数日前、ある人に贈り物をした。
この贈り物を買ったお店の人というのが、実に丁寧に包装をしてくれた。
これまで数々のものを色んな店で包装してもらったけど、
プレゼント用としてはこれまでの中で過去最高の包装だった。
華美な包装という意味ではなく、店にあるもので最大限の工夫を凝らしたもの、
そしてその工夫がこれまでに見たことなかったから、わたしはとても感動した。
しかも、わたしが買ったものは数百円のもので、その丁寧な包装が申し訳ない位だった。
それでもお店の人は、もっと値の張るものもその数百円のものも、
同じように包装してるんだろうなと思わせる仕事ぶりだった。
最後に心からのお礼を伝えた時も、お店の人は「そんな大層なことはしていない」と
さらりと笑顔で言っていた姿も印象的だった。
プレゼントを渡した当日。
プレゼントにもらい慣れてる方なんだと思う。
渡した時に小さな違和感があった。
当然その細かいプロセスなんか知らないのは承知の上だし、
いっぱいいっぱい感謝してくれ!なんて言うつもりはもちろんない。
だけど、渡された後のプレゼントの置かれ方がとても適当で、
わたしは何だか引っ掛かってしまった。
過去にもう1人だけそういう置き方をした人を見たことがあったけど、
やっぱりその時もすごく気になってしまった。
はっきり言ってしまえば、見ていて不快になる置き方だった。
その違和感については、忘れてしまおうと思った。
気にしていても仕方ないし、気にしたところでどうにもならないと思ったから。
ところが、今の便利な時代、寝た子を起こすように、
今度はネット上でプレゼントの行方を知ることとなってしまった。
小さな違和感は、すでに大きな違和感になった。
プレゼントを用意したことをひどく後悔すらした。
今日会った友達に、事の顛末を伝えずに、とりあえずネットで見たものを見せた。
何も言っていないのに、
「何なのこの人!」
と友達がわたしが思っていたことを代弁してくれた。
さらに、わたしは実際のプレゼントの写真も見せた。
何せ感動的な包装だったから、家に帰って写真撮影を決行したのだった。
それを見た友達も
「この包装、これすごいね~。
でも、多分この人には伝わらないと思うよ、こういう良さ」
と捨て台詞のように言っていた。
自分の小さな違和感は、自分独りだけで抱えている時は、自分の中で悶々と押し問答が続く。
意地悪な姑みたいだな・・・、自分の感覚って・・・、とも思った。
でも、その小さな違和感を1人でもわかってくれる人がいると心強い。
そして、多分わたしの違和感は、もしかしたらわたしや友達だけではなく、
実は多くの人にとっても不愉快なことなのかもしれない。
「人を裏切るのも人間であれば、人を救うのもこれまた人間だよね~」
と別の友達が教えてくれたことがあった。
別にプレゼントのことは裏切られたわけじゃないけれど、
このプレゼントによって、最初に覚えた感動は違和感や痛みに取って替わり、
そして最後またそれらは昇華されて最初の感動に戻った。
今回の一連の流れを通して、やっぱり自分はこういう小さな違和感を大切にしたいと思った。
2015年3月31日火曜日
2015年3月30日月曜日
5年越しの春
春がやってきた。
これはうちから数十歩のところにあるご近所さんの桜。
このおうちは毎年桜の時期だけ、夜になるとライトを付けて夜桜を道行く人たちに提供してくれる。
これはうちから数十歩のところにあるご近所さんの桜。
このおうちは毎年桜の時期だけ、夜になるとライトを付けて夜桜を道行く人たちに提供してくれる。
これはある邸宅の塀の外側に舞い落ちた桜の花びら。
この家の素敵なところは、古い家で敷地も狭いし家もこじんまりしているけど、
桜の木を庭に植えてあるというのがとても粋だ。
この桜、実は今年初めて見た桜だ。
2010年の4月のいつだったかに今の場所に引っ越してきて、
今年が通算5回目の桜の季節になるけれど、
実はこの桜並木の道に気付いたのは今年が初めて。
だからこの場所を歩いたのも初めて。
うちからほんの数百Mの距離なのに、ずっと知らずにいた5年越しの桜の存在。
これが上の桜並木の道の川を挟んだ向かい側。
ちなみにこの川、ものすごく汚いけど、桜があるだけであら不思議、とても映える。
