2019年3月20日水曜日

奇跡の果実* Lesson8『【自分を知ること】で自分を癒す』




奇跡の果実(22)40歳の誕生日、心が決壊した日(☆)
↑リンク飛びます

上の話の続き。

40歳の誕生日当日にfacebook開けたら、いきなり友達の第二子出産の投稿を見て、超ショックやら虚しさやらやり切れなさやらを存分に味わった後の話。

生物学的には子を産めるのに、それを使っていない自分への罪悪感をはじめ、自分の女としての生きる道や女としての部分へのダメ出しを猛烈に始めた。

さぁダメ出しを始めようか!ではなく、自動的に反応して「なんで自分は結婚もできず、子も産めず、かと言って社会的に活動してるわけでもなく、何をしているんだろう自分は…」とどんどんネガティブ思考にはまっていった。

もう凄いぐらいのネガティブ思考だった。

しかもそれだけではなく、もう1つ大きなテーマ(お金にまつわること)も同じ日にやってきて、自分で自分の首をこれ以上ないぐらいに絞めた。

まるで生き殺しの刑( ̄ཀ ̄;;)…。

そこからどうやって自分を癒したか、そのプロセスを紹介。

あくまでも私のやり方なので、良いなぁとかできそうだなぁとかいうところをヒントにしてもらえたら嬉しいです!

あと、この後に紹介する方法や考え方は、とりあえず自分の感情をこれ以上ないぐらいに感じた後のプロセスです。

その部分をかっ飛ばすと自分がもっと傷付いてしまうので、苦しくて悶絶しそうだけど、自分のためにちゃんと苦しんであげてください。

それすると、自分の奥の方が満たされて、時間の経過と共に楽になります!



◯「自分が本当に欲しいものって何だろう?」
と自分に聞く

私の例を挙げてこの後具体的なプロセスの説明をするけれど、その前にこの質問を自分にする時のコツについて。

1つは、手に入れてないとかできてないとか、そういう部分はとりあえず無視して、【質問にだけ集中すること!】

例えば、「結婚できてないから私はダメなんだ」になると、そのダメなところには目が向いても「結婚の先に私は何を求めているんだろう?」の部分が全く見えなくなる。

この質問は、「私は何を求めているんだろう?」を知ることが目的だから、そこにいちいち余計な思考をくっつけると進まないどころかアリ地獄状態になって、ドツボにはまって出られなくなる( ̄∀ ̄;)。

だから、余計なことはとりあえず考えずに質問にだけ集中することが大事。

もう1つは、フツフツと感情が湧いて出てきたら、ひとまず考えることは後でもできるから、出てきた気持ちを感じてあげること!

感情や感覚は何をキッカケに出てくるかはわからないから、出てきた時は無視せずに感じてあげる方が絶対に良い。

これから説明することは、言葉だけ読むとすごいスムーズだけど、渦中にいた頃の私は何回もビービー泣いてたし、ノート閉じて目も閉じて体を横にしてひたすら感情の嵐が過ぎ去るのを待ったり、コーヒー淹れたりして気分転換したり。

なので、一気にやると言うよりも、のらりくらり自分の心の状態や許容スペースを見ながら進めることが私は大切だと思っている。



この質問「自分が本当に欲しいものって何だろう?」の最終目標は、
【自分の欲の奥にある本当に満たしたい感情に目を向けること】
【本当に欲しいもの(=特定の感情)が何かを知ること】
になる。

私はそこで止めたけれども、もっとやりたい人は、本当に欲しいものが何かわかったら、その欲しいものを満たすために他の方法や手段がないかをチェックして、そしてやれることがあればやったらいいと思う。

そしてやれることは、自分1人でできることが望ましい。

例えば「結婚する」とかにしちゃうと、相手なしでは無理なことになってしまう。

でも、自分の心を満たすために「誰かと一緒に住んでると想定してお気に入りの皿を探しに行く」なら1人でもできる。
(↑何年もそういうことをしてた人( ̄∀ ̄;))



私の時の例。

「好きな人と結婚して、その人との子どもが欲しかった」
    ↓
「何で子どもが欲しいんだろう?」
    ↓
「子どもを持つことで、私は何を持てるんだろう?」
    ↓
「1日1日、瞬間瞬間、違うもので成り立っていて、それがとてつもなく面白い」
    ↓
「そういう一期一会の瞬間が毎日の生活の中に欲しい」

こんな風にして、自分が本当に求めているものが何かを知ることで、執着の矛先が「結婚・出産・子ども」から逸れて、代わりに自分の求めている気持ちや感覚を知れるようになる。

