2019年8月23日金曜日

心のジンクス



夜明け前4時くらいに目が覚めた。

あと4時間後には米の収穫所での仕事初日に向けて家を出ないといけないのに、目がやたらと冴えてしまって眠りに戻れなくなった。

ノムとその4時間ほど前、電話で話をしていた。

その時に話したことがミラクルスーパーヒットな内容で、その余韻に浸りながらメールを書きたくなって、突如メールを書き始めた。

途中で眠くなって、その途中のまま送った。




朝になってエプロンがあるといいと言われたことを思い出した。

母に言って、使わないエプロンがあったら貸して欲しいとお願いした。

20代の頃、子どもの施設で働いていた時、エプロンは日々必要で(あった方が便利)、常に数枚持っていた。

私は捨てる気満々でいたけれど、母はそれなら自分が使うから欲しいとなった。

それが絶対にあるはずと思って出してもらった。

そのエプロンが冒頭のエプロン。

まさかそのエプロンをこんな風に再利用するなんて、考えたこともなかった。




場所は30分強かかる場所で、朝車の中でエプロンを使っていた当時を思い出した。

エプロンは、仕事を始めた1年目なんかは、特に必要だった。

当時から思ったことだけど、子どもと話す時に一番難しい会話は「日常会話」だと思っている。

これは塾で小中学生を見ていた時も思ったことだけど、何か具体的な話、施設なら学校の様子を話すとか、塾なら宿題の確認をするとか、そういうのは話せるけれど、そうではなく超個人の話、それが本人の日常生活に密着したものになればなるほど、本当に難しい。

あれはある程度の関係性が成り立たないうちは、絶対に成立しない。

子どもが「ねぇねぇあのね〜、今日ね…」という具合にあったことをそのまま赤の他人に話す行為というのは、大概の子どもが構える。

いきなりは話さない。

子どもなりに距離を見計らって、それで徐々に話すようになるし、警戒心強めの子や話し慣れてない子は、自ら話さないのはそのままになっている。

そういう子は私が「聞けそう」と感じたら徐々に聞く方法で聞いていた。

もしかしたら詰問のようだったかもしれないけれど、意外にもそういう子たちは聞くと何かしら話してくれることが多かった。

もちろんごく稀に何人かは、話もしないし聞かれてもほとんど話さない子もいた。

そういうタイプはさておいても、ある程度話すタイプの子でもやっぱり最初は緊張を伴う。

で、小学校に入ったばかりぐらいの年齢の子たちとは、そのネタの1つとしてエプロンを使っていた。

動物やキャラクターもののエプロンを身につけて、そのエプロンの柄を毎回のように子どもはクマがいただの、このウサギはピアノを弾いてるだの、そんなことを話してた。

年齢が上の中高生女子たちは、私がエプロンを新調する度に「それいいね」とか「あっちのエプロンの方が好き」とか、そういう会話になっていた。

エプロンで会話するなんて、生涯を通じてその時だけだったかもしれない。

そんなことを思い出しつつ、車は大きな国道に入っていった。




国道は途中まで二車線で、ふと追越車線側の車が555のナンバーだった。

それを見て、タイミングを思った。

私がこのブログを再開しようと決めた日に見た555のナンバープレートの車を思い出した。

その時は秋の日の夕方で仕事帰りだった。

ブログを1年以上ずっと書かずにいた当時、ブログを書くなんて全く頭の中になかった。

今思うと、それは天啓みたいな、神々の審議会からのメッセージみたいな感じだったなぁと思う。

「ブログ」と突如浮かんだ時は、「えっ!?ブログに書くの!?Σ(꒪◊꒪; )))) 」と思った。

内容は決まっていた。

それは「ブログを書く」のではなく、「ブログに書く」の方だった。

私はブログの再開を意図して再開したのとは違っていて、ある内容があって、そんなのは生涯自分の胸の内にとどめることしか考えていなかったのに、それをブログに書くことが突如選択肢として現れた。

内容はずっと胸の内にあっても、書こうとは、ましてやブログという公の場で書くなんて考えたこともなかった。

だから私に必要な決断は、「ブログを書く」ではなく「(その内容を)ブログに書く」の方だった。

書く勇気と言ってもいいかもしれない。

実際に書いたのは私だし、書くと最終決定したのも私だけど、「ブログ」という選択肢を思いついたのは私じゃない。

ここ1年ぐらい色んな人たちの魂からのメッセージをキャッチするようになったから何となく感覚的にわかるけれど、当時「ブログ」と出てきたのは私の頭の中から出てきたのではなく、外側から情報としてもたらされた感じだった。

