2019年9月30日月曜日

米の仕事①仕事おわり

8月の稲刈り前

最終日:9/27の同じ場所の風景

休憩室のカレンダー



ペンジュラムでその仕事に行くかどうかを確認した時、きれいにYESが出た。

久しぶりに行く仕事は、ペンジュラムで最後は決めた。

最後に長期の仕事でYESが出たのは、2017年の5月だった。

いや、YESが出て行く気があった年明けの仕事は、ほぼ内定していたのに、他の派遣会社の人が入って話がなくなったとかで、ダメになりましたと言われた。

そこはダメになってくれて良かった。

ダメにならずそちらが採用されていたのなら、私は今回の米の仕事には行かなかったと思うから。

とにかく、たとえ1ヶ月でもそこそこ日々通う仕事に行くのは、1年半ぶりだった。

今回の仕事は、一生忘れないだろう、思い出深いものをたくさんもたらした。





米の仕事は、シリーズ化して書きたいぐらい、多分書いたら10話は書けるだろうぐらいにネタ満載だった。

だけど、それをしたらもういつまで経っても書かないだろうし、それは避けたいから、とりあえず今思いつくままに書きたいと思う。





米の仕事の現場は、超がつくぐらいのカオスだった。

まず初日に驚いたのは、5分程度の朝礼時は責任者はじめ愛煙者たちがみんなタバコ吹かしながらミーティングをすることだった。

外の受付のテントの中にも、30センチ四方はあるかと思われるでかい「すいがら入れ」と印字された缶からがあって、受付の時もみんなタバコを好き放題に吸ってた。

なんなら、フォークリフトもタバコ吸いながら運転するツワモノおじさんまでいた。

誤解を招くと悪いから言うと、どの人も米を作る農家さんだから、絶対に農作物に被害が出ることはしないし、農作物に関してはもうこれ以上ないっていうぐらいにリスペクトしていた。

タバコもセクハラも色々ありまくりではあったけれど、全然卑しさがなかった。

今、世の中でタバコ吸う場所も規制されまくりだし、各種ハラスメントに関しても超ピリピリしていて、派遣で何社か勤めたけれど、どこもかしこも「ハラスメント研修」が必須である。

そこは逆だった。

吸ってもいい場所ときちんと聖域として守る場所とを分けていた、各自の感覚で。

特定の喫煙場所はなくて、とにかく農作物を守るべきところでは吸わないという暗黙の了解が敷かれていて、それは見事に全員守っているから、見ていて気持ちがいいぐらいだった。

セクハラは毎日のように笑いネタとしてあった。

下ネタが聞かれない日なんて1日としてなかったと思う。

だけど、それも全然卑しさがなかった。

40歳の私が「若い人」認定されるだけあって、何人かの還暦越えのおじさんたちから肩や膝を触られても、全く嫌な感じがなくて、この人たち役得だなぁと思った。

反対に、何個か前の記事に、派遣の男性が派遣の女性にちょっかいを出していたことには、女性陣みんなでドン引きした。

「プールや海に行く?」(←ひとつにまとめたけれど、実際は2つの質問だった模様)とか、「スタイルいいね」と舐め回すように見ながら手をかざしながら言うなんて、気持ち悪すぎだった。

それもその子の身体的特徴をいくつか言って「自分はそういう体型が好み」と言った後のプールや海発言で、みんなでそれについての気持ち悪さを熱くバッシングしたのは言うまでもない。

他にも日々セクハラ的な発言を受けていたようで、そちらはみんなで気持ち悪すぎるという話になった。

おじさんたちは下ネタトークに日々精進していても卑しさが全くなくて、笑いに全て変わっていたけれど、派遣男性は真面目なフリして見えないところではそれで、本当に背筋が凍るような気持ち悪さがあった。

幸いなことに、それを知ってから私はその人には会ってなく、他の女性陣で普通に話していた人は知ってから気持ち悪くてガン無視していると言っていた。

話は戻して米仕事。

忘れもしない、2日目のお仕事の日。

その日は内部の大掃除をした。

建物は東京ドームひとつ分はあろうかと思うくらいの大きさだけど、事務所や休憩室なんかはコンビニ1軒分くらいの大きさでしかない。

休憩室の中を掃除した時、冒頭の写真のカレンダーを見つけた。

Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; )))) !!!

