2019年3月4日月曜日

奇跡の果実▷ウラ話⦅14⦆繋がる縁



《写真たち》
・プロレス女子さんから仕事でもらった付箋
・当時の様子を絵に表したもの
(個人的に気に入ってる絵)
右の白いのは、カリブ海の砂浜に落ちてたもの。約10年前にハート形が可愛くて持って帰ってきた。
・わかりにくいけれど、その人のちょっとしたクセを絵にしてみた。黒いのはイス。


>>>2019/02/28

朝のカード引きの練習。

1枚目のカード。
「あなたは何を望んでる?」

2枚目のカード。
「男・紳士・ソウルメイト」

向き合うことよりも、ちょっと逃げたいテーマで目を伏せた。



>>>2019/03/01

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今、Wさんという男性スタッフが、気持ちよくヘルプに来てくださったので、
ブッシーちゃんの事
話してしまいました(^-^)

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名古屋のSさんがLINEをくれた。

Sさんは時々とりとめもないことを連絡してくる。

私はあまり気にも止めず、そしてそのすぐ後に娘さんとのことでもっと重要なことをSさんは書いていたから、私は上のことには適当に返事して娘さんの話に対してはきちんと返信した。



>>>2019/03/02

前回の【『奇跡の果実』が生んだ奇跡の果実】
7:39アップにはなっている。

だけど、実際には2日になってすぐの真夜中に書いた。

書きたいことだった。

あんなに短いくせして、長文の記事よりも力や勇気が要る。

アップするまでああでもない、こうでもないとかなる内容で、でも今しか書けないと思ったから書いた。

あの中で私が一番言いたかったのは、繋がりを本当に感じられるようになったことだった。

それは、私にできる唯一の伝言だった。



昼過ぎから22時過ぎまで9時間、ガチのカウンセリング的なセッションをした。

とても濃密な時間で大切なこと満載、さらに『奇跡の果実』の新ネタ登場で凄かった。

何で9時間も必要だったのか。

一言で言うなら、それだけ相手の心の傷、そこの癒しに全力だったから。

友達の言葉を借りると「人生で受けたことのない言葉での痛手を負う」ことがあった。

友達からブログ掲載快諾してもらえたから、というよりむしろ「ぶっしー、ブログに書いて!」と言われたから、これは私の心の傷とそしてSさんの心の傷と3人分合わせてすごい癒しが起こったから、それはまたおいおい本編にて登場。

(心の声:
いつ『奇跡の果実』終わんの?( ̄ཀ ̄;;))

読者サービス的な情報をば1つ( ̄∀ ̄)。

☆☆☆今現在、やっぱり本当に魂レベルで何とかしなきゃいけないことは、異常な速さで叶うし、何とかなったりする☆☆☆

しかも、叶い方もかなり不思議な形で叶ったりする。

昨日の話はこうだった(書いてるのは3/3)。

友達と私は、そもそも昨日会う予定なんて全くなかった。

ところが共通の友達が私に最初連絡をくれて、それこそこの『奇跡の果実⑧覚醒』を私が送り付けた1人で、その子がブログ読んでるよと言いながら連絡をくれて、近いうちにモーニングかランチしよう!となった。

そしてもう1人の子と3人で朝から集合して、ガストに朝の9時半から夜の22時半過ぎまで居続けた( ̄∀ ̄)。

13時には最初誘ってくれた子は帰って、その後ずっともう1人の子のグサリと心に刺さった言葉の傷の癒しの作業をガストで延々としていた←もはやどこでもできる。

その子はその内容については私には言うつもりがなかったのと、そしてそれを理由に半年は私には連絡を取らず自分1人で何とか解決するつもりでいた。

ところが急遽3人で初めての集いが開かれることになって、しかも音頭を取ってくれた子は音頭をとること自体それが初めてだった!

