2020年2月11日火曜日

心の伝言

「心の伝言」と題して、ことづて。

帰りの車の中でぼたぼたと降る里雪を窓越しに見ながら走っていた時だった。

「都合が悪いことがあるから連絡をしないんだな」

妙に納得した考えがふっとやってきた。

外は静かで、車もほとんど通らなくて、車の中は音楽の音と暖房の小さな音だけだった。

人が何かを行動に移す時は、何かしらそうすることの方がそうしないことより都合が良いからそうする。

それをする方が明るい気持ちになれるとか。

それをする方が上司に怒られなくて済むとか。

それをする方が周りから素敵に見られるとか。

それをする方が自分にとって何かしらの得があるからする。

反対に、行動に移さないのは、それをすることの方が不都合があるから。

それはどんな不都合なのかは知らない。

だけど、私に連絡する方がデメリットが多くて、私に連絡しない方がメリットが多い。

そう考えたらとても簡単なことだった。

そりゃ連絡しないよね、って。

私だって、相手の立場なら、私に連絡するメリットって何だろう?と思う。

勇気?を出して、覚悟?を決めて、そこまでして連絡するメリットって本当になんだろう。

私側はたくさんメリットがあるけれど、それに相応するぐらい相手側もメリットがなければ、そりゃ連絡は取らなくて当たり前だと思った。

連絡取らないことの方が、比較した時にメリットがあるからそうしてる。

そんな当たり前のことに今ごろ気付いたというか受け止めた。

私がこれだけ好き放題に書いて発信してそれを読んでるからこそ余計と何か言い出しにくいのかもしれないけれども。

私は彼女になれるとか特別な関係になれるとか、そういうことは全く思っていない。

「なりたい」と「なれる」のとでは全く意味が違う。

私の希望を言えば、連絡取れる関係になりたい。

そんなのに肩書きはいらないから、別に特別な関係どころか友達でもなくて、本当に底辺の「知人レベル」でいいから、連絡取れるならそれで十分と思う。

名もなき関係、スーパーウェルカム!

何が動機でもいいから、「連絡するメリット」が「連絡しないメリット」を上回ってくれたらいいなと思う。

私からして、「ホロスコープを見て欲しい」とかであっても十分嬉しい。

そして見るだけ見て伝えるだけ伝えて、はいサヨナラであったとしても、そういう役割だったんだと思えば少しずつ自分の中で納得することができると思う。

悲しくないと言うと嘘になるけれど、役割的なものはもう自分ではどうにもできないというのがわかってきたから、それが自分のところに回ってきているものなら、「そうだ」と受け止めようと心に決めている。

今のところ、不都合の方に軍配が上がっているから連絡をしないんだと思う。

だけど、未来のいつか不都合よりも好都合の方に軍配が上がる時があるとするなら、その時は連絡もらえたら嬉しいなぁと思う。

気軽に連絡して!なんて言うのも無理があるのかもしれないけれど、本当に切腹覚悟みたいなのじゃなく、「寒いですね。お元気ですか?武士俣」みたいなのでも十分な連絡だと大真面目に思っている。

なんだったら「渡されたもの、処分に困ってます。どうしたらいいですか?」でもいい。

書いてて結局何が言いたいのかよくわからなくなってきたけれども。

連絡することのメリットが連絡しないことのメリットを上回る時、もしそんな時が来るのなら、私はいつでもウェルカムです、ということ。

2020年2月8日土曜日

ブログ要員

「ブログ要員」…、この間思いついた言葉で、自分でもなかなか上手い表現だと思っている。

英訳でヒイヒイ言っていても、友達や知人の返信メールが気になっていても、その他の自分がやる必要のあることが山積みでも、イケメンの不可解な行動の方が私の中の考えるテーマとしては大きい。

具体的にイケメンがいつから私のブログに気付いて読んでくれるようになったのかは知らない。

しかも最初なんかはどうやって辿り着いたのだろうと思う。

おそらく「武士俣史子」と検索してくれたのだと思うけれども、そうであったとしても検索しても良いと少なからず思ってもらえたんだろう…と想像している。

私のブログはこの通り長いし起承転結は基本的にないし、読んだ後読了感がすこぶる良いとかでもなければ、何かためになるのとも違う。

何を思って何を感じているのか、生きているうちに聞いてみたいと願っている。

それはそうと、イケメンがブログを日常的に読んでくれてると知って、
ーーー1/21 その数日前から書いていた。




上の続きから書こうかと当初思っていたけれども、あまりにも仕事で気になることがありすぎて、そちらの文章ばかり書いていたら、上の文章の続きを忘れた( ̄∀ ̄;)。

だから仕切り直しで、今のことを。

自分自身が重症だと思った件。

仕事で態度超イケメンくんとやりとりしてわかったこと。

紛らわしいけれども、この文章の中には「イケメン」と「態度超イケメンくん」とが出ている。

わかりにくいけれども、「イケメン」と一言で言う時は別人の話。

「態度超イケメンくん」は、今の職場のエンジニア。

態度超イケメンくんとやりとりした時、私は全然違うあさっての方向に気持ちが勝手に動いていた。

態度超イケメンくんが調べ物をした後に私の席に来て、社内のシステムのどの場所にその調べ物の内容を入れたかを説明してくれた時だった。

態度超イケメンくんの手が腕ごと後ろから伸びてきて、ここですよと言いながら教えてもらった時。

胸キュンな状況なはずなのに、実際にたしかにこの状況おいしすぎる(♡´艸`)♡とかいうのも思っていたけれども、だけど冷静な部分の自分は態度超イケメンくんの手を見て全く別のことを考えていた。

指の形が違う。

そして、態度超イケメンくんの手はとても白かった。

ピンとこない手の形だな…、なんて過去に一度も思ったことのない感想を瞬時に抱いていた。

頭の中では、今ではない過去のある瞬間に飛んでいた。

たった一度だけ、イケメンに資料が挟まれたファイルをイケメン席に持って行ったことがあった。

分厚い資料ならまだしも、数枚の資料のファイルで、私はそれを渡して終わりにするのがいいのか、その場でイケメンが見終わるのを待つのがいいのか、定かではなかった。

だけど、私は少しでもイケメンの近くにいたくて、勝手にその場で待機することにした。

そしてイケメンが資料に目を落としているのをいいことに、私はイケメンの手をじっと見ていた。

今の会社と違って、至近距離でやりとりするなんて一切なくて、ましてや仕事の絡みもゼロで、イケメンに近づくチャンスは常々なかった。

そのファイルは、千載一遇のチャンスが巡ってきて、私はその時していた他の仕事を即座に止めて脇に置いて、イケメンに近づくためにささっとファイルを作って、それでイケメンの席に持って行った。

ちょっとぐらいいいよね!?と思って、どさくさに紛れて私はその場に待機した。

通常の事務机の向かい側ぐらいの位置に私はいたから、近くとは言い難かった。

だけど、普段絡みがなさすぎるから、その距離でさえも至近距離認定できるくらいに近付けた。

そして、ずっと見たかったイケメンの手をイケメンと目が合わない状況を逆手に取って、私は見ていた。

イケメンはすごくきれいな手の人なんだけど、今回態度超イケメンくんの手を見たことで気付いた。

イケメンの手はたしかにきれいなんだけど、きれいだから見惚れていたのとは違った。

私の中で知っている手、何の違和感も覚えず、これこそが自分の中の何かにフィットする手だということをあの時の私は感じていた。

何基準なのかも知らない。

指の形や肌の色なんて今となっては薄ぼんやりとしか覚えていない。

だけど、手を見て、本当に食い入るように手をじっと見つめて、その手を見て色も形も何も違和感なく「あー、〇〇さんの手だ」ととにかく全身全霊で見ていたその感覚と、その手が何か私の中でドストライクというか何の違和感も感じないどころか「完璧」と思ったくらいに何かが心の琴線にかっちりとはまっていて、そうした瞬間、それは時間にして1分とかせいぜい2分とかだったと思うけれども、私の記憶に深く刻まれた。

私は元々自分の手の形にコンプレックスを抱いていて、だから男女問わずやたらと相手の手を見てしまうクセが元々あるけれども、今回態度超イケメンくんの手を見るまで気付かなかった。

私はてっきり全身全霊でイケメンの手を見てしっくり来ていたのは、単に好みの形の手だからだとずっとずっと思っていた。

だけどそうじゃない。

見た瞬間に何かがカチッとはまった何かというのは、好みとか理想とかそういう人間がいかにも考える小さなことじゃなくて、もっと言うなら、「魂が揺さぶられるほど」の何かという感じだった。

魂って言うと毎度大袈裟だと思うけれども、本当に私にはそんな風に見えた。

あの何の違和感もなく手を見ていたことに全然気付かなかった。

色も形も大好き♡とかいう感覚よりも、「しっくりくる」という謎の基準の上にある感覚が最初から最後まであった。

だから態度超イケメンくんの手を見た時に、「何かが違う」と思った。

鼻息荒くなりそうなおいしい状況よりも、手を見て感じた違和感と、その違和感の基準となっているイケメンの手を見た時の0(零)点1コンマもずれていないフィット感を思い出した。

態度超イケメンくんが去った後に、今度はとっ散らかった資料を片付け始めた。

そこに態度超イケメンくんのところに最初行った時に書いてもらったメモ用紙が出てきた。

そもそも態度超イケメンくんのところに最初行ったのは、英訳以前にパソコン通信系の超マニアックな単語がわからなさすぎて、それの参考資料があれば教えて欲しいと聞くためだった。

言葉さえわかればすぐに英訳できるのに、言葉を調べるのに1枚あたり3時間以上かかっていて、その調子だと10枚強の資料の英訳は何時間かかるのか?って話で、それならさっさと資料の有無を聞いた方が早いと思った。

態度超イケメンくんは、その場で参考となる資料のタイトルを適当な裏紙にささっと手書きで書いて私にその紙を渡してくれた。←ちなみにこのやりとりは、今の会社基準だと、超イケメン行動認定される( ̄∀ ̄;)。

その紙はずっと持っていたし、実際にすぐに資料検索のために使ったものだけれど、見返すことはほぼほぼなかった。

ましてやじっくりと見るなんてしたこともなかった。

それでハッとした。

イケメンの時は、何せ本当にやりとりがなさすぎて、どうやったってイケメンの手書きの文字を本人がいた頃は見たことがなかった。

ある時イケメンの後輩くんと事務さんたちとが手書きの文字について歓談していた時があった。

イケメンの後輩くんはきれいな字を書く。

それを事務さんたちに言われた後、イケメンの文字の話にもなって、イケメンは「かわいい字を書く」と言われていた。

その時はまだイケメンの手書き文字を見たことがなかった私は「ずーるーいー!!!!!」と思いながらその話を聞いて、どこを見たらイケメンの手書き文字を見れるのか教えて欲しいとさえ思った。