罪に問われても困るから一応加工してアップしたけれど、加工なしのフルヌードのアラーキーが撮影した写真が普通に飾ってあった。

不思議なもので初回の衝撃たるや凄かったけれど、見慣れると何ともなくなって、9月になっても誰もカレンダーをめくらないことが気になって仕方なかった。

9月の写真は超控えめで、だからこのままなのかと勝手に推測。

取引があるだろう会社からのカレンダーのようだった。

というか、その会社の社長もエロじじいなのかと勝手に想像した。

しかも、カレンダー1本当たりの単価は知らないけれど、他の企業カレンダーより明らかに単価高いだろうと思った。

他にもカオスなエピソード紹介。

男性陣の数名は、青空トイレを活用。

要は立ちション。

なんなら先日、室内で頼まれていた作業を終えた女の子が「〇〇さん、どこに行きました?」と責任者の人を探していた。

周りの人たちが「裏じゃねー?」などと言ったから、その子は裏に探しに行った。

何せ敷地が広すぎて、その後どうなったのかは私たちのいる場所から全く見えないから、そんなことはすっかり忘れてた。

〇〇さんが戻ってきた時に、「さっきSさん探しに来ましたけど、会いましたか?」と私が聞いた。

そうしたら、想定外の返事が返ってきた。

「ちょうどさ、立ちションしてるとこに来てさぁ、いやぁ焦ったてー!チャック上げてる時だったからまぁギリギリだったけれど、っていうか、誰も来ないと思って裏に行ったのに、何で裏なんて案内したんだ!?」

男性陣から「そんなこと知るわけねーだろ!」と言われていたけれど、本当に普通にそういうことが会話に出ちゃう職場だった。

野生的というか超自然派というか、とにかく何もかもオブラートに包まれることなく、色んなものがオープンすぎる職場だった。

そんな職場が私の長年のトラウマや今現在の色んなことを癒す場所になるなんて、全く想像さえしていなかった。

ちなみに私がそこに行った表面上の理由は、
・時給が高いこと
・雨になったら休みになること
・必要に応じて休めること
だった。

8月のあたまに占星術講座のクラスメイトだったノムから、書く仕事を一緒にやろうと声をかけてもらって、それをするために8時間×週5でみっちりの勤務よりも、適度に休みがもらえる方が良かったから、私には好都合だった。

8月こそ連休があったけれど、9月は1日休みばかりで連休なしだった。

けっこうなハードスケジュールだったけれど、私は連休がないことも気にならなければ、むしろ休みを取らずに全部行きたかったぐらいにその仕事に行くのが楽しくて仕方なかった。

私が休んだのは3回だけで、1回は単発の試験監督の仕事を入れていた日と重なって休み、1回はノムの昔からの友達夫婦が新潟にトーク会で来たからそれに参加するために休み、最後の1回はノムとミッチーが東京で2人展を初めて開催するからそれに行くために休み、それ以外は行った。

その3回も、上手い具合に休みの日と重なればいいのになぁと思ってた。

それぐらい私は行くのが苦になるどころか、楽しくて楽しくてしかたなかった。

これもあとから知ったことだけど、あの仕事は、誰と組むかがものすごく重要だったということ。

いつかのブログにも書いた気がするけれど、稲刈り繁忙期は主に3つの係があって、私はたまたま3つとも最低1回はやった。

3つのうち、喋ることも含まれる仕事は1つだけで、それに私は9割がた充てがわれた。

農家さんの受付は、文字通り農家さんの受付で、軽トラや2トントラックで刈った米(米穀)を運んでくるから、手書き伝票を見て受け付けるだけで良かった。

まさか無言というわけにもいかないから、農家さんと喋って、セクハラまがいなことも言われてもそれも適当に合わせて喋っていたら良かった。

常に色々変化するから、私には本当に合っていた。

たまに若い農家さんが来ると、受付係で「あの人若いよね」から始まり、遠くで見た時と近くで見た時の年齢差について語り合ったり、顔が好みか好みでないならどうがいいかを言ったり、本当に好き放題喋ってた。

繁忙期は本当に一瞬で、それ以外は暇になってくるから、その時は「待機」が仕事だった!

