2015年3月9日月曜日

「分かち合い」の人

「分かち合い」何度となく耳にする言葉だ。

子どもの時なんかは、親も先生もこぞって使うような言葉。

これをどんな風に捉えるのか人それぞれだと思うけど、最近色々な大人の人たちのやり方を

目にして、これは自分もまねしたいと思ったことがある。

この1年位かと思う。

「自分の持っている情報をとことん外に発信する」

そういう粋なことをしてくれる大人たちの姿を見るようになった。

自分も立派な大人ではあるけれど、「この人を手本にしたい!」というタイプの人に

ここ数年出会っていなかった。

そもそもどんな人を手本にしたいのかも不明瞭だったから、素敵な人たちに出会っても

なかなか自分の中でイコールで結ばれる線が割り出せずにいた。

さらに付け足すと、その前というのは立て続けと言ってもいい位、

「情報に値段をつけて売りつけてくる人」というのに会っていた。

2年3年前だろうか、そういう人たちがどばっと周囲に増えた。

友達にはいなくても、「知人」とか「友達未満」の間柄の人たちから、

なぜか情報を売るために宣伝されるとは知らずに、誘われてお茶なりご飯なりに行くと、

そんな話ばかりでうんざりし、心底軽蔑しながら距離を置くように努めた。

当時は不愉快極まりなかったけど、今となってはその次に大切なものを受け取るための

準備段階だったと思う。

そういう人たちから離れ、しばらくは旧知の仲の人たちとだけ会う期間が続いた。

そうこうしているうちに、今度は自分の持っているものをどんどん発信していくタイプの人を

最初は本から、次はネットから、そして今は目の前の旧来の仲の人たちから、そういう姿勢を

見せてもらい感化されている最中だ。

惜しみなく情報を出している、そこには変な計算や意図もない。

良いものはどんどん人に広めよう、伝えていこう、その姿勢だけがある。

こういうことを「分かち合い」というのではないかと、今この年齢になって気付きだしている。

結局自分のところだけに何かの情報を確保していても仕方ない。

あるものを発信する、もしかしたらそれが誰かの役に立つこともある。

役立たなくても、それはそれでいい。

とにかく発信し続けることが大切なような気がする。

そして、目の前の人がとっておきの情報をわたしに伝えてくれる時、相手はとても嬉しそうだ。

楽しそうでもあり、嬉しそうでもあり、何とも言えない喜びの表情を浮かべている。

その人間性に一目惚れするくらいに素敵だ。

「分かち合い」を少しずつ実践していく段階に来ているのかな・・・と思っている。

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