2020年3月29日日曜日

Stay true to yourself!


39のカード

40のカード




Stay true to yourself!
〜自分に対して誠実であること!〜


このメッセージは、月のシンボルを探していた時に出てきた。

月というのは、自分の中の最も原始的な部分。

人間社会で人間になっていこうとする過程の前の「素の自分」と言えばいいかもしれない。

その自分に対して嘘がない生き方、野性味溢れる自分自身、自分の中にある純粋さ・純真さ、そうしたものに心を開くこと。

生まれた時から死ぬ時までの地の設定がそれだから、自分に対して嘘がつけない人なんだと思う。




色々出てきたままに書くけれども、それは必ず受け入れてとか、信じなきゃダメとか、実行しないとよろしくないとか、そういうのは一切なくて、1つでも心に響くものがあったとするならとても光栄だし、とりあえず私側としては「届いたらいいな」という配達係もしくはメッセンジャー係みたいな気持ちで綴っている。

あと、「あなた」とか書くの絶対に嫌だけど、かと言って個人情報ダダ漏れというのもいけないから、とりあえず呼んでいたようにここでは「〇〇さん」と呼びかけの際には書こうと思ってる。





いきなり踏み込んだことをひとつ。

誕生日を迎えて今の気持ちを想像してみた。

エネルギッシュで頑張るぞー!!モードよりも、どちらかと言えば自分の生き方に対して不安とか自信のなさを感じてるかもしれない…、ってなんとなくで浮かんできた。

あと、一般的に男の人は自分を癒すのが下手で、自分が傷付いていることにも鈍感だったり気づかなかったり、はたまたそうであっても押し殺したりする傾向が強い。

それが私の思い違いでかなりお門違いなことを言っていたらごめんなさいだけど、そういう視点も入れつつ、自分の中に浮かんだメッセージたち。





まずは太陽の流れから見たこの1年のテーマ。

(太陽とか月とか言う時は、私の妄想ではなくて、星読みー占星術の手法を使って読み解いたもの)

「自分の中の殻を破る1年」

ここからの1年は、ある種、人生における転機みたいなものに後々振り返った時になっていくような年じゃないかと思う。

自分の中にずっとあったものが目に見える形で浮上してきて、それこそ紀元前・紀元後ぐらいに大きな変動を伴う人生の変わり目になるんじゃないのかなと。

それは新しい風が吹き込むというよりも、自分の中にずっとあったもの、それが自分でも自覚できたり感じ取れたりするレベルになって、だから自覚することでたとえ同じ環境の中に身を置いていたとしても見える景色が違う、自分がする行動が変わる、はたまた人と取り交わすものの感触が変わる、みたいなそういう変化を経験しやすいのではないのかなと思う。

自分の中にずっとあったものは、それが〇〇さんにとって明るいものなのかそうでないものなのかは実際にそれを見るまではわからないけれども、仮に見たくない何かだったとしてもそれはそれでとても大切なものなのには変わりない。

渦中は仮に重く苦しいものだったとしても、後から振り返ったら絶対的に必要なものだった!となるはずだから、正念場みたいなところもあるかもしれないけれど、そこは持ち前のバイタリティーで乗り切りましょ。

あと、〇〇さんには物事を大局的に、俯瞰的に見る、そして同時に大きな視点で見えたものの詳細たちをこれまた切り取って詳細に見る才が備わっているから、ちょっと行き詰まりみたいなのを感じた時は森全体を眺めたり、反対に森の中の木1本だけを眺めたり、上手に遠近法を活用しながら自分に今起こっていることを見ると良いと思う。

ちなみに、オカルティック度合いで言うなら、〇〇さんの方がオカルト専門家のごとく人生が流れつつある私よりも高いかと思う。

あくまでも星情報で。

いつか「霊性が高い人」と見えない世界のものが視えてしまうヒーラーさんが〇〇さんのことを言っていたけれども、多分そういうことなんだと思う。

オカルト的な体験をするとか言うよりも、見える世界の広さというか深さが人と違っていたり、物事の感じ方が凡人とは違う感じだったり。

いずれにしても、俯瞰して見ることも反対に小さなことを切り取って見ることも両方得意なはず、自覚の有る無し関係なく。

あと、自分の殻を破るという意味で、自分の中に深く潜ることがカギ。

もしかしたらそれは自分の中の人生を通して深めたいテーマから知ることになるかもしれないし、はたまた会社の中で縦割り的な関係じゃなくて「同志・仲間」みたいな関係の中で発見していくものかもしれない。





Stay true to yourself!
〜自分に対して誠実であること!〜

に対して、ポンポンと出てきたこと。

・自分にとって大切なものは、止まってないし、死んでないし、失われてもない。ずっと〇〇さんと共にあるから大丈夫。

・孤独と仲良くなる方法、自分なりの方法を見つける。

・逃げることは負けでもなければダメなことでもない。正当な1つの生きる手段。

・自分の感じたことをごまかさない。
感じたものが好きでないなら、好きじゃなくていいし、好きになる必要もない。
だけど、その感じたものを「ないこと」にすると自分が結果的に傷付くから、ないことにはしないように気をつけること。

・自分のご機嫌をとる。

・自分といる時、居心地の良い自分自身を感じてみる。
それは好きな音楽を聴いている時かもだし、運転してる時、お風呂に入ってゆっくりしてる時かもしれない。とにかく「力抜けてて今気分いいなぁ〜」なんていうような感覚の時にちょっとだけ自分の感覚に注目してみる。





☆冒頭のカードからのメッセージ

2枚並べた方は、左が今年1年のメッセージ、右がそれのヒントとなるメッセージ。

カード上が39となっている、女の人が雨から自分の大切なものを守っているのがそのヒントのもの。

じゃあ40ってなんだろう?と思って40のカードも一緒に見てみた。

2枚の方の左側は見ての通り「行き止まり」。

壁の向こうには違うものに通じている。

その違うものというのが、40と上に書いてある数字が表す世界だと思う。

これまでと同じやり方ではこれ以上進めませんよ、これまでと同じように進むのではなく、そうではないやり方を人生に取り入れるタイミングが来ました、的なことがガイドブックにはあった。

だから自分の人生の流れを信じることが大事なんだと思う。

準備が整わなければそういう風にはならないわけで、そういうフェーズに入ってもいいよという事をこの1年のどこかで経験するのかもしれないなと思った。

もうすぐ奇跡が起こりますよのサインだということもガイドブックは言ってる。

「これまでと同じやり方では進めない」と言いつつも、一方でヒントとなるメッセージはその真逆の内容が来ていて、それを私流に超拡大解釈したのがこれ↓。

女の人が傘を差して宝箱みたいな上に乗って、そして自分自身も含めて大切なものを守っている。

そこに39という数字がある。

それが何かと言えば、39歳までに守り続けたものが自分自身の武器になるということ。

それが行き止まりの突破口となること。

「これまでと同じやり方では進めないこと」と「これまで積み重ねてきたこと」とはイコールじゃない。

大事なのは、これまで自分が積み重ねてきたものを自分がきちんと受け取ること、その自分を認めること、自分の頑張ってきたことを自分が労うことなんだと思う。

〇〇さんのことだから、自分のしていることやしてきたことは大したことないと過小評価してるんじゃないかと思う。

そうではなくて、例えばずっとコツコツ休むことなく働き続けてきたことだって1つの立派な成果だし、誰よりもいち早く動いて対応することだって素晴らしい資質になる。

〇〇さんはそんな風に自分のことを捉えなくても本当は才能や〇〇さん特異の資質だということ。

例えば毎日休まずに行くというのは、健康であることが第一条件で、それは心身共々健やかに過ごすことを積み重ねたということのこの上ない証拠になる。

それをずっとずっとやってきたわけで、それは当たり前のことじゃない。

そういうことをみんなもそうだからとかいう感じで片付けずに、自分はきちんとやってきた!とせめて自分自身に対して思ってあげること、認めてあげることが自分自身の癒しにも繋がっていく。

そうやって細かく見ていったら、数え切れないほどのことを人生で積み重ねているわけで、「ない」って自分に対して絶対に言わないこと。

「ない」なんてことは絶対にないから、たくさん自分のために自分がやってきたことを認めてあげること。

頑張ったな自分!と自分に声をかけてあげること。

そんなことはこれまでほとんどしてきてないかしたことないと思うけれども、それこそが行き止まりのカードで言われてる「これまでと同じやり方では進めない」に繋がるから、ここは反対にこれまで自分のためにやってきてないことをやることがカギなんだと思う。

自分をいたわる。

自分のやってきたことを認める。

頑張ってきた自分によくやったなと言ってあげる。

自分にダメ出しすると自分がますます拗ねるから気をつけてね。





吉本ばななさんの本『サウスポイント』からもらったヒント。

「受け入れられるゆがみ」

物語の中で、主人公に恋した男の子が主人公と家族の引越しで離れ離れになった後もずっと大事に彼女との思い出の写真や手紙なんかを取っておいて、それが大人になった2人が再会した時に発覚するんだけれど。

しかも男の子側はそれで自分の音楽の作品を創る時の原動力にしていて部屋に飾ったりもしていたんだけれど。

それをその主人公の女の子が
「珠彦くんのノートに描かれた私、私の言葉のひとつひとつの再現されたもの、私の体の特徴の数々、古いアルバムに貼り付けられた昔の私の写真、おそろしい量の思い出がそこに保存されていた。
ほんとうは気持ち悪く思うべきだったかもしれない。どう考えてもおかしいから。でも、なんでだかそんなにいやではなかった。悪い気がしないというのでもない。受け入れられるゆがみというか、そういう感じだった。」
(『サウスポイント』より)

これを読んでた時にフワッと出てきた言葉たち。

・悲しみの中の小さな笑いや喜び
悔しさの中の自分の中の「なにくそ!」という気持ち
無力感の中でも動いている自分の心臓に自分の感覚

そういうのを大事にするといいんじゃないかと思った。

すべて綺麗事にするなんてのは人生そう上手くいかない。

生きてたら何かしらみんなあるし、すべて綺麗なものやキラキラしたもので収まることもない。

悲喜こもごも色々ある。

笑えないことや受け入れられないこともあって当然だと思う。

そんな時に、悲しくても一瞬テレビ見てゲラゲラ笑えたらいいし、無力感に襲われてる時でもおいしいチャーハン食べて「なにこれ!超うめえー!」って感動することもできる。

そういうのを感じられる自分だったら、人生なんとかなるんじゃないのかな…とこれは私が思っていること。





色々書いたけれども。

見たくない自分とこそ仲良くする。

その自分が大切なメッセージを運んできたり、人生で何が大切かを教えてくれる。

見たくない自分も、周りからすると〇〇さんが思うほどに悪く思わない可能性も高い。

〇〇さんが思うように、周りはダメとも思っていなければ魅力に感じていたりすることだってある。

私が言うな!と言いたいところだけど、〇〇さん、自分のことあんまり責めないであげてね。

あと難しい、それもものすごく難しいと思うけれども!
「人に甘えること」

人を頼ることって言ってもいいかもしれない。

多分そういうのが残りの人生で大切になってくると思う。

責任感強いのも知っているし、人に頼るぐらいなら自分でやってしまう性格なのも知っている。

もしかしたら人を頼るのが怖いのかもしれないし、カッコ悪いと思っているのかもしれないし、断られたらどうしようとか、借りを作るみたいで嫌だとか、心の中で何を思っているかはわからないけれども、でも残りの人生で誰かに少しでも頼れるようになったらうんと世界が広がると思う。

