2019年11月4日月曜日

体のあるうちに

また勝手な話を始めたいと思う。

このブログはまるで私の「王さまはロバの耳」の話の主人公状態だと思う。

王さまの耳がロバの耳と知った床屋さんがそれを誰にも言えなくて、言えないことが苦しくなって、地面に穴を掘って、そこに「王さまの耳はロバの耳」と気が済むまで吐き出す。

その行為と私のこの書く行為は何ら変わらない気がする。




さてこの2時間ほどで長い付き合いになる友達2人と話した。

最初に話した人が佐藤さん、次に話したのが鈴木さんとしよう。

私が佐藤さんと話をして、佐藤さんの話の件が、たしかに私も過去に関与したけれど、それはあくまでも個人の関わりで、私は部外者すぎて内情を何も知らなかった。

佐藤さんが本当に連絡したいのはAさんで、でもAさんとはバチバチしていて連絡を取れないようだった。

そのAさんから話を聞き最後は解決する事柄もそこにあるけれど、何せ話ができない。

それで2人共を知っていて当時のことにも関わった私に佐藤さんから連絡がきた。

たださっきも言った通り、私は表の部分しか知らないから、裏側は全く知らない。

内情であれば、鈴木さんが詳しいと思うよと佐藤さんには言って、鈴木さんに連絡してみたら、と振った。

電話切った後、鈴木さんにLINEを入れた。

かくかくしかじかでAさんの件で佐藤さんから電話がいくと思う、電話を振ったのは私だからとそれだけ言っておいた。

何かあれば文句言ってくるだろうと踏んで、それで鈴木さんに連絡をあらかじめ入れておいた。

それから5分もすると、鈴木さんから電話が来た。

やっぱりその件だった。

と思いきや、鈴木さんの話の矛先は全然違った。

佐藤さんと鈴木さんの話の中で、鈴木さんからAさんに電話をすることになったのだそう。

そこまではいいとして、実はAさんとは最後ぶっしーとも会った2年以上前から丸っと連絡してないと告白を受けた。

私は全く記憶にないのだけど、私も確実にその場に超至近距離でいたところに、鈴木さんはAさんに暴言を吐いたとのこと。

わかりやすく「暴言」と書いたけれど、実際にAさんがそれをどう思ったかはわからないし、それを今もどう思っているのか、それが原因となって連絡しないとかももちろんわからない。

私はてっきり鈴木さんとAさんは今も仲良く会っているのかと思っていたから、今日この話を聞くまでそのやりとりも会ってないことも知らなかった。

そして、その暴言の瞬間、私もたしかに確実にいたけれど、そのことは何にも覚えていなかった。

だから鈴木さんの懸念事項は、そのAさんへの暴言を今さらのように話を出して謝った方がいいかどうかを聞くために、それで私に電話してきた。

Aさんは間違いなく大人な対応をするだろうし、それについて何か言うとかもないと思うけれども、本人も意外と気にしいだから言ってもいいかもね、ごめんねって謝られたら逆にこれまでずっと気にしていたことの方に驚くだろうし、そこに誠実さを感じる話でもあるから、反応は読めないにしても悪い感じにはならないと思うとは言った。

鈴木さんはその一言を本当に後悔していたことと、それをずっと2年以上抱えてここまで来たことがわかった。

ちなみにその後鈴木さんからもう一度電話がきて、Aさんは全く気にもしていなければ、何の話だった?とまで言ってきたらしい。

そして大元の佐藤さんとAさんの間のこともすんなりと話がついて、早速Aさんが佐藤さんの希望に対して対応することがわかった。





前置きが長くなったけれど、鈴木さんの話を聞いた時に思い浮かんだこと。

鈴木さんはちなみに男友達で私より何歳か年上。

Aさんは女性。

鈴木さんは、自分の一言をずっとずっと気にしていた。

そこが鈴木さんらしいなぁなんて思ったけれど、私も確実にその場にいたのに(意識がどこか遠くに飛んでいたとしか思えない( ̄∀ ̄;))、同じ瞬間を私は何も感じず、鈴木さんはそれをずっと気にし続けた。