だから、心負傷中の友達と私は、これまでなら2人で連絡を取り合って2人で会っていたけれども、今回は私たち2人は連絡を取り合わず、代わりに別の友達が私たち2人それぞれとやりとりして、ガストでの会合をセッティングしてくれた。

前代未聞の流れで、しかも当事者である2人は何も手を下さずに、第三者(=もう1人の友達)によってわざわざ場が設定された。

負傷中の友達の傷はまだ生々しく最初こそ凄かったけれど、最後はきれいになった。

そう、半年も1人で抱えるのではなく、それをきれいにして次なるステップに行くことが必要だと思われるから、それでいきなり半年も早まって傷を癒すための機会が突如設けられた。

この辺りも本編に登場する時にもう少し詳しく書こうと思う。

今日のメインは別の話だから。

で、その傷の癒し作業の時、私の心の傷にもとっておきの薬を塗ってもらえた╰(*´︶`*)╯♡

♡╰(*´︶`*)╯♡←本当にこういう気持ち。

ちなみに私の中で超絶気にかかっていた言葉の凶器は「女性性」だった。

スピリチュアル用語だとわかりにくいから、一般的な言葉だと「女性らしさ」が近いかなと思う。

私の中で一番二番を争うぐらいに触りたくない、超デリケート過ぎる内容・歴史満載過ぎるもの。

普段そんなことは表に出さないけれども、私は女らしさをあれこれ言われると非常に傷付く。

はっきり言って、「女らしさ」について触れられる時、良い思いをしたことがほとんどない。

基本的に元気だし、体格も良いし、人に会う時は表の顔でいるから、ポジティブな人と思われやすい。

それはいいけれど、実際はすごい色々気にするし、変に細かいし、感じやすかったり敏感過ぎたりする。

私の男友達たちはその辺りの見極めが上手で、性差ない付き合いをしてくれる一方で、重たいものをさっと持ってくれたり、私を歩道側にさっとしてくれたり、他にも何かすごく良い感じでの気遣いをしてくれる。

ゴイゴイ酒を飲む時は一緒に盛り上がるし、静かにしていたい時はそっとしといてくれるし。

なんか良い。

だから男友達たちはまず私に女性らしさがどうだのとは絶対に言ってこない。

せいぜい言ってきても「ぶっしー結婚は?良い奴いないの?」ぐらい。

だけど、世の中にはデリカシーのない人たちももちろんいる。

今年に入ってから言われた言葉の1つ。

男性から「武士俣さんよりも僕の方が女性性が強い」だった。

私は本気でへこんだ。

しかも、自分は信念を持って貫いた行動をして、それで言われた言葉だったから尚のこと傷付いた。

私の異常な行動量はわかるけれど、それを見て言われると本当にきつかった。

その時の話を友達にしたら、「それ絶対に違うよ!ありえない!」と本当にたくさんの言葉をかけてもらえた。

友達は私の気遣いや心くばりを本当に正当に見てくれて、それでその言葉はないわとバッサリと切り捨ててくれた。

言った相手のことも知っていたから、余計と「それはない!」と言い切ってくれた。

本当に嬉しかった。

急遽決まったガストの会は、友達の傷を癒すことがメインイベントみたくなったけれども、私の方の傷も癒してもらう大切な機会となった。



>>>2019/03/03

名古屋のSさんに電話する時間をもらった。

上に書いた友達が、傷の癒しのプロセスを公開することを快諾してくれたから、Sさんにも公開していいかどうかを聞いた。
(私たち3人とも、同じ人たちから被害に遭ってる)

ついでにWさんに私の何の話をしたのかを聞いた。

「ぶっしーちゃん、あの人だよ、Wさん!
ほら仕事で一緒に組むことがあるって話してた人!山男みたいな人だよ!」

「あー、前言ってた人ですね?」

「そうそう密猟の人!」

「わかりました!海で何か自分で潜って採る人ですよね!」
(※これが密猟に当たるらしい)

「そうそう!」

「で、何言ったんですか?」

「ごめんね、ぶっしーちゃん。
私ああいう感覚の時って言っちゃうんだよね」

「何ですか?」

「まず、Wさんに聞いたんだよ突然。
『今彼女いる?』って。
『いませんよ』って思った通りの答えが返ってきてね。
でさぁ、言っちゃったんだよね、口が勝手に。
『あのさぁ年の頃は、39か40で、新潟の子でさ、なんかねずっとずっと前から思っていたんだけど、2人何か繋がる感じなんだよね』
とか言い出しちゃったわけ、口が勝手にね」