責任者の人も、朝タバコ吹かしながら、みんなに「待機も大事な仕事だっけ」と笑いながら言ってた日が何回かあった。

待機が仕事の日は、ことさら誰と組むかが最重要項目になった。

待機は文字通り「待つ」ことが仕事で、その間やることは何もなくなる。

本当に暑いさなか、後半は半袖だと極寒のさなか(10月中旬〜下旬みたいな寒い日があった)、何にもせずに待つわけで、その時は一緒にあたる人が楽しい人だと全く苦ではない時間になるけれど、これが合わない人と一緒だと本当に苦でしかなかった。

その待機時間にフォークリフトのおじさんたちも暇を持て余して、それで私たちのところにやってきて一緒におしゃべりするのが恒例となった。

ちなみに、おじさんたちもみんながみんな超人好きとは限らなくて、スーパーシャイなおじさんは絶対に輪には入ってこなかったし、反対に係の現場を離れても輪に入ってくる話好きなおじさんもいたし、それは人それぞれだった。

私はスーパーシャイなおじさんのはにかんだ笑顔が大好きで、おじさんが近くに来たら積極的に笑顔を向けたり話しかけたりという、普段なら絶対にしないことまでやっていた。

最後なんかは、近くになったら互いに小さな会話ができるぐらいまでになった!

私の当たった受付係だけが唯一楽しいお喋りが可能なポジションで、他の2つはそういうわけにはいかなかった。

2つのうちの1つは、私がいたところからは視界にさえ入らない場所にあって、そこで例の派遣男性のセクハラ事件が日々起こっていたから、そんなところに配属されなくて本当に良かったと思った。

運命のロシアンルーレットではないけれど、同じ時間同じ敷地内にいても、係や組み合わせによって体験することはまるっと違うようになっていた。

受付係も、本当に仲良しな女の人たちが2人いて、その人たちと一緒だと女子トークもこんなにも楽しいんだ!と感激した。

最終日は午前の3時間だけの勤務だったけれど、その時に初めて女同士も仲違いしてしまっている人たちがいることを知った。

仲違いした2人は、別に個人個人で接する分には何ともないと思っていたら、その2人組になると突然仲悪くなるどころか口論のような状態になることが初めてわかった。

仲良くしていた受付係の2人と私とは、共通点として、女同士のいざこざが面倒くさいと思っていて、その辺りはあっけらかんとして適当にかわすとか、そうならないように上手くやるとか、そういうことを自然に努力するところだった。

