2019年11月11日月曜日

オンタイム徒然(11/9〜11/10)

11/9〜11/10にかけての徒然。

先週から続いている友達とのやりとりがこの週末にかけてあった。

姪っ子や妹がいる中で、限られた時間での話だった。

このまま事が丸く収まるのなら、私は何も言わない気でいた。

今、形そのものは丸く収まりそうな感じになってきて、事の次第も友達が当初望んだようなものになりつつある。

それで良いわけだし、そこに首をつっこむのもどうかと思ったけれど、やっぱり釈然としない。

自分でも何にそんなにこだわり出してるのかわからなかったし、でも確実にそれを友達に言えるのは私だけだと思った。

友達の周りには専門家たちがたくさんいる。

今回のことも専門家たちの何人かが手を差し伸べていて、または友達が頼って、専門的な解決法や対策を具体的に伝えられている。

そしてその準備は整って、あとはもう実行するだけ、という超ギリギリの段階で友達は私に連絡してきた。

私は当初から、具体的手法に対して異論を唱えて、それ以外の方策を探そうと提案した。

それは最終手段で、それ以外の方法で本当に解決できないのかを問いて、それでようやく同じゴールを目指すものの、別の方に舵が切られることとなった。

話を聞けば聞くほど、何か大事なところが置き去りにされている感じがした。

私がどうしても気になったところはそこで、そして解決の見通しが立ったことでそこがさらに際立ってきた。

だから私は限られた電話の時間の中で、その気になったことを正直に話した。

批判とかではないことも伝えた上で、私は自分が一番初めに連絡をもらった時に思ったことを正直に率直に話した。

そして、今回のことというのは、表面の対外的にきっちりとしたことをやるのももちろん大切だけど、それ以上に心を伝えること、たとえ相手に伝わらなくても相手が受け入れなくても、どうであったとしてもとにかく誠心誠意を尽くして心を伝えることがテーマじゃないかと言った。

友達の周りにいる人たちは専門分野の知識を持って対処法を伝えてくれるかもしれないけれど、その中の誰一人も心を伝えることを教えていないことが気になったことも言った。

そして、友達の立場では、今後ますます役職だの肩書だのが増えて、それを友達に指摘してくる人などまずはいないだろうことも私は感じてることを言った。

友達1人の働きかけや発信が、何百人、何千人、何十万人という人たちを助けることになる。

友達がしていることというのは、それくらいすごい影響力があって、それをするには専門知識や技術ももちろんだけど、信念なくしては絶対にやり遂げられない。

そして、友達に協力を買って出る周りの人たちというのは、最後はその友達の人間性や信念に対して色んな形での支援を申し出ているわけで、その立場が強まれば強まるほど、そしてその友達のプロジェクトが価値を提供すればするほど、「成功事案」となり、ますます周りは友達に何も言わなくなるというか言えなくなるのは明白だった。

だからこんなことを「心を伝える」みたいな、専門家の人たちからしたらちゃんちゃらおかしいみたいなことを、友達にズバッと言うのは私だけだろうし、そして、論点が超ずれたことをいつまでも言い続けるのも私だけだと思った。

そうではあるけれど、私の中で「言わなきゃいけないこと」っていう感じがした。

伝わる伝わらないはさておいても、大切なことだと感じてる限り、黙るのは違うように思った。

私は仲を修復するとか、誤解を解くとか、そういうことを目的にもしてなくて、だけど今ここでこのことを形だけ解決して本当の人と人との部分を大事にできなかったら、そういう事がいつか足元をすくうようなことに発展しかねない、それを懸念していると言った。

友達のしていることがどれだけ素晴らしくて、それは日本中探してもそう何人もやれるわけではなくて、本当に友達にとってはそのことが生きる道だと思う。

道の方から友達が選ばれていると言っても過言ではないくらい。

だからこそ、対外的なことも大切なんだけど、それ以上に目には見えないけれどもおろそかにしては絶対にまずいことをとにかく誠心誠意尽くしてやるのが大事だと感じた。

友達は最後ようやくわかってくれて、こんな風に言った。

「利益のある人たちにばかりきちんとするんじゃなくて、そうではない人たちにもきちんと礼を尽くすこと、そうだね、そこだね、そこが抜けていたんだね」

その話まで終わって少しすると、姪っ子が寝るために部屋に来てそこで電話は終わった。

友達にかけ直すと言ったら「大丈夫!もう大事なところがわかったから大丈夫!」と言って、それで終わりになった。




今日(11/10)の昼間、米の仕事の時にお世話になったヨシダさんから電話がきた。

ヨシダさんが自分の人生をかけて見つけた、米でも野菜でも農作物がよく育つ方法について今資料をまとめ始めたから、それを本当にワープロで打ってくれるか?という電話だった。

打ったものは、コピーしてヨシダさんが関わり続けている全ての農家、何百軒とあるだろう人たちに配り歩く予定でいる。

私は二つ返事でやると言って、準備が整ったらまたいつでも連絡をちょうだいねと言って電話は終わった。




私は自分の今後の働き方がどうなるのかはわからない。

何かしら派遣をしつつ…というのがしばらくのスタイルになるとは思う。

だけど、こうして昨日今日と2人の人とのやりとりを経て、やっぱりそうだと確信した。

とにかく人の人生において、その人にとっては一生に一度みたいな何か大事なことに私はなぜか立ち会う。

それはもう自分から何1つ宣伝などしなくてもそのように人生は勝手に運ばれていて、そうしたものは自動的にもたらされる。

私の生き方は本当に不器用極まりないし、上手く立ち回れないことも多いし、はたから見て「あの人は何してるんだろう?」ということになっていると思う。

今回妹の友達が結婚式で妹は帰ってきたわけだけど、妹の話を聞いていて、私は妹の話に出てくる少し年下の同世代女性たちとはおおよそ違う人生に自分がいることを今回ももれなく目の当たりにした。

