなかった。

「会社都合ですか?」

「はい、期間満了によるものなので会社都合なんですが、それで合っていますか?なのでこちら個人でご記入いただいた先ほどの用紙、間違えているんで、会社都合に変更させていただきます」

私はぽかんとした。

たしかに、自己都合以外にも何かしらの文言が離職票には書かれていた。

でも何かしらの文言の後にしっかりと「自己都合」と書かれていた。

さらに派遣会社からも今回は自己都合となりますのでと言われていたし、何ならその3月の末に郵送した書類にも自分の字で「自己都合」と書かされたし、何ならシャチハタ以外の印できちんと押印してくださいというようなことまで書かれていた。

書類には派遣会社から予め鉛筆書きで「自己都合」と書かれていて、だからそれにならって書くようにみたいな説明もあったと記憶している。

イケメンはでもその「自己都合」の方ではなく、最初の文言の方を指して何やら「会社都合」になる旨のようなことを言っていた。

私から変なこと言っておかしな方向になるのは困るから、とりあえず黙って次の手続きの窓口へと行った。

次の窓口へと行ってさらに驚いた。

そのイケメンが説明していた文言のところ、それは私の自己都合ではなく会社都合になるから、今回は3ヶ月の待機期間なしで手続き後すぐの給付になる旨説明を受けた。

本当にびっくりした。

実は2ヶ月前に、前職の派遣の仕事の時に一緒だった人が、今回の私と全く同じ流れで退職して、だけどすぐには失業保険出なかったとぶうぶう文句を言ってみんなに聞いて回っていた。

それを聞いていたから私も当然待機期間があるだろうとずっとずっと思ってたし、何なら諸々の書類がそうだと書かれていたからそうなんだろうなぁと思ってた。

だからまさかの逆転ホームラン的なことが起こるだなんて1ミリたりとも想像していなかった。

 

車に戻って1人になってからこの流れを静かに振り返ってみた。

正直なところ、どうしてこんなうまいことが起こったのかはわからない。

しかも公の機関が決定したことで、派遣会社からきた書類も最低でも3人のスタッフは目を通している。

何がどうしたら自己都合から会社都合に変わるのか、そのからくりはわからない。

からくりはわからないけれど、そのよく意味のわからない文言のおかげで自己都合よりも会社都合が優先されるということはわかった。

ただ1つ言えるのは、有り得ないことが有り得たということ。

絶対に起こらないと思っていたことが起こったということ。

じゃあ何でそれが起こったのか。

理由は1つしか思い当たらなかった。

私はこの5ヶ月ぐらいの時間で、「自分の思ったことを表現しよう」から始まり「武士俣史子の名前を出してこれからはどんどん色んなことを発信しよう」となり、最後は「自分の人生を生きよう」という風になった。

そして自分のこれまで生きた全部の時間からたくさんのヒントをもらって、これからは「心の傷を癒す」というところに重点を置いて活動して行こうというのも決めた。

今私の手元には、それをするための知恵も道具も本も知識も技術もある程度揃った。

100%ではなくても60%のところには来た。

そしてそのことだったらこれから30年40年かけて末長く付き合える学問や分野で、尚且つ自分としてももっともっと探究して色んなことを深めていきたいと心底思っている。

そしてそれは私だけじゃなくて他の人たちにも必ず役立つ。

役立つなんて言うとおこがましいけれど、本当に良いものを伝えられるぐらいの経験は山ほどしたから、それは誰かの1日の中のほんの一瞬を元気にするぐらいのことは伝えられると思ってる。

そうやって自分が元気になってきたから。

そうやって自分自身がたくさん癒されてきたから。

だけどそれをきちんとビジネスとしてやっていくにはまだまだ私は未熟だし、あまりにも準備が足りなさすぎる。

だから少しの時間とその間私の生活を支えてくれるお金が欲しかった。

そう思っていた矢先にやってきた失業保険の流れだった。

これは「やりなさい」ということだと思う。

こんなにも意味不明なからくりによってお金と時間がもたらされるというのは、そのための道に行くための応援材料という風にしか見えない。

 

ゲーテの言葉は本当だった。

2011年11月6日、どの本で見たのか忘れたけれど、ゲーテの言葉を読んで、それは本当にその通りになったらいいなぁという気持ちで書き写した文章がある。

私はその後も何度も何度も色んな形で色んな手を差し伸べてもらったけれど、当時は結局変な方向にまたどんどん人生が流れていくから、ゲーテの言葉も半信半疑だった。

ある意味その時は過不足なくぴったりのサポート具合だった。

今ならわかる。

だけど当時は、この程度では足りませんと思っていた(苦笑)。

むしろサポートではなくアンチサポートかと思うような出来事も雨あられのように受け取った。

でもアンチサポートに見えていた出来事たちも実は全部全部必要だったって今ならものすごくよくわかる。

そんな素敵なゲーテの言葉を紹介してこの記事は終わりにしたい。

 

 

心を定めたそのときから、

そうしなければありえなかった、

自分を支えてくれる

出来事が起こり始める。

人との出会い、

物質的な恵み、

夢にも思わなかった

ありがたいことが

次から次に立ち現われては

手を差し伸べてくれるのだ。

自分にできること、

夢見ていることがあれば

今すぐそれを始めなさい。

大胆な勇気には

あなたを守護する魔法の力が

秘められているのだから。

 