で、その願いはイケメンが転勤でいなくなった後から時々ご褒美のようにやってきた。

イケメンの手書き文字を初めて見た時も、その後ちょいちょい資料整理や資料探しなんかの折に見た時も、毎回ドキドキしながらその文字を見ていた。

私はどうしてもそれが欲しくて、しれっとその手書きの名前の部分だけコピーしたものが今も手元にある。(機密なものじゃなくて、本当に名前の署名部分だけ)

字のきれいさとかではなく、イケメンが自らの手で書いたものだということが私には大事だった。

本当は原本が欲しかったけれども、そして中には一生誰の目にも止まらない永久不要な紙だというのもわかっていたけれども、さすがにそんなの持ち帰れないから、だから渋々コピーで我慢した(苦笑)。

そんなことを態度超イケメンくんの手書きのメモを見て思い出した。

態度超イケメンくんは本当に素敵男子だけど、そういう気持ちになる相手とは違う。

そんなこと思い出しても、手元のメモ用紙にはチラリと目をやって終わりだったし、当時みたいに書庫的な部屋に行くたびにわざわざ毎回イケメンの手書き文字を見るために特定のファイルを開くなんていうようなことはしない。

態度超イケメンくんのメモ用紙はやっぱり単なるメモ用紙で、それ以上でもそれ以下でもないんだなと思った。

そして、イケメンの時は手書きの名前ひとつ超特別で、私はそれを見て毎回萌えまくっていた。

記憶バッチリだから、例えば本人の名前を何人かの人が書いたものと本人の書いたものとを混ぜて、どれが本物でしょう?ってやったら私当てる自信がある。

それぐらい覚えた手書きの文字だった。

そんなこんなのことを回想していたら、「私超重症だ」と思った。






イケメンがどうして私のブログを読むのかは知らない。

イケメンさえも、何で読んでいるのかわかってないかもしれない。

態度超イケメンくんとやりとりして、こういう普通のやりとりをイケメンともしたかったなぁと思った。

英語の話をちょっとしたり、世間話みたいに会社のやり方の「これって…」みたいなことを2人で変だよねと言ってみたり。

関係ないけれど、初回態度超イケメンくんを訪ねた時に、彼の首のところにイボなのか肌色のホクロなのかがあるのを見つけた。

自分じゃ絶対に見えない場所にあるから、そんなの第三者じゃなきゃ見つけられない。

その首のイボなのかホクロなのかを見て、こういうものを知りたかったと改めて思った。

この間、本だったと思うけれども、大人になって希少な関係は「なんてことないおしゃべりができる人」ってあった。

これはものすごいよくわかる。

仕事に行けば、仕事の用事が中心に話される。

せいぜいあとは愚痴くらい。

家でも用件中心の話が多い。

どうでもいいこと、何の実りもない起承転結もない話、そういうものを私は本当にイケメンとやりとりしたかった。

そういう意味では、このブログはまさにそんな毛色のものだから、しかもやたらと変にマニアックだったりするわけだから、私は勝手にイケメンと私は意外にもそういうくだらない話を共有できる者同士だったのかもしれないなと思う。

私は自分の趣味嗜好が世間ズレしてるのはわかっているから、相手の人もマニアックな趣味嗜好の人だと助かる。

大体そういう人というのは、普段の生活から自分のマニアックさや浮いてる感を随所で感じているだろうから、そういうところを共有できたり、話のネタや切り口がなんか似ていたり、けっこう面白い。

イケメンは私のブログ内でも特にマニアックな内容を選り好んで読んでるみたいだから、それ読めるなら相当マニアックな感覚の持ち主だよね?と思って見ている。





読み返していて思い出したからもう1つ。

イケメンの手を見ていた瞬間のこと。

今思い出すとわかる。

その時、私の中で時が止まったようになった。

ドラマとかで手術の待合室とかにいて、時計の秒針がカチッ、カチッとゆっくり音を刻むみたいな、あの手のゆっくりな時間の流れになって、そんな風な時間の流れにあの時の私はいた。

このまま時が止まってくださいと思ったのも、そう思いながら目に映るイケメンの手をガン見していたこともよく憶えている。

日々色んなことが起こるし、今の仕事は毎日ブログ書けるくらいのネタをいくらでも持て余してる状態だけど、どんなに新しいことが人生にあれこれ起こってきても、イケメンの手をガン見していたことや、そこに1秒でも長くいたいと思った自分の気持ちや、そしてその時は確実に私の目の前にイケメンがいたこと、私の日々の人生の中にイケメンがいたこと、そういうのは絶対に忘れないんだと知る。

忘れないより忘れられないの方が近いかもしれない。

ブログ要員のような立ち位置に私はいるけれども、イケメンももしかすると何か忘れられないほど何かを感じ取っていたのかもしれない。

恋とか恋愛とはおおよそ違うものでも、何か体験したことのない気持ちや感覚を覚えて、それの確認作業が私のブログを読むことなのかもしれないし、はたまたそんなこと関係なしに何か読んでいるのかもしれない。

今思うと不思議な時間の流れ方だったなぁと思う。

いつのどんな時も、イケメンがいた時間の記憶部分はものすごく鮮明で、そしてゆっくりゆっくり何かを確認するかのように時間が流れていた。

他の人たちの時には起こらない。

あれはイケメンがいる時にしか起こらなくて、それが気持ちの問題でそうなっているのか、本当に何か磁場的なものが変化してそうなるのかは知らない。

もし本当の本当に魂同士の繋がりがあると立証されて、そしてそれにより磁場が化学変化のごとく変化するなんてことが科学的に認められることがあれば、是非ともサンプルとして見てもらいたいくらい。

もしそうならそういうことが起きてもおかしくない。

魂同士の再会だとするなら、時空間ぶっ飛ばして今ここに互いにいるわけだから、そりゃ磁場も歪むなり時間もくねくねと独特の刻み方をしても何ら不思議じゃないなぁと思う。





「ブログ要員」、ブログ始めた当初はそれさえも叶いそうにない状況を前に、何でもいいから繋がりたいと思っていた。

今はブログ要員的立ち位置になったらそれでは物足りなくなった。

私もイケメンと同じ趣味でも始めたらいいんだろうか( ̄∀ ̄;)。

っていうか、いつまでこんなこと自分が続ける気なんだろうと時々思う。

何かをきっかけに思い出されるのは、イケメンとのわずかな時間の、それも私の超独りよがりの記憶や感想部分で、それが勝手に自動再生されてしまう。

お願いしなくとも、ものすごい記憶力と共に当時のことやイケメンのことがよみがえる。

これこそ神々の審議会の領域なのではと思うほど。
ーーー2/4  4:57am





ずっと書きたくて、気付けば書き始めてから3週間くらい経った。

3日節分の月曜日から昨日7日金曜まで怒涛の1週間だった。

ちょいちょいブログを書いてはアップしていたけれども、仕事では笑えないことやなんならうぅっとなって涙がにじむようなこともある中で(←ちなみに昨日金曜に一気に良い方向に話が向かったから、とりあえず落ち着いた。近いうちに車窓の窓ならぬ社窓の窓を書きたいと思う)、ふと「ブログ要員」について仕事中歩きながら思ったことがあった。

さっとハイライトを言うと、
・故障の問い合わせなのに、超適当にぞんざいに扱われた英訳と私
・私は依頼されている側なのに、なぜか依頼主が私の質問を適当にあしらって、なんなら私への対応も無礼に当たるぐらい酷かった件
(誰の仕事で誰が責任者なんだという話)
・最後は、「余計なことをしている。仕事が遅い」と本当にこの言葉のまんま言われた件(←目の前では普通に対応したけれど、昼休み心折れて涙がにじんだのはここ)

最後の案件は、本気で派遣会社通して話をしないとまずいかもと思ったけれども、なんと思わぬ形で解決して、そして私の信じた方向がきちんと通ることになったから、とりあえずは良くなった。

派遣とは思えない日々ヘビーなものがやってきている中で、そして連日10時間11時間勤務して頭のネジが何十本と飛びそうな中で、「ブログ要員」という言葉が外は雪が降っている窓の方を見ながら出てきた。

「ブログ要員もずっとずっとやれるわけじゃなくて、いつかは終わるものなんだな」

そう思った。

私はブログを書き続ける気がするけれど、私が書き続けるからと言って相手も読み続けるとは限らない。

いつ飽きたり、徐々に見なくなるなりいきなり見るのを断ったり、はたまたもう全てから撤退してプツンと繋がりが切れたり…、そんなことが未来のどのタイミングで起きたっておかしくない。

繋がりって言葉として適切か知らないけれども、他に適当な言葉も思いつかずそう書いてみた…。

そんなことを思った時に、ブログ要員さえもやりたくてもやれなくなる時がくるとするなら(「くるとするなら」じゃなくて、間違いなく「くる」と思う)、本当に今だけなんだなと心の底から思った。

それをやりたくてもやれない、そういう時が必ずくる。

そう思ったら、今は今で特別なんだと思った。





連日色んなエンジニアの人たちとやりとりしている。

人数数えてみたら、そろそろ20人に達する。

理系男子あるあるなのか、男社会あるあるなのか、はたまた大企業あるあるなのか、その辺はわからないけれども、普段やりとりしない同士で挨拶することは基本ないし、やりとりしてもその後継続して挨拶する人というのもこれまたいない。

例外の人はいても、基本スタイルはそちら。

イケメンの職場がどんな風なのかは知らないけれども、理工系には変わりなく、そして男の人も多いと思う。

もし今の職場みたいなところで出会ったとするなら、「派遣の人」くらいなもので、武士俣さんと認識さえしてもらえなかったんじゃないかと思ってる。

そして、理工系の会社に派遣で行くのは、イケメンのところを含めて4社目になるけれども、ここに来て1つ気付いたことがある。

イケメンがいたところは地方の事務所ゆえに、その事務所自体は規模が小さくて、大型事務所に比べたらアットホームだったということもあるけれども、それでも今行っているところも含めて違いに気付いた。

今のところは特別顕著なのかもしれないけれども、明らかに「人」の扱い方がおかしい人たちがいる。

ただ人として普通に挨拶したり仕事の話をすればいいのに、挨拶も横柄、仕事の態度も横柄、もしくは自分の方が年齢なり立場なり上だと思うから無礼に振る舞って当たり前とか、一部のおかしな人たちがいる。

