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2017年10月9日月曜日

言葉数の少ない人


数百人の人と関わってみて、これは私が独自に感じていること。
 
言葉数が少ないからと言って、その人が何も思っていないとか言いたいことがないという意味ではないこと。
 
どんな人も言葉を持っているし、色んな気持ちや考えを持っている。
 
ただそれをどの程度表に出すか、言葉にして外に発信していくか、その程度の差だと感じる。
 
自分を例にとれば、まるで今の私は全く人見知りしない人みたいに認識されがちだけど、私は自分の話をする時は相当人を選ぶし(むしろ自分の話は核心に触れるほど誰にもしない)、そして子どもの頃からの癖で瞬時に相手のことを「この人にはここまで話してもOK」とか「この人に話すのは危険」とかいうことを判断している。
 
ちなみに子どもの頃の私は、「はい」と返事すらできないような子どもだったから、当然自分の意思を周りの人に伝えるなんていうことはしなかったと言うより本当にできなかった。
 
本当に静かな子どもだったし、最強の人見知りだった。
 
年齢と共にそういう部分はだいぶ解消されたし、生活や仕事をする上で自分が困らないぐらいのコミュニケーション力はついた。
 
だけど基本的に自分からぐいぐいと行くタイプでもないし、核心に触れるような話は本当によほど相手を信頼できないとまずはしない。
 
スーパー人見知りな自分と今ぐらいになんとなくコミュニケーションをとれる自分とその途中の段階の自分と、色んな自分を体験してきてるから、だから言葉数が少ないとか人見知りするような人に対しても、私はそういう人を見ると「この人が話すと本当はどんな感じなんだろう?」なんてよく思ったりする。
 
 

何年か前、私はある中学生の女の子からとても大切なことを教えてもらった。
 
その子は社交的か内向的かとなれば、100%内向的。
人見知りかそうでないかと言われたら、100%人見知り。
ものすごく物静かで、挨拶と必要なこと以外は一切喋らない子だった。
 
大人の私だけにじゃなく、同年代の子どもたちにもそういう態度を貫いていた。
 
一応大人の私は、その子が不快にならなさそうな話題を選んで多少は話しかけたし、こちらが返して欲しい程の言葉での返答はないものの、だからと言って話しかけないのはもっとおかしな状況だったから、ある意味可も不可もない小さな会話をするようには心掛けていた。
 
いつまでも深まらない関係にやきもきもしたし、いつかその子はこの関係に嫌気がさして私の前から去っていくんじゃないかと思っていた。
 
とにかく一筋縄ではいかない相手だった。
 
週2~3回彼女とは顔を合わせていたけれど、その何の進展もない状況が延々8ヶ月続いた。
 
8ヶ月経ったある日のこと。
 
何年経っても忘れられない位、その日の光景も彼女のこともよく覚えている。
 
大革命が起こった。
 
そもそも2人きりになることのない場所だったゆえ、彼女と私だけが最後にその場に残ったのはその日が初めてだったかと思う。
 
私は仕事だからそこにそのまま居残るけれど、彼女はもう終わったからあとは帰るだけだった。
 
私は入り口まで彼女を見送ろうと思って、その子の後ろについて行った。
 
いつものように小さな声であいさつして帰るんだろうなぁぐらいの心持ちで彼女を見ていた。
 
そうしたら突然その子は堰を切ったように自分の話を始めた。
 
しかもその位の年齢の子なら、学校のことや友達のこと、恋愛なんかをべらべらと話すのが普通なのかもしれないけれど、彼女の話はそのどれでもなかった。
 
いきなり家族と家族の中の自分の立ち位置について、実にわかりやすい、それは黙ってその場で自分や家族を観察していないと絶対にわからないような話を一気に聞かせてくれた。
 
私はそこのおうちに行ったことは一度もないけれど、彼女の話だけで家庭の中がどんな風かいとも簡単に想像できた位、すごくディープな話だった。
 
その日を境に、その子は私との関わり合い方を変えてきた。
 
相変わらず余計な話や小さな声でのあいさつはそのまま継続された。
 
だけど、2人きりになる場面になると色んな話をしてくれるようになった。
 
これは私が勝手に思っていることだけれど、あの沈黙を貫いていた8ヶ月間、実は彼女は私を観察していて私が話す相手として彼女の基準を満たす人物かどうかを見定めてたんじゃないかと思う。

私は彼女のサインには何一つ気づけなかったけれど、言葉のなかった8ヶ月間も実は言葉ではない別の形で何かを私に訴えていたのかもしれないし、伝えようとしていたのかもしれない。

彼女が私に教えてくれた大切なこと、それは目に見えていることや耳に届く言葉だけで人や状況を判断しないことだった。
 
それって人間関係を築く時にとても大切な要素になる、ということを彼女は自分の身を呈して私に教えてくれていた。


   
その子だけではないけれど、言葉数が少ないからと言って、何も言わないからと言って、その人が何も感じていないとか考えていないなんてことは絶対にありえない。
 
むしろ言葉数が少ない人の方がそれを外に出さない分、内側では色んなことをたくさん感じてるんじゃないかと思う位。
 
自分もそうだけど、大事な場面で言葉を出せない時がある。
 
色んな思いが絡まって言葉にできない時もあれば、相手の決めつけてくるような態度を見て何も言いたくない時もある。
 
何か言ってもわかってもらえないとわかると、私は適当に取り繕うことは言っても自分の本心は絶対に言わない。
そうすることで自分を守る時もある。
 
だから状況はそれぞれだけど、ただそのどんな時も自分は色んなことを感じているし考えている。
それを表に出さないだけ。
 
これは私のこれまた勝手な個人統計だけれど、表面上言葉数が少ない人の方が、話してみるとすごく面白かったりする。
 
そしてそういう人たちからはっとさせられるようなことも多い。
 
言葉数の少ない人の方が黙っている時間が長いから、実際に話す時や沈黙の時の距離感が心地良かったりする。
 
人との距離感を多分ものすごく見極めているだろうから、距離感の取り方が絶妙だったりする。
 
そして視点も独創的ですごく面白い。
 
そういう視点があるんだ!と斬新なことが多々ある。
 
言葉数の少ない人の少ない言葉は、すごく深みや重みがある。

少ない言葉には奥行きがあって、そういうことにはっとさせられることがある。

いつだったか、自分は表現することがうまくないと思っている友達に、私もうまく言葉を繋げず誤解を与えたんじゃないかと思って謝った時、
「自分もそうだからわかるよ。
言葉にうまくできなくて、でも本当は言葉の裏に色んな思いや考えがあるってこと」
と言ってもらってものすごく救われたことがある。

