2019年3月12日火曜日

奇跡の果実* Lesson6『ネガティブな自分との自己対話』

昨日40歳の誕生日を無事迎え、非常に前向きで明るい側面と、その反対の超絶暗い、どこまでも暗い闇の面と、その両方がやってきた。

40歳という世間的に全くめでたくない年齢になったにも関わらず、色んな人たちからお祝いのメッセージをいただいて、この上なく人に恵まれている自分というものを改めて確認できた。

ところが、マイナスがデカすぎてそちらを受け止めきれず、プラスもかすむぐらいになってしまった。

ただ今、マイナスと絶賛対話中( ̄ཀ ̄;;)。

これは第三者へのレッスンというよりも、自分自身に向けてのメッセージの備忘録という感じ。

書いている方が幾分気が楽になれるのもあるから、ここで出てきたメッセージたちを紹介。(『奇跡の果実』シリーズを書いている時に出てきたメッセージたちもいくつか組み合わせてここで紹介します)

ちなみに、マイナスの引き金となった出来事そのものは小さい。

死者の魂ご登場みたいなそんなぶっ飛んだことではなく、誰にでも1つや2つあるようなこと。

内容をいつかアップするのかしないのかはわからないけれども、とりあえず概要だけ言うと。

>大元の原因
↓↓↓
【自分の中の小さな違和感を無視していた】

>具体的にあったこと
↓↓↓
・自分がこれまで一生懸命に積み重ねてきた自分なりの努力を自分の手で壊してしまったこと(すっごい自己嫌悪に陥った)。
自分への裏切り行為みたいで本当に自分が嫌になった。

・人の人生と自分の人生を比べて、自分にないものを見て、自分の生き方にものすごく疑問を持ってしまったこと。
私は自分が欲しいと思ったものに対して、努力したんだろうか?とか、そのためのことを自分のためにきちんとしたんだろうか?とか、色々自分に対して責めるような、自分の生き方を認められないような、そういう気持ちが湧きまくった。(←酷かった)
自分が持ってるものもあるのに、それさえも見えなくなるぐらいに、かなり衝撃の大きい比較だった。

・きちんと手にできているものを見ようとしない自分を見て、さらに自己嫌悪が募ったこと。
自分が望んだ形でないものを否定する自分の中の気持ちが本当に苦しくて仕方なかった。

というようなことたちと今も変わらずに向き合っているけれども(なぜなら無視したら、絶対にヤバいやつだから)、その中で私がこれから先大切にしたいポイントを紹介。

ポイントの前に、何よりも大事なのは、
【自分の中にあるものをきちんと感じてあげること】

小さな違和感たちを無視したというか、その時々で流しまくったら、塵も積もれば山となるで、とんでもないモンスターに成長してた。
( ̄ཀ ̄;;)( ´Д`)~=3=3( ̄ཀ ̄;;)( ´Д`)~=3=3

小さな違和感たちは、きちんとその時々で私に「それ違うよ!」って教えてくれてる。

違うから違和感なんだけど、違和感と向き合う方が色々と面倒に感じることもあるわけで、それを繰り返すと私の今みたいに自爆テロが投下される。

自爆テロが起こった時はもう自分を責めても仕方ないから、そのことに向き合う方が良い。



今回のLessonは、自己対話の中でも、特にネガティブとされる方の自分との自己対話。

「ネガティブ」はどんな風に解釈してもらってもOKで、一例として

・ネガティブな感情(怒り、自己否定、自己卑下、無価値観、嫉妬、妬みなど)を持った時の自分

・ネガティブな出来事、自分にとって困った又は嫌な出来事に遭遇した時

・よく原因はわからないけれども、自分が苦しくなったりモヤモヤしたりしている時

そういうものたちと対峙した時に、嫌な感覚になる・ネガティブになる自分との自己対話に対してのLesson。



Lesson for ネガティブな自分との自己対話
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*自分の痛みを受け止めるところからスタート

