2016年2月5日金曜日

対照的な気持ち

こんなことを1日の中で2回も(実際は知人の話含め3回)聞く日があることに驚いたけど、本当に

あるのだからある意味すごい。

2人の友達から全く別々に1人はかばんを紛失盗難に遭い、もう1人は海外で強盗に遭ったと連絡

があった。

前者をA、後者をBとして話す。

本人の過失度で言えば、Aの方がうんと高い。

単純に電車の中にかばんを忘れたらしい。

そこにはありとあらゆる貴重品が入っていたから、本人の困り方も半端ではなかっただろう。

Bの方は滞在先のホテルの前で身ぐるみはがされたように盗られてしまったらしい。

こうして文章にすると、Bがものすごく大変だったことがわかる。

だけどわたしは、状況的なものは圧倒的にBの方が大変にも関わらず、Bには怒りまで湧き、

Aには自ら本当に大変ならわたしにできることがあればすると連絡した。

Bにももちろんできることはすると伝えたけど、わたしが頼まれたことはわたしの予想をはるかに

超える金額の海外送金だった。

申し訳ないけどそれはできないと伝えて断った。

もしその指定された金額を持っていたとしたら、わたしは出したかどうかわからない。

金額ではなく、もちろんお金の貸し借りがどうこうというのでもなく、もっと個人的な感情の中で

わたしがしっくりきていない部分があるから出さないと決断するような気がする。

ちなみにAがなぜそんな個人的なことを伝えてきたのかと言えば、元々今日の夜会う約束を

していた。

それがそういう事情で今、仕事の合間に諸々の手続きに奔走している状態で、今日の夜は当然

飲んだくれているわけにもいかず、それで事情を伝えてキャンセルとなった。

Aは一言も助けてとも何とかしてとも言わず、淡々と自分のやるべきことをこなしている風だった。

だからAには逆にわたしの方から、何かできることがあればするということを具体的にできることの

例も挙げて伝えた。

何もできないし何もすることはないけれど、Aには心から早く解決に向かうといいねと思っている。

片やBの方はそうもいかなかった。

まず最初にわたしは、いたずらメールがBのメールアドレスを通じてやってきたのかと思った。

幸か不幸か、わたしはそこに書かれている英文をすべて解読できてしまった。

海外にいて日本語の打てないパソコンから送信しているのだから(とも書いてあった)、それは

それで仕方ない。

最初の感想は、本人が書いたが50%、何かに乗っ取られてのメールが50%だと思った。

英語も基本的に日本語と同じで、わたし個人向けに書かれたメールや文章かそうでないかは

読んでいたら伝わってくる。

大量に出すための一斉メールであれば、英語でもそのにおいはぷんぷんとする。

でも今回は、自分の私情を挟んでいることもあってか、よくわからなかった。

これがわたし宛のものなのか、そうでないのか、もしくはそのような文章を1つ書いてあとはそれに

対して反応してくれる人を待つために書いているのか…。

だから大変失礼ながら、わたしは友人の心配よりもこのメールが本人が書いたかどうかが最初に

気になってしまうという風だった。

だからとりあえず短い英語と日本語の文章で返信した。

本当にトラブルに巻き込まれているのであれば、○○円までなら送金すると具体的な金額まで

挙げて返信した。

そうしたら本当に返信が来て、そしてわたしが提示した金額を大幅に上回る額と送付先の海外の

銀行名と具体的な送金した際に発生する手続きの最後の部分だけ書かれてきた。

金額ももちろんだけれど、そもそもわたしは海外に送金したことがなく、当然そうなると海外に送金

するための銀行口座なども持ち合わせておらず、今の時代はわからないけれど、わたしが海外に

いた時は必ず海外に送金するための特定の銀行が必要だった。

その特定の銀行にまずは入金して、そこから次は海外のわたしの銀行口座に入金するという

手続きを取っていた。

その役割は家族が毎回担ってくれていたから、実はわたしの方が海外送金に関してはずぶの

素人だったりする。

もちろん何が必要かを簡潔に伝えてもらうことは必要だったりする。

だけど、何て言うのだろう、そこに自分側だけの都合が述べられていて、それにも腹が立った。

大変な状況の時に相手の都合まで考えろというのは無茶だと思う。

だけど、話の流れで、例えばすべてわたしが海外送金のための手段を持ち合わせている体で、

そしてわたしの都合などお構いなしな感じの表現と、わたしははっきりといくらなら送金できると

書いたにも関わらずそこはスルーでわたしからしたらとんでもない額をさらりと提示…。

何かがいちいち神経に触って、わたしはとてもではないけれど冷静にそのメールを読むことが

できなかった。

少し時間を置いて考えてみると、多分わたしの神経が逆撫でされたところというのは、おそらく

普段の関係性なんだと思う。

普段お互いにやりとりしていたり、不精なわたしはその普段さえも1年に1回や数年に1回になる

可能性も大だけど、それまでの積み重ねたものがベースになる。

Bの場合、その関係の中で大きくわたしを怒らせた過去がある。

怒ったのはわたしが勝手に怒ったことではあるけれど、わたしからしてみたらそれってどうなの?

と思うことがいくつか度重なった。

だから互いに距離を置き、もう2年から3年はやりとりをしていないと思う。

最後に連絡をもらった時も、わたしは非常に変な感じで終わったことは覚えている。

何て言うのだろう、これってある程度見知った人にかける言葉だろうか?と思ったこと。

言葉の内容は忘れたけれど、こんな言葉なら黙って何も言われない方がうんとましだと思ったこと

それは覚えている。

そんな最後の終わり方以来の昨日のお願いだった。


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