Aさんとも私はたくさん話すし深い話もするけれど、そのことはAさんも何も言わず、私は今日のこの瞬間までそんなことは知らずにいた。

でも多分気にしているだろうなぁと思った。

それはそうと、今回鈴木さんが何せベラベラと当時の状況を教えてくれたから、私はそれを今度は自分に置き換えて途中からは聞いた。

ちなみに鈴木さんは、言った瞬間「超ヤベェ」と思ったらしい。

やらかした感満載で、怒らせたかもだし、でもそれよりも傷付けたかもしれないと、そっちの方が気になったと言っていた。

鈴木さんの話を聞けば聞くほど、私は自分の場合は相手の目にどんな風に映っていたんだろう…と思った。

状況は全く違うし、関係性も違うし、やりとりの内容も違う。

でもそういうことじゃなくて、鈴木さんが当時の心情を言葉にしたものと、それを聞いて知るその人その人にしか見えない景色のことを思った。

鈴木さんは、「やばい」と思った時、とっさにフォローができなかった。

すごいやばい気がする!となっても言葉を口から出せず、その時はそのままになったと言う。

そして、それが2年前の春、今からすると2年半前ぐらいの話になる。

その日を最後に鈴木さんとAさんは全く連絡を取ることもなく、そのまま取りにくくなってしまったようだった。

しかも鈴木さんは、大元の佐藤さんの厄介な頼み事よりもAさんと2年半ぶりに、しかも最後はひどい感じの終わり方をした時以来の連絡で、そちらばかりをひたすら気にしていた。

当たり前だけど、何かが2人の人間の間に起こった時、自分が何を感じて何を思っているかはわかるけれど、相手が何を感じて何を思っているかはわからない。

ましてや無言とかになると、もっとわからない。

鈴木さんもAさんと連絡が途絶えた間、Aさんのことは何も知らなくて、だからこそ今回佐藤さんからの頼みと言えども連絡を取ることになって、Aさんはどう思っているのかをひたすら気にしていた。

無言というのはそれだけの脅かす力がある。

ただただわからない。

だけど、鈴木さんの話を聞くと、Aさんからしてみても鈴木さんは無言に見えただろうから、気まずさを感じたのかもしれない。

もしくは鈴木さんが本当に怒った、自分が怒らせてしまったと思ったかもしれない。

いずれにしても相手の思っていることや感じていることはわからない。

今書いてて思ったけれど、鈴木さんはまず電話などしてこない。

普段ならLINEして、しかも今回は単なる報告だけだったから、せいぜい既読スルーだろうと思った。

それかいいとこ、了解の一言で終わりか。

なのに、送って数分もしないうちに電話がかかってきた。

鈴木さんが電話してくるぐらいに超超超気になっていて、そして吐き出さずにはいられなかったぐらいの重大さを物語っている。

時間の重さと想いの大きさを感じた。

そして、自分が言ってしまって取り返しがつかないぐらいの気持ちになったことも、それはAさんを深く傷つけただろうこともとても気にしていた。

鈴木さんの話を聞けば聞くほど、私の場合、正しくは私が対峙した相手の場合はどうだったのかと何度も何度も頭の中を駆け巡った。

何を感じて何を思ったのかは知らない。

今も何にも知らない。

それは知らないけれど、どうしても自分の中で解せないことがある。

絶対にその人の中で消化しきれない何かはある。

鈴木さんが「超ヤベェ!やらかした!」と思ったように、その人も何かしら感じたのは間違いない。




この間から書こうかどうしようかとずっと迷っていたから、ちょうどいいタイミングだから書こうと思う。



鈴木さんの話に私が食いついたのは、男性目線での何かやらかした時の話だったから。

「言葉にもしていないしぐさやエネルギーみたいなもの」

占星術講座クラスメイトのノムがいつか私に伝えてくれた言葉のひとつだった。

鈴木さんが感じていたことは、そういうことだったと思う。

最初に暴言があったにしても、その後鈴木さんが感じたものは、言葉ではない仕草やエネルギー、空気だったと思うし、そこに異変を感じたからこそ私にどうしようと連絡してきたかと思う。

そこが2年半近くも無言の状態が保たれるなんてことがなければ、鈴木さんは私に連絡なんかしなかったと思うし、普通にAさんに電話したかと思う。

相手の目には私の姿や私のブログ、沈黙が続いていることはどんな風に映っているんだろう…。

理由なんて知らないけれど、とにかく超がつくぐらい消化不良を相手の人は起こしているように私には見える。

鈴木さんの悶々とした2年半の話は、まるでその人の悶々とした話なのかと思った。

ずっと声にならない、表立って表現されないその人の姿を私はひたすら見続けている。

私のブログファンだと思えばいいのか、それも絶対に違うと思う。

とにかく何かを気にしている。

正直な気持ち、こんなわけのわからない状況をずっと続けるのはしんどいなぁと感じている。




ネットサーフィンをしていたら、ふと気になる記事を見つけて読んだ。

この話に登場している人物が当時乗っていた車に関しての記事だった。

私は基本的に車に全く興味がないから、自ら探して読むなんてことはしない。

私は最初、人工授精で生まれてきた人の葛藤や50代を迎えた時のやる気度だとか、そんな記事をパラパラと読んでいた(ドキュメンタリー的な記事やインタビュー記事を読むのはけっこう好き)。

