2017年12月5日火曜日

真夜中の料理分析

真夜中に目が覚めてしまった。
こういう時は、ボーッとしながら読めるブログをさらさら読み流すのが好きだ。
最近は調べ物のちょっとヘビーなブログが続いたから、久しぶりに料理ブログを覗いた。
とりあえず気になったタイトルのものをパッと開いて見た。
「ていねいな暮らし」を謳うブログ。
そこは料亭かと思うようなごはんの写真が掲載されていた。
しかも、その日が特別なんじゃなくて毎日がそんな風らしく、しかも私が最初に見たのは作り置きで決して一緒に食べるためのご飯ではなかった。
何品ものおかずとそれぞれを小鉢や小皿に入れて、普通にちょっといいとこのランチで3千円くらいの御膳みたいな様相だった。
真っ先に思ったのは、「これを食べる人、疲れないのかな」ということだった。
抜け目のない盛り付けに料理、なんなら難易度すっごく高い飾り切りまでしている。
どのぐらいかと言えば、りんごの皮を5ミリほどのギンガムチェック柄に仕上げる凄さ。
これが作り置きとは思えないすごいクオリティ。
豪華さや完璧さ、そんなのばかりが写真からは伝わって、もちろんそんなのは私の主観だけど、この料理って食べたらホッとできるのかななんて余計なお世話的な疑問を抱いた。
写真だけでお腹いっぱいになる感じの料理が毎日で、普通にカップラーメンとかジャンクフードが逆に食べたくなる、そんな感じさえした。

ふと一人暮らしの頃の自分の料理を思い出した。
色んな友達がうちに泊まりや遊びに来てくれて、特に泊まりの時は私はようやく外食できるー‼︎と心の中でガッツポーズしてたりしたけど、一応相手には「何が食べたい?」と毎回どの人にも聞いた。
「ぶっしーのごはん」
という回答率の高さと言ったらなかった。
ぶっしーごはんは毎回名もなき料理たちが並ぶ。
しかも味見はもちろんするけれど、手作りゆえ失敗することもある(食べれる範疇と判断しそのまま出してた)。
下手すると、相手の食べたそうなものじゃなく私が食べたいものやその時ハマりまくって食べてるものを出したりする。
それでもリクエストしてもらえるありがたさだった。
2人の友達は、具体的に何がどう良いかを言葉にして教えてくれたことがある。
食べててホッとする、心と体が喜ぶ、そんな感じらしい。
特別感や豪華さは皆無だけど、確かにホッとする感覚はあるかもしれない。
ありふれた食材とありふれた普通の調味料とで作られる。
ある時、アナウンサーから神職に転職せざるを得なかった方からお話を聞くことがあった。
その方は今沖縄にいて、沖縄の人たちの方言で「料理に気持ちを込める、愛情を込める」というような言い方があるという話をされた。
そういうのは食べると体がきちんとわかるというようなことを言っていられた。
私の料理がそんな崇高なものかどうかはさておき、確かに相手がいる時は「美味しく作ろう」ぐらいは思う。
まぁ作ってる最中はバタバタするから、そんなことさえ忘れてるけど。
今自分の料理や友達の家に行って友達が作ってくれた料理の写真を見返していた。
冒頭の料理家の写真にはない雰囲気は少なくとも感じ取れるぐらいにはあった。

見た目よりも相手を思う気持ち、そんなのはなんとなく感じられた。

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