〇〇さんは普段キッチリやっているから、いざとなったら周りに助けて欲しいと言えば必ず周りが助けてくれる。

普段やらない人が助けを求めると総スカン喰らうけれども、〇〇さんは普段1人で全部抱え込むようにしてやっていたし今もそこはあまり変わってないだろうから、助けてと言えば助けてくれる人たちが必ずいるよ。

ブログのどこかに書いたかもしれないけれど、頼って欲しかったって言われてたよ(笑)。

頼ってくれたのなら、出来ることをなんでもしたのに!って言われてた。

周りの人たちはちゃんとやってることも知っているから、だから〇〇さんが頼る時は相当何かの時だと周りも察知するから、必ずお助けパーソンが近くからでも遠くからでもやってくるよ。

そして、頼られると頼られる側も必要とされて嬉しいはずだよ。





・心の美しさは、揺るぎない自信と人生の豊かさを与える
(心の美しさ=美学、美学=自分の生き方、自分の人生、って置き換えてもいいかもしれない)

・美しさを追求することで、何が大事か見えてくる

・自分に恥じない

・自分がその選択に対して誇りを持てるかが大事

・自分なりに追求して、それに沿って生きたら自分がぶれなくなってくる、そうして生きている時は自分の大事なものからはずれていない





〇〇さんに出逢ってから感じるようになった。

すべてのことは、一瞬一瞬命の選択だということ。

思い通りではないこともたくさんあるけれども、それでも心を腐らせず生きていられるのは、〇〇さんが私の人生に登場してくれたことで私は「奇跡」を見ることができたから。

そういうものを第三者に見せてくれる人で、〇〇さんは自分が思っている以上に本当にすごいものを持っている。

ここに書いたことのメッセージたちは、総じると「自分を大切にしてね」ということだと私は感じる。

自分に対して誠実であることも、自分を大切にすることに繋がっている。

自分に対して色々やってあげられるようになると、ある時色んなことが自分の中で繋がり出していく。

そしてその先には「奇跡の調和」が起こる。

〇〇さんは、自分の人生の中に奇跡の調和をもたらす人だと私は思っている。

〇〇さんにとって「奇跡の調和」が何を具体的に指すかはわからない。

けれど、このメッセージを書くにあたって、最初と最後の言葉は即座に最初に決まったわけだけど、そのそれが「奇跡の調和」だった。

最初が「Stay true to yourself!」と最後が「奇跡の調和」は瞬時に決まった。

だから、「奇跡の調和」というのが、1つの人生のテーマなんだと思う。

「Stay true to yourself!」の先にあるものが「奇跡の調和」なんじゃないかと思っている。

自分に誠実でい続ける先には、どんなミラクルだって起こると思う。

誕生日おめでとう。LOVE & PEACE





誕生日お祝い的なことをしてみた
(単にケーキを食べたかっただけ(笑))

The very special day





すべてはきちんと順番通りに起こっている。

そもそも自分でもすごく突然の思いつきだったなぁと思う。

「メッセージを贈ろう」

時々自分でも冷静になると、相変わらず突拍子もないことを思いつくなぁと感心というか呆れるというかの時がある。

今回もそうで、「ブログ」と突然出てきてこのブログを再開した時と同じくらい、これまた「メッセージ」と出てきた。

毎回不可思議すぎる流れだなぁと思う。

で、肝心のメッセージだけど、思いついてかれこれ2週間ないし3週間ほどになった気がするけれど、なんだかんだと延び延びになっている。

先週は春分の日と米の仕事で知り合ったヨシダさんの飲みと様々なことが重なって、とりあえずお布団と友達だった。

今日は今日でやろうとしたら、なんだかやたらと眠くなって頭もなんとなく重くなって、とりあえず休んだ。

ムクリと起き上がった午後の遅い時間から、実際にメッセージ用に調べ物を始めたけれど、とにかく全く何か「降りてくる」感じがしないし(今回やってみてわかった大きな収穫の1つは、「降りてくる」感覚っていうのは多分こういうことを指すんだなということ)、挙げ句の果てどんどん迷走してきて、最後の方はオラウータンについて調べて、「何か違う気がする」と思った。

オラウータンもふざけて調べてるのとは違って、今回の調べ物には必要なプロセスだった。

だけど、オラウータンの生態系を知っても、いまいちピンとこなくて、「これ何か違うものがもっとある気がする」という感覚をどんどん強めていった。

今じゃない、そう思って一旦切り上げた。




ごはんを食べたすぐ後に、吉本ばななさんの本を持って風呂の中で読んだ。

ある言葉に辿り着いた時、頭の中で全体の流れが見え始めた。

最初と最後の言葉が決まった。

オラウータンも新しい島も水晶も水圧計も、てんでバラバラのメッセージで、それらの繋がりが見えなかった。

ちなみに友達の時はたった1つのキーワードで全て拾うことができた。

今回もそうできると思っていたのに、今回は初めてそうではなかった。

1つではピンとくるメッセージがなくて、じゃあ次は…と始めたらまたピンと来ず、じゃあ今度は…と追加したらますます迷走して、その迷走の途中でオラウータンが出てきて、オラウータンが決定的に「何かが全て違う」と感じる最終打となった。

ばななさんの本の中にあった数文字の言葉がヒントとなって、それがメッセージの最初と最後を決定付けるものとなってくれた。

ばななさんの本さえもきちんと定められた流れに乗っかっていた。

ものすごく沢山ある本の中で、しかもばななさんの本もたくさん出版されている中で、今手元にあるのはその本で、そして今のタイミングでちょうど読んだのがその部分だった。

もし違うページだったり、違う本だったらこうはならなかったと思う。

最初と最後の言葉が決まったあたりで、ふわっと小さく出てきた。

当初1年分のメッセージを書く予定でいた。(友達のは誕生日から次の誕生日前日までの1年のメッセージを書いた。)

多分違う。

1年じゃない。

多分、その人が本当に欲しいもの、残りの人生で必要なもののメッセージなんだと思う。

最初のメッセージは英語の文章から引っ張ってきたものだけど、そこにすべてのことが集約されている。

今年だけ取り組むテーマじゃなくて、生きている限りのテーマとなってくれるもの。

そんな気がした。





それを書かせてもらえるんだと思った。

本を置いてしばらくボーッとした。

もし…、と仮説を立ててみた。

その人が欲しいのは、どこかに書いてある言葉とかメッセージとかではなくて、私が全身全霊で向き合って紡いだ言葉なんじゃないかと思った。

オラウータンが先でその後水圧計が出てきたけれど、どちらもピンと来なかった。

正直に言えば、ピンと来なくても私は相手の人生を知らないわけだから、そのピンと来ないものを採用するのが筋だと思う。

だけど、頭の中に浮かぶのは、それらから来るメッセージとは違うものが来る。

「それ違うよ」と言わんばかりに来る。

ピンと来ないのが多分正解なんだと思う。

ピンと来るのならそれを採用して、そこから話を広げたらいい。

ピンと来てないものは、どんな風にしても話を広げることができない。

だから私を次に向かわせる。

ピンと来るまで模索する他ない。





少しずつキーワードが集まった時、私は自分が過去に集めたノートを1冊出してきた。

ヒントがそこにありそうって思って、少なくとも20冊近くは今すぐに手に取れるノートが部屋の片隅に出ているけれど、手に取ったのはその中の1冊だった。

これを書きながら、今さっきその中の1つの情報源のサイトに向かおうとした。

嘘みたいな本当の話で、1年前くらいに手にしたそのネットの情報に私は行き着けなかった。

どういうわけか当時は行き着いて、それは男性が男性心理を分析した言葉だったけれども、今回はどうやってもそこに行けない。

そして、その言葉を見た時にハッとなった。

その男性心理にその人もまんまと当てはまるはず。

それなら、オラウータンも水圧計も、それらから出てきた内容にピンと来ないのも無理はない。

多分その真逆を行けということだと思う。





自分の言葉で、私の感覚で、言葉を紡ぐという案が浮上した後、ノムと電話した。

電話ではもっぱら私側は仕事の話とそこから派生する話、そしてノムの近況とそこから出てきた色んな話とが渾然一体となって色んなトークを繰り広げた。

今回の電話はノムにあらかじめお願いをした。

仕事のことで作戦会議をして欲しいこと。

ノムはそのために『光の書』と呼ばれる本を用意しておいてくれた。

私に「神々の審議会」なる言葉を教えてくれた本で、その中にはメッセージがふんだんに含まれている。

神々の審議会の名に相応しく、ノムと私とはその本に宿るメッセージの話に夢中になった。

ノムがいくつかのメッセージを音読して聞かせてくれた。

音読しながら時々ノムのオリジナルの言葉を挟んであれこれとおしゃべりをした。

メモしながらはっきりとわかった。

その中にその人に向けたメッセージも入っていることを。

さらに繋がった。

やっぱりその人へのメッセージは、太陽から割り出したものではなく、そこから派生する色んなものと掛け合わせて、またはピンと来ないものをピンと来るものに行き着くまでひたすら追いかけて、その先に私が感じたものをそのまま出せばいいこと。

多分許されてる。

それをしてもいいよ、ということだと思う。





私は一休さんでも金田一でもコナンでもないから、トンチをしてるのでも推理をしてるのでもない。

だから真相は知らないし、ましてや相手の心の中なんかさらに知らない。

なんだけど、1つだけわかることがある。

この1週間、ある1つの記事がほぼ毎日読まれた。

来る日も来る日もその記事が読まれたと私のブログ管理画面には出た。

自分の都合の良いように解釈すると、その人は私にきちんとわかるようにサインを出してくれたんだと思う。

1週間ほど前に、私はいつかこのブログが読まれなくなるんじゃないかと書いた。

その時はもう仕方ないとして、せめて今月中はチェックしてもらえるといいなと自分の希望を正直に口にしてみた。

メッセージを書く気満々でいた私にとって、書いたものが届かないことだけは避けたかった。

だから、ブログを見ているサインが来るといいなぁとは思っていた。

とかいうことを書いたり思ったりしたくせに、日常の仕事の強烈な洗礼を受けているうちにそんなことも忘れ始めて、どうしてその記事を今チェックするんだろう?と月曜から木曜あたりまで思っていた。

あれ?物が欲しくなった?とか、都合の良い解釈をそこでもした。

だけど、仕事の強烈な毒から離れた週末に突入してから、多分それはその人が見てるよと伝えるための精一杯のサインなんじゃないかと思うようになった。

見てくれてると知れば、私も書きやすい。

メッセージを遠慮なく書くことができる。

自由自在に、自分の感覚だけを頼りに、その人に向けたメッセージを書ける。

理由はなんでもいいから、届くならそれで私は十分だと思った。

まだ朝の7時時点で書いてないから、書くのは午後からの予定(午前は用事を足してくる)。

少なくとも夜までにはアップする予定。





4時台後半に目が覚めてこれ書いてるから、今猛烈に眠くて仕方ない。

私は気にかけていること、お祝いの気持ちがあることが伝わってくれるのならいい。

そして、今日中に大切なメッセージを紡ぐ。

紡いで届ける。

お誕生日おめでとう。




2020年3月28日土曜日

曇った窓と心のモヤモヤ窓

後味がものすごく悪い。

とにかくモヤっとした。

終業1時間半前に至急の英訳がやってきた。

週明け火曜日までと言われた。

8枚あって、それをいきなり訳せと言われてぶっ倒れそうだったけれども、幸いにして過去にほぼ同じ内容の技術書が英訳されていて、ほぼほぼそれと同じで、違うところだけ少し英訳を足せばいいことがわかった。

