2020年10月4日日曜日

4回目の秋

>>9.29

ずっと在る感覚。

こんな感覚になることなんて他にない。

異常みたいな感じなのに、それが自分の日常になっている。

その人のことはこの世の誰よりもどういう人なのかを知らない。

本当に知らない。

知らないのに誰よりも自分の中にずっといて、ずっと在る人。

さすがに3年もすると慣れてはきたけれど、私の中では人生史上一番ヘンテコなことだと思っている。

最近は検索魔ではなくなってきたけれど、このあまりにもぶっ飛んだ感覚に自分でも訳がわからず、それで超調べまくった結果、魂の関係で魂の再会なんだと自分の中で結論付けた。

最初は半信半疑どころか99.9%は疑っていた。

だけど、もうこの世の一般常識では説明できないことばかりで、「もしかして…」の方が本当(真実)なのかもしれない、と思うようになった。




>>9.30

検索魔だった頃、相手も同じような感覚だと色んなサイトが謳っていた。

そうだったらいいな…と思ったけれど、とてもじゃないけれどそうだとは思えなかった。

相手から好意のかけらどころか拒絶したい気持ちだけが私の目の前では呈された。

本当の本当に嫌だと言わんばかりの感じで、でも何かが全部少しずつズレていて変な感じや違和感があった。

私もやめとけばいいのに、時間をくださいと言ってみたり手紙を書いたりした。

私のことが生理的に受け付けられないのかとも思わなくはなかったけれど、それもどこか違っていた。

とにかく色んなことがチグハグだらけで、頭と心と体とが全部バラバラみたいな感じだった。



当時とても印象に残ったシーンがある。

その人がいなくなった翌日か翌々日だったと思う。

その人の後輩くんが何か用事があってその人に電話をした。

電話が終わるなり事務さんに
「引っ越し無事終わりましたか?ってそんなに悪い質問ですか(涙)?
それ聞いてすごい機嫌悪くなったんですけど…」
とかそんなようなことを言っていた。

愚痴と言うよりも、その人の態度に後輩くんはショックを受けていたし、本当に半泣きみたいな感じで言っていた。

事務さんからは「デートしてるかもしれないんだから、電話が邪魔だったんじゃない?」みたいに返されてた。

それ聞いて私はさらにモヤモヤしたけれど、そうではなく、もしその人も同じように色々モヤモヤとしてるなら、それがそんな風に出ているのかもしれない…、とちょっぴり思った。

この土地を離れることは全く寂しくない、と仲の良い人にその人は話していたようで、それを後日聞いた私はそれにも撃沈したけれど、なんか違うような気がした。

ちなみに淡々と書いてはいるけれど、当時はそういうことを聞くだけで他のことは何にも考えられなくなるくらい、ものすごい勢いで自分の中は影響出まくりの反応が止まらない状態だった。

しかもそれが一瞬だけじゃなく、本当にズルズルと何時間も自分の中でリフレインされるくらいの影響力だった。



検索魔だった頃は全然信じられなかったけれど、今は感覚が同じかどうかなんて測れなくても、本当にそうなのかもしれないと思うところも出てきた。

さすがに単なる興味関心だけで私のブログをチェックしているとは思わない。

関係を発展させたいのとも違うだろうけれど、かと言って全てを断ち切れるほど簡単なものでもないんだろうと思う。

本当は最初、関係を「持ちたい」って書こうとしたけれど、持ちたいだと違う意味合いに捉えかねないからやめて「発展させたい」に変えた(苦笑)。

真夜中の4時にしては冴えすぎな私の頭(!)
4:18am



>>10.2 満月

ずっと書こうと思って忘れていたことを1つ、今書いてしまおうと思う。

9月に3年前の色んなことを振り返りながら書いていた時に、今回初めて気付いたこと。

かなりどうでもいいというか、他の人から見たら「だから何?」状態でも、私からするとこういう偶然は嬉しいなぁと思ったことだった。

私が色んなものに突き動かされてその人に手紙を渡した日というのは、私の誕生日の日にちと一緒だった。

そしてその人が私のところにそっとやってきて、その時に必要なものを手渡してくれた日というのは、その人の誕生日の日にちと一緒だった。

どちらもたまたまだし、計画されたものでは全くないけれど、それでもその偶然の一致は嬉しかった。



魂同士の再会、要は生まれ変わってもまた出逢うこと、それが本当だとするなら、言葉はずいぶんと甘美だけれど、現実は全然甘くない。

そうだと仮定して話を進めるけれど、私もこうなるまで、生まれ変わってももう一度巡り逢うなんて「素敵♡」と思っていたけれど、いざ体験してみて「素敵♡」なんて全く思わない。