「(爆笑)!口が勝手に言ったんですね!」

「いや、でもさ、本当に前から言ったことあったと思うけれど、本当に私の中で何か繋がるんだよね、2人が。何でそんな風に気になるのかわからないし、何か繋げたいっていう感覚なんだよね。何となく、何かお互いに繋がりのある人なんだろうね、ぶっしーちゃんとWさん。
で、私さこういう感覚になって引き合わせた人3組実はいて、みんな結婚してるんだよね。私がキューピット役をやろうと思ったんじゃなくて、何か引き合って繋がる感じがしたから合わせると、どういうわけか繋がるんだよね。
もっと言うと、私そもそも何で今このタイミングでこんな話をまた唐突にしてるのか自分でもよくわからないし、そしてしばらくWさんと週1くらいのペースで仕事一緒に入ることになったんだよね。不思議だよね」

「そうなんですね〜。ちなみに他に私の何を伝えたんですか?」

「ぶっしーちゃんがJICAで海外にも行ってたと言ったら、『どこですか?』って聞かれて、『ドミニカだったと思うよ』って。
『何してたんですか?』って聞いてきたから、『貧困街の自立支援』って言ったら、『すごい話聞いてみたいです』って言ってたわ。
Wさんも海外に行ってた人だから、すごい食いついてたよね」

この情報は単純に嬉しかった。

『貧困街の自立支援』なんていう言葉に食いつく男の人なんてまずいない。

もっと言うと、私のそんな歴史に興味を持つ人も日本帰国後一度も会ったことがない。

みんな表面的な質問はしてきても、内容に食いつくなんてことはまずない。

「じゃあ私がSさんのところに1週間ぐらい滞在させてもらう時は、Wさんにも会ったりしますか?」

「そりゃそうなるでしょうね〜!Wさんにも言ってあるから!うちは家族みんなでぶっしーちゃんにお世話になってるから、子どもたちもみんな知っているし、特にAとWさんは気が合うんだよ!そのAと英語をやりとりしてるってWさんに言ったら、『それすごいですね!』って褒めとったわ。『僕はそこまでの英語力はないですよ!Aくんの分を見れるって相当ですね!』って、本当に良い顔して言ってたわ!」
(注:Aくんは『奇跡の果実(18)ギフテッド〜天からの贈り物』に出てくる主人公。「ぶっしーさん」と私を呼ぶだけでメロメロにさせてくれる男の子(o´艸`))

「じゃあみんなでごはんですか?あの喫茶店とかで」

「いや、違うでしょ。2人で居酒屋とかじゃない?」

Sさんには実は本当に私の個人セッションの宣伝をお願いしていて、早ければ今月か来月に名古屋に行くことになるかもで、そうしたらWさんと会うことになる。

Sさんはこうも言ってた。

「Wさんは本当に人に尽くせる人なんだよね。私はそういうことは、人を上げるためにとかお世辞とかで言わないの。Wさんは、本当に人に尽くせるし、そしてそのやり方が本当にさりげなくて素敵なんだよね。それを本人に直接言ったら、『僕そんなことないですよ!むしろ人にはそんなに尽くしてないと思いますよ』って言うの。全然それをすごいとも思わなければ、そんなことないって本当に謙遜とかではなく言ってるところが本当にすごいんだよね。
あ、あと、女の子とか恋愛とかは苦手な方だと思うんだよね 笑」

「っていうか、何でその人独身なんですか?ゲイなんですか?」

「いや、それはないと思うよ、話の感覚で。本当はカッコいい人なのに、なんか気付いたら山男みたいになってたけれど、本当はカッコいいんだよね」



頭の中で色んな思いが巡った。

多分本当にSさん宅にお世話になる時、間違いなくWさんに会うことになると思う。

しかもSさんのあの「口が勝手に言い出してた」発言は本気で怖ろしい。

Sさんは勘の良さは相当だから、そして過去に3組ものカップルを繋げた実績からも、あながちSさんの感覚はズレてはないと思う。

ただ、Sさんも言うように「何で今このタイミング」なのかがわからない。

なぜならWさんの話はさかのぼることかれこれ4年ほど前から話題に上ったことが数回ある。

ちなみに私の記憶の中のWさんは、仕事中にも関わらず、側から見て怪しげだったようで警察から職務質問されたことだった( ̄∀ ̄)。

真っ当なことを、しかも仕事内容は本当に尊いのに職務質問って面白すぎる!と思ったし大笑いした。

最初Wさんの名前を見てもうろ覚えすぎて、「これ誰だっけ?」と思った。

話を聞いてすぐに思い出した。



私はこうしたことに関しても、正直な気持ち、私が何とかできることじゃないと思っている。

家に引きこもっていたら山で行方不明になった人をペンジュラムで探して欲しい、なんて頼まれるぐらいに、もしくは年明けに霊視ができるOさんと電話で話してたらその行方不明になったままのおじいちゃんの霊魂が現れたように。

