2020年3月25日水曜日

⒀【おいせさん手帳】色んなI(私)を愛おしむ

↑最近、なぜか写真が横になる




おいせさん手帳第13回目
担当:私


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3月25日

自分の内に宿る色んな「I 」を愛おしむ。
牡羊座の新月から一夜明けて

「I am(私は…)」に続くものにどんな自分を思い浮かべますか?
評価の高い自分だけではなく、隠したい自分に目を向けてみて下さい。
その自分も大切なあなた自身を形作る重要な1パーツです。
否定したくなる自分自身もこれまでずっとあなたと二人三脚してきました。
これからの時代の開運の鍵は、そうした自分にも光を当ててあげることです。


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自分が書いた文章の中でも、これはかなり好きな方に入る。

トップ3に入りそうなくらい。

文章そのものも「上手く書けたな(o´艸`)」なんて思っているけれども(笑)、それ以上に内容がとても好き。

そして、みんなに言い回ってこの考え方を広めたいくらいに良いものだと思っている。





自分の内面を見続けてる中で、自分の中でブレークスルーと呼ばれるようなタイミングは、ここに書いたメッセージのように、自分の嫌だと思うところを受け入れられるようになったあたりだった。

コーチングの個人セッション、人生はワクワクすることにあると提唱した本の勉強会、コーチングスクール、NLP(神経言語プログラミング)受講と大きくその流れを3年くらいかけて経た後、ある程度人生は上向いたけれど、その後も私の人生は色々と崩れた。

ちなみに上向いたのを、言葉にあえてするなら
・内臓疾患の服薬治療終了
(服薬で効果が出なくて悪化したら手術と言われていたものが、どういうわけか数値も大きさも標準値となって寛解した)
・仕事の売上と契約率大幅アップ
・働き方改革成功
・契約社員になった後、過去最高のボーナス支給(正社員の頃よりアップした)
・コーチングスクール受講に際して、某奨学金制度が通って、半分は返済不要の奨学金でスクール代金賄う
とかいう感じで、なかなかなミラクルをいくつも体験した。

自分で書いてて思ったけれども、そういうことがあっても尚生きづらさを感じていた私は、生粋のひねくれ者か社会不適合者なんだと思う( ̄∀ ̄;)。

奇跡の体験も色々させてもらえたけれど(本当に悲喜こもごも、実体験による話のネタはいくらでもある)、それでもまだ心の芯の部分にはいつも生きづらさがあって、何かに追われるようにいつも落ち着かないものが鎮座していた。

今ならその正体がわかるけれども、当時はどうしていつまで経っても生きやすくもならなければ、心の奥底から安心できないのか、さっぱりわからなかった。

ちなみにその正体は、
・ダメだと思う自分を何とかしなきゃいけないと思っていること
・「良い」とされる基準に自分を合わせることが大事だと信じていること
・生きているからには、好きなことや興味のあることを仕事にするのが良き生き方だと信じて疑わないこと
・人生が良くなれば、パートナーもお金も自然とやってくると信じていること
・よろしくないと思う自分の側面は、何とかして「よろしい」自分に変えていかなきゃいけないこと
なんかが含まれていて。

そして、それらを一言でまとめるなら、「それらが出来てない自分はダメだと、自分にいつもダメ出ししまくっていること」。

これは落ち着くわけがない。

自分に「それってダメだよね」と言い続けている限り、自分といる時がめちゃくちゃ居心地が悪い。

そりゃ自分といるのもしんどければ、自分といるだけで具合も悪くなれば、そんな自分と24時間365日なわけで、心が安らぐわけがない。

だから、いきなり「自分を受け入れよう!」となったのとは違ったけれども、極力自分にキツく当たらないように、ダメだと思っている自分もそれが自分だからと思うように、とにかく自分を丁寧に扱うことを始めた。

当たり前だけど、そんなのいきなりできるわけもなく、初期の頃は「自分を受け入れられない自分は、さらにダメすぎる」と二重三重にダメ出しをしていた。

「自分を受け入れるってなんだろう?」っていうのもよく思っていたことだった。

こういう時どうしたらいいか?ともし聞かれたのなら、「あ、また否定してるな」とただ思うだけ、気付くだけにすることって今なら答える。

自分を否定している自分自身に気付いてあげるみたいな感じ。

そんなこんなを繰り返すうちに、そしてさらに個人の人生として色んなことが厳しさを増してもうどうにもならないとなったのを何百回と繰り返したのち、色々ある中で「自分だけは絶対に自分の味方でいよう」と思うようになった。

