2019年8月29日木曜日

eat LOVE de ノム ⑵ 長電話の意味







[写真]
7月31日の夕空がノムの描く絵の色使いにとっても似ていて、それで送った写真。
そうしたらノムからデコレーションされて写真が返ってきた!




2019/08/24

書く仕事が正式に決まって、それについてノムと打ち合わせをした。

その時にきちんと聞いてみた。

どうして今回ノムが私に書く仕事を一緒にしようと言ってくれたのかを。

さかのぼること8月の2日、ノムはライター時代の上司?先輩?にあたるコージさんから連絡を受けていた。

関係ないけれど、その後ノムといつか話した日、別のこうじさんのセミナーだったかに参加した時の話を細かく教えてくれて、その後に書く仕事の人もコージさんだということになって、「コージだらけだね」なんて言っていた。

話は戻して、コージさんからノム宛に文章の依頼が入った。

ノムはすでにその話を聞きながら、私のことを思い浮かべてくれてたそう。

その文章の仕事を今回はぶっしーとしたいと思ってくれていた。

それは、書く仕事を長いことやっていたノムからして、初めてのことだとその直後の電話の時にも説明された。

私は全く業界のことを知らないから、共同でやるのが普通なのかイレギュラーなのかはわからなかったけれど、ノムいわく、ノムにとっては初めての試みだとのこと。

しかも、共同でやるにしても、やれる仕事とやれない仕事とがあるらしい。

今回依頼を受けたものは、ノムも初めてのタイプのもので、形としてかなりイレギュラーで、2人でやれる、むしろ2人でする方が色んな意味で可能性が広がると判断できるものだった。

しかも、その時ちょうど、花火の時の交通調査の単発バイトを翌日に入れていて、そのことをノムにも言っていた。

ノムはそれをするなら、好きなことで家でやれることで(私の得意な)調べ物して、日雇いのバイトするならこの仕事しても悪い話じゃないかも…、と考えて、私に声をかけることを即考えてくれた。

話が脱線するけれど、今年の夏は3年前2016年に名古屋から新潟に帰ってきた時の夏の出来事に非常に酷似したことがいくつか起こっている。

3年前と同じことをしながら、3年前とは違う今の自分の現在地を確認するみたいたことが多い。

花火の単発バイトもそうで、よくよく考えたら去年もしても良さそうだったのに去年はしてなくて、どういうわけか今年はすることに決めた。

今年は3年前の夏以来になる。

もう少し言うと、去年は記憶が曖昧だけど、少なくとも2018年4月以降のほぼ引きこもりのような時間の中で、どの仕事にしてもするしないを全部ペンジュラムに聞いて確認している。

できる仕事とできない仕事とがあるようで、40歳無職の人がそんな悠長なことをほざいてる場合ではないけれど、本当にこれがまた実によくできていて、やった仕事に関しては何かしら意味があった。

できない仕事というのは、それは私には正直わからない。

できない仕事は申し込んでも不採用連絡がくる。

理由はわからないけれど、私が進む道において何か邪魔になってしまうものなんだと思う。

花火の単発バイトもたしかにお金も必要だけど、おそらく何か水面下ではそれ以外に何か行く必要(理由)があるんだろうなぁと思っていた。

そして、ノムに話したのも、別のことがずっと続いていたからだった。

7月に入ってから、ノムと私はものすごい勢いでメールや電話をするようになった。

メールはものすごく哲学的というか、近況報告とかよりも自分の胸の内を明かすみたいな、しかもそれは自分の人生でも大切な部分について触れるみたいなものがとりわけ多い。

これまでもそういうメールを書いたことがないわけではないけれど、ノムとのそれは回数も内容もこれまでとは全然違っていた。

これもいつか書きたいことの1つだけど、ノムとやりとりするようになって、私は自分がいかに普段自分を抑えて言葉を選んで何かを書いているのかに気付かされた。

このブログはフリースタイルだからそんなこともないけれど、これが誰かに宛てるものになると基本的に私はまず構える。
(身構えない例外的な人たちももちろんいる!)