だから3人でもペアで2人同士になっても、とにかく楽しく穏やかな(だけど騒がしい)時間を持てた。

そうではない仲違いした2人は、見えないところで実は冷戦のようなことになっていて、私からするとどっちもどっちだなぁという感じだった。

だから、もし受付係がその冷戦2人組と私なんていう組み合わせだったら、こんな風に最後まで楽しくは勤められなかったかもしれないなぁと思った。




おじさんたちもそうそうたるメンバーだった。

おじさんたちは、みんな退職したような年齢層で、一番上は70代の人だった。

会社員なら退職でも、みんなまだ農業の現場にもいるから、現役バリバリだった。

孫もいたりして「おじいちゃん」であっても、そんな感じは微塵もしなかった。

むしろ、超がつく「男戦士」っていう感じの働き方と勤勉さをどの人も持ち合わせていた。

動き方も40代や50代の現役世代と変わらなかった。

世代的に戦前前後生まれで、とにかく努力とか勤勉をひたすら教え込まれて大人になった世代の人たちだから、驚くぐらいによく働いていた。

合言葉は「完璧」と言わんばかりに、絶対の品質にこだわる職人気質も健在で、その人たちの仕事ぶりには敬意以外何も思い浮かばないぐらいに凄くきちんとしていた。

私みたいなど素人が簡単に「すごい!」なんて口にすることさえはばかられるぐらいに凄かった。

関係ないけれど、私今回行ってみて、男の人に求める条件が1つはっきりとわかった。

「求める条件」なんていう言い方もどうかとは思うけれども、私は今回行くまで気付かなかった。

どういうわけか私は、あたる男の人男の人、それが職場でもプライベートでも、「仕事ができる人」たちにひたすらあたってきたと思う。

塾の時なんかは営業成績全国トップの人と成績落ちこぼれの人と両方と仲良くなって、トップの人はさておき、落ちこぼれの人についても私は全然気にならなかった。

落ちこぼれの人は成績はたしかにイマイチではあったけれど、影でしている努力を私は知っていたし、努力の話ではなく「こんな風にしてみたんですけど、何がもっとよくできると思います?」と私や周りに聞いていて、そして聞いたら実行して…という根っからの真面目な人で、私は何もみんなトップやリーダーでなくても、そういう人柄の人たちにばかり当たっていたから、男の人たるやそういうものだと思っていた。

だから今回、「真面目に仕事しない」男の人たちに初めて当たって、生理的に無理なぐらい無理だった。

派遣や契約社員の中に男性がいることも今では珍しくないから、それに対して違和感はないけれど、どの時も「仕事をしない男の人」とか「不真面目な男の人」とかいうのに当たったことがなかった。

今回そんな人たちを何人か見て、私は本気で驚いた。

なんならそのうちの2人には、あまりに目に余ることがあって、私は直接こうして欲しいとお節介ババアとなって、苦言を呈した。

一緒に仕事するにあたって真面目にやりにくいどころか不具合があったから、それで私は言った。

そんなことこれまでしたことない気がするけれど、しなくてはいけない位に酷い有り様だった。(←周りの全員が目を見張るぐらいの酷さだった。)

それでも直さなくて、何なのかと思った。

しかもうち1人は、同じことを日を改めて4回ないし5回も言って、それでもやらなくて、私は唖然茫然とした。

私がちなみに言ったのは、農家の人が来たら担当する係の仕事をすぐに始めて、ということだった。

私が遠くから声張り上げて「〇〇(←係の名前)お願いします」と言って、「えっ?おれ?」みたいな顔して、あんた以外誰がいるの?と思ったけれども、とにかく促してようやく自分の仕事を始めていた。

それも全く急がないどころか、ちんたらちんたらと動いていて、それも余計にイラッとした。

そんな風だったから、私は毎回マックスブチ切れてた。

自分が相手(農家さん)を待たせてるということがわからないのか、とにかく私には理解不能すぎた。

ちなみに、差別するわけではないけれど、発達障害の子どもたちやそうと思われる大人の人たちも見てきているから、そのタイプでやっても上手くできない人の場合、私は仕方ないと割り切れる。

その人は絶対にできるのにやらなかったから、私は嫌だった。

その辺りの差は見たら私は少なくともわかるから、その男の人が能力的にできないタイプでないのはわかった。

そんな人たちを見て、そこで私ははじめて「仕事しない男の人」というのを目の当たりにした。

そして、これまで当たり前に「仕事をバリバリする」男の人たちに囲まれていて、それが私の基準だったから、ここで初めて「仕事しない男の人」は私からして絶対に嫌なタイプだとわかった。

これまた余計な話だけど、さっきの真面目にやっているけれど結果が出ないタイプの人に関して思うのは、「道が違う」だろうということ。

もっと本人に相応しい道があって、そこじゃないですよー、ってことなんだろうと思っている。

あと、そのやらない男性陣は、別に私じゃなくてもみんなから不評だった。

もっと言うと、本人損するのになぁって思った。

真面目にやりさえすれば、何かあった時に本当に周りが助け舟出してくれる。

自分を見ていつも思うけれど、私は自分の得意ではないことの方が圧倒的に多くて、不得意なものは平均点的ならいいけれど、私の場合は本当に目も当てられないひどいレベルだったりする。

今回ももれなく不器用さ全開となる場面がいくつかあったけれど、そこはみんな周りの人たちがさりげなくフォローしてくれてすべて何とかなった。

自分で言うのもなんだけど、普段から真面目に取り組んでたからだと思うv( ̄∀ ̄)v。

話が飛ぶけれど、おじさんたちは少数精鋭と言わんばかりに、超できるのは見ていてすぐに伝わってきた。

現役世代の時は、トップ走っていたんだろうなぁと思った。

全員からさすがに聞き出せなかったけれども、2人からは聞き出せたから、あーやっぱり!!!と超納得した。

1人のおじさんは、いつか朝採りの枝豆をくれた。

その枝豆があまりにもおいしくて、後日私は枝豆おじさんに話を聞いた。

なんと枝豆おじさん、枝豆部門で農林水産大臣賞とかを受賞された農業法人のトップの方だった。

「日本一の枝豆」を作る、と国からの賞を受けるぐらいにすごいものを生み出す人で、しかもそのトップ!