ひたすら修行のようなものばかりで、この世的なしあわせからはとてつもなく遠い。

魂の修行というか、魂の精度、純度を上げるのか、とにかくひたすら自分に向き合わさせられるし、もはや相手とどうこうなるとかいうよりも、自分自身が1人でも本当にしあわせに生きていく覚悟や在り方を問われてるようにしか思えない。

いわゆるソウルメイト的なものにも段階があるようで、ガチなものになればなるほど自分修行みたいな要素が色濃くなるみたいだった。

検索魔だった頃は今ほどにはピンとこなかったけれど、あの時に見ていた「自分に向き合うこと」の意味は、実際に様々なことを体験して体感レベルでわかってきた。

本当にひたすら自分との向き合いがこの3年の1番のテーマだったかもしれない。



もう一度、最初の話に戻りたい。

「在る感覚」

とにかくその人の存在は、こうして会えなくなってもそのうち記憶が薄れたり存在感が薄れたりとかいうことはなくて、ひたすらに「在る」とか「いる」としか言いようがない。

3年前の夏、東京にいる妹と一緒に行ったヨガで、目を閉じて色んなポーズをとったり、はたまた仰向けになって目を閉じて瞑想のようなことをしていた時間、何をしていても一瞬の隙もないくらいにその人が体のありとあらゆる細胞の中に存在している、それが自分でもはっきりとわかって、その時はまだ全然上手く言葉になんかできなかったけれど、その時からきちんとその感覚は自分でも認識できるようになって、それ以降今に至るまで基本変わらない。

その人もいなくなったし、私の方も3年前とは日常にある色んなことが様変わりしたけれども、そういう感覚は変わらない。

魂って変なの、とさえ思っている。

これだけ時代も自分の日々もあれこれ変化している中で、その人のことだけは何も変わらない。

そしてもし、その人の中でも似たようなことが起こっているとするなら、それは混乱や恐怖みたいな気持ちが湧いてもおかしくないだろうなぁと思う。

何せ個人的な会話をしたことがないからどんな風な人かはわからないけれど、少なくとも仕事はバリバリ理系の分野で、白黒はっきりとした世界、数字が基本、みたいな中にいるわけで、私みたいに感覚で何事も動いていくのとは全然違う。

感覚人間の私、スピリチュアル的な目に見えない世界の知識のある私でさえも驚くぐらいのことなのに、その人からしたらこの訳の分からないことたちはさらにどんな風に映っているんだろう?と思う。
4:33



>>10.3

昨日、あまりにも言いたくて仕方ない、けれど超どうでもいいゴシップ的な内容を社内メールを使ってイケメンエンジニアの硬派さんに送った。

今私の席は共有プリンターのすぐ隣りで、硬派さんが印刷物を取りに来た時にしばらくそのメールに書いたどうでもいい、でも可笑しな内容について笑いながら話をした。

スーパーくだらないのはわかっていたけれど、そのくだらないことにクスッと笑ってくれたらさいわいと書いたら、硬派さんは
「本当にクスッとなりました。ああいうのも好きなので」
と私の目を真っ直ぐ見ながら、茶目っ気を含みながら言った。

硬派さんは余計なことは喋らないし、基本的に自らベラベラと喋るタイプじゃなく静かにしている。

その人とどことなく似ている。

そういうやりとりをその人ともできたのなら、今は全然違っただろうなぁと思う。

修行みたいなものじゃなく、それこそクスッと笑えるような瞬間がもし存在していたのなら、ものすごく救われていただろうなぁと思う。

仮にメールのやりとりができる、もしくはごはんに行けるぐらいの関係があったとして、でもそういう関係だといつかその人に彼女や奥さんができたら消失してしまう関係なんだと容易に想像できた。