それを知ったからと言って状況が好転したりとか、パートナーを引き寄せたりとかじゃない。

だけど、自分に向き合うことで自分が楽になれたり、息が詰まりそうなほど苦しかったのがだいぶ落ち着く。

自分の心の状態を安定させたり緩和させたりする目的が大きい。



▷寄り道話だけど、すごいヒントになったこと

誕生日の翌日の夜ぐらいに、私はすごい発見をした。

ホロスコープの中で「金星」は女性、「火星」は男性を表すとされている。

誰しもが生まれた瞬間のホロスコープに金星も火星も含んでいる。

だから、1人の人の中に女性的な面も男性的な面も両方含まれる。

生物学上「女」であっても、男性性とされる行動力とか情熱とか勇気とかがある。

反対に生物学上「男」であっても、女性性とされる美的感覚とか自分の内側にある愛とか甘えたい気持ちとかがある。

人間である以上は、どちらの性であっても色んな面を持ってのその人になる。

話を戻して金星と火星の話。

私の金星は水瓶座で、火星は魚座になる。

12星座は色んな区分があるけれど、その1つに男性サインと女性サインの2つの要素に分けて解釈する理論がある。

水瓶座は男性サインで、魚座は女性サインになる。

だから、私は女性を表す金星が男性サインで、男性を表す火星が女性サインになる。

いわば、あべこべな組み合わせが私の中にあるということ。
(これに限らず、ものすごいたくさんのあべこべな組み合わせを私は自分のホロスコープの中に持っている←生きづらさの原因の1つだと感じる)

これの超わかりやすい例を思いついた。

梅沢富美男みたいな篠原涼子が私の金星で、
乙葉みたいな松岡修造が私の火星になる。

超個性が強くて相容れない2人がセットになって金星なり火星になっている。

特に乙葉みたいな松岡修造は本当に強烈だと思う。

そう考えた時に、乙葉の良さも松岡修造の良さも両方取って、両方を活かすあり方を模索するのが大事なんだなと思った。

そして、それに気付いた時に、ずっと避けていた自分のホロスコープの金星について目を向けてみようと考えた。

これが私を癒すプロセスを一気に加速させてくれることになった。



私が金星を苦手としていた理由はいくつかある。

一般的に占星術の教科書やサイトで説明されている「金星」は、「恋愛、美、お金、美的センス、金銭感覚、愛、ファッション、求愛活動、芸術、快楽、恋人、魅力、人間関係」などを表すとされている。

恋愛もお金もファッションも、とにかく私にとって苦手なことばかりが含まれる金星は、触りたくないテーマナンバー1だった。

占星術では制限とか訓練とか責任を意味する土星は全体的に嫌われがちだけど、私は土星の方がよほど自分にとっては扱いやすいテーマに感じている。

しかも私の土星は、オカルト的な感覚を整えるという意味もあって、自分に直で関係することだから、かなり真面目に取り組んでいるテーマだと思う。

今回のように、妊娠とかお金とかいう自分を揺さぶるぐらいの出来事が起こった時に、いつまでも無視もしていられないから嫌だけど向き合うか…とやっと少し心を決めた。

まず驚いたのが、金星の意味を探っていくうちに、あるサイトで目からウロコの意味が示されていた。

金星を【自尊心・存在価値】として見ていくとあった。

他の苦手な意味たちはとりあえず脇に置いて、自尊心や存在価値として金星を見ることはできそう!と思った。

そうやって自分の金星の性質を見た時に、これまでとは全く別の視点で自分のことを見ることができた。

天変地異並みに金星の意味が変わったし、そしてその金星の意味こそ私そのものだった。

この後話が続くけれど、その中で手にしたメッセージを先に2つ紹介。



◯何をどうやったって、自分は自分でしか埋められない

◯【自分を知ること】で自分を癒す



私は自分の金星の意味を調べた。

そうした時に出てきたキーワードが
・大局的な視野で情報をキャッチする
・俯瞰的な見方、そしてそれに基づいて道筋を立てる
・五感をフル活用しての情報収集
→常識や社会規範ではなく、自分の感覚重視
・自分の欲しいものにターゲットを絞って情報収集する
・自分のところに集まった情報を役立たせる
・予定通りにいかない時はその場で臨機応変に対応する
・効率重視
・冷静に物事を見る
・記号やサインを読み解く

