2020年5月25日月曜日

5月の心模様ー2020

夢の中で私は社会人最初に勤めた子どもの施設の仕事をしていた。

場所は施設の中ではないし、なんなら今の職場の人が出てきたりして色々はちゃめちゃだったけれども、その時の私はもうその仕事に以前のような熱意を持つことがなかった。

夢の中なのに、「もうこの仕事じゃない」と思っている自分がいた。





3年前は今考えても不思議な流れの中にあった。

もしコロナが3年前の今流行っていたのなら、間違いなく3年前のように仕事が速攻で決まることはなかったと思うし、なんなら「事務」の経験のほぼない私ではなく経験者が採用されていたと思う。

さらには越県自粛ムードだけじゃなく結婚式も自粛ムードの今を考えると、友達の結婚式もなくなったんじゃないかと思う。

当時の私の勤労意欲は「九州の友達の結婚式に参列すること」だったから、それもなく、コロナで自粛ムード、さらには派遣切り当たり前みたいな今が3年前なら、もう何もかもが別の展開になって、今は今でなくなったと思う。

今行ってる会社もコロナで業績がボロボロで、本来6月末で契約更新になる派遣の人たちの半分は契約更新なしになったと金曜日に聞いた。

役員以外の正社員とパートの人たちは、ついこの間の木曜金曜から週1で交互に休むことになって、給料も日割でその休みの日は1割カットになって9割支給とか書かれていた。(支給されるだけすごい。)

金曜に仕事終わって駐車場で同級生の同子ちゃんと喋っていたら、大きな工具箱を台車で運んでいる女性がいた。

荷物がひっくり返って2人で近寄った際に、その方いわく、技術見習いで他社から出向してきたけれども今日が最終日なこと、本当はもう少し長い期間を予定していたけれども、コロナで受注が激減して製作現場は本当に仕事がなくなって日々暇になってしまったことを教えてくれた。

私のいるところは相変わらずバタバタしているからコロナの影響をあまり感じないけれども(特に不具合対策だの現地に会社の人間が行けない代わりに手順書だけ行くだのという英訳依頼が続いているから、コロナは全く関係ない)、本当に色んなことが変わっているんだなと思った。

カレンダーを見て今が5月で下旬に差し掛かっていると気付いた。

本当に3年経った。

もう永遠に戻らない夏がまたやってくる。





3年前の今頃、どういうわけかあっという間に次の仕事が決まった。

当時の私はまだ自分の人生の特徴を知らずにいたから、何でそんなにも早く決まるのか不思議な感じを覚えたけれど、とりあえず結婚式に行くためのお金の心配をしなくて済んで良かったなーなんてのんきに思っていた。

その異例の速さが実は人生の中でも超大事な出来事に遭遇するためだなんて、あの時は想像のしようもなかった。

しかも当時、女子校ノリの職場で毎日楽しく仕事に行っていたから、次の職場も人がいいといいなぁとか、事務仕事も私のやれる範疇の難しくないものだといいなぁとかそんなことを思いながら過ごしていた。

そうやってあれよあれよと5月の終わりに女子校ノリの仕事は終わって、6月も中旬に入る直前に新しい事務の仕事が始まった。





3年経った今、当時の仕事の内容はほとんど覚えていない。

大量のコピーを取って、コピーした書類をファイルに挟んで、あとは時々経費の請求書とかを入力して…、それくらいの記憶しか残っていない。

そうだ。

現場仕事で使う物たちの納品書のチェックがあって、それが合わなくなると担当者に聞くこともしていた。

私は何度も何度もその担当がNさんではなくその人だったら良かったのにー!と思った。

その人はいつも目と鼻の先くらいな距離にいても、納品書の担当でもなければ、私のする仕事に1ミリも関与しない人だった。

もっと言うと、同じ空間にはいても厳密に言うと所属する会社が違うから余計と絡みがなくて、ほんとただの同じ空間にいる全体の責任者と他社の方の派遣社員という絡みたくても絡めない状態だった。