言葉や表現が色々うまくないと思っている自分を救ってくれるのは、そういう体験を持っている人の体験から得た言葉であることが多い。

2015年7月18日土曜日

思い出したこと

昨日5年来の付き合いになる友達というか、年上の尊敬する人に会っていた。

話をすればするほど癒されていくその過程に目を見張りながら、1つ思い出したことがある。

「自分が人生で大切にしているもの」、それを言語レベルで認識することは普段ほとんどない。

いつも薄ぼんやり頭の中にあったり心で感じたりすることはあっても、それをわざわざ言葉にして、

外に出したりすることはない。

一応ブログを書いているけれども、ブログを書くことと「自分が人生で大切にしているもの」を

言葉にすることは別々のような感じだった。

でも、昨日会った友達を見て二人で話していて、「これこそが大切にしたいこと」というのを、すごく

間近に感じた。

わたしも色々やらかすけれども、それでもやっぱり一番大切にしたいことは「人間関係」で、そして

縁あって一緒に過ごせる人たちとの時間だ。

それだけは、どんなにお金を積んでも成り立つものじゃない。

空気や太陽と同じで買えるものじゃない。

ただその2つと違うのは、いつもそこにあるわけじゃない。

人との関係や人との時間は、勝手に生まれるものじゃない。

それを築くのに、そして続けるのに、何かしらの思いや手を付け加えることが必要になってくる。

そしてその人間関係の中でも自分が大切にしていることがある。


いつもブログを書いている時、とりあえず一言で「○○」と表現できないから、だらだらとプロセスを

書くことがわたしの場合は多い。

表現できないもの(○○の部分)が何かは感覚でわかるから、それをひたすら言葉に置き換える

作業をする。

ただ、日々色んなことを書きながら何をわたしは言おうとしているのか、その共通のテーマが何か

いつもわからずにベールに包まれていた。

そのヒントが昨日、友達の口からもたらされた。

「○○」の部分は、やっぱり一言での表現は難しい。

これだけたくさんの言葉が溢れていても、それでもなお一言では言い表せない。

一言では言えないけれども、それを体や心で感じることはできる。

感覚の世界だから、それを言葉にする方が無理がある、と昨日の友達は言っていた。

だらだらとプロセスを書いてはいるけれど、実はそこの根底に「自分が感じていること」を何とか

表そうとしている。

友達は、「全員には厳しくても、わかる人にはわかること」という風に言っていた。


さっき、ある人のブログを読んでいた。

その人は珍しく、自分の過去の経験を言葉で綴っていた。

そこにはその人のストーリーが広がっている。

ストーリーとそこでその人自身が感じたことが、言葉ではわかりにくいけど、多分これだろうなぁ

というものがあった。

実は、そのストーリー全体が、過去にわたしも体験したことのあるものだった。

目で追っているものはその人のストーリーなんだけど、頭の中に広がっているものは自分自身の

過去の体験だ。

それにより思い出したことは、今思い出しても甘美だし、良い体験をしたと思っている。

その人はあくまで自分の体験をシェアしているだけなんだけど、それを読んでいる読み手の

わたしにはまた別のものをもたらしてくれる。

そこから思い出したことは、わたしだけのストーリーで経験だ。

言葉になんかできない、でも心の中で思い描くことのできるある日のある場面のその時の自分が

今いる。


それでいいんだ、と思った。

きれいな言葉で、わかりやすい表現で、綴る必要はない。

わたしが自分自身のストーリーを外に出すことで、そこから感じるものは十人十色だ。

誰が何を感じてもいい。

その感じる引き出しを1つ、また1つとこれからも綴り続けよう、とそっと自分に誓った。

2015年7月2日木曜日

見えない部分の不具合と復活

1ヶ月ほど前から、突然パソコンのインターネットの接続が切れることが続いた。

最初はたまたまと思ってみていたけれど、これが例えば1時間の中で2回3回と起こる。

一度も切れない日が無い位になってきた。

最初、NTT側から付与されている機械とパソコンを繋ぐケーブルの線の不具合かと思い、

この間それを入れ替えた。

ケーブルの線は、機械にはめこむ部分のツメが折れかかっていたから、それが接触不良を

起こしているのでは?と見た目で判断していた。

ケーブルの線の問題は解消したからさぁいいだろう、と思ったら甘かった。

新品のケーブルの線を入れ替えたところで問題は発生する。

またぷつっと突然のように接続が切れる。

パソコン本体は問題なさそうだったけれど、いかんせん現役7年目のパソコンだ。

ネット接続以外は問題なくても、見えないところでダメになっているのかもしれない。

それは困るなぁと思いつつ、多分問題ないと言われて終わるだろうNTTへ電話をかけた。

症状を伝えて、NTT側で回線を調べてからまた連絡しますということで電話を待った。

10分後ぐらいにNTTの担当者から電話がかかってきた。

どうやらアパート側の回線がいつの間にか変更になっていたようで、そのタイプのものと、今手元

にあるNTTから付与されている機械の相性が悪いようで、それで接続が切れがちだったとのこと。

すぐに機械をお持ちします、ということで、電話から2時間後位に担当者の方が持ってきてくれた。

機械自体は、ぱっと見ても何が以前のものと新しいものが違うのかはわからないけれど、

新しいものになってから接続が切れることはとりあえず今のところなくなった。

そして見えないところだけど、見えないところに存在していた不具合が解決できて良かった。

いきなりパソコンを買い替えるなんてことしなくて良かった、とりあえずNTTに電話して良かった、

と胸をなでおろした。


話は変わるけど、以前記事にした『気付かないうちに変化』に登場した観葉植物。

予定通り2枚の黄色くなった葉っぱは今も順調に枯れているけれど、なんとあの後植物は

持ち直して、今はまた元気になっている。

新しい葉も出始めていて、これからもマイペースに成長してくれそうだ。