ゲーテ

 

自分の変化

3年前の2015年の春、私は人生で初めてホームページを作ることを試みた。

今当時のノートが手元にある。

カード占いが子どもの頃から大好きでという同い年の男性からあれこれアドバイスを無料でもらって、その時に無料で作れるホームページも教えてもらった。

ちなみにこの人は本物の占い師だと思う。

この人以上にカードを操れる人を見たことがない。

絵しか書いていないカードを見て、すぐにそこからメッセージを言ってくるのだから、本気ですごい人だった。

その人が本当に懇切丁寧に私に色んなことを教えてくれた。

そのメモ書きが今もそっくりそのままノートに残っている。

その教えに基づいて私はホームページを作り始めた。

今でも当時のことはよく覚えている。

いきなりしょっぱなでつまずいた。

ホームページのトップページと言えばいいんだろうか。

あそこに書くメッセージが思い付かず悩んだ。

来る日も来る日も考えては書いて考えては書いてを繰り返したけれど、結局ものにならずに終わった。

メッセージがどうしても思い浮かばず、そして焦りに焦って、やる気も失せ、最終的には頓挫した。

当時のメッセージがどこにあるのかもわからないし、そしてホームページももはや自分では開けないと思う。

 

今また新しくホームページを立ち上げようと色々準備している。

今回はとてもシンプルにメッセージができあがった。

それはいつかの車の運転中に出てきた言葉で、そこに少しずつ付け足して、そしてとても短い文章が出来上がった。

どうして今回はすぐに出来上がったのか。

自分ではっきりとわかる。

それは私の内側から出てきたから。

見た目とかきれいかどうかはどうでも良くて、自分の心からの気持ちをそのまま綴った。

そしてそれは伝わる人には伝わる、そう信じられる。

あと今回が前回と最大に違うのは、その文章を見てくれた人が見るだけでとりあえず癒される、それを目指した。

これは3年前は最後までできなかったことだった。

余裕のない感じや焦りは3年前も今も大差ないけれど、でも自分しか見えなかった3年前と違って、今回はその先にいるお客さんをなんとなく薄らぼんやりでも想像しながら書いてる。

というか書けるようになった。

 

そういうことができるようになった1番のきっかけは、多分ホロスコープだと思う。

自分のホロスコープを読み解いていくことで、私は自分の苦難としか思えなかった色んなことが今意味あるプロセスへと変容を遂げたことに気付いた。

私は自分を癒すことに関して、並々ならぬ労力と時間とお金を注ぎ込んだ。

そこまでしてでもとにかく自分が癒されたくて、そのためならもう手段だとかは問わなかった。

「お金は問わなかった」と書きたいところだったけれど、これはお金は問わなかった時もあるし、生活費さえままならない時はそこに払うお金の余裕などなかったから有料のものは何1つ受けられなかった時もある。

ちなみにこの有料で受けられなかったことも実はとっても大切なことで、その時の私はどうしたかと言うと自分1人でできることを代わりにやった。

お金払ってまでできないから、ネットや本で調べまくったり、自分の学んだ手法を使ったりして、セルフヒーリングを色々試した。

何が功を奏すのかはわからないもので、私は自分で自分にしたヒーリングが実は一番大きな変化を生み出すきっかけとなって、そこからどんどん色んな変化が起こるようになった。

そういう体験こそが「自分にも自分を癒す力がある」と気付かせてくれたし、そして誰しもがそういう力を持っているという気付きにも繋がっていった。

さらに自分で家でするヒーリングは、これから先自分以外の人にもどんどん紹介できる。

自分でできることは簡単じゃないとできないし、継続した方が良いものの場合は特に簡単でないと困る。

世の中に紹介されている色んな手法が長続きしないのはそこだと思ってる。

だから本当に効果のあったものはどんどん伝えたらいいし、そういうのは喜んで伝えたいとも思ってる。

 

私は単純にこの自分の変化がとてもうれしい。

私がカウンセリングとか人の心を癒すことに興味を持ったのは大学に入るあたりの18歳の頃だった。

そもそもは中学の頃にものすごいいじめに遭って、それを誰にも相談できず誰にも吐き出せず、それが苦しくてたまらなくて、それで私は当初スクールカウンセラーになりたいと思っていた。

実際社会に出てからも、スクールカウンセラーではなくても、人の話を聞くことだけはものすごい回数と人数をこなした。

そういう道に行くことになると言わんばかりに、そのような体験が多かった。

そして自分自身も色んな心痛い体験を大人になってからもした。

子どもの頃から知らずに引きずっていたものもある。

そこから色んな紆余曲折を経て今39歳になって、本当にそういう道で生きていきたいと心が決まった。

やっとやっと心が決まった。

そこだけは迷いがない。

これまでみたいにごちゃごちゃと何年も迷いまくって、自分には何もできないと思って、とにかく社会から隠れるようにして生きたいと思ったことも何度も何度もあった。

今はこれからどういう試練であったとしても、とにかくやりたいこと・目指したいことを突き進んでやる、それは何年かかってもいいから形にしていくものとして自分の中にある。