とにかく、私の身に起こることは、自分でコントロールして起こしたり起こさなかったりできるものじゃない。

だからWさんと本当に何かしらの縁があるなら、それが結婚とかでなくても縁があるなら、もう必然的に会うことになる。

話に聞いた限りだと、多分Wさんはとてもウマが合うタイプの人だと思う。

ましてや色んな数々のことを言い当てたSさんが「どうしてかわからないけれど、引き合わせたい・繋げたい」と言うぐらいだから、相当な縁の強さを持つ人の可能性の方が高い。

色んな気持ちが交錯した。



数日前のカードのことがまずは頭をよぎった。

「望んでいるものーー男」、これは思い当たる人は1人しかいない。

でも、どうそこと向き合っていいのか私には正直わからない。

もう繋がっていること、このブログが繋がるためのツールになってることも確信している。

だけど、現実的には何にもないわけで、何この繋がり!?といつもどこかで感じている。

「寂しい」が気持ちとしては近い気がする。

繋がりたい方法とは違う形で繋がってると知っても、それが望んだものではないから、どうしてもぽっかりと心のどこかに穴が開いている。

そして、前世療法を受けるとかいう話が出てきたあたりから、私側の覚悟がかなり決まってきたことは感じていた。

もう生きているうちに再会することがないのであれば、そういう特殊な手段を使わせてもらってでも、自分が少しでも納得できる答えが欲しいと思った。

それは、そういう形でもいいから、私はその人に会いたいから。

きちんと繋がっていたんだと知りたいから。

他にも何かあれば知れたら嬉しいだろうなぁと今は思っている。

でもそれって、ある意味私の中で「終わっても仕方ない」と決めたんじゃないかと思うこともなきにしもあらずな感じがする。

そして、もうひとつ。

今の私の周りは、ちょっとではなくとても異常な空気感の中で物事があれこれ水面下で動いていることにも気付いている。

どの程度のパーセンテージかは知らないけれど、かなりなボリュームで霊界からのエネルギーが入って来ていると思う。

だから、最初に話した友達の傷がある程度癒える予定が友達の見立てでは当初半年先だったものが、今すぐ癒される設定に勝手にセットされた。

私たちからすると「勝手にそうなった」ように見えるけれども、実際は『必然で』そうなったと思う。

こういう不自然なほどの必然さが私が言う「霊界からのエネルギー」で、こうしたことははっきり言って人知を超えたレベルのことだから、私たち人間は関与できない。

だから、本当に起こるべくして起こることが起こってくるし、起きてはいけないことは私たち人間が綿密に計画していても絶対に起こらないようになっている。

そこまで考えた時に、私が本当に繋がりたい、本当に何とかなって欲しい、その人とはどうなってるのかと真面目に疑問に思う。

何にも繋がっていないと信じていた以前に比べたら今は大進歩だけれど、それでも望んだ形とは違う。

一方、望んでもないのに、Wさんとか出てきて、そちらは名古屋に行きさえすればトントン拍子に進みそうな気配を漂わせている。

しかも、私は客人でいられそうだから、その人の時みたいに、まずは「誘う」ところから3週間もどうするか悩みに悩み抜いて誘うことから始めなくていい。

その人から仮にOKもらえたら店はどうするのか、当時はあまりの心の余裕のなさに考えることにさえ行き着かなかったけれど、今度のWさんは私が店の心配をしなくてもいい。

多分相手が段取りを組んでくれる。

背格好も考え方も性格も、申し分ない。

しかもSさんの家族ぐるみで仲良くできる人だから、それだけで超良い人だとわかる。

でもそれだけある意味条件が揃っていて、本気で私が名古屋なんかに行った日には色んなことが動きそうな勢いさえ感じるけれど、私はちっとも嬉しくないんだとわかる。

むしろ悲しくて悲しくて仕方ない。

こういうことさえも、私は自分の気持ちとは相反するものを受け入れていかないといけないのか…と思う。

会いたい人には会えない、繋がってると知っても会えない。

私には悲しい部分だけがずっとずっと心に広がっている。

そこにさらに追い討ちが来た。

夜になって少しだけ出かけてきた。

車に乗っていたら、通りにある少し先の家で葬式だったようで、提灯みたいなぼんぼりみたいなのが出ていた。

その家の前を通った。

「〇〇家」と灯りに照らされて浮かび上がった文字は、その人と同じ苗字だった。

いつもなら喜べる。