だから、「ブログ」とふと出てきた時に、私はおののくぐらいにビックリしていた。

((°Д°;))))((°Д°;))))((°Д°;))))←こんな風だったと思う。

当然ありえない選択肢を前に、私は最初は全く乗り気じゃなかった。

えっ?本気で書くの?書いてどうするの?届くわけないじゃん、とかそんな風に頭の中では猛烈に反対運動が起こった。

その時に私は短い時間の中でいくつものサインを見て、最終的に「ブログに書く」ことを決めたわけだけど、その最初のサインが555の車だった。

「555」を「Go!Go!Go!」と捉えた。

書けってことなんだろうと。

米の収穫所に向かう二車線の国道の右斜め前の車が555で、当時のことを思い出したけれど、今はもうブログを書く書かないなんて悩まないし、仮に今書こうと考えたとしてももう書けないことを知った。

あれはあの時だから書けたことだし、書いてでも伝えたかったことなんだと。

555の車を見たからと言って、同じにはならない。

今は違う未来に立っている自分のことを思った。




仕事は基本的に1人で黙々とこなすことが多かったから、考え事するにはうってつけの時間だった。

初日で頭を使うような仕事は1つもなかったから、前の晩のノムとの会話に出てきたミラクルヒットな話を反芻した。

その内容は、私の生き方の根底にあるもので、それが初めて言語化された。

今これを書きながら、最後にした派遣の仕事の時のことを思い出した。

最後にした派遣の仕事の時も、私は勤務時間中ほとんど喋ることがなく、喋っても1日合計10分程度というものだった。

だから残りの時間は黙々と仕事をすることになったわけだけど、当時の考え事と今の考え事の差を思う。

2年前の夏の考え事は今でも鮮明に憶えているけれど、もう今はその状況に私は身を置いていない。

心は別として、体はどんなに当時を惜しんでももう今は違うフェーズに自分が入っていることを否が応でも認識した。

ノムのウルトラスーパーヒットな話がなければ、もしかしたら私はその静かに作業に徹することを辛く感じたかもしれない。

作業は辛くなかったけれど、過去に戻れないことやその時のことと比べた今を思って、自分の中でやるせなさをどこかで覚えたかもしれない。

ノムは私の翌日の状況を予測してそんな話をしたわけではなかったと思うけれど、結果的にその話のおかげで2年前の夏との比較に悲嘆せずに済んだ。

このちょうどのタイミングで話できるのはなんかとっても良いね!とは言ってくれてたけれど、まさかそのことが翌日の私の心の癒しに繋がるなんて想像していなかったと思う。




仕事の後半には雨が降り出して、終了後は雨の中駐車場に向かって歩いた。

写真のエプロンが濡れているのはそのせいだった。

けっこういい雨が降りしきる中、運転席に乗り込んで携帯を開くと、ノムから返信が来ていた。

私の真夜中の独り言メールに対しての返信だった。

内容は今進んでいる色んなこととリンクしているから改めて書くような気がするから割愛して、最後はこんな風に締めくくられていた。


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ぼくも思いつくまま、読み返さずにおくってしまうね。
米仕事初日はあと‪1時‬間くらいかね?

そこにぶっしーが何をしにいくことだったのか、
それに気づき、また言葉にしておしえてくれる日をたのしみにしてるね!


きっと、今夜は泥のように眠れるんじゃない?笑

はやすぎますが、、おやうみなさい^ー^!