*自分の感情を愛でる
→どんな感情もあってOK
→どんな感情も大事なものだと認識する

*自分の中でゴミみたいになっている感情に気付いてあげること

*痛みを伴うものは、そこに向き合えるようになるまで時間をかけてあげること
急かさずに待ってあげること

*ポジティブな方にフォーカスする
(※ポジティブシンキングをしよう!というのとは、全く別物です)

*向き合うことで大切なメッセージがやってくる

*一気に解決しようとしない

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ここから先は具体的な解説。



【自分の痛みを受け止めるところからスタート】

まずは何はともあれ、自分の中で疼いている痛みや違和感に気付くこと、そしてそのものを無視しないこと。

それは、痛みたちの居場所を自分の中に作ってあげることに繋がる。

どこかに追いやろうとすればするほど、痛みや違和感は気付いて欲しくて、それに気付くまでひたすら色んな形でサインを送ってくる。

そうするともっと具合が悪くなるから、「痛みさんようこそ☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆」ぐらいで迎え入れないと、その後はもっと辛い。
(現実的には☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆なんてなるわけなく、( ̄ཀ ̄;;)とか\\\٩(๑`^´๑)۶////とか…)

私も無視したいぐらいに最初は嫌だったけれども、心決めて向き合うってなってからの方が、とりあえず楽にはなれた。

何1つ解決していなくても、向き合おうとせず抵抗したり逃げたりする、そのことに自分の力を使わなくなって良くなったから、そこが楽になれた。

逃げたり抵抗したりする方が体力も気力も使う。

さっさと降参してその不毛な戦いから抜けて、自分に寄り添う方が絶対に精神衛生上良い!



【自分の感情を愛でる】
→どんな感情もあってOK
→どんな感情も大事なものだと認識する

これとても大事なことで、基本的に感情にはポジティブもネガティブもない。

そんなのは人間側が勝手に決めつけて分類、線引きしたもので、本来はすべての感情は必要があって存在しているとされる。

『怒り』を見たらわかるけれど、例えば自分が絶対にされたくないことを誰かからされて、そんな時に「怒りとは悪いものだから持たないようにします」なんて馬鹿なことを言ってる場合じゃない。
(※「怒りを避けろ!」「怒るのは損」みたいな本や教えは本気でヤバいと私は思ってる)

嫌なことされた時にそれに対して、相手に言う言わないは別にしても、自分が自分のために怒ることはめちゃくちゃ大事で、それは自分しか自分のために怒れない。

怒るのは、自分が大切にしている何かが危ない目に遭っているから。

そんなのは怒らなきゃいけない。

無視するもしくは抑えつけるなんてとんでもない。

妬みとか恨みとか、相手に向けるのは違うけれども、そうした感情を抱いてしまう自分が出てきた時は、その自分を否定しないことが私はものすごく大事だと思っている。

『自分の感情を愛でる』ことの根底にある考え方として、
・どんな感情もあってOKだということ
・どんな感情も大事なものだということ
この2つが挙げられる。

怒ってはダメ、人を羨んではダメ…なんていう風にしていると、自分の中で消化不良を起こす。

今回の私で言えば、自分が持ってないもの、しかも自分が喉から手が出るほどに欲しいものを持ってる人を見て、私は羨ましくて仕方なかったし、それを持っていない自分のみじめさと言ったらなかった。

そんな時、もし私が「人を羨ましく思ってはダメ」とか「自分をみじめに思うなんてネガティブだからダメ」とか思ったら、そう感じてしまっている自分をどうしたらいいんだろう?

ないことには絶対にできない。

そしてその自分をどこかに追いやってしまったのなら、そういう自分はますます居場所を失くしてしまう。

それはさらなる二次災害を自分自身にもたらすこと必須だから、自分のためにやめた方がいい。

だから、どんな感情があっても、それは自然派生するものだから、それはAll OK!