ちなみに3年前に途中までネタとして書いていたメモたちは今大活躍している。

3年前も今も内容は何一つ変わらない。

心の癒しに関して言えば、流行り廃りがない。

仮に流行があって今衰退するようなものがあるとすれば、それは何かが間違えているんだと思う。

金銭目的でやったり事業拡大を目的にしたら絶対にうまくいかない分野だと思う。

一時的に軌道に乗っても必ず落ちる。

でも基本を忠実に守り本当にそれに対して効果があると自分がわかっていれば、その軸はぶれることがない。

私の一番の強みは、そういうプロセスを自分がすべて通過していること。

そしてこのメモ魔の自分の特性がとても活かされていて、わからなければ自分の過去の何十冊とあるノートを見たらいい。

そこにヒントがある。

必ずある。

こういう心理系のワークなんかでよく言われるのが「嫌なことを書いたらその紙は燃やそう/ビリビリに破いて捨てよう!」とかいうもの。

私は逆に全部残した。

そんなガチで嫌だった時のことなんかその時にしか書けないものだから、私は逆に残す方を選んだ。

本当に不要と判断したらその時に捨てればいいから、とにかく将来使えるかもわからないから残しておこうと全部残した。

今それらはとっても貴重な資料になっている。

しかもその時々で私が何をしたかもわかるようになっている。

そんな超使える教科書、世界中どこを探したってない。

自分自身が臨床例となってるから、見たらすぐに思い出せる。

長い年月をかけて必要なものは全部そろった。

もちろんもっともっと伸ばすべきポイントはある。

もっともっと深めたい技術もたくさんある。

だけど「もうスタートしていいな」、という自分の中の心構えができた。

今なら事業として失敗したとしても大丈夫と思っている。

もし方向性が間違っていれば、そうだとわかる結果が出てくるだろうと思ってる。

そして本当に生きる道が違うのなら、最後はどこでも働く場所はある。

自分が選ばなければ仕事は世の中にたくさんある。

そういう覚悟が本当の本当に生まれてきた。

それがこの3年間で得た一番大きな変化じゃないかと思ってる。

2017年12月25日月曜日

おいしいクッキーと苦い思い出



今日個包装されているオリジナルクッキーをいただいた。

製造者を見ると、どこぞの福祉施設で作られたものだということが判明。

それだけで私の期待は一気に高まった。

私が人生で一番おいしいと感動したクッキーが、それこそ山梨県だったかにある福祉施設で作られたクッキーだった。

私自身は甘い物ずきではないし、スイーツにも疎いけれど、唯一人生で一番感動したそのクッキーのことだけは憶えている。

名古屋に住んでいた頃、家から徒歩で40分ほどのところの雑貨屋に行くのが好きだった。

その雑貨屋さんは本当に自分たちが良いと思うものだけを置いていて、居心地も抜群に良かった。

変な敷居の高さもなくて、その絶妙な空間や雰囲気の作り方に私なんかは毎回うっとりしていた。

そして道側の窓に面したカウンター調のテーブルと椅子のところで、飲み物を頼んで飲めるようになっていた。

こだわりの珈琲が1杯200円というありえない価格設定で、そしてオーダーが入ってから1杯1杯丁寧に淹れてくれるというところもすごく良かった。

自分でクッキーを買うなんて発想がない私を思うと、最初にそのクッキーを食べたのは、珈琲と一緒に添えられて出されたからだと思う。

食べた瞬間、「これ美味しい!」って即座に思ったほど、とにかく感動の味だった。

特別な感じではなさそうなのに、本当にこんなに美味しいクッキーが世の中に存在してるだなんて、スイーツ通ではない私にもわかる美味しさだった。

それでお店の人にそのクッキーの出どころを聞いて、それならお店にありますよと言われてそのクッキー売場を案内されたのだった。

またパッケージもシンプルながらもおしゃれで、私はその日買って帰ったと思う。

店で見たのか家で見たのかは忘れたけれど、パッケージを見てそれが福祉施設で作られたものだということを初めて知った。

その後もそのお店でそのクッキーはよく買った。

また別の時、大きなイオン系のショッピングモールで、福祉施設で作られたクッキーや手作り品を売り出す出店(でみせ)があった。

そこはクッキーに関してはどこも試食を出していて、私は気になったクッキーは全て試食した。

そこでもクッキーたちは美味しくて、福祉施設で作られるクッキーって何でそんなにも美味しいのか不思議でたまらなかった。

その時も気に入ったクッキーをいくつか買って帰った。

そんなことを思い出しているうちに、1つのことを思い出した。

2015年の春、私は経営コンサル的な個人セッションを一度だけ受けた。

その時に私はそのお気に入りの雑貨屋でその美味しいクッキーを買って、そのコンサルの人に持って行った。

みんな差し入れするのが通例らしく、その人のブログを見るとクライアントさんからもらいました!みたいなことが良く書かれていたから、私もそれで迷ったけれど大きなものでなければいいかと思い、ほんの気持ちという感じでそのクッキーを選んで持って行った。