とかいうことに当たったから余計とわかった。

イケメンは基本的に静かなタイプだし、積極的に挨拶するようなタイプでもないし、自ら自己開示的なおしゃべりをするタイプでもない。

なんだけど、イケメンは人によってコロコロ態度を変えるとか、失礼になるような態度をとるとか、無責任な対応をするとか、そういうことは絶対にしない人だった。

私がごはんに誘った後の私に向けるものは急降下して私は撃沈していたものの、私さえ余計なことをしなければ、おそらくイケメンは最後まで温厚で柔和な対応をしてくれただろうと思う。

仕事ももちろん立場があって事務所の最高責任者だったのもあるにしても、イケメンはいつの時も仕事を真面目にしていて、人が見てない部分もやる人だった。

嫌な言い方だけど、職場内の名簿を作ったのなら、イケメンは当然トップにくるし、私はその中の最下部にくる。

だけどイケメンはそんなこと気にならないのか、私にもごく普通に接してくれてたんだなと改めて思った。

イケメンはズルイぐらいに、容姿端麗だけじゃなく態度も素敵な人だった。

言葉は少ないし自分をアピールするような人じゃなくて本当にほとんど何も知らなかったけれども、発してる空気がとても良い感じで、その空気がさらにイケメン度合いをアップさせていた。

人が良い感じで、私はイケメンの控えめだけど発してる空気感が本当にツボで、今となれば普通に仲良くできたら良かったのになと思う。




怒涛の1週間を経て、こんな風にどんどんイケメンとは生きる世界が違って、交わらないところにしか私は行けないんだろうかと思ったら、ものすごく悲しくなった。

いつか終わりがくるブログ要員についても、この1週間本当に仕事がカオスすぎるところにいた時に、私はいつか何者でもなくなるんだな…と思った。

今の職場にいると、色んなことが変なしきたりや清流からは程遠いおかしな慣習にまみれて、態度が変な男性とかいつも疲れてる男性たちとか、そういう姿もあちらこちらで見かけているけれども、私もそれとは別の意味で浮いてるんだろうなぁと思った。

どこかの組織に属しているイケメンからして、私は異端だったかもしれないし、でもその職場ではずっと静かにしていたから、何の存在感もない人だったかもしれないけれども、どちらにしてもそんな風にイケメンの日々の生きる場所に自分も居合わせるなんてもうできないんだなと思ったら、どこまでも悲しくなった。

今はかろうじてブログが接点みたくなっているけれども、それにはいつか終わりがやってくるし、そして交わらない人生の中で私はイケメンの人生の中からも消えるんだなと思ったら、自分のいる今という時間も足で立っている場所もわからなくなった。

ブログ要員とは自分でも上手い表現を考えたと今でも思っているけれども、終わりを意識し出したら、素直に喜べなくなった。

私もブログだけチェックする人たちというのがいる(その人たちとは面識がないからちょっと違うけれども)。

自分が飽きたり相手の人がブログやめたりすると、それっきりになる、当たり前だけど。

私はいつまで経ってもその域の人で、降格や消滅はあっても昇格はないだろうと思っている。

心の中では、連絡くれたらいいのになといつもいつも思っている。

私の初動のおかしさがなければ、もう少し明るい形の人間関係が築けたかもしれないなぁ…なんて思う。

書いててわけがわからなくなってきたけれども、このままアップしよう。
ーーー2/8 夕方

2020年2月6日木曜日

社窓の窓から〜モヤモヤな心の中

スーパー悪循環なのはわかっているけれども眠れないから、書いてしまおうと思う。

気がきかないのか、故意的なのかは知らないけれども、今日怒りが大爆破した。

この手の怒りは、全くゼロとは言わないけれども、それこそ社会人していて過去に当たったことはないかな…というタイプの怒りにぶち当たった。

それは残業の時間だった。

それこそ残業の発端となっている資料の担当者のところに質問に行った。

不思議な仕組みの会社で、資料作成者と資料責任者とその間の資料連絡者みたいなのが往々にして存在している。

資料責任者はまぁどの会社も決裁印押す人がいるから、そこはいてもさして不思議ではない。

全体の動きを見て、采配振って最終責任は自分みたいな役割の人は必ずいるから、そこはとりあえず抜きにしようと思う。

だけどここは、資料責任者→資料連絡者→資料作成者という感じでいる。

ちなみに今回当たった資料作成者は、超超超仕事ができる若いリーダー的なスーパー爽やかイケメンだった。

英訳の先生トムさん級の超できる人で、私の中で甲乙つけがたいできる人を紹介してもらえた。

11時間勤務をこなして若干変なテンションだったけれども、私は仕事帰りにチョコを買いに走った。

スーパーリーダーとはもうこれっきりの可能性が高いから、今回の超丁寧なお礼も含めて多分次のやりとりが最後になりそうだから、それでチョコを渡すことにした。

スーパーリーダーは既婚者だから、変な心配もいらないから気楽に私も渡せる。

それはそうと、何回目かの神降臨的な仕事ができる人に行き当たって、そちらはものすごく気分良く終われた。

話は戻って資料連絡者。

書くと余計にイライラしそうだから内容は割愛するけれども、私が怒ったのは私が用事があって目の前に見える位置にやってきたと知って、ずっと無視し続けたことだった。

その人が実際の資料作成者として名前が出るだろうにも関わらず、その人は資料はノータッチどころか見てもいない。

私が聞いたところだけちょっと目を通して終わり。

資料自体は現場の人たちがみんな作った。

英訳は私がする。

なんなら今日英訳のためにスーパーリーダーから約2時間半、午前1時間、午後1時間半時間をもらって、内容に加筆訂正が出てそれの日本語側の訂正するだけで残業3時間は終わった。

英訳は明日以降になる。

私が質問したかったのは、その日本語側のもので、1つはっきりすれば他は全部パターン化できるものだったから、そこをクリアにするために質問に行った。

その前に聞いた別の質問が本人にとってどうでもいいことだったからなのか(←私や私がいる部署から見て大事なポイント)、私が派遣だからなのか、はたまた単に気がきかないのか、理由は知らない。

1分あれば1つの文章の訂正ができたり、図の変更ができたり、はたまた細かな入力が1つのパーツすべてが完成できる。

だけど、本人はそれを知らないのか、馬鹿なのか、はたまた典型的な仕事できない人なのか、とにかく平気で私を待たせる。

何も言わず、ずっと隣りのいつでも話せる後輩と話している。

私は2分から3分は待ったけれども、本気で声ひとつ掛けてこないのを見て、自分からお話中すみませんと切り出して、短い質問があるから今都合が悪ければ時間を置いて改めてくるし、もし1、2分もらえるなら今この場でさせてもらえるとありがたいと言った。

後輩側が察してどうぞとなって、それで質問が無事できたのだけれど、最初私はすごい邪魔をしたなぁと思って、2人に平謝りした。

でも質問が終わって立ち去ると、2人はそれぞれの仕事に戻った。

ということは、私を待たせてするような話ではなかったことがわかる。

これもし私じゃなく上司だったのなら、絶対にすぐに対応したんだろうなぁと思う。

これが私側の私用の質問で、その人が関係ないものならそれは私が出直せとなる。

だけど曲がりなりにも本人の名前で資料は外に出て行く。

その人が管理、調整を本来する担当なのに、何もしないどころか、そのための対応さえきちんとしようとしない。

もう言葉がなかった。

4時間ほど怒りが沸いた。

してもらったこともあったけれども、それら全てが飛ぶくらいの酷い有り様だった。

4時間経ったあたりで、ちょっと気持ちの向きが変わった。

その人に対して哀れな気持ちが浮上した。

私の強がりかもしれない。

なんだけど、30代には確実に突入しているだろうその年齢で、その在り方をしてしまう、多分誰も注意なんかしないだろうし、そのまま見過ごされると思う。

別にプライベートな部分はどうであってもいいけれども、今ここにいるのは会社であって、プライベートな関係じゃない。

しかも、本人だって締切があって早く終わらせたいはずだと思うけれども、それに対して自分のするべきこと、要は私の質問に答えて私に少しでも早く仕事を終わらせてもらう方がいいのに、それを自らの意思で反対の方向に行っている。

何を考えているのか私にはさっぱり理解できなかった。

こういうトンチンカンな人はたしかにいるけれども、人として接する部分に大きく欠落というか、私はされると超イラッとするし、私じゃなくても大多数の人はそうだと思うけれども、それを平気でして、そしてそのことを誰からも注意を受けないって、もう致命傷すぎる。

こんな風に年を重ねるのは絶対に嫌だと思った。

しかも信用がなくなる。

本気で信用できない。

色んな人たちと一緒に仕事をしてきて思うけれども、信用ってそういう仕事そのものよりも、評価の対象にならない仕事だけどそれでお金が発生するわけでも自分の何か直接の得になるものでもない、そういう部分をいかに丁寧にできたかとか、誰も見ていなくてもきちんとやったかとか、そういうので積み重ねられるものだと思う。

すぐに対応してくれると、あぁこの人はやってくれるんだなってなるし、小さなことでも気にかけてもらえたら嬉しいし、とにかくそういうことの積み重ねが信用や信頼になると思っている。

その担当者は、自分の受け持っている仕事なのに、まるで私が何かおかしなお願いをしていて、無茶な要求をしようとしてるかのように振る舞っていて、すべてが本末転倒だった。

これを書いてもまだモヤモヤは続くけれども、こういうことの負の連鎖ってすごいんだなと思った。

これだけモヤモヤしたから、もう私の中でその人に対しての信用や信頼は大きく欠落しているし、仕事だからやるけれども、力になれることはやります、なんて気持ちには絶対にならない。

色んな担当者の人たちと日替わりのようにやりとりしてきたからわかるけれども、ぶっきらぼうだったり言葉少なめだったり笑わなかったりする人でも、仕事そのものの姿勢が一生懸命で、多分人付き合いも苦手だろうけれどもそれでも私が聞きに行けば目一杯対応してくれる、そういう人たちだと、その人たちがしていることの少しでも力添えになれるように英訳もやりたいと思う。

