2020年6月25日木曜日

たられば妄想

吉本ばななさんのエッセイを読んでいた時だったと思う。

そんなことが書いてあったのか、書いてあった内容から私が想像したのかは忘れたけれども、初めてのタイプのたられば妄想をした。

もし過去の自分が過去とは違う選択をした場合の苦しさを想像してみた。

ごはんに誘う、手紙を書く、書いたものを渡す。

これらをしたことで、とんでもない修行並みの重苦しい時間がやってきたし、相手の不快感なのかなんなのかを引き出して、さらには子ども並みの無視をされて、心がこれ以上ないくらいに折れて、色々散々な結果とそれに伴って心も大変なことになったはなったけれども、それは当初から予想していたもので、上手くいかなくてもその上手くいかないことを引き受けると決めて動いていた。

想像以上の心の折れ方だったし、相手の無視もこれまたこの世でこれ以上の打撃なんかありませんというくらいの破壊力で、私が覚悟していたさらに上を行き過ぎていた。

それでも、今となれば当時の選択はそれで良かったと思っているし、実際にもたらされた方の大変さの方は私はなんだかんだと引き受けることができていたんだなと本を読んで気付いた。

今気になって、その時に読んでいた部分をもう一度斜め読みしてみたけれど、本の中の言葉ではなく、そして本が引き金ということもなく、どういうわけか私は突然「たられば妄想」を始めたみたいだった。

話を戻す。

「もしごはんに誘わなかったら、もし手紙を書かなかったら、もし手紙を渡さなかったら」

現実とは反対のこちら側を選んだ時の想像をしてみた。

私はこれまでそちら側も想像したことがないわけではないけれども、いつもそれは苦しさを想像したのとは違っていた。

今回はそれらを選ばずにいた時の苦しさを想像した。

選ばずにいて、傷付くことはなかったかもしれないけれども、何も伝えなかった後悔をずっとずっと持ち続けることの方を初めてリアルに想像した。

話は少し変わるけれども、思い出した。

その少し前に、数日前に仕事であったことを思い出したんだった。

数日前、私は完全に嵌められて騙されたみたいな事態になって、私一人が上層部の怒りをひたすら受けるというとんでもない状況下にいた。

本当に必要な確認だったし、悪いことをしたのではなく周りの人たち人たちみんなの言葉を代弁しての話だったにも関わらず、なぜか不要かつ不本意な怒りを引き出して私にもろに当たるということになって、でもそれを知ってその人は私を上のところに1人に行かせたんだと知ったら、怒りも沸いたけれどもそれ以上に悲しかった。

そんな酷いことを自分が逃げるためとは言え、私にしてもいいって思ったわけで、顕在意識は知らなくても無意識のうちにその選択がその人の中で為されて、そんな風に軽くそして痛い状況に私一人を押しやってもいいと判断されたのが本当に悲しかった。

そんな時に朝ドラの台詞を思い出した。

主人公とソリの合わない弟浩二が母親に「母さんは父さんの何が良かったの?」みたいなことを聞いた。

母親である菊池桃子は名家から嫁いだ人で、何も道楽でお気楽すぎるそれ故に苦労も絶えない唐沢寿明のところに嫁がなくても他にも嫁ぐ場所なんかいくらでもあっただろうに…と浩二は思っての質問だった。

菊池桃子は答えた。

「たしかに父さんは騙されてばっかりだけれど、人を騙したことは一度もねえ。父さんは人に騙されることはあっても人を騙すことだけは絶対にしねえ。そういうところかな」

そんなセリフだったと思う。

仕事の時のことをそれに当てはめた時、私は騙されたけれども相手を騙したり窮地に追いやったのとは違うから、そちら側にならなくて良かったなぁと心底思った。

そんなことを思った時に、私は当時「伝える」ことを、それはすなわち「自分に正直になる」「自分に嘘をつかない」ことを選んで、それゆえの苦しさや傷はたしかにあったけれども、反対に伝えずに自分に嘘をついて何も言わず沈黙を通したとするなら、あの激情を抑え込んで生き続けることの方が実は辛かったんじゃないかと思った。