クッキーの包装に関してはこちら


私が人生で一番感動した包装でもあった。

当時のブログ(★)ではかなり濁して書いたけれど、本当はすっごく雑な扱い方をされていた。

「渡された後のプレゼントの置かれ方がとても適当」と書いたけれど、実際はこんな風だった。

そのクッキーの包装は、普通に立つ状態になるし、わざと横にしない限り100%転ばない。

しっかりとした安定感があるから、とにかく横にすることはできない。

それをそのコンサルの人は、もらったらそれを本当に雑に机の空いたスペースに置いて、さらにはわざとなのか癖なのか、その包み自体を横にした。

しかも置き方もそっと置くんじゃなくて、投げるまでいかなくてもぽんと片手で適当に投げやるみたいな、渡した者としては不快に感じるレベルの雑さ加減だった。

私はそこでまずはものすごく違和感を感じた。

その後のセッションに関してはもっと違和感だらけだったけれど、自分でもそれを認めるのが嫌で、しばらくは悶々としてしまった。

そんなことずっと忘れていたけれど、今日仕事中にそのクッキーをつまみながらその当時のことをあれこれ思い出し始めた。

そして私は「まさか」という感じではあるけれど、あながちまさかでもないかなと思うことに1つ行き着いた。

私はその人のブログも本も読んだ上で、その人が書くことがすごく自分の中にすっと入っていって、それでその人のセッションを申し込んだ。

だけど実際に会った時に、そしてその人が口を開けば開くほど、文章の中のその人と実際のその人とに大きなギャップを感じていた。

過去にmixiを通じて、私はそこで最初に知り合った人たちと実際に会ったりmixiで募集がかけられていた朝活に参加したことがある。

朝活では相当な人数の人に会ったから、最低でも10数人には会ったと思う。

だけど、その人たち誰ひとりに対しても、本人が書く文章の中の本人と会った時の実際の本人に違和感を感じた人はいなかった。

mixi経由だと本名よりもハンドルネームを先に知るから、そこに書かれている文章は本名を名乗っての文章でなくても、それでも違和感はなかった。

なのにそのコンサルの人は、違和感だらけだった。

で、私が今頃になって思ったのは、もしかして私が読んでいた文章は別人の誰かが書いていたんじゃないかということ。

あまりにも気になって、私は今日家に帰ってから、その人のブログをそれ以来約3年ぶりに開いて読んでみた。

直近のやつは全く心に響かない。

そしてその人も新年のメッセージを1人1人に書くというサービスを提供していて、その例を見たけれど、それが実にしょぼかった。

本当に失礼だけれど、内容が薄かった。

私はこんな感じの文章に心が動かされたんだろうか??と思い、それで過去のブログにさかのぼろうとした。

そうしたらすごいことがわかった。

私が読んでいた当時のブログは全部消失していた。

それが機械的なエラーで消えてしまったのか、それとも本人がわざとそうしたのかはわからない。

だけど、私が受けた後の3~4ヶ月後が、その人が書くブログの一番古いブログになっていた。

そしてとにかく文章に心を動かすような力がない。

何かが違うし、何かが全体的におかしい。

私はこんなにも力のない文章に当時心を動かされたとは思えなかった。

さすがに10年以上色んな人の色んなジャンルのブログをあれこれ読んでいたわけだから、私の感覚がその違和感をキャッチできなかったとはいまいち思えない(思いたくない 苦笑)。

私は気に入ったブログを見つけると、下手したらその人が書く文章を全部読むという快挙にさえ出る。

それぞれの人に書き方の癖や言葉の選び方に個性が出るから、同じ人が書くものには文章の雰囲気みたいなのが一貫している。

言うならば、ひとりひとりの書く手書きの文字ぐらいに差がある。

それが久しぶりに読むブログでも、基本的には同じ印象を受ける。

なのに今回は、何かが違うと感じた。

消えてしまったブログと今のブログとが確実に違っている。

なんだかもっと気になって、私は当時のその人が書いたブログ内の文章をノートか何かに書き写していたことを思い出し、今度はそのノートを引っ越しでごちゃごちゃになっている荷物の中から探し出した。