まるっと仕事を丸投げして、現場の人たちにもきちんと説明していなかったみたいだし、私なんか何も言われずただ依頼だけがきた状態で、なんなのかと思った。

そこには責任感も誠実さも何もなくて、私には不信感や苛立ち、今後仕事でも関わり合いになりたくないぐらいまで感じている。

依頼がきたらやるけれども、どうか担当者ではありませんように…と願ってしまう。

そこまで思ったら、やっぱり哀れに感じる。

しかも私なんかは期間限定だからすぐ抜ける日が来るけれども、その人はこれからも長い時間今の会社に勤めるわけで、その中であの対応は本人の損にしかならない。

私の人生じゃないからまぁいいかとなった。

さっきお気に入りの文章を読んでいた時にスッと自分の中から出てきた言葉。

・信念を貫くことを自分に許すこと
・正義を持って事にあたることを自分に許すこと
・そういうことをしてもいいんだよ、と自分に許可を出すこと

現実はカオスな部分もたくさんあるけれども、私はやっぱり自分がきちんとしたいものはきちんとしたいし、ましてや今回は超仕事ができる人に当たってその人が本気で自分の日々の仕事を超丁寧にやっているのを見て、自分もそのような仕事の仕方をしたいと思ったし、そして周りからやりすぎとか言われても自分が最後にその英訳でも資料でも手に渡る人たちを思う時に「必要」と感じるものは手際悪いだの遅いだのということにしておいてやりきりたい。
(適当にやっていいと言う人たちの意味がイマイチわからない。適当にできるのは適当にするけれども、それは社内じゃなくて社外に出るものなら、やっぱり誠意ある対応が当たり前じゃないの?と思う)

とにかく少しは眠ってあと4時間半後には始まる仕事に備えよう。

今日(2/6)、今年初めての真夜中の除雪車が出ている。

2020年2月5日水曜日

⑹【おいせさん手帳】自分の心にそおっとノック





おいせさん手帳第6回目
担当:私

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2月5日

自分の心の深いところに向かってノックしましょう。
立春後、春分に向けて

節分・立春を過ぎた今、自分の中のモヤモヤした気持ちを整理してみましょう。紙とペンを用意して、気になっていることをそのまま箇条書きにしてみます。自分の中だけに溜め込んだものが、文字を通して初めてあなたに「こんにちは」をします。あなたに知ってもらえたモヤモヤは、少しずつ糸がほどけていきます。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




これもわりと最初から書く事を狙っていた内容だった。

モヤモヤを吐き出すのに書くことがすごく私には合っていて、何人かにそれとなく薦めると、実際にやった人たちからも好評だった。

書くことで自分の中にしかなかったものが何かわかって、それでスッキリしたり、ただただ吐き出した行為そのものによって心の重荷が軽くなったり、効能は色々期待できる。

わたし的には書いたもの、それがたとえネガティブなものでも、嫌でなければ取っておくといいと思う。

最近はもうずっと新しい精神世界や心理系の本を読んでいないから傾向はわからないけれども、私が読みまくっていた2010年ぐらいから2016年辺りまでは、ネガティブな内容は紙に書いても捨てるようにと指南する本が多かった。

私はそれが嫌でそうはしなかった。

なんとなく、ネガティブなものも役立つことがあるかもしれない…、直観的にそう思って私は全てを取っておいた。

今もすべて手元にある。

今だからわかる。

ネガティブなものを捨てなくて正解だった理由。

自分の中で「ネガティブ」とレッテルの貼られたものは、持っていて決して気持ちの良いものではない。

例えば、いつまでもいじけている自分とか、いつまでも切り替えのできない自分とか、誰かに腹を立ててそれがずっとしこりのようになっている自分とか、イライラして誰かに八つ当たりした自分とか。

そういうのは、全くもって「ないことにできたらどんなに良いだろう…」と思わず思ってしまう代表的なものだと思う。

だけど、そういう自分も自分なわけで、その自分は気に入らないからないことにしますってするのは、自分への最大の報復だと思う。

自分いじめと呼んでもいいかもしれない。

例えば、世の中は美男美女だけが存在していいですよ、なんてなったら大変なことになる。

もしくはノーベル賞受賞できるくらいの頭脳明晰な人だけが世の中で生きてていいですよ、なんてことももちろん大変なことになる。

今いきなり思い出したけれども、この間地元の某企業が男性の育休を超積極的どころか、必須としている会社があって、それのインタビューが夕方のニュースに出た。

社長は私と同じくらいか少し上くらいの人かなという感じだった。

その社長いわく「子どもの頃の夢で、絶対に『屋根屋になりたい!』なんて子ども、誰もいないわけですよ。でもうちは屋根屋なわけで、仕事自体は夢のある仕事じゃない。だけど、大事な仕事だし屋根はなければ困るもので。だからこそ仕事そのものが夢あるような内容ではない中で、何で社員たちに『ここで働きたい』って思ってもらえるかと言うと、そこはもう福利厚生の面で何とかするしかないんです。だからうちは、男性社員全員、子どもが生まれたら必ず育休を強制的に取らせています」と言っていた。

見ていてすごいなぁと思ったのは、男の人だからおなかが大きくなるわけでもないから妊娠したしないなんてわからない。

それは風の噂で社長が耳にしたら速攻でその社員のところに行って、予定日とかを聞いて、それでその場で本人に育休宣告をして、その後から調整しているみたいだった。

多分それは嘘やヤラセじゃないと思うけれども、テレビに出ていた働き盛りの男性たちはみんなそれぞれ育休が(たしか1ヶ月だったか3ヶ月)取れたことで、子どもや奥さんの面倒を自分も見ることができて、それが奥さんにも喜ばれて家庭円満になったと、それぞれの人たちがインタビュー受けてた時に口を揃えて言っていたから、それは本当にそうなんだと思う。

話が飛んだけれども、その取り組み自体もすごいと思ったけれども、社長が言った「誰も屋根屋になりたいとは思わないけれども、大事な仕事」だと言った言葉がすごく印象的だった。

すごいまとめ方だけど、しかもそんな美談な話とは違うけれども、どんな自分もやっぱりそれは自分なわけで、その自分も大切な一部なんだと今は思えるようになった。

いじけたり切り替えができないというのは、それだけ何か大事なことが自分の中にあるってことだし。

怒るのは自分を守る大切な手段だし。

八つ当たりする自分は後味悪すぎるけれども、それも「ダメな自分」で追い出すのではなく、そうなるほどに何か自分の中に苛立ちや余裕のなさがあって、それを教えようとしてくれるものだったり、誰かがいてくれる、存在してくれてることに気付くことかもしれないし、その時は無理でも少し落ち着いた時にそうしたことは必ず何かしら自分のためのヒントになる。

自分でも書いててウットリしていたけれども(笑)、特にこの部分
【自分の中だけに溜め込んだものが、文字を通して初めてあなたに「こんにちは」をします。あなたに知ってもらえたモヤモヤは、少しずつ糸がほどけていきます。】
が大事だった!

何が大事って、自分が自分の気持ちに気付いてあげること!

自分の気持ちが、それがたとえ小さな小さなものでも、気付いてあげられるようになると、自分の心が少しずつほぐれてくる。

キュッと硬くなって、いつの間にか感じることもやめてしまったような自分の心が、自分がそこに関心を少しでも向けることで頑なさが溶けてくる。

時間はかかるけれども、自分が目を向けた分、そっくりそのままそれが自分に返ってくる。

怒ったり悲しんだり憤慨したり自分責めたり…、色々あるけれども、それをほんの少しでもいいから気付けるようになると、確実に自分が自分の味方になれるようになる。

筋トレみたいなもので、今日やって今日すぐに実感は湧かなくても、少しずつ少しずつ積み重ねていくうちにある時「こんなに自分にやさしくできるようになった!」ってなる。(特に私のように、自己否定や自分責めが超強めな人ほど、実感できた時は相当変わっている時だし、超喜べる(笑))

題名にもある通り、「自分の心の深いところに向かってノック」する感じで、トントンって本当にそおっと小さくノックするみたいに入っていくのがコツ。

いきなり、勢いよく自分に向かうと、向かい撃ちに遭う( ̄∀ ̄;)←経験者は語る。

で、それの手っ取り早い方法が、紙にとにかく思いつくままに書くこと。

かなりオススメ☆
(実際は、超オススメ(笑))

2020年2月3日月曜日

『覚醒』書いた時から1年

『覚醒』から1年


2020/02/03の朝焼け



『覚醒』を書いてからちょうど1年が過ぎた。

おかげさまで『覚醒』は1000以上ある全ての記事の中で一番読まれていて、この間通算500回以上読まれたことがわかった。


【あ! そうそう!  ちょうど1年前の昨日が、ぶっしーが覚醒のメッセージを送ってくれた日じゃない? その日にああした記事を書くって、すっごいなあ、と、思ったよ(一年前の自分の状態を知ろうと自分のBlogを振り返ったところ、覚醒の日のことがわかった。】


ノムが今日の昼過ぎにこんな風にLINEに書いてくれた。

そう、ノムと私とは『覚醒』の文章をキッカケに仲良くなって、それがちょうど1年前の今だった。

ノムにとっても大きな出来事があった日で、そうとは知らずに私がノム含めた占星術講座のクラスメイトたちに『覚醒』のブログを送って、そうしたらノム1人だけが短いんだけれどやたらと意味深な返信をしていたから、気になって個人的に連絡を取ったのが最初だった。

今思うと、ノムと私とを繋げてくれたのは、ノムの亡くなったおばさんなのかもしれない。

もしノムにとってその日が365日あるうちの8割は占めるような普段と特段変わらない日であったなら、ノムと私とはこんな風に繋がることはなかったと思う。

その日のノムは一生に一度しか体験しないようなことを体験していて、その先に何も知らない私がポンと『覚醒』の文章を送ったというあんばいだった。

まさかノム側にそんな色んなことが一気に起こっていたなんて、その時まで知らなかった。

その日をこんな風に憶えていて、ちょうど1年だねなどと言ってもらえることの稀少さと喜びは半端なく大きい。

あの文章は、こんな風にしあわせをたくさん運んで来てくれる、魔法のような文章だったんだなと今になってさらに一層思う。





ここからは毒吐きとこの1年を越えての今と、そして今自分が気持ち1本で立てていることの奇跡とを書きたい。

仕事は相変わらず毎日事件簿があって、今日も今日で本当はそれだけで超ロング記事が書けそうなくらいのことがあった。

他の人たちはどんな風に今現在の強烈な星の配置とされる、山羊座の冥王星(破壊と再生担当)と土星(忍耐と努力と試練LOVE)の影響が表れているのかわからないけれども、私の場合、とにかく毎日毎日恐ろしいぐらいに仕事ですったもんだしている。

正しくは、私がすったもんだしている(けれども、それは私の管轄内では最終的にきっちりと仕上げている)のではなく、会社がこれまでなぁなぁにしてきたこと(闇とも言う)がどういうわけかやってくる英訳英訳がそれを暴き出す起爆剤のようになっていて、これ真面目にいつか本気の信用問題に発展しないのかと懸念している。

今日も技術的な英訳かと思えば、よくよく見たら機械の故障に対する緊急の技術的なヒントの英訳で(というのは最後に気付いた)、そうと知ったらますます腹が立って仕方ないことが出てきたけれども、もうそこは割り切れるようになりたいと思っている。

腹が立った理由は、依頼者が超適当な対応をしたからだった。

百歩譲って、他の人たちの前と私の前とで態度が随分と急変するのは、猛烈に嫌だけれども、まぁ人間的に何かしら足らない人ということで、ちょっと上から目線で耐え忍ぶ技を身につけつつある(苦笑)。

ちなみにこれはそういう手の男の人たちみんなに言いたい。

それ、超かっこ悪いよ!!!!!って。

自分の人間の器の小ささが露呈するだけだから、嘘でもいいから人を人として扱いなさいと言いたい。

なんなら扱う真似でもいい。

それがどういうわけかその方はできないようで、今度からそちらの席じゃなく私側の席に呼び立てようかと思うくらい。

私側は近くにお偉いさん数名在籍なところだから、変な対応をうっかり見られたらとてつもなくヤバい。

そういうところだけは無駄に頭の回りそうな人だから(なぜなら今日別件で私の隣りの女上司のところに来た時は普通にしていて、なんなら私にだって友好的だったけれども、その後本当に質問ぶら下げて私が行った時には「これ同一人物ですか?」並みに人間が違う人みたくなっていて、半分呆気に取られた)、今度から本当に私側の方にお呼びできないものかと思う(ΦдΦ)!

