2018年1月12日金曜日

食べる時のあうんの呼吸


これまでどれだけたくさんの人とごはんを共に食べたんだろう。

さっき文章を書いていて、実は私は人とごはんを食べる時、相手との呼吸の合う合わないをすごく見ていることに気付いた。

家族は別で、いちいち呼吸が合う合わないなんて考えない。

それ以外の人たちは、かなり無意識に相手の動向を私は観察している気がする。

私の中で何人か一緒に食事をするのが楽しい人がいる。

そこに飲みも加わるともっとハードルが上がるから、とりあえず食事に限定。

ちなみに飲みが楽しい人たちは、飲みも食事も両方花丸な感じで呼吸が合っている。

この話を先日ある友達にしたところ、とても驚かれた。

そんなに合わない人っている?と逆に聞かれた。

私は基本的に食べ物の好き嫌いがほぼほぼないし(限りなくゼロに近い)、相手に合わせてどんな風にでも食べれるタイプ。

だから、好き嫌いの多い人やある特定の食事のパターンがある人、または外食のレベルに異常にうるさい人なんかに当たると、どっと疲れる。

好き嫌いの多い人だと、自分が食べたいものじゃなくて相手が食べれるものを選んでもらう。

その時点で疲れるし、下手すると食べる楽しみがぐんと減る。

特定の食事のパターンというのは、例えば自然食志向とか、場の空気よりも自分の嗜好を優先させる人とか、とにかく癖がある。

そういう時も私は相手に合わせるけれど、頼む時もシェアする場合もやたらと気を遣って疲れる。

外食のレベルに異常にうるさい人というのは、本人も食に関して相当な知識や技術を持っている人の場合が多い。

そういう人だと店選びからまずは大きなハードルになるから、本人が納得するところを自分で選んでくれと思ってしまう。

そして実際に店に入ってからも、どこの評論家かと思う位に料理にサービスに色々と口をはさむ。

本当にひどい人だと、なぜ目の前の食事が楽しめない!?と心の中でものすごく毒づいている。

多分食の呼吸が合う人たちは、おそらくみんな雑食系な気がする(←言い方が失礼な感じだけれど、わかりやすく言う他の表現を思い付かない)。

そういう人たちは、相当ひどいクオリティじゃない限りごちゃごちゃと文句を言ったりせず、目の前の人と会話を楽しみながらごはんを食べたり飲んだりしている。

もちろんおいしい方がいいに決まっている。

でもおいしくなくて仮に失敗したねこの店、この料理…となってもお互いにひそひそと言って笑い話にしたり、気持ちを切り替えて次の店行こう!ってなる。

これが家での料理だったとしても、「ごめーん、これ今日しょっぱくなった!」と言いながらも出せるし(私は)、口に合わなければ無理して食べないでと言えるし、相手も適当に食べてくれる。

人が作ってくれたものに関して言えば、私の友達はみんな揃いも揃って料理上手だから、口に合わないことは過去に一度もなかった。

一度だけ酔っ払って友達が作った焼きそばがしょっぱくて、それをとても失礼な言い方で友達に伝えてしまったことがあった。

私が謝ると友達は大丈夫と言ってくれたけれどやっぱり気になって、後日謝罪とお礼の長い手紙を書いて出した。

熊本で友達数人と結婚式の前夜に合流した時なんか、最後は吉野家で飲んだ。

熊本駅前は閑散としていて、2軒目は選択肢がほぼほぼなく、吉野家が開いてる!ということで吉野家にみんなで流れ込んだ。

それだってかまわない。

いや、他に選択肢があれば他に行ったけれど、そこしかないのであればそれでいい。

それよりも一緒に過ごす時間の方がうんと大事だったから、気にならなかった。

大人になればなるほど思うけれど、食事の楽しみ方を知っている人との会食はとても楽しい。

それは食事もそうだけれど、それよりも純粋に相手との時間を楽しもうという姿勢がある人たちなんだと思う。

だから一緒にいて居心地がいいし、食事も楽しい。

そういう空気のようなものを私は食事中に多分ものすごく観察している。

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