ノートにはなく、そこで「そうだ、スケジュール帳だ!」と行き着き、スケジュール帳を見たらビンゴ、出てきた。

そして写経のごとく彼女の書いた本の中の気に入った文章を書き写したはず!と思い、それも他のノートをたどって見てみた。

出てきた。

こんなこと言いたくないけれど、多分ゴーストライターじゃないけれど、別人が書いたかもしれないと思う。

書いたのは本人かもしれないけれど、書いた内容は本人のものじゃない、そんな気がしている。

そう思うと、当時の違和感もしっくりくる。

ブログ上では本人が大切にしたい思いとかを色んな形で発信していた。

だけれど、実際のその人は人からの手土産1つ大事にできない人だった。

手土産を大事にして欲しいと言いたいのじゃない。

その人は、日常であるとかそこで出逢う人たちだとかを大切にしたいという思いをそれこそ色んな言葉で言っていた。

だから、人からのもらい物だってそこに至るまで色んなプロセスを経るわけだから、少なくとも文章上のその人はそういうことも大事にしそうな雰囲気だった。

だけれどそれは違っていたらしい。

後日その人のブログに、最近もらったお土産ということで紹介されていた。

写真もついていた。

そこには豪華絢爛というか、いかにもデパ地下やスイーツ特集でテレビで放送されたような名店のお菓子みたいなのがいくつも映っていた。

だけどその中に私が持って行ったものは映っていなかった。

私が持って行ったのは、それらに比べたら華やかさはない。

だけれど、唯一無二の一期一会的な感じの包装や人のぬくもりは確実に感じられる。

それは大量生産されている商品には見られない。

ましてや本当に人の思いが込められているクッキーだと思う。

そのお店に運び込まれるまでにどれだけたくさんの人が関わって、どれだけたくさんの人の力が集まっているのか、1つ1つをたどったら相当な数や大きさになっている。

防腐剤とかは使わず、本当に素材をそのまま使っていたと思うから、そしてそれを商品として出すためには、相当な研究や試行が重ねられただろうことも容易に想像できる。

そしてあんなにも物にこだわりを持ったオーナー夫婦がよりすぐって置いているだけあって、本当においしいクッキーを採用している。

その人は見た目の華やかさばかりを追い求める、そういう風な人なのかもしれない。

少なくとも、私は当時のそのおみやげの記事を見てそう感じた。

そしておみやげの記事を見た時に、その人の本性みたいなのもより一層はっきりくっきりと出ていた。

食べたらわかると思う。

私はそのクッキーを他の人たちにも配り歩いたけれど、誰もがみんな「美味しい」と大なり小なりの感動をしていた。

それが伝わらなかったことが、どこか私としては悲しくそして腹立たしかったんだと思う。

2017年の冬に届いた1枚の手作りクッキーは、私にこんな風にして過去の場面を思い出させてくれた。

私は見た目の華やかさよりも、そこには見えないぬくもりだとかストーリーだとか、そういうものにやっぱり惹かれて仕方ない。

2015年8月14日金曜日

やる気スイッチオン!!!

かれこれ何時間作業していたのだろう。

自分が過去に書いた100近い記事を読み返し、必要なものは編集し直し、そしてそれぞれを

新しいカテゴリーに分けた新しい記事を作っていた。

いつかはやろうやろう…と考えていたもののいつもやる気にならず、ずっと放置していた。

やってもやらなくてもいいけれども、絶対にやっておいた方が未来の自分の助けになることだけは

わかっていた。

残り90近い再編集が残っている。

明日というか今日これから寝て起きたら、またこの調子でやりきりたいと思っている。

頼むよ、明日(=今日の朝)の自分…。


作業をしていて思ったのは、「継続は力なり」の一言に尽きる。

200近い記事、しかもこのブログよりも気合が入っていて内容も多岐に渡っている。

それを延々とほぼ毎日書きあげることで、200近いものが出来上がる。

しかもほとんど内容がかぶることなく、色んなことを多方面から書いている。

そしてその内容の大元のネタは、すべて自分の失敗から始まっている。

たくさん失敗してそこから立ち直らざるを得ず、それで暗中模索でやってきたことが1つまた1つと

記事になった。

難しい本なんか開かなくても、自分の過去を振り返って得た知恵やプロセスを言葉にする。

それだけで良かったにしても、言葉になっていないものを言葉にする作業はこうして言うよりも

難しいものだった。


200近いものを書いて、これがどうにもならない可能性だってある。

でも、本当に少しだけ希望を抱いている。

半年近く書き続けて、この反応の無いブログどうしてくれよう…と何度も何度も思った。

しかもこのブログよりもっと具体的に色んな数字が出てくる。

余計にへこんだ。

だけどようやくここに来て、本当に少し見知らぬ誰かにも届いているかもしれない、というのが

わたしにも伝わることが出てきた。

それはどこの誰かも知らない人からのメッセージという形で出てくることもあれば、繰り返して

わたしのブログを訪れて読んだよのサインを残してくれることもある。

相変わらず変な営業の人とか、自分に利益が欲しいくせにわたしに「いいね」を連打する人、

わたしには到底理解できない変なメッセージ送りつけてくる人とかいるけれども、

それでも心ある人たちが少しずつ現れ始めた。

これは続けなければわからないことだった。


そういう兆候が出てきたことで、もう少し見やすい記事の整理の方法はないかと思って、それで

手をつけた今回の再編集。

亀のような歩みだけれど、これがどこかに繋がって欲しいと自分だけは希望を持ち続ける予定。

2015年7月13日月曜日

書く・書く・書く でも書かない

今さっきアメブロの記事を一気に3つ書きあげた。

全然苦じゃない。

まったく別のことをそれぞれの視点から書く。

ただ自分の中にあることを言葉に置き換えるだけだから、排泄に近い感じだ。

排泄の時に、「AとBを組み合わせて、CとDを入れ替えて…」なんてそんな難しいこと考えて排泄

しない。

体の流れに従って、それを行動に移す。

さっきの3つの記事は、それと似ている。


それとは反対に、まったく進む気配を見せない自作ホームページ。

いつ以来か、制作ページを開いてもいない。

ここもする作業は基本的に一緒。

自分の中にあるものを言葉に置き換えていく作業。

今書いていてわかった。

たしかに、ホームページの方は、ただ書くだけじゃなくて色んな構成上の作業も含まれる。

だけど、もしその作業を省けたとしても、書くに至らない。

自分の中の思いを「言葉」にする段階に至ってない感じだ。

それだ。

自分の思いをまっすぐに発すれば済む話だと思うけど、そこに至れてない。

だから手も止まるし、書いては直し、付け足し、もう何が何だかわけがわからなくなっている。

ホームページの方が形になるのは・・・いつだろう?

