2020年3月29日日曜日

The very special day





すべてはきちんと順番通りに起こっている。

そもそも自分でもすごく突然の思いつきだったなぁと思う。

「メッセージを贈ろう」

時々自分でも冷静になると、相変わらず突拍子もないことを思いつくなぁと感心というか呆れるというかの時がある。

今回もそうで、「ブログ」と突然出てきてこのブログを再開した時と同じくらい、これまた「メッセージ」と出てきた。

毎回不可思議すぎる流れだなぁと思う。

で、肝心のメッセージだけど、思いついてかれこれ2週間ないし3週間ほどになった気がするけれど、なんだかんだと延び延びになっている。

先週は春分の日と米の仕事で知り合ったヨシダさんの飲みと様々なことが重なって、とりあえずお布団と友達だった。

今日は今日でやろうとしたら、なんだかやたらと眠くなって頭もなんとなく重くなって、とりあえず休んだ。

ムクリと起き上がった午後の遅い時間から、実際にメッセージ用に調べ物を始めたけれど、とにかく全く何か「降りてくる」感じがしないし(今回やってみてわかった大きな収穫の1つは、「降りてくる」感覚っていうのは多分こういうことを指すんだなということ)、挙げ句の果てどんどん迷走してきて、最後の方はオラウータンについて調べて、「何か違う気がする」と思った。

オラウータンもふざけて調べてるのとは違って、今回の調べ物には必要なプロセスだった。

だけど、オラウータンの生態系を知っても、いまいちピンとこなくて、「これ何か違うものがもっとある気がする」という感覚をどんどん強めていった。

今じゃない、そう思って一旦切り上げた。




ごはんを食べたすぐ後に、吉本ばななさんの本を持って風呂の中で読んだ。

ある言葉に辿り着いた時、頭の中で全体の流れが見え始めた。

最初と最後の言葉が決まった。

オラウータンも新しい島も水晶も水圧計も、てんでバラバラのメッセージで、それらの繋がりが見えなかった。

ちなみに友達の時はたった1つのキーワードで全て拾うことができた。

今回もそうできると思っていたのに、今回は初めてそうではなかった。

1つではピンとくるメッセージがなくて、じゃあ次は…と始めたらまたピンと来ず、じゃあ今度は…と追加したらますます迷走して、その迷走の途中でオラウータンが出てきて、オラウータンが決定的に「何かが全て違う」と感じる最終打となった。

ばななさんの本の中にあった数文字の言葉がヒントとなって、それがメッセージの最初と最後を決定付けるものとなってくれた。

ばななさんの本さえもきちんと定められた流れに乗っかっていた。

ものすごく沢山ある本の中で、しかもばななさんの本もたくさん出版されている中で、今手元にあるのはその本で、そして今のタイミングでちょうど読んだのがその部分だった。

もし違うページだったり、違う本だったらこうはならなかったと思う。

最初と最後の言葉が決まったあたりで、ふわっと小さく出てきた。

当初1年分のメッセージを書く予定でいた。(友達のは誕生日から次の誕生日前日までの1年のメッセージを書いた。)