車の記事はたまたまその広告欄的なところに出てきて、それで気になって見てみた。

欲しい情報が出てきた。

前々から、一体世の中にどれくらいその車が出荷されたのか、それを知りたかった。

それのヒントとなる数字が出ていて、その後私はなんとメーカーホームページと思われるページに検索してたどり着いた。←相変わらず、気になることの調べ物は速い( ̄∀ ̄;)

当時の時点で約8万台越え。
(ちなみに同じ頃、トヨタのプリウスは日本国内の累計販売台数が約180万台。私の調べ方が間違っていなければ)

世の中にその程度しか出回っていない車。

だからそもそもレア車種で、そのレア車種の車に出くわす確率は低く、その低い確率の中で私は大事なタイミングの時にはものすごい高確率でその車を目にする。

大事なタイミングの時に出くわすのは、台数の母数からして結構な確率の低さなわけで、そんな中出会えていたかと思うと、私は私できちんと当たりというか、「これで大丈夫だよ」サインをもらえていたんだなぁと思った。




こんなことを書きたいのじゃなかった。

言葉にしなくても、ずっと気になることがあればそれは現在進行形で続いてしまうことがある。

鈴木さんが2年半近く音信不通になっていた間も、Aさんとの最後のやりとりは忘れられなかったように。

私が体験した現場も、私には修羅場のようだった。

嫌いなのか、近寄るなオーラというのか、とにかく歓迎なんか全くされていなかった。

自分が想像していた以上に私は嫌われているようだった。

あれで私が好きなら、私はもう一度、人間について1から勉強し直した方がいい、それくらいの威力に満ち溢れていた。
(2019/11/03  22:21)




2019/11/04 夜中の3時過ぎ

目が覚めてしまって、続きを書こうとしている。

こんな書き方は好きじゃないし、こんなことを書きたいのかも定かではないけれど、こういう気持ちで書けるかどうかはわからないから、そしてわざわざ上のものとこことで時間が空いていることを強調しているのも理由がある。

夜のことだった。

本当にいつもの食卓のはずだった。

食卓はいつもと同じではあったけれど、ふと父を見て、本当に想像していた以上に痩せたことに気付いた。

本人も痩せたと言っているし、食が細くなったことはこの1年くらいずっと知ってはいた。

そしてこの1ヶ月か2週間くらいなのか、その辺りは定かではないけれど、さらに食が細くなった。

普段から見ているはずなのに、冬が近づいて衣替えして父がトレーナーを着たことで、その痩せ方が普通ではないことに気付いた。

人生で初めて父の死、近親者の死を間近に感じた。

ちょっとした病気ぐらいで済むかもしれない。

でもそれはわからない。

自分のことはさておき、自分以外の誰かの死は怖い。

病気とかそういうことの心配ではなく、今ある体がいつか消えて無くなって、もう体と体を持って互いに会えなくなるのが怖い。

私はこの年になるまで、本当に近しい人の死というものを体験したことがなく、なんならすごい恵まれているぐらいに周りも元気でいる。

葬式自体も3回のみで、すべて母方で、そちらの曽祖母(小学校2年生)、祖母(28歳)、伯父(38歳)と、そんな風にしか体験がない。

半分まどろんでいるし、いつも以上におかしいことを書くけれど、でも率直な気持ちだからそのまま書きたい。

体と体を持ってお互いにコミュニケーションが取れる、それは会うことも電話することもメールや手紙をやりとりすることも、その形はどれであっても、永遠にできることではないんだと初めて思った。

上の3日に書いた時やそれ以前だってそのことは頭の片隅にあったけれど、どこか絵空事みたいで、全然それに対して本当にいつかは不可能な日がやってくるなんて感覚を伴って思ってはいなかった。

多分これを書いている私の感じ方と、これを読む側の人の感じ方とは、全然温度差があるだろうし、どんな風に感じるかはわからない。

私は「死」という言葉が頭をかすめてしまって、それはもうどうしようもなく自分の中に今後覚悟みたいなものが生まれてくるのではないかと思うけれども、それと同じ感覚で物事を見て欲しいなんて思ってはいない。

ただ、いつかは必ず来てしまう終わりを前に言いたいことがある。




私の読みが間違えていなければ、多分後悔とか後悔に似た気持ち、又はここに出てくる鈴木さんみたいに2年半も前のある瞬間のことが頭から離れずにどうしたものかと思う気持ち、それらのどれかに近い気持ちがあるのだろうと思っている。

