2020年2月2日日曜日

⑸【おいせさん手帳】心の鬼と心の福




おいせさん手帳第5回目。

今回はノムの言葉。


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2月2日 
出来事のポジティブな面を見る目を養いましょう。
上弦の月

本日は牡牛座に位置する上弦の月の日。
上弦の月は、満月へと向かいふくらんでいく月です。
明日の節分を前に、必要以上に自分へ厳しい“心の鬼”を追い出し、
自らを喜ばせる“心の福”を大きくふくらませていきましょう。
あらゆる出来事は見方次第。物事の明るい側面に意識を向けて。


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今回は少し趣向を変えて書こうと思う。

ノムと個人的にやりとりするようになったのは、ちょうど去年の今くらいだった。

そこからまた4ヶ月ほどしてから、2人で初めてお茶をした。

それが去年の5月の終わりで、その辺りから少しずつ個人的な密なやりとりが始まった。

今もだけど、最初の頃は特にノムからの言葉にものすごくたくさん癒された。

こんな素敵な言葉を吐ける人がいるんだ、と本当の本当に心から心酔した。

ノムと話しているとわかる。

ノムの口から出てくる言葉はどれも全部、ノム自身の気持ちや心、信念に直接繋がっている。

ノムが信じていること、信じたいこと、これまで経験したこと、そういうもので成り立っている。

だからその言葉に自分の心が救われる時、それはすなわちノムの信じてる何かと自分が繋がった気持ちになる。

そして、自分自身もそれを本気で信じたい人の1人なんだということに気付かされる。






「心の鬼」について、ノムとやりとりした過去のことが思い返されたから、その話をしたい。

「自分否定鬼」は多分誰の心の中にも棲まわっていると思う。

もちろん私もノムも例外じゃない。

自分否定鬼もジャンルが多岐に渡るけれど、その中の1つ「過去にそれについて他者から否定されたり、否定されなくても理解されなかったりしたこと」がキッカケとなって、それがそのまま自分の中の自己否定鬼になってしまった例もあると思う。

特にそうしたことはデリケートな内容に多くて、自分では大切にしている価値観を頭から否定されたり、全然理解されなかったりした時に大きく成長してしまうものだと思う。

で、その手のキッカケで自己否定が始まったものは、自力で解決できないとは言わないけれども、自力だけで肯定に持っていくのは相当難しい。

だけど、それを肯定してくれる自分以外の誰かに出会えた時、初めて「この価値観をわかってくれる人がいる!」と感動を覚えたり、「自分の信じてる価値観でいいんだ!」と自信に繋がったりする。

その手のエピソードを1つ紹介しようと思う。

これはまだノムとやりとりして、片手もしくは両手で回数を数えられるくらいのやりとりの頃にノムから告白されたことだった。

ノムにつっこんで聞いてないからわからないけれど、予想するにノムはこの話をするにあたって、けっこう勇気を振り絞って切り出したと思う。

なぜなら、「その感覚わからない」と私が言うなり、又はそうは言わなくても反応が薄い可能性も多大にあるわけで、それらを見据えても話すことはやっぱり大人だって勇気がいる。

いや、大人だからこそ勇気が余計といる。

これは私が思っていることだけれど、子どもよりも大人の方が心の傷をこじらせやすいし、そして柔軟力も大抵の場合子どもの頃より低下しているから、一度受けた傷は大抵いつまでもしこりのように残っていく。

そして大人になる過程で、あきらめたり、無かったことにしたり、はたまた心の中で相手を否定したりして自分を何とか保つうちに、自分の本音が往々にしてわからなくなったり、自分の気持ちなのに自分の中で掻き消されてしまうこともある。

さらに言えば、小さな子どもが小さなことにこだわるのは「子どもだから」で許されても、同じことを大人がすると「大人げない」とか「あの人は心が狭い」とか、あれこれ言われてしまいがちだから、余計と小さなネタは口に出しにくくなってしまう。

だから、あの日のノムは電話の向こうでかなりドキドキしながら切り出したんじゃないのかな…なんて想像する。





「あのね、僕が気になっていることの1つに。ものすごく小さいことだし、そんなの気にしてる人なんか誰も他にいないかもだけど、そしてそんなこと気にしてるの僕だけかもしれないけれど…」

ノムはおおよそそんな感じで切り出したと記憶している。

「僕たちのところに何回か来てもらって、それでいつも気になってしまうんだけどね。
ミッチー(ノムの恋人♂)がいつもコーヒーをみんなで飲むために淹れてくれるんだけどね。いつも必ず残すんだよね。
僕はミッチーがいつも丁寧にコーヒーを淹れてくれるのを見てるし知っているから、もし飲めない時は残しておいて、後から温めて飲んでるんだよね。
もちろん、そんなことお客さんはできないし、きっちりと飲み干して!なんて思わないし無理強いだってできないけれどさ。
もし量が多いなら『少なめでお願いできる?』とか言えばいいわけだし、自分の飲める量ぐらいある程度わかるだろうから、無理してまで飲まなくてもいいから飲めないなら飲めないって言うとか、多すぎるならそれとなく量を調節してと言えばいいし。
いつも普通に何も感じずに残しているみたいに僕には見えて。
本当に些細なことなんだけど、そして自分が何て心が狭いんだろう…とも思うけれども、やっぱりミッチーが丁寧に淹れてくれたコーヒーを毎回普通に残してそれについて何も言わない、そのことに僕はいつも引っかかりを覚えるんだよね」