でも私はそれを見た最初は一瞬だけ喜んで、次の瞬間からは「どうしてお葬式の提灯なんだろう?」とそこばかりが気になった。

葬式ということは誰かの命が終わったということ。

すなわち終わりを告げるサイン。

そこにその人と同じ苗字が刻まれている。

私はこの1年半近く、多分1000回以上はその人の名前を色んなところで見てきた。

本当にすごい出現率で、基本毎日だし、その霊界エネルギーの関係なのか、最近は1日の中で2回3回と見ることがずっと続いている。

あまりに多いから、以前ほど驚かなくはなった。

だけど、これだけ回数を重ねていても、葬式の提灯という形ではこれまで一度も見たことがない。

今回が初めてだった。

気になって、友引カレンダーをチェックした。

葬式や通夜は友引に執り行わない。

昨日3/2が友引だった。

今日の今日で葬式を出すかも知れないけれども、どちらかと言えば昨日友引だから出せなくて今日になったのかなと思う。

必然のように見させられた感が半端ない。

終わりなんだろうか…。

今の状況が終わるのは大歓迎だけれど、あの提灯を見て私はそんな明るい展望など一ミリも抱けず、代わりに心は沈んだ。

形のない繋がり…。

魂の関係の情報には、そんな言葉がいくつも並ぶ。

私はその情報たちが大嫌いでたまらない。

どうして肉体を持って今生きているのに、形のない繋がりをあえて選ばなきゃいけないのかと思う。

そんなの死んでからでいいじゃん!と私なんかは思ってしまう。

死んだら否が応でも体ないんだからさ、って。

今度こそ本当に色んなものが終わっていくのかな…なんて少しでも想像すると、私は心の中が発狂しそうになる。



なるようにしかならない人生。

お願いだから、その人のそばにいさせてください、その人が年を1日1日取るところを隣りで見させてください。

それをずっとずっと願っている。



誕生日が8日後に迫っている。

なんとなくそこが一区切りなのかと思う。

もう繋がる人たちとしかますます繋がらなくなっている私の人生は、ある意味不自由な感じがする。

その中にその人はいるんだろうか…?といつもいつも何十回でも何百回でも思ってしまう。



2週間前の2月17日の日曜日。

私はその時にノートに「僕の方が武士俣さんより女性性が強い」と言われて嫌だったことやすごくモヤモヤしたことを改めてノートに書き殴った。

そして、その時に「はっ」とした。

その人がしてくれた行為をもう一度、よ〜く思い出した。

1年8ヶ月越しに初めて気付いた。

その人がしてくれたことは、単純な気遣いとか心くばりなんかじゃなかった。

その人がしてくれたことは、私を女として扱っての気遣いだった。

もし私が男なら、その人は絶対に私にしたようなことはしなかった。

私が女だからという理由も手伝って、してもらえたことなんだろう…ということに今さらだけど初めてわかった。

ノートの不満を書いた下のところに今度はこう書いた。

【〇〇さんがしてくれたこと
魂レベルでの癒しー女性性。傷付いている部分にこの世で一番効くばんそうこうを渡されたみたい。】



今のIT技術に私は、今回ほど感謝したことはない。

機械音痴の私が、ある日ボタンを間違えて押したことで、普段見ることのない画面がある時表示されることになった。

何だこれ?と思って、私はピコピコと次から次へと何が出てくるかもわからずに押してみた。

単なる興味本位でやっただけで、元々の使い方を知らない私はそのまま次々に切り替わる画面をただボーッと見ていた。

ある画面で手が止まった。

今となればスクリーンショットを撮っておけば良かったと思う。

それはどの記事が読まれたかを統計にされた画面だった。

記憶が曖昧だけど、それが本当にわかる形でその人がブログを読んでくれてるとわかった、初めての目で見て確かめることのできるものだった。

最近の話じゃなくて、うんと前の話。

それからは時々チェックするようになって、そして今は毎日チェックをする。

そして最近。

『奇跡の果実』シリーズが発動してからは、当然毎日『奇跡の果実〜なんとか』みたいな記事が読まれたと表示される。

トップ10までしか出ないけれど、とにかく上から下まで、
奇跡の果実ー
奇跡の果実ーー
奇跡の果実ーーー
と延々と続く。

そりゃ直近の記事の方が普通に考えて読まれるわけで、そういう統計で当たり前だと思う。

ところが何日か前の平日。

その日が何だったのかなんて私は知らない。