そして、怒るのも羨ましさもみじめさもそれぞれ必要があって起こるもので、どれも大切なもの。

怒ることの奥には、自分が何を大切に思っているのかのヒントがある。

羨ましさには、自分が何を欲しているのか、自分の望みを教えてくれるヒントが隠されている。

話すと長くなるから今回は説明しないけれど、究極のところ、何が欲しいかってある特定の感情を満たすことが欲しいものの最終形になる。

わかりやすいところで言うと、「お金が欲しい」の先には、お金を得ることでの安心感とかが欲しいものだったりする。

みじめさというのは、裏を返すと、みじめになりたくない→自分の中に理想があるということ。

それと相反するからみじめな気分になる。

みじめさの反対には自分の理想や望みがある。

だから、どんな感情も必ずもう1つ別のものがセットで付いているから、だからダメなものなんてないし、どんなにネガティブに見えるものでも大事な何かを教えてくれるヒントになっている。



【自分の中でゴミみたいになっている感情に気付いてあげること】

上の話と相反するみたいに聞こえるかもしれないけれど、ここは別の話として読んで欲しい。

例えば私が、昨日誰かと自分の人生を比較して、ずっとずっと羨ましくて、羨ましくなればなるほど自分がみじめになったとする。

じゃあそのみじめな気持ちをずっと持ち続けたらいいかと言えば、持ち続けていても苦しいだけで自分にとってプラスにはならない。

みじめな理由や根本原因を探るのは大切だけれど、そこにいつまでも固執していても自分が苦しくなるだけになる。

そういう部分を私は「ゴミ」と呼んでいる。

そこに気付くと、とりあえず何かしらは変化する。

気付くだけで癒しのプロセスを引き起こすことも往々にしてある。



【痛みを伴うものは、そこに向き合えるようになるまで時間をかけてあげること
急かさずに待ってあげること】

これはもう言葉の通り。

痛みを伴う時に、いきなり一気に解決しようとしても難しい。

心は体と違って、痛み止めがない。

だから痛みは向き合える分だけ向き合って、私なんかはしばらくは放置する。

また向き合える時が来たら、またその時に向き合う。

急かしても仕方ないから、ひたすら待つ。

そのうち、ずっと悩み続けることの方が嫌になって向き合えたりする。

もしくは、問題が出てきて向き合わざるを得ないこともある。

だけど、どんな時も自分に無理がないように、向き合うために時間をかけてあげること。



【ポジティブな方にフォーカスする】
(※ポジティブシンキングをしよう!というのとは、全く別物です)

「ポジティブ」と書いたけれど、これが「喜び」でも「気持ちが軽くなる方」でも「心地良い方」でも、一番しっくりくる感覚のものに置き換えて考えてもらえたらOK。

何かネガティブなことや問題に向き合う時、それに対して最低でも2つは必ず方法がある。

選ぶ選ばないは別にして、選択肢は必ず2つ以上ある。

いくつか前の記事に書いたけれど、私の中でとてもお世話になった方のお願いを断るというのは、基本的にしてはいけないことだと思っている。

だけど先月私は、「お願いを引き受ける代わりに自分が精神的にめちゃくちゃ気分が重たくなってしまう」ことと、「断るのはすごく勇気がいるけれども、自分を守るためには断る」こととの2つを天秤にかけなければいけない事態に見舞われた。

前者の場合、自分が本当に気分が重たくなってその重たい気分や悩みに四六時中支配されるだろうこともわかっていた。

反対に、断るのはものすごく勇気が要ることではあったけれども、断りさえすれば、重たいものに自分が影響を受け続けることは避けられるとわかっていた。

私は後者を取った。

自分がより軽くなれるもの、心地良くいられるものを選んだ。



この視点に関してもう1つ。

どうしても向き合いたくないことに直面したとする。

その時は究極の質問を自分にする。

とりあえずするのは質問だけで、行動はその後の話。

「向き合うことで、少しでも前進できる、もしくは苦しい感じが少しでも薄れてくれるか」
vs
「向き合わないことで、その重たくて苦しい感覚をこれからもずっと保ち続けたいか」

その2つを比べる。

特に後者は「嫌っ」となるぐらいに想像してみるのがオススメ( ̄∀ ̄)!

