2018年1月27日土曜日

バレンタインの夢

整備工の方たちにあげたバレンタインのチョコ話(バレンタイン2018)が長くなったから、本当に書きたかったバレンタインの話を改めて書こうと思う。


バレンタインは6つ目の死ぬまでにしたい100のことになった。

具体的には、人生であと最低一度はガチの手作りバレンタインスイーツを誰かに贈ること。

そしてそれは、相手も必ず喜んで受け取ってくれる人に限定。

すなわち、その相手とはバレンタインをやり取りできる関係性であることがまずは大前提で、その大前提をもっと紐解くとお互いに相思相愛=私が誰かをとても好きになること・相手も私をとても好きなことが求められる。

死ぬまでにしたい100個すべてを挙げ尽くす頃も、おそらくこのバレンタインのしたいことが断トツで一番難しい気がする。

ただの手作りスイーツを作るなんていうのはいつでもできる。

そうじゃなくて、まずは誰かを好きになり相手からも好きになってもらうところが難関すぎるのと、バレンタインに限定しているのと、さらには自分も作ってあげたくてそして相手もそれを喜んでくれる相手…ハードル高いなぁと思う。

ちなみに過去最高に手間暇かけた手作りバレンタインスイーツはアップルパイだった。

本当に丸一日がかりで作った。

仕事が休みの日に朝から何回生地をこねたかわからない。

当時パン職人をしてた妹の置き土産的な10㎝は厚みのある洋菓子全書というような本の中からレシピを借りて、そのレシピ通りに作ってみた。

生地をバターと練りこんでは休ませてというのを2時間おきぐらいに数回やった。

途中りんごを煮た。

生地を成形してからは今度は不器用な手であのアップルパイの格子模様の編み編みを編み上げた。

とんでもない作業工程だった。

ちょっとだけ味見用も作って、それがすごくすごく美味しかった。

またアップルパイを作るかはわからないけれど、あの面倒な工程は本当に好きな人じゃないと絶対にやりたくない。

しかもラッピングとかどうしたんだろう…。

丸っと記憶がない。

あるのは、どうしてアップルパイにしたのかの理由だけ。

当時付き合ってた人の両親というのは、町の洋食屋さんという感じのお店を営んでいた。

私はそこで本当に美味しいものをたくさんご馳走になっていたし、スイーツもあれこれ手作りの試作品を食べさせてもらった記憶がある。

最終的に家族の口にも入る可能性があるなら、普通のスイーツでは太刀打ちできないと思った。

それなら逆にその家族が絶対に作らないものというところから選択肢を考えて、それで選んだのがアップルパイだった。

当時は若いこともあって、付き合ってた人よりもその両親にどう映るのかがより強く意識としてあった。

だから楽しいバレンタインというよりも、何だか一大事業、作業的な行事になっていた。

そういうのはもうこりごりだから、もっと純粋に相手のことだけを想って作るというそういうバレンタインを本気で体験したい。

お礼の意味で整備工の人に渡したバレンタインチョコをすごく喜んでもらえた時に、贈り物って本来こういう在り方だということを思い出した。

相手も喜んでくれないと何だか寂しいものがある。

贈り物とは違うけれど、最後に私が本気で用意して本当の本当に覚悟を決めて渡したものは、今思い出しても迷惑に近いものがあったかな…と思うから、思い出して気持ちの良いものじゃない。

渡した相手と交わした最後の挨拶の時、相手の目や表情を見て自分のやらかし具合や相手への迷惑度合いとかそんなのばかりが脳裏を駆け巡った。

どんな結果が出ようと自分のしたことだからきちんと受け止めようとは思ってはいたけれど、相手を見て私は心が折れそうだった。

しかも、後から冷静になって振り返ってみると、もしかして最後の挨拶でさえも相手は私から逃げたかったのかもしれないなと思った。

何も挨拶もせずにその場を後にするのは気が引けて、しかも他に用事がないのにその場にずっと居続ける方が周りの目からしたら不自然で、だから私は待つのではなく挨拶のために相手を探しに行った。

他の人たちがいる方が反対に挨拶しやすいかもとも思ったけれど、良いのか悪いのか探そうと廊下に出てすぐに本人と鉢合わせした。

私は最後の力を自分の中でぎゅっと集めて挨拶した。

相手の目と表情、声の感じを見て、全てのことが後悔やら悪いことしたなぁという気持ちでいっぱいになり、本当は挨拶されることさえも嫌なのかもしれないなと思った。

その後、本当に最後私がその場から出る時、絶対に私と顔が合わないように背中を向けて他の人と話してる様子を見て、身体中に重いものが広がった。

自分のしたことは、予想以上にすごい悪い方向に波紋を広げていた。

私も猛烈に重く冷たい感じを目の当たりにするということは、それを出す側の相手も同じようにもしくはそれ以上に嫌だったんだろうなぁと思う。

渡したことは本当に後悔していない。

それは自分の気持ちを尊重したという意味で。

でも相手の反応はまた別のもので、相手の反応だけを見ると私は後悔した。

渡さなきゃ良かったと本気で思った。

だから、多分それ以来の男性への贈り物で、たとえそれがお礼という意味でのチョコでも、相手が喜んでくれたというのは私の方もそれ以上に喜びをもらう結果となった。

私の方が喜ばせてもらったと言ってもいいぐらい。

最後の迷惑万来な贈りもの、正しくは渡しものは、今思い出しても胸がキュッとするような苦々しい感じだから、もうそういうのじゃなくて、本当に相手も喜んでくれるものを用意して渡したい。

相手に迷惑なんじゃないかとか、そんなことを思いながら自分の気持ちを固めるというのは、相当心が疲弊する。

嫌なら相手はそれを捨てればいいということまで考えて用意するものは、もうこりごりだなぁと真面目に思ってる。

自分から渡しといて勝手な話だけど、そう思ったのは本当だから仕方ない。

だから、純粋に相手が好きでその人が好きそうなもの、喜んでくれるものを楽しみながら準備する、というものに憧れて仕方ない。

相手のことだけを考えて、しかも相手も喜んでくれるとわかっていて何かが用意できるって奇跡みたいな話だと思う。

過去のアップルパイみたいに渡す相手じゃなくてその先の人たちの反応を気にするとか、最後の渡しものみたいに相手の迷惑や捨てられることを想像しながら用意するとか、そういうものからはもう卒業して、次は本当に楽しい気持ちで何かを誰か大切な人に用意したい。

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