2016年2月6日土曜日

改名した人

最近仕事を通じて仲良くなった子からfacebookの申請が届いた。

久しぶりに「友達の数を増やす」目的ではない人からの申請ですごく嬉しかった。

何せ数ヶ月放置中のfacebook。

開いたついでに、わたしは自分が誰と繋がっているのかを確認してみた。

1人、「友達」になっている人で、全く身に覚えのない名前の人がいた。

名字も名前も知らない人。

わたし間違って登録でもしたのだろうか?と思い、その人のページを見てみた。

そうしたら知人であることが判明した。

例えば女性で結婚していて改名したとか、反対に知り合った時既に結婚していて旧姓を名乗って

いるというタイプの名字の違う人は何人かいる。

だけど、男性で本人の本名からは何一つ受け継がれるものがなく、全くの別人の名前になると

いうのは、これが芸能人だとか何かしら本人の安全を守るための理由でそうする以外は何とも

変な印象を受けてしまう。

その人とは別の人だけれども、数年前「名字」しか絶対に名乗らない男性に会ったことがある。

実際に本人にお会いして話を聞いた時に、私はなぜ名字しか名乗らないのか失礼でなければ

教えて欲しいと、純粋な興味で聞いた時があった。

今振り返ると若気の至りではないけれど、よく聞けたものだと思う。

相手の答えはこんな風だった。

「自分のビジネスの師匠にあたる人から、有名になればなるほど自分の身の安全を守るのが

とても難しくなる。

そうなる前に別の名前を用意しておいて、そちらでビジネスでは通す方が良いと言われたから、

だから自分は今のところ名字のみ名乗っている。

今後は人前で名乗る時も、もっと別の名前に変更しようと考えている」

ということだった。

わたしは呆気にとられた。

こんな言い方は失礼だけど、その人を見て話を聞いて

「この人は絶対に将来大物になる」

というエネルギーは一切感じられない人だった。

むしろ、あの手この手と手を変えるだけ変えて、でも本人の力は何一つ追いつかず表面的なこと

だけをひたすらよく見せるタイプの人にさえ感じた。

実力が伴ってから言っているのであればまだわかる。

でもそうではない。

そしてその方はセラピーだったかコンサルだったかそういう類いのことを生業にしようとしている

途中だったけれど、その後に出逢った本物の人たちはそんな名前がどうだとか職業名がどうだ

とかで勝負することもなく、ただひたすら自分の持っているものを純粋に惜しみなく出して、そして

ひたすら自分のことに従事しているタイプの人ばかりだった。

そんなことを思い出しながら、今日見つけた知人の名前の変更。

変更した名前はたしかにとてもきれいで整っている風な印象を与える。

本当にその名前が本名ならそれで違和感もなかったかもしれない。

だけど、当人の本名も知っていて、そしてその人の在り方も知っている以上、その名前と本人とが

全然マッチしない。

せっかく良いものを持っている人ゆえ、余計とその改名の名前の浮いた感じがしっくりこない。

本名の方はたしかに目立つ名前ではないし、印象に残る名前ではないのも本当。

だけど、その本名から取ったあだ名と本人の印象はものすごくマッチしていて、わたしはその

あだ名で呼ぶ時もそして呼ばれる本人の様子も何も違和感がなかったから、あれを大事にした

方が絶対にいいのにと余計なことまで思ってしまった。

多分本名は改名せず、通称だけを変更したのかなとは思う。

たった一度、子どもの名前を変更した方から話を聞いたことがある。

離婚とかではなく、そのお母さんにとってはものすごく納得のいかない理由での変更となり、

聞いてるわたしもその時ばかりはとても同情した。

その時の手続きで家庭裁判所まで行かなければいけないことを言っていて、名前を変えるって

すごく大変なんだと知った。

その方は家庭もあるから、そんな面倒な手続きを家族全員分してまで改名しているとはとても

思えないので(子どもはまだ未成年)、本当に表向きの改名だと思われる。

名前って生まれた瞬間、真っ先に与えられるものの1つだったりする。

名字はその家系にご縁があったということ、名前は少なくともその子どもに関わる大人たちが

考えて付けたもの。

もちろんどの子も平等に愛され家族の元に生まれるとは限らなくても、名前こそその本人の何か

大切なものを表すようにわたしは感じてならない。

わたしは子どもの頃、自分の名字がものすごく嫌でたまらなかった。

からかわれる名前ナンバー1と言っても過言ではない名前だった。

大真面目に佐藤や鈴木のような名前に憧れた。

だけど風向きが変わったのは大人になってから。

わたしは今の自分の名字のおかげで、色んな場面で救われている。

どんな職場に行っても、基本的にわたしはあまり「さん」付で呼ばれない。

その時々で名字をアレンジしたあだ名で呼ばれる。

もちろんみんながそんな風に呼ぶわけではなくても、そう呼ぶ人たちもたくさんいる。

仕事の上であだ名があると、これはわたしのものすごく勝手な解釈だけど、何か難しいことを

やりとりしなければいけない時もちょっとだけ場が和らぐ。

そしてプライベートでも仕事でも同じ呼ばれ方をするから、わたしもいちいちよそ行きの顔をせず

そのままで仕事ができるから楽チンだったりする。

最初の改名した知人のことに戻れば、その方がどういう理由で改名したかは知る由もない。

だけど名前は自分の感じ方ひとつで、同じ名前でも印象ががらりと変わるものだと思う。

あんなに嫌だと思っていた名前も今ではものすごく愛着がある。

50を過ぎてからの改名で、そこまで嫌だったなら仕方ないけれど、全然関係ない理由で簡単に

変えてしまっていたとしたら何だか残念な大人だなぁと思ってしまう。

0 件のコメント:

コメントを投稿