これは本気の査定を経て贈られる賞だから、賄賂やお金で買うタイプの賞ではなく、本当に力がないともらえない賞だというのもわかった。

おじさん超凄い人なのに、そんなことは微塵も出さない。

農林水産大臣賞のくだりも、私がツッコミまくって聞かせてもらった。

でなかったら、おじさんはひたすらエロ話だけするおじさんだった。

おじさんから習った、男の人から「触ってやろうか?」と言われた時の返し方。

「えー!やだー!」とか乙女みたいな反応ではなく、「触ってもらっても喜びたてられない」と言うのが男の先をいく返し方とのこと。

一生使う場面すら巡ってこない返事の仕方はじめ、そんなことばっかり山ほど習った( ̄∀ ̄;)。

なんだけど、実際は日本一の枝豆生産者とは!

もう1人は、途中まで書いた文章があるから、おいおいアップするけれど、ヨシダさんという70歳のおじさんだった。

このおじさんにはものすごくたくさん救われた。

一匹狼みたいなタイプだけど、実は輪を大事にする人で、そして黒幕的存在で全体を統括していた。

今から30年以上前、まだ世の中が、特に田舎は子ども3人が当たり前みたいな時代に、当時の市町村の町レベルで、家の数より田んぼの数が圧倒的に多そうな町で、各自治区毎に農業組合を作ろうと町内の全農家を回って、それで最終的に32の自治区に組合を作ることに成功した人だった。

後継者が確実にいなくなる、と言って、当時はそんなわけないと周りから大反対を受け、100人いたら100人から反対されるみたいなスタートから始めた人だった。

全国的にもまだそんなことをしている人がいたかいないかの頃だったらしい。

話していると、感覚が普通じゃないことがわかる。

普通じゃないというのは、先を見通しての本質のみをひたすら追求するタイプという感じで、言葉は多くないけれど、ひとつひとつが深く響く、それは思想だけじゃなく行動も伴っての言葉という感じだった。

ヨシダさんも立ちションの常連ではあったけれど、とにかく筋を絶対に通す人だった。

話し方も面白くて、「ヨシダさん、若い頃遊んでたでしょ?」と聞いたら、「遊んでねぇって言ったら、それは嘘になるな」と半笑いで答えてくれた。

本当に男気のある人で、超かっこいいと思った。




最終日は午前上がりだったから、私は帰りに遠くのホームセンターに立ち寄った。

9月の中旬頃から腕時計が止まった。

唯一、米の仕事で必要な近代的な道具だった。

米の仕事の終わりにホームセンターに立ち寄るのはしんどくて、それでようやく行ける運びとなった。

私の腕時計は、妹夫婦の結婚祝いのお返しとしてもらったもので、もう10年近く電池やベルトを交換して使っている。

made in Franceの時計は、ホームセンター対応ではなく、地元の老舗時計店に出されることを知っている。

だからいつも同じホームセンターに持って行く。

ホームセンターも顧客のデータ化を始めたと言って、これまでは手書き伝票だったのに、データ入力するから15分ほどお待ち下さいと説明を受けた。

止まったままの腕時計を預けて私は店内をウロウロしていた。

放送で呼び出されて、時計カウンターに戻ったら、さっきの受付の方に言われた。

「あのーですね、先ほど入力している最中に、時計が動き出したんです。見ていると、また普通に動いているので、おそらく電池切れではないと思うんですが、いかがいたしますか?様子を見られますか?」

