2018年5月24日木曜日

超勇気を出したこと

ものすごい勇気を出した。

誰かに告白するんじゃないかというぐらいに勇気が要った。

東京では合計3軒の大きな書店に寄った。

ジュンク堂の池袋店も大きかったけれど、東京駅近くの丸善と東京ブックセンター?そんな名前のところも大きかった。

そして新潟では一度も見たことがない占星術の本がわんさかとあった。

この話はまた別の回で書くとして、今日はめちゃくちゃ勇気を出した話。

東京駅前の丸善の占いコーナーには私が到着する前から3人の女性がそれはそれは熱心に占いコーナーの本を見ていた。

1人はカートまで持ってきていて、辞書みたいな分厚い占星術の本を2冊入れてた。

その他にも占星術のマニアックな内容の専門書が入っているのを見た。

この人は私同様、占いに興味があるんじゃなくて、その手法について学びたい人だと思う。

他の2人の女性は、完全に自分の運勢を知りたくて色んな本を手に取っていた。

その超オタクな本たちをカートで抱えた女性がいなくなってから、私はそのコーナーの本棚の前に立って、気になった本を順に手に取っていた。

本棚は2つあって、特に私が立っていた方の本棚がマニアックな本ばかりだった。

個人で見るものと言うよりもマニア受けな手法を取り扱うものばかりだった。

中には、野菜のキャベツと占星術を組み合わせた話が出てくる本まであって、「キャベツと占星術⁉︎何が関係してるの?」とびっくらポンな内容の本まであった。

薬草と占星術みたいな組み合わせのマニアックな内容らしかったけど、私は興味がないからそれはすぐに本棚に戻した。

片っ端から気になる本を手にしてはチェックして戻すみたいなことをしてた。

そのうちに1人の女性と私だけになった。

1人の女性はひたすら運勢を知りたくて本を眺めてるようだった。

私が行く前からいたから、かれこれ何分そこにいたのかはわからない。

少なくとも私の滞在時間も15分は軽く超えてたから結構な長さそこにいたのはわかる。

次にその女性は、あの例の細木数子が出してるタイプの文庫本の大きさの今年の運勢本を手にした。

著者は細木数子じゃないけれど、運勢本のコーナーに行くと必ず見るタイプのもの。

イコール私の中では、あまりにも各流派で言ってることが違うから当てにならないと思っているもの。

私は実はずっと迷ってた。

この女性に声をかけるかどうかを。

この綺麗な女性は絶対に何か悩んでいるし、何かそのためのヒントが欲しいのはわかった。

『未来事典』と呼ばれる私も持ってる、自分の誕生日からその1年1年の流れを見る本がある。

恐ろしいぐらいに当たる。

見せた人みんなが当たる当たると言うぐらいに当たる。

私は少なくとも、あの信用ならない運勢本よりも、未来事典の方が何十倍も自分にヒントをくれるし、まさに自分のことが書かれている、と思っている。

思っていると言うよりもそうなっている。

だから、そのよくわからない本を見るくらいなら、そちらの方を見た方がためになるとは思った。

少なくとも、その人が一瞬だけ見てすぐに立ち去る人なら気にならなかった。

だけど私のすぐ隣りで、色んな本を手に取っては少し読むとすぐに戻して、ということをずっと繰り返してた。

この本いいですよ、と紹介しようかどうしようかを私は迷った。

どれだけ余計なお世話で、単なるお節介で、しかも相手にとって私は見知らぬ人。

そんなこと言うのがどれだけおかしいのかもわかる。

だけど、とにかくその人は何かしらのヒントを探してる。

しかも本当に自分に合ってるものを知りたがってる。

私は半分声が震えながらものその人に声をかけた。

あのー、すみません、少し話しかけてもいいですか?とか最初に前置きした気がする。

「本をお探しですか?」と相手の返事も聞かぬうちに次の質問「この本持ってます?」と未来事典を指差して聞いた。

「知らないです」と返事がきたから、自分は持っていてすごく当たること、周りの人たちにも紹介してみんな当たると言うこと、中には買った人までいることを伝えた。

1冊あれば、今年だけじゃなく、過去も未来も全部わかる本であると説明した。

「これ、誕生日事典じゃないんですか?」と聞かれた。

他の誕生日事典とは全く異なることを伝えて、私は本を棚から取り出して直接見方も説明した。

その人は本を手に取って、実際に見始めた。

しばらくすると「すみません」と声を掛けられた。

「もう一度本の見方なんですけど、この数字は今のことなんですか?」と聞かれた。

私はそれは生まれた時の0歳の1年の話で、例えば今30歳ならその数字に30を足したページが今のことになると説明した。

そのページは、自分の今年の誕生日の日から次の誕生日の前日までの1年を表す内容になってることや、象徴的な説明が多いけれど見る本人は読んだらどの出来事かわかるようになってるはずということも伝えた。