潜在意識側に「それは嫌だ」と入ると、今度はその不快感満載のことを何とかしようとする動きが出てくる。

今すぐ向き合うということではなく、とにかく自分が楽になれる方法、自分が苦しまなくて済む方法に自分の視点が移っていくことが大切だから、だから本当にその強烈に嫌な状態を自分が続けたいのかどうかを自分に聞くのは大事。



【向き合うことで大切なメッセージがやってくる】

向き合っていると、ふとヒントがくる。

自分の中から来ることもあれば、外側から、本や広告、たまたま耳にした歌の歌詞、人との会話とか、まぁ色んな方法でくる。

昨日から今日にかけて私のところに来たのは、「自分の違和感に気付く」というのと「自分で決められる」だった。

まだまだ解決してないから、私はまたその痛いところを見ていくけれども、とりあえず今は痛みを無視しなくなったし、そうした痛みの元になっているものたちに対しても「自分が決められる」ものがあることにも気付き始めてる。



【一気に解決しようとしない】

昨日は一気に何とかしようとして、もっともっともっと大変になった((((;゚Д゚)))))))。

さすがに無理だと気付いてそれはあきらめた。

そして、色んなことが絡まり合っていたから、1つ1つ別個にしてそれぞれを少しずつ見ていくやり方に変えた。

だいたい10年ぐらい抱えてるようなものも中にはあるわけで、そんなの今日の1日で全部解決しようなんて考えること自体に無理がある。
(にも関わらず、苦しすぎて一気に何とかしたくはなったけれど( ̄∀ ̄;))

だから今は少しずつ気が向いたり何か思い浮かんだ時に、悪魔のノートのようなノートに自分のネガティブな気持ちを書き出している。



最後に。

何日か前に自分で読み解いた『3月のメッセージ』がまさに!ということになってるから、再度掲載。


☆☆☆3月のメッセージ☆☆☆

【全体的なテーマ】
◎束縛・苦痛・何度も繰り返す自分が苦しくなるパターンなどからの解放
◎傷の癒し(魂レベルの傷)
◎自分の最もコアな部分(=コアな心の芯の部分)の癒しと再構築(又は再編成)
◎自分の基盤の整備・強化
↓↓↓
これらの作業やテーマを経て、ますます自分の感覚に基づいた自分だけの価値観や自分だけの感覚が育っていく。
その新しく育った感覚が、これからの7年間に大きく影響していく。


【具体的なヒント】
・この場合の傷は、今現在だけではなく、過去から繰り返し起きていることや自分の中で根深いものとなっている心の傷を特に指している。過去世からの傷も含まれる。

・固定観念や過去からずっと信じ込んでいるものが自分を動けなくさせている場合があるから、「他の方法や他の考え方はないかな?」と思ってみるところから始めると良い。

・癒しに関して、必要なヒントやアドバイスは、色んな形でもたらされる。

・自分にとって安全な場所や安息できる場所を見つける。それは物理的な場所だけじゃなくて、心にとっても安心安全でいられるポイントを探す。

・魂レベルでの痛みや傷を解放していく時期に入っている。
(強烈な出来事を伴う場合もあるけれども、どんな時も希望を持ち続けることが大事!)

・流れに身を任せる。無理矢理自分で道を拓くよりも、今目の前にやってきたチャンスややってきた出来事に身を置いてみる方が、よりスムーズに物事が運ぶ可能性が高い。

・人生において喜びを感じられない部分を癒す時。

・【楽しい、喜び、快、愛情を感じるもの】というようなことを基準にして選ぶ。
例えば、心の傷を癒すにしても、どうでも苦しくなる方法を取らなくても、気持ちを少しでも軽くしてくれるものとか、自分がそれに触れていると心安らぐとか、そういう方法を選んであげるといいかなと。

・「快か不快か」どちらかを選べという時は、「快」の方を選んでいく。
仕事の関係とか家庭環境なんかで選べない状況の時には、その状況に自分の身を置くことに対して「自分は何てダメなんだ」じゃなくて、「自分がんばってるね」と自分をねぎらう、自分にやさしくする!

