2019年3月18日月曜日

奇跡の果実* Lesson7『カルマの解消』




(写真説明)
1枚目:こんな風にノートに都度都度思い浮かんだことを書いといて、それを見てブログを書いてる[←自分やってるよアピール( ̄∀ ̄)]

2枚目:いつか載せようと思ってずっと忘れていた、私のテーブルの上のお気に入りスペース。毎朝机をセットしたら、右上の方にメキシコ産の手作り刺繍布を敷いて、そこに自分の大切なものたちをのせる。
左上にルノルマンカードを置いているけれども、その下は個人情報だから隠してるだけで本当は別のお守り的なものを置いている。

その隣りの茶色のカード、スピ力満載のメッセージ。スピ色濃すぎて普通ならスルーするけれど、同じ言葉を書いた女性がそれで自分の魂的なお仕事を始めたという記事を見て、それで真似して書いた。
こんな言葉1つ書いてそんなことになったら苦労しんわ!と思って、冷やかし半分で書いた。
たしか書いてしばらくしたら、山で行方不明になった人をペンジュラムで探して欲しいと依頼がきて、そして今のこの『奇跡の果実』にまで繋がった(O_O)!
それでバカにできないと思って飾り続けてる。

3枚目:普段の様子。ここから『奇跡の果実』が発信されてる。



【カルマの解消】

「カルマ」と聞いて、みんなは何を思い浮かべるんだろう?

スピリチュアル全般が苦手だった私は、「カルマ」も「インナーチャイルド」も「宇宙の法則」も、そういうスピリチュアルあるある的な言葉もとっても苦手で、それは今現在も苦手なままだとつい最近気付いた。

名古屋で数々のスピリチュアル系のぶっ飛んだ勉強会だのワークショップだのに行った時のこと。

そういうのに興味ある人たちの集まりなわけで、そういうところに行くと聞き慣れないスピリチュアル用語がオンパレードする。

「カルマがね…」「カルマの解消が…」「前世から引き継いでるカルマが…」とか、普通に口にしてる人たちがけっこういる。

私は心の中でかなりドン引きしていて、「カルマ」という言葉を聞くだけで、「なにそれ?」といつも心の中で毒付いていた。

これは私の超勝手な自己判断だけど、本当のスピリチュアリズムを実践されている方、その真髄をわかりやすい言葉で説明できる方というのは、基本的にスピリチュアル用語を使わない。

カルマでも業でもいいけれど、そういう言葉を使わない。

個人的に良いなと思った方たちに共通しているのは、誰が聞いてもわかりやすい尚且つ変な抵抗の生まれない言葉を使って説明していること。

そして、その話は知識だけではなく実践に基づいて話されている。

だから、私みたいなアンチスピリチュアルな人間がそうした勉強会に行っても抵抗なく普通に話が聞けたのは、そういう情報提供される講師の方々の言葉のセンスと生き方のセンスのおかげだと思っている。

そうした会はいいけれども、そういうところに行くと必ずいるのが、変な風にスピリチュアル用語かぶれを起こしている人。

そしてそういう人たちに限って、スッキリしている雰囲気が皆無で、今の現状の問題をすべて見えない世界の耳かじった情報のせいにして、その上っ面だけの薄っぺらい理解を軸にとても都合の良いように解釈されている。

ますます私なんかは、顔はニコニコしながら心の中ではドン引いていた。

何回か『奇跡の果実』の中で【前世療法】とか【過去世】という言葉を使っている。

一応私の中では線引きがあって、スピリチュアル用語でも自分が納得している内容のものは使うし、そうでないものは使わない。

ちなみに前世療法は、名古屋のSさんが前世療法に出会ってその話を私にしてくれなければ、一生毛嫌いしていたかと思う。

1年前のホロスコープ鑑定の鑑定士さんに出会うまで、私はそもそも前世でも過去世でもどちらも苦手どころか毛嫌いワードの1つだった。

前世や過去世があるということを疑うとかはなかった。

普通に生まれ変わりとかあるんだろうなぁとは思っていたけれども、私は前世は前世、今世は今世、前世のことは前世で死に終えているからすでに終わって完了しているテーマと捉えていた。
(今現在は色んなことを経て捉え方が変わった)

そう考えていた当時の私の元に現れる前世かぶれな人たちは、「前世で果たせなかった想いがあるから今世この人と出逢ったのよ」と不倫肯定的な発言とか、「前世でも因縁の関係だったから今世でも親子関係が劣悪なんだ」と今の問題を前世のせいにしたりとか、なんかもう絵に描いたように責任転嫁をしていた。

不倫でも構わないから「あの人が大好きで仕方ないの。相手に家庭があるってわかっていても、自分も家庭があるってわかっていても、気持ちが止まらない」と言ってくれる方が、私なんかはよほど気持ち良く話が聞ける。

もしくは、さんざん親子なり家族なりでお互いに向き合って色んなセラピーやカウンセリングも受けてそれでもどうにもならなかった時に「前世療法受けようと思って」と言われたら、私もその気持ちを応援したくなる。

とにかく、前世療法は最初から受けるものじゃないと思っていて、今の現実に向き合えるだけ向き合って、それでも解決しないこと・自分の中で解消されない想いがある時に初めて効力を発揮するものだと思う。