この性質を知って、ものすごく納得した。

私は上に書いたようなことに「美」を感じるし、そこに価値を置いたり見出したりしている。

そして気付かされた。

私がいかに狭い視野で、もっと言うと社会的に主流となっている価値観で物事を見ていたのかということ。

「金星」とか「恋愛」と言われると、どうも私は勝手にキラキラしたものを思い浮かべて、淡いピンクが好きでフワッとしたそれこそ乙葉さんや原田知世さんみたいな女性や、きれいな黒木瞳さんとか、そういうものを思い浮かべてばかりいたから、自分の本質とは異なるものを追い求めようとしていた。

「美」と言われると、とっさに化粧品とか服とかアクセサリーとかの小物とか、そういうのを思いついていた(←こちらもかなり興味関心が低い)。

でも実際の私は、情報収集だの俯瞰的な視野だの自由な発想力だのに価値を感じて惹かれる。

化粧品に見向きもしなくても、情報収集に欠かせない書きやすいノートやペンだのは必死で探し回るし、色々な製品を試して使いやすいものを追求する。

そういうことは自分が気になるポイントだから、自然体でずっと追求できる。

「美を研究しよう!」なんて思わなくても、勝手に気になることは調べるし、そしてそういう自分を私はものすごく自然に無意識に自分の中に取り入れていた。

そういう自分を受け取っていて、受容どころか大活用している。

「女性性」の中に「受け取ること」も含まれている。

私は受け取り下手で甘え下手だと思っていたけれど、自分の美意識に適ったことならじゃんじゃん受け取っている。

受け取り下手ではなくて、「特定の分野」に対して受け取り下手なのであって、全くもってすべて苦手ということではなかったんだと知った。

自分を着飾るとか、恋愛で女子力を超発揮するとか、世間一般で認識されているような女子力は本当に低いけれども、自分の美意識の視点から見ると私はめちゃくちゃ金星力が高い☆*:.。.\(*⁰▿⁰*)/.。.:*☆

他にも私の金星力として、「記号やサインを読み解く」というのがある。

カードの絵柄からメッセージを読み解くとか、星の動きと今の自分を重ね合わせて読み解くとか、本の中で心に残った言葉をノートに書き写すとか、そういうことはものすごくしている。

じゃなきゃ、ノートを100冊以上も所持するわけない。←知識・情報命の人!

『あぁ私これで良かったんだ』
と初めて本当に心の底から思えた。

だからこんな風に情報発信することも書くことも自分の中でやたらとテンションが上がる。

自分が有益だと感じる情報を表現・発信することも、私の金星のテーマにある。

こうしたことを知って、ずっと苦手意識しかなかった金星が、突然身近なものに感じられるようになった。



このことに気付いたことで、もう1つ大きな変化があった。

嫌味ではなくいつもちょこちょこ小さく引っかかっていたことで、男の人たちから「頭が良い」と褒められるといつも微妙な気持ちがコッソリと湧いていた。

相手は褒めてくれてるし、そんなの素直に受け取っておけばいい。

もちろん「ありがとう」とは言っていたし、本当に私の何を見てそんな風に思ってくれるのかは知らないけれど、ありがたいはありがたい。

だけど、どこか素直に喜べない自分がいたのも本当だった。

それも、この金星だの女性性だのの外からの情報を鵜呑みにしていたことと関係していた。

私の思い込みの1つに、男の人たちというのは自分よりも相手の方が少しバカだったり劣っていたりする方がかわいいとか良いと思ってくれる、という無意識の思い込みがあった。

実際に、私の方が何か秀でていてあからさまに嫌な顔をする男の人たちもいたから、余計とその思い込みは強くなった。

今思えば、そんな器の小さい人たちは無視しておけば良かったのに、私も私で自分に自信がないから、相手の反応1つで自分の評価もコロコロ変動する心の弱さがあった。

でもそれも私の思い込みで、周りの人たちは純粋に私の何かを見てそのように評価してくれていた。

もしそれが私の執念のような情報収集によるものなら、そういう意味で特定の分野にはたしかに長けてはいるから、だからそう言われたのかなと思う。

私の地頭は昔に比べたら相当良くなったけれども基本は頭の良い人じゃない。

一般教養なんてさせたら末恐ろしいことになる。

で、何が言いたかったかと言えば、もうそういう勘違いをしなくていいということ。

自分の美意識のポイントが1つわかったから、それにかかることで褒められたら、これからはもっともっと素直に喜べる。



今回書いているテーマに関して、昨日今日で出てきた言葉をそのまま紹介したい。

自分がノートに書いたままを転記する。


◯女性性ー色んな生き方があっていいんだ。
すっごい落ち込んで色々ダメすぎるかもしれない生き方でも一生懸命生きてる。それでいい。それ「が」いいとは言えなくても、今のままでもそれもありだよって自分に言えるようになった。