「書ける」状況に1日も早くなっていただきたい、頼むよ自分、という気持ちでいっぱい(汗)。

2015年7月9日木曜日

自分のスタイルを貫く

「自分は他の誰にもなれない。自分にしかなれない。」

本当にそうだと思う。

アメブロの方が今月で6ヶ月目に入った。

「仕事」として打ち出していくには、あまりにも突っ込みどころ満載で、自分でもどうしようかと悩む、

というか考えるというか、とにかく気になっていた。

気にはなっていたし、もちろん「職業用」にアレンジする方法は、今なら探せばいくらでも情報が

溢れている。

自分のスタイルを変えることも考えた。

そんなこんなの時に、ある1人の方からコメントをいただいた。

その方が私のブログを読むと、自分が何かに気付く、ということを教えてくれた。

その一言で、自分が最初に目指したもの、軸として持っていたいと思ったものを思い出した。

自分の心の中の色んな荷物を紐解いたり軽くしていくプロセスには、絶対的に自分で気付く

必要がある。

どんなに優秀なセラピストやカウンセラー、コーチがいても、

どんなに優秀で実用的な本があっても、

どんなに効果が高いと謳われる手法があっても、

すべては本人が気付かなければ何も変わらないし意味がないとすら思っている。

それはわたし自身が色々体験して痛感しているし、他の人たちを見た時にも同じことを思う。

わたしの場合、「他人の体験談」が一番気付くきっかけになることが多かった。

方法論なんかはいくらでも調べたら出てくる。

だけど、それを頭で理解するのと、体ごと体験するのとでは、雲泥の差がある。

体験する方は頭に知識をたくさん詰め込んだところでできるようになるわけじゃない。

自分1人では色々限界もあるけれど、自分以外の誰かが体験したことはとっても参考になる。

参考というよりも、他者の体験談が自分の中の体験と重なり合い、自分の中で閉じていた扉が

ぱかんと開く。

これを何十回何百回と経験して、それで自分も自分の体験談を主に書こうと思った。

それを読んだ人が何に気付いたり感じたりするかは、もちろん読めない。

もしかしたら何も気付かないかもだし感じることもないかもしれない。

それなら「気付かない・感じない」ことが1つの収穫になる。

とにかく自分の体験を綴る、そこから先はすべてお任せ。

そうだった、そういうものを書こうと決めて始めたアメブロだったんだ、と思い出した。

多少は加筆訂正する部分のあるアメブロではあるけれど。

自分のスタイルを貫く、その決断がようやくできたところ。

2015年6月6日土曜日

苦手なタイプの人に出くわす

久しぶりに「この人苦手だ」という人に会った。

起業関係の勉強会に参加して、そこの講師だった方がめちゃくちゃ苦手なタイプの人だった。

最初は何が苦手かわからなかったけど、観察していくうちに「話し方」が(も)苦手だとわかった。

異様なほどポジティブな人、ポジティブを装っている人と言ったらいいんだろうか、それに違和感を

感じまくっていた。

さらに、過去の事例を紹介する時に、自分のことを「先生」と呼ぶ。

それにもぞぞぞっとした。

実際に「先生」と呼ばれているんだと思う。

ただ、学校以外で「先生」と自ら名乗る人というのは、わたしの中では要注意の警告が鳴る。

子どもたちが先生を「先生、あのね」と話しかけるのは容易に想像がつく。

そういう状況下のやりとりの紹介ならわかる。

だけど、大人同士のやりとりなのに、片方が「先生」と呼ぶというのはどういうことかと思う。

まるで政治の世界だ。

普段呼ばれ慣れているのだろう、私は「超絶変」と感じていたけど、

本人は何も感じていないようだった。

それがその人の仕事のスタイルなのだろうし、それで通る世界だからいいとは思う。

だけど、3時間もあった勉強会は1分1分が長く、何度時計を見たかわからない。

本当に、学校で授業を受けているみたいだった。

中学や高校の頃も、面白くない授業(面白い授業はほとんどなかった)の時は、時計を何度も

見たり、手紙書いたりマンガ読んだりのやりたい放題だったけど、久しぶりにああいう時の気持ち

を思い出した。

さすがに時計を見る以外のことはしなかったけど、こんなにも9割がた一方的な受講型の勉強

というのも、随分と久しぶりだった。

講演会も何回か行ったことはあるけれど、それこそ100%受講型だけど、つまらないと思った

ものはない。

難しい言葉で説明されてるわけでもなかったし、実用的な話ではあったと思うけど、とにかく

話にまったく惹きこまれないまま終わってしまった。

話し方なのか雰囲気なのか、それとももっと別のものなのか、とにかく違和感感じまくりの3時間

だったことは間違いない。

実は、今回は申込の時点でものすごく迷って迷って迷った末の申込だった。

全5回シリーズで、時間と受講費(←信じられない位に格安!)は問題なかった。

そして知人が以前受けたことがあって、おススメと薦めていたこともあった。

だけど、正直なところ講座のタイトルを見て「知っていた方が得だろう」とは思っても、「面白そう」

とは1ミリも思わなかったし感じなかった。

損得でやるとたいがい失敗するのもわかってはいる。

頭で色々考えて、それで最後は「全然役立たなかった、でもいいから行ってみよう!それを知る

ことも大切」などと自分で勝手に理由を作って、それで申し込んだ。

定員のあるものだったから、ダメでもいいやと思って、なんと申込締切日の夕方4時に申し込んだ。

先方の返事は、「すでに定員に達していますが、お席をご用意できますので是非いらして下さい」