今日私に言い放った数々の仕事上の暴言を、大御所たちの近くのところでも吐けるなら吐いてみろ!、と言いたいくらいに酷かった。

私が一番腹を立てたのはそこじゃなく、その問題となっていることに対しての技術的な回答にも関わらず、それの回答を超適当にやり過ごそうとしたことだった。

「日本語の意味がわからない」とサジを投げられてしまった箇所があった(←多分超重要ポイント)。

私にはそこより先に聞ける人が今回はいなくて、もうこの聞いた内容で何とか英訳するしかないんだなと思った。

それだけじゃなく英訳全般に関して困ったことがあって、それが私の英訳の先生トムさんの部署だったから、トムさんに1つ英語のことを質問していいか確認した。

それは二つ返事で了解してもらえて(←ここは超ありがたかったし感謝している)、それでトムさんのところに行って困った英訳の質問をした。

それがその後大きく事を変えることとなった。

トムさんには2つ確認して、その中の1つが「確認」という言葉だった。

とにかく「確認」が、機械あるあるでたくさん出てくる。

1つ何かの機能やステップがあれば、その次には必ず「確認」とくる。

ただ「確認」と言われても、私には機械用語たちがちんぷんかんぷんだから、どの程度の確認を指すのかがわからない。

車で言うなら、鍵がきちんと締まったかの確認から異常ランプが点灯してそれの詳細確認、はたまた修理することになってそれが異常が解除されて正常に戻ったと確認するまで多岐に渡る。

で、英語の場合、同じ「確認」でも、状況いかんによって言葉の使い方が変わる。

言うなれば単なる「手順としての確認」から「命令形の確認」、そしてさらなる上の「絶対的な確認」とかなり差がある。

そうした差がわからなくて、それをトムさんにおおよその目安でいいから教えて欲しいとお願いした。

例えばの文章…、と思って、手元の今さっき質問した英訳の原稿の元となる日本語の資料を見せた。

この時も神降臨!と思ったけれども、5分ほど前、「日本語の意味がわからない」とサジを投げられてしまった箇所にトムさんがさっと目を通して、「これどんな意味ですか?」って私に聞いてきた。

私はさっき説明を受けた内容を、自分のメモを見ながらそっくりそのまま読み上げた。

「主語なくないですか!?この主語何ですか?あれ?これ主語ないから、英訳できないと思います」と言って、その紙を持って先ほどの上席のところへトムさんが確認に行った。

それは写真も付いていたけれども、さっぱりわからない説明で、何がどうなっているのか日本語を読むだけじゃ全く理解できなかった。

それが私の知識のなさで読めないのではなく、技術者たちが読んでも誰も読解できない代物だった。

( ̄∀ ̄;)( ̄∀ ̄;)( ̄∀ ̄;)……

トムさんが気付いてくれなければ、超トンチンカンな英訳が渡って終わったことだと思う。

そして、間違いなくそれが大クレームに発展したかと思う( ̄ཀ ̄;;)。

トムさんは担当者が誰なのかを教えてもらって、その担当者の内線番号を調べて、その文章の内容に関して何が主語なのかを確認してくれた。

主語は、文章にもない、写真見たってわからない、トムさんが聞いてくれなければ絶対にわからない言葉がやってきた。

っていうか、何でそのことを例の上席担当者は「意味が通じない」とだけ言って終わりにしたんだろう…。

その時はまだ内容が掴めていなくて、まぁそういうこともあると思ってそこまで腹は立たなかった。

本当にこれがヤバい内容だと知ったのは、最後に仕上げてそれを送る段になってとりあえずもう一度メールを読もうと思って読んだら、そこで初めて機械の故障に対する回答だと知った。

っていうか、それ、「わからない」とか言ってる場合じゃなくて、真面目に内容をきちんと確認して、正しい且つ適切で必要な情報を確実に渡さなきゃいけないやつじゃん!ということがわかった。

絶句だった。

もし私が「確認」の言い方をトムさんに確認しよう!って考えなければ、絶対にスルーするところだった。

もらった資料の内容で、文章自体は作れないわけではなかった。

変な文章だとは思ったけれども、何せ知識がないからそんなヘンテコな現象もあるんだな…ぐらいにしか思っていなかった。

ところがそれは、そもそもがやっぱりおかしくて、肝心要の主語が欠落していたから、だから誰が読んでも通じない内容になっていた。

そんなすごいものを、しかもそれ故障から正常に直ったとわかる超重要ポイントなのに、私は当初「わからない」とサジを投げられてしまった。

そのことに私は腹が立った。

何でそんな無責任なことをするのか、いくらでも私の英訳が悪いと言ってもらっていいし、英訳が新人になって言葉足りないと言い訳に使われたって全然構わない。

そういうことじゃなくて、これ少なくとも実際に使っているお客さんが困っていて、それで対応策くれ!ってなっていて、そのことに対する回答なのに、何で適当にやろうとするの!?と思った。

とにかくそういうことが日々起こりまくっている( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)。

だから、当たる英訳英訳そんなのばかりが続いているから(しかも私になってからそれが突如始まったΣ(꒪◊꒪; )))) ←何で!?)、そりゃ毎日ネタはあるし尽きない。

そんなこんなの中、1年前の『覚醒』を書いた時と今とを比べてもう少しだけ書き足したい。

私が今変な圧力に屈せず、とにかく「本来やるべきこと」を真面目にやろうと取り組めるのは、周りの人たちからたくさん力をもらっているから。

私は今回のことを少なくとも3人の友達には具体的に相談しているし、そして社内関係者でも2人に相談、1人には愚痴をこぼした先に大切なことを教えてもらって、さらにはトムさんはじめ数名の技術者たちから実戦面で本気で色々助けてもらっている。

私のやり方は時間もかかっているし、色々回り道みたいに見えなくもない。

だけど、私でさえスルーしそうなところを例えばトムさんが今日はしっかりと拾ってくれたり、外部の友達は皆口を揃えて応援してくれてるし、なんなら本質を見てそこは手抜きしちゃダメだと伝えてくれる。

そして会社的にスピードが落ちても、最終的にお客さんには一番良いものがいくように最善は尽くしている。

たとえ私の自己満足だろうと、しょうもない英訳ではなく少なくとも周りから協力をもらって今できる最大限のことはやりきる。

それで不足しているものは、もうダメな時にまた策を立てて対応してもらう他ない。

もしこれが自分1人だったら、とっくに心が折れていたと思う。

だけど、色んな人たちから心ある言葉や声をもらって、色んな人たちから助けてもらって、それで何とか今がある。

周りの人たちが協力してくれるのは、少なくとも私のやっていることが間違いではないからだと思う。

私が今信じているのは、自分の感覚と、そしてもう1つは周りの反応。

もし私が間違えていたのなら、誰かしら「それ違うと思うよ」的な言葉や態度を示してくると思う。

私は自分のこれまでの経験で「外してはいけない」と感じるその感覚は、おそらく相当鍛え上げられたから、自分の中で違和感があるものはそれは違いますよのサインだと思うし、違和感ない時はそれは大丈夫だろうと思っている。

だから、自分の信じているものをとことん信じてみたらいい気がしている。

そして、これは何となくだけど、本当に外しちゃまずいものは、今日のトムさんの緊急ヘルプのように神降臨的な介入がおそらく入る、と思っている。

そこはもう神々の審議会的な領域だろうから、私にはどうすることもできない。

だけど、その手前、私が何とかできる範疇のものはやりきろうと思う。

そしてその「やろう」の原動力は、誰かの価値基準ではなく、自分の価値基準で選べるようになってきたなぁ…、と今日感慨深く感じた。

1年前は死者の霊魂がご登場とか、なかなかそんなこと起こらないようなことを体験していたけれども、今はもっと現実の社会の中で自分の価値観の確認作業みたいなことをしている。

色んな意味でものすごく勉強になっている。

で、自分でも色んな人たちと英訳の仕事を通じて関わってみて、相手の人が一生懸命だと私もできる限りのことはがんばろう!とか私にできることはやってあげたい!(あげたいって…(笑))って思うのと一緒で、私もとにかく「がんばってます」アピールしながらやろうと思うv( ̄∀ ̄)v←本末転倒。

2020年2月2日日曜日

⑸【おいせさん手帳】心の鬼と心の福




おいせさん手帳第5回目。

今回はノムの言葉。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


2月2日 
出来事のポジティブな面を見る目を養いましょう。
上弦の月

本日は牡牛座に位置する上弦の月の日。
上弦の月は、満月へと向かいふくらんでいく月です。
明日の節分を前に、必要以上に自分へ厳しい“心の鬼”を追い出し、
自らを喜ばせる“心の福”を大きくふくらませていきましょう。
あらゆる出来事は見方次第。物事の明るい側面に意識を向けて。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




