2019年5月23日木曜日

10年後に知れた事実


<2009年8月30日のmixi日記より>

タイトル:日曜日朝6時の新宿


今朝4時に目覚ましをかけて、夜が明ける前に妹のアパートを出発。
始発5時11分の電車に乗る。

6時前に新宿到着。
目指す場所へとひたすら歩く。

こんな朝早くから、しかも日曜日に動く人がいるものかと思ったけど、
いやはやびっくり。
実に多い。

電車もほぼ座席満席。
酒臭い人が隣りに座っていた。

新宿に着いてさらにびっくり。
とにかく人がたくさんいる。
1メートル置きにカップルかグループが歩いてる。
朝6時、オールナイトなのか、みんなテンション高めで少しけだるそう。

店も開いてる。
カラオケしませんかと勧誘の人に言われた。
カラオケ24時間営業なのかな、ここは。

私が目指した場所は、とある有名な手相を見てくれる人に手相を見てもらうための整理券ゲットのため。
事前リサーチによると、とにかく並ぶらしいからということで始発で出かけた私。

行けばわかるとネット上には書いてあったけど、本当にそうでそこだけやたらと人が並んでいた。
私は本日24番目のお客さんだったらしい。
24と書かれた札をもらってそこをあとにした。

その後、前々からやってみたかった朝吉野屋。
納豆定食なるものを頼んだ。
はじめて外国人を雇っている吉野屋を見た。

来るお客さんもさまざまで、酔いつぶれて机につっぷしていた若い女の子もいた。
「やりたいです」と顔に書いてあるような若い男2人と女2人組もいた。
これから仕事なのか作業着を着ている人。
何で今ここにいるのかさっぱりわからない私くらいの年の男の人。

朝早い吉野家は、中に入ると外の喧騒や人の多さからは想像できない静けさだった。
人はいる。
でも静か。
例の男2人と女2人組が変にはしゃいでいるだけで、その声が店内にこだまするだけ。

不思議な光景だった。

ここそこに人がたくさんいたけれど、私は歩いている途中、誰も歩いていない通りを発見した。
店はすべてシャッターが下りている。
車も裕に2台は通れる道なのに、全然車もいなければ、歩く人もいない。
ただただ静かなだけだった。

たった今のその瞬間だけで、私一人が道を独り占めしているみたいでうれしかった。

新宿という町は面白い。
色んな人がいて、色んな光景があって、見ていて飽きない。

時々思う。
そういう非現実的な非日常の時間を送るの、私好きだなと。
わけもわからず、わくわくする(笑)。
そういう瞬間ってすごい頭が冴えて、第六感的なものが私の場合はものすごく強くなる。
で、そういう時、本当にはっとする発見に出会ったりする。

今日はどんな発見があるか楽しみ♪


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超今さらだけど、10年前に朝の始発電車に乗ってまで整理券をゲットして、新宿で手相を見てもらった時のことを思い出した。

思い出したというよりも、今頃やっと意味がわかって、安堵の溜息をついた。

ホロスコープの調べ物をしていたら、たまたまその新宿の母と呼ばれる「栗原すみ子」さんというおばあちゃんの話が出てきた。

書いていた方も鑑定を受けたことがあるらしく、多分私もこの人のところで受けたような気がする…と思って、それで画像を見たり、当時のことを書いた気がすると思ってmixiの日記を探したりした。

名前を失念して、画像を見る限りその方だと思われる。

当時いくら払ったかは忘れたけれど、3000円前後だったと思う。

それに対して鑑定時間は5分もない感じで、「高っ!」と思った。

当時の日記についたコメントを見ると、
「手相は、びっくりするくらいいいこと言われた!!!
そして何よりも、これからのことで迷っていた自分にお導きじゃないけれど、あぁやっぱりそこにいくんだ!という仕事の面で手相に出ていることを言われたから本当によかった。
やっと吹っ切れたよ。 」
などと書いていて、何を言われてきたのか今となっては全く覚えていない。

「やっぱりそこ」の「そこ」が何を指すのかわからなくて、何ではっきりと私は書かなかったのかと思う。

唯一思い出したことは、過去と決別するための決定打を言われ、私はそれは覚えているけれど、それ以外のことはすべて忘れた。

決定打はものすごい威力で心にパンチが送られてきたから、今でもある意味忘れられない。

ただ、おばあちゃんが指摘してきたことは、本当に紛れもない事実になった。

今なら運命・宿命にはどうやったって逆らえないのはわかるけれども、当時はそんな知識1つも持ち合わせていなくて、言われたことにガーン(T_T)となりながら聞くしかなかった。