黄色くなってから本当に気になって、それこそ毎日植物を見続けた。

1日にして1分か2分の事でしかないけれど、植物が人間好きというのは案外本当かもしれない。

さすがに話しかけるまではしなくても、「注意を向けてもらえてる」というのは植物は感じるのか、

少なくとも毎日見たことも何かしら影響があったと思われる。

こういう見えない部分の成長も衰退も故障も、普段はなかなか気付きにくい。

気付きにくいからと言って、無視すると非常に痛い目にあってしまうし、何かを失うこともある。

反対に、気付きにくくても、自分が日々の生活を丁寧にしたり自分を大切に扱ったりすることで、

見えないところでのバランスが取れるようにも思う。

いつか人が言っていた、「小さな変化が結局は大きな変化に繋がる」という言葉、

今回のインターネットの接続と言い、植物の復活と言い、本当にその通りだと思う。

2015年7月1日水曜日

左足の人差し指が教えてくれたこと

普段の生活の中で左足の人差し指を意識したことなんか一度もないと言っても過言ではない。

そもそも足の指は手の指のようにあれこれ使うという部位でもなければ、とりあえず歩く時や

立つ時に足の裏が地面についていたらいい、ぐらいの認識を持つのがせいぜいだ。

それが2日前の昼間。

横に倒していたお気に入りの大きな木のテーブルを起こそうとした時にテーブルに左足の人差し指

が当たり、それで爪を傷めてしまった。

当たった当初よりも後からじわじわと痛みが増すタイプのもので、立つのも歩くのもその左足の

人差し指に細心の注意を払う必要が出てきた。

普段全く主張しない左足の人差し指が、ものすごい主張を開始した。

そんな風になってから初めて知ったことだけど、この左足の人差し指にはけっこうな力がかかる。

なるべく痛くならないように自分で力の入れ方を工夫していたけれど、例えば階段を降りる時に

かかる体重が、この人差し指に集中している。

おそらく他の4本の指も同様なのだと思うけれど、とにかくなんとなく体重をこれまでかけていた

足が、実は末端の足の指の方にあれこれと体重がかかっていたなんて思ってもみなかった。

いつもと同じように動くと激痛が走るため、なるべく負担がかからない足の使い方を心掛けた。

病気やけがをした人が「健康とはありがたい」とよく言うけれど、ほんとその通りだ。

そして普段全く気にも留めない足の指1本1本が実は色んな動きの時の縁の下の力持ち的な

存在であったとはこんにちまで知らずにいた。

小さな負傷(の割に痛みは大きい)が教えてくれたことは大きい。

例えば普段どんな役割をしているかなんてわからない体の部位でも、そして負傷した今も爪の

役割は知らないままでも、1つとして無駄に作られたものはないということがよくわかった。

それが左足の人差し指が教えてくれたことだ。

2015年5月25日月曜日

繕(つくろ)う

久しぶりに繕(つくろ)いものをした。

「繕う」という字、良くできているなぁと思う。

正しい語源は知らないけど、そのまま読めば「糸で善くする」で「繕う」だ。

字のごとく、糸を使ってちょっとガタがきたところを修繕して元通りにする。

わたしはプロでもないし、素人の適当なお直しだけど、それでも繕うとすっきりする。

それこそ、昨日の勉強会(参照:『人生のお手本』)で「思いを込める」という話があった。

日常の、例えば洗濯でも料理でも掃除でも、そこに思いを込めて行うという話。

そんなの当たり前と言えばそうなんだけど、何せ心底生き方かっこいい!という人が言うと、まるで

魔法のごとくその通りにやってみよう!となるのだからすごい。

そして、そうした日常の家事に思いを込めたことで命が助かった実際の話まで聞いたら、ますます

やってみよう!とすぐに感化された。

それで今日早速、洗濯物をたたむのを丁寧にやってみたところ、これまで数ヶ月単位で放置して

いたほころびが気になった。

ホックが取れそうになっていたのを見て見ぬふり。

レギンスの裾から数cmの糸がたらりと出ていたのも見て見ぬふり。

Tシャツの裾部分が元々はぎれっぽくなっているデザインだけど、糸が出過ぎていたのも見て見ぬ

ふり。

糸と針を出してきて、それらを繕った。

時間にして数分でしかない。

その数分を割いただけで、服たちが見事によみがえる。

全然手間ではなかったし、あっという間の作業だった。

これまでそれらを放置していたことは、自分をないがしろにしているみたいで少し反省もしたけど、

とにかく今繕い作業に着手できたことが何より良かった。

「思いを込める」という話の中で、これは何も家族や自分以外の誰かに対して向ける行為だけでは

なく、自分自身に対して向ける行為でもたくさんできること、自分にもたくさんの思いを込めて

下さいというような話もあった。

しばらく自分のことがいい加減だったから、今日の繕いを通してこういう小さな行為の中に思いを

込めてみようとひっそりと誓った。

2015年5月12日火曜日

真実を見る目

今週、久しぶりにセミナーに足を運ぶ。

講演会ではなく、セミナーに行くのは2年3年ぶりになるかと思う。

セミナーの告知自体は1ヶ月程前からあり、すぐに満席。

その頃は、もっと純粋にセミナーで語られるだろう内容に興味を持って申し込んだ。

具体的な手法の名前はわからないけど、最近はセミナーの案内を出す前に何本か無料動画配信

をして、視聴者(=セミナーの参加者候補)にある一定の利益を主催者側が先に渡す、

それを数回繰り返してから最終的に本セミナーの案内を出す方法が取られている。

勿論、本セミナーの参加・不参加は各自の選択に委ねられている。

紛(まが)い物も沢山出回っているから、かなり気をつけて見る必要はあるけれど、

無料動画の部分も通常であれば有料でも構わない内容のものを提示する個人・団体もいて、

開いてみないことにはわからない。

そんな経緯で申し込んだ今回のセミナーだった。

今回はかなりな本数が配信されたけど、途中から違和感満載過ぎて今では申し込まなければ

良かったとすら思っている。

ちなみに、内容はコーチング系統×マーケティング系統を掛け合わせたようなものだ。