今回は少し趣向を変えて書こうと思う。

ノムと個人的にやりとりするようになったのは、ちょうど去年の今くらいだった。

そこからまた4ヶ月ほどしてから、2人で初めてお茶をした。

それが去年の5月の終わりで、その辺りから少しずつ個人的な密なやりとりが始まった。

今もだけど、最初の頃は特にノムからの言葉にものすごくたくさん癒された。

こんな素敵な言葉を吐ける人がいるんだ、と本当の本当に心から心酔した。

ノムと話しているとわかる。

ノムの口から出てくる言葉はどれも全部、ノム自身の気持ちや心、信念に直接繋がっている。

ノムが信じていること、信じたいこと、これまで経験したこと、そういうもので成り立っている。

だからその言葉に自分の心が救われる時、それはすなわちノムの信じてる何かと自分が繋がった気持ちになる。

そして、自分自身もそれを本気で信じたい人の1人なんだということに気付かされる。






「心の鬼」について、ノムとやりとりした過去のことが思い返されたから、その話をしたい。

「自分否定鬼」は多分誰の心の中にも棲まわっていると思う。

もちろん私もノムも例外じゃない。

自分否定鬼もジャンルが多岐に渡るけれど、その中の1つ「過去にそれについて他者から否定されたり、否定されなくても理解されなかったりしたこと」がキッカケとなって、それがそのまま自分の中の自己否定鬼になってしまった例もあると思う。

特にそうしたことはデリケートな内容に多くて、自分では大切にしている価値観を頭から否定されたり、全然理解されなかったりした時に大きく成長してしまうものだと思う。

で、その手のキッカケで自己否定が始まったものは、自力で解決できないとは言わないけれども、自力だけで肯定に持っていくのは相当難しい。

だけど、それを肯定してくれる自分以外の誰かに出会えた時、初めて「この価値観をわかってくれる人がいる!」と感動を覚えたり、「自分の信じてる価値観でいいんだ!」と自信に繋がったりする。

その手のエピソードを1つ紹介しようと思う。

これはまだノムとやりとりして、片手もしくは両手で回数を数えられるくらいのやりとりの頃にノムから告白されたことだった。

ノムにつっこんで聞いてないからわからないけれど、予想するにノムはこの話をするにあたって、けっこう勇気を振り絞って切り出したと思う。

なぜなら、「その感覚わからない」と私が言うなり、又はそうは言わなくても反応が薄い可能性も多大にあるわけで、それらを見据えても話すことはやっぱり大人だって勇気がいる。

いや、大人だからこそ勇気が余計といる。

これは私が思っていることだけれど、子どもよりも大人の方が心の傷をこじらせやすいし、そして柔軟力も大抵の場合子どもの頃より低下しているから、一度受けた傷は大抵いつまでもしこりのように残っていく。

そして大人になる過程で、あきらめたり、無かったことにしたり、はたまた心の中で相手を否定したりして自分を何とか保つうちに、自分の本音が往々にしてわからなくなったり、自分の気持ちなのに自分の中で掻き消されてしまうこともある。

さらに言えば、小さな子どもが小さなことにこだわるのは「子どもだから」で許されても、同じことを大人がすると「大人げない」とか「あの人は心が狭い」とか、あれこれ言われてしまいがちだから、余計と小さなネタは口に出しにくくなってしまう。

だから、あの日のノムは電話の向こうでかなりドキドキしながら切り出したんじゃないのかな…なんて想像する。





「あのね、僕が気になっていることの1つに。ものすごく小さいことだし、そんなの気にしてる人なんか誰も他にいないかもだけど、そしてそんなこと気にしてるの僕だけかもしれないけれど…」

ノムはおおよそそんな感じで切り出したと記憶している。

「僕たちのところに何回か来てもらって、それでいつも気になってしまうんだけどね。
ミッチー(ノムの恋人♂)がいつもコーヒーをみんなで飲むために淹れてくれるんだけどね。いつも必ず残すんだよね。
僕はミッチーがいつも丁寧にコーヒーを淹れてくれるのを見てるし知っているから、もし飲めない時は残しておいて、後から温めて飲んでるんだよね。
もちろん、そんなことお客さんはできないし、きっちりと飲み干して!なんて思わないし無理強いだってできないけれどさ。
もし量が多いなら『少なめでお願いできる?』とか言えばいいわけだし、自分の飲める量ぐらいある程度わかるだろうから、無理してまで飲まなくてもいいから飲めないなら飲めないって言うとか、多すぎるならそれとなく量を調節してと言えばいいし。
いつも普通に何も感じずに残しているみたいに僕には見えて。
本当に些細なことなんだけど、そして自分が何て心が狭いんだろう…とも思うけれども、やっぱりミッチーが丁寧に淹れてくれたコーヒーを毎回普通に残してそれについて何も言わない、そのことに僕はいつも引っかかりを覚えるんだよね」

この話の難しさがわかってもらえるだろうか…。

私はこの話がよーくわかる。

たかがコーヒー、されどコーヒー。

小さな出来事みたいな話でも、これはされる方は相当しんどい。

私も家に色んな人が遊びに来てくれたからわかるけれど、その辺りの感覚がズレている人はいる。

みんな同じである必要はないけれど、そんなの育った環境が違うから色々違って当たり前だけれど、それでもそこは気付ける人と気付けない人とでは一緒にいる時の居心地の良さが全く違ってくる。

私も色々手料理出して一緒に食べていたからわかるけれども、全部食べてとも思わないし、苦手な味とかがあれば無理して食べてもらう方が申し訳ないからそんなことしなくていいけれども、大抵の人たちは「おなかいっぱいで食べれない」とか「もっと食べたいけれど、おなか入らんわ」とか、あとは苦手なものは黙って手を付けなくても他のものをもりもり食べて「これすごい好き!」アピールをしてくれたり。

とにかく何かしら反応があるし、あとそうだ、私は基本的に個人盛りにせず、大皿に盛って出して、あとは各自が食べたいものを食べたい量だけ取る方式にしているから、取り皿に基本的にお残しはない。

大皿に残ったものを見て「もっと食べたいのに!」とか嬉しいことを言ってくれる人たちも多い。

だから過去に何人でもないけれども、そうしたことに無反応な人に遭遇した時は、あれ?と思ったし、そういう人たちとは結局それだけじゃなく色んな価値観がズレているから今は何の関係もない。

話が逸れたけれど、私もそれを毎回普通にされたら基本的に嫌だなぁと感じるし、しまいには相手との関係性も見直すことになりかねない。

それはそうと、ノムのその告白には、聞き手側がその感覚がわかる人なのかどうかの大きな違いがあるし、そして仮にわからない方に当たった時はこれ以上話を広げることはできないし、永遠に交じり合わない価値観同士だということを理解する必要ももれなく付いてくる。

それと、ノムのこの話の先には、単なるミッチーのコーヒーの話だけじゃなく、自分たちが相手の人から大切に扱われている気がしないというもっと大きなテーマも後ろに控えていた。

だからこそすごく繊細な内容で、そんなことを気にしている自分はおかしいのではないかとか、そんな了見の狭いことを言う自分は何なのかとか、そのことと今回の件とは関係ないんじゃないかとか、色々自分の考えを打ち消したり否定したりしたことも数え切れないくらいあったと思う。

とにかくこうした正解のない話は、そしてそこに個人の価値観が千差万別と種類のあるものは、ものすごく話をしにくいし、話を出す時はもしかすると相手の普段の行いを否定する可能性も無きにしもあらずでそれがまた厄介だし、色々リスクが高すぎて話すことさえはばかられる。

ましてや当時のノムと私はまだまだお互いにお互いのことをよく知らぬまま話していたから、ある種手探り状態みたいなところが今以上にうんとあった。

だから、ノムがその話を私にするのは、ものすごく勇気の要ったことだと思う。

ちなみに私にはそれがわかって、そしてそこからさらに一層ノムと私とは話すテーマが深まった。

私にしてみても、その辺りの感覚が似ていることと、普段なら人に言うことさえはばかられるものでもノムならそれを言っても大丈夫!、という安心感や信頼感に大きく繋がった。

何が言いたかったかと言うと、そうした自分否定鬼を何とかしたいと思った時に、自分1人だと難しくても、誰かがいるとその自分否定鬼のパワーを最低でも1以上は減らせるかもしれないということ。

告白するのは勇気が要るけれども、そうしたこと、それが言いにくいことであればあるほど、そしてそれが小さくてはっきり言ってどうでも良さそうに自分から見えてしまいそうになっていても自分は超絶気にしていることである時、誰かにわかってもらえたり、それ自分も同じ気持ちになる!って言ってもらえるとものすごく心強くなれる。

ノムとこんなに短期間で打ち解けたのは、こうした些細なことを互いにシェアしてきたことがかなり大きい。

自分の中で大きくなっている「心の鬼」を誰かと共有できた時、それは「心の福」も同時にもたらされる。





童謡『ぞうさん』の作詞者のまどみちおさんの本、『詩人まど・みちお100歳の言葉 どんな小さなものでもみつめていると宇宙につながっている』より、この話にピッタリな詩が出てきたから紹介。



【小さいものほど
大きな理由がある。】



(余談:この本だけは唯一私がAmazonでレビューを書いたもので、良かったらAmazonのレビューも見てください。
見たら一発で私がどれを書いたかわかる名前になっています(笑)。)

2020年2月1日土曜日

社窓の窓から〜ダークサイドとスイーツ

祝☆*:.。.\(*⁰▿⁰*)/.。.:*☆

スーパー懸念事項だったシュールな大御所審議会は回避されて、そして一番良い形に落ち着いた。

英訳をする際に、大元の日本語の原稿と英訳が異なった場合、それについて原稿を書いた技術の担当者とその上司と私とで確認を行って、現場の一担当者と一英訳者レベルで勝手にそれぞれ変更したまま通過させないことを年明けに部長から言われた。

私はこの件に関して自ら騒ぎ、それでそのような指示を貰えた経緯がある。

少なくとも完成させればいいという会社のやり方に対して、私は疑問を呈した。

何がその時にあったかと言うと。

初めての長編英訳を1人で行った。

だけど、それが本当に超難解で、担当者から説明を受けても依然として理解できなくて、とにかく聞いたままを英訳するしかなかった。

それを今度は技術の人で海外赴任経験ありの英語がめちゃくちゃできる人から見てもらった。

その人の添削を見てすぐに気付いた。

私の英訳が超絶やばいことを。

手順書なのに意味も違えば内容も違う。

ちなみにその人いわく、日本語がめちゃくちゃ酷いと言っていた。

あれじゃあ訳しようがないし、たしかに私はすべて説明された通りの日本語を直訳に近い形で英訳した。

機械を誤作動させるわけにはいかないから、そうする他ない。

それが私の中で勝手につけたあだ名、トムさんの超きちんとした英訳を見て超やばいことを悟った。

だから、私が何も言わなければ「完成したから大丈夫」と会社は思って、今後とんでもないことになると思った。

それを何とか避けるために私は何かしら対応をお願いできないかを日曜の休みに家でWordで怪文書作って、月曜に上司に見てもらって、それで速攻部長と上司と私とで話し合いが持たれた。