身構える多くの時、瞬時に書けるものと書けないもの、書くとするならどの言葉が適切か、これは言うと誤解を生みそうだから控えよう、これは言っても差し支えなさそうだから書こう…、他にもそうした緻密な確認作業を無意識のうちにやっている。

連絡メールはそれでいいけれど、心の中を書くメールにまでそれをしている。

心の中なら、より一層確認作業は激化する。

ということに気付いたのは、ノムと頻繁にやりとりするようになってからだった。

それまではそれが当たり前だったから、そんなことに気付くこともなかったけれど、ノムとやりとりするようになって、その社会的に通用する自分をいかにたくさん演じてきたのか、それに気付いた。

そもそも人並みな道から大きく外れた30歳以降は、社会的におかしい自分というのをたくさん見てきたけれど(←私は渦中過ぎてそんなこと思う余裕もなかったけれど、非難や否定の類いはバンバンとかなりな回数と人数から受けた)、それが自分だったからそういうものだと思っていた。

それでもその自分に嘘はないと思っていて、言われたことに関してはとことん自分の中で消化できるまで見つめ続けるみたいなことをものすごいたくさんしてきた。

そして自分がたくさんあれこれ言われてしまうから、他者へは言葉を相当選んで話すのが良いと自分に課して、そうやって話す癖は何も30歳ではなくても子どもの頃からの癖でそうなってた。

これまでだって色んな人たちと話してきたし深い話もしたけれど、ノムとの話はもうレベルが全く違うものだった。

しかも、ノムは内観を10年ほどほぼ毎日していて、私も私で自分の内面を見つめることを多分同じくらいのスパンでやっていて(毎日はしていない)、そして何が本当に楽かと言えば、スピリチュアル的なことに関してノムにはいちいち「これなら話せる、これは話せない」という配慮が要らないことだった。

ノムが何を受けたとか学んだとかはノムの話からしか具体的には知らないけれど、話してるとすぐにわかる。

この人相当深く学んでるって。

だから私も全く躊躇せずに話せるし、別に知っていても知らなくてもどちらでもいいから、その辺り自由に話せる。

しかも、知らなくてもノムはそれを見下したり私を下に見たりみたいなこともしない。

スピ話は他の人たちともできるけれど、他の人たちとノムとで全く違うのは、「自分の内面を言語化できる」かどうかの部分だった。

そして、言語化する際に、ノムと話して気付いたのは、「何を信じているか」がとても重要だということ。

ここが違うと、話してもちぐはぐになる。

ノムに出会うまでは、そのちぐはぐ感はわからなかった。

差し支えないように見えていたし、そもそもそのような深い話をできる人というのが相当少なくて、そこにさらに注文を付けるなんてとんでもないと思っていた。

「何を信じているか」を話したらキリがないからここでは控えるけれど、感覚的に似たようなことを信じてると思う。

例えば今さっとあげられるものを言うと

・奇跡はあるということ
・自分を活かす道・生き方が必ず何かしらあること
・自分を癒せる方策が用意されていること
・自分で自分を癒せること
・すべては必要で起こっているということ
・苦しいこと、フタをしてしまいたいことの先には人生の贈り物がセットであること
・何はともあれ自分を見つめることが第一であること

ノムに具体的に確認したことはないけれど、多分ノムもこの辺りは信じてると思うし、そして行動もしている。

それはノムと話しているとわかる。

この辺りが合致しているのがわかるから、話をするのに、これまでのような緻密な確認作業をしなくてもいいとわかる。

話を戻して、私はノムに花火のバイトがあるからいついつ以降なら話ができるから電話できる日があったら教えて欲しいとかいうことを伝えていた。

さすがに逐一すべての予定を報告することはないけれど、花火のバイトの件は普通に言っていた(←今自分でLINE見て確認してきた)。

そうやってノムも知ることとなった。

LINE見てきたついでに、下のノムからのメッセージも見つけた。

何が驚いたって、ノムは下に書いたことをコージさんから電話を受ける数時間前に私に送ってくれていて、当然その時はノムもその先のことは知らないんだけど、ノムがそんな風に書いた後、ドンピシャなタイミングでコージさんからの話が来ることになった。


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こうなってみると、ほんとに、この出会いのためというか、この出会いが待っていたんだなあと思うね。

さっき、ふと。ぶっしーへの宿題? がおもいうかんで。

Blogの記事のタイトルをつけるみたいに、ぶっしーの、武士俣史子のできること、したいことを網羅しあらわす名前をつけてみて! って思った。

って、こんなに人の人生にふみこむことは、越権行為だから、ぼくの思いつきにピンとこなかったら、違和感あったら、超スルーしてね!