今みたいに何もないことが実は一番安全でいられるのかもしれない、と思った。

魂の関係は、見えないところで繋がって、いざという時に心のお守り的な役割を果たしてもらえる、そういうものなのかはわからないけれど、その人に関してはそういうものに今のところ落ち着いている。

ずっと在る感覚は変わらない気がするし、そういう状態なのにその人の隣りに誰かいるとするなら、そんなのは知りたくもないし、もはや私には全く関係のないものだから、在る感覚だけを残して離れて生きるのが人生の正解なのかもしれないなぁなんて思う時もある。

次目指すのは、その人のことが何も気にならなくなる状態が一番健全で且つ現実的かなと思う。

その人とやりとりするには、その人が私に連絡をくれる以外に手段がないわけで、それは悲しいくらいに非現実的でこれがあともう少し待ったら起こるとかいう可能性よりも、そうならない可能性の方が、むしろそうならない可能性しか思いつけない。

私が結婚したり妊娠したりする可能性の方が(こちらも限りなくゼロだけれど)、まだありそうかも…と思うくらいに、その人と私とが個人的にやりとりができるようになることはないんだろうなぁと思う。

あまりにもわからないから「魂の繋がり」としておいた方が、自分の中が日々健やかに保てる。

今さらどうにもできないけれど、普通にちょっとしたやりとりができる仲だったら良かったのになぁと今でも思う。

個人的に聞いてみたいのは、その人の中ではどんな感覚なのか、お互いに答え合わせをするように情報共有してみたい。

まぁ変は変だったんだろうなぁとは思っているけれど、その人側からはどんな風に見えていたのか、知れたら面白かっただろうなぁと思う。
ーーー土曜日の朝8時



心の中で色んな葛藤が沸き起こる。

こんなこと書いてどうするのか?と思う自分もいれば、気が済むまで吐き出し続けようと思う自分もいる。

魂に刻まれた記憶のようなものは、一度スイッチが入るとどうやら止まらないらしい。

「らしい」というのは誰かの説ではなく、私が経験してそのように感じている感想。




>>10.4 朝の5時

「在る感覚」

一番近いのは心臓かと思う。

心臓は自分で動かしてるつもりがなくてもきちんと止まることなく動き続けてくれるし、「ここに心臓がある」なんて意識しなくても体内にいつの時もある。

仕事や日常のことは、あれこれ忘れないように付箋やメモを残す。

だけどその人のことは何にもがんばらないし特別な記憶法を使ってるわけでもないのに、ずっとずっと24時間365日体制で稼働しているし、心臓と同じでどうやって止めるのかを知らない。

こんな感覚、他にはないから自分でもお手上げで、今書いてて心臓を止める方法を知らないのと一緒ならもう仕方ないじゃんねーと思った。

その人側にももしかしたら心臓現象みたいなことが起こっているのかもしれない。

自分のことを卑下するつもりはないけれど、とっさに「ご愁傷様」と思った。

心臓現象があると仮定して書くと。

私なのかその感覚なのかわからないけれど、拒絶したくなるくらいのものがずっとあるってそんなの拷問だなと思う。

同じ心臓現象でも、私側と相手側とでは全然感じ方が違う気がする。

おかげさまで私側の人生はキラキラとして生きる喜びを得たけれど、相手側は悶々としてドヨーンみたいな、もちろん内実は知らないけれど、そんな感じがしてならない。

思考で動かすものは変えられても、とっさの反応は変えられない。

熱いもの触って「あちっ!」ってなるのに、それを触って「冷たっ!」ってならないのと一緒で、反応するのは仕方ない。

どうやったって変えられない。

魂側は「生まれ変わってもう一度会えた!やったー!(ガッツポーズ)」とかなっていたとしても、3次元の日本で生きる人間側にしたら「なんでこんなことになってるんだ?」状態でありがたみなど1ミリもないんじゃないかと思う。

相手の反応を気にしても仕方ないし、私にできることは何もないから、私は私で自分の人生を生き切るしかやれることがない。

3年間ああでもないこうでもないとその人のことは本当にあれこれしてみたけれど、もうどうにもならないと観念したのと、そして相手の気持ちも変えられないことを本当に受け入れ出した。