今回は2人の人が共同開催という形を取っている。

元々、コーチング系の人の考え方や実践方法が好きで、ずっとメルマガを取っていた。

わたしはその人のしていること、実践の軸になっているものに興味があって申し込んだ。

ところが、マーケティング部門の人というのが、全く真逆の発想で動いている。

この人は、お金を儲けることや自分にお金を払ってくれそうな人脈にしか興味がなさそうだ。

わたしの主観だから実際はわからないけど、でも「お金ください」にしか見えない。

そして、どうしてそんな人と今回組むのか、不思議でならない。

動画では前者が実践的な内容を話す時間が圧倒的に多いから、

申込の時点では気付けなかった。

後半に差し掛かり、後者も前に出てくるようになってから、これは違う風が吹いてると認識した。

セミナーはこれからだけど、良い部分だけをもらってきて、不要なものは受け取らないでいいなぁと

思って、とりあえずお金もったいなさに行ってくる(前払い制)。
(※変な誤解を招くと嫌なので言うと、参加費は飲み会1回分くらいです)

ふと、昔参加したことのあるセミナーの先生のホームページをさっき開いて見た。

一生こんなすごい人にはお目にかかれない、という位の実践者で実力者だった。

ホームページを見て驚いた。

紙の名刺、あれがデジタル版になっただけのものだった。

書いてあるのは、名前や住所、電話番号、職業のみ。

あとは、サービスについては「紹介制」とあった。

それだけがぺろ~んと1枚のページに書かれていて、それ以上メニューも何もなかった。

前はメニューとあと挨拶程度のものはあったけど、それすらもなくなっていた。

この方は言葉なんてなくても、百のものを伝える力のある人だ。

それを見た時に、今回のセミナーで何を見てくるのか楽しみになった。

良いとわたしが思っているものと、別の意図が働いたもの、その2つが融合しているものには

そうそうお目にかかれない。

そこで自分が見て感じることが、もっと明確になるだろう。

どうしてか気になって目にした名刺のような別の方のホームページも、ヒントになっている。

すべてはわたしの主観だし、わたしの価値観が軸になっている。

色々見誤ることはあるけれど、「何か違う」と感じるものに関しては、100%と言ってもいい位に、

はずれがない。

「何か違う」は最初はあまりに小さくて、たいがいわたしは見過ごす。

感じたくせに、一瞬すぎて忘れてしまう。

そして、事が動き始めて「何か違う」がもう少しわかりやすく出ると、百発百中変なものを見る。

それで「あぁ、そういえば最初こんな風に思っていた」という小さなサインを思い出す。

今回は会場で何を見てくるのか、ある程度は想像できるけど、

おそらくそれ以上だろうと思っている。

2015年5月7日木曜日

営業45年一筋の教え

父の主たる仕事は「営業」。

営業と言えども、小さな会社の一社員だから、営業以外の企画やカスタマーサポート、現場管理、

営業事務等々、多岐に渡って仕事をしている。

とりあえず表向きの仕事は「営業」。

たしか3年前、父の勤めている会社は新入社員を20年?ぶり位に採用した。

中途ではなく、本物の新卒新入社員だ。

そのうちの1人O君を父はこと懸命に育てている。

いつまで働くのかわからない父。

働いたとしても、それはもう指で数えられるぐらいの年数だろう。

その45年近く現場一筋でやってきた父が、自分の持ってるすべてをO君にできるだけ伝えたい、

といつか話していた。

O君は父から見て筋が良いとのことで、何が良いかってとにかく言われたことは試す姿勢。

父の職場は、日常茶飯事のレベルで無茶苦茶な仕事が入って、しょっちゅう予定が狂うらしい。

元々抱えていた仕事にプラスアルファがくる。

それらを受けるなり断るなりして、裁き采配し形にする、一朝一夕にはできないことだと思う。

O君は父によく聞くらしいけど、とにかく聞いたことは自分で試して、後日実際の結果を報告し、

改善点が必要であればさらに質問してくるのだと言う。

そんなこんなのバイタリティ溢れる青年に関し、父は嬉しそうにわたしに話をしてくる。


紹介が長くなったけど、その父がO君入社時に伝えたことが3つある。

酒が入ると何回も同じ話をする父なので、わたしは暗誦できる位になってしまった。

O君も営業職での採用だったけど、その3つの教えってどんな仕事にも通じることだと思う。


1:わからないことはすぐに質問する。

2:家庭のことは仕事に持ち込まない。仕事のことは家庭に持ち込まない。

3:何かあったらすぐに報告する。悪いことは絶対に隠すな。


この3つだけを守って仕事していけばいい、とそれだけを言ったらしい。

ちなみに、父は仕事でどんなに大変なことがあっても絶対にそれを家では出さない人だ。

面白おかしい話や、職場の人の幸不幸の話はするけど、それ以外は一切持ち込まない。

職人気質のような父だけど、それらを守ってくれたからこそ家庭内の平和もあったのかなと思う。

わからないことはすぐに質問することも、何かやらかしたり起こったりした時の報告も、

組織で働いている以上は絶対に必要不可欠だ。

必要不可欠だけど、どうしてもそれを積極的に人はやりたがらない。

まして父の働いている会社なんかは昭和と言わず、明治時代のような古い体質の会社で、

余計とそれらを難しくしている風だ。

だからこそ、その質問と報告を絶対にやれ、と言ったらしい。

O君は、その2つをしっかり守ってやっているようで、それがさらに父の教育熱を加速させている。


関係ないけど、普段こんなことをブログに残そうなんて思わない。

ただ、今回は何度も何度も聞くこの話、書き残しておかないといつか忘れると思ったから。

そしてなんとなく残したかったから。

酒が入って饒舌になる父は時に面倒でもあるけれど、自分が年を重ね当然父も年を重ねていく

うちに、この瞬間をあと何回迎えられるんだろうと思う。

わたしの想像や期待以上に回数は多いかもしれないけれど、そのラッキーを期待するのではなく、

今思いついたら今のこの時に残しておこう、そんな風に今回思った。

2015年4月24日金曜日

五感が敏感な日(嗅覚編)