ちなみに当時は絶賛就活ノック40本打ってる途中だった。

就活で不採用通知をもらうことよりも、私は受けるところ受けるところに合わせて志望動機を考えて書くことが本当にキツかった。

ない動機を無理矢理言葉に起こすわけだから無理もなかった。

そういう時に訪れた街頭鑑定だった。

何でそこに行こうと思い立ったのかは覚えていない。

紹介だったのか、テレビで見たのか、何かの情報で目にしたのか…。

ただ、当時はいつまでも決まらない仕事にヤキモキし、決まったところでも自分の方向性が見えないからヤキモキし、何でもいいからすがりたくて仕方なかったから行ったと思う。

で、どうして今頃になって安堵したかと言うと。

当時の私もそれを読むまでの私も「鑑定時間+鑑定内容に対して金額高すぎる」と思っていて(←そう思ったことは、さっき思い出した)、自分の中では若干不満が残る感じだった。

だけど、今回見つけたホロスコープのブログの方いわく、何もない人は早く終わるけれども、何か本当にヤバい人は長いらしい。

それ見て「だから私短く済んだんだ」とわかって、ホッとした。

もっとさらにさかのぼること数年前、だから今から10数年前に出会った霊視ができる男の人を思い出した。

友達の友達で、その人はそういう仕事はしてなくてサラリーマンをしていた。

今は知らないけれど、当時はそういう仕事に就きたくないから会社勤めをしていると言っていた。

その人は遺伝的な体質で、お母さんが本気の霊能者の人だった。

だからその人のところに来る人たちで本気でヤバい人は、母親に繋げると言っていた。

自分の手には負えないというのがわかるらしい。

その話も思い出して、あの時日曜日の新宿の朝並んでまで受けた鑑定があれで大丈夫だったことを10年後の今知った。

そう、友達の友達に見てもらった時も、1つを除いて悪いことは言われなかった。

むしろそれ私だな…ということばかりだった。

友達の友達が言ってくれたことは、今でもはっきりと覚えているし、本当にその言ってもらったことが私の場合は、自分の人生の中でけっこう大切な価値観だったから、すごい納得した。

悪いことというか当時の私が絶対に受け入れたくなかった未来予想は、新宿の母からも同じことを言われた。

だから、そのことに関しては、もうどうすることもできなかったんだと思う。

どうすることもできないというのは、自力で何とかできることではなかったという意味で。

当時の私に教えてやりたい。

人生には自分のがんばりで何とかなることと、自分のがんばりではどうにもならないこと、その2つがあるということを。

ちなみにどうでもいい情報だけど、私が手相を見てもらおうと考えたことには理由がある。

ドミニカにいた2年間の大半の時間、少なくとも1年以上、私は毎日自分の手相を眺めてた。

ドミニカで知り合って仲良くなった日本人の少し年上の女性から、手相は年齢と共に変わることを教えてもらったから。

ユカさんという名前だったけれど、ユカさんは自分の手を時々コピー機に当てて印刷すると言っていた。

そうすると手相の移り変わりがわかるからと私に説明してくれた。

私はそこまでやらなかったけれども、毎日乗る朝のコミュニティバス的な公共の乗り物に乗る時、暇さえあれば手相を眺めてた。

そんな風だったから、自分の手相がたしかに変わることもわかったし、それぞれどんな意味があるのか思いを巡らすのも楽しかった。

今みたいに携帯があるわけではなかったし(連絡用の携帯しかなかった)、景色を見たりもしたけれど、他に娯楽的なものもなかったから、自分の手を眺めるのはある意味毎日楽しめる娯楽だった。

自分で書いてて変な趣味と思ったけれど、当時はそれが日常だった。

だから手相で何か判断材料となるもの、今や未来のヒントになるものを求めて、朝早く新宿の町で整理券もらうために並んだんだと思う。

あの頃からは想像もできない今になっている。

もう早朝に並んでまで手相を見てもらうことも、朝の新宿の吉野家で納豆定食を食べることもないけれど、その時の空気感はなんとなく覚えてる。

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