だった。

これは「行け」ということだなと思ってそれで行って、そしてこの一連の出来事に繋がっていく。

たかが紙1枚の案内だったけど、あそこから感じ取ったものをそれ以上に感じた会で、次回以降

どうしようかなと思っている。

講師の方は毎回変わるけど、また同じような感覚を受けてくるのだろうか。

次回は1週間後だから、行く行かないはそれまでに決めたらいいかなと思う。

1つだけはっきりとわかっているのは、当日少しでも具合が悪かったら絶対に行かない、という

選択をしてしまうこと・・・。

2015年4月19日日曜日

本物が生き残る理由

最近のメルマガは動画配信が流行っているらしく、やたらと動画が一緒に送られてくる。

この1ヶ月で何本の動画を見たのかわからないけど、多分音声も含め30近くは見たと思う。

その中には著名な方の動画も入っていて、その方に関してはアメリカの大統領か!と

つっこみたくなる位に熱い語り方をする人だった。

それだけ実際に色んな分野で活躍している人みたいだし、本気で全力でメッセージを語って

いるのはよくわかった。

ちなみに、そういう動画は最後、商品の売り込みが必ずある。

その辺も何本も見ていると、多分最近の動向なんだろうと思って眺めている。

さて今日届いた、その熱い大統領弁ではない人の動画を開いてびっくりした。

大統領弁の方は、本当に非常に個性的な話し方と営業トークでとても印象的だったのもあって、

わたしにはすごいインパクトがあった。

インパクトがあった分の記憶もかなり鮮明だ。

話の流れや商品のメリット、詳細の説明や自分の想いの部分、その辺もかなり記憶が鮮明で、

そうしたら、その今日の別人の方の動画がそれと丸かぶりでびっくりした。

話し方、使う言葉、全体の流れ、商品の組み立て方、とにかく丸かぶり。

言うなれば、冷蔵庫を冷凍庫に言い替えただけ、ぐらいのかぶり具合。

どう考えても、わたしが最初に見た人の方が1000倍有名人、

そして商品開発から今の地位に至るまでのプロセスも全部経験しているとわかるから、

最初の人が本物だと断言できる。

今日の別人の方は、完全にそれをパクッタのだと思われる。

それが合法なのか違法なのかはわからないけれど、

一つだけ言えるのは、本物の人には絶対に敵わないなということだった。

最初の人は、自分の想いを発信するのに、並々ならぬ努力と周りからの協力を得て

1つのビデオレター的な動画を数本作っている。

メッセージにぶれがないし、本人が何を望んでそこまでしているのかもはっきりしている。

ものすごくはっきりしている。

今日見た別人の方のは、肝心な自分の言葉で話さなければいけない部分が弱い。

メッセージ性がないから、自分の言葉で語る部分になると途端にもごもごしている。

小さなもごもごだけど、何せ最初に本物を聞いてるからすぐにわかる。

そこから思ったことは、どんなに下手でもいいから自分の言葉で自分の想いをまっすぐに表現

することの大切さだった。

他人の言葉や表現を借りたって仕方ない。

自分の言葉だから、それがまっすぐに伝わる。

こんなことを学ぶつもりではなかったけど、とっても良い勉強になった。

2015年3月28日土曜日

相談からの学び

今日起業のための相談に行ってきた。

得るものも勿論あったけれど、その中で得たものよりももっと全体の流れで見た時の得るものの方

が大きかった。

結果から言うと、勉強には本当になったけれども、自分の中では物足りなさや、

そもそも相談する相手はもっと別の視点で選ぶ必要があったのかなと思った。

これは終わった今だからわかることであって、選んだ時はわからなかったから、

その時はその時で最善の選択だったとは思う。

一度メールでやりとりしただけの方で、今日がお互いに初対面だった。

人柄も最高な方だったし、これまでの同じサービスを受けた人の声が良かったから、

ある一定のレベルでは良かった。

時間が限られている中で、自分の色んな情報を発信するというのは、思いの外難しかった。

自分の準備不足もある。

ただ、もし、これが私をよく知る人物でビジネスの分野に特化した人からの話であれば、

恐らくもう少しわたしに合ったアドバイスをもらえたんじゃないかとよこしまな気持ちが湧いた。

本当に基本のことを教えてもらったし、今の自分の段階や何をこれからしないといけないのか、

それらはものすごく明確になったから、もちろん行く意義はあった。

だけど、終わった後にもやっとしたのも本当だ。

そして、もっと近くに相談できる人がいたということもはっきりとわかった。

その他にも2つほど気付いたことがあった。

色んなセミナーや講座や個人セッションやら、自分の中では過去にかなりな数で受講したけど、

幸いにして本当に「払ったお金よりも得した!」と思える、それ位本物の人たちにたくさん

会っていたということにも気付かせてもらえた。

今日の方だってもちろんきちんとしていたし、何よりも色んな事前の調査で信頼できる方というのは

自分の中にしっかりとあった。

ただ、それ以上にこれまで出逢った方たちがすごかったんだということがわかった。

もう1つは、自分の価値は自分で決めていいということ。

これまた失礼な話だけど、頭の中ではそろばんをぱちぱちとはらって、

同じ値段を払ったら別のこのサービスやあのサービスが受けれたんだ・・・なんて思ったら、

ある意味何でもありだなと思った。

自分で自分の価値をはっきりと決めているから、だからわたし(客)の評価がどうであれ

それでOKなんだ、ということを学んだ。