◯自分の人生に恋する、自分の人生と恋に落ちる


ーー レッスン(完)ーー


[写真説明]
40歳の誕生日に自分に買ったお花。
2日後の朝に写真を撮ったら、朝日がきれいに差し込んだ幻想的な写真が撮れた♪٩((*⁰▿⁰*))۶♪




【私サイド】
(これから書くことはレッスン本編と同時進行だったけれども、レッスンではありません。言うなれば「私信」)


「女性性」と言われる度にドキッとしていた私。

結婚・妊娠・出産はもう魔のワードとしか思えないぐらいにタブーワードだった。

女としての自分はどうなってるんだ?と自分を責めるようにして思っていて、女であることの楽しさまで捨て去ろうとしていた。

でも、そんなに自分いじめをしなくていいなと思った。

今回気付かされたのが、たしかに自分の感情が引き出されたきっかけ(友達の出産を知る)は自分にとって目を伏せたいものだったけれども、今回気付いて良かったということ。

自分の気持ちを隠していることにさえ気付かず、平気じゃないのに平気なフリしてずっと流していたら大爆発した。
(丸一日は本当に廃人のごとく落ちまくっていた)

今回まずは溜め込んだ感情が大爆発して、そして「癒さないとまずい( ̄ཀ ̄;;)」となって、そして金星の新しい解釈が手に入って、そこからスルスルと色んなことがほどかれていった。

そして、細かく見ていくうちに自分の気持ちがどんどん癒されていった。

バラバラの自分の声を拾うことで自分を1つにできた気分だった。

これは他の部分にも波紋が及んだ。

私はその友達の出産のfacebook投稿を見た時、もう1つ、もう会えそうにもない人をずっとずっと忘れられなくて何ならますます存在が自分の中で大きくなって、そんな風に想ってるのもいかがなものかと思った。
(負のエネルギーの伝導率の高さと速さと言ったらない((((;゚Д゚))))))))

数えられないぐらいの回数、自分にずっとずっと言い続けていた。

私なんか相手にするわけない、って。

色々不釣り合いで、対等になんかなれないとか、っていうか相手は私のごはんの誘いを断って転勤でいなくなってそのままだとか。

こんな不毛なことにエネルギー使っても結婚もできないし、何にも発展しないよとか。

そういう言葉を毎日毎日呪いのように唱え続けていて、自分の中でも相手を大切に感じる気持ちと絶望とが行き来していた、この1年半以上毎日。

そしてそのfacebook投稿を見たことにより、その辺りもますますマイナスに働いて、自分をものすごく否定した。

ひっそりと自分の誕生日を1つの区切りに考えていた私は「ほらやっぱりね。縁なんかなかったんだよ」と思った。

それが他のことが癒されたおかげでそこも変わった。

ホワイトデーの日だった。

ホワイトデー、いくら義理と言えども社内で配ったりしてるんだろうか…とか想像した。

そんなのは私の余計な想像だからいいとして、その日の午後、どう考えても仕事をしている時間に絶対にその人しか読まないだろうなぁという記事がいくつか読まれていると知った。

どういう理由で読んだのかは知らないけれど、少なくとも私のブログが優先されたこと、そこに時間を割いてもいいと本人の中で許可が出ていることに、私は本当の本当に繋がりを心から感じられた。

