2018年2月2日金曜日

生まれ変わる手

少し前、今は遠方に住んでる友達に私について「なんか、ぶっしーは感性が違うからね」とラインのやりとりの中で言われて、それでその違う感じがどんな風なのか教えて欲しいと無茶ぶりなお願いをした。

友達は律儀にきちんと私のどこがどう違うのかとてもわかりやすく書いてくれた。

理系の人の書く文章って本当にわかりやすくて感動した。

その友達が書いてくれたことは想像もしていなかったことだった。

元々、数年前近くに住んでいた時、友達にとってはすごく苦しい時期だった頃で、その時に特に強く感じたこととして友達は前置きしてた。

色々書いてくれてた中で、友達はいの一番に「手の感覚」を挙げていた。

確かに友達の手を握った。

その時だけは手をぎゅっと握ることが正解みたいな感じがあって、だから本当にそのようにした場面があった。

言うなれば何かあった時に「大丈夫だからね!」と言いながら両手で相手の手をぎゅっと包むみたいな感じ。

確かにそういう場面があったにはあったけれど、まさか友達がその場面を感覚の違いの1つとして挙げてくるとは思わなかった。

正月の帰省の時、2歳の姪っ子が私がするオイルマッサージと言うより本当にオイルをただすりすり塗るということをした時、高いびきをかいて寝て、そしてすぐ近くにいた姪の母である妹が私の手を触って「史子の手、気持ちいい」と教えてくれたことがあった。

そこから過去にも手の感覚を褒められたことを思い出し、自分でも手についてもっと色々知りたいと思っていた。

私にとっての手は、長いことコンプレックスの塊でしかなかった。

とにかく肉厚で無駄に大きく男の人の手みたいで嫌だった。

ちなみに足はもっと不恰好で、手の数倍コンプレックスを感じている。

手も足も健康であることだけは間違いないから、それを感謝しなきゃ自分の手足に対して罰当たりだなと思う。

だけど欲を言えば、もっと見た目に綺麗な手足に憧れるのは人間のサガみたいなものだろうか。

これは2週間前、マッサージを副業だけど本業でしようとしてるMちゃんに会った時のこと。

姪っ子や妹とのやりとりの話をした時に
「ぶっしー興味ないのかと思って言わなかったけど、ぶっしーの手ってマッサージ向きなんだよ。手が厚い人は触った時に皮膚を覆う面積が広くて、そして皮膚と密着するから触られて気持ちいいんだよね!」

いまいち言ってることがわからず、私の腕を使ってMちゃんと私の手の違いを検証した。

私はこれまで自分の手で自分を触ってもそれが当たり前な感覚だったから何とも思わなかったけれど、Mちゃんと私とでは全く感じが違っていた。

手首から肘の間の内側の部分をMちゃんに触ってもらい、そしてその後自分でも同じように自分の腕を触ってみた。

変な言い方だけど、マッサージをするMちゃんの手よりも私の手の方が触っていて断然気持ち良かった。

ただ触っただけなのに、技術のない私の手の触り心地の方が明らかに上だった。

そして言われた通り、肌との密着度合いが肉のおかげでかなり高かった。

私の手は肌にぴったりと隙間なくくっつくのに対し、きれいな形をしてるMちゃんの手はところどころ隙間があるのを感じた。

Mちゃんだけに触られてれば気付かないけど、交互に触って比べるとそれは一目瞭然だった。

Mちゃんは続けて言った。

「確かに私の手は形は綺麗かもしれないけど、マッサージにはそういう意味で向いてないのが自分でもわかってるから、だからそれをあまり感じなくても済むマッサージの手法に特化させてるんだよね」

Mちゃんの手は、細くて白くて真っ直ぐ長く伸びていてとてもきれいな手をしている。

ああいう手っていいなと思うぐらいにきれいな手だ。

私の手のコンプレックスは長いこと自分と共にあったから、いつも人の手を見る癖がある。

女の子らしい可愛くて小さな手にも憧れるし、この手好きだなという手もある。

Mちゃんの手は、モデルさんみたいで男の人じゃなくても見惚れる。

私は自分の手を見ても全くいいとも思わなければ、もし生まれ変わるとしたら今度はきれいな手に生まれ変わりたいとか、そんなアホなことを考える始末だった。

だけど、姪っ子が私のマッサージで寝て、妹が私の手の触り心地を褒めてくれ、別の友達が私の感性の違いについて1番に「手の感覚」を挙げてくれ、そしてMちゃんが私の手の質感についてわかりやすく説明してくれ、初めて自分の手が特別なんじゃないかと思った。

