2016年2月2日火曜日

贈り物についての考察

『贈り物についての考察』なんていうタイトルを付けている時点で卑しい感じがしてしまう。

だけど本音だから仕方ない。

事の発端は今日の仕事帰りのこと。

今の職場は徒歩圏内に「百貨店」と呼ばれる建物がいくつかある。

デパ地下もある。

徒歩圏内にあるからと言って、そうそう足を運ぶ場所ではないけれど必要であれば行く。

今日は同僚の人とついでに行こうとなって行ってきた。

彼女とわたしの目当てのものは、今月末に辞める際に配る菓子折りだ。

菓子折りである必要はないけれど、これまで退職した方たちも皆きちんとした菓子折り系の菓子を

用意していた。

わたしたちは2人だから金額も2等分できるけれど、1人で用意する人たちはなんと60~70人分

の菓子を1人で用意する。

どれだけふざけているのかと思われるの覚悟で言うと、正直スーパーで売ってる菓子でも買って

配って歩きたいとさえ思っている。

会社の慣習で配るだけで、こんなにも用意するのがためらわれる贈り物もそうそうない。

自分を良く見せるための言い訳とは違うけど、これまで数々の職場を渡り歩いたわたしは、お世話

になった方たちには、とにかく色んなものを贈ってきた。

高額な方になると、数千円の花束を用意して家まで届けた方もいる。

そこまでしてやったという意味ではなく、それをしたくなってしまう程、本当によく面倒を見てもらい

至る所でフォローされ、そしてわたしのどんな愚痴も至らなさも受け入れて常にサポートして

もらったから、もう花束では足りない位の恩をたくさん受けていた。

せめてもの恩返しでの花束だったし、他の品物だったりする。

ブラック企業と呼ばれるところで働いた時も、最後はお世話になった方数名には個人的にお礼の

品を渡した。

それらを選ぶ時間も楽しかったし、そして一言手紙を添える時も真剣に考えて書いたものだった。

そう、いつも仕事でお世話になった方たちへ何かを贈る時は、そこに自分の気持ちもこもっていて

自らの意志で贈り物を用意していたのだった。

ところが今回はだいぶ勝手が違う。

正直、なぜ人数分の形だけのお菓子が必要で、ましてや名前すらわからない人もたくさんいて、

そこにどんな意味があって贈るのだろうと思ってしまう。

はっきり言って、お金さえもったいないと思っている。

これまでも共同で用意したり、多人数分を一気に用意したりしたことはある。

だけど一度たりとも今回のような気持ちで贈り物を贈ったことはない。

少なくとも「お世話になった」せめてもの心付けのようなつもりで用意していた。

だから贈り物の品物候補で色々考えを巡らすことはあっても、なぜ贈り物を用意しなければ

いけないのかなんていう、とんでもなく低レベルなことを考えてしまうことはなかった。

まさかそんな気持ちで何かを贈るなんて、人生で体験するとは思ってもみなかった。

自分でも腑に落ちていない今回の贈り物だけど、もうそれは最後の大仕事と思って突破するしか

ないと思っている。

ちなみにもっともっとしたくないことは、最後のご挨拶だ。

それこそ何とか辞退できないものかと真剣に願っている。

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