もしかしたら有給を取っていたのかもしれない。

普通に会社に行っていたら仕事中の時間。

そうしたら、なんと上から下まで、「奇跡の果実」という文字が1つもない。

えっ?と思った。

1つぐらいあっても良さそうなのに、1個もない。

代わりに、違う記事たちがずらずらずらっと並んでいた。

そのタイトルたちを見てわかった。

これは本人じゃなきゃ絶対にわからない。

むしろ書いてる私でさえ、見に行かなきゃ何が中に書いてあるのかわからない記事のタイトルがある。

でも、その人は当事者だから、わかる。

今日現在889記事がすでにアップ済みになっている。

そんな中、ピンポイントで特定の記事だけを集めるなんて、しかもタイトルだけ見てもわかりにくい私のブログだけを集めるなんて、至難の技すぎる。

少なくとも私本人でさえできない。

それをきれいに集めてというか、ターゲットを絞って見るなんてものすごい話なわけで、それが私にとっての確信に変わった。

あぁ本当に繋がってるんだ、って。



私はその人と同じ職場にいた時、その人と仲良くしていた女の人で私も個人的にとても好きな女の人が言っていた。

仕事中にその人が個人的な内容のLINEをしてくることはまずないこと。

その2人は共通の趣味「プロレス」で繋がっている。

1年前の今ぐらいな時期、その人が異動でいなくなって5ヶ月ぐらいの時だった。

仲良しの女の人の隣りで私は何かしらの仕事をしていた時だと思う。

「あれ?私言わなかったでしたっけ?」と始まり、その人と私が初めて顔を合わせた私の仕事初日の時の話を教えてくれた。

「〇〇さん、武士俣さんが来た日、仕事中私に『ブシ』とカタカナで書いたものをLINEで送ってきたんですよ。初め何を意味してるのかわからなくて、私別のプロセスのことを思って返したんですよ。でも違ってたみたいで、なのに全然ヒントもくれないし返事もないんですよ。
それでふと思いついて、昼休みジムさんに『新しい人の名前なんでしたっけ?』って確認して、それで『ブシマタさん』とわかってそこでようやく意味がわかったんですよね。それ返信したらやっとその通りってきて。
っていうか、〇〇さんが仕事中にLINEするってまずないんですよ。仕事中はプロレスの話もしないし。だからあの時わざわざLINEしてくるって相当すごいことなんですよ!」

その当時のやりとりをその場で探して、「ほら、これですよ!」と言って見せてもらった。

たしかに「ブシ」と書かれていた。

そして一言最後に言われた。

「それ位〇〇さんには重要なことだったんですよ」



そう、仕事中にそうした個人のやりとりなんかしないはずの人なのに。

つい数日前の平日、とにかくその人しか読む人もいないだろう記事のタイトルがいくつも画面上に並んでいた。

有給とかならまだわかるけれど、仕事中ならその人はそんなこと普段する人じゃない。

期待してしまう、その人にとっても私のブログが何か特別なものであると…。

書いていて今頃わかった。

私はプロレス女子さんが最初の頃から好きではあったけれども、それはその人と繋がってるとかそんなこと何も知らない時からそうだった。

そしてそのプロレス女子さんだけが唯一私が職場で仲良くした人で、そしてどういうわけか私はプロレス女子さんからやたらとその人の話を色々聞いていた。

プロレス女子さんが繋がってくれてないと、その人にとって私の苗字が何か意味のあるものだなんて知ることも絶対になかった。

しかも、苗字なんて自分じゃ決められない。

生まれた瞬間に与えられたもので、自分が好きこのんで選べるわけじゃない。

そしてその人の趣味だって私は決められない。

世の中にどの位のプロレスラーが存在しているのか数は知らないけれど、その人の好きなプロレスラーと私の苗字がリンクしてるだなんて、誰が想像できただろう。

しかも2人が趣味で繋がってる仲良しさんとは知らずに、プロレス女子さんと私は仲良くなれた。

幾つもの繋がりを経て、今に至っている。



ありがたいことに、そうやって足あとみたいなのを残してくれてるから、私は私でタイトル見ても意味不明な記事を見に行くことができる。

そうした中、つい最近、自分で付けたことさえも忘れていたタイトルが統計画面に現れた。

センスがあるんだかないんだかわからないけれど、とにかくすごいタイトルで、まぁすごいと言うのはタイトルからではとてもじゃないけれど、何を書いたのかわからないもの(@_@)。