実際の価値云々よりも、「自分で決めることの大切さ」を学べたと思っている。

そういう色んなことに気付けたということで、トータル的には良かった。

2015年3月27日金曜日

散歩の極意

昨日のプリンターのインク事件。

プリンターのインクは残念なお知らせだったけど、それ以上にすごく良いニュースもあった。

電気店含めその近隣に行くのに30分ほど歩いた。

名古屋に住むようになってから、基本の移動手段は「徒歩」になった。

気付いたら5年以上住んでるけど、当初はいつ名古屋を脱出するかを考えていたわたしは、

余計な荷物は増やすまいと自転車も買わなかった。

公共交通機関を使わない移動は、基本すべて徒歩になる。

天気も比較的晴れの日が多いから、歩くことは苦にならない。

ダイエット効果はこちらの期待をはるかに下回る位に無いけれど、健康的だとは思う。

歩きながら見える風景も好きだし、歩く速さだから気付けることも多い。

昨日も小春日和な1日で、春を感じながら歩いていた。

頭の中では、期日の迫ったアイディア出しに必死だった。

期日は明日土曜日。

このアイディア出し、ゆうに3年以上かかっている。

これからやっていく仕事の「核」となる部分でもあるから、時間がかかるのは仕方ない。

期日が明日なのは、明日そのことで専門家に相談に行くから。

わからないから相談しに行くのだけど、それにしても核がはっきりしないから、

ドミノ倒しのごとく、その後のやることたちも滞っている。

せめて、その1つでも形にして相談に臨みたい。

そんなことも思いながらの散歩だった。

家の中、自分ひとりで云々唸りながら考えても煮詰まるだけだから、

インクを買ったり他の用事も済ませたりするために散歩に出たようなものだった。

結果、散歩は大正解で、散歩の最中に2つほど言葉が出てきた。

その言葉たちをどんな風に使うのかはその時はわからなかったけど、

とにかく色んな自分の思いをまとめた言葉には間違いなかった。

その後、昨日の夜遅くから今朝にかけて起こったことは、驚くことばかりだった。

散歩の最中に出てきた言葉は、使い方まではわたしに教えてくれなかった。

言うなら「りんご」と「バナナ」ぐらいに、単品でぽんと出てきた言葉だ。

だから、りんごとバナナをどうするの!?という感じだった。

ところが夜になって、ひょんなことからその言葉を生かせるマニュアルが降ってきた。

「降ってきた」なんて言うと神業じみているけど、本当の本当に降ってきたのだからびっくりした。

某メルマガを登録したばかりなのだけど、正直若干胡散臭いと思いながら登録した。

そこでさらに、ダウンロードできるはずのページが「Not Found」と出てくる。

さらに怪しい。

普段のわたしだったら、もうその場で読者登録解除だ。

ところが自分でも不思議で仕方なかったけど、なんとわたしは「ダウンロードできない」旨、

メルマガ発行者に訴えるメールを出した。

返事も期待せず、出すだけ出したら自分の作業に戻った。

期待に反して、返事が来て、今度はきちんとダウンロードできるようになった。

それが「マニュアル」の正体だった。

さかのぼること3年前。

わたしに書くことを勧めてくれた手相家の方がいらっしゃって、

その時に手法の名前だけは聞いていた。

それを勉強するのに最適なテキストだという書籍も教えてもらった。

その日のうちにたしか本を買ったけど、これがわたしにはさっぱりわからず長いことクローゼットの

奥にしまわれたままだった。

この半年ぐらいの大掛かりな断捨離で、とうとうその本は手放した。

もう必要ないと判断したから。

ところが、その手法をもっとわかりやすく、そしてど素人のわたしでも理解できる内容の

マニュアルが、例の昨日のダウンロードしたマニュアルだった。

ダウンロードするまで何が入っているのかは知らずにいた。

ダウンロードしたのは良かったけど、ものすごい長い内容だった。

他にもやることはあるわけで、後に回そうかとも思ったけど、なぜか読もうと思って読み始めた。

あっという間にすべてを読み切った。

そして、ようやく散歩の時に出てきた言葉の使い方がわかった。

夜も遅く、昨日はそこまでして寝た。

今朝になって、りんごとバナナは、ブログのタイトルに生まれ変わった。

りんごとバナナを繋ぐ文章が、びっくりする位にすらすらと出てきた。

ブログはせっせと書いていたけれど、どこかインパクトに欠けていた。

直すところは山ほどあったけど、約2ヶ月放置していた。

ところがここに来て、タイトルがはっきりとし、そして自分が目指す方向性もさらにはっきりした。

おかげさまで、あの色々とドミノ倒しで滞っていた作業も解決の糸口を見つけ、

今まさに動き出している。

明日の相談も、明日のタイミングで間違いない、と確信している。

最近は、1ヶ月以上前に申し込んだは良かったけど、滞りまくりでどうしようかと思っていた。

なんだったら、自分ストライキあたりの数日間は、

「一体わたしは何を相談しに行くんだ?時期早々?」とすら思っていた。

課題山積みにしても、今はどこだったら今の段階で手をつけられるかがわかる。

自分ストライキの日は、それすらわからなかったから、余計に不安と焦りが量産された。

脈絡のない内容になったけど、今でないと書けない内容のような気がしたから書いてみた。

昨日のインク買いも含めた散歩。

出掛けて本当に良かった。

プリンターのことは残念ではあったけど、それ以上の収穫が昨日はあったから、

もう今となってはプリンターのことはすっかりどうでも良くなっている。