去年の6月に体のエネルギーを整えてもらうヒーリングを受けた時のこと。

自分の意識の状態は寝落ちする時みたいな感じだったけれど、その時にたった1つだけはっきりと自分の中に出てきたものがあった。

「生きる世界が違う」

閉じた目から涙が何粒か頰を伝って流れた。

本当に強烈だった。

私はその時に「一緒に生きていけない」と解釈した。

生きる世界があまりに違いすぎて、交わりそうにもなかった。

その頃にはもうオカルト要素が色々人生に入り込んでいて、自分の体質にも気付き始めていたから、自分のこれから関わる世界は相当特殊なのかな…という予感はあった。

その人がいる世界は、1は1だし、プラスはプラス、マイナスはマイナス、それぞれがはっきりとしている。

私の見ている世界は、1は有限にもなれば無限にもなり、はたまた蛇足にもなればラッキーアイテムにもなって、いくらでも解釈の幅が広がる。

その人がいる場所が「社会」だとするなら、私がいる場所は「オカルトな怪しい世界」になる。

それがあったから、「生きる世界が違う」と感じた時に、私にはその人とのことに関しては絶望しかなかった。

11月の初旬に木星がさそり座から射手座に移動した時、第二の「やっぱりダメだった」絶望が来た。

占星術を知らなければスルーできたけれど、占星術を知ったからスルーできなかった。

さそり座は、12星座の中で「破壊と再生」「変容」にまつわることを一番強くテーマとして持っている。

天体たちは今、人生の中で必要なものしか残さない時代の流れを生み出し続けている。

11月の木星移動時に、まずは不要なものを手放しさせられる流れにあった。

私自身もそうだった。

その時、これから何年と会えないと思っていた友達との再会がその丁度切り替わる前日に実現したこともあって、余計とその人との繋がりのなさが決定的となった。

今繋がらないということは、もう繋がらないんだと、そうは思いたくなくてもそうだった。

明日に控えた春分は、またその不要なものは根こそぎ排除される流れが強くて、それはこれから2020年に行くまで徹底的に繰り返されて、最後は本当に必要なものだけが残る流れがますます加速する。

だから、私は先週の誕生日から明日の春分の日までが1つのヤマ場だと思って見ていた。

これはラストチャンスみたいな感じもあった。

ここで本当に何も繋がらないなら、もう自分の中を本気で整理しなきゃいけない流れが来るだろうことは予想できた。

そのタイミングで男性の紹介の話まできたから、余計と私は焦った。

その話をブログに書いたあたりから誕生日近くにかけて「もしかして…」と思うことが増えた。

そしてホワイトデーの辺りに本当に繋がってる、と確信できた。

それはその人の仕事の仕方を知っているからだった。

私からしたら異例だった。

実際は有給だったのかもしれないけれど、もし仕事中なら仕事よりも私のブログが優先されたことになる。

その人は基本的にそういうことはしない。

人が見てないような所さえも手抜きをせず基本をしっかりと守る人だから、勤務中に私のブログを開くとは考えにくい。

だけどどういうわけかチェックしていたのはわかったから、そしてそのチェックされたものを見て、私は過去最高に繋がりを感じることができた。

その日の記録に書いている。
(最近はすごいサボり気味だったから、重要なことだけを書くようにしている)

X 一緒に生きていけない
◯ ちがっていても共に生きていける

むしろ違っていることが財産だとさえ感じる。



話は飛んで昨日3/19の朝。

金星と女性性とその他自分の生き方や考え方、気持ちを癒しまくって1週間ほど経った。

「◯◯さんと一緒にいたいと思った気持ちまで否定しなくていい」

ポロッと出てきた。

そう思うことさえダメな気がしていたから、それは叶う叶わないじゃなくて、自分の気持ちのままでいいんじゃないかと思った。

自分の気持ちを本当に真っ直ぐ受け止めたい、せめて私だけはその気持ちを否定せずに真っ直ぐ受け入れたい、そう思った。

そして今日は今日でこんな風に朝書いてる。

「これまで縁がないことが正解
→誰かと結婚していたら◯◯さんには出逢えなかった」

「◯◯さんがどうであっても、私の気持ちは変わらない。
それがはっきりとわかった。
連絡くれないから嫌だとかあきらめるとかそれは違う。
連絡なかろうが私の中にあるものは変わらない。」

私はその人と現実的に見える形で繋がっていなくても、自分がどれだけ助けられているかを知っている。

思い出の中に生きるとかいうのとは全く異なっていて、その人に出逢えたことで私が得たものは、これから死ぬまで自分が持ち続けるものをずっと支えてくれる一番の根幹となる部分にあるもの。

それがわかったこともあって、今日起きたらあれだけ繋がってる繋がってないが気になっていた執着・執念みたいなのが、今日だけかもだけど、ずいぶんと薄まった。

それよりも私はこれから幕が明ける2019年そして2020年に向けて、その人の存在を本当に実感できるその心の部分がものすごく心強い。

繋がりを本当に感じられることで、もっと自分のことに集中できる。

そういうことまで感じられるぐらいに、私は癒された。

見えるものがすべてではない世界に生きている今、見えない部分でいかに繋がることができるか、その貴重さを感じ始めている。

とにかくこの大きな切り替わりのタイミングで繋がりを実感できたことはとっても大きい。

この1年半の間で1番のプレゼントだと言ってもいいぐらい。

色々キツイことのオンパレードだった中で最後に来たものは、私にとっての絶対の正解だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