同じところはコピペでいけて、ただその中の数字部分は今回変わるから、それだけ注意して訳せば良いことになっていた。

部品を取り外すとか取り付けるとか、その辺りはスイスイとコピペが上手くいった。

部品やらの準備が整って、いざその方法の中の要となる部分に差し掛かった時だった。

そこも文章はコピペで数字だけ取り替える予定の場所だった。

まずは、見たことのない単語を見つけて、「はてこれ何だろう?」と思った。

印刷した日本語の技術書を見ると、何ら新しい単語はない。

それで、いつも使う単語とは全く違う、初めて聞いた単語だった。

それだけでも嫌な予感がしたけれど、その先はもっと怪しい内容になっていた。

そもそも、その単語に対して使う動詞も間違えていると思う(普段の単語なら、その動詞は使わない)。

9割違うと確信してるけれど、それは週明けにでも技術の人に聞いたらすぐにわかる。

その後も、日本語の意味にはないことを訳されているし、その訳した人が私より確実に機械的な専門用語を知らないのは一目瞭然だった。

即席漬け並みの私の3ヶ月で鍛えられた英語力や語彙力の方が勝るのもおかしな話ではあるけれど、数をたくさんこなしただけあって、とにかく至るところが違和感だらけだった。

しかも理解できない日本語は抜かして訳したか、なんとなく想像して訳したか、どちらかという有り様だった。

これ本当にコピペしていいの?というものだった。

次のページに行くと、そこもまた似たような状況で、全体的に怪しい内容になっていた。





この後寝るまで相当悶々としたけれども、悶々としたキッカケを箇条書きにしたい。

・ある人にちょっとだけ相談してみたら、色々言ってはくれたけれども、言葉の節々が引っかかってしまったこと

・そもそもの出発時に「コピペして、中身は見ないようにして作ること」と指示されたこと

・相談した時に、その意味というのが、私が見ることでそこにハマって(時間が取られて)本来して欲しい他のことに手が回らなくなること

・今回の技術書の最初からの経緯をたまたまメールで見たこと

・見たことで、本当に求められているものが何かを知ったこと

それとは別に
・体の方が、不調とは違うけれども、これまでのリズムが崩れたとわかる状態を示したこと

・席替えがあって、硬派さんの席が移動して質問する側としてはやりにくい場所になったこと(それでも質問に行く気満々だけど)

そんなこんなのことが一気に重なって、私の方が本当についていけなくなってしまった。

夜寝て起きたら、心はだいぶスッキリしていて、でもこれ書いてたらまた悶々とした感触がよみがえってきたから、ここは1つ好きなだけ書いて吐き出してこのことについては一旦幕引きをしたい。

仕事のことで泣くことなんかまずないけれども、昨日は帰りの車の中でプツっと何かが切れて涙まで出たんだった(苦笑)。





上に書いたことのそもそもは、出発点にあった。

あの時はいまいち理解できなかったけれども、私が指示された「中身を見ないこと」というのはとんでもない話だった。

おおよその場合、私にくる英訳はその経緯をほとんど知らされることがない。

今回も経緯は何も説明されずに「英訳お願いします」と言われた。

なんだけど、いつもと違ったのは、経緯の最初にあたるエンドユーザーかそれに近しい現場担当者の声もきちんとメールに書いてあることだった。

そこは英語ではないアルファベットの外国語で、その後しばらく英語でのやりとりが為されていて、そしてここ数日が日本語のやりとりとなっていた。

最初こそ読まなかったけれども、英語は端的に書かれていて何となくの状況は読めた。

要は機械の不具合を訴える内容だった。

それに対しての技術的回答が私の手元にある日本語の原稿だった。

これが他の英訳依頼とは随分と違う。

営業用でもなければ取説とも違う。

要は1エンドユーザーの超マニアックな質問で、発端者は正確な回答を求めているということ。

これは何人もの手を介してでも、最後海の向こうから新潟のあるとある町の東京ドーム並みの広さを誇るとある会社の私のところにまで飛んでくるわけだから、単なる英訳というよりエンドユーザーたちがまたきちんと機械を使えるようになりたい、その要望書でもありクレームでもある。

家を両親が建て直した時、我が家はオール電化になった。

オール電化になった中の1つ、コンロもIHに変わった。

優秀すぎるくらいに何か不具合があるとエラーが表示される。

それだけは唯一すぐ近くに取説を置いていて、見るところと言えばエラー一覧表のページで、何かあればそのエラーの意味と解決法に毎回目を通す。

それでもどうにもならない時がもし今後あるなら、父の同級生の電気屋に連絡するか、メーカーのお客様相談室に連絡するかになる。

仮にメーカー連絡となる時は、取説では解決できないということで、通常の情報では足りないという意味になる。

だから連絡を客側はするわけで、何も不具合がなければ何もしない。

そのレベルとは違いすぎるけれども、要はそういうものを、絶対的な解決になることをお客さん側は切望している。

そこまで見えてなかった頃でも、とにかく「違和感」だけは自分でもどうにもならないくらいに湧いていた。

今書きながら思ったけれども、あの違和感の感触は私の感覚であって私の感覚じゃないことに思い至った。

違和感を感じたのはたしかに私だけれど、ああいう時の違和感は虫の知らせじゃないけれど、自分ではない自分の外からもたらされている何かしらだと思う。

自分の中にセンサー的役割をするところがあって、それというのは自分のものももちろんキャッチするけれど、自分以外の何かをキャッチすることもある。

どちらの時も悶々としたりするけれども、だから最初は気付かないけれども、こうして時間を置いて冷静になってみると「自分ではないもの」に反応していることが徐々にわかってくる。

自分が言われたことは言われたことでいいけれども、多分そこと今回のことは分けて考えた方がいい。

その超マニアックな情報をエンドユーザーは欲している。

しかもすでに2ヶ月も最初の対応から経過している。

コピペでいいと言われた時に、こうも言われた。

「これまでその内容で何とかなったからそれで大丈夫」と。

私はこれは本当にそうなのかと疑問に思った。

そもそもそう言われた時も「なんか変」と思ったことも思い出した。

何かしらが狂っている。

私がエンドユーザーのメールを読んだのは、その後随分と経ってからだった。

今思うと何で目を通そうなんて思ったのか、よく覚えていない。

最初は日付を見る予定が、パッと見てささっと読めそうだから、読んだに過ぎないと言えばそうなる。

だけど数行のとても読みやすい英語だけで、それが機械的トラブルの先の解決法が今の私の手元にある原稿だというのはわかった。

それが本当に作用するかはわからないけれども、少なくともそれが今考えられるベストな方法ということになる。

どのように行くのかは知らないけれども、1つ言えるのは、日本語から英語、英語からエンドユーザーの母国語に訳されること。

ということは、英語がこけている場合、次の言語も当然こけるわけで、それを本当に出すの?と思う。

相談して1つアドバイスされたのは、上に掛け合うことだった。

コピペでいいと言われたけれども、中身がどうも違うけれど本当にコピペでいいのかどうかを上に確認したらいいと言われた。

月曜日にそれはやろうと思う。

ちなみに私が中身を読むから余計な仕事が増えてるとも言われた。

いや、読むからいけないと言っても、見るからにおかしいから目に飛び込んでくると言った方が正しい。

そもそもこれまで120%の確率で常用されている英単語の固有名詞が使われていない時点で既におかしいわけで、しかも見たことのない言葉で表されていて(今調べたらそれはマニアックな工業用語とわかった)、反対にもっと大事な言葉は適当に英訳されている。

そりゃ見ただけで目立つよと思う。

歯ブラシを歯タワシと言ったら「えっ!?」ってなるのと一緒で、英語で見た時にそういう違和感のある言葉のオンパレードだった。

それを半ば責められたりやめて欲しいと言われたりするそのことがそもそもおかしいと思う。

仕事が増えるとかそういうことではなく、これは最後本当に現場で困っている現場の人に行くものなのに、それをこちらの手間暇が増えるとかいう理由で適当に作るのは本当におかしな話だと思う。

私はそう思うけれども、その辺の感覚がまるで私の方がおかしいかのようなことになっている。

今回は単なる技術書ではなくて、現場で困っている不具合に対しての内容なのに、これで何とか過去になったからそれをコピペするって、本当にきちんと訳されているならいいけれどもそうじゃない。

そして私がきちんとしようとすることを阻止しようとしたり、それを良くないことと言ったり、じゃあ私のやる仕事って何のためにあんの?って思う。

少しの手間でいい。

その手間をかけることで確実に良くなるのに、何を基準に大丈夫と言っているんだろう。

組織がデカすぎて、自分の仕事が流れ作業のようだったりちっぽけなものに見えたりするのかもしれない。

でも、それが大きなものを形作る1つだし、手を抜けば手を抜いた歪み(ひずみ)がどこかに現れる。

手を抜いて良いことと悪いことがある。

もちろんそんなの個人の基準だけれど、どう考えても今私の手元に来たのは手を抜いて良いのとは違うと思う。





書いていてなんとなくの解決法も見えてきた。

そして、引っかかるものも。

上の判断で、「やらない」となればそうしようと思う。

だけど、GOサインが出たらやる。

そして、おそらくだけど、これ神々の審議会的な案件のような感じがする。

本当にそうなら、多分やれるはず。

やれると言うよりもやらなきゃいけないから、やるための時間や理解を得られると思う。

GOサインが出なかったら、それはやらなくて良いことなんだと思う。

そうやって判断しよう。





最近よく思い出す言葉がある。

3年前の秋、この世の終わり並みにテンションだだ下がりだった頃に、大きなショッピングセンターで「目を見て書(メッセージ)を書きます」というような催しをしていた。

私はどうにもこうにも気になって、それで思ったものでなくてもまぁいいかと思って、それをしてもらった。

その時に自分の納得を大事にするようにと言われて、その流れで言われたことがある。

自分の納得することを貫こうとすればするほど逆風が吹く。

それもものすごく吹く。

だけどそうであったとしても、自分のために、自分の納得のためにがんばれと言われた。

逆風とか闇の勢力とか、当時はピンとこなかったけれども、今ならわかる。

逆風も闇の勢力も人間でしかない。

今森友問題の件で最後まで戦っただろう方の遺書が公開されて、文書改ざんの指示があったと連日のようにニュースになっている。

どこもかしこも嘘や欺瞞やいい加減なものというのが必ずと言っていいほどにある。

だけど、自分の信じているものをそれを真っ直ぐに自分の中で貫いて育てたいと思う。

コピペでいいとか、私からするとどうでもいい仕事の方が優先されるとか、そんなのは意味がわからない。

自分が大事だと思うものをとにかく形にする。

それをやってもダメな時はもうそれは仕方ない。

だけど、やらずに見過ごすことは避けたい。

知恵や作戦はいるけれども、訳の分からない理由で、目の前に海の向こうから伝えられている要望があるのに、それを適当にかわすことは私にはできない。

「届いた」と思った。

ど出発のアルファベットの言葉たちは何を言っているのかさっぱりわからなかった。

何人もの人が出てくる中で、その最初の発信者のメッセージが一番長くて、パッと見ただけでもそこに熱量があるのが伝わってくる。

その声をきちんと拾って応えることが大事な気がした。

私にできることとできないことがあるけれども、できることはせめてやり尽くしたいと思う。

誰かが助けてと言っているものを、「これで通ってきたから大丈夫」と言うのは違う気がしてならない。

本当に中身がきちんとしているのならいいけれど、そうではない雰囲気が漂いすぎている。

声が届いたこと、きちんと協力してくれる人がいること(硬派さんに週明け早々助けて欲しいとお願いしてから帰ってきた)、ノムが今夜作戦会議を一緒にしてくれること、きちんとそれを敢行するための条件が整いつつあるから、私は自分の信じたものを信じたように世界を見たいと思う。

