2019年9月1日日曜日

米と自然のリズム






コンテナーたちと米専用の建物
その近くの田園風景と晴れた日の夕空




何十台の軽トラを繰り返し繰り返し見送った。

農家さんの運搬用の車だからそんなにキレイな車内ではない。

なんだけど、そこには生きることが根付いているし、日々の営みも感じる。

本当に汚い車内も何台かはあったけれど、それさえも命の証、生きることの証みたいだった。




そもそも米の収穫をしてるトラクターや農家さんはあちらこちらで幼少期から見たことあるけれど、その後どうなったのかは見たことがなかった。

刈られた後、その米たちがどこにどんな風に運ばれていくのか、今回初めて知ることとなった。

本当に圧巻としか言いようがない。

私が今行ってる大きな米倉庫的な建物は、ネットで調べたら「米穀の乾燥・調製・貯蔵ができる施設」とのこと。

内部的な仕組みは全くわからないけれど、私がしているのは、米農家さんたちが収穫した米(米穀)を搬入する際に受付する最初の部分。

しかも今回はその最初の受付部分をここ3回の出勤で毎回担当しているから、農家さんから直で話を聞いている。

社会論者になる気はないけれど、食物破棄の話が頭をかすめる。

農家さんはそんなこと言わないし、ひたすら刈った稲たちとそれに伴っての自分たちの動きのみの心配をしている。

今回仕事して知ったことの1つ。

個人で家族で食べる分ではなく、世に流通させる米を作る農家さんの場合。

まず、ある程度の米の品種別稲刈りの時期に合わせて、米収穫所(農協)の稼働日が決定する。

品種別に刈った稲の持ち込み日が決められている。

私が行っているところは主に2種類で、今はそのうちの1種類だけ。

その持ち込みに関して、ものすごい細かいルールがあって、まずは天気を見ていつでも稲刈りをしていいわけではなく、持ち込みに際してうんと前から事前予約が要る。

機械で米の処理をしていく関係上、みんな好き放題に持ち込めるのではなく、機械の稼働許容率みたいなのを超えないように調整する必要がある模様。

事前予約の時点じゃ当然天気なんか読めない。

晴れに当たれば超ラッキーだし、雨で刈れなければ順延になる。

今年はこの秋雨前線の影響で新潟県は日照時間が極端に少ない、例年の6割程度とかに落ち込むと気象庁から8月の終わりに発表がなされた。

当然予約していてもダメになる。

雨で刈れないのは、もう何日も見ている。

今のところ稼働率50%の確率、イコール50%の雨の順延率を誇っている。

予約してもダメだと、また次へと移動になる。

今日(8/31)たまたま見たシーンで、おそらくこの1週間ぶり以上の晴れの日を見て、明日刈りたいとなった農家さんが電話をかけてきてる風だった。

電話で話してた男性職員は、事情を確認した後、みんなそうやって予約がずれて後に後に回っているから、そこを割り込んで入れられない、よってお宅も今出ている日程の再予約の一番後ろに回ってもらうことになる、申し訳ないけれどそうしかできないと説明していた。

だから、今日みたいなピーカンな天気でも、刈れないと知った。

それだけでも細かなルールに十分値するのに、今度は当日もまた細かなルールがある。

コンテナーの写真があるけれど、あれを軽トラに積む。

あれは貸出で、貸出のものは朝の8時から受付で、今日は15時までの貸出受付だった。

数百単位のコンテナーがあっても、機械が間に合わない。

収穫された米(もみ殻)は、大きな機械にかけられて、そして写真の中の建物の貯蔵庫のどこかにいくんだと思う。

その機械に投入するところのスピードは決まっていて、仮に貸出時間を延ばしても今度は機械の方が追いつかなくて、コンテナーの空きを作れなくなるらしい。

見ていてわかった。

午後2時頃にピークとなった数十分、コンテナーがとうとう足りなくなって、機械に投入されて空になったものから積むという非常事態になって、当然早くても3分前後は1つの空のコンテナーを作るのにかかって、当然搬入&コンテナー借り出しにきた農家さんみんなが待ちになって、数十台の軽トラの大行列がなされた。