その時に部長が実際の英訳例を見て、一担当者と一英訳の私だけの間で勝手に変更せず必ずその担当者の上司も巻き込んでやりとりすることを言われた。

そうすれば上司も知った上で必要な変更が行われると見込まれての、とりあえず今早急にできる対策として挙げられた。

だから、私の初回長編英訳なんかは、トムさんのおかげで先には進まなかったけれど、もし上司を巻き込んだとするなら部長は見てすぐにこれはダメだと言ったくらいだから、もし初回の長編の時にその対策が決まっていたのなら、その担当者の上司も巻き込まれての話し合いと日本語説明文ははおそらく書き換えになったと思う。

ただその時はあくまでも下っ端と私という状況を部長も想定してそれを提案していた。

ところが今回。

大幅に変更した日本語を私は英訳した。

それはいいけれども、相手は一般の会社なら課長か課長補佐にあたる。

それをするとなれば、もう部長かそれ以上の役職の人しかその人の上司なんていないわけで、部長+課長+派遣、とかいうやる前からシュールな状況が判明していた。

女上司に確認した時、女上司は「Σ(꒪◊꒪; )))) 」って顔をしたのは見逃さなかったし、「いきなりそれじゃなくて、段階を踏もう」という話にもなった。

そりゃそうだ。

で、女上司と2人で行き着いたのが、担当者に実際に英訳した日本語を見てもらって、その後にどう対応するか部長に聞こうということになった。

相手が相手なだけに、私もそんなシュールな内容審議会はやりたくなかった。

しかもやり方を間違えたら相手のプライドとか気持ちを踏みにじることにもなりかねず、私がしたいことはそんなことじゃないのに相手にとってみたらそう映ってもおかしくないわけで、それも正直気乗りしないやり方だった。

私と同じ部署には、中学の同級生がいる。

その子のところにも聞きに行って、もちろん社内の風潮調査とそれを踏まえた上での具体的な戦略を聞きに行った。

その子から、同じ原稿のデータを同じ形式のまま、私が聞いた内容でもう一度日本語を作り直してそれを担当者に見てもらって、それを実際の最終原稿として採用してもらったらいいんじゃない?と言われて、私は席に戻って早速そうした。

もう一度、今度は私が聞いた内容の通りの説明の日本語原稿を作った。

それを課長みたいな担当者のところに持って行って、内容が合っているかどうかを確認してもらって、訂正の必要があったら教えて欲しいとお願いした。

きちんと見てくれて、2箇所訂正になった(1つは書いてあったけれども、もう1つは口頭で超難解なことを3回目くらいかな、違う言葉だけどもっと容易な言葉で説明された)。

口頭説明分は、その内容を英訳して、その後Google先生より英語から日本語へ翻訳してもらって、最後は色々整えた後にもう一度Google翻訳かけて、そこから出てきた言葉、すなわち説明された内容にまんま同じとなる言葉を日本語文として私が書き換えた。

それをもう一度確認してもらって、それで最終的なGOサインが出た。

一応部長からの通達で、日本語を英訳のために変更する場合は、必ず担当者とその上司とで話すと言われていたことも課長には言って、ものすごい苦笑いしていたけれども、だからとりあえず日本語の変更文のデータは送りますと言った。

ただ、それでは当然対応としては足りなくて、最終的な日本語原稿を私が訂正かけた方の原稿にしないといけない。

そこで女上司が、最終原稿として訂正をかけた方を採用させてもらっていいかと一言サラリと聞くとなって、それでお互い席を行き来していたけれども、最後は課長的な人が私のところに来てくれたこともあって、その時に女上司がお礼かたがたそのことを課長的な担当者に提案してくれて一発で快諾してもらえた。

女上司の方が下でも、何のトラブルもなくスムーズに事は運んだ。

私もペコペコとお辞儀してありがとうございましたというのも2回か3回言った。

課長的なおじさん、私のあいさつに少し驚いていたけれども、多分予想するに社内でありがとうってあまり言わないんだと思う。

でも驚いていても目は優しい感じだったから、大丈夫だと思った。





で、これはやってみてわかったこと。

今回の課長(かは知らないけれど、面倒だからこの後からは「課長」に統一)は本物の技術屋で、説明に関してはとにかくブレがなくて、絵を描いてくれたり、実際に機械上で起こることを手や空間上を使って具体的に説明してくれた。

私がやったことは、日本語の訂正に関しても私の考えや日本語の捉え方は一切入れずに、課長が言った言葉をそっくりそのまま採用して書き直した。

前のブログに「退避する」が「元に戻す」だったことを書いたけれども、そこも「元に戻す」に書き直した。

そんな風にして、とにかく本人が言ったことをそのまま訂正バージョンには載せた。

おそらく、本人も違和感なく私の直した日本語を読めたと思う。

なぜなら自分が発した言葉だったから。





話は少し変わるけれども、私は今回のやりとりを通して、自分の2つの強みを見つけた。

1つは、その相手の言葉を忠実に聞き取って言葉にすること。

これは過去に何人かの人たちがその実際を見て、それについてものすごく褒めてくれたこともあって、そして私もわかるけれどもたしかに言われてみたら同じことができる人というのはこれまで会ったことがない。

私の場合、聞きながらメモを取り続ける、それも相手の言葉の重要なところを一言一句同じように書き出す。

そのスピードと言葉の切り取り方と切り取った言葉の正確性が群を抜いているらしい。

たしかにそれしてる人を見たことがない。

私の場合、大学時代のノート取りで鍛えられて、その後も日々の子どもの記録や塾での毎日連絡簿書きやコールセンターでのお客さんとの通話内容の記録とかで鍛えられまくったから、だからたしかに普通の人より相当できる。

だからいつも担当者たちから色んな説明を受けるけれども、私はその場でサッとメモして、あとは自分のところに戻ってから言葉を書き直して英訳している。

それは今の職場でも使えると知って、国語力や作文力弱めのエンジニアの人たちに代わって、私にしてくれた口頭説明をそのまま文章にしたらいいだけだから、それならできる!と思った。

もう1つは、思わぬところが超強みになると知った。

「スーパーど素人で何も知らないこと」

これこそが私の最大の強みだとわかった。

今回の課長に当たるまで、私は自分の恐ろしいぐらいの知識のなさに、少しだけ気後れしている部分があった。

そもそも物理と化学の差もわからない私が、精密機械の英訳を担当すること自体終わっている。

用語はまるっと知らないし、文章も読んでいてもさっぱりわからない。

トムさんが初めて私の英訳添削をしてくれた時、「武士俣さん、『配線』って出てきたらこれは『電気配線』のことになるので、配線の前に『electric(エレクトリック)』を付けてあげるといいですよ!」と教えてもらった。

その説明はもう少しあって、それを聞くまで私の中で「配線」とさえ言えば全ては電気系の配線のことだと思っていた。

非電気系の配線が世の中に存在するなんて、つい2週間前まで知らなかった( ̄∀ ̄;)。

そのくらい色々知らないから、日本語の説明文を読んだところで、それが器具の名前なのか何か機械の動作の名前なのかはたまた商品名なのかも全くわからない。

なんなら漢字も読めない。

そのくらいできない私が英訳をすること自体、そもそもかなり無理がある。

そんな中でやっているから、毎回大量の質問をする。

相手の時間をたくさん割かせるのかと思うとものすごく申し訳なく、だけど理解しなきゃ訳せないから聞く。

毎回ペコペコと頭を下げてお願いしますと言って終わった後もありがとうございましたとお礼を心から伝えている。

だけど今回課長とやりとりして気持ちが変わった。

たしかに申し訳ないのはこれまでと何ら変わらないけれども、担当者たちも何せ相手はど素人の私だから、言葉をものすごくわかりやすいレベルまで落として説明しないといけなくなる。

今回説明してもらってわかったのは、その一番わかりやすい言葉こそ取扱説明書はじめお客さんに渡る資料として必要とされるレベルのものだということ。

国内生産だけに限定していて、海外に出さないとなれば、別にそんなことまでやらなくていい。

だけど製品は海外に出されるし、そして英語を基本としてその後10か国以上の言語に訳される。

となれば、英語は基本的に誰でもわかる言葉にしないといけない。

しかも、各国の翻訳者たちもおおよそは英語は第二言語で、そして工業知識に乏しいかと思われる。

となれば、より一層何百万もする機械であれば、確実にわかる、確実に外国人に伝わる言葉で伝えることが最優先になる。

それなら私みたいにど素人の方が馬鹿丸出しで「それってどういう意味ですか」と聞けるし、そして相手も知識のなさすぎる私相手にとにかく噛み砕いて説明しないといけない。

それが本当の本当に、みんなにとって良い方向に行くのだろうと思う。

熟練者たちはツーカーで通じ合っても、私のような未熟者には外国語どころか宇宙語並みにわからない。

そう、このわからないことこそ、弱みではなく私の最大の強みで、もし私が暗号のような日本語を簡単に理解できたのなら、私はそれを英訳したと思う。

それはわかる人にしかわからない言葉になったと思う。

だけど、わからないことこそがこの難しすぎる内容を簡単な言葉に置き換える方法を手にできる、すごくおいしいポジションにいるんだと知った。

そして、わからないという弱みこそがこの度強みに変わるんだと知った。





最初課長はなんとなくとっつきにくい感じがして、苦手な部類の人だった。

だけど、何回かやりとりするうちに、1つ1つの質問に本当に丁寧に対応してもらえたし、適当に流さずに必ず本人も納得のいく説明文となるように「これだと意味が変わる」とか「これは少し違う」とかとにかく本来あるものをそのまま言葉にできるようにたくさんの労力を惜しみなく払う人だと知った。

そうまでしてもらった時に、私はその形だけ例えばその人の上司となるだろう部長を呼んで3人ですり合わせをするのが良いこととは思わなかった。

ましてや技術畑でずっとやってきただろうことは、説明を聞いててわかった。

説明にブレがないし、私が細かく聞けば聞くほど、それが合ってるのか違ってるのか即答しているところを見て、これは絶対に物の道理を知ってる人の受け答えだというのもわかった。

表面は平坦な感じの人でも、コツコツと地道に自分の道を極めた人だろうことは伝わってきた。

だからこそ、部長以上の人を交えての作文力に関しての話し合いだの、本気で形だけになりそうだし、やって気持ちの良いものでもないだろうと思った。

そうしたら女上司から助け舟がきた。

私の方で聞き取った内容で書き直した原稿を本人に見てもらって、必要があれば訂正加筆をして、それで内容が合っていたら「そのものを最終原稿に採用したいと思います」と女上司からサラリと言ってくれることとなった。

