2015年6月15日月曜日

24時間365日自分じぶんじぶん

社会的役割から降りて、今月が10ヶ月目。

月を追うごとに会う人の人数が減る。

平気で2週間3週間誰にも会わない、ということも年が明けてからは増えた。

人と会うことも話すことも好きだけど、なんとなく今は別の風が吹いている感じがする。

言葉で表現するのは難しいけど、今毎日目にする自分自身は「こういう私は存在しないことに

したいです」とばっさりと切り捨てたくなる自分だ。

もう逃げられない、道は前にしかないのに後ずさりする、かと言って後ろにも戻れない、

前に進むのは色んな意味で怖すぎる、ダメな自分でいる方が気楽だったりもする、

そういう自分との時間が今のようだ。

これは一人でいてわかることだけど、わたしの場合は他人からの影響で気持ちが揺れ動くよりも、

自分自らの影響で気持ちが揺れ動く方が大きい気がする。

良くも悪くも、「他人は所詮他人」という考えが根強くあって、たとえ他者との間に不愉快なことが

あっても、最終的には「逃げる」手段もあるし、なんとなく適当にごまかせたりもする。

だけど、これが対自分の場合はそうもいかない。

自分から逃げるというのは手段としてあったとしても、24時間365日死ぬまで一緒な自分から

そんなに簡単には逃げさせてもらえない。

自分で自分をごまかしても、そのつけはしっかりと自分のところに戻ってくる。

要りません、返品します、というわけにもいかない。

受け取り拒否したところで行き場もないから、宙をさまよう結果になる。

今まさに「もういいよ、この自分でいいよ、この自分でこれからもいくよ」という覚悟を問われている

気がしてならない。

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