2020年2月29日土曜日

⑽【おいせさん手帳】「無いこと」の無敵さ






おいせさん手帳10回目。
担当:私。


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‪2月29日 ‬

‪自分に時間をプレゼントしましょう。‬
‪うるう年‬

今年は1日=24時間分、例年より多くの時間が与えられています。1日多く与えられた分、何かを自分の為に調整することができます。あなたは何にこの1日という時間を使いますか?カフェタイムでも休息日でも、何かを頑張る日でも、又は何もしない空白の日でも、今のあなたにピッタリとくる時間を自分にプレゼントしましょう。


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時間の話とは少し違うけれど、これが今思っていることだから書く。




私はこれまで「無いこと」は悪いことのように捉えていた。

時間でもお金でもあった方がいい、ずっとずっとその価値観が根強くあった。

ところが今回、お金のことでハッとさせられたことがあって、無いことでしか得られない体験だったことに気付かされたことがあった。





明日、友達と40歳を振り返る会をする。

彼女の方が先に41歳になって、その何日か後に私も41歳になる。

なんとなく誕生日後よりも誕生日前に振り返りを兼ねてのやりとりをしたいなと思った。

それで、誕生日プレゼントを用意しようかなと思ったのがこの2日3日だった。

元々長い付き合いだから誕生日プレゼントを贈ったりは普段しないし、お互いに何かをプレゼントするとかも余程のことがなければしない。

私が彼女にプレゼントしたのは、2年前にオルゴナイトを渡したのが最後だったと思う。

それも誕生日プレゼントとしたというよりも、そのタイミングでオルゴナイトを手にしたから、そして誕生日がたまたま近かったからプレゼントしたのが本当だった。

話は変わるけれど、今指折り数えてみて、思い出せるものだけで2月は15本の英訳をしている。

昨日(2/28)その中でも5本の指に入る大掛かりな2本合計で19枚の英訳を出した。

それは外注に出された後私が内容チェックしたものだったけれども、結局私も全文を確認して違うものはすべて書き換えて、さらに内容が怪しいものは技術者に確認を取ってその意味となるように作り直して…、で、ほぼほぼ自分もやらなきゃいけないようになっていた。

しかも過去の中で内容的に1番2番争える難しさで、私なんかは日本語読んでもさっぱりわからなかったけれども、英語で読んだらやっと内容が多少は理解できたという有り様だった。

そんなことを1ヶ月近くずっとやって、多少腹の立つこともあったけれども、とにかくやっとやっと終わった。
(担当者から無視されたとか。こちらが問いかけても本気で音沙汰なくて、別の人を頼らざるを得なくなって、結果その別の方が英訳用の素晴らしい資料をプレゼントしてくれたから、事はトントンで良かったけれども、ただ了解しましたとかそういう言葉はないのかと思った。だって自分が依頼主じゃん、それはどうなの?って思う。忙しいのはわかるから別に他の人に振ってもらって良くて、だけど一言でいいからわかったとか何だとか言えないの?と思った。)

脳内で色んなことが処理できないのか、実はほぼ毎日夢の中でも英訳をしていた有り様で、自分が感じている以上に心身に負荷がかかっていたかと思う。

平日は気が張っているのか、とにかく眠りが浅くて、まともに4時間眠れたことがない。

細切れに1時間〜2、3時間おきに目覚めて、全部足しても5時間眠れてないままその状態で仕事に毎日行ってて、自分でも色々変なのはわかってた。

そんな風だったことも手伝って、そしてそもそもが時間も作れないような状況下で、友達への誕生日プレゼントはギリギリになった。

そして、先に言うと、私は今回用意することを見送った。

日曜に会うから、土曜で休みの今日、買いに行く時間もお金もある。

なんだけど、多分このまま行かない。

自分なりに思うことが色々あって、それで今のままならやめようと思った。

形だけ揃えても仕方ない。

心がそこについて行ってないなら、何か違うから、今慌てて何もしなくていいと思った。




これは昨日金曜の仕事の途中にふと一息ついた時に思ったことだった。

昨日は会社の規約で定時に上がらないといけなくて(そしてもちろん手持ちの英訳を全部定時内に提出しないといけないのもあって、そもそも残業の予定はなかった)、それなら誕生日プレゼントを探しに行けると思った。

