2017年12月19日火曜日

新しい家


新しい家に引っ越しをした。

ものすごく心配されていた天気は(新潟県ほぼ全域に暴風雪警報発令)、引っ越しの時には粉雪が舞う程度で、荷物をすべて運び終わったら大雨や本格的な雪に見舞われた。

とにかく天気にはものすごく恵まれて、奇跡の強運をみんなで発揮した。

今の家が人生で一番ハイテクな家になっているけれど、これまでそんなにハイテクな家に住んでいなかったから、まずは機械音痴な人間は機械に踊らされている。

母が「なんでもかんでも機械と対話するのがこの家の基本だ」と言ったから、今日の初お風呂のお湯を浴槽に張る際、私は「通話」と書かれたボタンを押した。

「お話し下さい」的な文字が表示されたから、私は画面に向かって「お風呂にお湯を張って下さい」と大真面目に話しかけた。

超ハイテクな機械なら、ロボットのように音声を認識して勝手にその通りに機械が作動するのかと思っていた。

だけど待てど暮らせどお湯が出てくる気配がない。

画面の表示もずっと同じまま。

そこでようやく「通話」ボタンは機械とお話するための機能ではないことを悟り、私は他のボタンたちを眺めてようやくお風呂のお湯を張るためのボタンを見つけた。

一事が万事こんな具合で、明日からのごはんとかはどうなるんだろう?といきなり暗雲がたちこめている(万年ガス生活からIHデビュー)。

 

新しい家に入って1つ即決断したことがある。

大量の荷物を見て、大幅な断捨離を決行することを改めて決断した。

入る前から荷物が多いなぁとは思っていたけれど、実際に入ってみて自分で自分の荷物が管理できないぐらいに物が増えていることに気付いた。

ここにそんなにはもう長く住まないだろうことも何となく自分の中にある。

いつかは出ることになる。

その出る時に、本当に大真面目に自分の軽の車の中に全部積めるぐらいの荷物にしたいと思っている。

木のテーブルだけはさすがに入らないから送るにしても、それ以外はすべてを含めて段ボール数箱にする。

それは過去の思い出的なものも含めて数箱がいい。

そしてそれまでに、どこに何があって、この段ボールにはこういうものがあって…という持ち物を全て把握できるように、そこまでの量に軽減したい。

本も「この本とこの本を持っている」とすべての本についてすらすらと言える位の量。

身につける衣類もその量に。

多くのものを持っているよりも、少なくてもそれらすべてを愛でる、愛着を持ってものたちに接する、そういう生き方に私は憧れている。

1人暮らしの時、ある時来てくれた友達がとても嬉しいことを言ってくれたことがある。

「ぶっしーの家には(物が少ないのに)全部ある!」

私にとっては最高の褒め言葉だった。

多くを所有しても、ものをものとして扱えないのは悲しい。

そのものを持っていたことさえ忘れることも好きではない。

やっぱり自分がこれを好きだから持っていると堂々と言える状態に仕上げていくことが理想だなと思う。

今、実は書きながら時々手を止めて、自分のすぐ隣りにある段ボールの中から1つ1つ物を取り出してはそれを今日以降どうするかを決めている。

手元に残す・今回手放す・誰かにあげる・売る・何かしらの形で手放すちょっと特殊なもの(パワーストーンとか、人からもらったお守りとか)、そんな風にして分けている。

やっていて、それは意外と楽しい作業であることにも気付いた。

すごく今さらだけれど、縁あって私のところに来たはずの物なのに、私の管理不行き届きで手放さないといけない今、ようやくその物と真剣に向き合えている、自分の罪滅ぼしも含めての行為にしても、それがやっていて楽しい。

そしてこういう作業を繰り返すとよくわかる。

特定の物を自分の生活の中に取り込む時、その前によく考えるようになる。

そして物と向き合うようになる。

「欲しい」ではなく「本当に欲しいのか」とか。

その物を自分の生活に取りこむと、自分の生活がどんな風になるのか想像するとか。

当たり前のことですごく大切なことなのに、私はそういうことをすぐに忘れる。

忘れて物を増やして反省して…の繰り返し。

でも、少しずつ少しずつレベルアップしている気がする。

少なくとも10年前の私よりもうんと物を大切に扱えるようになったし、選ぶようになった。

たった今、届いてから多分2ヶ月もしくは3ヶ月ぶりに初めて開けたものがある。

今はやりの結婚式の引き出物で、自分でギフトを選ぶもの。

(書いていて、まだ頼んでいないもう1つ別のカタログギフトがあったのに、それが今どこにあるのかすぐには見つからないということにも気付いた 汗)。

私はすり鉢を頼んだ。

割れものだから、仮住まいで開ける気がなく、それで開けるタイミングが今になった。

実物を見てすごく感動した。

本当に「これだ!」という一品が手元に来ていた。

しかも1つ1つ手作りだと但し書きがついていた。

これはまた自分主体の暮らしになった時に使うものとして、未来の楽しみにとっておくことにした。

このすり鉢を誰と一緒に囲むのかな…なんて考えるとそれだけで楽しい。

すり鉢としてはかなり小さいから、そこに何か和風のおかずを盛り付けて出すんだろうなぁと思う。

このすり鉢からどんなストーリーが生み出されるのかと考えると、それだけで今の私には十分楽しい。

こんな風にして物と付き合えると、私自身もとても満たされる。

自分の持ち物を大切にできるというのは、自分を大切にできることと繋がっている気がするから。

長いこと自分を大切にできなかった私にとって、こういう些細なことでも自分を大切にする行為は、それだけで自分の中の価値観がうんと上昇する。

「物を大切にする=自分を大切にできている」って思えるから、もしかしたらこの手放し作業も楽しいのかもしれない。

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