ここも5年越しのお初の場所。
たんぽぽの綿毛とたんぽぽと桜の花びらのコラボレーション。
たんぽぽが綿毛になるにはまだ早い時期だけに、この3つの一期一会の確率を考えたら
ものすごく感動した。
ちなみに、「たんぽぽの綿毛」の花言葉は「神のお告げ」。
3年前の春、結婚25周年を迎えようというある女性に出会った。
旦那様との関係に悩みに悩み、離婚寸前の状態にあった。
その方と、目の前は片側2車線の大きな道路が走っているマンション2階の1室にいた時のこと。
なぜか、たんぽぽの綿毛がマンションの部屋の中に風に運ばれてやってきて、
住人の方いわく、そんなことはこれまでに一度もなかったとのこと。
その女性は、それを見て涙目になっていたことを今でもはっきりと憶えている。
そしてその後。
その方と旦那様の関係が劇的に変化し、すっかり夫婦仲を修復された。
たんぽぽの綿毛を見る度に、あの奇跡の綿毛を思い出す。
この花、例の桜並木の道を歩いている時に見つけた。
360度アスファルトに囲まれている所に根を下ろし、
これからきれいな花を咲かせようというところ。
この強い生命力に、ただただ感動する。
そして人間である自分が元気をもらう。
桜の季節の名古屋城。
歩いて行ける距離なのに、桜の季節に名古屋城近くまで行った記憶がほとんどない。
冬のある日、名古屋城そばにある名城公園のランニングコースを歩いていた時。
普段は木に覆われて何も見えない場所なのに、冬で全部葉っぱが落ちて、
名古屋城が丸見えになるスポットにたまたま行き当たった。
その丸裸の木々が桜だと知ったのは今日。
満開の桜で、今日同じ場所を歩いても、もう名古屋城はそこからは見えなかった。
毎年毎年、桜の季節になると自然の生命力にただただ驚く。
2015年3月29日日曜日
書くことの今
手相家の人に「武士俣さん、書くことをしたらいいですよ」と言われたのが多分3年前。
その時は、たしかに書くことは好きには好きだけど、
それと現実の中での方向性がさっぱり結びつかなかった。
3年程経った今、あぁこんな風に「書くこと」が変化するんだということを少しずつ実感している。
今3つのブログを持って、書くことに関しては知らないうちにそれが自然なものになった。
『光の図書館』はずいぶんゆっくりペースではあるけれど(汗)。
最初の違和感を思い出すと、今は書く時に違和感は一切ない。
パソコンを前に、下書きもせずただただ思うままに綴る。
回数重ねると習慣になるとは、本当にこういうことを言うんだと思う。
1回1回書く時間は少ないけど、これまで書いてきたすべての量を見ると、
こんなのを例えば1日とか1週間で書けと言われたら無理だなと思う。
それが小さなことでも積み重ねると、塵も積もれば山となる状態に発展してくれる。
で、今、「書くこと」に違う意味合いが加わってきた。
これまでの「書くこと」は、自分の中のものを伝えたり吐き出す手段というのが主だった。
もしくは、備忘録的な感じでしかなかった。
ところがここにきて、「書くこと」で人と繋がり出している。
書くことが人と繋がるだなんて思ってもみなかったから、とても驚いている。
まさか手相家の人も、そんな風になってるだなんて思ってなかっただろう。
本当にこの1ヶ月位の話だ。
2月に書いた『世界は繋がっている~シュウマイの包み方より』に出てくる方に、
わたしはあの後正式な読者登録の申請とメッセージを送った。
期待もしていなかった返事がもらえて、それだけで当時のわたしは舞い上がりそうだった。
その方から今日ブログの方にコメントが来ていて、
ブログを引っ越しました、ということで引っ越し先のアドレスがあった。
ものすごい読者数の方だと思う。
先日、たしかに今のブログを辞めるというようなことは書かれていた。
それっきりアップもされず、残念に思っていた。
元々のブログには、引っ越し先のアドレスなんかは一切書かれていなかったから、
もう読めないなんて残念・・・と思っていただけに喜びもひとしおだった。
どこの誰とも知らないようなわたしに、わざわざ引っ越しのブログを教えてくれたというのが
本当の本当にうれしかった。
こんな風に繋がるなんて、シュウマイの時には想像もつかない話だ。