その時に思った。

今は金銭的なことを言えば余裕がある。

余裕があるけれど、大きく違うところを感じた。

この2年近く、少なくとも2年前にしていた派遣の仕事を辞めた後から、特にお金の使い方に関して相当シビアなものがあった。

秋に米の仕事をしていた時もそうだった。

けっこうな人数がいたから、最後仕事が終わった時にどうしたらいいのかを考えながら、お菓子を用意した。

それ以外にも、カツカツのお金の中で、いかに少しでも相手に喜んでもらえるか、そのことをものすごく考えさせられた時間だった。

お金にものを言わせての豪華さは演出したくてもできない懐事情だったから(苦笑)、頭をフルで使う他なかった。

その時はお金がないってなんだか切ないとか、選択肢が限られてくるとか、お金を稼ごうとしない自分はなんなんだ?とか色々思ったけれども、そういうことじゃなかったなと今になって気付いた。

たしかに色々な制限があった。

本当にあとちょびっとだけプラスのお金が欲しいと思ったことはものすごくたくさんあった。

そのちょびっとだって、1万円とかじゃなく、千円とかそういうレベルだった。

その時は「無いこと」に目が向いていたけれども、今思うとその極限状態はもっと違う回路を私にプラスしてくれてた。

お金に限りがあるからこそ、じゃあその中で何を相手に渡せるか、何だったら相手も喜ぶものを贈れるか、それをものすごく真剣に考えていた。

そしてお金で解決できない部分は、手紙を添えるとかして、ちょっとしたメッセージをプラスすることで許してもらおうじゃないけれど、それで気持ちが伝わるといいな…と計算も働かせた( ̄∀ ̄;)。

どういうものが良いかは知らないけれども、とにかく1つ何かを用意するにも自分をフル回転させてそのことに向き合っていた。

物理的な事情はさておき、無いことでしか得られないことを私はたくさん経験していたんだなと思った。

これは時間にも言えることで、朝7時に家を出て、夜はその日のうちに帰ってこられたら良いという超ブラッキーな仕事をしていた頃、とにかく時間がなかった。

それを選んでいるのは自分だと周りから言われた時、本気で泣きそうだった。

当時退職願を毎週又は隔週のごとく提出していて、それでも辞めさせてもらえず、そして人相手の仕事でバックレるわけにもいかず、四方八方塞がりでしかなかった。

その極限状態の時、私は自分の流れを変えるのと心にちょっとした楽しみを与えるのとを意図して、小さなお楽しみ時間を日々の生活に取り入れることを始めた。

それは移動中に地下鉄からバスに乗り換える時、本屋さんに立ち寄ってそこで5分程度本を適当に手に取って眺めてくることだった。

それなら無理なくしかも楽しんでやれることだった。

それをやるしかなかった。

ものすごく限られた時間ではあったけれども、ただボーッとバスを待つよりも5分でも本を見ていることの方が楽しかったし、気持ちも少しだけザワザワしたものから離れることができた。

そうやって、「無い」とか「制限がかなり強めにある」とかいう状況を経て、私はその中で自分のためにできることや心をネガティブな方から少しでも明るい方に向かわせるやり方や方法をものすごくたくさん身につけた。

これは「有る」や「持っている」時にはなかなかやらないこと。

お金でも時間でも、あればあった対応をするし、何もそんな苦行みたいなことはしなくてもいい。

無い時こそ、本当の意味での真価が問われるようにも思う。

最初の方に書いた、仕事の担当者から何も言われなかった話。

今社内で大きなプロジェクトが動いていて、担当者がその中枢メンバーの1人だというのはなんとなくわかる。

だから異常な忙しさなのも想像できる。

置き手紙をしたその日か次の日に、私の席のものすごく近くまで別件で来ていた。

私のところにもついでに何かを言ってくるか見ていたけれども、それをしなかった。

正直ガッカリだった。

無理なことを言う気はない。

時間的に作れないのであれば、部下に押しつけてもらったって構わない。

やり方は1つじゃないから、自分ができないのなら誰かに振って、そしてそれをただ「今対応できないからこうしたからよろしく」で良いと思う。

別の人がヘルプで入ってくれて何とかなったこと、そちらが終了次第私も提出できることをこれまた私は本人不在で置き手紙をした。

それは嫌味というよりも、その人もその人で気に揉んでいたら悪いから、せめてもの報告だった。

何とかなったよと知れば本人だって知らないよりはるかに良いと思った。

言葉1つだと思った。

その人からしたらたくさん抱えている仕事の1つにしか過ぎなくて、私のものはその中でも優先順位が低いのはわかる。(正直なところ、一般常識的にこれ優先順位を低くしたらダメでしょ!!!的なものだけど。社内の一大プロジェクトこそ、概要さえも知らない私からするとそんなのはどうでもいいでしょ!?って思う。いい加減にすることで迷惑が社外的にかかるのは、普通に考えて私のやってる方じゃないの?って思う。社内プロジェクトは、それが上手く回らないならこれまでのやり方で最悪対応できないわけじゃないから、それは社外に迷惑にはならんでしょ?って思う。迷惑がかかると大御所たちはみんな思っているようだけど、そもそも準備不足過ぎるものを発動させてることを「今日が開始日だから始めます」なんてやるからおかしくなるわけで、「まだ準備が整わないからそれは準備でき次第始めます」が、本当に対外的なものを考えるなら一番迷惑がかからないということに気付かないのか言わないのか、真面目に馬鹿すぎると思って見ている)