Sさんが教えてくれた前世療法は、そういう感触をものすごく感じた。

そしてSさん自身が本当に色んな形でセラピーでもワークショップでも受けられて、日々色々自分に向き合われて、それでも尚解決しない自分の中の言葉にできない部分を見た時に、初めて「前世療法」の扉が開いた。

Sさんは前世療法で過去世を生きた自分に会いに行ってそこで今の自分に必要なメッセージ的なものを求めている、もしくは自分の中で答えとして欲しいものをそこから受け取りたい、そういう想いに溢れている。

そこで全て解決することを求めているのではなく、より自分を知ること、今世で果たしたい自分の魂の想いを知る糸口が欲しいこと、そういう風に見えるから、話を聞いていても嫌な感じは一切しないし、言葉の1つ1つが私の中にも響くし、そういう捉え方もできることに感動や可能性さえ感じる。

Sさんのそのあり方は私の中の前世療法のイメージをガラッと変えてくれた。

過去世に対して抵抗がなくなったきっかけは、1年前のホロスコープ鑑定にあった。

その時に、鑑定士さんは私に2つのことを教えてくれた。

1つは、過去世でも使っていた自分の資質。

もう1つは、今世でも知り合えた、過去世で繋がっていたと思われる人の存在。

その2つを教えてもらえたことで、私の中の意味不明でバラバラにしか見えなかった数々の過去の体験が1つの物語として繋がった。

この感覚は超重要で、私はどちらも教えてもらえて良かったと感じている。

(注釈:ホロスコープ鑑定のサービスの中に「過去世を伝える」ことは含まれていない。鑑定士さんいわく、伝える必要がある時、その情報が鑑定士さんにもたらされ、それで当人に伝えることになるのだと話されていた。
だから、意図して伝えることはできなくて、魂レベルで必要性が生じると、私みたいに過去世の情報がもたらされるようになってるとのことだった。)

私がここに来て過去世にも目を向けるようになったのは、ペンジュラムの存在が大きい。

ペンジュラムは、私が人生で初めて何の練習も前知識もない中で、いきなり使えただけではなく超使いこなせたものだった。

何でもかんでも人の倍以上努力しないことには何もできなかった私にとって、ペンジュラムの使いこなし方は驚異的だった。

人様は数万円の受講料を払ってでも使えるようになるために習いに行くのに、私は習ってもないのにいきなり普通に使うだけではなく、相当高度な使い方まで即できたから、何で?とは思っていた。

それが過去世でも使っていたことに起因していると知って、ものすごく合点がいった。

今回の記事のカルマの話の後に、今度は延び延びになっていた「自分の才能・資質の見つけ方」について詳しく触れたいと思っているけれど、先に1つだけさっと話してしまいたい。

(追記:才能・資質の話は、もう少し先に延びそう…。別の記事が先にアップされると思う)

こういうのが才能というか生まれた時から備わっていたことなんだろう、と思うことを1つ紹介したい。

私がそもそも【癒しのレシピ】と呼んでいる、各個人の人に合わせたその人だけの癒しのヒントを引き出すその手法を思いつく大元となったものは、一瞬だけ見たペンジュラムの動画の中にあった。

ペンジュラムを持つようになって2年弱になる頃、一度だけ私はペンジュラム協会みたいなところが出している、ペンジュラムの使い方を説明している基礎動画を見た。

単に、一般的にはペンジュラムの使い方をどんな風に教えられているのか、自分と同じところ違うところ、そういったことを知りたくなって、それで見たに過ぎなかった。

4〜5分程度の短い動画で細かいところは全部忘れたけれど、唯一説明もないただの背景部分に私は強烈に惹きつけられた。

紙に円が描かれていて、その中に人が体を丸くしたような、それこそ赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいるみたいな図柄で、その上にペンジュラムをかざしている画像だった。

時間にして2〜3秒程度だったと思う。

特に説明もなく、すぐに画面は切り替わった。

だけど、私はその場面が強烈に残って、そしてふと「人の身体にペンジュラムをかざしてその人の不具合とかわかるのかも…」と思った。

そこからもっと具体的な方法で、その不具合部分の特定だけじゃなく、そのことに関してどのようなアプローチができるのか、その情報の引き出し方まで私はぽんぽんと思い付いた。

実際にそれを試して、何年も医者通いしても治らなかった体の症状が良くなった人がいた。

何をしたって、私は単にその人専用の癒しのレシピを書いて送っただけだった。

しかも医者でも医療関係者でもない私が体を治せるわけもなく、その症状が良くなったのはその人自身の潜在意識や魂からこうすると良いよという情報が私の元にやってきて、それを言葉に起こして返したに過ぎない。

あくまで予想だけど、あのひらめき方は多分過去世で何かしらその手法を知っていて使っていたんだと思った。

そうした資質は、努力なしでいける。

変な言い方だけど、やり方を「知ってる」。

基礎が最初から出来上がっている。

何一つ専門的な勉強をしたことがないくせして、いきなりひらめく。

そしてひらめいたものを形にできるし、さらには他の人たちにも役立たせることができる。

そうしたことを経て、私は「過去世」だとか「過去世から引き継がれたもの」というものを自然と受け取れるようになった。

ちなみに、1年前のホロスコープ鑑定の時に、「書くこと」も別の過去世でしていたらしいことを教えてもらったから、こうして書くことが苦にならないのも過去世とかで紐解けるから面白い。

かなり長い前置きになったけれど、そういう体験や何か自分にピッタリとくる説明がないと、私なんかは相変わらずスピリチュアル的なものを受け付けられない、そういうタイプの人間だということをあえて今回は言いたかった。

