2018年1月21日日曜日

Emotional Journey

仕事帰りに図書館に寄った。

正しくは、図書館から期限が切れているので早く返却をしてくださいという電話が来て、それでやっと返しに行ってきた。

大きな窓の前を通ると、『Emotional Journey』とタイトルが打たれていたきれいなデザイン集のようなものが見えた。

この図書館には20代の頃かなり通い詰め、この度実家に戻ってからも何度か通っている。

だけれど、そのコーナーには一度も立ち寄ったことがない。

唯一立ち寄った時は、あるメモの下書きをひたすらした時だった。

何もそんなところで下書きの練習をしなくてもいいものの、私はなぜかその図書館の個別の机でそのメモを書いていた。

個別机はそのコーナーの方面にしかなく、それで初めて足を踏み入れたような記憶がある。

名刺サイズの小さなメモの下書きではあったけれど、なんと私はそのメモを落としたことに図書館を出てすぐに気付いた。

車の中、かばんの中を探すけれど、どこにもない。

考えられるのは、図書館のどこかに置き忘れたことだった。

相手のフルネーム、私のフルネーム、そして私の個人情報がすべて書かれていたその下書きメモ、そこにプラスして短いながらも顔から火が出そうな小さな小さな短文、万が一図書館にあったらシャレにならないと思い、恥を忍んでカウンターに聞きに行った。

そもそもどう説明したらいいのか、それさえも考えると顔から火が出そうだった。

そこで考えに考えて

「あの~、個人情報が書かれたメモ用紙みたいなの、届いていませんか?」

と聞いたら、窓口の人がにやにやしながら

「それなら届いてますよ」

と即答してくれた。

あったことにホッとするよりも、あの10秒もあれば読み終わるあのメモ用紙がその窓口の人と、どこかの届けてくれた善良な市民の方の目に触れたのかと思うと、どっと変な汗が噴き出た。

これ、夏のお盆過ぎの話。

そんな冷や汗ものの思い出が詰まったスポットには、よく考えたら足をきちんと踏み入れたことがなかった。

だけど、今回はそのデザイン集のような本、『Emotional Journey』が気になってそちらのコーナーに真っ先に足を踏み入れた。

そのデザイン集は開いてみると全く心が惹かれず、すぐさまに閉じた。

周りをよく見ると、そこはデザインや画集を置いたコーナーだということがわかった。

もしかしたら…と思って、影絵作家の藤城清治さんの本がないかと血眼になって探した。

芸術とかにはものすごい疎いけれど、私は人生で初めて絵を見て泣いた。

これまでだって感動した絵や心奪われるような絵はあった。

だけど、藤城さんの影絵はもう次元が全く違った。

去年(2017)の夏、藤城さんの作品展が新潟県内の美術館であった。

ずっと先延ばしにしていて、最終日に私は慌てて思い出して行ってきた。

名古屋にいた頃も、販売用の版画展をデパートの高島屋でやっていて見たことがあったけれど、今回は原画そのものを見れるチャンスだった。

展示会場に足を踏み入れた途端、私は本当にその場から動けなくなった。

動けないまま、ただただ目の前の絵を見て涙が頬を伝っていた。

何かを考えたり感じたりするより前に、涙の方が自然と出てきた。

心の琴線に触れる、そんな風な感じを人生で何度か味わったことがあるけれど、まさにその時もそんな風だった。

時間の許す限り私は絵を見て回った。

3回はぐるぐると回ったような気がする。

そして途中、藤城さん本人のドキュメンタリーが設置されたテレビから流れていたから、適当な位置に座って見た。

それを見ていてわかった。

藤城さんが絵を通して表現しているのは、「愛」と「平和」だった。

本当にそれだけをひたすらまっすぐに伝えようと、影絵という手段を使って表現していた。

ちなみに私は「愛」とか「平和」という言葉を普通に言っちゃう人たちのものすごく軽い感じが嫌だし、「愛をこめて」とか「平和を祈って」ときれいごとばかり並べたような言葉も好きじゃない。