最近外を出歩く時、気付いたらなるべく風景に目を向けたりする。

そうすると思考まみれの頭の中がすっきりする、と教えてもらったから。

これまでにも何度となく言われたことでも、習慣化してないとすぐに忘れる。

今、季節が春で目を楽しませてくれるものがここあそことあって、今回は意識しなくても勝手に

目の方が色んなものを追いかけている。

桜も散って、新緑の季節に入りつつあるけど、今日はどういうわけかやたらと匂いが気になった。

最初は、藤の花だった。

たまたま通ったら今がまさに藤の最盛期で、見る花はもちろん、匂いも真っ盛りだった。

たしか去年、両親と一緒に藤の花が有名な公園へ出掛けた。

藤の花は憶えていても、匂いがそんなにも強かったという記憶はない。

今日見た藤の花はその何百分の一の規模でしかない小さなものだったけど、

匂いがとても強かった。

一度嗅覚が刺激されると、次から次へと匂いが鼻の方に届いた。

外国人とすれ違えば強烈な香水のにおい。

ちょうどエンジンを切ったばかりなのか、ガソリンのにおい。

たばこを吸っていた人が近くを通ったら、なんとニコチン臭より加齢臭が先に鼻をついた。

新緑特有のみどりのにおいもする。

自分でもだんだん楽しくなって、ひとりでクンクンと犬みたいににおいを嗅いでいた。

そんなこんなを楽しんで今家に着いたのだけど、1つわかったことがある。

五感を使うと直観やひらめきを受け取りやすくなる、とよく言われるけど、本当にその通りで、

少し行き詰まり感を感じていたことのヒントも得たし、

本屋さんでも今の自分にぴったりなメッセージが書いてある本を立ち読みしたし、

ふらりと入った輸入雑貨店では、なぜか岩塩がセールになっていて、

そろそろ切れそうなこのタイミングで半額に近い価格で買うことができた。

小さなことばかりのようだけど、たかが1時間くらいの時間の中で次から次へと

必要な情報がやってきたのには感動した。

「五感を鍛えるウォーキング」これ絶対にいい!と確信中。

2015年4月16日木曜日

茶碗と本心

さっきごはんを作っている時に、一気に3つの茶碗を割った。

1枚の小皿を取り出すのに、きちんと正面から引き抜けばいいものの、

面倒くさがって横から引き抜こうとした。

それが運のつきで、丸小皿のふちが4つ重ねてあった茶碗に直撃し、

あっという間に茶碗は床に散らばった。

4つのうち1つは奇跡的に無事で、残りの3つは見るも無残な粉々の姿かたちになってしまった。

3つのうちの1つに関しては、旅先で2日間も買った小さなお店に通い、それでようやく決断して

うちにお持ち帰りしたものだった。

色も形も大きさもとっても気に入っていた。

残りの2つもきちんとストーリーがあった。

1つは、私が茶碗がない(実際に一時期ゼロだった)とぼやいたら、それを聞いていた人が、

うちでは使わないからと言ってわざわざ4つもプレゼントしてくれたものだった。

4つのうちすでに3つは、今日と同じような理由で割り、そして今日最後の1つが割れた。

もう1つは、名古屋から電車で1時間程の瀬戸焼の産地、瀬戸市のカフェで手に入れたもの。

神戸からきた友達の方が内情に詳しくて、あのカフェでパフェとか頼むと茶碗がもらえるよ~、

ということで冬の寒い日に二人で和パフェを食べてもらってきた茶碗だった。

全部ストーリーのある茶碗ばかりだった。

実際に割れて、割れた瞬間呆気にとられたけど、それ以上に私は自分の反応に驚いた。

もっとショックを受けるかと思いきや、ショックをあまり受けていない。

あまり深くも考えずに、とりあえず割れたものたちを片付けようとすぐにほうきとちりとりを手に

掃除を始めたぐらいだ。

片付けて、ごはん作りの続きに戻った。

やっぱり旅先で購入したものは、惜しかったけれど仕方ないとも思った。

しばらくしてから、本当はどれも手放したかったものだということをはっきりと感じた。

人からのいただきものと瀬戸のカフェでのプレゼント茶碗は、使う頻度が低かった。

お気に入りの茶碗たちを乾かしてるとかまだ洗ってないとか、

そういう事態になって初めて活躍する茶碗たちだった。

ということは、そもそもそんなに気に入ってはいなかった。

そして旅先で手にしたお気に入りの茶碗。

割れてはっきりと感じたのは、扱いのストレスから解放されたことだった。

色も形も大きさも申し分ない茶碗ではあった。

ただ1つだけ、たった1つだけどうしても神経を使わずにいられなかったのは、

その茶碗の取り扱いだった。

私が食器を選ぶ基準の中に、「扱いやすい」というのがある。

色んなものを使っていくうちに気付いたことだけど、割れにくい質感のタイプのものがある。

言葉ではうまく説明できないけど、触った感じでわかる。

陶器は陶器でも、明らかに割れにくいものというのがある。

その割れた茶碗は、ほんの些細なミスも許されないぐらい繊細な質感だった。

洗う時、乾かす時、使うために取り出す時、食べ終わってから流しまで運ぶ時、

その1つ1つに神経を使う茶碗だった。

がさつなわたしが少しでも自分のがさつさを矯正するのには良いかもと思ってはいたけど、

やっぱり神経は使う。

かなりな回数を使いこんでも、その神経を使うことには慣れない。

割れてから気付いたのは、もうそんなに神経質にならなくて良いということ。

そして、小さなちいさなストレスでしかなかったし、我慢できないものでもなかったけど、

やっぱりプチストレスであったことには変わりない。

それが嘘偽りない自分の本心だった。

2015年4月5日日曜日

ゴリラのヒント②

昨日の『ゴリラのヒント①』の続き。

昨日書いた、ももちゃん。

1学年200人以上いる学校の中で、塾に入ってきた時は100番台。

それが2年いる間で学年9位まで上がったミラクルな女の子。

ある時、塾に勤めていた時の恩師のゴリラが、こんな風にわたしにアドバイスした。

「その子(=ももちゃん)がこれからおまえの自信になり、おまえのヒントになる。

だからよく見とけ。

その子がどうなっていくか、そしておまえがその子に何をしているのか。」