そして、そういうベースの私が、今自分の中で理解している「カルマの解消」の話をこれからしたい。

何せ毛嫌いしていただけあって、私は「カルマ」の意味もきちんと調べたことがなければ、「カルマの解消法」なんて知ろうとさえしなかった。

その私が、この10ヶ月ほどで「カルマの解消」に目を向けた理由と、自分なりに時間を経て「これが“カルマの解消”ってやつかも…」と思ったこと、そして実際にやったことをこれから書きたい。



その前に、1つ。

「カルマ」に関してわかりやすく説明してくれてる文章があるから先にそれを紹介。

私が人生で出会った一番すごいヒーラーさんの教えで、名前は「藤本明伸」さんという。

通称アキ(Aki)先生に師事された長谷マリさんという方が、先生から学んだ教えを本にしてくれていて、そこから抜粋する。

非常に残念ながら、アキ先生が今どうされているのかは私は知らない。

私は妹が紹介してくれた当時東京でヒーリングをされていた女性からの紹介で、アキ先生のセミナーに3回参加した。
(この女性は、私が30歳の時に名古屋の会社に内定が出たけれども行く行かないで迷っていた時に背中を押してくれた方だった)

アキ先生は本気で凄い実力者で、目の前で具合の悪い人を手かざしで治すし、見ただけでその人が抱えている問題をズバリ言い当ててその解決策を伝えるしで、凄すぎた。

Amazonで今見たら、本が中古で出ていた。

本当の本当に良書だから「癒し」とか「ヒーリング」に興味のある方は是非チェックしてみて下さい!

中は物語風もしくは質疑応答形式で読みやすいし、行間は広いし字も普通から大きめサイズです。

全て「長谷マリ」さんが著者で、私が何度も読んでいる本は
・『ヒーラーへの道』
他に持っているのが
・『本質を観る』第一巻・第二巻

今回のカルマは、『本質を観る』の第一巻より。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「カルマ」は「因果」と同じです。
原因と結果です。

例えば、
「氷を溶かすと水になる」
「肉体は滅びると塵になる」
「良い意味を与えると、良い結果を得る」

・・・それだけのことで何の意味も価値もありません。

貴方が意味や価値を与えるのです。


カルマの本当の法則は、
「貴方がバランスすると思えばバランスする」です。

貴方が蜜柑一つをもらったとしましょう。
貴方はどう考えるでしょう。
蜜柑一つをもらったのだから、
蜜柑二つを返さないと申し訳ない。

蜜柑一つをもらったのだから、
他の物(例えばリンゴを一つ)を返さなければならない。

蜜柑一つをもらったのだから、
一生恩に着なければならない。

・・・どれでも良いのです。
貴方が決めるのです。

法律が決めるのでも、神様が決めるのでもありません。
他の誰でもなく、貴方が決めるのです。

常識であろうと無かろうと、
貴方が良しとすればそれで良しなのです。
それがカルマのバランスです。

「カルマ」と「カルマのバランス」は別の物です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



【カルマに向き合おうと思った理由】

まずは、この10ヶ月ほどで「カルマの膿出し」に目を向けた【理由】に触れたい。

これは単純に私が信頼している方たちから立て続けに言われたからだった。

去年の5月から占星術講座を月1で合計7回受けに行ったけれど、その時の先生から初回の5月に「今、武士俣さんはカルマ的な膿出しの時期です」と言われた。

未だにその見方はよくわからないけれど、先生は少なくとも私のホロスコープを見てそう言った。

占星術を学ぶとわかるけれど、占星術は天体の動きや配置からその時その時の状態を読み解いた学問だから、ゆるふわスピリチュアル的な要素は皆無になる。

「占い」という漢字が含まれるけれど、占いとも全然違う。

占星術と言われて、毎朝の朝番組でしている12星座カウントダウンみたいなのを思い浮かべたらとんでもない(←私は最初占星術が何かわかってなかった時は、星占いの延長だと思っていた)。

読み解き方は千差万別でも、怪しいスピリチュアルみたいな根拠のないとりあえず耳触りの良い言葉だけを並べることもなければ、占いカウントダウン的に「今日の1位は魚座のあなた」みたいな軽いノリもない。

むしろ知れば知るほど、自分自身や自分の人生の設定を突き付けられるから、強烈極まりない。

話は戻って、私の占星術の先生は本当に超論理的に説明してくれる先生ゆえ、表現方法は何かしらの根拠に基づいてのものになる。

「うーん、なんとなくカルマかしら?」みたいなことは言わない。

はっきりと「武士俣さんの今のホロスコープを見ると、“カルマ的な膿出し”が先かな…という感じなんだよね」と私の顔ではなく、先生の携帯に入っているホロスコープアプリを見て話される。