2020年3月26日木曜日

窓の中の味方







味方が増えているv( ̄∀ ̄)v

私はある意味とてもしつこくて、ねちっこくて、空気読まなくて、融通のきかない人だと思う。

私が英訳のためにいつも質問に行く技術の人たちは、本当にある意味毎回被害者みたいなものだと思う( ̄∀ ̄;)。

「機械」と「電気」の区別さえつかない私が英訳するんだから、それはそれは子どもに説明するように彼らも説明しないと理解してもらえない。

精密機械と言っても色んな部門の人たちがいて、その中で「機械系は…」とか「電気系は…」と言われても、いつもぽっかーんだった。

今日同級生の同子ちゃんから説明してもらって、一発で理解できた。

機械…見えるもの
電気…見えないもの

わかりやすーい!!!!!

このくらいのレベルで説明してもらわなきゃ通じない。

よって、英訳依頼した人はもれなく「質問の刑」に処される。

わかるまで質問するし(じゃないと訳せない)、それが癒しの時間ならいいけれど、かなり痛いところも突かれるから、というより突かれっぱなしだから、ひたすら修行みたいな時間だと思う。←と知っても私も仕事だから手を抜かない。

空気読まないのは、こんな風だった。

空気読んでないと知ったのは、後の祭りだった。

タイラさん(役職無い平社員だから)とやりとりした時だった。

ちなみにタイラさんは、ジャニーズ系美男子の名も持つ。

だけど今回は面白い話とは違うから、タイラさんとする。

タイラさんから小さな英訳を頼まれた。

小さな英訳はおおよそにおいて、難易度10段階なら、大体が9ないし10のものが当たる。

例えば、「インスタ映え」なんてその最たる例だと思う。

「インスタ映え」
「インスタグラムで注目を浴びる写真を撮る」

この2つなら断然後者の方が訳しやすい。

インスタ映え的な小さな英訳は、本気で難航を極めた。

ただそれについては、何週か前にA部長に確認して、A部長はわざわざ取説を開いて私に見せてくれながら一緒にその装置の取説も見て、取説がそうならそうするしかないねという話になった。

今回も言葉の順番こそ少し変わっていたけれども、女上司とも相談して、順番は違うけれどそれでいこうとなった。

色々直してタイラさんに出来上がったものを持ち込んで、さぁ終わった!となって違うことをしていたら、タイラさんが来た。

追加の直しはもうやりたくないなと思ったら、そうではなく「インスタ映え」について詰められた。

何せ言葉が短いから目立つ。

私も最初見た時は違和感を覚えた。

だから異論を唱えるのも無理はなかった。

だけど大元の装置の取説(他社製)がそうなっているから、しかもそれについての説明だからそうするしかなかった。

タイラさんは私に変だと相当言ってきた。

だけど私とてそれ以上どう訳してみようもない。

そして、それの英訳の最大の利点は、本社の英訳関係も含めた統括のMr.ダンディーのところにいくことだった。

Mr.ダンディーのところに行くなら、私がいくらやらかしても全然問題なく、全部きれいに添削されて直される。

私も安心だし、Mr.ダンディーなら責任取れる立場にあるから、仮にMr.ダンディーがお客さんの前とかで間違えても自らなんとかフォローできるから、私は何の心配もしていない。

それ故にMr.ダンディーの元に行く英訳なら、私は最初から間違えていいと堂々と思いながら出している。

それも説明して、A部長と実際の取説を見たことも説明して、あと女上司とも相談の上でそうだということも説明して、それで納得してくれると良かったけれども、それでもダメだった。

だから私は、もしどうしてもそれでもダメなら、タイラさんの直の部長のB部長に私が事の顛末を説明するし、そうでないなら大御所たちが目を通すそのインスタ映え書類に、私が一言付箋付けてその訳になった経緯を書くよとも言った。

どう思われてもいいから(とは言わないけれど)そうすると言うと、タイラさんから課長に相談すると返ってきた。

そこで私は自分の空気読めないことに気付いた。

体育会系の昭和な会社だから、ペーペーがいきなり部長に相談とかではないことを知った。

順に、係長ー課長ー部長ー執行役員(社内)、その上に本社大御所グループ陣が控えている。

私は内部の事情が相変わらずよくわかっていなくて、タイラさんの話を聞いてようやく気付いた。

そもそも役職名がわかりにくい会社で、私なんかは特殊で、女上司の次の相談相手がいきなり部長になる。(普通は間にもう1人ないし2人入る。)

さらには英訳依頼のものなら、相手は部長だろうがMr.ダンディーのような本社大御所だろうが相手を選んでる場合ではなく、来たものを来た風に対応しないといけないから、役職度外視で動いている。

いつもそういう動きをしていたから、だから本来の業務相談ルートを知らなくて、やらかした!と思った。

いきなり部長に説明しに行くと言い出した私を見て、明らかにタイラさんは「えっ(ΦдΦlll)」ってなってたし、私もそれ見て「やばっ」とやっと気付いた( ̄∀ ̄;)。

私の中では、普段から拉致があかないものは「全て部長案件」ぐらいに思っているから、それが本来なら違うとわかった( ̄∀ ̄;)。

それはそうとして、タイラさんと話をしている時に残念だなぁと思ったことがあった。

タイラさんはまだまだこれからの人だし、本当にこだわり屋さんだから、そのこだわりを伸ばしてあげたら本当にものすごく将来は化けると思う。

英語1つとっても気になったら言いにくるぐらいの人だから、本当にタイラさんみたいな人を伸ばしてあげたら、将来すごい有望株になると思う。

なのに、会社がタイラさんに教えたのは「スピード」だった。

「スピード重視」という言葉が出てきた。

私は、スピード重視よりも、今の会社を見ていてもそうだし、よそを見てもそうだけれど、「中身重視」じゃないの?と思う。

いくらスピードが速くても中身が伴ってなければ、足場がグラグラしているところに家を建てるようなもので、それだと危ない。

しかも、インスタ映え書類の別件で私がMr.ダンディーに質問したことを伝えたら、「聞いたら聞いた分仕事が増えるから、聞かない方がいいです」と半分笑いながら言われた。

私は聞いて良かったと思っている。

なぜなら、そのインスタ映え書類を持ってお客さんと直にやりとりするのはMr.ダンディーであって、Mr.ダンディーやその書類で営業や顧客担当する者からしたら、間違いが少ない方が良い。

私が今回質問したのは、本当にすごいマニアックなものだった。

なんなら、そのマニアックな内容は、今なら社内で私が一番その取説を読んでると言えるかもしれないぐらいに読んでいて、だから大抵のことは答えられる。

だけどその超マニアックな情報は本社までには行かないだろうから、たまたまその情報の管理係みたくやたらと詳しくなった私が「実は今その情報の移行期」だと前置きした上で、それに合わせて中身の一部を変更するかどうかを聞いた。

あともう1つはいくら英訳に長けている人でも何十枚とある書類は見落とすかもしれない箇所の間違いで、言葉は1つでもその言葉はお客さんたちが注文する際に絶対に必要な情報だから、見逃していいものとは違った。

だからMr.ダンディーに確認を直接取った。

目の前の仕事がどこにどう繋がるのか、それを見ないといけないのに、スピード重視みたいなのは少し違うなぁと思った。

スピードが速い方が良いのはわかるけれども、期日内に間に合うなら中身をしっかりした方が良い。

面倒を避けたいのはわかるけれども、でもMr.ダンディーに聞いたことは、絶対的にお客さんや関係者に対して誠意を尽くせるかの部分だから、そこは手抜きしていいのと違う。

手抜きをしたことは、いずれ自分たちに返ってくる。

そういうことを会社が教えないんだなぁ…と思った。

私の提示したものは信用問題とかに発展しかねないもので、知っていて黙っているのは絶対に違うと思ったから聞いた。

なのに、仕事を増やしてると言われて、そうか…、これ信用問題になったら皆さまの首が飛ぶけれど…、と心の中で悪態ついたけれど、まぁいいやと適当に流した。





で、そういうやりとりもありつつ、Mr.ダンディーとやりとりした時のこと。

色々急な質問をメールでしたにも関わらず、まずはすぐに第一報の返信をくれた。

また少しすると、今度はどうしてそうなるのか、その理由や背景を丁寧に説明するメールが届いた。

それはどうしてその内容を正す必要があるのか、お客さん目線の話で書かれていた。

機械と電気の差がわからない私でもすぐにわかる内容で、ものすごく当たり前のことだった。

それはただ1つの英単語を覚えるのと、どういう意味合いを持つ言葉かを知って1つの英単語を覚えるのとでは雲泥の差だった。

しかもMr.ダンディーは今本社大御所の中でも特別大御所みたいな立場にどうやらあるようで、Mr.ダンディーに至っては実力で上がった人だというのがよくわかる。

手間ひとつわざわざかけて、そうしてくれるのがとても嬉しい。

その後さらに厄介な質問を追加で送ると、それもまた全て丁寧に返してくれた。

これは私の中で本当は声を大にして自慢したいことだけれど(それしたら、社内で完全に浮くからしないけれど)、実はMr.ダンディーのこの行為は過去に前例がないかと思う。

正社員の人がMr.ダンディーを頼って英語を見てもらっていた時があるらしい。

ところがMr.ダンディーは、自分は添削係ではないと言って、途中からその役割を自ら辞退したとのこと。

それは早い時期から聞いていたから、私はそれについてどうこう思うことはなかった。

気難しそうな人柄を勝手に想像して、自分がまさか個人的やりとりをすることになるなんて、微塵も思わなかった。

ところが、ある時、それはMr.ダンディーと初めて対面して超難解なビジネス英語(クレーム付き)の添削をしてもらった後ずいぶんと経ってから、メールでMr.ダンディーから「質問がある時はいつでもどうぞ」と言ってもらえた。