騙す騙されるとかいうのとは違うけれども、自分の意と反対のことを選んだとするなら、そちらの方が何十倍も私の場合は苦しかっただろうと思う。

何せダメ元で全ては動いていたから、相手の反応は想定通りと言えば想定通りだった。

それは想定内ゆえに最初から覚悟していたし、そうなるって本気で予想していたから、そこから生まれる色んなことも最初から引き受けると自分の中で決めていた。

でも反対の方を選んだとするなら、そうはならなかった。

ごはんに誘わなくてもそれは今となってはどちらでも良かったけれども、むしろ誘わないことで得られただろう最後まで良い空気だけをその人との間には保たれたと思うから、そちらはまだ私にとっても他の素敵な選択肢があったわけで、そちらはどちらも…という気持ちがある。

だけれど、誘ったことで無視されて、無視された翌々日には転勤を社内の人から知らされ、本当にどうにもこうにもならないと知った私は突然手紙を書き始めたわけだけれど、もし誘わなければ無視もされず、でもかと言って手紙は書かなかったと断言できる。

あれは究極の状況すぎて、今伝えなければ何も伝えられないと思っての苦肉の策だった。

本当に世にも不思議な手紙だったけれども、ラブレターみたいなロマンチックな雰囲気は全くなく、あんな手紙、私ももう生涯を通じて誰にも書かないと思う。

手紙がなければ伝えることももちろんしなかったし、そしてこんな風にブログも書かなかった。

とにかくあったこと全てをなかったことに私はしたと思う。

自分に嘘をついて、その嘘から生まれるやり場のない気持ちを、一生持ち続けたんだろうと思う。

自分に対する不信感と、そしておそらくだけれど魂側の打撃は半端なかったと思うから、それの方が心にも体にもきついものが来たんじゃないかと思う。

そちら側をもし引き受けたとするなら、私はそちらの方が現実にここまでやってきたことよりもきつかったし耐えられなかった気がする。

ごはんに誘ったり手紙を渡したりしなければ、たしかに無視もされず最後なんかはこれ以上ないくらいの笑顔で見送って相手からも可も不可もない笑顔くらいは返されたと思う。

けれども、代わりにこんな風にブログを書くこともなければ繋がりも見えず、そして後悔しまくったのではないかなと思う。

魂側の意に反するというのは、ものすごく打撃がある。

この3年ほどを見ていたらわかる。

魂の意に反すると、私の場合はわかりやすいくらいに体や心に絶不調という名の不具合が、それも長いこと寝込まないといけないくらいの不調に襲われるからすぐにわかる。

その人に何かを伝えるのは、人間としてというより魂が輪廻転生してまで果たしたかったもので、それを無視なんかした日にはものすごく大変なことになっていたんじゃないかなと予想している。





「なくしちゃいけないもの」

2020年下半期の魚座のしいたけ占いに出てきた言葉。

私がこの3年間必死に守ろうとしていたのが何かわかった。

その人の存在というのは本当に不思議だったし、今もどの立ち位置にあるかなんて上手いこと言葉では説明できない。

だけど、少なくともいつのどんな時も私の中にいて、私にとっては生きるモチベーションで、さらには神仏のごとく困った状況になるといつもその人に向かって「助けて!」と謎のヘルプを無意識に飛ばして、救いの手を求めた。

実におかしなことをしているし、自分でも時々「変なの」と思っている。

その人との間に起こったことの話を他の人に良くは言われないと、私はめちゃくちゃに怒った。

悪くも言わないけれど、良くも言われない、むしろダメ出しかそんなことってある?みたいな否定的意味合いの問いかけをぶつけられたりもした。

その人と私は何でもないし連絡さえ取れないのにこんなこと言ってどれだけ痛い人なのかとも思うけれども、それでもやっぱり私はその人のことがとても大切でその人のいたひと夏の時間は他に代えられない、一生大事に心の中にしまっておきたいものになっている。

結局死ぬまでの間にもう一度会えなかったとしても、「いつか会えたらいいな」という気持ちを持つことが私の明日への命を繋ぐもので、強烈に辛いことや痛ましいことがあっても、それでも次の一歩を踏み出す時にその人の存在が必ずある。