先生は、占星術の専門知識を持って解読した内容を言ってるにしか過ぎない。

だから私はその言葉を無視できなかった。

カルマが何を指すのかは知らなくても、何かしら自分の中に積年もしくは世代を超えて引き継がれている負の要素に向き合わないといけないんだろうなぁと思った。

翌月に、今度はヒーラーのOさんが同じことを私に言ってきた。

「これからしばらく大変になります。
過去世から来ている膿出しをするから、しばらく苦しいことが色々出てくると思います」

ーー2人の全く別の人たちからそう言われるということは、今本当に取り組まないといけないことなんだと思う。ーー

と当時のブログに私は書いていたけれど、まさにそうだった。

Oさんも先生も私を怖がらせるために言っていない。

ただ必要なこと、今私が重点的に取り組まないといけないテーマについて言われたに過ぎなかった。

だから、「カルマ的な膿出し」が具体的に何を指すかは知らないけれど、何かしら自分の中にある苦しいテーマと向き合わざるを得ないんだろうなぁということだけは感じた。

「カルマ的な膿出し」なんて言葉を聞いただけでオェーッ( ̄ཀ ̄;;)ってなるし、やりたいとは1ミリも思えなかったけれど、それでも異分野の専門家たちがそんなことをさらりと口にするもんだから、もう避けては通れない、やらなきゃいけないんだろうなぁ…というのがあった。



【“カルマ的な膿出し”とは?ーー私の考察】

「カルマの解消」として書こうと思ったけれども、私の中で「カルマ的な膿出し」の方がしっくりくるから、そちらの言葉で説明。

(タイトルを『カルマの解消』にしたのは、そちらの方が情報を必要とする人たちに届く気がしたから。)

占星術の先生とヒーラーのOさんに言われた「カルマ的な膿出し」をした方が良いのはわかったけれど、じゃあ具体的にそれが何を指すのかがわからなかった。

このことを書くにあたり今初めてネット検索したけれど、少し見ただけで吐き気を催しそうだった( ̄ཀ ̄;;)。

スピリチュアルワードたちの乱立っぷりが半端なかった。

アセンション、宇宙の調和、次元上昇、地球の波動、光、愛、業、カルマの摂理、波動が上がる、波動が低い…

自分で書いてても嫌だけど、本気でそういう言葉をたくさん使っても、一般の普通の感覚を持ち合わせている人なら絶対に受け入れられないから!と言いたくなる。

わざとわかりにくい言葉・怪しい言葉で書いても、外国語で何かを説明されるのと一緒ですけど!と思う。

私が習ったスペイン語の先生は、とても素晴らしい教えを私たち生徒に授けてくれた。

「難しい単語を1つ1つ覚えるんじゃなくて、難しい単語の内容を簡単な言葉で説明できる力を付ける方が良い!」

それは何も外国語の習得だけじゃなく、スピリチュアル的な知識の習得や実践でも同じことが言えると私は思っている。

上に書いたものの中で、例えば「波動が上がる」を例に取るなら、「波動が上がる」という言葉を覚えるよりも、「波動が上がるために何をしたらいいのか」を知ってる方が良い。

で、私が10ヶ月前に人生で初めて言われた「カルマ的な膿出し」を今私なりに解釈しているもの。

「カルマ的な膿出し」=「自分の中で繰り返されている負の思考パターンや負の思い込み、勘違いされたままになっている過去の記憶、ねじれとこじらせを発生して自分自身を苦しくさせている感情、それらに気付いてあげること」

そんな風に解釈している。

例えばどういうことかを私の説明を加えて話したい。 

「負の思考パターンや負の思い込み」の1つに、「私は何をするにしてもすぐにはできないだけではなく、人よりも何かを習得するのに倍以上時間がかかる。そしてそうまでしてでも人並みどころか人並み以下しかできない能力の低い人間」というのがある。

もう1つわかりやすいのを示そう( ̄∀ ̄;)。

「私は女としての魅力がないから、モテないし結婚もできない」

その次に「勘違いされたままの記憶」を上の2つの例に当てはめると。
(注釈:わかりやすくするために、かなりストレートにキツく書いてます)

「何をしても時間がかかって、そして本当に努力しても人よりも全然できなかった」とか「自分は無能な人間だ」とか。

「モテないだけではなく、愛されない。私を良いと言ってくれる男の人はこの世に誰もいない」とか。

そこからさらに、ねじれとこじらせの感情が加わるとこうなる。

「無能な私は世の中で役に立つこともできないし、一生何のために生きているのかわからない生き方を続けて当たり前の人生になる」とか。

「私なんか誰にも愛されなくて、このまま一生独り身で、でも暗いオーラを出すとますます人から見離されるから、それは嫌だからわざと平気なふりをしよう」みたいな。

若干わざと書いているところがあるけれど、要は何かしらの過去からの繰り返しや誤った記憶の仕方によって、自分がめちゃくちゃ苦しくなるパターンがある。

まずはそういう自分に気付いてあげることが「カルマ的な膿出し」に繋がると私は思っている。

この後に書くことがまた違う内容だから、そういうものに対して、確実に個人単位でできることを紹介したい。

実は気付くことには2段階必要なことがある。

まずは、今書いた通り、【自分がどんな風に思っていたり感じていたりするかを知ること】。

それに客観的に気付けるようになるだけでもかなり大きい。

その後もうワンステップある。

それが【本当にそうなのかを検証すること】。

どうやって検証するのかというと、「何をするにも私は本当にすぐにできなかった?」ということが本当かどうかを見る。

・ペンジュラムはすぐに使えた。

・昔からそうだけど、今日何食べよう?となった時、冷蔵庫や家にある食材を見てすぐに献立を立てることができる。

・整理整頓は苦手だけど、掃除はプロに習わなくても自分が快適に過ごせる程度には普通にできる。

・トイレ掃除だって、我流だけどきれいにできる。

・「モテない」と言っても、私と付き合った人たちがいるわけで、その人たちは少なくとも私を好いてはくれた。

・モテなくても、友達から「ぶっしー紹介するよ」と言って何人かの男性を紹介された。

・少なくとも、友達は私に誰かを紹介してもいいと思ってくれてる。

とかいう風にして、とにかく客観的事実を挙げていく。

ちなみに超絶NGなのが、「トイレ掃除なんて誰でもできるもん!そんなのできて当たり前!」とか、「紹介されても相手の人がいいと思ってくれなかった。それは私に魅力がないから私は今も独身」とか、そうやって余計な思考を新たに付け足してしまうこと。

