2018年5月31日木曜日

仕合わせ

いきなり変なことを思い出した。

去年の夏のある日、私はどうやってお礼を言うか、そもそもお礼を言うか言わないかを数日、多分1週間近く悩んだ時がある。

普段の私なら「早く言えよ」と思うし、基本的にお礼を言うのを後回しにするのが気持ち悪くて嫌だから、さっさと言ってしまう。

だけどその時は違ってた。

不意打ちの優しさというか気遣いをいきなり受けて、私はものすごく舞い上がった。

舞い上がったのはいいけれど、そもそもそれに対して後からまたお礼を言うのは普通なのかどうか?やり過ぎ?と考えては打ち消すみたいなことをしてた。

そうしてるうちにあれよあれよと日が過ぎた。

そもそもはこうだった。

超絶参加したくない行事というか仕事が突如降って湧いた。

当時予定表の見方さえ知らなかった私は、その行事の存在も前の日に知らされた。

炎天下=日焼けの図もものすごく嫌だったけれど、それ以上に誰が誰かもわかっていない時にその人たちと一緒に作業をすることが何よりも嫌だった。

気まずいと言ったらないし、うっかり話さなきゃいけない状況とか生まれても名前も知らないから、そんなことは極力起きませんように…とアホみたいな、だけど私にとっては最高に重要な願い事までしてた。

当時知ってた人の名前は、トップ2人とあとは1番のトップの人と同じ会社の人2人。

あとは全員知らなくて、もう私は一刻も早くその作業が終わって欲しいと思った。

しかも動き方がわからないから、その指示を仰ぐとかも、まずは聞くにしても名前を呼ばなきゃで、でも名前を知らないからそんな事態には陥りたくないと思ってた。

反対に名前を知ってると言っても、本当に文字通り「名前を知ってる」にしか過ぎず、何の絡みもない私にしたらその人たちに万が一話しかけなければいけないなんていう状況にだけはなって欲しくなかった。

だから私は一緒に作業に当たった女性1人を頼るようにして、あとは逃げるように輪から外れてひたすら目の前の作業をすることに徹した。

時間よ、早く過ぎ去ってくれー‼︎みたいな。

だから私はそんなことに全神経を注いでいたから、「誰かに気使いをしてもらう」なんていう予定は私の中で皆無だった。

本当にその瞬間が訪れた時、最初はあまりにも驚いて呆然とした。

でも相手も目の前からいなくなり、自分の世界に戻ってきた時、それがいかにすごいことなのかがじわじわと体に伝わってきた。

それをしてくれた人物もまさかの人であれば、そのワンシーンはまるで恋愛ドラマの一部のような仕立てになってた。

思いもよらぬ場面で優しくされたものだから、それはそれは舞い上がった。

胸はどこまでも高鳴った。

最後いつそんな身体中で反応するぐらいにキュンキュンしたのか思い出せないぐらいだった。

もちろんその場ですぐにお礼を言った(はず)。

だけど、終わってから改めてお礼を言いたいと思った。

本当に助かったのと、それをきっかけにその人に興味を持って何でもいいから話しかけるきっかけが欲しかった。

だけど私は知ってた。

気安く話しかけられる相手ではなかったのと、そしてそもそも話しかけてその後話がポンポンと弾むなんていうタイプの人ではなさそうというのは薄々気付いてた。

誰に対してもそんなにたくさん話すタイプではないのはわかってたし、気を許してたかどうかは別にしても、その人がある程度心開いて話せるのは2人だけというのも見ていてわかったから、そんな人に話しかけるなんていうのはメチャクチャハードルが高かった。

しかもそもそも言うタイミングも普通に考えて、ない。

じゃあタイミングとやらがあったらさりげなく言えるかと言えばそういう相手でもない。

何かしら言いたいけれど言えない…みたいな1人綱引きを心の中で延々としてた。

そんなタイミングでお世話になりっぱなしのSさんから電話が来た。

電話越しでSさんはとても崇高なお話をされてた。

その崇高なお話は丸っと忘れたけれど、唯一Sさんが言った「お礼とかそういう類いの大切なことはすぐに言うようにしてるの」というようなことを言っていたのが耳に入って、それ聞いて私もお礼を言おうと心が決まった。