私はその時質問もしていないし、別件で何かお礼的なものは連絡した気がするけれど、とにかく何一つ質問はしていない。

なのに、どういうわけかいつでも質問していいと言われた。

さすがに毎回とはいかないし、質問はかなり厳選しているものの、これまで3回ほど質問したと思う。

今回初めて超緊急ですぐのすぐに返信が欲しい的な内容をメールで出した(なぜなら社内ではすぐに提出して欲しい、とタイラさんやそのまた上と思しき人たちから言われていたから)。

最終的にMr.ダンディーに行くのは知っていても、おそらく私が口を開かない限りそこは絶対にスルーされることは目に見えていた。

なんなら1つは、部長に相談に行って、部長判断は「一度この内容で本社から承認されてるからこのまま変更なしで」と言われた。

普段なら私もそれで下がった。

だけど、今後長く活用される資料ならば、それをMr.ダンディーに直接聞いて変更する人は、おそらくこれから何年にも渡って私が最初で最後の人だと思った。

前の方に書いた、今誰よりも取説を読んでる内容になるけれど、そんなのはこれまでの英訳者は誰もしてないのはわかる。

私が今回ここまで関わっているのは、人命に関わるものなのにとてもいい加減に為されていて、それだけにとどまらず、なんと英訳された時の文章が真逆の意味で訳されていたのを見つけてしまったからだった。

本来「手動」の非常停止ボタンを「自動」と訳されていた。

それだけじゃなく、他にもいい加減に訳されていたものをいくつも見つけた。

だから私は取説を日本語も英語も両方読んで全部訳を一致させて、その上で上と掛け合って絶対的に変更しないとまずいこと、それは手間でもやらないとまずいことを伝えて、その作業の途中に今はある。

そんなこんなの事情を詳細に知っているのは私しかいないわけで、だからそれを指摘できる人は私が最初で最後というのは、そういう意味で言っている。

少なくとも数年、下手したら10数年は放置されて誰一人気付かなかったわけで(私も色んなことが重なってたまたま?もはや神々の審議会案件みたいだけど、気付かされるに至った)、それを今かなり長期のスパンでやっている。

そんなのMr.ダンディーも社内の大御所たちも知らないから、ましてやタイラさんもその他の技術者も、そして唯一それを知っていて言える立場の人は絶対にそんな面倒でしかないことを自ら進言するなんてしないから、だからここで私が言う言わないというのが未来の色んなことを大きく左右するのは知っていた。

だから、部長からそのままでと言われた後、何事も聞かなかったかのように、しれっとMr.ダンディーに新旧織り交ぜた内容を全て書き出して、どう対応したら良いかを聞いた。

なんならトイレに行くフリをして、ペンジュラムをポケットに忍ばせて、ペンジュラムで聞いたりまでした(笑)。

Mr.ダンディーはこの2つ目の超厄介な案件の質問も、何も不平不満は言わず、ものすごく丁寧に対応してくれた。

以下のように対応してくださいと前置きした後、全部で7つの質問全てにきちんと解説を付けて即返信をくれた。

本当にできる人且つ仕事に対して信念のある人でなければその対応は不可能なのがわかる。

思うに、会社の看板が直接関係するもので本当に知っておかないとまずいものは、Mr.ダンディーはいくらでも協力をしてくれる。

だから私は添削をお願いしたことがないし、私がする質問というのは、本当に大事なものに的を絞ってしているから、答えてもらえてるのもあると思う。

今回2回分の質問は、どちらも顧客対応をするMr.ダンディーからすると大事な内容で、だから1回目はわざわざ解説まで付いて追加で返ってきたんだと思う。

ちなみにMr.ダンディーとのやりとりを見せるために(じゃないと勝手にやったことになるから、それはさすがに社内のルール上まずい)メールを見せたら、1人の大御所からそれを付けて大御所回覧するようにと言われた。

ちなみに、そんな私信とまでいかないけれど、個人的なやりとりの付いた大御所回覧なんか過去に前例があるのか無いのかは知らない。(普段は少なくともない)

とにかくそんな風にして、Mr.ダンディーから大きなバックアップをしてもらっている。

そして、少なくとも私がいる今の新潟の社内でMr.ダンディーより立場が上の人など誰もいないから、直通のやりとりで指示があれば、水戸黄門の印籠のように大きな後ろ盾と共に大掛かりなものもやれる。





そんなこんなの後、元々今やっている480ページの取説で超困ってトムさんに電話して、それの折り返しの電話がかかってきた。

英文と日本文が全く違っていて、それでその装置専用の他社の800ページ以上ある取説を和英共に探して、ピンポイントで見てもまだわからなくて、それで泣きついた案件を聞いた。

ちなみにたった2行、それも超短い文章のくせして、I live in Niigata, Japan.くらい、その短い内容に私は30分以上調べ物の時間に取られた。

マニアックすぎる単語に日本語も超難解な技術的内容で手も足も出なかった。

あまりにもわからなさすぎて、しかも何をどう質問していいのかもわからなくて、メールは無理だと思ったから電話した。

その時はタイミング悪くて、折り返し電話がきた。

やっぱり想像以上に難解だった内容で、トムさんがわかりやすく説明してくれた。

そしてどういう表現が良いかも教えてくれた。

その時に今取説480ページ全てを見ていることを言った。

本気ですごい惨状だというのを半分冗談言いながらやりとりした時、トムさんが言ってくれた。

「武士俣さん、もし本当にわからないところがあったら、まとめてもらって構わないので、聞いてくださいね」

「えっ☆*:.。.\(*⁰▿⁰*)/.。.:*☆
いいんですか?本当に私聞いちゃいますよ!さすがに480ページ全ては聞かないですけど、どうしても太刀打ちできないところは見てもらってもいいですか?」

「大丈夫です!いつでも言ってください」

「ありがとうございます」

というようなやりとりをした。

トムさんも超絶忙しいのは知っているから、基本的によほどの時しか大掛かりな質問はしない(細かい質問は週1〜10日くらいのペースでしている)。

私も取説にゲンナリしているけれども、そうやって助けてもらえるのは超ありがたい。

トムさんとは別に、取説の日本語で理解できないものは、隣りの隣りの席の硬派さんを頼っている。

硬派さんとはもうかれこれ10数回とか20数回やりとりしているけれども、いつのどの時も本当に超丁寧に対応してもらっている。

冗談抜きで私の英訳の仕事は、周りの人たちからものすごくたくさん支えられながらやっている。
(周りを巻き込んでいるとも言う( ̄∀ ̄;))





同級生の同子ちゃんはじめ私含めた4人で担当している業務の中ですごい負担が大きいものがあった。

英訳が絡むもので、英訳がそもそもきちんとしていないといけないこともあって、それの案件の改善書を私が作って部長に提出した。
(英訳が完全に誤訳されていて、そのことで見直しをしたら、誤訳がそもそものスタートだったけれども、他のことまで問題山積みなのが発覚した。どちらにしても訂正しないとで、それならみんなでやりやすい方法に変更できないものかと、その改善バージョンの資料とお伺い書を作って部長に話に行った。)

部長からは、うちの部署の一存では決められないから技術側と相談、となって預かってもらった。

それの返事を他の用事のついでに部長から知らされた。

それは全員が落胆する「却下」となったけれども、これは単に却下だけではなく、そもそも誤訳のせいで大掛かりな変更が生じるから、ものすごく大きな負担が各自に今後のしかかる。

それを同子ちゃんが部長に直接掛け合って、却下の理由を細かく聞いてくれたのと、さらにどう業務量が増えて大変になるのかを改めて説明してくれた。

その時は私は自分の席にいたけれども、同子ちゃんは部長にこんな風に言ってくれた。

「部長、これってそもそも武士俣さんが気付いてくれなければ、ずっとこのまま間違えたままだったんですよ。
もう何年も10何年もこの状態だったと思うんですけれど、武士俣さんが来て初めてそれを見つけてもらえて。そもそもそういうことできるのが、これまで誰もいなかったということじゃないですか。
これって誰でもできることじゃないと思います。
そもそも英訳って担当以外は誰も読めないから協力できなくて、でも実際はこれだけ色んな不具合が見る人が見たらわかるようになっていて、それってすごい大事なことじゃないですか。
ただ英訳するんじゃなくて、武士俣さんみたいにできる人がいなきゃ、誰も気付かなくてそのまま大きな間違いが放置されて、それって問題ですよね」

そんなようなことを切り出して言ってくれた。

同子ちゃんは本当に上手で、部長にテキパキと理論的に説明していた。

だから、却下はされたものの、今後可能性として提案書を再度提案できる条件とタイミングとを教えてくれた。

何が嬉しかったって、同子ちゃんがそうやって思ってくれてるのも、そしてそれを部長に伝えてくれて、私の動きがどう大事なのかを私も知れたことだった。





こんな風にして、私の協力や味方となってくれる人たちが現れてきた。

これまでだってたくさん協力してもらっていたけれども、これまでと今とは感じが違う。

これまではどちらかと言うと、私だけが一方的に頼むばかりで、周りから「協力します」と言われたわけじゃなかった。

今は協力を買って出てくれる人たちがいて、本当にこれまで以上に支えられてる。

しかも私の協力というかお願いすることは、確実に相手にとって余計な仕事であって負担が増すものでしかない。

それでも色々してもらえるというのは、本当の本当にありがたい。

そんなこんなの毎日を送っている。





冒頭の写真は、トムさんからのホワイトデーのお返し(♡´艸`)。

そこにメモまで付いていた!

よくよく考えたら、生まれて初めて個人でホワイトデーのお返しをもらった。

部署全員に配るとかいうのではなく、個人的にもらえたのは今回が初めてだった。

しかもそれは、部長に提案書を持って話に行く日の朝、出勤すると自分の机に置かれていて、トムさんは遅くなってすみませんと言っていたけれど、私にとってはこれ以上ないタイミングで、朝からものすごいパワーをもらえた。

そういう思い出が1つ人生に増えるのはいい。

気持ちももちろん嬉しかったし、それが人生の1ページになるのも嬉しい。

2020年3月25日水曜日

⒀【おいせさん手帳】色んなI(私)を愛おしむ

↑最近、なぜか写真が横になる




おいせさん手帳第13回目
担当:私


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


3月25日

自分の内に宿る色んな「I 」を愛おしむ。
牡羊座の新月から一夜明けて

「I am(私は…)」に続くものにどんな自分を思い浮かべますか?
評価の高い自分だけではなく、隠したい自分に目を向けてみて下さい。
その自分も大切なあなた自身を形作る重要な1パーツです。
否定したくなる自分自身もこれまでずっとあなたと二人三脚してきました。
これからの時代の開運の鍵は、そうした自分にも光を当ててあげることです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



自分が書いた文章の中でも、これはかなり好きな方に入る。

トップ3に入りそうなくらい。

文章そのものも「上手く書けたな(o´艸`)」なんて思っているけれども(笑)、それ以上に内容がとても好き。

そして、みんなに言い回ってこの考え方を広めたいくらいに良いものだと思っている。





自分の内面を見続けてる中で、自分の中でブレークスルーと呼ばれるようなタイミングは、ここに書いたメッセージのように、自分の嫌だと思うところを受け入れられるようになったあたりだった。

コーチングの個人セッション、人生はワクワクすることにあると提唱した本の勉強会、コーチングスクール、NLP(神経言語プログラミング)受講と大きくその流れを3年くらいかけて経た後、ある程度人生は上向いたけれど、その後も私の人生は色々と崩れた。