多分違う。

1年じゃない。

多分、その人が本当に欲しいもの、残りの人生で必要なもののメッセージなんだと思う。

最初のメッセージは英語の文章から引っ張ってきたものだけど、そこにすべてのことが集約されている。

今年だけ取り組むテーマじゃなくて、生きている限りのテーマとなってくれるもの。

そんな気がした。





それを書かせてもらえるんだと思った。

本を置いてしばらくボーッとした。

もし…、と仮説を立ててみた。

その人が欲しいのは、どこかに書いてある言葉とかメッセージとかではなくて、私が全身全霊で向き合って紡いだ言葉なんじゃないかと思った。

オラウータンが先でその後水圧計が出てきたけれど、どちらもピンと来なかった。

正直に言えば、ピンと来なくても私は相手の人生を知らないわけだから、そのピンと来ないものを採用するのが筋だと思う。

だけど、頭の中に浮かぶのは、それらから来るメッセージとは違うものが来る。

「それ違うよ」と言わんばかりに来る。

ピンと来ないのが多分正解なんだと思う。

ピンと来るのならそれを採用して、そこから話を広げたらいい。

ピンと来てないものは、どんな風にしても話を広げることができない。

だから私を次に向かわせる。

ピンと来るまで模索する他ない。





少しずつキーワードが集まった時、私は自分が過去に集めたノートを1冊出してきた。

ヒントがそこにありそうって思って、少なくとも20冊近くは今すぐに手に取れるノートが部屋の片隅に出ているけれど、手に取ったのはその中の1冊だった。

これを書きながら、今さっきその中の1つの情報源のサイトに向かおうとした。

嘘みたいな本当の話で、1年前くらいに手にしたそのネットの情報に私は行き着けなかった。

どういうわけか当時は行き着いて、それは男性が男性心理を分析した言葉だったけれども、今回はどうやってもそこに行けない。

そして、その言葉を見た時にハッとなった。

その男性心理にその人もまんまと当てはまるはず。

それなら、オラウータンも水圧計も、それらから出てきた内容にピンと来ないのも無理はない。

多分その真逆を行けということだと思う。





自分の言葉で、私の感覚で、言葉を紡ぐという案が浮上した後、ノムと電話した。

電話ではもっぱら私側は仕事の話とそこから派生する話、そしてノムの近況とそこから出てきた色んな話とが渾然一体となって色んなトークを繰り広げた。

今回の電話はノムにあらかじめお願いをした。

仕事のことで作戦会議をして欲しいこと。

ノムはそのために『光の書』と呼ばれる本を用意しておいてくれた。

私に「神々の審議会」なる言葉を教えてくれた本で、その中にはメッセージがふんだんに含まれている。

神々の審議会の名に相応しく、ノムと私とはその本に宿るメッセージの話に夢中になった。

ノムがいくつかのメッセージを音読して聞かせてくれた。

音読しながら時々ノムのオリジナルの言葉を挟んであれこれとおしゃべりをした。

メモしながらはっきりとわかった。

その中にその人に向けたメッセージも入っていることを。

さらに繋がった。

やっぱりその人へのメッセージは、太陽から割り出したものではなく、そこから派生する色んなものと掛け合わせて、またはピンと来ないものをピンと来るものに行き着くまでひたすら追いかけて、その先に私が感じたものをそのまま出せばいいこと。

多分許されてる。

それをしてもいいよ、ということだと思う。





私は一休さんでも金田一でもコナンでもないから、トンチをしてるのでも推理をしてるのでもない。

だから真相は知らないし、ましてや相手の心の中なんかさらに知らない。

なんだけど、1つだけわかることがある。

この1週間、ある1つの記事がほぼ毎日読まれた。

来る日も来る日もその記事が読まれたと私のブログ管理画面には出た。

自分の都合の良いように解釈すると、その人は私にきちんとわかるようにサインを出してくれたんだと思う。

1週間ほど前に、私はいつかこのブログが読まれなくなるんじゃないかと書いた。

その時はもう仕方ないとして、せめて今月中はチェックしてもらえるといいなと自分の希望を正直に口にしてみた。

メッセージを書く気満々でいた私にとって、書いたものが届かないことだけは避けたかった。

だから、ブログを見ているサインが来るといいなぁとは思っていた。

とかいうことを書いたり思ったりしたくせに、日常の仕事の強烈な洗礼を受けているうちにそんなことも忘れ始めて、どうしてその記事を今チェックするんだろう?と月曜から木曜あたりまで思っていた。

あれ?物が欲しくなった?とか、都合の良い解釈をそこでもした。

だけど、仕事の強烈な毒から離れた週末に突入してから、多分それはその人が見てるよと伝えるための精一杯のサインなんじゃないかと思うようになった。

見てくれてると知れば、私も書きやすい。

メッセージを遠慮なく書くことができる。

自由自在に、自分の感覚だけを頼りに、その人に向けたメッセージを書ける。

理由はなんでもいいから、届くならそれで私は十分だと思った。

まだ朝の7時時点で書いてないから、書くのは午後からの予定(午前は用事を足してくる)。

少なくとも夜までにはアップする予定。





4時台後半に目が覚めてこれ書いてるから、今猛烈に眠くて仕方ない。

私は気にかけていること、お祝いの気持ちがあることが伝わってくれるのならいい。

そして、今日中に大切なメッセージを紡ぐ。

紡いで届ける。

お誕生日おめでとう。




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