2018年5月12日土曜日

大凶の裏側

今日もホロスコープの備忘録。

本当は昨日(5/11)の感動的な1人フラフラ旅の話を途中まで書いてたけれど、二重三重に状況がかぶさってきたから、とりあえずこちらを先にアップ。

今日は、ホロスコープと言うよりも「情報」というものに対しての考察。
(の予定が、話は違う方に変わってた)

多分すでに50人近い人のホロスコープの情報を読んでいるかと思う。

もしかしたら100人ぐらいいってるかもしれない。

自分のしか見てないからわからないけれど、とにかく私のものは教科書の全部の項目を網羅するぐらいの勢いでマニアックなものがあれこれあるから、どうしても色んな人のブログやホームページを見ざるを得ない。

理科を例にしたら、天体が専門の人と、化学反応が専門の人と、電気が専門の人と、地質が専門の人と、天気が専門の人と…という具合に、複合的な専門分野があって、それをひとまとめに「理科」と呼ぶ。

私のホロスコープもそうで、色んな角度のものを合わせて1つのものになっているから、それを全て超専門的に網羅してる本やブログなんてのはないわけで、それぞれの専門に強そうな人たちを見つけて情報をかき集めてる。

だから結果的に、とにかく色んな人たちの文章を読む。

その中で私が感じたことの備忘録。

私は自分が納得しないと、とにかく納得できる理屈に行き着くまで徹底的に調べる(←自分の性格だと思って、これからは「特技」認定しようと思う 笑。こういうことまでホロスコープに書かれていて驚いた!)。

今回ももれなくそうで、今の私の1つの星の配置から「凶」それも「大凶」的な意味が強いとされるものがある。

大凶かどうかを調べたのではなく(←そんなこと誰も喜んで調べないと思う)、特徴的な配置があってその意味がわからないから調べたら、数人連続で「大凶」と解釈した上でその特徴について解説していた。
(ホロスコープ知りたい人用に言うと、ネイタル太陽とトランジット海王星の合)

1人ならまだしも数人!

数人が「大凶」と言うということは、ホロスコープ界では鉄板の解釈なんだと思う。

だけど、渦中の私としては「これがもし大凶なら、今後もっともっときついことがあるかも⁉︎」という意味で捉えてしまいかねない。

なぜなら、私にとって、今というのは30代の中ではかなり落ち着いてるから。

だって、実際の体験談なんか読んでると、読んでるだけで「ご愁傷様」と言いたくなるようなことばかりが目立つ。

ってことは、私もそんなことに見舞われるのか⁉︎と、しなくていい心配まで浮上しようとしてる。

これまでがマイナス100点の位置にいたとしたら、今はようやくゼロ、可も不可もないところにいる。

なのにこれが大凶なら、そう、私にしたら自分対比でかなり良い位置にリセットされてると思ってるのに、じゃあこれから先どうなるわけ?と思った。

マイナスからゼロへ来たのに、またマイナスに向かうの?みたいな。

だから世間一般のホロスコープの読みでは絶対に当てはまらないから、それで探した。

絶対にそれ以外の意味もあるって。

そうしたら出て来た!

大凶と言われる理由は主に「混乱をきたす」「消し去る」「幻想」「曖昧にさせる」「築き上げたものを全部崩壊させる」とか(海王星関係の特徴)。

まぁたしかにこれだけ並べられたら「大凶」たる所以はわかる。

上のキーワードを見て誰も「大吉」なんて思わない。

だけど、これにはきちんと理由があって、その理由を20代の若い子がものすごく丁寧に説明してくれていて感動した‼︎

その子もこれはあくまで自分の考察で合ってるかどうかはわからないと前置きしてたけれど、私はその子の言ってることがものすごくよくわかった。

要はこういうことだった。

自分の本質を生きていない場合、上の大凶的なことが容赦なく出来事として浮上するらしい。

だから離婚とか解雇とかその他世間では「負」のイメージがどうしても強いものが起こりやすくなるらしい。

本筋からずれてるから、本筋に戻すべくテコ入れが入る、そんな風に説明されてた。

決して負の出来事を引き起こすのではなく、むしろ本来の道に戻すためにそのようなことが起こりやすい、とあって、ある意味とても親切な天体だとさえ私は思った。

それは天体が公転している以上、その天体と重なるのは物理的に避けれないわけで(全員に起こるわけではない)、その重なる時にそうした負の出来事のようなテコ入れが起こるから、それで「大凶」と判断されやすいとあった。

私の場合は、元々の凶相と呼ばれるものがあって、そこにさらにプラスして今度はもうピッタリ太陽と海王星が一致するという時が今現在を中心に数ヶ月なのか1年以上なのかである。

だから、鉄板の解釈だと「大凶」となる。

そういう意味で、数人連続でそういう風に情報を発信してる人に当たるのは無理もなかった。

だけど、その20代の子はもっときちんと解説してくれていて、それによって私はもっと深く理解できるようになった。

そもそもの生まれた時の星の配置でその手の凶相と呼ばれるものを持ってる人(←私)というのは、道から外れると必ず本来の道に行くよう何かしらのテコ入れが入るらしい。
(ちなみにその配置は、出生図で太陽と海王星がスクエア)