それするといつまで経っても自分が癒されないどころかひたすら自分で自分を落とすことになって余計に苦しくなるからやめた方が良い。

私のごちゃごちゃな説明よりも、ヒーラーのOさんが「カルマ的な膿出し」の際、何をしたらいいかを端的に説明してくれた言葉があったからそれを紹介したい。

「武士俣さん、痛みの中に入って下さい。
それはもっと傷付くという意味でもないし、他の人から傷付けてもらうという意味でもありません。
『痛みの中に入る』というのは、すなわち『今逃げてることから向き合う』ということです。
痛みは、逃げてる自分が許せないことで生まれます。
でもその逃げてることっていうのは、魂レベルでは『逃げたくない・向き合いたい・携わりたい』ことなんです。
魂はそれを本気で望んでいます。
それに向き合いたいんです。
だから向き合わないと、痛みが生じてしまうんです。
痛みの中に入って下さい、というのはそういう意味です。
そして入ってしまえば、痛みは消えます」

これも本当は別記事にして解説したいところだけど、今とりあえずすぐ言えることを紹介したい。

この中で大事なのは『今逃げてることから向き合う』だと思う。

何から逃げているのか、多分各自それはわかると思う。

いきなり体当たりしてそこに向かうだとハードルが高いから、とりあえず「逃げてるな」とか「逃げたいんだな」と自分をそのまま客観視するだけでも全然違う。

逃げてるだけじゃなく、目を覆ってしまうとそのことはますます怖いことになったり、向き合うことすら億劫になってもっと別の逃げ道を作りやすい。

だから、「逃げてる」とか「逃げたいと思っている」、これくらいシンプルに自分を理解することから始めるのが良い。

この後詳しく書くけれど、心の癖や思考パターンの癖を何とかしたいと思ったら、とにかく気長に地道にコツコツと少しずつ向き合える時に向き合うことが大切!!!

間違っても、すぐに結果を求めたり、一瞬で変わるとか、そういう期待はしない方が賢明だし、そんなことしても上手くいかない。

ゆっくりでいいから、本当にできることから少しずつやっていくのがいい。



【“カルマの膿出し”をやると良い理由】

これからカルマの膿出しに取り組むと良い理由を説明。

これは私がやってみての「メリット」だなぁと感じたこと。

そもそも痛みや苦しいものに目を向けるなんて、必要に迫られない限りしない。

そして、そうしたものは避けられるものなら避けたいのも人間だと思う。

ただ、それをすることのメリットがわかれば、取り組む時にモチベーションも上がるかな…と私は思う。

むしろ私がそれをすることのメリットを知りたかった。

メリットがわかれば、渦中の強烈苦しくて何でこんなことしてる?みたいな気持ちになった時に(←これは手応えを感じるまでは私はかなりなった)、その目的を思い出せて良いと思う。

休憩しながら取り組むので全く問題ない。

だけど、せっかく取り組んだらある程度手応えを感じるまではやり続けた方が絶対に自分のためには良い!!!

小休止・大休止しながらでも、自分のために続けてあげるのが超自分の癒しになるから、私は続けることを声を大にして推奨する!

だから、やり続けるためのモチベーションとして、私自身が「これそうだよね〜!」と思うものを思いつく限り紹介。

(余談だけど、「思いつく限り紹介」とか言って大盤振る舞いで情報を外に発信する自分のことはすごい好きだったりする 笑←こういう自分になってきたのも、カルマの膿出しによって得たもの!)


==カルマの膿出しをするメリット==
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

・自分が生きやすくなる

・自分の中で繰り返されている苦しくなるパターンから解放される
(渦中は強烈だけど、苦しいゆえに方法を必死で探すし、そしてそのうち抜けてくる)

・ネガティブなパターンに気付くことで、これまでのネガティブなパターンとは違う選択ができるようになる

・ネガティブなパターンから卒業できるようになる

・良い悪いで自分の悪しきパターンや自分自身を罰しなくなる

・色んな自分がいても、その自分で生きていこう!という覚悟みたいなものが芽生えてくる(がんばらなくても、自然発芽する感じ)

・自己肯定感が高まる
(一番の方法は、ダメな自分をとことん受け入れること!)

・カルマの膿出しをすることで、本当の自分の姿、性格、本音、心の声、願い、望みとかが見えてくる(気付けるようになる)

・自分の才能や資質に気付けるようになる

・(才能・資質に関して)過去世でも使っていたと思われるもので今世でも使えるものを思い出して使えるようになる

・自分の価値基準を大切にできるようになる
(世の中の価値観や世間体に基づいたような価値観に惑わされなくなる)

・バラバラだった自分が1つになっていく

・人生で自分が向き合うべきテーマがどんどんはっきりしてくる
(どこに繋がるのかはその時わからなくても、後々めちゃくちゃ大事なことにはなっていく!)