今ならより一層わかる。

当時の仕事は、朝から晩まで本当に一言も喋らない仕事だった。

あんなにも喋らなくて良くて誰とも交わらなくて良い仕事は他になかった。

教育係の人に仕事を確認したり、納品書の確認をNさんにする以外は、基本何も喋らなくて、どうして自分がこの仕事をすることになったのか不思議でならなかった。

今と比べるとよくわかる。

例えば週明けには部長と新人の子の報告と相談をする場が設けられるから、そこで私はかなりシビアな話をしないといけない。

そういうことをするとなると、私の頭の中はそのことでかなりいっぱいになるし、神経もそちらにかなり使われることになる。

周りを見る余裕なんてないし、誰かの一挙手一投足をひたすら見つめるだの自分の心の動きに注目するだのなんてしてる場合じゃない。

だけど、当時はそれが許されていた。

許されていたと言うより、むしろそれをすることが今のあなたの一番の仕事です、と言わんばかりにそういう設定と時間とが与えられていた。

だから私が日々仕事をしているフリをしながら、内実はその人の観察と自分の心の観察をすることに大忙しだった。

よくよく考えたら、私はその人がいなくなった後も半年もその職場に勤めたにも関わらず、その後のことはほぼほぼ記憶にない。

当時のことを思い出す時は、いつもその人がいて、そしてそこに色んなことを感じている自分がいる、そういう風景ばかりだと気付いた。





ある日の夕刻だった。

夏の終わりの太陽は、日が沈むのも秋に向かって早くなっていった。

ちょうど当時仲良くさせてもらったSさんの隣りにいた時、夕焼けがものすごく綺麗だった。

もう狂喜乱舞するくらいの綺麗さで、私はぎゃあぎゃあ騒ぎながらその様子をiPhoneを持ってきて写真に収めた。

他の女性陣にも見なきゃ損ですよ!と触れ回っていた。

一通り写真を撮り終えて自分の席に戻ろうと、窓とは反対の方に体の向きを変えたその先にその人がいた。

コピー機の近くでHさんと立って談笑していたのか仕事の話をしていたのかは知らないけれども、とても素敵な笑顔で喋っていた。

その位置から夕陽が見えるかどうかはわからなかったけれども、とっさに私はその人にも見て欲しいと思った。

同じものを見て、超わがままな願いを言えば、その人にも同じように感動して同じ気持ちを分かち合いたいと思った。

夕陽だけでもとびっきりのプレゼントだったのに、振り返ったら少し離れた先にその人がいて、ニコニコした笑顔が夕陽の色に染まっていて、そこだけがまたキラキラとしていた。

私の脳内がキラキラしてるとかじゃなくて、その人というのは本当にキラキラしたオーラを自然に放つ人だった。

その人のまとっている空気がキラキラしていて、それは今もっても他の誰の時にも見たことのない、その人だけの特別な空気感になっていた。

吉本ばななさんの小説の中の登場人物には、やたらとオーラや空気感の描写が多いけれども、私はあれは小説だからそういう風に空気感が意図して描かれているのかとずっと思っていた。

ばななさんが書いているような空気感なんて見たことも感じたこともなかったから、私はあれをずっと空想の世界のものだと信じて疑わなかった。

「あの人いい人だよね」とかいうのとも全然違っていて、とにかく空気が澄んでいてキラキラしている、そういうものをその人は持っている。

本当にリアルばななワールドのようなものを私はその人に出逢って初めて見た。

だから、その夕焼けの日に見たのは、その人が元々持っているキラキラした空気感と夕陽のオレンジ色の光とが重なって、さらにキラキラしたものだった。

本当はもっともっとガン見していたかったけれども、それこそそんなことしてたら変な人になってしまうから、チラチラとだけ見て、後ろ髪引かれる思いで自分の席に戻った。

あの時に「同じものを共有できたらどんなに素敵だろう」と思った自分のことも思い出した。

夕陽見る趣味があるかは知らないけれども、何でもいいからそういうものを同じ場所に立って同じものを見たり聞いたり食べたり感じたりしたいなぁと何度も思った。





3年前はやっぱり別格だった。

一生色褪せない、変わらない、夏の日だった。

生きている限り夏は毎年やってくるし、新しい記憶がどんどん積み重ねられていくと思う。

そうであっても、3年前の夏だけは永久不滅に朽ちることなくずっとずっと私の中に残っていく、そういう時間なんだと思う。

これだけを読むとまるで恋とか片想いみたいだけれど、私の中ではそれとは違う。

いつかどこかの人生で近しい関係にあった人と今世でも出逢うとあんな感じなんだと思う。

相手側からは私がどのように映っていたのかは全くわからないけれども、私の方は少なくともものすごく特別だった。

毎日毎日その人に会えることが嬉しくて、当時の私は毎朝ルンルンしながら起きていた。

仕事の内容はすっぽり忘れても、当時の感覚は今でもはっきりと覚えている。

それは体と心だけじゃなく、魂も三位一体になって記憶したんだと思う。

今まで生きてきた中で、その人のことみたいに何かを記憶したものは他にない。

また今年も夏が来るけれども、まさか3年経ってもその当時のことが鮮明に自分の中に残るとは思ってもいなかった。

その人のいない夏、その人のいない世界に慣れないけれどそれでも生きてる自分を見て、哀しくもあり、でもそれが今の現実だよと自分に言い聞かせている。

そんなこと起こらないと知っていても、私の脳内空想ではこんな願い事をしている。

もしたったひとつだけ願いを叶えてあげようと言われたのなら…。

私は何の迷いもなく、「その人といさせてください」とお願いする。

3年経っても同じことを思う自分にゾッとしながらも、それでも同じことを変わらずに願っている。

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