読んで驚いた。

今日書いたのか数ヶ月も前に書いたのか、全く違和感なくその中に入っていけた。

話の中での時間軸がわからなくなった。

感覚が変で、過去のその日でも今日でもない、とにかくそれは未来永劫、永久不滅なものの中で紡がれてるみたいだった。

その中に綴られていた自分の心情は何も変わっていなかった。

今も当時も一緒のままで、それがより一層よくわからない感覚を呼び覚ますのかと思った。

途中からボロボロ泣けてきた。

色んな想いがどんどん溢れてくる。

目で文字を追いながら思った。

その人の目はどんな気持ちでその文字たちを追っているんだろう?って。

その文字の向こうには何を見ているんだろう?って。

その人も読んだと思しき記事を私も読む。

その人の目の動きを想像する。

そこまで具体的に想像してたら、また涙がボロボロと出てきた。

いつかの夕方の時間を思い出す。

私は普段電話対応をしなくて良かった。

どうしても手がない時だけ対応する。

その時、1本の電話を取らざるを得なくて私が取った。

その人宛の電話で、「戻り次第折り返します」と先方に伝えたら伝言して下さいと言われてしまった。

また伝言が全然何を言っているのか私は理解できなくて、そんな超イレギュラーな伝言を預かった。

それでも私は、「本人に渡せる(♡´艸`)」と思って張り切ってメモを書いた。

なのに、ジムさん経由で渡すことになってしまった(T_T)。

仕方ないからメモを渡して、「あーあ、私渡したかったのに(T ^ T)」とかいつまでも心の中は悪態ついてた。

私が帰る段になって、その人がジムさんからメモを渡されていた。

時が止まったかのように、その人は随分と長い時間、ずっとメモに視線を落としたままだった。

私は最初自分が何か間違えたかやらかしたかと思って様子を伺っていたけれども(←ちなみにガン見)、そうではなさそうだった。

どんなに長くても15〜20秒もあれば読み終わる内容だった。

なのに、数回は繰り返し読めそうなぐらいの時間、じっとメモにだけ視線をを落としていた。

その時の様子が思い浮かぶ。

あのいつかメモをじっと見ていたように、目でこのブログの文字を追ってくれているのかな…と想像すると、涙が出てくる。



こんなに色々と赤裸々に書いたら、もうブログは見てくれなくなるかもしれないなぁと思った。

Wさんのことで何か動けば、そちらは超ネタとして面白すぎるから私は確実に書く。

だけど、その人のことで何か動きがあっても、今度はもう何もここには書かない。

それはネタにできないから。

ネタにできないし、ネタにしたくない。

それは私だけが知ることのできるストーリーだから、それだけは自分で独り占めしたいと思う。



私は本気で賭けることにした。

もし本当に繋がれる人だとするなら、その人とは必ず繋がる日が来る。

私はブログの統計ページのことはずっと黙っているつもりでいた。

そんなことを赤裸々に出されては相手も嫌だろうなぁと思ったから。

だけど、これがある意味私が持っている手持ちのカードの最後の1枚で、もうこれ以上のカードはない。

最後の1枚に私は賭けることにした。

これを出しても、そしてこれだけ繋がってると現代らしいツールで知れても、それでも繋がらない時はもう繋がってはいけないんだと思う。

それははっきり言って、相手や私の意志なんか関係なく、そうでなければいけない理由が必ずある。

だけど、繋がれる相手ならそのように物事は動く。

どちらの場合も、もう私の意志では何も動かせない。

だから、最後の1枚を出してあとは様子を見ることにした。

運命の1枚。

これであとはどう出ても、もうやれることはやったから、結果いかんではすぐには受け入れられなくても、それでも最後は納得できると思う。

私の中での区切りは誕生日。



今日夜出かけた時に流れてきたBGM。

「物語が僕を拒んだって
誰かが運命を定めたって
会いに行くよ
どこにだって
探し続けるよ」

“Koi androp ”

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