2020年12月3日木曜日

名刺のお守り

朝、お守りセット的な巾着袋を用意していた時に違和感を覚えた。


だけどいつもギリギリ出社の私は、違和感は一瞬にして過ぎ去って、諸々用意して家を出た。


車を運転して1分、歩いても行けるぐらいの地点に差しかかって、何がないのかわかった。


膝の上の巾着袋が角張っていない。


お守りの名刺を忘れた、と見なくてもすぐにわかった。


袋の感触で何があってないかすぐにわかる。


引き返したら間違いなく遅刻するから、名刺はないままで行くことにした。


ソワソワと心が落ち着かない感じはあったけれど、逆にお守りの名刺がないとどの程度困ったり、はたまた不吉なことが起こるのか起こらないのか見たらいいと思った。


そんな風にして1日過ごした。


普段お守りの存在なんか忘れてるくせして、「今日は持ってきてない」と思うと、仕事中でさえも何回か「今日持ってないんだよね」と心の中で思った。


妙に気になってしまった。


毎日仕事がコロコロ変わるから、やることを忘れないようにあれこれメモをしている。


メモしてもすぐに忘れる。


今日も平気で忘れていて、相変わらず仕事へのモチベーションの低さが際立っている。


だけど、名刺のお守りのことは忘れない。


家にあるのに、それでも心が落ち着かない。


執着と言われようと、紙切れ1枚には何の効能もないと言われようと、私にとっては他に代えられない大事なものなんだと改めて思った。


名刺を渡した人だって、まさか自分が渡した名刺が今もずっと残されてるだけじゃなく、日々お守りとして持ち歩かれてるなんて思いもしないと思う。


名刺だけが唯一形ある実体として、その時が本当に存在していたことを物語ってくれる。


時々、その時が本当にあったのかわからなくなる時がある。


漫画なんかで「これ夢じゃないよね?」とほっぺたをつねるシーンがあるけれど、本当に私もほっぺをつねろうかと思うくらい、現実に起こったということを信じられない時がある。


だから1枚の名刺が、唯一その人から手渡されたもので、今も自分のところに証拠品のようにあることが「本当に現実にあった」と私に教えてくれる。


名刺を手渡しできるくらいの距離感にお互いが存在していたんだというのが、時間の経過と共に幻のように感じる時が増えた。


それとは別に、日常的にほぼ自分のすぐ隣りに置いているから、自分でも気付かないうちに見えない部分を守ってくれる心のお守りのようになっていた。


あまりにそれが日常に溶け込みすぎて、今回みたいにたまたま手元にないと気持ちが落ち着かなくなってしまうくらいに、すごい存在感を放っていたことにも気付いた。





ふと思い立って、今日はお風呂で本ではなく日記帳を読んだ。


3年前のピッタリ今日があったらいいなと思って開いたら、本当にあった。


そこには、その前の日だったかに、その人の同期の男性が来たことが記されていた。


当時の今日時点で、今は同じ課にいることや、その同期の男性は一度もGCと呼ばれるところに立ち入ったことがなかったらしく、それで見たかったと言って来たことが日記には書かれていた。


全国各地にあるだろうGCとそこに転勤になる人の確率を思った時に、凄い確率で出逢わせてもらえたんだなということを当時も書いていた。


北は北海道、南は九州、どこが転勤地でもおかしくなかっただろうし、そしてそんなに長くは転勤期間もないようだから、それら全てを加味して、ピンポイントでいる期間に私もちょっとだけ同じ場所にいさせてもらえたその確率たるや、もはや数字では表しきれないと思う。


さらに遡(さかのぼ)れば、そもそもその人がその会社に入社しないとだし、その仕事は専門的な知識が必須だから、もっと言えばその知識を得るための進路選択を学生の時にしないとだし、その分野は私には全くもってちんぷんかんぷんだから、それを思うとその分野にそもそもの興味がなければその世界には入っていなかったことになる。


そういう1つ1つの人生の選択をその人はその人、私は私でそれぞれが重ねた結果、ある時同じ職場に居合わせるわけだから、本当に信じられない確率で全ては起きている。


そのことを綴っていた。


その日の私は東京に向かっていて、その新幹線の車内で500mlのビールを飲みながら書いていた。


他にもこれから向かう東京への気持ちとか書けるだろうに、そこには今ここに書いたようなことだけを書いていた。


改めて読み返して、そしてそれを書いてから3年経った今読んで、その意味がもっともっとわかるようになっていた。


同期の人が何人いるのかわからないけれど、そして転勤先の候補がいくつあるのかわからないけれど、それら全てを掛け合わせて、2017年の夏にピッタリと新潟のど田舎にあるその事務所にその人が配置されるのは、限りなくゼロの確率で起こっていたことだとわかる。