その人に向かってお礼を言えるのは、その時が人生で最初で最後かもしれない、もしそうなら悔やまなくていいように言おうと思った。

崇高な話は忘れたけれど、Sさんも「その時しかないから、どんな時も言える時は後悔のないようにタイミングを逃さないように気をつけてる」みたいな話の流れだったと思う。

今振り返ると、Sさんは絶妙なタイミングで私に大切なことを伝えてくれてた。

なぜなら本当にお礼を言える機会はその時が最初で最後になったから。

次は言う内容だった。

そもそも何て出だしで始めようか…に始まり、その後感動ポイントも伝えるか伝えないか、伝えるなら何て言うか、伝えないならどんな感じで言葉を紡ぐか…。

私はどこかの脚本家か?と言わんばかりにセリフをいくつも考えた。

考えただけじゃない。

行き帰り往復で1時間あった通勤の車の中で、そのセリフを念仏のように唱えてた。

人生でこんなにも言葉を準備したことはない。

しかも時間にして1分もしない短いセリフに。

そもそも誰かにお礼を言うのに言葉を用意したことなんかない。

これが超重大な話とかならわかるけれど、単にお礼を言うだけのこと。

だけど私は来る日も来る日も練習した。

そして言うタイミングを見計らってた。

言えた日は突然訪れた。

その人はある場所に1人で座って何かを書いてた。

しかもほぼほぼ周りに誰もいない。

多少話しかけても問題なさそうだったし、別に聞かれても変な話ではないから、今がチャンス!と思って話しかけた。

お礼を言った時の素っ気なさには心が折れそうだったけれど、今考えたら慣れてなかっただけかもしれない。

そもそも1週間ほど空いた上に何を今さら的な話だった。

しかもそんなことでわざわざお礼を言うのかということでもあった。

私の勝手な分析によると、そういう時2つのタイプの人がいる。

1つはとても反応の良い人。

この手のタイプはお願いしなくても勝手に話を広げてくれるし、何なら表面上の優しさみたいなのさえ見せてくれる。
(もちろん真に優しい人もいる)

もう1つは反応の薄い人。

薄いと言うと語弊がある。

そういう状況に慣れてない人と言えばいいんだろうか。

だから、ポンポンと言葉も出てこないし、一歩間違えると相手に不機嫌な印象さえ与えかねない。

でもこの手のタイプはそういうわけではなく、単に反応の仕方がわからないか慣れてないかという印象を私は感じてる。

しかも表面に見えてるのはあくまでもその人の一部だから、実際は全然違うタイプの人とか、優しさを取り繕うことはしなくても実はとても優しい人だったり、色々と奥深いタイプの場合も多い。

大人の男性は特にこの傾向が顕著に現れる。

職業別に言えば、前者が営業とかサービス系の人が多いとするなら、後者は技術職や研究職のタイプに多い。

男友達の1人で、仕事ではほとんど喋らないという人がいる。

私は仕事中を見たわけじゃないから真相は知らないけれど、本人がそう申告するからそうなのだろう。

私も初対面の時に「この人とは仲良くなれそうにもない」と思ったから、社内での振る舞いは何となく想像がつく。

特に女性に対してはとことん線引きをしてるらしい。

私と別の友達の前ではガンガン好き放題に話をするし、下ネタもバンバン言うから、会社でもそうしたらいいじゃん!とうちらは何回言ったかわからない。

毎回「無理。できない」と言われた。

社内はさておいても、仲の良い人の前では自分のことも話すし、思ったことも口にする。

気の利き方も半端ないし、喋りが得意じゃない分、喋れないとか言葉にできない時の気持ちをこの人はよく知っている。

だから私がそうなってもきちんと受け止めてくれる安心感がある人。

そういう人も周りにいるから、もしかしたらその人もその手の「実は…」というタイプなのかもしれない。

だから、その時お礼を言っても反応がイマイチでどうしようかと思ったけれど、もう話をそれ以上続けるなんてどう考えても厳しかったから、私も言うだけ言ってその場からは離れた。

