2020年10月11日日曜日

ランキングに違和感

 リンク先:「若い頃にやっておけばよかったこと」ランキング


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年を取って気づいた「若い頃にやっておけばよかったこと」ランキング

2020/09/23 06:30

ダ・ヴィンチニュース


旅行プラットフォームを提供する「株式会社エアトリ」は、「年齢を重ねて気がついた、若い頃の自分に『〇〇はやっておけ』と伝えたいこと」についてアンケート調査を実施。対象は10代〜70代の男女687名です。

 男女ともに1位となったのは、「外国語を学べ」でした。

 40代の男性は外国語について、「仕事の幅や将来の可能性を広げるために必要。今、転職活動中で中途半端な英語力しか無いことに後悔している」とコメント。他にも、「柔軟性があるうちに身につけるべき」「頭が柔らかい学生の間に勉強しておけばよかった」などの理由が挙げられています。

 2位にランクインしたのは、「海外旅行」。やはり若い頃の方が「身動きがとりやすい」「体力がある」と考える人は多いようです。

 続いて3位に入った「人脈を広げておけ」では、「あの人とまだ付き合いが続いていたら……と思うことが多々ある」「大切な友人を見極めることで、どれだけ後の人生にプラスになるか痛感している」といった経験談が続出。


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この記事のランキングに対して色々と違和感を覚えた。


2位はさておいて、1位の語学を学ぶことと3位の人脈を広げることは、どちらもいかにも日本っぽい考え方だなぁと思った。


そしてそのどちらも、今語学力も人脈も本当のところ必要がないんだろうなぁなどと思ってしまう。


単純に「語学力」と言うけれども、自分が今人生で初めての英語に携わる仕事をしてみてつくづく感じる。


語学力と一言に言っても、それは会話力なのか文章力なのかそれは全く違うものだし、そして仮に私並みに英語ができたとしても、今みたいに機械関係に関して専門知識を全く持たないと英語がどんなにできていても歯が立たない。


英語はあくまで手段であって、無いよりも有った方が良いという考え方はわかるけれども、英語だけではどうにもならないことの方が多々ある。


さらに、10ヶ月近くあれこれ機械関連の英訳やら会社の機密事項に関しての英訳やらをやってきてわかったのは、英語力以上に交渉力と説得力が必要なこともわかった。


社内で私が英語について質問やら添削のお願いやらを頼めるのは、3人しかいない。


3人とも技術を知った上での英語力を持っている。


この3人だけは、私が言っていることを即理解してくれるし、どれだけやばいことかも瞬時に察してくれる。


私が見て「ヤバイ」と感じるレベルは、意味がわかる3人からするともっとヤバイわけで、三人三様色んな形で助けてくれたり方々と交渉してくれたりする。


これが英語を知らない人たちが相手だとどうなるかと言うと、

・面倒くさがられる

・適当でいいよと言われる

・話を聞くフリして何もしないで放置する

の確率が9割を占める勢いで、そこをなんとかギリギリのラインでその時にできる最善のことをしている。


さすがに毎回毎回わぁわぁ騒いでいたら、周りの人たちもあきらめたのか察したのか、とりあえずマズいことにならないように耳を貸して動いてくれたりするようになった。


そんな風だから、英訳する時は私個人の力での仕事になるけれど、そうではない交渉関係はもはや英語力ではなく完全に違う能力を必要とされる。


肩書もなければ派遣という立場で、会社のすごく大きな要所を担当するというのははっきり言って桁違いにおかしなことになっているわけで、そもそもそんな状況が異常なわけだけど、いずれにしても「語学力」があれば何かプラスになるという考え方は、何か物事の一片しか見ていない考え方だなぁと思う。


むしろ語学力がないなら、他の何かが秀でていればいいわけで、英語がわからなくても私のしつこい質問攻撃に耐えてくれるだけじゃなく、おかしいと感じたら周りに確認したり英訳しやすいように日本語を変えてくれたりしてくれる人たちが担当にあたると心底救われる。


確実に誰しもが得意不得意があるわけで、不得意なことをがんばるよりも得意なことを極めていく方が確実に効率的で生産性が高いと思うのは私だけだろうか。


さらに言うと、語学力がゼロで日本語オンリーで交渉事を散々した人を私は知っているから、ちなみにその人は上に書いた典型的な例で、そういうものを目の当たりにすると「語学力」って本当になんだろう?と思ってしまう。





3位の「人脈を広げる」にもとてつもなく違和感がある。


記事の中の理由を見るとさらにゾッとする。



「あの人とまだ付き合いが続いていたら……と思うことが多々ある」「大切な友人を見極めることで、どれだけ後の人生にプラスになるか痛感している」



何その意味不明な理由!とツッコミたくなる。


要は自分にとってプラスになるかどうかしか見ていない。


私も英語や英語×専門知識に関してはあれこれ頼まれ事をされてきたからわかるけれど、本当にそういうゲスい理由で近付いてくる人たちというのは必ずわかる。


そして「くれくれオーラ」ばかりで自分側が疲弊するのも毎回わかるから、私なんかは理由を適当に並べて断ったり上手くフェイドアウトしてなかったことにしたりする。


これは私の個人的経験則からの感じ方だけど、相手が自分にとってプラスとなるかどうかを元に人間関係を築こうと思っても無理だと思う。


私が知り合った人たちですごい人たちは色々いるけれど、別にそれ目当てで近付いたのではなく、仲良くなって話をしていた先に実は超すごい人だと知ったパターンばかり。


「大切な友人を見極める」って、どれだけ失礼な考えなのかと思う。


相手が何かをもたらしてくれる人なら大切で、そうでないなら大切ではないってこと!?、とツッコミどころ満載すぎる。


しかも、そんなこと言う人というのは、自分はじゃあ何を相手に提供できる気でいるんだろうと思う。


自分が得することばっかり考えている卑しさは絶対に外ににじみ出るし、それに触れることの具合の悪さと言ったらない。


そういうことは自分も気をつけたいし、そんなことで人を失うようなこともしたくない。


話は少し変わるけれど、最近とみに東京にいる占い師のおばちゃんの言葉を思い出す。


「自分の力で勝負しなさい。

あなたズルしちゃダメよ。

ズルしても上手くいかないから。

自分に正直にいなさい。」


そんなようなことを何回か言われた。


でも実際にそう思う。


自分でやれるだけやってダメなものはもう仕方ない。


縁がない、または私のすることじゃない、という意味なんだと思う。


もちろん1人でできることは限られているし、人の協力なしではやれないことも多い。


だけど、自分がやれるものを適当にやったりいい加減にやったりはたまた人任せにしたりするのは違うと思う。


そこは自分の力でやることが大事だと思うし、そして今なんか特にわかりやすいけれど、本当に何とかしなきゃいけないものに関しては外からヘルプが入る。


目に見えない世界の部分で、そういう規則というか循環みたいなものが存在しているんだと思う。


いずれにしても、こんなのが普通に情報として出回るって怖いなぁと思う。


ランキングでしかないけれど、その中身をよく吟味したり自分なりに考えたりしないと、自分の足元がぐらつきやすくなる。


世の中のおかしな考え方が当たり前みたいになって、そのおかしな風潮こそが正しいと人々から支持される、あたかも良いこととして刷り込まれる、そんな世の中、本気で世知辛いし生きづらい。


そういうマジョリティーなものではなく、自分の気持ちや自分の考えをどこまでも大事にできる自分でありたいなぁと思う。

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