2017年12月25日月曜日

自画自賛


今日こそは部屋を片付けてしまおう!と意気込みを持って片付け始めたのはいいけれど、順番を間違えた。

その時に自分がいた場所から一番近い段ボールを開けたのが運の尽き。

その中には自分が気に入って買った食器たちが入っているとばかり思っていた。

ところが開けて見たら、中は日記や過去のスケジュール帳、人からもらった手紙、自分が書いた手紙…そんなものたちが中心の箱で、見始めたらもう片付けはどこ吹く風状態になってしまった。

さすがに片付ける前よりも始めた後の方が散らかり出して、今日は一旦やめた。

読むこともやめたし、こうして書きたいことは先に書くことにした。

 

色んなものを過去に手放したけれど、私はスケジュール帳やノート、手紙なんかは全部取っておいてある。

あとスクラップノートなるものがあって、それは何をスクラップするかと言えば。

人からプレゼントされた時のパッケージや包装紙、そこに小さなメッセージが添えられていればそれも一緒に。

家族旅行で泊まった宿の夕食のお品書きとか。

思い出の瞬間を切り取って貼っておく。

これはかさばらないし、思い出も残せるから、自分で思い付いた方法と言えどもとても良い方法だと思う。

これを他の人にも紹介したことがあって、その人からもものすごく誉められた。

ちなみにその方は自分の子どもたちが書いた絵や手紙、写真を中心に貼ったそうだ。

そしてその方が人生で一番追い込まれた時(裁判・警察沙汰になったほどの出来事に巻き込まれた)、そのスクラップブックを抱きしめていくつもの夜を乗り越えたと後日教えてくれた。

それが自分のお守りになってくれたともその方は言っていた。

写真のスクラップブックはたしか2代目のスクラップブックだと思うけれど、このスクラップブックには他にもストーリーがある。

表紙を飾っているシールたちは、ある企業のマスコットキャラクターとのこと。

朝活で知り合った人がその企業に当時勤めていて、いつだったかの飲み会の席でそのシールをたまたま持っていて配ってくれた。

自分もそのデザインを考えたとのことで、細かいストーリーは忘れたけれど、その時の楽しい思い出はうすぼんやりと記憶に残っている。

そのシールは長いこと私は大切に保管していた。

何に使うか全く使い道が思い付かず、どこかのタイミングで使うようになるまで待とうと決めていた。

それでそのスクラップブック(100均で購入)を使い始める時、表紙が素っ気ないからそこで「そうだ、あのシールを貼ろう!」と思い付いて貼った。

そのシールは一生残しておきたかったから、スクラップブックはそういう意味でもってこいの場所だった。

シールをくれた本人にもそのことをメールで知らせた。

こんな風に使うことになったということとそのお礼と。

そうしたら反対に本人からもお礼のメールがきた。

その人はそのシールの大企業は中途で退職して、自分の夢を叶えるために奥さんと一緒に実家のある県へ戻った。

その人の実家は薬局を経営していて、夢を叶えるまでの仕事として実家の薬局を手伝っていた(今もしていると思う)。

私が連絡した時というのは、全国で初めての薬局とあるお店とを組み合わせた店をオープンさせた時で、その人はそこの店長さんとして動き出したばかりとのことだった。

社内の朝礼なのかそういう類いのちょっとしたコミュニケーションの場で、その人は「最近あったいいこと」をみんなでシェアするというのをちょうど始めたらしい。

そんな時に私がそのシールの話をメールでしたから、それをそのまま「最近あったいいこと」として話した、本当に良いタイミングだったことを教えてもらった。

そういうストーリーもついているスクラップブックになっている。

 

40年近く生きていれば、色んな荷物が増えていく。

一般的な片付けの方法を紹介する雑誌や本では、そうした手紙とか紙ベースのものは本当に残したいものだけ残してあとは処分しましょう的な方法を紹介していることが多い。

私はそれを見るたびに毎回違和感を覚えていた。

本当の本当に、その時のことを思い出せる手掛かりとなるもの、それが手紙やスケジュール帳のような類いは、本当に不要なら捨てたらいいと思うけれど、そうでなかったら私は残しておくことのメリットを声を大にして言いたい。

たしかに物理的にはかさばる。

だけれど、その時のことはもうその時にしか存在しない。

例えば今の私が10年前の28歳の自分に戻って、当時の記憶をたどりながら当時の気持ちを書いたり当時あった出来事を見たまま感じたままに書いて残すなんていうことはもうできない。

10年前と変わらない感性もあれば、10年後の今では全く違う感性となっているものもある。

その時のことはその時にしかやっぱり残せないようになっている。

その時その瞬間に見た風景は、もうその時にしか見えない。

その時に交わした会話も、その時限りの会話。

どんなに記憶力が良い人でも、そんな毎日の色んなことは憶えていられないだろう。

私は片付けることも時間も忘れて、それらに没頭して読みふけっていた。

色んなことが鮮明に思い出されたり、忘れていても大事なシーンは甦ってきた。

そしてそれを残そうと決めたこれまでの自分の選択にただただ感心した。

捨てずに残そうと決めた過去の自分から今の自分にプレゼントされたような気分だった。

みんながみんなそれをしたらいいとは言わないけれど、残すことでうんと後になってからそれらがかけがえのないものに変わっていることは間違いない。

私は自分の老後の楽しみとして、自分が残したものたちを風通しの良い部屋でこの木のテーブルで美味しいお茶やコーヒー・お菓子と共に眺めるというのがある。

想像するだけで、どれだけ楽しい老後の余暇かと思う。

それは雨や雪が降って外に出たくないような日でさえも楽しめる。

年老いてからもそんなことしてたら暇になる時がない気さえしている。

 

日を改めて自分の書いた一言日記や、仕事の時の研修で書記係をして残しておいたノートに書かれていたものを紹介しようと思っている。

特に仕事の研修の時のノートは、まさに「生きる知恵」が書き連ねてあった。

それはとても素晴らしいものだから、私が独り占めするんじゃなくて、他の人も目に触れるこの場で紹介したら、そのノートは今以上に活躍の場を増やすことになる。

そういう機会を与えられる方が、そのノートも喜ぶような気がしている。

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