私1人だけが会いたくてもそれは叶わない。

在る感覚が仮に同じでも、会いたいというのはまた別の話だし、話してみたいのもそれは私1人だけの可能性が高い。

いくら相手が私だったとしても、私だって誰かの彼女なり妻なりになれば、男の人と2人でコソコソと会うようなことはしない。

私が誰かと一緒になる可能性だってこの3年間ゼロではなかったはずなのに、その人はそれでも困りもしないだろうし、それはどちらでも構わないからこんなにも何もしないんだろうと思う。

そんな風に思うと、これから先も連絡の1つさえ期待できないから、私はもう自分がどうやってこの状態と上手く付き合うかだけを極めていくしかない。

付き合ってくださいとか結婚してくださいみたいなことは絶対に迫らないから、どうか安心して連絡ください、と言いたい。

1つだけわがままを言えば、これから先も自分の気が向いた時はこんな風に書いてしまうけれど、もうそれは仕方のないこととしてあきらめて欲しいこと。

ホロスコープに興味があるのか、はたまた自分の人生を立ち止まって見つめたいのか、その辺りは全くわからないけれど、星読みもいつでもするし、会わなくて済むようにデータだけ送信することもできる。

それはいつでもウェルカム。

頼まれたら、喜んでやるのにー!っていつも思ってる。



その人が転勤で新潟を離れた日から通算4年目になった。

とりあえず9月が終わってくれて良かった。

9月は日を追って何がどうなっていたのか、それが3年経とうがものすごく鮮明に残っていて、センチメンタルな感じが時々よみがえってきた。

もう会えない現実と全く薄れてくれない記憶と、その狭間にいて心の中は色々とグルグルした。

4年目に突入したら、とりあえず日を追って何かみたいなのはないし、3年前の10月も今年の10月もその人がいない毎日は同じだから、そういう点で心のザワザワはないに等しい。

来年の今頃、「5年目に入って」と言ってても別にいいか!と初めて開き直れた。

この自分やこの状態に今よりも慣れるだろうし、慣れた分楽になれそうな気がするから、そして会えないことももうそれが普通のこととして受け止められるようになるんじゃないかとそれはかなり期待しているから、ここから先は「楽になれる」展望が抱ける。

3年前は絶望一色だったのが、今年は小さな希望が、それがたとえ望んだ形ではないにしても、そうやって希望があるのは明るい兆しを感じる。

確信を持った魂メイトなんてその人が初めてだから、もう一度会えるなら本気で会って話してみたいと思うけれど、自分が迷惑千万にしかならないのにそこにノコノコと顔を出すほどの鉄の心臓は持ち合わせてないから、そんな日は来ないだろうと思う。

本当にそんな風に生きている間に引き合わせてもらえたのは奇跡で、それだけでも人生の目的は1つ果たされたのかもしれない。

私側のオカルト性質がオンになって、それはいつの時も不安や恐怖と隣り合わせみたいなところがあるけれど、そうした時にその人とわかるサインが来るのは超絶ありがたいことだし、それがある時は、げん担ぎじゃないけれど、私も「大丈夫」って思える。

本当にそういう役割の人だったんだろうなぁと思う。

役割なんて言うと何かすることみたいだけれど、本当にすごいのは何もしてなくてもただ存在しているだけでそれが誰かのためになることだと思う。

その人は私にとってそういう人で、そんな人に人生で1人でも出逢わせてもらえたことはとてつもなく大きい。

だから、十分すぎるほどその人から色々分け与えてもらったわけで、それ以上を望んでももうそれは望み過ぎなのかもしれない。

「足るを知りなさい」ということなのかもしれないし…。

何個か前の文章に「確信を持った魂メイト」と書いたけれど、それはその時はわからなくて、その人と同じ職場で働いていた時もわからなくて、少しずつわかり始めたのはその人がいなくなってから何ヶ月もした頃で、そして今ほどの確信を持ったのは本当にここ最近の話。

私も疑り深いし、基本怪しげな精神世界の話は今も苦手な感じはしっかりとある。

だけど、このことに関しては確信を持てた。

それは啓示がもたらされたとかお告げがあったとかではなくて、それこそこの3年と数ヶ月の時間を過ごしての色んなことを総合的に見て体験しての「そうだろう」という結論。

私だけがそのように思ってるだけでいいかと思っているし、私の方はそのように解釈する方が自分がしっくりときて気持ちが楽になれる面もあるから、それでいいことにしている。
ーーー日曜日の昼下がり

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