これはある人とない人がいて、私のようにある人の場合は生涯を通じて常に海王星から監視されるような状態だから、本人も否が応でもズレる度にテコ入れを体験するとのこと。

今だからそれがよくわかる。

なぜなら私の30代はまさにそれだったから、少しでも多分道が逸れてると(というのは私は自分じゃわからない)、普通にはあり得ないことでもなぜか私にはあり得て、おかしなことたちが延々と起こっていた。

反対に、道としては逸れてないと、私本人としては逃げたいにも関わらず、そこにとどまり続けなければいけない状況が続いた。

そういう意味で、相当な削ぎ落としが数年間あったわけで、だから今さらさらなるマイナスなことはもう勘弁願いたいと思う。

で、よくよくその若い子の説明を読んでいると、その強制終了的なもしくは強制出現的な出来事を経て結局残るのは「本物」や「自分が本来生きる道」だけらしい。

これはすごくよくわかった。

何でもかんでも星のせいにするつもりはないけれど、そういう不可抗力が働いてたとするならば、この数年の出来事にはものすごく納得できる。

例えば2年前、まだこんなことは何もわからなかった時。

とにかく受けるところ受けるところ落ちまくる、しかも急募でも経験があっても落ちる、正社員ではない派遣や契約、パート、アルバイトで落ちまくっていたから何なのかと思った。

しかも私の履歴書の勤務の希望欄は白紙で、だから雇う側を困らせるような希望は何1つなかった。

なのに、とにかく落ちまくった。

途中で「これはもう絶対に必要なところにしか行けない、そこしか行かないようになってる」ととても静かに思った日があった。

その後も落ち続けたけれど、不思議と「多分行かないのが正解なんだろうなぁ」というのは漠然と思っていた。

だからその後決まって実際に行った2つの仕事、ついこの間の3月までしてた仕事も含めて、両方人生において大きな意味があって行ってたことは今だからものすごくよくわかる。

当時は何で行くのかなんてさっぱりわからなかったし、興味もないのにその仕事にしていいんだろうか?というのは何十回も思ったことではあったけれど、結論から言えば正解。

行く必要が両方あって行ってた。

当たり前だけど、どちらもその必要な理由は求人票に言葉として一切書かれていない。

行かなきゃわからない。

そして行くことでわかる。

そんな風だった。

要は、本来の道に行くように、通過すべき点を通過する、そんな風だった。

だから渦中は「何でその道?」と思っても、きちんとそこで体験することや出逢う人が用意されてるから、終わってみると「あー、この特殊任務を体験するために行ったのかな?」とか「この人に出逢うために行ったのかな?」というのは何となく思ってた。

これまでは「そうなのかな?」という予測みたいな感じでしかわからなかったけれど、ホロスコープの情報を読み解けば読み解くほど、本当に出逢うべくして出逢う人や出来事としか自分が遭わないようになってると思った。

その20代の子がそうやって説明していて、ようやくそのよくわからないことたちに言葉として理論として説明がついた。

だから私の場合も何だかよくわからない流れに身を漂わせていたらそこに行き着いた、みたいな感じだった。

そして、本当に必要な体験や出逢いをさせてもらった。

こういうことは頭でいくら「何で?」なんて考えてもわからない。

ましてや渦中はもっと意味不明だから、普通の社会的な価値観で自分の人生も判断してしまうと、ものすごく辛くなる。

反対に「意味があってこうなってる」と思ってる方が、精神衛生上良かったとさえ私は思ってる。

当時はそう思ってる方が楽になれたからそう思うようにしてたのもあったけれど、今は海王星という星の働きによってそもそもの人生の傾向がそうなってるとわかって、むしろ安心した。

その20代の子いわく、「正解のみを救う」「嘘を消し去る」とあって、私はそこに委ねてみようと思ってる。

これから無の状態のものから有のものを自ら生み出す。

最終的にどんな風になるかはわからないけれど、ある程度のことは私の中で固まってる。

で、ここからが海王星の力に委ねてみたいところだけれど。

もし本当にそれが私の人生の中の正解なら、続いていくだろうし残るはず。

反対に間違えていたら、容赦なくそこから引き離されると思う。

それは私の判断ではもうわからない領域のことだから、私はとりあえず賭けてみようと思ってる。

海王星に賭けるんじゃなくて、自分の思ってることに賭けてみる。

間違えても死なないし、間違えていて形にならなければまた自分の中で探せばいいと思う。

もし道が大なり小なり外れていたら、海王星の力が働いてこれまでのようにまた引き戻されたり引き離されたりするはず。

だから、そういう風に天体たちの力を借りると思ったらいいのかな…とこれは私が色々調べて思ったこと。

本当は「情報」についての考察を書く予定がまた話が思わぬ方向に転がったから、「情報」についての考察は次回へ持ち越し。

さらには昨日のひとり旅(近隣の海)についてはもっと後日に…。

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