2015年3月24日火曜日

ほっとする味~鍋焼きうどん編~

年に何回か、食べ物の神様が君臨する。

食べ物の神様とは今勝手に自分で命名した言葉で、

ふと思い付いた言葉にしてはとても的を射た表現だと感じている。

先日、鍋焼きうどんを作って食べた。

なんてことはない。

1袋わたしは28円で購入してきたけど、あのどこのスーパーでもうどんやそばなんかが単体で

安く売られている、あの類いのうどんだ。

半額になっていたかきあげも購入。

後は、家にあったネギや卵、わかめなんかを入れて、鍋焼きうどんの名前の通り、

土鍋でそれらをしょうゆと砂糖、みりん、だしなんかで適当に甘辛く煮て終わり。

だしもきちんと昆布や煮干しから採っただしじゃなくて、顆粒だし。

ぐつぐつと音を立てた鍋焼きうどん。

鍋と蓋の間からもうもうと湯気が出ている。

一口口に運ぶ。

ほっとする。

知ってる、この味。

ごちそうとは決して呼べないようなものでも、一口食べただけでほっとする。

甘辛い汁のところにかきあげの油の味が混ざる。

かきあげのふにゃっとなったところは特に好きだ。

パリパリの部分も好きだけど、ふにゃも独特のうまさを秘めている。

このほっとする味、これって子どもの頃から慣れ親しんだものだ。

味とほっとする感覚がセットになっている。

ほっとする味ってそんなにたくさんはない。

おいしいと感じる味は無数にある。

でも、おいしいよりも先にほっとするがくる味って無数ではないし、そしてこれこそ人と違うはず。

多分同じ鍋焼きうどんを誰かと一緒に食べても、その人はおいしいと思ってくれても、

ほっとはしないような気がする。

子どもの頃の舌の記憶と今の舌の感覚が瞬時に繋がる。

そして舌からあの独特の「ほっとする」感じを脳に送りこむ。

脳は子どもの頃の食卓を写し出す、長期記憶の引きだしの1つから。

こういう瞬間、「食べ物の神様」が君臨した、と思ってしまう。

0 件のコメント:

コメントを投稿