ちなみに上向いたのを、言葉にあえてするなら
・内臓疾患の服薬治療終了
(服薬で効果が出なくて悪化したら手術と言われていたものが、どういうわけか数値も大きさも標準値となって寛解した)
・仕事の売上と契約率大幅アップ
・働き方改革成功
・契約社員になった後、過去最高のボーナス支給(正社員の頃よりアップした)
・コーチングスクール受講に際して、某奨学金制度が通って、半分は返済不要の奨学金でスクール代金賄う
とかいう感じで、なかなかなミラクルをいくつも体験した。

自分で書いてて思ったけれども、そういうことがあっても尚生きづらさを感じていた私は、生粋のひねくれ者か社会不適合者なんだと思う( ̄∀ ̄;)。

奇跡の体験も色々させてもらえたけれど(本当に悲喜こもごも、実体験による話のネタはいくらでもある)、それでもまだ心の芯の部分にはいつも生きづらさがあって、何かに追われるようにいつも落ち着かないものが鎮座していた。

今ならその正体がわかるけれども、当時はどうしていつまで経っても生きやすくもならなければ、心の奥底から安心できないのか、さっぱりわからなかった。

ちなみにその正体は、
・ダメだと思う自分を何とかしなきゃいけないと思っていること
・「良い」とされる基準に自分を合わせることが大事だと信じていること
・生きているからには、好きなことや興味のあることを仕事にするのが良き生き方だと信じて疑わないこと
・人生が良くなれば、パートナーもお金も自然とやってくると信じていること
・よろしくないと思う自分の側面は、何とかして「よろしい」自分に変えていかなきゃいけないこと
なんかが含まれていて。

そして、それらを一言でまとめるなら、「それらが出来てない自分はダメだと、自分にいつもダメ出ししまくっていること」。

これは落ち着くわけがない。

自分に「それってダメだよね」と言い続けている限り、自分といる時がめちゃくちゃ居心地が悪い。

そりゃ自分といるのもしんどければ、自分といるだけで具合も悪くなれば、そんな自分と24時間365日なわけで、心が安らぐわけがない。

だから、いきなり「自分を受け入れよう!」となったのとは違ったけれども、極力自分にキツく当たらないように、ダメだと思っている自分もそれが自分だからと思うように、とにかく自分を丁寧に扱うことを始めた。

当たり前だけど、そんなのいきなりできるわけもなく、初期の頃は「自分を受け入れられない自分は、さらにダメすぎる」と二重三重にダメ出しをしていた。

「自分を受け入れるってなんだろう?」っていうのもよく思っていたことだった。

こういう時どうしたらいいか?ともし聞かれたのなら、「あ、また否定してるな」とただ思うだけ、気付くだけにすることって今なら答える。

自分を否定している自分自身に気付いてあげるみたいな感じ。

そんなこんなを繰り返すうちに、そしてさらに個人の人生として色んなことが厳しさを増してもうどうにもならないとなったのを何百回と繰り返したのち、色々ある中で「自分だけは絶対に自分の味方でいよう」と思うようになった。

冗談抜きで四面楚歌状態で、誰も彼もが私のニート状態に否定的で、受け入れてくれてた風の人も、言葉のはしばしで私ではない別の誰かを否定して、それと同じ状況の私もひそかに傷ついていた。

外に何かを求めてもダメだと深く悟った私は、それを自分に求めることに切り替えた。

人は変えられないけれど自分は変えられる、の典型的なものだった。

そういうことを本当にするようになってから、私の生きづらさはずいぶんと軽減された。

いきなりは軽減しなくても、時間や手間をかけた分、じわじわとその効果を感じられるようになった。

これまでダメだと思っていた自分についても、ダメとは思わず「そういう側面のある私」と思うようになった。

それが良い悪いで判断していたから苦しくなっていたけれども「そういう自分」とだけしておけば、可も不可もない。

他人に迷惑となるならば考えものだけど、そうでは無さそうなら、まぁ仕方ないかと年々流せるようになってきた。

あと、私のためと言ってあれこれ言ってくれる人たちの言葉をシャットアウトしたのもある。

これは気をつけて聞かないといけない。

「私のため」と言いつつ、相手は相手の価値観を押しつけていたり、今の私を否定していたりする。

自分が傷つく時は、「それは私の考えには合わない」とすることにした。

反論するのは面倒だし骨も折れるからしないけれども、心ではなるべく相手の考えと自分の考えに線引きするようにしている。

色んな流れの中で気付いたけれども、本気で私を受け入れようとしてくれる人たちの言葉は本当にやさしい。

相手の懐の深さや人間としての心の奥行きみたいなのがものすごくある。

そしてそういう人たちの言葉や態度には否定がない。

私がニートだろうが、社会から離脱してようが、ほぼほぼ引きこもっていようが、そんなことで私を判断しない。

私という人間をまるっと見て、それがぶっしーだねと、まるで私の苗字が武士俣だとか、今の住まいが新潟だとかいうのをそのまま受け入れるのと同じノリで、「だから何?」と言わんばかりにサラリと受け止めている。

そういう奇跡的な人種に出会えたこともとても大きかった。

そういう仙人みたいな、マザーアースみたいな、そんな人たちがこの世に存在していることにとっても感動した。

話がいつものごとく飛躍しまくりだけど、とにかく自分を受け入れること、否定している自分に気付いたらそれさえも自分だということを、とにかく腫れ物に触るかのように自分をそっと包んでいくことが一番の生きづらさを少なくするためのヒントかなと思っている。

時間はかかるものの、効果は抜群だから、私も堂々と薦められる。

最初に書いたような、健康や仕事、お金に関してのプラスの変化を手にした時よりも、こうしてダメな自分との付き合い方を会得した今の方がうんと生きやすくなった。

自分といて居心地が悪くなくなってきたし、変な強迫概念も薄れたし、これが自分だから仕方ないかと良い意味であきらめられるようになったし、自分に対してキツさが薄らいだ分楽になれた気がする。

社会からはみ出しがちな自分は今も変わらずあるけれど、それさえも仕方ないかと思っている。

だってそれこそが自分だから。

一説には、今後は私みたいな人がとっても生きやすくなるらしい。

☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆←期待でギラギラ
キラキラじゃない、「ギラギラ」(笑)

自分の中の不一致感を減らした先の自分が、社会と調和してくれるとこの上なくありがたい。

でも間違いなく、このコロナ騒ぎをはじめとして、世の中の価値観は大きく変わっていくのは間違いない。

これまで通りとはならない。

そしてもっと見えない部分にフォーカスが置かれることになると思う。

そうした時に、色んな自分、色んな「I」私を受け入れられると、かなり生きやすさが増すのではないかなと思う。

外の価値観に振り回されない自分が自分の中にあったのなら、いつどんな時も自分だけは自分の絶対的な味方になれる。

そして外が周りの環境がどうであろうと、自分の内側は平和を保てる。

そうした諸々の実体験と想いとを込めて書いたのが今回の【自分の内に宿る色んな「I 」を愛おしむ。】になる。

2020年3月22日日曜日

目に映る風景

書きたいことが色々とある。

頭の中で優先順位を決める。

これにしよう。





優先順位は簡単に決まった。

いつか目にも触れてもらえなくなる前に、伝えたいことは先に伝えよう。

そう思った。

伝えたい。

なんてシンプルなんだろうと思う。

難しいことは何もない。

伝えたい。

自分の気持ちに沿ってしまえば難しいことなんか何もない。

頭でああでもない、こうでもないって考え出すから、難しくないことも難しくなってしまう。





仕事で頭が発狂しそうになっている日々の合間も、心で強く思ったこと、感じたことは忘れない。

心で感じるものには強さがある。

目に見えないものなのに、絶対に忘れることがない。

むしろ見えないのに主張が強いから、より一層存在感が増してくる。





聞いてみたい。

その人の目にはどんな風に私が映っているのか、それを知りたい。

これも朝の出勤途中の車の中で思ったことだった。

最初に会った日、私が「武士俣」というだけでどれだけその人にとってはそれがツボだったんだろう。

武士俣の名前に負けじと可憐さのカケラもない私はその人の目には何て映ったんだろう。

途中途中はあまり思い出さなかったけれど、どういうわけか最後辺りのことを思い出した。

茶封筒を持ってきた私のことを「うわぁ……、ゲッ( ̄ཀ ̄;;)」って思ったのか、「何こいつ持ってきてんだよ?」と思ったのか、「まだ何かする気なの?本気でやめてくれ」と思ったのか、何でも良かった。

どんなに辛辣な反応でもいいから、その反応の中身を知りたかった。

あの時咄嗟に出てきた心の声を私は聞きたい。

嫌われまくりでも嫌がられまくりでも、その生の声を聞きたい。

最後の日は、ようやく解放されると思ったんだろうか。

本当に私とは1つとしてやりとりしたくなかったんじゃないかな…、とそれは今でも覚えている。

偶然にしてはできすぎだったけれど、私が帰る時間はいつも同じだったから、それに合わせるかのようにその人はいなかった。

しばらく待ってもこないから、それならその人がいそうなところに行って挨拶して帰ろうと思った。

逆に周りに誰かいる方が私も挨拶しやすいと思った。

周りの目があれば、その人だってあからさまに私を邪険にするなんてできないだろうから、せめて誰かいるのならそちらの方が私も救われるかもしれないと考えた。

まさか階段を上りきったところで鉢合わせするとは思ってもいなかった。

その時の冷たい空気も不穏な感覚も本当に嫌そうにしていた感じも全部覚えている。

「本当にうざかった」でもいい。

「真面目に嫌だった」でもいい。

「消えてくれ」はキツいけれど、それだって本当にそうなら私は全力で受け入れようと思う。

何でもいいから、その人の心にあったものをそっくりそのまま知りたい。

今の私なら、いくらでも「ごめんね」と謝れるし、なんなら笑い飛ばせる気さえしている。

「災難だったね」と自虐的に言うことだってできるし、あんな重たい空気ではなく軽い感じで扱える気がする。

ただただ知りたい。

いつか死ぬその時までに、そういうことを本人の口から直接聞くことはないだろうか…と思う。

重たいことを言う方がもっともっと勇気や覚悟もいるだろうけれど、それを聞けたらどんなに良いかと想像する。

その人の人生の中にちょこっとだけ邪魔しに来た私が、どんな風に入り込んでいて、どんな風に目に映って、どんな印象を持たれていたんだろう。

うざくて上等。

本気の困ったさん上等。

何もないより、何でもいいから心に映るものがあれば、それだけで十分だなぁと最近はよく思う。

そして、ただただ知りたい。

自分がその人の目にどんな風に映っていたかを知りたい。





「くだらないけんかやハチを見飽きて、いなくなればいい、とか思ってみたかった。」

引用:『ハチ公の最後の恋人』吉本ばなな

この状態に私はめちゃくちゃ憧れた。

その人のことを「いなくなればいい」って、思ってみたかった。

それくらい嫌気が差すくらいに、とことんやり合ってみたかった。

もう顔も見たくない、話もしたくない、一緒の空間にもいたくない、って思うほどにぶつかってみたかった。

この後にはこんな風に書かれている。

「どっちが新聞を先に読むかでけんかしたり、いろいろなヒット曲が過去になっていくのを一緒に感じたかった。
あらゆる雑多なことを、いい悪いなんて言ってられない、起こったことをなにもかもごちゃごちゃ含んだ、ひとつの宇宙を創って、いつの間にか大きく大きく流されて、気づいたら世にもすてきなところにいること。
そう、つまりね、そんな責任をひとつにすること。」
(文庫本ー135〜136ページ)