今回の担当者からして、たとえ優先順位が低くて完全に無視するというすごいことをやらかしてくれてるけれど(依頼してるのはその人で、私は依頼されたことをしてる立場)、一言でいい、何でもいいから言葉があればそれで和らぐ。

相手は無視してるつもりはなくても、もしかしたら気にしてるかもだし、私に一言話しかけたらそのまま捕まるかもと思って話しかけるのをためらっているのかもしれないけれど、私から見たら「無視」の他の何物でもないわけで、残念すぎることになっている。





途中から仕事の愚痴に変わったけれども( ̄∀ ̄;)。

とりあえず形だけ整えるプレゼントは絶対に違うと思った。

もちろん何であっても選ぶ行為がプレゼントの裏にはあるけれども、それを心を込めて行うのか、とりあえず体裁整えるためにやるのか、それは全く別物になる。

そうした色々を思った時に、何が良いか考えようと思った。

適当にするのではなく、本当に相手の喜びそうなものを後れてもいいから用意することの方がうんと良いのかな…なんて思った。

田舎ゆえ買える店も限られていて、時間があれば行こうとしていたところは彼女お気に入りの足しげく通っている店なのは話を聞いてて知っているから、そこは避けようと思った。
ーお昼前ー




ー夜ー
あの後私は考えて、プレゼントが決まった。

とても久しぶりに星読みをしてそこからメッセージを引き出すことにした。

ホロスコープは見ずに、太陽の位置からわかるものを頼りに、そこからメッセージをまずは英語(レニーさんのサビアンシンボル)から、わからないものはさらに英語のサイトをいくつか辿って、そして後は日本語で私が感じたものを書くことにした。

たった1つの太陽のことから、色んなメッセージを受け取る。

どうしてそうしようかと思ったかと言えば、今年1年は間違いなく誰にとっても激動の1年で、その時に自分の芯みたいな場所に帰ってくることはものすごく大事になる。

その芯となるものは変わらなくても、自分を取り巻く環境や起こってくる出来事はその時その時で変化する。

そして、その変化する中で星読みは1つのメッセージやヒントをもらうのにこの上ない力を貸してくれる。

誕生日以後の1年のメッセージだから、今日だけのものとは違う、ずっと寄り添ってくれるものになってくれると思う。

太陽からメッセージを、しかも英語のサイトを読んで、さらにそこから私が感じたものは私にしか引き出せない。

それを読み解いて書いたものをプレゼントしようと思った。

そしてそこにあとは美味しい洋菓子屋さんの小さなお菓子を添えて、それで完成する。

ちなみにホロスコープを見ない理由は、ホロスコープというのはその人その人に刻まれている魂からのメッセージで、私からするとパンドラの箱のようなものだと思っている。

良くも悪くも学びが途上の私には、ホロスコープを見た時にその中でも何が目を引くか瞬時にわかってしまうことがある。

私はそれをその人本人から本人に向けてのメッセージだと思っているから、それを大事に扱うのが大事だと思っている。

そんなものがわかってしまう以上、あまりたやすく他人のホロスコープを見るのは私が好まない。

だから差し障りのない「太陽」の位置なら大体を出すための一覧表を持っているから、それで調べて、あとはそこから年齢分足した状態で今現在の位置を知ることができる。

そしてその位置を「サビアンシンボル」と呼ばれるものから色々調べれば、必要なメッセージがやってくる。

久しぶりにレニーさんや英語の星読みをしたけれど、そこからまた色んな回路が自分の中で繋がって、メッセージが来てくれるのは変わらなかった。

それも知ることができて嬉しかった。

きちんと必要なメッセージなら、たとえブランクが空いても必ずやってきてくれる。

色々感じながら最終的に星からのメッセージをプレゼントのメインにしようと考えたこともそう決められたことも私は嬉しかった。

お金があってもなくても、心をそこに送り込む、それだけは忘れたくないなと思った。




オマケ。
先日、長年の友達たちと交わしたグループライン。
あまりにもくだらないけれど、こんなことで盛り上がれる誕生日プレゼントもいいなぁと思う!







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