どうなっていくかはそれが仕事だから見ていたけど、自分が何をしているのかは結局わからず

じまいだったし、そんなことを言われたことすら忘れていた。

すでに退職してから3年以上も経過して、当時の記憶もおぼろげだけど、

もしかして・・・という仮説がおととい昨日でふわっと出てきた。

それについて今日は書こうと思ってる。


最初にももちゃんのことをもう少し詳しく紹介したいと思う。

塾にいた時もそうだし、外部の人でもそういう人にたまに会ったけど、

知的な学力がずば抜けているタイプの人がいる。

そういう人は本当に東大に入ってしまうタイプの天才肌だ。

数百人ぐらい見ると、たま~にそういう子どもに当たったりした。

ももちゃんはそのタイプでは全くない。

何も手を入れてない状態のももちゃんは、やっぱりオール3の能力かなというのは否めない。

ただ、そのももちゃん、1つずば抜けていたことがある。

問題を解くスピードが通常の人の3倍ぐらい速かったこと。

言いかえれば、人が1問解く時に、ももちゃんは3問解く速さがあった。

これは、天才系の子どもたちにも勝るものだったし、あんなに速く取り組めるのは、

数百人見た子どもの中でも、ももちゃんだけだった。

だから、ももちゃんにわたしがしたことと言えば、量を多くこなすように指示を出すだけだった。

元々の学力が高いタイプの子どもではなかったから、当然わからない問題も色々出てくる。

それも実に粘り強く取り組んでいたし、できるようになってからの繰り返す回数は半端なかった。

だから、ももちゃんが学年9位まで上がったのは、その裏では相当な行動量をこなしていたことが

大きな勝因だったと思う。

ここまでは、塾に勤めていた時にも気付いたことだし、やればやった分上がるんだ、

と実に単純に捉えていた。


でも、そうじゃない。

たしかにももちゃんは行動したけど、その前にもっと大切なことをしている。

それに気付いたのがおととい昨日だった。

ももちゃんは、「勉強で成果を上げることを自分に許可している」

これを無意識に行っていたと思う。

ももちゃんは、どちらかと言うと、独特の価値観の中で生きている風で、

「ふしぎちゃん」と呼ばれてもおかしくないと言うか、発想がとにかく面白い子どもで、

がつがつ上を目指したいなんていうのは全くなく、非常にマイペースな子どもだった。

入試前に面接の練習もしたけど、例えば最近気になるニュースはなんですか?なんていう質問に

対し、他の子たちは当たり障りのないことを言っている中で、ももちゃんは一人だけ奇想天外な

意見を言っていた(たしか、ドラえもんが何だかんだというニュースを言ったと思う)。

面接官に絶賛されるか、反対に批判されるか、もうどちらかでしかないなぁという答えだった。

ある意味自分の個性をそのまますっと出せる強さもある子だった。

話は戻して、「成果を上げることを自分に許可している」の部分。

ももちゃんは、がつがつ上を目指すこともなかったけど、

反対に「どうせ私なんて・・・」とか「私できない」ということを一切言わない子だった。

自分を卑下したり、自分を過小評価するようなことはなかった。

多分早い段階で、私自身がももちゃんのスピード力には気付いたんだと思うけど、

わたしがももちゃんにひたすら伝えていたのは、そのスピード力が人よりもあることと、

だからそれをうまく使えば必ず結果がついてくる、やればできるということ位だったと思う。

子どもによって違うけど、ももちゃんの場合は本人の可能性の部分だけを伝えるだけで

良かったと思う。

あぐらかくような子にはそういうことを言うと危ないけど、ももちゃんはそのタイプではなかったし、

成績が上がった時も何よりも本人と保護者が一番びっくりする位だったから、自分の能力に対して

かいかぶることは最後までなかった。

だから、ももちゃんの中で、どの程度の結果が出てくるのかは未知数だったにしても、

「自分が良い成績を取ってもいいんだ」という思考はものすごく強く入っていたかと思う。

反対になかなか上がらなかった子どもは、

「どうせ自分にはできない」という思いが強かったような気がする。

当時もう少しわかっていたら、多分もっと色々違っていただろうなぁと思う。

ももちゃん以外にもそういう成功事例的な子どもが何人かいて、

やっぱり共通するのは、「自分はもっと成績を上げてもいいんだ!」とどこかの時点で

自分に許可を出していること。

これは「成績を上げたい」という考えとは大きく異なる。

「成績を上げたい」の出発点は、「今の成績の自分は駄目」というところだ。

「もっと成績を上げてもいいんだ」の出発点は、今の自分がどうであるとかは関係なく、

「別の道を自分が進むのもOK」という自分への許可だ。

だから自分を否定しているわけではなく、自分に選択肢を持たせる、そんな感じだ。

あとは、「上がっても上がらなくても、自分の価値は変わらない」という強い信念めいたものを

持ってる子どもたちは、別に上がらなくても良かったと思ってる。

むしろそういう子たちは、下がっても自分の人間性を否定するようなところはなくて、

「あぁ下がっちゃった!」の程度で、あとはいつも通りに元気だったりするから、

こういう子はこういう子でまた1つの強さの持ち主だと思う。


書いていてわからなくなってきたけれど、この「自分は○○してもいい」という思考回路、

これってすごく大事だと思う。

反対に、「自分は●●になっても自分の価値は変わらない」と思える思考回路も、すごく大事。

両方あれば一番いいけれど、どちらか片方でも身に付けていると、生きていく上でとても

強いツールになってくれると思う。

そして、どちらかがあるだけで生きやすいとも思う。

ゴリラがわたしに言った「自分が何をしているのかをよく見とけ」は、今もうまく言葉に繋げられない

けど、おそらく個人の感情を癒していく作業をしていたのではないかなと思っている。

2015年4月4日土曜日

ゴリラのヒント①

学習塾に勤務していた時、とてもお世話になった恩師のゴリラ。

(ゴリラのことは、『ゴリラのぶりしゃぶ』にも書いた)