この文章の中に私のしたいことが全部詰まっていた。

特別なことをしたいのではなかった。

昨日と今日とで何が違うのかわからないような、そんな日常をその人と共に生きてみたい、それだけのことだった。





忙しいのか、もう飽きたのか、いつかブログを開かない日が来そうだな…なんて最近は思う。

そうなったのなら、もう何を書いても届くことがなくなる。

そうなってしまう前に、書きたいこと伝えたいことを書いてしまいたい。

せめて今月中はもってくれるといいなと思っている。

この間友達にしたことが大変喜ばれたから、同じことをその人にもしてみたい。

この激動の2020年のその人だけのテーマ、メッセージを書いてアップしたいと思っている。

本来公共の電波を使って公開するようなものとは違うけれど、方法が他にないからもうそれでもいいかと思っている。

本人からお願いされたのとは全く違うけれども、友達の時も友達からお願いされたわけじゃないのに勝手にやって、でもそれが本当の本当に喜ばれたから、その流れを信じてやってみようと思っている。

どうか今月いっぱいはなんだかんだとブログに目を通してもらえますように…。

2020年3月21日土曜日

面倒くさい自分ー春分2020







面倒くさい自分のことを書いてみる。

本当は今日春分の日は占星術的に正月に当たるから、幸先の良い内容を書きたかったけれど、小さなことがつっかえてしまって、ドンヨリしているところもある。

無理に明るく振る舞ったり、はたまた元気の出る手紙やものを眺めたりするのではなく、暗くなった部屋の中でゴロゴロしながらこれを書くことが、何よりも今一番自分の状態にマッチしていると思う。

私は自分の英語力について凄いとは本当に思ってはいない。

だけど、英語に関しては本当の本当に時間も体力も知力も使って小さなことをたくさん積み重ねてきたから、そのことだけは私の中に今も残っているし、それがあるからこそこれまでも英語の何だとかいうのをやってこれたところがある。

私が英語にここまで触れたのは、実質大学卒業以来今が初めてで、だから計算すると18年ぶりのガチの英語に触れている。

それも今回は精密機械とかいう自分には全く馴染みのない、本当に知識のカケラもない分野の日本語を英語に直すという、とんでもなく難しい英語をやっている。

自分でやってみて感じるのは、知識も足らないし機械の動きなんかもわからないけれども、なんとか英訳できるのは、徹底的に分解してまで理解した英語の文の成り立ちを体で覚えてきたことと、あとは英文にする時の最低限のきまり(最低限と言っても、通常の学校教育のレベルより遥か上の情報量だと思う)を知っていてそれを元に文章にする力があること、それだけでやっていると言ってもいい。

そして、知識もない私がなんとか英訳するには、日本語そのものの文章を英語にするための日本語の理解も欠かせない。

例えば「隠す(隠れる)」の意味の英単語と「抵抗する」の意味の英単語があてがわれている英訳があった。

どちらも単語の意味が全く違うのに同じ場面で使われていて、英訳を読んでも私には何のことを指すのかさっぱりわからなかった。

それを技術の人に直で確認した時に本当に驚いた。

それというのは、運転中に本来あるべき位置から工具がはみ出したら、工具を元の位置に戻すことを意味した内容だとのこと。

だから、隠すでも抵抗するでもなく、正しくは「元の位置に戻す」もしくははみ出した分だけ後ろに下げることを指すと知った。

そう、全然意味が違っていて、そして今ならわかるけれども、過去の英訳たちは本社の技術と英語の両方を兼ね備えたトップの人が見たものなら大丈夫だけど、そうではない私が今いるポジションの人たちが英訳しただけのものだと内容が超怪しいことがわかった。

私は自分で想像するより(というよりも、あまりに未知の世界過ぎて想像さえできない)、直接技術の人たちに口頭で説明してもらえる方が意味がわかるし理解できるから、さっさと聞きに行っている。

そしてそれでも間違えた時は、もう仕方ないと割り切っている。

とにかく、自分の英語力と日本語の理解力とを組み合わせて、なんとか英訳している。

多分こんなことできるの、日本でもそうそういないでしょ?ぐらいに私は思っている。

できないこと、知識のないことを、自分なりに工夫して英訳している。

細かく聞かれて嫌かもしれないけれど、それでもでたらめの説明を英語で書かれるより、内容に極力沿ったものを英訳される方がいいよね?と思って私は聞く。

それを評価して欲しいとか、きちんと見てくれとまでは言わない。

だけど、そうした裏側の細かな作業を全く無視して、心ない言葉を向けてくる人たちもいる。

そして表面に見えているものだけを見て、それで私の評価を下す。

私は本当に気持ちとして、怒りも沸けばいたたまれないものもあった。

本社を経由して戻ってくるものは、ほぼほぼ赤字でたくさん添削されて返ってくる。

でも、それというのは、私の文法がおかしい云々と言うよりも、技術的なニュアンスや説明が違うよということで添削されて直されている。

そんなのは私が一発で訳せるわけもなく、逆にそれを正してもらえるのはありがたいし、その正す係の方はこの道45年以上の本当のプロで、個人的な感情ではなく、それを正すことで会社の技術をきちんと伝えるとか、お客さんにそれを使うことのメリットを伝えるとか、その部分がはっきりしているから、私はそれをしてもらえることがとにかくありがたくて仕方ない。

ダンディーで紳士なMr.ダンディーはそういう領域にいるから、私も口ではなんだかんだ言いながらも超一目置いているし、そして本当にいざという時は頼りにしている。

中身も見ないで何で添削されているのか、さらには添削するMr.ダンディーがどういう意図で添削してくれているのか、そういうことは全く見ないで、単に「赤でたくさん直されてる=私が英語ができない」みたいな短絡的な考え方や捉え方に本当に腹が立った。

しかももっと言えば、私は文法で間違うことだけは避けたいから、辞書も見れば、辞書でないものは英語圏のネイティブたちが発信しているネット上の例文集なんかも見ながら、各単語の使い方は気をつけている。

そういうものをMr.ダンディーから直されることもある。

その時はもうここでいちいち何か言うよりも私も黙って見過ごすけれども、少なくとも私は自分側は確認している。

そういう陰ながらのことも全く無視した状態での言葉なわけで、もちろん相手は知らないのはわかるけれども、本当に心ないなぁと感じてしまう。

逆に私の英語の先生、トムさん(アメリカ駐在帰りの技術者)は私はそんなこと一言も説明したことはないけれども、肌で感じるのかなんなのか、いつも添削してくれた後「武士俣さんの方が文法はわかるので、その辺りはあと上手にやってください」と言ってくれる。

トムさんは私の経歴は何も知らない。

私も何も言わない。

でも知ってくれてるのと、きちんと私の陰ながらの何かは感じてくれてる。

そして、トムさんは少なくとも私の書いた文章を何回か読んでいるから、それを見てわかるんだと思う。

最後に一緒にやってもらった会社の危機を救うための技術文書の時、トムさんは添削後私のところに持ってきた時、第一声に「文法はOKだし、よく書けてました」と教えてくれてから、技術的な内容でこれの方がいいよというのをいくつか説明してくれた。

上から目線みたいに見えるけれど、そんなことは全くなくて、本当に敬意を払って言ってもらえるのがヒシヒシと伝わる。

もちろんそんなことを関わる相手みんなに求めても仕方ないし、それは求めすぎだというのは頭ではわかる。

だけどそのことにモヤモヤしている自分もいるわけで、その自分はどうしたものかと思う。

無視したところでモヤモヤが消えてくれることは絶対にないから、モヤモヤに付き合える範囲で付き合うしかないんだな…とぼんやり思いながら、色んなことを逡巡していた。





ふと思いついて、高校の時の英語のノートを出してきた。

1年か1年半前くらいに見つけたもので、懐かしさもあったけれども、それ以上に自分の軌跡がそこにはあって、それを今もこうして見ることのできる貴重なひと品となっている。

大人になってから出会った人たちは、どの人もみんな今の私くらいの英語力になってからしか会えてないから、そこに至るまでのプロセスは当然知らない。

私の場合、英語は全く歯の立たないものだったし、苦手意識もめちゃくちゃ強かった。

isとdoesの区別が全くつかないくらいに私の英語力は壊滅的だった。

ノートには難しい文法の名前が書いてあるけれど、今見てもわからないぐらい文法の名前は全く覚えられなかった。

友達から誉められて言われたこと。

私はS(主語)とV(動詞)はわかるけれど、よく言われるSVOとかSVOOとかSVOCとかそういうのは全くわからない。

友達に英語を見てほしいと頼まれた時に、友達が「この文はさ、SVOのOが…」とか言い出して、それで私は最初から「ごめん、その説明がわからないし、私は完全に自分の感覚で英語を覚えたから、自分の感覚では説明できてもSVOとか使って説明が一切できないけれど、大丈夫?」と聞いた。

友達は感覚での説明でもちろんOKだと言ってくれたし、さらには私の感覚で捉えた英語の説明を絶賛してくれた。

何を説明したかなんて覚えてないけれども、何せ私の説明はisとdoesの区別がつかないところからスタートした人が英語を身につける中で培ったものだから、超初心者でもわかるような説明なんだと思う。

そうそう。

会社の技術の人たちと話していて知ったことだけれど、彼らは海外転勤もOKですと言って入社した人たちで英語も一般的なレベルよりできる人たちだから(長文を読んですぐに意味を掴むくらいの人たちまでいる)、だからこそ基本英語はできる能力高い人たちが多い。

それは本当に凄いことだし、私はそのことに対してできる人というのは本当に何でもできるんだな、なんて敬うように思っているけれど、相手はそうじゃない人たちも中にはいる。

ちなみにこれは過去にも何人かいたからわかるけれど、絶対に知ったかぶりとかやめた方がいい。

男の人たちで自分に自信がないのか、はたまた単純に私が黙っているから私を見下してるのかそれは知らないけれど、自分英語できるよアピールをしてくる人たちがいる。

英語に限らないけれども、そういう能力自慢は絶対にやめた方が良い。

なぜなら聞き手側の方がそれを上回ってる場合もあるし、上回ってる側はそうとわかっても言えないから、なんとなく合わせるしかなくなってしまう。

英語だけは唯一、相手が少しでも自分の知識を喋ると、私側は何せ超できないところから今のできるところまでのすべてのプロセスを通過しているから、相手のレベルがある程度わかってしまう。

モヤっとした相手が言ってきたことの中に、私の文章は長いというのがあった。

私はそれに対して、ものすごく違和感があった。

Mr.ダンディーはもちろんそれを直して短くしたんだけれど、それはMr.ダンディーみたいに技術を知ってる者は、ofとかinにあたる前置詞をどこで省略しても意味的に伝わるのか知ってるからこそそれはできるのであって、私みたいに知らない人はそんなのカットできないから、だから理解した通りにしか書けない。