・自己信頼、要は自分を信じる力が高まる

・自分に対して安心できる、自分といることに心からくつろげるようになってくる

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


カルマの膿出しをする前の私は、上に書いたメリットと真逆のことをひたすら体験していた。

生きづらくて、常に苦しいパターンの中に自分の身を置いて、自分へのジャッジがきつく、すなわち自己否定もバンバンやりまくり、才能なんて何だそれ?状態で、自分のことも自分を取り囲む世界のことも信じることができなかった。

息苦しくて当たり前のことをひたすら自分に与えていた( ̄ཀ ̄;;)。

もちろん、一気にいきなりは良くならないけれども、少しずつ良くなっていくし、息苦しさが減っていく。

そして、対自分比で、以前に比べて「生きづらさ」がだいぶ弱まりつつある。

この後は、そうしたメリットを手にするために実際にやったことを紹介。

これも思いつく限り、紹介♪٩((*⁰▿⁰*))۶♪



【実際にやったこと】

●自分の中の言葉のバリエーションを増やすこと=意味に幅や選択肢を持たせて、自分でも取りかかれるレベルにすること

このすぐ後に「●ひたすら自分と向き合うこと」というのが出てくる。(←当初「自分と向き合うこと」がトップに来ていた)

私はもうかれこれ10年選手だから相当慣れてる、自分への向き合いは。

だけど、「今回初めて自分に向き合います」という人がいるとするなら、「で?なに?何するわけ?」ってなるはず。
(←私はなっていた人…( ̄∀ ̄))

【自分と向き合う】なんて言われても、私みたいにわからない人もいるかもしれない。

そういう時は、まず発想の逆転や連想ゲームみたいなことをする。

向き合うイコール……って考えていく。

例えば
「向き合う」
=自分の考えてることを書き出す
=今の自分はどんな気分か自分に問いかけてみる
=オラクルカードやメッセージカードを使って自分の内面に響くメッセージを見つける
=自分の心に向き合う系のハウツー本を読んでみる
=カウンセリングやコーチングなどプロの力を借りて、自分が思っていることを第三者に話す

とかいう風に、具体的な行動を出していくと良いと思う。

そして、その行動を【自分のために】実際に1つしてみることが大事!!!


●ひたすら自分と向き合うこと

向き合い続ける中で、色んな自分に出会っていくようになる。

「色んな自分」とかきれいな言葉で言っているけれど、実際は下の表情たちみたいに

( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)
∑(゚Д゚|||)∑(゚Д゚|||)∑(゚Д゚|||)∑(゚Д゚|||)
(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)
o(`ω´ )oo(`ω´ )oo(`ω´ )oo(`ω´ )o

全然明るさはない!!!!!!!!!!

怒りまくりな自分とか、ズルいことしてる自分とか、逃げてる自分とか、自分責めまくりな自分とか、100%自己否定してばかりな自分とか、もう見たくない自分オンパレード。
((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))

そういう自分に出会いまくってぐったりゲロゲロな感じになった時にすることは次!

(豆知識:私や私の周りだけなのかは知らないけれど、自分と向き合っていると、体調不良を引き起こすこともあるけれど、予後が良好なのが普通の体調不良とは違う。後々、気持ちも軽くなったりする。)


●ゲロゲロな、向き合うだけで超絶超絶超絶しんどい自分の居場所を作ること

「超絶超絶超絶」と3回も書いたのは打ち間違いじゃなくて、わざと強調するために。

「超絶超絶超絶しんどい」のは本当のことだから、強調してみた。

誰だって見たくない・いないことにしたい自分を前に平然となんかしていられない。

でも慣れてくるもので、そういう自分にもきちんと居場所を作ってあげると、自分の中でコントロール不能になるほどの事態は徐々に減ってくる。

ダメだと思っている自分もいていいこと。

そのダメな自分を変えるんじゃなくて、その自分でいいんだよ!、ということを自分自身に伝えていく、それがとっても大事!!!


●ちゃんと苦しむ、自分のために!

それを積み重ねてきたことで、弱い自分や本当にダメだと思っていた自分の居場所ができた。

ちゃんと苦しむのは、自分しか自分のためにしてあげられない。

そのヒントとなる考え方が過去に書いた自分のブログから出てきたからそれを紹介。

(ありがたいことに、誰かがこのブログを最近見てくれて(閲覧歴に出た)、自分でもタイトル見て何を書いたかわからなくて覗いたら、めちゃくちゃ良いこと書いてた!
スペシャルサンクス to 私の足長おじさん♡)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

吉本ばななさんの『吹上奇譚』という小説をたったさっき読んで、その中に出てきた言葉。

「慣れるということと、見ないようにすることの差、(中略)その間には大きな違いがある。」
(p.154〜155)

「慣れる」というのは、目を背けないということだと思う。

背けたいことはたくさんあるし、見ないようにする時もある。

それは間違いではないし、生々しい傷を前にそれをガン見できる人なんてそうそういないと思う。

でも、時間をかけて時々ちょっと見て、また無理ー!となったら蓋をして、また少し見れるかも…となったら蓋を開けて少し見て、また無理ー!となって蓋をして…、そんなのの繰り返しの中で慣れてくるものはある。