この話の難しさがわかってもらえるだろうか…。

私はこの話がよーくわかる。

たかがコーヒー、されどコーヒー。

小さな出来事みたいな話でも、これはされる方は相当しんどい。

私も家に色んな人が遊びに来てくれたからわかるけれど、その辺りの感覚がズレている人はいる。

みんな同じである必要はないけれど、そんなの育った環境が違うから色々違って当たり前だけれど、それでもそこは気付ける人と気付けない人とでは一緒にいる時の居心地の良さが全く違ってくる。

私も色々手料理出して一緒に食べていたからわかるけれども、全部食べてとも思わないし、苦手な味とかがあれば無理して食べてもらう方が申し訳ないからそんなことしなくていいけれども、大抵の人たちは「おなかいっぱいで食べれない」とか「もっと食べたいけれど、おなか入らんわ」とか、あとは苦手なものは黙って手を付けなくても他のものをもりもり食べて「これすごい好き!」アピールをしてくれたり。

とにかく何かしら反応があるし、あとそうだ、私は基本的に個人盛りにせず、大皿に盛って出して、あとは各自が食べたいものを食べたい量だけ取る方式にしているから、取り皿に基本的にお残しはない。

大皿に残ったものを見て「もっと食べたいのに!」とか嬉しいことを言ってくれる人たちも多い。

だから過去に何人でもないけれども、そうしたことに無反応な人に遭遇した時は、あれ?と思ったし、そういう人たちとは結局それだけじゃなく色んな価値観がズレているから今は何の関係もない。

話が逸れたけれど、私もそれを毎回普通にされたら基本的に嫌だなぁと感じるし、しまいには相手との関係性も見直すことになりかねない。

それはそうと、ノムのその告白には、聞き手側がその感覚がわかる人なのかどうかの大きな違いがあるし、そして仮にわからない方に当たった時はこれ以上話を広げることはできないし、永遠に交じり合わない価値観同士だということを理解する必要ももれなく付いてくる。

それと、ノムのこの話の先には、単なるミッチーのコーヒーの話だけじゃなく、自分たちが相手の人から大切に扱われている気がしないというもっと大きなテーマも後ろに控えていた。

だからこそすごく繊細な内容で、そんなことを気にしている自分はおかしいのではないかとか、そんな了見の狭いことを言う自分は何なのかとか、そのことと今回の件とは関係ないんじゃないかとか、色々自分の考えを打ち消したり否定したりしたことも数え切れないくらいあったと思う。

とにかくこうした正解のない話は、そしてそこに個人の価値観が千差万別と種類のあるものは、ものすごく話をしにくいし、話を出す時はもしかすると相手の普段の行いを否定する可能性も無きにしもあらずでそれがまた厄介だし、色々リスクが高すぎて話すことさえはばかられる。

ましてや当時のノムと私はまだまだお互いにお互いのことをよく知らぬまま話していたから、ある種手探り状態みたいなところが今以上にうんとあった。

だから、ノムがその話を私にするのは、ものすごく勇気の要ったことだと思う。

ちなみに私にはそれがわかって、そしてそこからさらに一層ノムと私とは話すテーマが深まった。

私にしてみても、その辺りの感覚が似ていることと、普段なら人に言うことさえはばかられるものでもノムならそれを言っても大丈夫!、という安心感や信頼感に大きく繋がった。

何が言いたかったかと言うと、そうした自分否定鬼を何とかしたいと思った時に、自分1人だと難しくても、誰かがいるとその自分否定鬼のパワーを最低でも1以上は減らせるかもしれないということ。

告白するのは勇気が要るけれども、そうしたこと、それが言いにくいことであればあるほど、そしてそれが小さくてはっきり言ってどうでも良さそうに自分から見えてしまいそうになっていても自分は超絶気にしていることである時、誰かにわかってもらえたり、それ自分も同じ気持ちになる!って言ってもらえるとものすごく心強くなれる。

ノムとこんなに短期間で打ち解けたのは、こうした些細なことを互いにシェアしてきたことがかなり大きい。

自分の中で大きくなっている「心の鬼」を誰かと共有できた時、それは「心の福」も同時にもたらされる。





童謡『ぞうさん』の作詞者のまどみちおさんの本、『詩人まど・みちお100歳の言葉 どんな小さなものでもみつめていると宇宙につながっている』より、この話にピッタリな詩が出てきたから紹介。



【小さいものほど
大きな理由がある。】



(余談:この本だけは唯一私がAmazonでレビューを書いたもので、良かったらAmazonのレビューも見てください。
見たら一発で私がどれを書いたかわかる名前になっています(笑)。)

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