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外は雨模様でも、私の心模様は虹でもかかってますばりに明るいもので満たされまくっていた。

米の仕事の話は一瞬しかノムにしていないけれど、ノムは時間や私が言ったことをものすごくよく覚えてくれてた。

私は行く前から「米の仕事は米の仕事をしに行くわけじゃないと思ってる。何で行くのかは知らないけれど、何かそこで体験するなり出会う人がいるから行くんだと思う」と言った。

なぜなら申し込んで必要書類記入している間に採用が決定して、そしてたまたま近くにいた米収穫所の担当者が説明会の会場に来て、その場で話してそれで当日の打ち合わせをしたという、これまた異例のスピードで決まった。

それがたとえ人員不足だという理由でも、そもそも人員不足の状況が必要だし、そして私は2016年以降10数社、多分もう20社ぐらいになってると思うけれど、行ってはいけない仕事は、急募で他の人が決まっていなくても、内定出てるみたいなものでも、とことん落とされる。

だからこの異例のスピード展開は異常だったから、もう何か違う理由で行くんだろうことはわかった。

これは行ってから知ったことだけど、それまでは長く毎年行ってくれてた人たちがいたようだったけれど(←ここまでは担当者から説明を受けて知ってた)、去年派遣の人たちから大ブーイングが出るほど癖のあるおばちゃんたちと色々あったようで(←これは他の人たちから聞いた)、想像するにそれが人員不足の理由でもあるのかな…と思った。

実際に2日間行ってみて、もうすでに満載すぎるほどのことを私は見聞きしたり気付いたりして、これは最速スピードで決まったのも無理ないなと思った。

(その場所が私の30年オーバーの過去の傷を色々癒したり、「癒し」というものに対しての私の認識の破壊と再生が早速起きていることを、なるべく近いうちに書いてアップしたい。)

ノムは本当にピッタリ終業1時間前にメールを送ってくれていて、さらには私がそこで何をしに行ったのか何を感じてくるのかなどなど、そういうものを楽しみにしてくれてるのもすっごく嬉しかった。

私のしていることは、はっきり言って世の9割以上の人たちからは理解されないし、何でそんな不安定な仕事に就いて何になるの?と思われて当たり前のもの。

私が言う「行く理由」は、スピリチュアル的なことに馴染みのある人であっても理解できない人たちがいるぐらいだから、それを世間一般の人たちに理解してもらおうなんてのはものすごく難しい。

スピリチュアルなことを知ってる人でもそれを即座にわかってくれた人には過去に私は1人しか出会っていない。

だからノムがとっても自然にそれを口に出してくれてわかってくれたことはとっても貴重なことだった。

大阪のおばが送ってくれたおいしいお菓子を食べながらノムのメールを読んで、おなかも心もすっかり満たされた。

あとは家に帰るばかりだった。




帰り道は幾通りもある中で、ペンジュラムが指した交差点を曲がって走ることにした。

本当に道は何でも良かった。

なんだけど、ペンジュラムは1つの交差点以外すべてNOだった。

何の意図もなく私はいつものクセで聞いてるに過ぎなかったから、ペンジュラムが指した交差点を何も考えずに曲がった。

硬い紐を結ぶのに軍手ではダメで、でも何かしら手をカバーするには手袋がいるから、帰りに百均に寄ろうぐらいは考えてたぐらいで、あとは普通に運転していた。

信号が青になって、前の車について私も前進してすぐのことだった。

私がこのブログを再開しようとした時に見たサインの1つ、ある洋菓子屋さんの車とすれ違った。

嘘みたいな瞬間だった。

その車は、その洋菓子屋さんの奥さんにお店で直接確認したから知っているけれど、世界に1台しかない。

その車には私がブログを再開するに至った鍵を握る人物と関連したものがある。

驚いた後、何とも言えない気持ちがじわりじわりと胸に迫った。

もはや私1人の妄想の世界みたいなことだけど、この鍵となる人物を思い起こすサインは、こうした重要な節目の時に必ず現れる。

本人の意志とは全く関係なくても、とにかくこうした私にとって大切な節目の瞬間に「大丈夫だよ」と言わんばかりにサインはやってくる。

この世で私1人しか知り得ないサインで、本人すら全く感知しないところで起こっていることでも、私には十分すぎるものだった。

8月に入ってから色んなことが目まぐるしく動き始めて、自分の気持ちも落ち着かず、現実の中にはもどかしいこともあるけれど、それでも「これで大丈夫!」と知らせるかのごとく、その車が私の車のすぐ隣りをすれ違った。

しかも、その日は1時間早く上がることになって、ノムからメール来ていたからそれを読むのに少し車で待機していて、エプロンの写真もこの記事を書くことは決めていたから撮って、さらに言うと鍵を使って車内に入ったくせしてその車内の中で鍵を失くすというトンチンカンなこともあって鍵探しも加わった。