想像通り、そこから話が弾むこともなく、とりあえず言えたからいいかということにした。

本当はもっともっと喋ってみたかったけれど、そういうノリの人ではないのはわかった。

そういう時は私も無理にガンガン話し続けるなんていうことはしない。

相手の様子を見て私もすぐに幕を引く。

そうして、お礼を言うという私にとっての一大行事は終わった。



ちなみに伝えられなかった感動ポイントは、その後も私の記憶にはずっと残ってる。

私は先に書いたように、その炎天下での作業中、誰かと話さなきゃいけない状況だけは絶対に避けたかったから、ひたすら人の目につかないところにいるようにした。

基本的には背中を向けるようにしてた。

しかもその時の私はまた随分と奥の方にいて、姿が見えないわけではないけれどそんなはっきりと見える位置にいるわけでもなかった。

さらにそのことに気付くには、指先数センチの話で、私は自分ですらそんなこと気にもなっていなかった。

たった数センチの部分を見て気付くというのは、そんなに容易なことではなかったと思う。

だからピンポイントでそれに気付いてさりげない心配りをしてくれたことに、私はとても感動した。

他の誰も気付かなかった。

その人だけが気付いて、そっと物を差し出す。

当初私はその人はモテる人でそういうやり取りに慣れてるのかと思った。

その人が慣れてても何ら不思議はなかった。

だけどずっと見てると、そうではない気がした。

モテるモテないは知らないけれど、少なくともそういうことをさりげなくするタイプではない気がした。

だからあの時もそんな気使いを見せてくれたことにとても驚いた。

ちなみにこの話をその人が気を許して話せる女性に一度言ってみた。

当時はまだその女性とも今ほどに話せる関係ではなかったけれど、いつだったか「どういう時にトキメキを感じたか?」みたいな話題になって、それで私はその時のことを口にしてみた。

全く近付ける様子もなかったから、それをきっかけに何かその人の情報がきたら嬉しいなというちょっとした期待も含めてそれとなく言ってみた。

「そんなことしてくれたの?なんか信じられない!私、そんなこと一度もあの人からしてもらったことない」
と返ってきた。

「そういうことするタイプには見えない、私が知らないだけかもしれないけれど」

私の読みは当たりで、やっぱり普段からそんなことを積極的にするタイプではないらしかった。

「本人はともかく、そんなことされたらそれは胸がキュンキュンしますね」なんて言ってくれたから、本当に普通に考えてもとても素敵なストーリーだと思う。

私の中には鮮明に記憶に残ったけれど、その人の中では記憶ごと抹消されててもおかしくない。

その後の私が渾身の力を入れてお礼をやっとやっと言えたことなんかさらに記憶の奥底に眠ってしまって、もう生涯思い出すこともないと思う。

死んだ後あの世に行ってから「あの時、きちんと反応して欲しかったのに」ぐらいの軽口叩くのがせいぜいかもしれない。

今振り返ると楽しいひとり芝居の練習だったなと思う。

あの当時はまるで何もわかっていなかったけれど、私はとにかく話したい=近付きたかった。

本当に近付きたくて、何でもいいからきっかけが欲しかった。

だけど日を追うごとに近付くきっかけは皆無に近いと悟ったから、もうそういうことをきっかけに話しかけるしかなかった。

お礼を言うだけで会話を広げるなんて無理もいいところで、案の定その後も余程の何かがない限り喋ることなんてなかった。

実際は喋ったことないぐらいに喋らずにその人はいなくなった。

なんなら私は全ての会話を確実に再現できるぐらいに、その人とあった全ての瞬間を記憶している。

ほんの少しのやり取りから、その人は単なる静かな人ではないことは何となく伝わってきた。

私は何百人を相手にマンツーマンで話してきただけあって、その辺りの勘は多分人よりも冴えてる。

何かが見えたりはしないけれど、その人にしかない魅力や特徴みたいなのはわかる。

静かな人こそ静かな分ごまかしが利かないから、沈黙の部分で伝えてくることが多いようにさえ感じる。

その人もそういうタイプの人だった。

確実に非言語の部分で際立った良さを持ってる人だった。

だから3ヶ月ほど前、その人の後輩にあたる人が「あの人、超できる人っすよ!俺、本気で尊敬してますから!」と言った時、私はすごく嬉しかった。

私も知ってたと言ったら、その後輩くんも大喜びしてたけれど、私にしてもとても嬉しいことだった。

見る人が見たら絶対にわかる良さを持ってる人だった。

本人はそんなことどこまでわかってるのか知らないけれど、でも確実に静かな空気のまま絶対的な部分を伝えてくる人だった。



あの夏の日からそろそろ1年になる。

叶わなかったこと、悔やまれたこと、思い通りではなかったこと、本当にたくさんある。

相手の中には何も残ってなくて完全に忘れ去られてても、それでもその特別な瞬間を手にできて私は良かったと思う。

『縦の糸はあなた
横の糸はわたし
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます』
(中島みゆき 『糸』)

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