私は一瞬、ぽかーんとした。

何で動いた!?と思った。

とりあえず動いているのならそれに越したことはないから、様子を見ますと言って、修理には出さず持ち帰ってきた。

あれから3日目になるけれど、普通に今も動いている。

電池交換はいつも1週間はかかっているから、修理から戻ったら米の仕事も終わると思って、それで出さずにいた。

それはいいけれど、何で今、不要になったらまた時計が動き出して、本当に必要だった時動かなかった!?と思った。

ちなみに動かなくなっても時計は要るから、私は代わりの時計を2つも受付係をするのに持ち込んだ。

はじめの日は、iPhoneをエプロンのポケットに忍ばせた。

でも、やたらと重たいのと、それ以上に周りのおじさんたちから「携帯なんか持ってどうしたんだ?」と突っ込まれたり、携帯見て訝しげに見られたりすることに居心地の悪さを感じて、iPhoneはやめることにした。

突っ込んだり訝しげに思ってわたしに聞いてきたりするおじさんたちの行動はそれで良かった。

私が耐えられなかったのは、おじさんたちから「今どきの若いもんは…」というくくりにされて、自分の心証を悪くすることだった。

良い人に思われたいというより、気に入られたままでありたかった。

携帯ごときで、おじさんたちから受ける心づかいの量を減らしたくなかったし、今ある良き感じのままの関係を保ちたかった。

余談というかそここそ本当にきちんと別の記事で書きたいことだけど、米の仕事の中で私は色んな自分を見ることになった。

自分が気に入っている人たちからは気に入られたい自分とか、そのためなら印象が悪くなるようなものはとことん省く計算高い自分とか、人の悪口を平気で口にする自分とか、とにかく色んな自分を見た。

意味がわからないかと思うけれど、そうした自分を出せれば出せるほど、私は癒された。

大人社会できちんと生きようとすると、私は超つまずきまくる。

だけど、素の自分のままなら、無理がないから生きやすくなる。

それの実験をするように、米の仕事には通っていた。

相手は米のプロで、嘘は通用しない。

だから私はかなり普段のままの私で仕事に行ってた。

それは社会人最初の児童養護施設以来のことだった。

話がズレまくった。

そんな風だったから、iPhoneは却下した。

続いては、祖母の形見の小さな目覚まし時計と昔使っていたガラケーを用意して行った。

目覚まし時計もこれまた遅れ出して、最終的にガラケーが一番問題なかったから、ガラケーに落ち着いた。

ガラケーの時ももれなく突っ込まれたけれど、それは明らかに時計がないからとすぐにわかってもらえて、それで話はついた。

別に携帯いじっていても何も思わなかっただろうし、だから何だ?という程度でしかなかったかもしれない。

けれど、携帯を触ってないことで「暇アピール」ができたし、待機(暇)だからこそのおしゃべりタイムであって、何もしてない=いつでもおしゃべりOKサインでもあった。

明らかに、携帯見るよりおじさんたちや他の受付係の人たちとおしゃべりしている方が何十倍と楽しく過ごせた。

話はさらに飛ぶけれど、その日ホームセンターに行く行かないをペンジュラムに聞いて最後は決断した。

ペンジュラムも何で行くなんて言ったんだろう?と、また得意の腑に落ちない→ペンジュラム何か間違えたんじゃ?疑惑を抱くという、毎度のことを頭の中では展開した。

帰り道も、わざわざ無駄足を運んだとしか思えない、絶妙なタイミングでの時計の復活に「どうして?」の質問が頭から離れなかった。

家に着いて、その意味をネットで調べた。

だけど、どれもこれもピンとこなかった。

そこで私は今度はペンジュラムを使って時計に聞いてみた。

「何かこれって(私に向けて)メッセージある?」

何もないのに時計が止まるわけもなければ、これまた不要になったら突然動き出すわけもない。

メッセージの他の何ものでもないと思った。

ペンジュラムも激しくYESになっていた。

念のため反対も聞いた。

「メッセージない?」

そうしたら、今度は激しくNOになった。

だから私は、「時計が止まった意味やそのメッセージ」を引き続き探しまくった。

ネットで見た自分がピンときていないメッセージは、絶対に今回は違う。

真夜中の3時、目が覚めた時に思いついた。

「ノムに聞こう」

ノムはLINEをiPadでする人で、起動させない限りはメッセージを受信することがない。

起こしてしまう心配もしなくていいから、とりあえず簡単に状況を説明して、ノムにどんなメッセージがあると思うか教えて欲しいとお願いした。

数時間後には、ミッチーとの2人展の在廊日でいないことを知っていたから、返事はいつでもいいと言い添えた。

そうしたら、朝の6時台にこんな風に返信が来た。


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おはよう。パッとおきちゃった。で、ぶしーLINEをパッと見て、パッと、逆行って思った。時計がとまってる間は前へ進むのではなくて、これまでを振り返る。そうおもったよ!