そうやって時間調整して、そしてペンジュラムが指す交差点で曲がって1キロほど行ったところでその車とすれ違った。

1つとしてずれてはいけないことばかりだった。

しかも、私はその交差点の場所でその車とすれ違ったことはこれまでに一度もない。

何がどうしたらそのピンポイントでそこですれ違うと言うのだろう…と思った。

朝、555の車を見て、ブログ再開前のことを回顧していたばかりだったのに、再開するに至った別のサインの1つであるその洋菓子屋さんの車を見るなんて、どれだけの確率で起こっているんだろうと思った。

30年キャリアの過去の傷を彷彿させるものが米収穫所にはあるとわかったから、余計とこのサインは本当に嬉しかった。

大丈夫!って思えた。

たった1台の車を見て、私は大丈夫と心から思えた。

色々上手くないけれど、これくらい許されてもいいよね?と思った。




その時は気付かなかったけれど、後々になって「うわっ!\((◎_◎))/」ってことにも気付いた。

その洋菓子屋さんの車とすれ違った交差点は、2年前の秋のある日の朝、出勤途中の車の中でペンジュラムが初めて新しい動き、スーパーNOを意味するサインを見せた場所だった。

洋菓子屋さんの車とペンジュラムは関係ないけれど、ペンジュラムとその鍵となる人物はものすごく関係がある(本人の知らぬところで)。

その人物こそ、私のペンジュラムのパワーがアップする時毎回何かしら関与していて(本人の知らぬところで)、もうどれだけでも外さない的中率を誇っている。

ちなみに、色んな人たちの口、それこそ死者の口さえも借りて、その人と私とが過去世のいつか関係があったと教えてくれ、その過去世では私は自分の分身や相棒のようにしてペンジュラムを大事にして短い生涯を生きたことも1人の人から聞いた。

何十回とやっても片結びはさっぱり上手くなかったけれど、ペンジュラムだけは持った瞬間からいきなり天才的に使えたのは、その過去の自分からの贈り物だった。

大人にさえなれずに、10歳ぐらいまでしか生きられなかったとされる小さな子どもとして短い生涯を生きた自分の魂からの贈り物だった。

その時に一緒に生きていたとされる人物が今世でも私の目の前に現れてからは、こうしたオカルト的なことはどんどん加速されて今に至る。

そして今回みたいに何か切り替わったり新しく始まる時のタイミング、または非日常的なスーパーオカルト的なことを体験する時、その人物とわかるサインがこうやって私の元に届く(本人の知らぬところで)。

(本人の知らぬところで)と何回も書いたのは、本当にそうだから。

まともに話したこともないから、オカルトなことにどれだけ関心があるのかなんて知らないけれど(予想するに多分「ない」)、こういう魂的な領域になると現世の現実的なことを飛び越えてでも色々起こってくるから、その人物がたとえ全く興味関心がなくても、必要なことは自動的に勝手にもたらされる。

それはもう私がどうこうできることではないし、それがすべて私の勘違いや偶然が毎回すごい確率で起こっているだけに過ぎなかったとしても、そんなのはもう何でもいい。

私がサイン見て自分の安心感を増やせるのには変わりないから、それでいいじゃん、ということにしている。




『心のジンクス』

この文章にタイトルを付けるにあたり、ふわっと浮かんだ言葉だった。

ここに書いたことは、私の心のジンクスなんだと思った。

私はブログでは簡単に「オカルト」と書いて表現しているけれど、実際の裏側というか実際の現実は、かなり勇気や人間力を要する場面が満載すぎるし、正解なんてない中で何をするのがいいのかなんて毎回わからないし、怖い気持ちや逃げ出したいことなんか毎回山ほどある。

今回はオカルトではないけれど、このわからない流れの中に身を置いて、色々心許ないのは相変わらずで、そうした時に自分の中で「大丈夫」とわかるサインを見ることはとても心強い。

私なりのジンクスで、こうした時にそういうサインとかを見たら、今の目の前のことは大丈夫なんだろうと思っている。

私だけの心のジンクス。

私しか知り得ないサインでも、私は毎回そうやって自分の流れはこれで大丈夫と確認できてる。

何せ本人の知らぬところで起こるからお礼の言いようもないけれど、いつも心の中では「ありがとう」と思っている。

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