冗談抜きで四面楚歌状態で、誰も彼もが私のニート状態に否定的で、受け入れてくれてた風の人も、言葉のはしばしで私ではない別の誰かを否定して、それと同じ状況の私もひそかに傷ついていた。

外に何かを求めてもダメだと深く悟った私は、それを自分に求めることに切り替えた。

人は変えられないけれど自分は変えられる、の典型的なものだった。

そういうことを本当にするようになってから、私の生きづらさはずいぶんと軽減された。

いきなりは軽減しなくても、時間や手間をかけた分、じわじわとその効果を感じられるようになった。

これまでダメだと思っていた自分についても、ダメとは思わず「そういう側面のある私」と思うようになった。

それが良い悪いで判断していたから苦しくなっていたけれども「そういう自分」とだけしておけば、可も不可もない。

他人に迷惑となるならば考えものだけど、そうでは無さそうなら、まぁ仕方ないかと年々流せるようになってきた。

あと、私のためと言ってあれこれ言ってくれる人たちの言葉をシャットアウトしたのもある。

これは気をつけて聞かないといけない。

「私のため」と言いつつ、相手は相手の価値観を押しつけていたり、今の私を否定していたりする。

自分が傷つく時は、「それは私の考えには合わない」とすることにした。

反論するのは面倒だし骨も折れるからしないけれども、心ではなるべく相手の考えと自分の考えに線引きするようにしている。

色んな流れの中で気付いたけれども、本気で私を受け入れようとしてくれる人たちの言葉は本当にやさしい。

相手の懐の深さや人間としての心の奥行きみたいなのがものすごくある。

そしてそういう人たちの言葉や態度には否定がない。

私がニートだろうが、社会から離脱してようが、ほぼほぼ引きこもっていようが、そんなことで私を判断しない。

私という人間をまるっと見て、それがぶっしーだねと、まるで私の苗字が武士俣だとか、今の住まいが新潟だとかいうのをそのまま受け入れるのと同じノリで、「だから何?」と言わんばかりにサラリと受け止めている。

そういう奇跡的な人種に出会えたこともとても大きかった。

そういう仙人みたいな、マザーアースみたいな、そんな人たちがこの世に存在していることにとっても感動した。

話がいつものごとく飛躍しまくりだけど、とにかく自分を受け入れること、否定している自分に気付いたらそれさえも自分だということを、とにかく腫れ物に触るかのように自分をそっと包んでいくことが一番の生きづらさを少なくするためのヒントかなと思っている。

時間はかかるものの、効果は抜群だから、私も堂々と薦められる。

最初に書いたような、健康や仕事、お金に関してのプラスの変化を手にした時よりも、こうしてダメな自分との付き合い方を会得した今の方がうんと生きやすくなった。

自分といて居心地が悪くなくなってきたし、変な強迫概念も薄れたし、これが自分だから仕方ないかと良い意味であきらめられるようになったし、自分に対してキツさが薄らいだ分楽になれた気がする。

社会からはみ出しがちな自分は今も変わらずあるけれど、それさえも仕方ないかと思っている。

だってそれこそが自分だから。

一説には、今後は私みたいな人がとっても生きやすくなるらしい。

☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆←期待でギラギラ
キラキラじゃない、「ギラギラ」(笑)

自分の中の不一致感を減らした先の自分が、社会と調和してくれるとこの上なくありがたい。

でも間違いなく、このコロナ騒ぎをはじめとして、世の中の価値観は大きく変わっていくのは間違いない。

これまで通りとはならない。

そしてもっと見えない部分にフォーカスが置かれることになると思う。

そうした時に、色んな自分、色んな「I」私を受け入れられると、かなり生きやすさが増すのではないかなと思う。

外の価値観に振り回されない自分が自分の中にあったのなら、いつどんな時も自分だけは自分の絶対的な味方になれる。

そして外が周りの環境がどうであろうと、自分の内側は平和を保てる。

そうした諸々の実体験と想いとを込めて書いたのが今回の【自分の内に宿る色んな「I 」を愛おしむ。】になる。

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