それから、最新記事を読んで、長電話の意味? みたいなものを、あらたに感じられて。わかんないけど、ぶっしーのこれからの、新なのか真なのか、とにかくニューぶっしーが孵化する? 開花する? 誕生する? プロセスに、ぼくとのおしゃべりは、なにかしらの意味があるのかもな、って思った。ぶっしーがしていること、培ってきたもの、さらに深まる力、みたいなものを、たとえば対話中に自分で気づいたり、ぼくが言語化したり、あるいは、これから行うことの形作りのサンプル? 基礎づくりなのか。それこそ、ぶっしーのメッセージをぼくが受けとり伝え、ぼくのメッセージをぶっしーが受けとり伝えるとかね。あらためて言うまでもないかもだけど、ただ楽しいとか、そういうことのためだけの電話ではないよなあ、って。


※文中の「最新記事」は『40歳4ヶ月』

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ノムが上の文で言っていた
【長電話の意味? みたいなものを、あらたに感じられて。わかんないけど、ぶっしーのこれからの、新なのか真なのか、とにかくニューぶっしーが孵化する? 開花する? 誕生する? プロセスに、ぼくとのおしゃべりは、なにかしらの意味があるのかもな、って思った。
(中略)
あらためて言うまでもないかもだけど、ただ楽しいとか、そういうことのためだけの電話ではないよなあ、って。】

これはまるで予言のように本当にそうなった。

8月2日に書く仕事を誘ってもらう数時間前にもらったLINEのメッセージだったけれど、本当にその後3週間ほどかけてそのようになった。




8月24日、ノムと6時間に渡る仕事の打ち合わせ電話の前に、最初の方に書いたように、ブログを書くに際して、ノムの個人ブログにどうやって行き着いたのかを調べるためにネット検索をした。

あくまでもそれは、1年前の5月にどうやってノムの個人ブログに行き着いたかを知るためにしたことだった。

その時のことを『eat LOVE de ノム ⑴ 出会い〜葉月2019』に含めるために、そうしたに過ぎなかった。

だけど、蓋を開けてみたら、その行為は全く違うものに行き着いた。

細かいことは忘れてしまったけれど、私はその6時間電話の時に、あるサイトに掲載されていたノムの文章について触れた。

ノムに出会う前にどうやってノムの個人ブログに行き着いたかを調べていたけれど、違うサイトばかりがヒットしまくりで、それでもしかしてそこから個人ブログに飛んだのかと思って、それで私は片っ端からヒットしたサイトを見ていった。

その中の1つに私は「違和感を覚えた」。

今思うと「他のとは『違う感じ』がした」ぐらいにも言えたのに、電話越しの私は、どストレートに「違和感を覚えた」とノムに直接言った。

それは批判とか非難では一切なくて、何かが違っていて、でもそれが何なのかわからなかったけれど、ノムと電話で話しているうちにそれが何かわかった気がしてきたのと、それを何とか伝えたくて言葉にしようとしたものの、その時の私は恐ろしいぐらいに言葉が出てこなかった。

代わりに、どストレートに「違和感を覚えた」しか出てこなくて、電話越しにもノムに負の何かを与えてしまったのはわかった。

全力で説明したけれど、絶対にどこかわだかまりなり喉に小骨が刺さったみたいなものは残してしまったと思う。

当たり前だけど、そんなことをしたかったわけじゃない。

もっとノムに伝えるべきことは他にあった。

あったけれど、私の言葉が完全に上手くなかった。

ノムは最初こそ「えっ!僕はあの文章だって本当に大切に書いたのに」みたいなことを言って、ぶっしーの言ってることは僕からすると違うとなった。
(ここは2人とも大人だからケンカとかじゃない)。

書いてて思い出した。

私が言ったことの1つに、その私が検索の途中で見た文章は、「ノムが書いていることには変わりないんだけど、ノムが書いているのにノムが書いていないみたいな印象を受けた」的なことを言った。←完全にやらかして火に油を注いだ人。

色々言葉が足らなさすぎて、全力で何とか伝えたいことを言うんだけれど、多分あの時すべてがすべて空回りではないけれど、何か噛み合ってないまま言葉だけが電話の電波に乗せられるみたいな感じだったと思う。