よって、話し合いは省略の方向で調整できることとなった。

課長もそれで何のためらいもなく了承してくれたから、それで片は付いた。




これは備忘録も兼ねているから、1つだけ気になったことを書きたい。

最終原稿が上がった時に、「今回は丁寧に見てもらった」という言葉を女上司から言われた。

私はそれには何も答えなかったか適当にそうだったんですねと受け答えしたかは覚えていないけれども、その一言に私はすごく違和感を覚えた。

社内の謎のルールや慣習は知らない。

だけど、今回私が担当した内容というのは、取扱説明書に追加で加わるもので、さらにはそれは追加の機能みたく見えるけれども内実は機械の非常停止に関する機能で、要は危険回避のための内容になっていた。

その手順なわけで、さすがにいい加減な英訳を出せるわけがない。

さらには取扱説明書ということは、すなわち初回設定時かトラブル時しか基本的に開かれない。

そして私の担当した部分は、前者ではなく後者のトラブルシューティング的なもので、そこを見る日というのは、すなわち機械が緊急停止した時には変わりない。

それを適当にするのは非常にまずいわけで、ましてや英語から他言語に訳されていくもので、私にはそこをいい加減にというか確認もせずに何となく訳すことの方が危険なのに、そうは考えないのか何なのか、私には驚きの発言だった。

鉛筆削りがきちんと削れないねとかのレベルじゃない。

何百万もする機械が止まれば、それは生産に直結するし、もっと言えば、悪く出てしまうとそこに関わる人たちの生活にも及んでいく。

うちの父親は営業もずっとやっているけれども、これは社会人になったぐらいの頃から時々耳にしていたこと。

営業というのはただ営業したらいいんじゃない。

契約1つが自分が勤める会社の業績に繋がって、もっと言えばそれがその会社の人間の家族にも繋がる。

目の前に100人の人がいるなら、その先は300人400人の養う家族がいる。

営業でも経営者でもそこまで見て仕事しなきゃダメだと言うのは口グセだった。

私が大袈裟だと言うよりも、本当にその説明はトラブル時に見る部分で、そこは大切な内容じゃないのか?と思う。

もし今回が「丁寧に見てもらった」とするなら、反対に丁寧に見てもらえない時のクオリティたるや、相当悲惨なものだと思う。

私が丁寧すぎたりこだわりすぎたり、はたまた課長が丁寧に説明しすぎたりとかいうのとは違う。

会社のやり方に対して何か言うような立場にないけれども、とにかく何でその当たり前と思う行為が当たり前ではなく「丁寧」となるのか、そこが私には解せない。

たしかに課長には私のわからない頭の中に付き合ってもらって、そのためにたくさんの言葉や説明を引き出す結果にはなったけれども、大元の原点を振り返ったら「当たり前」じゃないのかと思う。

もっと言えば、私じゃはっきり言って本当に力不足なわけだから、それなら新たにもっと優秀な人を雇うか、翻訳専門会社に全てお願いするかしたらいいと思う。

簡単な挨拶文やご注文いただきありがとうございます的な礼状を英訳してるのとは訳違うわけだから、本当に一歩間違えたら人の人生や健康に害を及ぼす可能性があるものを訳すわけだから、それ適当じゃ困るでしょ?って思う。




その前後でのこと。

個人的にとても好きな女性が同じ部署にいる。

一緒に仕事することは絶対にないけれども、ちょくちょく気にかけてもらっていて、私的にすごく居心地が良くて安心感がある。

その女性と広いオフィスの中ですれ違った。

その時に、そうだ!と思って、過去に当たった家に持ち帰りしたものの話の続きを報告した。

火災探知機の説明文で、頭がゴチャゴチャしてない時にもう一度よく見て、私の思い込みや読み違いじゃなく、本気で取説が間違っているよね?のことを確認したくて持ち帰ったものだった。

その時に一緒に見てくれて「英語わかんないけど、わからない私が見てもそれおかしい!ってわかる」と言われたレベルのもの。

あれが結局大波乱の幕開けで、今現在水面下ではとんでもないことに発展している。

正しくは発展してはまだいなくて、私としてはもうひたすら「間違えても事故や怪我がその一件で起きませんように」と祈るしかない。

大御所たちに言うことは言ったけれども、軽く捉えられて終わってしまった。

その軽さにビックリしたけれども、そういうのってどうやったってわからない人にはわからないんだなと思った。

全員で協力してでもやらなきゃいけないことだと私は思うけれども、会社はそこではないもっと別の大掛かりな社内変更に今忙しくて、そうした今問題にさえなっていないそのことは、とりあえず「放置」されている。

私からしたら、これまで無事故で来れたことの方が奇跡で、本気で何かあったら一発アウトだなと思っているけれども、目先の大掛かりなことが一大事で、その他の些末なことはそのままにされている。

実際に何が起こったのかかいつまんで話したら、その女性も言った。

「私ね、とにかく1回どんなに時間がかかってもいいから、取扱説明書を全部1からもう一度作り直したらいいと思う。それくらい大事なことだと思うんだけれど、会社はそうは考えてないのか何なのか、違うんだよね」

そして手に1枚の紙を持っていて「これもね…」と言って説明してくれた。

本気でそれもたかが1枚、しかも余白部分が半分以上あるのに、聞いてすぐに大問題へと発展するにおいがプンプンとした。←すでに問題で、それをその日中に解決はできても根本は大問題のまま…(ΦдΦlll)。

その人も真っ直ぐ歩いているつもりでもいきなり地雷に当たるらしい。

だから、しょっちゅう誰も当たらないトラブルを引き当てていて、なんか来ちゃうんだよね〜と言っていた。

そういう内容を人とシェアできることというのはとても心強い。

みんなが同じでなくても、少なくとも理解してくれる人が社内にいるのはとっても大きい。




今日(1/31金曜)のとっておきのスイーツな出来事(♡´艸`)

態度超イケメンくんに質問する瞬間がとうとう来た。

仕事の中で唯一の楽しみと位置付けてもいいくらい、楽しみな行事だった(笑)。

ただ、これまでと違ってわりと簡単な英訳で、そこは非常に残念だった。

態度超イケメンくんとなら、難しいのバンバンやるのに!と思う。

大体難しいのに限って話しかけにくいとかお偉いさんとか、大概おかしなことになっている( ̄∀ ̄;)。

態度超イケメンくんは、英語だけじゃなく、普通に会話もする。

その会話の中で普通の感覚を持っている人だと知れて、それも新鮮だった。

「普通の感覚」と私が言うのは、訳の分からない社内ルールではなく、常識的に考えてこれが妥当でしょ、真っ当でしょ、という感覚のこと。

色々感動ポイントはあったけれども、その中で今回の最大の感動ポイントは、私がどうやったって調べられなかったあるパソコンの装置の名前だった。

最初四文字熟語みたいなものを示されて、もうそれだけで意味がわからず、一応Google翻訳の訳を採用したけれども、本当にそんな意味なのかは知らない。

で、それだとなんとなく微妙だと話すと、今度はその大元の通称で調べたら何か説明が出てくると思いますと言われて、それもやった。

ちなみにここまで丁寧にヒントを出してもらえたのも初めてで、それさえも超感動した!

普段は、おおよそ丸投げで、先日いきなり明日まで!と言われたものなんか丸っとわからなさすぎるのに、クレームとかもあったのにたらい回しにされて、えーーー((((;゚Д゚)))))))ってなってた。

私は根性悪いから、面倒な案件になればなるほど超相手を見ている。

そこにその人の人間性や仕事に対する姿勢が表れると言ってもいいと思っているくらい。

面倒なのは誰だってやりたくないし避けたいのはわかる。

だけどやらなきゃいけないのであれば、そこはもう避けるのではなくどう対処したら良いか考えるのが先なんじゃないの?と思うけれども、どうやらそうではないらしい。

いかにその面倒なことを避けられるか、そこばかりが目立っている気がする。←変な案件に当たりすぎた。

だから逃げずにきちんと対応してもらうどころか調べ方とかまで教えてくれるというのは、それだけで超ポイント高い。

これにはまだ続きがあって、調べたには調べたし、そこで出てきた説明文を使って自分も新たに説明文を英語で作ったけれども、どうやらそれだと意味が違うらしく、そうしたら態度超イケメンくんは
「僕調べておきます。わかったら席に行きます」
と言った。

態度超イケメンくん、100点満点のところ千点になります!ってぐらい、超良い人だった。

50メートル走開催できそうなオフィス内で私の席と態度超イケメンくんの席は対角線上にあって超遠いけれども、それでもそのためだけに来てくれるなんてのは超ありがたかった。

メールした方が早いぐらい。

一通りやりとりを終えて席に戻ると、まずは欲しいと言われた資料を探してコピーを取った。

その後、今思い出すと笑えるけれど、私はとっさに「掃除!」と思って、真面目にパソコン周りのホコリ取りの小さな掃除道具で掃除を始めた。←仕事しろ。

仕事<掃除と、シュールなことをしていたけれど、また仕事に戻ってしばらくすると態度超イケメンくんが実際にやってきた。

態度超イケメンくんは、調べてきたものの説明をするために、それを社内のあるフォルダに入れてきたと言う。

言われるがままにフォルダを開こうとしたら、真後ろから態度超イケメンくんの腕と手が伸びてきて、ここですよ!と私のパソコン画面を指さした。

これまで社内の相談時のあの距離の近さはなんなのかと思っていたけれども(私はそれが嫌で、毎回適度に自分が不快にならない距離を取って相談に行ってる)、態度超イケメンくんがする分にはスーパーウェルカムだった(笑)。

1人で超ドキドキしながら(笑)、しばらくやりとりした後、楽しい時間は終わった。

色々すったもんだがあった1週間だったけれども(ない時がない( ̄ཀ ̄;;))、最後は超癒しで終わったから、色々嫌に感じたことも吹き飛ばしてもらった。

残念なのは、あともう1回やりとりをしたら態度超イケメンくんとの接点はおそらくなくなり、今後も依頼を受けることはほぼほぼないと思う。

態度超イケメンくんの向かい側に座るジャニーズ系美男子と今後250ページ以上に渡るパワーポイント資料のやりとりをしないといけない予定だけど、担当変更とかにならないだろうか(笑)。←ならない。

当たり前だけど、英訳は私側が勝手にこの人の分を担当します!ではなく、相手の依頼ベースでやるから、誰が当たるかは毎回ロシアンルーレットのごとくわからない。

自分で選んでいいなら、私態度超イケメンくんを指名するのに(笑)。

しかもジャニーズ系美男子のように大かがりな案件に当たる人というのはどうやら決まっているみたいで、それに当たっていないということはすなわち今後も当たらないだろうと思う。

夢のような質問タイムは週明けにあともう1回だけあって、それにて終了かと思うと残念で仕方ない。