2019年4月28日日曜日

メイのメロディー

3歳半になったメイ。

言葉が増えた分知恵がついた。

分別もつく部分が増えたのは良いことだけれど、なんだか寂しい感じも私にはあった。

正月の時は、まだ我が全開で周りなんて何にも見えなくて、ひたすら自分の主張ばかりを通そうとしていた。

今もそうだけど、少し状況をもっと引いて見る部分が出てきた。

前は良い悪いじゃなくて、自分がどうしたいかが全部だった。

今は自分がどうしたいかだけじゃなくて、目の前の人も自分と同じ気持ちなのか別の何かが好きなのか、それを確かめようとするような一呼吸がある。

そんな小難しい言葉は当然喋らないけれど、なんとなくそういう空気を感じる。

保育園に行って2年目、社会性を身につけつつあって、今年からは縦割り保育で年長からメイの年少までが同じクラスにいるらしいから、尚のこと小さな大人として何か色々社会のルールや人間関係を学んでいると思う。

思いのほか早く自分と他人との境界線をメイが持ち始めたことに驚いた。

自分と他の人とは違う同士で、メイのあの素で目の前の人に体当たりする感じは前より格段に下がった。

できることも増えたし、1人でやれることも増えた。

順調に成長している証拠だから良いことのはずだけど、なんだか寂しい感じの方が私の中で勝った。

それはある種のカウントダウンみたいな感じだった。

あとどのくらいいくらでも抱っこさせてくれて、「可愛い子がいた」と何度でも言わせてくれて、お湯が熱ければ私にしがみついて私の足の上で熱さに触れないように私を盾にして自分の身を守ろうとしてくれて、夜寝る前に足をマッサージさせてくれて…、って考えると、それがもう今しかないんだということを今回はものすごくひしひしと感じる。

今日は初日だから、布団を一緒に敷いた。

これまでは布団敷きも遊びも境い目がなくて、全部が遊びになっていた。

でも今回は遊びの延長でも少し違っていた。

メイの中で「おふとんはねるためのもの」という認識ができている。

だから、布団イコール自分が眠る場所ということを知っている。

いつのまにか1人で布団を運べるようになった。

これまでも何回も2人で布団の準備を一緒にした。

体で覚えてるみたいで、私が手渡した布団を次から次へと私の部屋へと運ぶ。

私も布団を出しながらすぐ隣りの部屋にメイが運んでるのを一挙手一投足見守らなくても良くなった。

前は危なっかしくて一緒に運んだけれど、今はある程度なら1人で任せて大丈夫って思う。

そしてメイもメイできちんと隣りの部屋へ運んでくれる。

格段に大人側が楽になったけれども、危なっかしくて何しでかすかわからなくてずっと片時もそばを離れられないような感じも徐々に減ってきて、それがどことなく寂しい。

メイと私の関係はこれからも姪っ子とオバには変わりないけれど、小さなメイと私の関係は今だけの期間限定の特別なものになる。

あとからどれほどその時を愛おしんでもう一度再体験したいと思っても、二度とは巡ってこない。

大人の1年2年はどことなく輪郭がぼやけているけれども、それは充実していて1日がすごく満たされていても、それでもやっぱり私の感覚だと輪郭がぼやける。

でも子どもの1年2年は全く違う。

あれはメイが生まれて半年かもう少し月齢がいった頃だと思う。

メイは1人じゃまだ何もできなくて、車から抱っこしてメイを下ろして、そして畳の上にメイを座らせて、そして上着を脱がせようとした時だった。

上着を脱がせようとしたら、頭のところで服が引っかかって、その引っかかった服なのか、そこから見える景色なのか、それとも頭に引っかかった感触なのか、実はそうではなく私を笑わせたかったのか何かはわからないけれど、メイは突然大笑いしだした。

しかも超ツボにハマって1人でずっとケラケラと笑い続けて、そしてそのおかしさを私ともシェアしようと超真剣に笑って訴えていた。

私も可笑しくなって、一緒にゲラゲラと笑った。

2人でいつまでもゲラゲラと笑っているから、他の家族もみんな何事かと集まってきた。

本当に何もない。

だけどそのシーンは、メイは100%忘れるだろうけれど、私は一生忘れない。

忘れられないと言った方が近いかもしれない。

言葉は当然まだない。

自分のことは何1つ自分でできない時で、絶対的に大人の手が要る。

不自由なはずなのに、愉快だった。

メイも自分で何が面白いのかなんてわかってなかったと思う。

それでもその時、爆笑の渦に包まれた。

今日メイと風呂に入る前、メイの着替えを見ていてそのシーンがずっと思い浮かんでいた。

メイはいつのまにか1人で全部脱げるようになっていた。

ボタンも1人で外せるようになったし、ポニーテールの髪の毛も器用に自分でゴムを外した。

少し前はまだ大人の手が必要で、手伝おうと手を出そうとすると「じーぶん!じーぶん!」と自分でやると言って譲らず、真冬でも着替えるのにどんだけかかるのかと思ったりもした。

今回ほどメイを見て「今しかないんだ」と思ったことはない。

社会のルールを学びつつあるから、何か意思疎通を必要とする時、確実に楽になった。

だけどそれが本当にすごい楽で素晴らしいことかと言えば、そうでもなかった。

成長は喜ばしい。

だけど、もう小さなメイとの時間はカウントダウンが始まっている。

「今しかないんだよ」ってことが身に沁みてわかる。

苦痛でしかなかったお店屋さんごっこも今回はちょっと見方が変わった。

私は今もこれからも幼児特有のエンドレス同じごっこ遊びは好きにはならないと思うし、苦手なままの可能性はとても高い。

でも、一生の中でメイとできるお店屋さんごっこはもう今しかないんだなってわかる。

それはその後にどれだけ素敵な新しい思い出が加わっても、それで埋められるものじゃない。

私はこれからだって、色んな素敵な思い出をメイと作れる自信が120%ある。

だけど、そういうことじゃない。

もうその時しかない。

今は今しかない。

40歳になる頃のメイはそんなこと絶対に忘れてる。

でも40歳になっても、その時私の目に映るメイは、1歳にも満たなかった頃のメイや今日のメイの姿が重なるんだと思う。

メイを初めて自分の手に抱いたのは、生後2週間ぐらいの時だった。

可愛かったけれども、この子が自分にとってものすごく可愛いくて愛おしい存在になるというのは、いまいちイメージが湧かなかった。

あれから3年以上が経過して、メイと時間を共にすればするほどメイは私にたくさんのものを分け与えてくれた。

「かけがえのない今」だというのは、メイが他の誰よりも教えてくれたことのように思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