ふりかえるのは、これから進むため。それもただ進むのではなく、今までとはちがう進み方をするから、一度時を止めて、立ち止まり、しっかり清算というのか内観というのか、癒し的なことが必要だった。

なんか、冥王星って今思った。時は命。時が止まったら死ぬ。死んで、生まれ変わったのかも。リボーン。ちょうどきのう、ふるい友人がバースデーで、彼女へも、リボーンって浮かんで伝えてた。あ!! わかった!  ぼくに新生、新星ノムって言葉をくれたでしょ、メールのタイトルで。ぶっしーも、新生、新星ぶっしーになったんだよ! ぼくたちいっしょにニューになった。ニューになるためんj、ふたりして切磋琢磨、磨き合うセッションしてたんじゃないかなー!

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しっくりきた。

ノムの言葉の中に、私の米の仕事の全部が入ってた。

米の仕事は、私の心の傷を全部取り出すかのように出して、そこに色んな薬が塗られて、最後は状態が良くなって私の中にエネルギーが戻された。

今回の仕事で、どんな風にも自分を癒せるとわかったし、何も大枚払って個人セラピーを受けなくても自分は癒されると知った。

しかも、何となくだけど、急いで先に進まなくてもいいんじゃないかと思った。

形にすることばかり考えて焦っていたけれど、ちゃんと然るべきタイミングで然るべき人たちに仕事でもプライベートでもこの1ヶ月出会わせてもらえたから、そして必要なことがきちんとそれぞれのタイミングで起こっていたり私にもたらされたりしたから、それでいいんだよ、大丈夫だよ、と言ってもらえてるみたいだった。

ふと、思った。

もし時計が止まらなければ、そしてちょうど仕事終わりの直後に動き出すことがなければ、ノムに聞くこともなかったし、ノムが教えてくれたメッセージを聞くこともなかった。

もし途中で復活したら「直って良かった」で終わったし、もしくはカバンの中で復活したらそのまま見過ごして終わっていた。

ペンジュラムがどうでも今行けと言った意味がようやくわかった。(ペンジュラムは「行け」とか命令はしない…( ̄∀ ̄;))

いきなりまた全てが真っ白な状態になったけれど(9月1ヶ月分だけで2019年の残り11ヶ月分に匹敵する予定があったように感じる)、たしかにノムが言うように前と後という感じなのかもしれない。

今回は死んだというよりも「再生」、一度リセット(破壊)されてからの再生という感じがする。




とりあえず、このまま一度アップしてしまう。

9月中にアップできるだけ大満足!

米の仕事は、細かなエピソードをブログに書こうと思っていたから、箇条書きで携帯メモに日々の出来事を残すようにしていた。

残しておいて良かった。

消さずに一生取っておこうと思っている。

もしかしたらこれっきり書かないかもしれないけれど、また書くと悪いからタイトルに番号を振ることにした。

だからタイトルまだ決めてないけれど、
『米の仕事①ふりかえり』
とかそんな風にしてシリーズ化してもいいようにする予定。

8月の第1週だった。

米の仕事の申込みを兼ねて派遣会社の登録に行った。

今ならわかる。

史上最速で採用が決まった仕事だった。

書類に諸々記入している最中に別場所に呼ばれて、担当者に会って、その場で即決だった。

人がいなかったからだと言われたらそれまでだけど、私にはわかる。

急募でも内々定もらっていても落とされてきたから、今回は行く必要があること、そしてその異常な速さで決まる時というのは、人生においてもすっごい大事な何かがそこにあるということ。

まさか30数年分のトラウマを癒してくるなんて、その時どう想像できようか。

そこで毎日ゲラゲラ笑ってくるのが仕事だなんて、そんなの説明になかった。

そこは何がなんでも行くところだよ!!!と言わんばかりに、速攻で決まった。

そして終わった今、そこで体験した数々の癒しに支えられて今の私がある。

超具体的な癒しについては、余力あればいつか書きたいと思っている。

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