なぜゴリラなのかはわからなかったけど、とにかくゴリラの教室では、

幼児から高校生まで、男女問わず、なんだったら保護者まで「ゴリラ(先生)」と呼んでいた。

ゴリラは、普通の会社で言うならかなり上の役職に就いてもおかしくない立場だったけど、

本人の希望なのか、ずっと現場の人だった。

現場何十年という経歴だけあって、その洞察力や包容力、人間力が半端なかった。

会社は大嫌いだったけど、ゴリラとの縁は本当にありがたかったし、

あの会社に入らなければ出会えなかった人だと思うと、それだけでも入って良かったと思う。

入社して数ヶ月後、新入社員の人たちが4月に入ってきたのに合わせて、

ゴリラは毎週水曜日の朝1時間だけ「勉強会」なるものを自主的に開いた。

ゴリラいわく、毎年恒例の学習会らしく、誰でも参加自由、

学習面でわからないところを質問してもいいし、自分が担当している教室で困った事例があれば、

それを相談してもいい時間という会だった。

最初こそ数人いたけど、1ヶ月もしないうちに、わたししかいなくなった。

毎週毎週ゴリラとマンツーマンで学習会だった。

当時月に1日休みがあるかないか、朝も早く7時過ぎに家を出てその日のうちに帰れたら良い、

そんな生活の中で、ゴリラの勉強会だけは何が何でも体調整えて行っていた。

ゴリラみたいな大人に出会えたのは本当に奇跡的で、

毎週のごとく退職願を当時出していたわたしに(ゴリラは直接の上司じゃないから、別の人に。

でもツーカーで、ゴリラにはそのことがすべてばれていた)、

「おまえみたいな鈍臭いやつの方がこの仕事は本当に合ってる」

とある日ぽろっと言ってくれたことがあった。

わたしの鈍臭さやうまく立ち回れないことも一瞬で見抜いて、

他の研修教室ではことごとくそこを叩かれ、毎回駄目出しされ、「スピードあげて!」

「遅い!もっとまんべんなく色んなことに目を配って!」と、もう何人の担当者に言われたか

わからない。

なのに、ゴリラだけは、そんな仕事する上で欠点みたいなところを長所とし、

さらにそれがいいんだ、それがこの仕事する上で大事なんだ、と説いてくれた。

まじめに、ゴリラがそう言ってくれなかったら、わたしは多分もっと早く辞めてただろうなぁと思う。

そして、実際にゴリラの教室に2週間近く研修で行かせてもらったのだけど、

教室内で野球をしているところは初めて見た。

行く前に上司から、すごいぶっ飛んだ教室だからとは言われていたけど、本当にその通りだった。

たしかにぶっ飛んだ教室ではあったけど、

そこでどの子どももものすごく伸び伸びとしていたのが最初の印象だった。

うるさい子も静かな子も、みんなありのままだった。

そんなゴリラだったから、ゴリラの教えだけは何が何でも行きたかった。

ゴリラが何を思って何を考えて何をしているのか、もっともっと聞きたかった。

本当にそれだけでゴリラの元に足繁く毎週通った。

そのゴリラから色々アドバイスをもらったし、当時の学習会のノートは今も手元にあるけど、

教えてもらったことの1つで、今頃になってやっと気付いたことがある。


何でわたしはその女の子の話をゴリラにしたのかは忘れた。

その女の子は、2年くらい見た子で、名前をももちゃんとしよう。

1学年200人以上いる学校で、入ってきた時のももちゃんは100番台だった。

そのももちゃん、なんと驚異の快進撃で、学年9位まで順位が上がった。

テストの点数も平均点取れるかな~位だったから、5教科合計が300点届いたり届かなかったり。

最後は450点オーバーを何回も叩きだしていた。

きわめつけは、入学した高校で入試1位を取ったことだった。

この辺りでは、入試1位の子はそのまま入学式の新入生代表挨拶をすることになってる。

それに抜擢されて、入試1位だったことが判明した。


そのももちゃんについて、何をゴリラに相談したのか、それともぼやいたのか、

その辺りはすっぱりと忘れてしまったのだけど、ゴリラにその時言われたのが、

「その子がこれからおまえの自信になり、おまえのヒントになる。

だからよく見とけ。

その子がどうなっていくか、そしておまえがその子に何をしているのか。」

ゴリラはたしかにあの時、ももちゃんだけではなく、わたしが何をしているのかをよく見ろ、

とアドバイスしていた。

でも、当時のわたしには、そのアドバイスの意味はさっぱりわからなかった。

ももちゃんを見るのはわかる。

だけど、なぜ「わたしが何をももちゃんにしているのかを見ろ」と言うのかはわからなかった。

そして、色んなタイプの子が来る塾だったから、ももちゃんの例が他の子に当てはまることもなく、

ゴリラのアドバイスなんかすっかり抜け落ちていた。

退職して3年、ももちゃんを最後に見てからも3年以上経ってる。

今過去の栄光ではないけど、過去に爆発的に人生が好転した人たちをひとりひとり思い浮かべて

何がどういうからくりで好転したのかを一生懸命探ってる。

その渦中に、ゴリラの「おまえがその子に何をしているのか見とけ」というアドバイスを思い出した。

たしかに結果を出したのはももちゃんだし、わたしなんかもうお粗末なぐらいの対応だったけど、

でもたしかに何かをしたわけで、その「何」の部分をずっとずっと考えていた。

それがようやく「何」だったのか自分なりの答えが出て、それもここで書く予定でいたけど、

あまりに長くなったから、また次回書こうと思う。

2015年3月31日火曜日

小さな違和感のものがたり

数日前、ある人に贈り物をした。

この贈り物を買ったお店の人というのが、実に丁寧に包装をしてくれた。

これまで数々のものを色んな店で包装してもらったけど、