私はその農家さんたちのコンテナーの搬出入がなされる場所の最後の誘導部分の係をしていたから、だから全員の農家さんと話ができるポジションにいた。

何せコンテナー貸し出しが午後の3時までだから、田んぼで稲の刈り取りはいくらでもまだできても、今度は運ぶためのコンテナーがない。

刈ったものを家の倉庫とかに保管するとかいうわけにもいかないから、確実に搬入できる分しか刈り取れない。

多くの人たちは、その大混雑を前に私の近くまで来ると、田んぼの現場の人たちに電話を1本入れて、もう少しやるかやらないかの連絡を入れてた。

何人から、「もっと刈りたいけれど、今日はもうダメだね」という言葉を聞いたことか。

何せ収穫所に到着してから、平均で30分、長い人は1時間以上の待ちになって、とにかくここで時間ロス、普段ならそれで倍から3倍の搬出入ができても、時間がそれを許さない。

そうやって本当に細かく規制された決まりの中で、各農家さんは稲の刈り取りをして搬入をしていた。

そしてそういうものが、流通されて、食卓に並ぶごはんばかりじゃなくて、それがせんべいになったりコンビニなんかのおにぎりやお弁当の米になったり、色んなものに変わるようだった。

流通先は全く知らないけれど、その中でもおせんべいは確実のようで、新潟県内のわりと大きな米菓会社のB級品のせんべいたちが農家さん経由で大量に私たちのおやつとして寄付されていた。

今目の前にあるお米の元がいつかはそうなるんだと知った。

それは気の遠くなる作業で、そんなに細かなことを経て私たちの口に食べ物として入るんだと思ったら言葉がなかった。




私は食べ物破棄とかベジタリアン志向とか、そういうテーマに丸っと関心がない。

ないけれど、いつもそういう話をニュースなり直接なり聞くと違和感があった。

机上の理論みたいな、どこか地に足の着いていない話みたいに感じる。

マクロビやベジタリアン志向の人の話や糖質オフの話も、実践している人は多いだろうし、それを真っ向から否定するなんて怖くてできないけれど、私が今回したみたいに現場の最前線、一番のスタートライン(生産者側)に立って農家さんたちとおしゃべりすると、本気で色々考えさせられる。

もし私がそうした志向の人だとするなら、とてもじゃないけれど、自分の主義主張を貫き通すなんてできない。

なぜなら、その人たちは本当に文句の一つも言わずに黙々と自然の流れに合わせて動いているから。

一番のスタートラインである生産者の方たちのあり方を見たら、人間側の偏った知識の偏った主義主張をするのは、本気でかなり恥ずかしいことだと感じた。

その人たちが今の世の中の主流みたいに、人間様のごとく人間ありきのリズムで動いてしまったら、日本のスーパーも飲食店も全て破滅する。

どういう気持ちで米農家をされてるのかは知らない。

イヤイヤ先祖代々の土地を引き継いだ人たちだって絶対にいると思う。

だけど、どの農家さんも本当に米というものに対して、そして自然に対して、ものすごく真摯に向き合っていられたのがとっても印象的だった。

農家さんたちとの会話はものすごく面白かったから、印象に残った話ややりとりを紹介。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

*「九州の大雨に比べたら、この程度の雨で済んで本当に良かった。あんな風になったら、全部が水の泡だよ」

雨がずっと続いて大変でしたねと言ったら返ってきた言葉。たしかに雨は降り続いていても、大災害からは免れている。無事に稲刈りまで来れたことそのものをきちんと感謝している風に聞こえた。
口だけの「ありがとう」ではなく、言葉はないけれど、ここまで来れたそのものにきちんと敬意を払っている、そういう無言のメッセージが伝わってきた。