その人がいてくれる、ただそれだけのことが私の中の大事な何かに繋がっている。

「なくしちゃいけないもの」

その言葉を見て、真っ先に今書いたようなことを思った。





たられば妄想をしても仕方ないけれど、もし私がブログを書かなかったとするなら今はどうなっていたんだろう…。

今でこそすごい速さでiPhone越しに文字を打ち込んでいるけれども、元々はパソコンで打って、USBに入れて、ネットカフェに行ってアップしていた。

そんな面倒をしてまでアップしていたのは、今だってiPhoneで文字を入れてアップしていると言うと周りに驚かれるけれど(と言っても、2人ないし3人ほどにしか言ったことない)、とにかくその手間暇をいとわずにやるのは、その人がいるからに他ならない。

元々長文を綴るクセはあったけれども、その人が現れるまで私は1年半近くブログを書かなかった。

困ることもなければ、もうこのまま再開しない気がしていた。

そろそろ再開して3年になるけれど、まさかその人がいつからかずっとチェックしてくれるなんて思ってもいなかった。

奇妙なやりとり?やりとりとも呼ばない、ある意味常に平行線で交わらないものだけれど、それでもそんな未来は1ミリも私は想像せずに始めたことだった。

私は、当時の私は、ミクロの可能性に賭けた。

そしてそれは今だから言えるけれども、そのミクロの普通に考えたら絶対に起こらないことに対して起こるかもしれないと思ったのは、「もしその人と私とが魂的な繋がりが本当にあるとするなら…」という、全く根拠ともならない根拠を思って賭けてみた。

魂的な繋がりだとするなら、ブログの存在に気付いてもらうこともブログが読まれることもブログを通じて何かしら繋がることも可能なんじゃないかと仮説を立てた。

やってもやらなくても変わらないのなら、やってダメな方が自分も納得できると思った。

あんなにも嫌そうにしていたから、見ることなんか絶対にないだろうというのも思っていた。

だからブログを書くことはそんなにハードル高くはなくても、本当にその人が見てくれるなんてのは全く想像できなかった。

書かなければ永遠に可能性はゼロでも書けば可能性がゼロ%ではなくなるよね?という程度の話で、そのミクロみたいな可能性を私が本気で信じたのかと言えば、それは信じたい気持ちは100%あっても起こるだろうと予想する気持ちはゼロ%だった。

もしブログを再開せずにいたとするなら、3年前の秋になったばかりのまだ半袖を着ていた日に、本当にすべてが終わったと思う。

その人は思いっきり私に背中を向けていたけれども、その背中を向けて全力で拒否しますみたいな最後の姿は今でもはっきりと覚えている。

その人の世界の中でどんな風に私がいたのかは知らないけれども、私は少なくとも後ろ髪引かれる思いで最後の姿を拝んでその場を後にした。

その人側は2年なり3年勤めた場所だから、そういう意味でその風景を見たとしても、その中に私がいるかいないかなんて関係なかっただろうと思う。

もっともその人の席からは私の席は見えない位置にあったから、私がいてもいなくても風景的にさほど差はなかったと思う。

そんな風にしか思えなかったから、だからこそブログがその人と繋がるツールになるとは思わなかった。

これがドラえもんとドラミちゃんがテレビ電話をしていて「そんなすごい道具があるんだ〜」と子どもの時に思ったような時代背景なら、その人がいなくなった時が最後になったと思う。

今みたいにネットが当たり前にあって、個人もブログを書けるからこそ、こういう手段に頼れる。

未だに不思議な感じがするけれども、何はともあれ繋がることができて本当に良かった。

「繋がる」と書いていて違和感があるけれども、便宜上ここではそう書く。

ここでも書かない選択を想像してみたい。

ブログを書くことは、本当に1つとしてボタンが掛け違ってはいけないことだった。

1つでも現実の出来事が違っていたのなら、間違いなく私はブログを書くことはなかった。

今思えば、ブログ以外には手段がなかったから消去法的にブログになったけれども、何て言うのだろう…、反対に何もせずなんとなくいいなぁぐらいに思う程度であれば私は最後まで静かにして送別会もがんばって参加して、とりあえずニコニコして、本当に一言二言だけ言葉を交わして最後の時を迎えたように思う。