特に普段から「自分は何やってんだ!」「自分って何でダメなんだろう」とかダメ出ししまくりな人、そういう自己否定の傾向が強い人ほど、【自分にやさしくする】ことを本気で自分のためにやってあげて下さい。自分しかそれはやってあげられません!

・長い目で見て、より自分にとって良いものを選んでいく

・1つのことにとらわれないあり方を選んでいくこと。絶対にこのやり方じゃなきゃダメ!なんていう風にすると、自分の首が絞まる。

・自分で自分のしあわせを創っていく。

・自分にとって好ましい方法で物事を進めていく。

・「好ましい方法」という中に「逃げる」が含まれる場合、ケースバイケースだけれども、「楽だから逃げる」はこの時期絶対にやめた方がいい。それすると、後からもっと問題が拡大して、もっと自分が痛手を負うことになったり、自分の首を自ら絞めることになるから勧めない。
少しでもいいから、目の前の問題や出来事に積極的に関わるという中で「好ましい方法」を選んでいく。

・3月6日に天王星が牡羊座から牡牛座に完全に移行することで、ますます五感の感覚が生きていく上でものすごく大事になっていく。損得勘定とかで判断せずに、「自分はどういう方法だと心地良いか?気持ち良く過ごせるか?少しでもリラックスして緊迫した状況に向かっていけるか?」というような視点で見ていく、選んでいく。

・大事なものを自分の手で守って育てていく。
この場合の「大事なもの」は【自分の基盤、自分の大切な人たち】。

・自分の本音や気持ちを信頼できる他者と共有する。
「信頼できる他者」の「信頼」の部分が、これまでの人間関係においての価値観とは違う価値観になる場合もある。
(下の【備考】の話を参考にして下さい)

・キーワードの中に「セレンディピティ」と出たので、ウィキペディアからそのまま引用。

《素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。》

(以下3点は『Daily Guidance オラクルカード』のガイドブックより)

・「ひとつのことにとらわれないあり方を選ぶことによって、より良い結果がもたらされる」

・「緊張感、そして『何でも自分でしなければならない』という気持ちを捨てれば、ものごとはよりうまくいく」

・人とのかかわり合いの中で、権力闘争的な状況はできるだけ避ける。自らが宿す力を認めれば、あえて勝ち取るものではないことが理解できる。

【備考】
魂レベルの痛みや傷とは…

自分の人生において繰り返し起きるパターンなど。

例えば私であれば、これまでは「お世話になった人に対してはきちんと仁義を果たさないといけない」みたいな、忠誠心的な気持ちが強かった。
お世話になったらその分きちんとお返しをする、自分にできることはする、というやり方を続けていた。
ところが今回、そうもいかず、Oさんからのお願いはますます専門的になるわ、私自身はもう本当にどこから言われたくない言葉がやってくるかわからず気持ちが本当に弱り切ってしまったりと、このままにはしておけない状況になってしまった。
そこで、新しい選択「自分が言える範囲でOさんに自分の気持ちを伝えること」と「お世話になった人から頼まれたことを断ること」を取り込んだ。
するまでもだしその話の最中も死ぬほど怖かったけれども、それをしたことで自分自身がすごく軽くなれたのと、そして何よりも「別の方法や考え方がある」ということを実体験を通じて感じられるようになった。
しかも、「そうしよう!」と決めた後から、周りの人たちからヒントや励まし、アドバイスをもらえたりして、本当にたくさん助けてもらえた。
ちなみにこれ、Oさんだけではなく、過去にもものすごい似たようなパターンで繰り返し私の場合は起こっていて、これまでは逃げるかさりげなくその関係から徐々に離れるというやり方を取っていた。
この辺りが参考になれば幸いです。

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