さらにその後、20年以上マッサージをする女性の方に偶然お会いして、初対面にも関わらず、やたらと別の話が盛り上がったのをいいことに、私は自分の手について今色々調べてると前置きした上で、手を触ってもらった。

外はすんごい雪だったにも関わらず、私の手はその時すごく温かくて、なんならずっと室内にいたその方の手より外から入ってきて10分15分の私の手の方が温かった。

もっちりした大きな手は人に安心感を与える、そしてこの手の温かさが触ってもらうと気持ちいいとも教えてもらった。

例えば外見のきれいな人がモデルをするなら、私の手は人を触るためにあるんじゃないかと思った。

今書いていて、変なことに気付いた。

私はそれは今もだけど、人を触るのに実はとても抵抗がある。

たとえ同性同士でも相手を勝手に触るのはいけないと無意識に思ってしまう。

だからよほどのことがなければ人のことを触らない。

私は人にカウンセリングのようなセラピーのようなことをする時でさえも、一応相手に聞いてから相手の手を包んだりしてたぐらいで、ある種異常なほどの緊張感がその前にはいつもあった。

たとえは違うけれど、やたらとボディータッチをする女の人が世の中にはいる。

それも同性じゃなくて異性の男性たちに。

お酒の席でよく見られる。

私はどんなに仲の良い男友達でも絶対に自分からは触らない。

触りたいと思わないのがそもそもあるけれど、酔っ払って若干記憶が飛ぶ時でさえも触ることだけはしない。

いつだったか武道を本業でしてる男性の方から「ぶっしーは人を絶対に寄せ付けない空気が半端なく出ている」と言われたことがある。

それは悪い意味で言ってきたんじゃなく、その人が見ていて感じるものをそのまま伝えるという感じだった。

特に男性に対してはそれが半端ないと言われた。

でもその人はその距離感が変に絡まれないとわかって安心するから一緒に飲んでて楽だし本当にその場を楽しめるとも言ってくれた。

で、ごちゃごちゃと色々書いたけれど、私が触らない理由、それは怖いからだと今書いていてわかった。

何が怖いのかも。

私は人から気持ち悪いと言われるのがすごく怖い。

中学生の時にいじめられた頃、私は何もしてなくても気持ち悪いと言われていた。

外見のことも相当言われたし、私がそこにいることさえ気持ち悪がられて、バイキン扱いされたことも日常茶飯事だった。

特に男の子たちからのそれが強かった。

今思えば、本当にそうだったのかなんていうのはわからない。

もしかしたら周りの空気でそう言わざるを得なかった、自分に攻撃の矛先が向くよりも私を一緒に攻撃する方が自分を守るためにはやむを得なかったのかもしれない。

私が何も考えず姪っ子をベタベタ触れるのは、姪っ子が私を好きでいることも私じゃなくても自分の見知った人たちから触られることも大好きだと知ってるから。

だから私は対子どもになると、触っても差し支えない年齢の子たちなら何の遠慮もなく触る。

いくら大人になって、もうそういう訳のわからない根拠のない言われようをすることがなくなっても、私は無意識にいつも身構えている。

人を触るのが怖いと言うより、気持ち悪いと言われるのがずっと怖かったんだと今さらながらに気付いた。

20代の頃、長く付き合った人からも一度気持ち悪いと言われたことがあった。

あれから15年ほど経つんじゃないかと思うけど、私は今でもその時のことをよく覚えている。

そういう色んなことが積み重なって、私は人を触るのをすごく躊躇してしまうし、よほどのことがなければ触ることを避けてきた。

だから友達の手を握った時というのも、実は私にとっては非常にまれな行動に出ていて、その時は本当にそれが1番だととっさに思ったから、気持ち悪がられるかもとかそんなこと考えてる余裕さえなかった。

自分の手は確かに自分の手ではあるけれど、この質感は与えられたものだと最近思うようになった。

そして与えられているものというのは、例えば声のきれいな人が声で誰かを癒すように、私の手も他の誰かに何かを手渡すみたいな感じであるのかもしれないなと思うようになった。

それが癒しになるかはわからないけど、せめて人が元気が欲しい時にただ手をぎゅっと握ったり触ったりするだけでいいのであれば、それは私にもできそうって思う。

40年近くかかって、私は自分の手の価値を知るようになった。

そして何がそこまで怖くて人を触らなかったのかの理由も今わかった。

わかったからと言ってベタベタ触るなんていうことはしないけれど、少なくともこれから先は私や他の誰かが必要と感じる時はさっと手を差し出せるようにはなりたい。

言葉通りの「手」を差し出す。

まだまだ手については情報を集めるけれど、今自分の手を見て前とは違う感じで眺めている自分がいる。

そう、手が生まれ変わろうとしている。

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