そんな風ならブログは100%書かなかったと断言できる。

書かなくても困らなかったし、何か追加で伝えたいとかいうのも思わなかった。

ブログを書くことになる流れの中には、その人のこの上ない無視や拒絶感が大きく貢献していて、っていうかよくそんな中で書いたなと思うけれども、とにかく色々誤解されたり勘違いされたくなかった。

せめて本当のことをそのまま書きたかった。

今でもあの時の自分はとても動物的だなと思うけれども、とにかくひたすら言葉を綴った。

自分の中から出てくるままに書いた。

ということを一切せずに今を迎えたとするなら、こんな風にブログという場所でその人はその人のペースで私を知ってくれることもなかったんだなと改めて思った。

本当のところの目的は知らないし、読んだからと言って何がどうなるということもない。

でも書かない場合の現実が今あるとするなら、全く違った今だし、そしてその人のことは私の中でも違う風に残る、少なくとも今みたいに心の支えみたいな存在とは違ったんじゃないかなと思う。

迷惑万雷みたいな話だけれど、その人が心の中心にいることで私はどこかでいつも心強くいられるし、心のお守り的になっているところがある。

逆に会っていたとするなら、迷惑がられて追加で心が折れたかもしれないけれど、こんな不思議な形で自分の思っていることを吐き出せて、そしてその吐き出したものをその人の目に触れてもらうなんてことは起こらなかったと思う。

まさかブログが私にとっての救いの道具になるとは思ってもみなかった。

すごい繋がり方とすごい可能性の上に成り立っている話だけれど、この3年近い時間はその人の存在なくしては本当にありえなかった時間だった。

表立っては何もなくひたすら「無」の時間だったけれども、それでも私はこんな風に繋がれて?とにかく何かしらの接点が持てたのは本当に今でもとても嬉しいこととして受け止めている。

しかも私が無理なくやれることで接点を持てたのは大きい。

これが書くことがそもそも苦手とかならこんな風にはならなかったわけで、私はただただ出てくるままに書くだけだから、最初こそかなりの勇気が必要だったけれども、今は書きたい時に書きたいように書けている。

その書く行為がその人と繋がると思うと、もっと書くことそのものが特別な立ち位置になる。

書くことでその人と繋がれる、「無」から「有」になれるのはとてつもなく大きい。

形がユニークすぎても、もはや何でもいい。





「たられば妄想」として書き始めたけれども、何日にも渡って書いていたら、色々と変わってしまった。

もはや何の話なのかも着地点が見えなくなってきた。

着地点は見失ったままでも、その人とどんな形でも接点を持ちたいとか、自分の思っていることや感じていることを伝えたいのは変わらない。

先々なんてわからないから、とにかく今の今感じていることを大事にしていきたいと、書いていて改めて思った。

まだいた頃に、なんとか個人的にやりとりしてみたい!ってなったのが最終的にごはんに誘うというとんでもなくハードルの高いものになって(男友達と当時仲良くしていた子の旦那さんのアドバイスだった)、それが不発となって無視されたことで何とか本当のところを伝えたいというのが手紙になって、そして色々書けなかったことや新たに出てきたものを目に見えない可能性に賭けて発信してみようと試みたのがこのブログになった。

その時その時なんか全く先の見通しもなければどうなるかどれ1つわからないものばかりだったけれども、そして結果は思わしくないもの満載だったけれども、それでもその時その時の気持ちを最優先できて良かった。

もうここまで来たから、私は自分の気が済むまでブログから発信することは続けようと思っている。

そして、それが何にも繋がらなくても、唯(ただ)一つ、自分の気持ちを大事にしたことだけは残るから、それはそれでいいかと今は思う。

自分を大事にすることは、その人の出現によってできるようになったことの1つになっている。

その人と出逢った大きな目的の1つは、自分を知って自分を大事にすることなのかもしれない。

釈然とはしないけれども、私の叶って欲しいこととは違うことだけれども、それでも確実に変わったのはそこだと断言できる。

これからも窮地に立てば心の中で「助けて!」となるだろうし、その人がブログチェックする以上に私はブログそのものの閲覧歴チェックをするだろうし。

生きているうちに本当にもう一度会えるなら、私の人生はスーパー御の字になる。

それを夢見て、また引き続きたられば妄想もブログを書くことも続ける予定。

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