表現者によっては、私は悪寒が走るという意味で本当に鳥肌が立つ。

おまえそんなこと1ミリも思っていないだろう!?と思うような大人たちに何度出くわしたことか。

だけど、藤城さんのは全く違っていた。

本当に愛と平和を唱えたくて、それがたとえ自分という微力な力でも、それでも声を高らかにして伝えたい、そんな想いに溢れていた。

そういうものがもろに伝わったから、私は動けなくなって涙が流れたんだと思った。

ちなみに藤城さんが新潟にこだわって個展をする理由も述べられていた。

御年90はとうに超えた方で、戦争も経験している。

戦時中藤城さんは学生だったらしいけれど、学徒勤労?四字熟語は忘れたけど、とにかく学生も仕事をしなければいけない時代だった。

藤城さんはとある会社に行って働いたらしいけれど、そこでとてもよくしてくれた事務員さんが新潟出身の方だった。

藤城さんはその方に恋心を寄せた。

「好きだったんですよね」というような表現を画面の中のおじいちゃんは語っていた。

その方とは一緒にはならなかったようだけど、それが縁で藤城さんは新潟にこだわって個展を過去にも数回開いた。

藤城さんの個展は、47都道府県中本当に限られた地域でしかされないようで、新潟はその女性との縁のおかげで開かれたようだった。

そういうロマンチックな話大好きな私はまた1人で悦に浸って、あぁ本当に良い話が聞けたし、そんな時代を超えての愛の告白みたいなのにも1人でどぎまぎしていた(笑)。

そしてその想いを寄せた女性が、生きている中で藤城さんに気付いていたらいいなぁと思わずにはいられなかった。

そんなこんなのことがあって、図書館で「図書館なら置いてそうな気がする」と思って藤城さんの本を血眼になって探したのだった。

藤城さんの画集&エッセイ集が1つになった本を見つけた。

それだけでもものすごくテンションが上がったけれど、なんとそのすぐ近くに高山なおみさんが文を書いた絵本も置いてあった。

今還暦ぐらいの年の彼女は、料理家で、そして2016年頃、生き方をがらっと変えて絵本作家へと転身した。

その彼女が書いた文章の絵本が藤城さんの画集のすぐ近くにあった。

私はそもそも彼女が書いたエッセイ『日々ごはん』(全12巻)の虜になり、そこから高山なおみさんという人物を知るようになった。

高山なおみさんが出した料理本、『料理=高山なおみ』という本に本人のサイン付きで出版社より売られているのを私は数年前ネットでたまたま見つけた。

それ欲しさに買って、その本は今も私の手元にある。




その本の一番最後のページに

「今日は何が食べたいか、
自分の心と相談しながら、
コンビニでじっくりお弁当を選ぶのも
料理だと思う。」

とある。

何ていう素敵な発想で、そしてどれだけ心が豊かなんだろうとそれはそれは胸を打たれた。

話は絵本に戻って、「もしかしたら2016年に出した絵本が図書館になら置いてあるかもしれない」と思い、検索機にかけた。

ビンゴ、『どもるどだっく』という彼女の吃音だった幼少の頃の実体験に基づいた絵本が置いてあった。

ついでに彼女の素敵な旦那様スイセイと2人で出したエッセイも置いてあることがわかり、それも一緒に借りてきた。

Emotional Journeyは単なる入り口で、その後に広がった世界の広さと言ったら!

藤城さんの画集も高山なおみさんの本も両方ともとても感動した。

そして藤城さん画集のすぐ近くにあった絵本作家のアトリエの本も気になって一緒に借りてきた。



話があちこちに飛ぶけれど、私は図書館に入る直前、ある方からいただいたメールを読んだ。

そのメールを読んで泣いた。

そのメールには、私という1人の人間の人生と他の人として生きていた人生の重なりについてのメッセージが書かれていた。

他の人の人生の方は、成人まで生きられなかったとのこと。

どういう事情かなんてさっぱりわからないけれど、それでもその人が生きたかった人生の分を今の私が生きていると思ったら、色んな想いが胸に迫って涙が出てきた。

図書館からの帰り道、町なかにあるとあるお寺の前を通った。

私はそのお寺の前に飾られている書の言葉がとても好きで、いつも信号待ちでうまいことその書が飾られているショーケースの前に当たらないかなと思うスポットだったりする。

週替わりなのか、月替わりなのか、とにかく毎回とても素敵な言葉が紹介されている。

今日、これ以上ない場所で赤信号に当たり、そして私のメガネ視力でも十分に見える位置についた。

 

「一度きりの
尊い道を
今歩いている」

 

成人まで生きられなかった命を思う。

人生色んなことがあるけれど、それでも一度きりであること、そしてその一度きりは他の何にも代えられないぐらいに尊い。

そしてその尊い道を今この瞬間も私は生きている。

時々こうしてすごいメッセージがやってくる。

ここ数日、実際に色んなことに悶々としていた。

思い通りではない現実とか、会いたいのに会えない人とか、とにかく色々とある。

気持ちの状態としては、マイナスまでいかなくても若干マイナス側のベクトルに近いことはわかっていた。

そんな時に、私あてに届いた1通のメールに始まり、藤城さんの画集、高山なおみさんの本、お寺の言葉と続いた。

もうすっかり心は充電された。

そして何がどうであれ、今、悶々とすることさえももしかしたら成人するまで生きられなかった命からしたら体験したくてたまらなかったことなのかもしれない、とそう思った。

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