さらにもう2人ほど、「書くこと」で想像もしていなかったことが起こった方がいる。
1人は『自分のできないことが財産になる』に登場するパソコンに詳しい方。
わたしはこの方のメルマガも登録して、今もあれこれと色んな情報を得ている。
いつだったか、その方のメルマガの感想をブログのコメントに書いてくださいというメールが来て、
それは本当に世話になったから書いたのと、1つ質問があってそれも含めてコメントを書いた。
質問にもご丁寧に迅速に対応してくれた。
ただコメント欄は、感想&質疑応答でいっぱいになっていたから(300近い数になってる)、
個人的にお礼のメッセージを書いた。
そうしたら即返信が来て、メルマガにわたしの感想を紹介したいとあった。
二つ返事で返した。
もう1人の方もそうで、今色んなことを形にしていくために必要な情報をメルマガで取っている。
その方にもお礼を書いて出したら、同じようにメルマガかブログで紹介したいと返事が来た。
こちらもこれから返事をする。
そもそも返事が来ること自体全く期待していなかったし、というか来るとすら思ってもなくて。
なんだったらこれから返す方なんかは、
「感想をいつもうれしく拝読していますが、返事が出せずごめんなさい」
ぐらいのことが書いてあったから、本当にお礼だけのつもりで書いて出しただけ。
だから、メルマガかブログで紹介したいと言われて、心底驚いた。
自分の思いを一方的に発信するだけじゃなくて、こんな風に人と繋がることがある。
わけもわからず始めたブログ。
わけもわからずに困ったから登録したメルマガ。
うまくできなかったシュウマイの包み方。
どんと落ち込んだ日に読んだブログの記事。
1つ1つは全く異なるものなのに、それらがいつしか絡まって別の世界をわたしに見せてくれる。
「書くこと」はこれからもまた、どんどん別の何かをわたしに見せてくれるような気がする。
その時は、たしかに書くことは好きには好きだけど、
それと現実の中での方向性がさっぱり結びつかなかった。
3年程経った今、あぁこんな風に「書くこと」が変化するんだということを少しずつ実感している。
今3つのブログを持って、書くことに関しては知らないうちにそれが自然なものになった。
『光の図書館』はずいぶんゆっくりペースではあるけれど(汗)。
最初の違和感を思い出すと、今は書く時に違和感は一切ない。
パソコンを前に、下書きもせずただただ思うままに綴る。
回数重ねると習慣になるとは、本当にこういうことを言うんだと思う。
1回1回書く時間は少ないけど、これまで書いてきたすべての量を見ると、
こんなのを例えば1日とか1週間で書けと言われたら無理だなと思う。
それが小さなことでも積み重ねると、塵も積もれば山となる状態に発展してくれる。
で、今、「書くこと」に違う意味合いが加わってきた。
これまでの「書くこと」は、自分の中のものを伝えたり吐き出す手段というのが主だった。
もしくは、備忘録的な感じでしかなかった。
ところがここにきて、「書くこと」で人と繋がり出している。
書くことが人と繋がるだなんて思ってもみなかったから、とても驚いている。
まさか手相家の人も、そんな風になってるだなんて思ってなかっただろう。
本当にこの1ヶ月位の話だ。
2月に書いた『世界は繋がっている~シュウマイの包み方より』に出てくる方に、
わたしはあの後正式な読者登録の申請とメッセージを送った。
期待もしていなかった返事がもらえて、それだけで当時のわたしは舞い上がりそうだった。
その方から今日ブログの方にコメントが来ていて、
ブログを引っ越しました、ということで引っ越し先のアドレスがあった。
ものすごい読者数の方だと思う。
先日、たしかに今のブログを辞めるというようなことは書かれていた。
それっきりアップもされず、残念に思っていた。
元々のブログには、引っ越し先のアドレスなんかは一切書かれていなかったから、
もう読めないなんて残念・・・と思っていただけに喜びもひとしおだった。
どこの誰とも知らないようなわたしに、わざわざ引っ越しのブログを教えてくれたというのが
本当の本当にうれしかった。
こんな風に繋がるなんて、シュウマイの時には想像もつかない話だ。