もうぶっしーとは二度と話したくない、みたいな空気にはならなかったし、その後は少しずつ不穏な空気は緩和されたものの、私も私で「これではなく、何かもっとノムにきちんと伝えたいことがある」と感じた。

違う感じが何なのか、それをきちんと言葉にしたかったし、そして何よりもそんなことではなく、ノムの書く文章の大ファンとして、その文章がどういう性質を帯びたものなのか、ノムにきちんと伝わるように伝えたい、そんな風に思った。

私が言いたかったことは、ノムの文章は人を癒す力のあるものだということだった。

それを伝えたかったのに、話はどんどん別の方に流れて、ゲゲゲ((°Д°;))))という流れを生み出した。

電話を切った後も気になって、そして切って1時間くらいした頃だったのか、私はメールを書こうと決めた。

それは謝罪とかではなく、ノムに純粋にノムの文章の凄さを伝えたかった。

電話で上手く伝えられなかったことを伝える、それが目的だった。

それが最終的に「ノムの魂からのメッセージ」に繋がった。




こうやって振り返ると、あの私の思い付きで始めたネット検索は超絶大事なことだった。

そしてそれについて「違和感」をはじめ言葉足らずなことも結果的に良かった。

もしあの時私が聞き心地の良い言葉だけを並べられたとしたなら、その後ノムにノムからの魂のメッセージを伝えることは絶対になかった。

あそこで私は私でなんとなく気まずく、そのままにはしておけない!と思って、それで書いた。

自分の中に出てくるままに言葉を綴った。

それがノムの魂からのメッセージだとも気付かずに私は書いた。

それが私自身の扉も開いてくれるものだと理解できたのは、最初のメッセージを送った後ノムからの返信をもらった時だった。

そして、本当の本当にその凄さがわかったのは、通算4通目のノムへの魂からのメッセージを書いた時だった。




2019/08/28

もたもたしているうちに、また次なる展開にすぐに行ってしまいそうだから、先に今ある事実を淡々と綴ることで、途中まで書いたものをアップしてしまいたい。

4日前のこととはもはや思えないくらいに、色んなことがあった。

土曜(24日)の夜遅くから日曜にかけて、ノムにメールを書いた。

ものすごく長いメールで、私は書き始める前から「ファンレター」と題した。

そういうつもりで書き始めたのに、後半の方は嘆願書のような様相になって、あとからタイトルに「(嘆願書!?)」と書き足した。

すごい熱量のメールで、最後の方に「もしかして、これはノムの魂からのメッセージかもしれない」と思った。

ペンジュラムに聞いたらYESが出た。

しかも、自分の考えや想いを書いていたつもりが、どうやら私個人の意志は1つとして含まれていないようだった、ペンジュラムいわく。

それで月曜日にノムからこれまた超大作の返信がきて、ノム自身も【魂からのメッセージなのだろう、って思った。】と言ったのと、私もノムからの返事を読んで「あれはノムの魂からのメッセージだったんだ」と確信した。

ノムにもペンジュラムで確認して欲しいとお願いしたら、同じ答えだった。

ノムに2つのことを聞いてもらった。

・ノムに宛てた嘆願書的ファンレターのメールが、あれはノムからの魂からのメッセージかどうかをペンジュラムで聞いて欲しい。

・もう1つ聞いてほしいのが、あの中に私の想いや気持ちも含まれているか否かを聞いて欲しい。

ノムの返事はこうだった。

【いま、尋ねたら、やはり魂からのメッセージに強くYESだった。そして、ぶっしーの想いや気持ちについてきいたらNOとでたよ。NOなんだーってちょっと驚く!】

その後これまた3回に分けて、ノムの返事を読んだら出てきたメッセージたちを書いて送った。

言葉にするとそれだけなのに、実際にはそれ以上のもっともっと大きなことだった。

ノム自身にももちろん大きなスパークが起きたんだけど、私の方にも大きなスパークが起きた。

ノムに計4通の魂からのメッセージがメールとして送られたけれど、言うなれば1通あたりこの私が普段書くブログ1記事ぐらいの長さになる。

その長さを目指したわけじゃなく、書いたらそれぐらいに最後はなった。

書きながら私の質は一気に開いた。

ある種のデビューみたいなものになった。

自分の中の回路も開いたし、そしてそれが起こるための要件がきれいに全て揃った。

自分でも、これまでとは違うくらい、何かが変わったことがはっきりとわかった。

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