私は自分の数々の至らなさや社会不適応具合やその他にも言い出したらキリがないものを前に、とてもじゃないけれど、どうか私をパートナーとして選んでくださいなんて言えない。

これだけは本当に冗談抜きで、この世で人類がその人と私しかいなくなるという究極の状況にでもならなければ、私が選ばれることはないと本気で思っている。

そうなっても選びたくないかもしれない。

それはずっと2年前も今も変わらずに、ブレずに思っている。

私が言うことではないけれど、その人には本当にもっともっと相応しい人がこの世のどこかにいるだろうと思う。

何もこんな不具合だらけの人を選ぶことをしなくても、私といることの最大のメリットは人間としての器を広げなければ私をそもそも受け入れるなんてのは難しいだろうから、人間的な修行ができること、それだけだと思う。

自虐みたいだけど、本当のことだから、人間的な修行にはもってこいの対象だと思う。

っていうか、そういうことではないんだと思う。

最近思うのは、その人と私とが出会ったのは間違いなく何か意味があったと思うし、魂レベルで見た時には相当強固な繋がりだろうことは感じている。

だけど、それはイコール男女のパートナーシップや結婚とかいうことではなく、もっと別の理由で出会ったのかもしれない。

性差があるからややこしいし、私が当時ごはんに誘ってみたり手紙を渡したりということをしたから身構えて当然かもしれないけれど、実はそういうことの仲ではないのかもしれないと思うようになった。

そのことはともかく、その人にはその人にしかわからない何かがあるのだろうし、本当は伝えたい何かがあったのかもしれない。

話を聞くことは私の得意分野で、そういう理由から私が現れているのかもしれない。

性愛ではなく、友愛、魂愛みたいな、そういう関係で、私は話を聞いて終わり、そしてその後その人は本当に縁ある人と出会っていくのかもしれないし、はたまたもっと自分の本当の生き方に向かっていくのかもしれない。

今が違う生き方をしていると言っているのではなく、どうも私は人の人生の分岐点に居合わせる率が高いから、そういう意味で登場しているのかもしれないなぁと思う。

私がこんなことをブログに書くたびに具合が悪くなってんじゃないかと毎度思うけれど、私は本当に必要な何かがあるのなら、それは喜んでやりたいと思っている。

星読みして欲しいと言われたら星読みをするし、自分の強みをもっと教えて欲しいと言われたらそれを伝えるし、とにもかくにも何かしら私にできることがあるのなら私はやる。

ただただ「あの時は無視してごめんなさい」の一言を言いたいだけだとなれば、そもそも私は怒ってもなければ私の方に非があると思っているから、それを黙って聞くとかね。

何にしても、連絡をもらわないことには何もできない。

それは体があるうちにだけ与えられた機会だから、それだけは体があるうちに…ね?と思っている。

おまえ何様だよ?という発言だけど、今回だけは死を間近に感じて、本当の本当に私はビビってしまった。

いつか必ず来る終わりが、せめて終わりが来る前に、本当に望んでいることがあるなら、それをして欲しい。

それをして欲しいなんて言うことさえもスーパーおこがましいと思っているけれど、突然のこんなことで、私も頭殴られたぐらいの衝撃で、そうした今だからこそまどろっこしいことを言わずに、ストレートに「後悔してるかそれに似た何かあるよね?」と問いかけている。

今はメールというこの世には素晴らしい文明システムが存在しているから、私に直接会ったり電話しなくても、メールで一言何か伝えるとかもできる。

この場ではベラベラと書いているけれど、守秘義務は超徹底しているから、何かあってもそんなことは絶対に書かない。

墓場まで私の中にだけとどめるつもりでいる。

2年以上、もう十分苦しんだでしょ!?と思っている。

吐き出しちゃいなよ!みたいなことまで思っている。

個人的にはすごい変な感覚だったかどうかを聞きたいところだけど(←魂の関係の研究)、そんなこと突っ込まないから、どうか生きているうちに、互いにきちんと肉体を持って生きているうちに、何かしらのアクションが為されるといいなと思っている。

取り返しのつかないことになって欲しくないから。

私にとって大事な人には変わりないから、傷付けたり不快な何かを与えたりするつもりはない。

こんなこと書いても何もないならないで、それは仕方ないと思っている。

ブログはこの通りオープンにしてあるから、また好きなように見てもらえたらいい。

ただ、もし、何か言いたいとか聞きたいとかがあれば、超勇気を振り絞って連絡してきて欲しいと思う。

このままアップしよう。

読み返さずにアップしよう。
(後から恥ずかしくなったらこれは引っ込めるかもしれない…)

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