*「自然のことだから人間にはどうにもできない」

天気の話はかなりな人たちとした。その中の1人の方が返してきた言葉。本当に最前線で自然に向き合っているから、私がここに書くと超薄っぺらくなるけれど、本当はすごく重みのある言葉だった。



*「あんたを責めてもどうにもならない。あんた責めて何とかしてもらえるなら、いくらでも責めるけどさ!わはは!」

「この時期は仕方ねぇさ」

「みんなが一斉に刈って、毎年のことだから」

などなど、何よりビックリしたのは、誰一人としてこの搬出入の大渋滞を責める人がいなかったこと。
私も必ずどの人にも「長いことお待たせしてすみません」と一言添えていたけれど、全然誰からも責められなかった。私が一言すみませんと言うのが相応しいのかどうかはわからないけれど、その一言が挨拶となって場が和むなら私はいくらでも言うよ!という感じで使っていた。もちろん、私のことも他の誰かややり方を責める人もいなくて、親切に「他の連中に『これで終わり』だってアナウンスして受け付けた方がいいよ、そうすりゃみんなも混乱しなくていいし、適当なところで(稲刈りを)止められるからさ」とか言ってくれる人までいた。

2、3ヶ月前?、ウン十億円売上を上げる工業関係のイベントのフードコート的な場の大行列の対応の時と大違いだった。
この食べ物は、協賛会社が出資していて、お客さんの大半は無料メシを食べれるようになっていた。
どうしても昼時は混むし、客側の列を正す人員もいなくて、クレームや怒りは全て受付の私のところに向かってきた。もちろん大半の人たちは理解してくれたし、みんながみんな怒ってるのとは違っていたけれど、やっぱり気持ちの良いものでは決してなかった。
今思うと、生産者の方たちというのは、とにかく自然の流れで産み出すものに関して、絶対にとやかく言わない。みんなが同じ事情なのも承知しているし、とやかく言ったって機械が追いつかないのは繁忙期仕方ないと、心から理解している。
第三次産業に慣れた今の日本は、人間が作った人工的リズムが当たり前で、第一次産業の自然と一体化するリズムは、そこに関わらないと存在感がものすごく薄く感じてしまう。でも、たまたま食べ物にまつわる「行列」というものを私は双方経験して、何でもそうだけど、生産者あっての、自然の恵みあってのすべてなんだと気付かされる。



*「あなたもここさばくの大変でしょう。ほんと、おつかれさま!」

「熱中症気をつけて!水分しっかり摂って倒れないようにね」

「お互い大変だわなぁ。そっちも大変だろ!」

そんな風に、私に労いや心遣いの言葉を向けてくれる人たちもけっこういた。それが本当に心から出た言葉だというのがひしひしと伝わってきて、短い会話の中から私は色んなものを農家の方たちからもらった。

小さな気遣いで、あってもなくても困らないものだというのもわかる。
だけど、けっこうな非常事態の時に、そうした心のやりとりができるのは、本当に心に響き渡る。それを知らない世界より知っている世界の方がうんと豊かだということも体感する。

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行く前は、どうしてこの仕事に行けることになったのかわからなかったけれど、この仕事は本当にものすごく面白い体験が満載で、私は今のところ全く飽きることなく、日々お楽しみのように出かけている。

「心の癒し」に絡めてあと2つは書きたいことがある。

そう、まさかこの米の仕事が心の癒しを生むことになるなんて思ってもみなかった。

ノムとのやりとり(こちらは超スーパー高濃度・心セラピー)や書く仕事なんかも、全部色んなことが今同時進行的に動いている。

一見お互いに何の関係もないみたいだけど、私が予想するに、多分水面下ではお互いにものすごく影響し合っていて、通常起こらないスピードで癒しが起きていると思っている。

だから自分の備忘録も含めて、今現在起こっている色んなことを記録に残したいと思っている。

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