それは私が間違っているのではなく、知らない人であれば基本的に私のような英訳になるだろうと思う。

10文字くらい中国語のように漢字が並ばれた日には、もう何と何がどういう関係なのかわからない。

先日も「主軸Aモーター(仮称)」というのがあった。

主軸とAモーターとで区切るのはわかったけれども、じゃあAモーターが主軸とどう関係するのかはわからない。

だから質問に行った時は、「主軸の上にモーターがあるんですか?それとも主軸の中にモーターがあるんですか?」と聞いたら、まさかの「主軸のためのモーターかな、あえて言うなら」と返ってきた。

それくらい私にはわからない。

だから質問するし、聞いたら聞いたでそれをそのまま英訳するし。

だから英訳は「Aモーターfor主軸」とした。

この文章はMr.ダンディーも添削してくれた中にあったもので、それは何も直されずに返ってきた。

それはそうと、とにかく普通の英語力の人からすれば、長くてもそのように訳すのは無理もない。

そしてそれは、知らない人は勝手にはカットできないから、忠実に日本語を英訳するしかない。

そういうことも知らずに言われるわけだから、なんだかなぁと思ってしまう。

井戸の中の蛙じゃないけれど、私からすると無知を露呈しているようなものでカッコ悪い。

技術のことは私は絶対にわからないけれども、私が全く自分のことを鼻にもかけないし普通に「教えてください」と言ってやるわけだからそれに対して下に見るのか、はたまた派遣だからと思ってそれを馬鹿にしているのか、もっと言えばババアが言うから頭悪く見えるのか、とにかく何なのかは知らないけれども、本当に恥ずかしいなぁと思ってしまう。

相手の持ってるものが何かは相手が喋らなければわからない。

そして少なくとも、能ある人たちこそ爪を隠すじゃないけれど、全然気取ったり大きく見せたりとかしてこないから、余計とわからない。

だけど、そういう人たちは普段の会話から知性が滲み出ている。

考え方や捉え方が多視点だったり奥行きがあったり、はたまた奇想天外なことを普通にポロリと披露したりと半端ない。

あとは、これは性格もあると思うけれども、本当にできる人たちは「時間がない」というのは絶対に言わない。

今現在480ページもある取説の見直しをしているけれども、英訳はスーパーカオスだらけでもう大変なことになっている。

読んだ瞬間、「これ絶対に確認せずに訳したな」とわかるレベルで、わからないところはどうするかと言うと「訳さない」。

はっ!?ヽ( ̄д ̄;)ノって思うけれども、とにかくわからないと訳されてない。

もしくは、文法はちゃめちゃ、何を言いたいのか日本語を読んでから読んでもそれでも全く意味が伝わらないものもあって、本気でぶっ倒れそうになっている。

しかも12時間労働した連休前の木曜日、最後に確認した1枚が1枚まるっとど素人が訳したとしか思えない、もう中身はぐちゃぐちゃ、まともな文章が1つもなくてそれ見てドッと疲れたから、和訳して日本語とどう違うのか見比べることをやめた。

とかいうことを今やっていて、それの確認のために選ばれた技術者たちは、ただでさえ忙しいのにさらには私の質問担当者にまで勝手に選ばれて、超絶可哀想なことになっている。

1人は隣りの隣りにいる硬派さん、もう1人は最初任命された超信頼できる担当者から別のもっと詳しい担当者に引き継がれて、その2人に色々助けてもらっている。

2人とも、特に新しい担当者の人、精鋭さんとしよう、なんかは突然降ってきた仕事で、しかも超面倒なことに巻き込まれている。

あらかじめ、480ページもあるから、その中の不具合全てを聞くことになるからめちゃくちゃ時間をもらうことになることも言っておいた。

全然嫌がらないどころか超協力的で、なんなら最中に故障対応の電話まで来ていて超忙しそうなのに、私が出直そうかと尋ねると「大丈夫です」と言って相手してくれて、この人もまた超良いイケメンくんだなと思っている。

本当にイケメンに当たる率がすこぶる高い!(ここで男運使い果たしてるとしか思えない( ̄∀ ̄;))

しかも、私が最初から「この取説カオスです、それも超カオスです」と言ったら、精鋭さんも中身見て「やべえですね、これ。闇ですね闇、この会社の!」と軽快なタッチで返してくれる、だけど中身はきちんと見て即答してくれる、本当に超できる人だった。

しかも、これはここだけで片付けて良いものじゃないから自分も上に言うし、武士俣さんも部長とかに相談して言った方が良いと思いますと、闇に葬らずきちんと対応することをサラリと提案してくれるナイスガイだった。

少数精鋭から文字って「精鋭さん」。

とにかく硬派さんにしても精鋭さんにしても、絶対に「時間ない」って言わない。

硬派さんも木曜は3時間半残業していたし、精鋭さんも電話越しに「今日4時間(残業)申請したんで」と言っていた。

ってことは激務中の激務なはずなのに、絶対に私の前でただの一度も「時間ない」と言わない。

こんなこと言うのもおかしいけれど、私とやりとりするのは美人でもスタイル良しでもなければ(視覚的メリットなし)、癒しの要素も皆無。

ひたすら変な説明をされてやばい文章の訂正に付き合わされて、はっきり言って疲労しか与えられないようなそういう内容でしかない。

小さなお菓子たちを持参しているけれども、とてもじゃないけれども、そんなことで帳消しにならないものが持ち込まれている。

しかも彼らは自らが依頼したことではなく、私から勝手に持ち込まれた、いわば余計な(そして面倒な)仕事なわけで、メリット0、デメリット100みたいなことになっている。

拷問とか罰ゲームに近いものを感じる。

にも関わらず、本当に丁寧に説明してくれて、最後まで嫌な顔1つもしない。

片や私の英語力をぐちぐちと言ってきた人は、たった1つの質問なのに「時間ない」と言って、適当にしようとした。

私の英語力怪しいんでしょ?だったらきちんと説明しなよ!と思う。(説明してはもらったけれど、私が質問する前に牽制するかのように「時間ない」と言われる。)

書いてたらバカバカしくなってきた。

できる人たちは余計なことは言わないし、私のしていることが大事なのもわかってくれてる。

だから硬派さんも絶対に邪険にしないし、精鋭さんに至っては対応してくれるだけじゃなくここだけのことにせずきちんと報告相談を自分もするから武士俣さんも上とするようにサラリと言ってくれた。

ちなみに笑い話のように喋ってはいるけれども、現実問題笑えない。

「最低限すべきこと」がたった1つ文字が抜けていて「やらなくていいこと」と英訳されてた時には顔面蒼白になった。

とりあえず、主要な他言語たちの取説を調べて、そんなアホな訳になってないかを確認した。

各国の翻訳者たちは超優秀で、とりあえず「最低限やるべきこと」に訳されていた。

作業前に確実に扉関係全部を閉めなきゃいけないのに、andとorを間違えたせいで「いずれかを閉める」になっていたり。

もっと酷いのは、日本語の「間」と「側」を間違えたのか見落としたのかで英訳を全部間違えていたもの。

それこそ中国語ですか?並みの10数文字漢字が並んでる真ん中あたりに、「間」の時と「側」の時とがある文章だった。

2つの間になるか、2つのうちの1つだけ(側)になるかで全く意味が違う。

機械の指令についての説明で、実際は1つ(片側)にだけ指令を出すが正解なのに、「間」として訳してしまっているから、2つ共に指令が出ることになっていた、英訳側…。

こんなのが山盛りあって、本気で発狂レベルの酷い状態。

木曜の最後に、部長2人に現状を伝えた。

私は機械のことは知らないからあったままの不適切な英訳について言ったら、2人ともどんどん難しい顔になっていって、私はその重大さがわからないからただペラペラと喋っていたけれども、モノによっては2人とも絶句していた。

結果的に、今回はできる範囲で修正するけれども、間に合わないものもそのままではなく出荷のために一旦は切り上げた後に直すように言われた(そりゃそうだ)。

私の直の上司からは、直しに関して「今回の取説限り」と私に釘を刺すように言われたけれども、私はあまりにもヤバいから、いくらそのことが爆発的な修正が生じてみんなの首を絞めるかのごとく大変になるかは私だって想像しているけれども、そういう問題ではないと思う。

日本語はきちんと説明しているにも関わらず、英語は訳さないとか言葉取り違えて間違えてるとか、それってどんな話ですか?って思う。
(直属の上司だけではそういうおかしな対応に変わってしまうから、さらに上の部長たちに伝えた方がいいと他の人から助言をもらった。)

話が途中から愚痴のようになってきたけれども、私が言いたかったことは、自分のこれまで積み重ねてきたことに誇りを持っているということ。

あまりにも英語全般チンプンカンプンだった10代の私は、まずは3つくらいの単語の塊に分けて、その3つくらいずつを訳せるようにした。

それを何百何千とやり続けて、そしてその先の色んな英語力に繋がっていく。

そして、大学時代、何千ページと英文を読んで(何千どころか何万単位だと思う)、レポートも100本以上書いて、ネイティブの文法専門の人たちからみんな見てもらって、そうまでして身に付けた、自分にとっては唯一無二の武器だと思っている。

だから、表面的なことだけを見て、私にあれこれ言ってくる人たちというのは、私の何を見ているんだろう?と思う。

あまりに気になって、私は私に英語を見て欲しいと言ってきた友達に連絡をして、どうして私が英語ができるとわかったか、その理由を聞いた。

友達は色んな理由を挙げてくれたけれど、一番の決定打は、他の人が私のスペイン語を少しだけ聞いてそれでかなりのレベルだと言ったことだと教えてもらった。

まだスペイン語を覚えたばかりの、喋れるともまだ全然言えないような時の私を見て、そう言ってたこと、それで友達も英語ができると他の言語にも凡用性が高いと感じたと言っていた。

そして友達は「ぶっしーの和訳ほど的確で分かりやすいのはない。」とも言ってくれた。

友達の周りには頭の良い方たちがたくさんいるけれども、それでもそんな風に感じるほどなんだと教えてもらえて、とても心強かった。

わからない人にはわからない。

そう思えるように、割り切れるようになりたいと思った。

友達からもこんな風に返ってきた。

「浅はかだなぁ…
若気の至りと思ってほくそ笑んでおけばいい…

これが出来るのに、英語力だけじゃなく国語力も問われるのに…
そう言うの分からん教養のない人なんだなぁ…残念😭

そうそう❣️うちの研究室にも居るけど…若いからしょうがない💦と思うけど、30歳過ぎて、それやってたらもう、人間として伸びないし、企業の中で求められる人材じゃなくなるね。」

わかる人は絶対にわかってくれる。

硬派さんはスーパー勘違いして、私に「武士俣さん、本当に勉強熱心ですね」と言ってくれた。

熱心なんじゃなく、聞かなきゃ訳せないから聞いてるだけだと言った。

いつか、それは私の場合、やらないことでそれの負のエネルギーが自分にはね返ってきて具合悪くなるのが嫌だから、と言おう!そうしよう(笑)。

冗談抜きで、会社の未来云々ではなく、私にとって大事なのは自分の体!!!

だから、もうそんな下らないことを言う人ではなく、私のことを大事にしてくれる人たち、私のしていることに理解を示してくれる人たちとの関係を大切にしたいと思っている。