2020年3月22日日曜日

目に映る風景

書きたいことが色々とある。

頭の中で優先順位を決める。

これにしよう。





優先順位は簡単に決まった。

いつか目にも触れてもらえなくなる前に、伝えたいことは先に伝えよう。

そう思った。

伝えたい。

なんてシンプルなんだろうと思う。

難しいことは何もない。

伝えたい。

自分の気持ちに沿ってしまえば難しいことなんか何もない。

頭でああでもない、こうでもないって考え出すから、難しくないことも難しくなってしまう。





仕事で頭が発狂しそうになっている日々の合間も、心で強く思ったこと、感じたことは忘れない。

心で感じるものには強さがある。

目に見えないものなのに、絶対に忘れることがない。

むしろ見えないのに主張が強いから、より一層存在感が増してくる。





聞いてみたい。

その人の目にはどんな風に私が映っているのか、それを知りたい。

これも朝の出勤途中の車の中で思ったことだった。

最初に会った日、私が「武士俣」というだけでどれだけその人にとってはそれがツボだったんだろう。

武士俣の名前に負けじと可憐さのカケラもない私はその人の目には何て映ったんだろう。

途中途中はあまり思い出さなかったけれど、どういうわけか最後辺りのことを思い出した。

茶封筒を持ってきた私のことを「うわぁ……、ゲッ( ̄ཀ ̄;;)」って思ったのか、「何こいつ持ってきてんだよ?」と思ったのか、「まだ何かする気なの?本気でやめてくれ」と思ったのか、何でも良かった。

どんなに辛辣な反応でもいいから、その反応の中身を知りたかった。

あの時咄嗟に出てきた心の声を私は聞きたい。

嫌われまくりでも嫌がられまくりでも、その生の声を聞きたい。

最後の日は、ようやく解放されると思ったんだろうか。

本当に私とは1つとしてやりとりしたくなかったんじゃないかな…、とそれは今でも覚えている。

偶然にしてはできすぎだったけれど、私が帰る時間はいつも同じだったから、それに合わせるかのようにその人はいなかった。

しばらく待ってもこないから、それならその人がいそうなところに行って挨拶して帰ろうと思った。

逆に周りに誰かいる方が私も挨拶しやすいと思った。

周りの目があれば、その人だってあからさまに私を邪険にするなんてできないだろうから、せめて誰かいるのならそちらの方が私も救われるかもしれないと考えた。

まさか階段を上りきったところで鉢合わせするとは思ってもいなかった。

その時の冷たい空気も不穏な感覚も本当に嫌そうにしていた感じも全部覚えている。

「本当にうざかった」でもいい。

「真面目に嫌だった」でもいい。

「消えてくれ」はキツいけれど、それだって本当にそうなら私は全力で受け入れようと思う。

何でもいいから、その人の心にあったものをそっくりそのまま知りたい。

今の私なら、いくらでも「ごめんね」と謝れるし、なんなら笑い飛ばせる気さえしている。

「災難だったね」と自虐的に言うことだってできるし、あんな重たい空気ではなく軽い感じで扱える気がする。

ただただ知りたい。

いつか死ぬその時までに、そういうことを本人の口から直接聞くことはないだろうか…と思う。

重たいことを言う方がもっともっと勇気や覚悟もいるだろうけれど、それを聞けたらどんなに良いかと想像する。

その人の人生の中にちょこっとだけ邪魔しに来た私が、どんな風に入り込んでいて、どんな風に目に映って、どんな印象を持たれていたんだろう。

うざくて上等。

本気の困ったさん上等。

何もないより、何でもいいから心に映るものがあれば、それだけで十分だなぁと最近はよく思う。

そして、ただただ知りたい。

自分がその人の目にどんな風に映っていたかを知りたい。





「くだらないけんかやハチを見飽きて、いなくなればいい、とか思ってみたかった。」

引用:『ハチ公の最後の恋人』吉本ばなな

この状態に私はめちゃくちゃ憧れた。

その人のことを「いなくなればいい」って、思ってみたかった。

それくらい嫌気が差すくらいに、とことんやり合ってみたかった。

もう顔も見たくない、話もしたくない、一緒の空間にもいたくない、って思うほどにぶつかってみたかった。

この後にはこんな風に書かれている。

「どっちが新聞を先に読むかでけんかしたり、いろいろなヒット曲が過去になっていくのを一緒に感じたかった。
あらゆる雑多なことを、いい悪いなんて言ってられない、起こったことをなにもかもごちゃごちゃ含んだ、ひとつの宇宙を創って、いつの間にか大きく大きく流されて、気づいたら世にもすてきなところにいること。
そう、つまりね、そんな責任をひとつにすること。」
(文庫本ー135〜136ページ)

この文章の中に私のしたいことが全部詰まっていた。

特別なことをしたいのではなかった。

昨日と今日とで何が違うのかわからないような、そんな日常をその人と共に生きてみたい、それだけのことだった。





忙しいのか、もう飽きたのか、いつかブログを開かない日が来そうだな…なんて最近は思う。

そうなったのなら、もう何を書いても届くことがなくなる。

そうなってしまう前に、書きたいこと伝えたいことを書いてしまいたい。

せめて今月中はもってくれるといいなと思っている。

この間友達にしたことが大変喜ばれたから、同じことをその人にもしてみたい。

この激動の2020年のその人だけのテーマ、メッセージを書いてアップしたいと思っている。

本来公共の電波を使って公開するようなものとは違うけれど、方法が他にないからもうそれでもいいかと思っている。

本人からお願いされたのとは全く違うけれども、友達の時も友達からお願いされたわけじゃないのに勝手にやって、でもそれが本当の本当に喜ばれたから、その流れを信じてやってみようと思っている。

どうか今月いっぱいはなんだかんだとブログに目を通してもらえますように…。

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