プレゼント用としてはこれまでの中で過去最高の包装だった。

華美な包装という意味ではなく、店にあるもので最大限の工夫を凝らしたもの、

そしてその工夫がこれまでに見たことなかったから、わたしはとても感動した。

しかも、わたしが買ったものは数百円のもので、その丁寧な包装が申し訳ない位だった。

それでもお店の人は、もっと値の張るものもその数百円のものも、

同じように包装してるんだろうなと思わせる仕事ぶりだった。

最後に心からのお礼を伝えた時も、お店の人は「そんな大層なことはしていない」と

さらりと笑顔で言っていた姿も印象的だった。


プレゼントを渡した当日。

プレゼントにもらい慣れてる方なんだと思う。

渡した時に小さな違和感があった。

当然その細かいプロセスなんか知らないのは承知の上だし、

いっぱいいっぱい感謝してくれ!なんて言うつもりはもちろんない。

だけど、渡された後のプレゼントの置かれ方がとても適当で、

わたしは何だか引っ掛かってしまった。

過去にもう1人だけそういう置き方をした人を見たことがあったけど、

やっぱりその時もすごく気になってしまった。

はっきり言ってしまえば、見ていて不快になる置き方だった。


その違和感については、忘れてしまおうと思った。

気にしていても仕方ないし、気にしたところでどうにもならないと思ったから。

ところが、今の便利な時代、寝た子を起こすように、

今度はネット上でプレゼントの行方を知ることとなってしまった。

小さな違和感は、すでに大きな違和感になった。

プレゼントを用意したことをひどく後悔すらした。


今日会った友達に、事の顛末を伝えずに、とりあえずネットで見たものを見せた。

何も言っていないのに、

「何なのこの人!」

と友達がわたしが思っていたことを代弁してくれた。

さらに、わたしは実際のプレゼントの写真も見せた。

何せ感動的な包装だったから、家に帰って写真撮影を決行したのだった。

それを見た友達も

「この包装、これすごいね~。

でも、多分この人には伝わらないと思うよ、こういう良さ」

と捨て台詞のように言っていた。


自分の小さな違和感は、自分独りだけで抱えている時は、自分の中で悶々と押し問答が続く。

意地悪な姑みたいだな・・・、自分の感覚って・・・、とも思った。

でも、その小さな違和感を1人でもわかってくれる人がいると心強い。

そして、多分わたしの違和感は、もしかしたらわたしや友達だけではなく、

実は多くの人にとっても不愉快なことなのかもしれない。


「人を裏切るのも人間であれば、人を救うのもこれまた人間だよね~」

と別の友達が教えてくれたことがあった。

別にプレゼントのことは裏切られたわけじゃないけれど、

このプレゼントによって、最初に覚えた感動は違和感や痛みに取って替わり、

そして最後またそれらは昇華されて最初の感動に戻った。

今回の一連の流れを通して、やっぱり自分はこういう小さな違和感を大切にしたいと思った。

2015年3月8日日曜日

そっとしておくこと

コーチングの個人セッションを受けていた時のコーチに数ヶ月ぶりに会った。

内容が盛り沢山ですごく楽しかったのはもちろんのこと、

コーチの当時の気遣いに改めて感謝した。

本当の本当に感謝した。

2010年~2012年にかけて2年弱個人セッションを毎月受けていた。

自分の気持ちを整えたり、吐きだしたり、または全然関係ない話をしていたのに、

いつも気付くと目の前にあった問題がいつの間にか解決していた。

どんなマジックかと毎回不思議でならなかった。

コーチのことは当時からものすごく信頼していた。

それでも、2年弱受けた中で、わたしが唯一避けて取り扱わないテーマがあった。

ものすごく意図的に避けてはいたけれど、とにかく一言も触れられなかった。

今だからわかるけど、強烈過ぎて触れられなかった。

過去の痛みをもう一度えぐり返すなんてできなかった。

それがその当時の色んな問題とも繋がっているとは薄々勘付いてはいたけれど、

もうそれでもいいから触れたくないぐらいのものだった。

それをほじくり返して話そうとは一度も思わなかったし、結局最後まで触れずに終わった。

今日会った時に、コーチから当時「あ、ぶっしーの中の大切な軸はこの中にある」

とわかった瞬間の話を聞かせてくれた。

それはわたしが一度も触れなかったテーマ、ずばりそのものだった。

あぁ気付いていたんだとわかったのと同時に、そこに一度も土足で踏み込むことなく、

いつもそっとしておいてくれたことに心から感謝した。

あれから2年3年と経過して、わたしの中で触れてこなかったものが少しずつ出せるようになった。

今は個人セッションは受けてないけれど、自分の中でそれを出してそこに自分で寄り添えるように

なってきた。

なんだろう、何でも話して何でも解決すればいいというものじゃない。

心の準備がある。

その心の準備期間を黙って見守る、それも気付いていても黙り通す、

そんな風にしてくれてたとは、今日の今日まで知らずにいた。

このコーチからは本当に色んなことを学んだ。

個人の人が抱えているものは、本人が口にしない限りわかり得ない。

仮に口にしたとしても、それがどの程度のものなのか、それは計り知れない。

その線引きのラインをコーチの方から超えてくることは一度もなかった。

そっとしておく、というのは存外難しい。

特に、気付いていてそれでも相手をそっとしておくというのは、ついつい余計なお節介を焼きたく

なる間柄であればあるほど、難しい。

そっとしておく、というのはある意味最大の心配りかもしれないと思う。