さらにもう2人ほど、「書くこと」で想像もしていなかったことが起こった方がいる。
1人は『自分のできないことが財産になる』に登場するパソコンに詳しい方。
わたしはこの方のメルマガも登録して、今もあれこれと色んな情報を得ている。
いつだったか、その方のメルマガの感想をブログのコメントに書いてくださいというメールが来て、
それは本当に世話になったから書いたのと、1つ質問があってそれも含めてコメントを書いた。
質問にもご丁寧に迅速に対応してくれた。
ただコメント欄は、感想&質疑応答でいっぱいになっていたから(300近い数になってる)、
個人的にお礼のメッセージを書いた。
そうしたら即返信が来て、メルマガにわたしの感想を紹介したいとあった。
二つ返事で返した。
もう1人の方もそうで、今色んなことを形にしていくために必要な情報をメルマガで取っている。
その方にもお礼を書いて出したら、同じようにメルマガかブログで紹介したいと返事が来た。
こちらもこれから返事をする。
そもそも返事が来ること自体全く期待していなかったし、というか来るとすら思ってもなくて。
なんだったらこれから返す方なんかは、
「感想をいつもうれしく拝読していますが、返事が出せずごめんなさい」
ぐらいのことが書いてあったから、本当にお礼だけのつもりで書いて出しただけ。
だから、メルマガかブログで紹介したいと言われて、心底驚いた。
自分の思いを一方的に発信するだけじゃなくて、こんな風に人と繋がることがある。
わけもわからず始めたブログ。
わけもわからずに困ったから登録したメルマガ。
うまくできなかったシュウマイの包み方。
どんと落ち込んだ日に読んだブログの記事。
1つ1つは全く異なるものなのに、それらがいつしか絡まって別の世界をわたしに見せてくれる。
「書くこと」はこれからもまた、どんどん別の何かをわたしに見せてくれるような気がする。
2015年3月28日土曜日
相談からの学び
今日起業のための相談に行ってきた。
得るものも勿論あったけれど、その中で得たものよりももっと全体の流れで見た時の得るものの方
が大きかった。
結果から言うと、勉強には本当になったけれども、自分の中では物足りなさや、
そもそも相談する相手はもっと別の視点で選ぶ必要があったのかなと思った。
これは終わった今だからわかることであって、選んだ時はわからなかったから、
その時はその時で最善の選択だったとは思う。
一度メールでやりとりしただけの方で、今日がお互いに初対面だった。
人柄も最高な方だったし、これまでの同じサービスを受けた人の声が良かったから、
ある一定のレベルでは良かった。
時間が限られている中で、自分の色んな情報を発信するというのは、思いの外難しかった。
自分の準備不足もある。
ただ、もし、これが私をよく知る人物でビジネスの分野に特化した人からの話であれば、
恐らくもう少しわたしに合ったアドバイスをもらえたんじゃないかとよこしまな気持ちが湧いた。
本当に基本のことを教えてもらったし、今の自分の段階や何をこれからしないといけないのか、
それらはものすごく明確になったから、もちろん行く意義はあった。
だけど、終わった後にもやっとしたのも本当だ。
そして、もっと近くに相談できる人がいたということもはっきりとわかった。
その他にも2つほど気付いたことがあった。
色んなセミナーや講座や個人セッションやら、自分の中では過去にかなりな数で受講したけど、
幸いにして本当に「払ったお金よりも得した!」と思える、それ位本物の人たちにたくさん
会っていたということにも気付かせてもらえた。
今日の方だってもちろんきちんとしていたし、何よりも色んな事前の調査で信頼できる方というのは
自分の中にしっかりとあった。
ただ、それ以上にこれまで出逢った方たちがすごかったんだということがわかった。
もう1つは、自分の価値は自分で決めていいということ。
これまた失礼な話だけど、頭の中ではそろばんをぱちぱちとはらって、
同じ値段を払ったら別のこのサービスやあのサービスが受けれたんだ・・・なんて思ったら、
ある意味何でもありだなと思った。
自分で自分の価値をはっきりと決めているから、だからわたし(客)の評価がどうであれ
それでOKなんだ、ということを学んだ。