でも、私はそういう人生にならないことへの嘆き(苦笑)とは別に、自分の今ある地点が自分の今の人生なんだと少しずつ思うようになった。

私も子育てや夫のサポートなどに精を出したいと相変わらず思うけれども、そして友達の一件なんかは積極的に首を突っ込みたいことではないけれど、もうそういうことではないんだと思った。

そして、よくよく考えてみて、こんな状況下にあって、私はそれが人生で何度もあることじゃないことに気付いた。

友達からしても、今回のことは人生で最初で最後のことだと思う。

友達とは10年以上の付き合いになるから、そういう意味で新鮮さがないから、今回も数ある電話の1本くらいに思ったけれど、冷静になってみると数ある1本ではなく生涯で一度きりの相談だろうと思った。

少しずつそういう自分の人生の流れを受け入れ始めてる。

それをどう仕事にしていいのかは全く私はわからないけれど、そもそもそれを仕事としてやるのが妥当なのかどうかも私なんかはそこからつまずいてたりするけれど、そんな形云々はさておいても、私は「こうしてきたものに関してはそこに向き合う」、それだけは自分の中で決めていることに気付いた。

友達のこともヨシダさんのこともお金を取ることは絶対にないけれども、例えばこうしたことにお金を絡ませて考えようとすることに私はそもそも抵抗を覚えていて、その辺りを普通にやってる人たちというのはすごいなと思っている。

そこは今すぐ結論を急いで出さなくてもいい気がしていて、そこだけは本当に私が一番抵抗ない方法でやれる案やヒントが来るといいなぁと思う。

なぜなら、そこを難しくしたり抵抗したりするやり方で進めた場合、私は多分逃げるから、「やらない」という選択側に逃げると思うから。

だからもう少しグルグルしても彷徨ってもお金稼がなきゃいけないなぁの強迫観念に迫られても、自分の中で曲げたくないものはやっぱり貫き通そうと思う。




とそんなことを考えて風呂から上がったら、友達が今回色々ドンパチしているもう1人の相手から連絡が来ていた。

私はあえてそちら側は触れないようにしていた。

なぜなら2人の板挟みなど面倒くさいから( ̄∀ ̄;)。

2人とも私並みにもしくは私以上に頑固なのも知っているから、そんなところの板挟みなど絶対に嫌だと思った←自分ファースト。

とりあえず危機的状況は脱して、表面上の解決は図れそうというところのタイミングでもう1人から連絡がきた。

それを読んで、私は私の見ている風景をメッセンジャーのように伝えようと思った。

もう1人の方に確認してからにはするけれど、頑固2人組(←私に言われたくないだろう…)は、お互いの主張が相手には全く違うように伝わっている模様で、そのそれぞれの主張や実際にあったことはきちんと純度100%の素晴らしいことをそれぞれがしているにも関わらず、誤解だらけの曲げられた事実が伝わっているみたいなことになっている。

だからその事実が歪むことほど悲しいものはなく、そして歪みはそれぞれの心に深い傷を残している。

だから私は自分の知っている事実(=解釈が歪む前のもの)を伝えようと思った。

それが伝わることで、多分今日連絡してきたもう1人が自分の人生に悩まずに済む。

悩みは継続しても、悩みを1ミリ軽減するぐらいの情報を私は持っているし、さらにそこに個人的感情抜きで説明ができる。

だから、そのまま真っ直ぐに伝えたい、そう思った。

その友達もその友達にしかできない凄いことをしている。

その凄いことに対して、そしてそれをお役目のようにやっている友達に対して、誤解から始まったもので自分を変な風に思って欲しくないと思った。

友達のしていることも、その電話で相談してきた子同様、本当に凄いことで、そちらも信念なくしてはやれない。

だから、私の知っていることを伝書鳩のように伝えるのは何てことないわけで、それで変な誤解が解けてくれるのであれば、私は喋ろうと思った。




そして私事だけど、明日ないし明後日の最大ミッションは、妹たちに父の様子を伝えること。

どのタイミングで話すがいいのかよくわからない…( ̄∀ ̄;)。

今日の日中、私は原因不明のすごく痛い頭痛に見舞われて、数時間横になったけれど、夜になって父から「頭痛いの大丈夫か?」と聞かれた時に、大丈夫と答えながらも変な気分だった。

本来大丈夫かを聞かなきゃいけないのは私の方なのに、私はその質問をとにかく避けている。

避けている代わりに、父の様子や食べる量なんかを注意深く見るようになった。

関係ないけれど、薬を飲んだ程の頭痛はやっぱり異常で、その頭痛の元になっている原因の分析も同時進行でやっている。

これまでの経験から言うと、間違いなく何か大事なことに気付いたか、そうでなければ何か変化を迎えての頭痛だと思うから、それが何なのかを突き止めようと思う。
(気付けばきれいに痛みが消えるから)

この文章自体変な終わり方だけど、本当は終わりなんてなくて、すべては流れているだけのこと…、そう思えたらどんなに楽だろうと思う。

仏壇を見て、おこしやヤマザキのスイーツが置かれていて、今日(11/10)がばばちゃん(母方祖母)の命日であることを思い出した。

そんなことすっかり忘れていた。

ばばちゃんがこの一家の行く先を見守ってくれないかと、また調子の良いお願い事を思い浮かべた。

ばばちゃんが見守ってくれるといい。

ばばちゃんの命日にまさか家族全員が揃うなんて初めてのことだった。

ばばちゃん守ってね、と仏壇のお菓子を見て祈った。

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