そして時を同じにして、私がそこの職場に派遣で行くこともその時限りで、その2つを掛け合わせたらもはや天文学的数字過ぎて、もう二度とは引き起こせない確率の中で起きていた。


その人の同期が来たのは、その日1回だけだった。


もしかしたら新潟への転勤は、その同期の人だったかもしれない。


もしくは、そこに派遣で行ったのは私ではない他の人だったかもしれない。


本当に1つの狂いもなく全てがなるべくようになっていた。


そのことを鮮明に、同期の人のその日の様子と共に思い出した。


同期の人は、当時の長だった人とだけ少し話して、あとはずっと静かに物珍しげに中の様子を見ていた。


私はその事務所の中でも、そうやって外部から誰か来る時は誰よりも関係ない立場と立ち位置にあったから、その時も例外なく同期の人と話すことも軽く会釈することもなかった。


もし同期の人とその人とが逆だったのなら、私はその人がひょっこり事務所に一度訪れたとしても、生涯知り合うことはなかったと断言できる。


そして、もっと当たり前だけど、その人の名刺を本人から直接手渡してもらえるなんてことは1000%なかった。


たとえそれが慣習的にそうしていただけだったとしても、そしてそんなのは本人は忘れてて覚えているのは私だけだったとしても、本当の本当に起こったことで、その証と言わんばかりに手元にはその名刺が今もあることは変わらない。





そうやって引き合わせてもらえたから、もうそこで全部完了だったのかもしれないなぁと最近は思っている。


時間が経てば経つほど、物理的距離以上にもっと離れて色んなことが薄まるんだと感じている。


最近は私がブログを頻繁にはアップしてないのもあってなのか、ブログを読まれているのかいないのかも正直よくわからない。


私はこのまま書き続けるような気はしているけれど、その人の日々の中にぽつんとあった武士俣ブログは消えてなくなっていくのは時間の問題のように感じる。


その消えゆく状態に少しずつ今は自分を慣らしてるような気もする。


リハビリと言わんばかりに、そして良くも悪くも仕事に行って自分の身を多少は忙しくして他の色んなことにかまけることで、その人とあった時間を自分自身も遠いものにする準備をずっとずっとしているのかもしれない。


3年前の夏、一生分の癒しをその人からもらったと言えるくらいのものを私はもらえたから、それが今生における全ての予定だったんだと、まだまだそれを信じられずにいるけれども、そうだったんじゃないかと受け入れる努力はするようになった。


もし繋がり続けることが互いの人生の計画にあるのなら、今は違っていたと思う。


連絡を取り合っていただろうし、タイミングと気持ちが合えば普通に会うことも叶っていたと思う。


そうではない人生なんだと思う。


繋がる時はどんなに無理だと思われても繋がる。


繋がらない、繋がる必要がなければ、どんなに条件が揃っていても繋がらない。


現実の立ち位置や社会的スペックなんか抜きにして、普通に会えるような関係が良かったなぁなんて今でもよく思う。


非常に不可解過ぎる、そしてひたすら己の修行みたいな、魂の繋がり関係ではなくて、普通におしゃべりを楽しめる関係が良かったなぁなんて思う。


当時の職場では他の誰よりも私は喋らない人だったけれど、今日々、男性100人いますみたいなフロアに仕事中いて、色んな男の人たちから普通に話しかけられて、人によっては世間話されたりもする中で、別に私は特段話しかけづらいタイプとも違うように思う。


世間話できるくらいの近さがあったのなら楽しかったかもしれない。


無い物ねだりしても仕方ないけれど、本当に普通におしゃべりできる関係に私は憧れたし、今だって叶ったのなら嬉しいなぁとさえ思っている。


その人から見た私はどんな風かはわからないままだけど、こういう人間的な縁は片方の意志だけではどうにもならないから、私は友達的な感じでも縁を結びたい人とは違っていた、それが全てだと思う。


ブログはどういうわけか気付いてもらえたけれど、それで十分なんだと思う。


不十分なら違う未来や今があったと思うから。





今となっては幻の名刺になっているけれど、いつか自分が自然と「もう持ち歩かなくてもいいや」と思える時まで持ち歩こうと思っている。


そして持ち歩かないと思える時は、私の心の中も今とは違うはずだから、その違う心持ちの未来を楽しみに待てるくらいになりたい。


もっと欲を言えば、その人と繋がらなくて大正解だったと思えるくらい、互いに気持ちの通う人と出会えたらいいなぁと思う。

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