それを繰り返した今、癒されるものがやってきた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


●自分の潜在意識に「安全だよ!大丈夫だよ!」と伝えること

上の「ちゃんと自分のために苦しむ」と関連してくるけれど、自分のために苦しむと自分の中の潜在意識下にある「危険察知システム」がバージョンアップしてくる。

例えば最初は、臭いものには蓋をしろ状態で、自分の見たくないものすべてを無視してたとする。

その時の危険察知システムは、少しでも臭いものがあればすぐに反応して蓋をする。

その時、潜在意識下では「危険度100%」となっていたとする。

だけど、そのものたちに蓋をせず、とりあえず覗くだけでもいいから覗くと「危険度95%」とかになる。

さらにその見たくないものを見ると「危険度80%」になる。

そうしたことを繰り返すと「危険度50%」とかどんどん危険度が下がる。

例えばじゃあ危険度50%まで下がったとして、残りの50%はどうなったかと言うと、「見ても大丈夫だよ!危なくないよ!」に生まれ変わっている。

それが私の言う【自分の潜在意識に「安全だよ!大丈夫だよ!」と伝えること】になる。


●小さな変化に気付いてあげること

心のクセや思考パターンなんてのはすぐのすぐには変わらないし、そのパターン化された時間が長ければ長いほどいきなり超良くなるなんてことは、私の経験上よほどの例外以外はない。

だけど、筋トレと一緒で、やればやるほど心の筋肉みたいなのが鍛えられてくる。

例えば、自分のモヤモヤを書き出すことを取り入れたとする。

最初はまずそれすらも出せないことだってある。

1回目はモヤモヤを1つしか出せなかったとする。

2回目はモヤモヤを2つ出せたなら、前回に比べて良くなっている!

というような小さな変化に自分で気付くようにする。


●自分に感謝する、自分をいたわる、「自分できてる!」評価をすること

これは大げさなぐらいに自分のためにやってあげた方がいい。

間違えても私みたいに、「まだまだ、全然ダメじゃん( #`ω´)( #`ω´)( #`ω´)」という具合に自分にキツく当たるのは良くない!

何年もそんなことしてた…(T ^ T)と気付いたのは多分この数ヶ月Σ(゚д゚lll)。

こういう大事なステップも本に書いといてよ!!!と私は今でも思う。

特に自分にキツく当たる人とか、真面目な人とか、自分に厳しい人とか、本当にそれは自分いじめです!って言ってもいいぐらい。

だから、そういう見たくない自分を見た後は、自分に超感謝する!!!

褒美を用意してもいいとさえ思う。

そして、少しでもできたら、「できた自分」をきちんと評価してあげること。

(↑すげー偉そうに言ってるけれど、そういうことができなくて、というよりしてないことにさえ気付いていなかったから、余計と回り道しまくりだった自分への反省です( ̄∀ ̄;))


●[応用編]苦しいパターンに気付いたら、
①別の好ましいパターンを取り入れてみる
②苦しいパターンから離れてみる

最初に、大切なことを。

この応用編をする場合、まずは上に書いた他のステップをある程度積んでからするのが良い。

筋トレを思い浮かべて欲しい。

私みたいに筋トレを一度もしたことのない人がいきなり超重たくて持てないダンベルを持とうとしたら、絶対にどこか怪我するか体を傷める。

段階っていうものがあるから、いきなり応用編に行っても難しいし、それこそもっと自己否定を強める可能性が高いから、絶対に勧めない。

ちなみに基礎もできてない時から応用編に手を出して痛い目に遭った私は、今なら「そんなに焦らなくてもいいのに」って思う。

自分に向き合う歴10年中最初の9年(←えっ?)、パターンを変えることにばかり力を注いでいた。

その時の自分はどうだったかと言うと、「全っ然変わらない!自分本当にダメダメだわ」と自分に対してこれ以上ないぐらいに駄目出しをしていた。

駄目出しの先には、自己否定するとか自己評価を下げるとか、もうこれ以上ないぐらいに自分に可哀想なことをしていた。

それじゃあ良くなるわけもなく、自分の潜在意識下には「ダメだよ自分」のレッテルだけがどんどん追加されて、ますます自分は弱るという悪循環。

で、これ書いてて、やり方はいくらでも説明できるけれど、私みたいな負傷者が出ては本末転倒だから、ここだけは詳細は割愛。

あえて公表しない。

どうしても知りたい人は、ネットでも本でも調べれば情報がいくらでも出てくるから、そちらで調べてください( ̄∀ ̄)。

ちなみに私の感覚で言うと、上に書いた他のことたちをやっていくと、苦しいパターンに気付けるようになって、なんか知らないうちに変わってる。

頭で何とかしようとしてた時はさっぱり上手くいかなかったけれど(水面下では自分攻撃してる)、上に書いた他のことたちをしていく中で自分への信用度も増して自分にやさしくできるようになってきたから、気付くと前とは違う対応の仕方をしている自分がいる。



【その他ヒント】

「カルマの解消」とか「カルマ的な膿出し」と呼ばれるものは、つまるところ、【自分革命】だと思う。

自分の中で繰り返し起こるネガティブなパターンや出来事は、たしかに「カルマ」と呼べるものだとは思う。

何せ繰り返されているから、そこに向き合うこと自体、痛みもじゃんじゃん出てくるし、恐怖も半端ない。

そうしたものを手放すとか解消するとなれば、並大抵ではない勇気が必要になる。

中には自分の生まれ変わる前の記憶、「過去世の記憶」と呼ばれるものを持っている人もいるけれど、多分そんな人はごく稀で、私含めて一般的な人たちは過去世の記憶なんてない。