その後も2、3回質問を受けたから、都度都度答えた。

最後立ち去る前に、「これもまたすごい余計な情報ですけど」と前置きして、ネットでの調べ方を伝えた。

「例えば牡羊座10度なら、これ自体が『サビアンシンボル』と呼ばれるもので、『牡羊座 10度 サビアン』と入れたらもっと詳しい情報が出てきます。
ちなみにオススメはひらがなで『すたくろ』という人のサイトです」
と説明した。

本気で余計なお世話だとは思ったけれど、相手の人はすごく喜んでいたし、未来事典を薦めてからは他には目も向けず未来事典をかなりじっくり立ち読みされてた。

年は私と変わらないぐらいか上かなという感じ。

結婚指輪してなかったから、独身の可能性あり。

結婚、出産から外れてるとするなら、仕事も考えないとまずい、というのは何となく想像できる。

色んな意味で自分の身の振り方を逃げずに考えないといけない時期なのかもしれない。

ぐいぐいと進めるタイプならいいけれど、そうでなければ迷いも多いし悩んで当たり前だと思う。

私も何かにすがりたくて仕方なかったからわかる。

私はたまたま色んな情報をピンポイントで手にできたからそれで救われたことも色々あったけれど、みんながみんなその情報に行き着くとは思わない。

ただ少なくとももう何人も占いコーナーで出くわした女性たちを見て、知ってるのに黙っているのはずっとずっと心苦しいものがあった。

本当に入口でいいと思う。

マニアックな方に進むかどうかはその人の人生の計画にあるかないかの話に発展するから、マニアックなことは言うつもりは一切ない。

だけど運勢を知りたくて運勢本ジプシーみたくなってる人たちを見ていると、せめて使える本や情報は伝えたくなってしまう。

未来事典のように誰でも使えて誰でも見れるものは、本当に良いと思う。

しかもそれは本がそもそも置いてないと薦められない。

これだけの条件が揃っているのに黙り続けるのは、何とも心苦しいばかりだった。

だから今回、ものすごい勇気を出して声を掛けた。

本気で声が震えた。

震えたけど、声を掛けてみて良かった。

少なくとも相手は多分今必要なヒントを手にしたと思うから。

そして私自身も伝えられて大満足したから。



話は変わるけど、私はこのブログの中でも時々勇気を出してる。

しれっと書いてる風だけど、ここまで書く?と思いながら書いてることもある。

例えば、『目に映るすべてのものがメッセージ』の時なんて、それ書く?と何回も自分に聞きながら書いた。

その綺麗な女性に声を掛けるのとは違う種類の緊張感があるし、勇気の出し方も違う。

女性の方は、単に相手にどう思われるとかいう、気にしたところでどうにもならないけれど、今の日本でそんなことするのは変だとわかるから声を出すことに躊躇するし、当然勇気も要る。

その手の勇気と緊張感。

片やもう一方は、すごい個人的なことで、私は他に手段を持ち合わせてるのであればそんなことはしない。

このブログを通じて書くことには願いや祈りばかりじゃなく色んなことが含まれている。

小さな言葉からは考えられないぐらいのものが含まれている。

それによって必要な勇気の量も一気にポンと跳ね上がる。

女性に声を掛けることの方が現実的な勇気が必要のように見えるけれど、私には後者の方が実はものすごい勇気が要る。

自分の中で大切にしていることだから、その部分を引き出す、表現するのは普段使わない力を使う。

私はあることを理由に、ここに書いていることはもしかしたら伝わってるんじゃないかと思ってる。

この話はしたら長くなるし、これこそNo. 1のぶっ飛んだ話だからどう説明していいのかもわからないけれど。

私は何となく伝わってる気がしている。

だから、その「かもしれない」に賭けて、時々勇気を出してみる。

ちなみに最初は「そうだったらいいな」だった。

そのうちに今度はそうかもしれないと思うことが何回か重なった。

それはあまりにもぶっ飛んだことだったから、私の中だけに留めておいた。

そうしたら今度は私以外の人3人から別々のタイミングでそれに関連することを言われた。

最初の1人は年明けぐらいだった気がする。

3人の人は別に私を喜ばせるために言ってきたわけじゃない。

しかも3人は相手のことを何も知らない。

三者三様、全く違うメッセージを私に伝えてきた。

それらを聞いて、私は色々なことが私の勘違いとか思い違いとか妄想とかじゃなくて、本当にそうなのかもしれない、と思うようになった。

だから私はいちいちその都度緊張しているし、もしもしもし伝わるとするなら…という部分はいつも頭の中に自然に入ってる。

ちなみに何でこんな話をしてるかと言うと。

私の中で、これから先何があっても驚きはしないし、何で今さら?とも思わない、むしろ本当に願ったようなことが叶うとするならありがとうと言いたい。

少なくとも私のスタンスを明らかにしようと思って書いた。

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