カルマと呼ばれるものの中には過去世や前世から持ち越されたものがあるとよく言われる。

それに関しては否定しない。

むしろ、ホロスコープに、繰り返し輪廻転生しているだろう魂に対して「魂のテーマ」とか「魂の傷」と呼ばれる天体(キロン)や、「あの世とこの世を繋ぐ=魂的なテーマを運んでくる」とされる黄道と白道が交わる点(ドラゴンヘッド&ドラゴンテイル)が存在するぐらいだから、過去世はあると私は思う。

そして過去世と今世には、必ず何かしらの因果関係や引き継がれたものもあると思う。

引き継がれたものの中には、才能や資質、人とのご縁というものから、できれば触れたくない傷や課題もあると考えられる。

因果関係はあると思うけれども、そこに原因を求めるのではなく、【自分が良くなっていく方法を探ること】が大事だと思う。

良くなるでも生きるのが楽になるでも言葉は何でもいいけれど、とにかく「カルマ」と呼ばれるものに対して自分がそこに向き合ったり、自分が生きやすくなるための方法を探して実践していくことが大切だと私は考えている。

いくらペンジュラムを使えても、私は当時の過去世の自分の記憶はない。

10歳ぐらいまでしか生きられなかったペンジュラムを大切に持っていたという男の子の記憶は、聞いてから1年以上経つけれど、一度も自分の中で蘇ることは今のところない。

そのすぐ近くにいたとされる男の子のことも記憶に当然ない。
(注釈:鑑定士さんいわく、この男の子が今世で別の人に生まれ変わったとされていて、私はその人に出逢ってからこうした見えない世界のことが加速度的に起こってきた。)

だから、過去世の記憶や過去世でも縁があっただろうとされる人との関係にヒントを求めてカルマを解消しようとしても、かなり無理がある。

だけど、今の人生の今現在の課題には目が向けられるし、そしてその課題こそ自分のテーマなりカルマとリンクして起こっている、そんな風に思う。

そこに向き合うことは、すなわちそこを超えた先に自分の中の「絶対」が出てくる。

その「絶対」は、今生で確実に大切にしたいことや、何回も生まれ変わる中で時間をかけて取り組んできた何か特別なものなんだと思う。

つまるところ、「カルマの膿出し」を通じて何をしているかって、「自分を知る」ことだと私は感じている。

そして「自分を知る」ことの先には、「自分らしく生きるためのヒント」が手招きして待っている。

自分が成長していく過程の中で、親はじめ社会から色んな価値観を教えられる。

良いものもあるし、その教えゆえに苦しくなってしまうものもある。

無意識に吸収していくから、自分と合ってなくてもそのまま取り込んでしまうことも往々にしてある。

それらが大人になると、問題として出てきて「違いますよー、自分と向き合ってくださいね」のお知らせがくる。

問題や親や社会や過去世のせいにしても、はっきり言って何1つ解決しない。

だけど、自分に向き合うことで、自分を楽にする方法は必ず見つかる。

そして先に書いた「カルマ的な膿出しをすることでのメリット」を手に入れていく。

私の考え方が正しいかどうかは知らないけれども、少なくとも私は自分の体験を通じて「そうだった」とは言い切れる。

もちろんまだまだ発展途上ゆえ、自分が向き合う必要のあることは他にもいっぱいあるけれども、それでもそうした向き合いをする前よりうんと良くはなった。

スピリチュアル業界でよく言われる「カルマの解消」とか「カルマ的な膿出し」が何を指すのかはよくわからない。

だけど、少なくとも私が今の自分にできるやり方でやったことは書いた通りだし、そしてやったことで手にしたものも「メリット」で紹介した通りになる。



今年の春分の日の天体図は、相当強烈だということを占術家たちのブログを今日読んで知った。

その瞬間、太陽と魂の傷を表す天体「キロン」がピッタリと重なり合う。
(単純計算して、そんなの年に1回しか起こらないことが、今年は春分の日にやってくる)

それが「自分をどのように打ち出していくか?」という壮大なテーマとくっついている。

だから、自分の心の奥深いところで何かが反応してもおかしくないし、それゆえにメンタル的にかなり参っている人たちも多いと思う。(私も!)

でもこれは自分が偽りの自分ではなくそのままの自分で生きていくのに必要なプロセスで、そして悪くなるためではなく良くなるために引き起こされている、むしろ天体までもが応援しているとも解釈できる。

もう自分には嘘をつけなくなってくる、そういう傾向の強い時代に入っている。

だから、隠していたことや見ないことにしていたことがあぶり出されたりする。

社会的なものの一例として、今日の夕方のニュースで、レオパレス21の工事欠陥による入居者たちの強制引越しとなった経緯と会社の組織的体質について報道されていたけれど、ああいうことはこれからもっともっとメスが入っていくと予想される。

要は悪いことや隠し事がまかり通らなくなって、自然の理にかなっていて筋の通ったものがこれからは残っていく。

社会的にも個人的にも苦しいけれど、私は悪くは取っていない。

何度も何度も落ちて起き上がってを繰り返したからわかるけれども、良くなる前には一度自分の中をきれいにするために苦しい時間がやってくる。

でもそこを静かに自分のことを見つめつつケアしつつしながらやり過ごすと、次は楽な時間がやってくる。

楽というか、以前よりも状態が整った自分になる。

とにかく、「自分をいかに癒せるか」「自分をいかに大切にできるか」がとっても大事だと私は思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