実際の価値云々よりも、「自分で決めることの大切さ」を学べたと思っている。
そういう色んなことに気付けたということで、トータル的には良かった。
得るものも勿論あったけれど、その中で得たものよりももっと全体の流れで見た時の得るものの方
が大きかった。
結果から言うと、勉強には本当になったけれども、自分の中では物足りなさや、
そもそも相談する相手はもっと別の視点で選ぶ必要があったのかなと思った。
これは終わった今だからわかることであって、選んだ時はわからなかったから、
その時はその時で最善の選択だったとは思う。
一度メールでやりとりしただけの方で、今日がお互いに初対面だった。
人柄も最高な方だったし、これまでの同じサービスを受けた人の声が良かったから、
ある一定のレベルでは良かった。
時間が限られている中で、自分の色んな情報を発信するというのは、思いの外難しかった。
自分の準備不足もある。
ただ、もし、これが私をよく知る人物でビジネスの分野に特化した人からの話であれば、
恐らくもう少しわたしに合ったアドバイスをもらえたんじゃないかとよこしまな気持ちが湧いた。
本当に基本のことを教えてもらったし、今の自分の段階や何をこれからしないといけないのか、
それらはものすごく明確になったから、もちろん行く意義はあった。
だけど、終わった後にもやっとしたのも本当だ。
そして、もっと近くに相談できる人がいたということもはっきりとわかった。
その他にも2つほど気付いたことがあった。
色んなセミナーや講座や個人セッションやら、自分の中では過去にかなりな数で受講したけど、
幸いにして本当に「払ったお金よりも得した!」と思える、それ位本物の人たちにたくさん
会っていたということにも気付かせてもらえた。
今日の方だってもちろんきちんとしていたし、何よりも色んな事前の調査で信頼できる方というのは
自分の中にしっかりとあった。
ただ、それ以上にこれまで出逢った方たちがすごかったんだということがわかった。
もう1つは、自分の価値は自分で決めていいということ。
これまた失礼な話だけど、頭の中ではそろばんをぱちぱちとはらって、
同じ値段を払ったら別のこのサービスやあのサービスが受けれたんだ・・・なんて思ったら、
ある意味何でもありだなと思った。
自分で自分の価値をはっきりと決めているから、だからわたし(客)の評価がどうであれ
それでOKなんだ、ということを学んだ。
実際の価値云々よりも、「自分で決めることの大切さ」を学べたと思っている。
そういう色んなことに気付けたということで、トータル的には良かった。
2015年3月27日金曜日
散歩の極意
昨日のプリンターのインク事件。
プリンターのインクは残念なお知らせだったけど、それ以上にすごく良いニュースもあった。
電気店含めその近隣に行くのに30分ほど歩いた。
名古屋に住むようになってから、基本の移動手段は「徒歩」になった。
気付いたら5年以上住んでるけど、当初はいつ名古屋を脱出するかを考えていたわたしは、
余計な荷物は増やすまいと自転車も買わなかった。
公共交通機関を使わない移動は、基本すべて徒歩になる。
天気も比較的晴れの日が多いから、歩くことは苦にならない。
ダイエット効果はこちらの期待をはるかに下回る位に無いけれど、健康的だとは思う。
歩きながら見える風景も好きだし、歩く速さだから気付けることも多い。
昨日も小春日和な1日で、春を感じながら歩いていた。
頭の中では、期日の迫ったアイディア出しに必死だった。
期日は明日土曜日。
このアイディア出し、ゆうに3年以上かかっている。
これからやっていく仕事の「核」となる部分でもあるから、時間がかかるのは仕方ない。
期日が明日なのは、明日そのことで専門家に相談に行くから。
わからないから相談しに行くのだけど、それにしても核がはっきりしないから、
ドミノ倒しのごとく、その後のやることたちも滞っている。
せめて、その1つでも形にして相談に臨みたい。
そんなことも思いながらの散歩だった。
家の中、自分ひとりで云々唸りながら考えても煮詰まるだけだから、
インクを買ったり他の用事も済ませたりするために散歩に出たようなものだった。
結果、散歩は大正解で、散歩の最中に2つほど言葉が出てきた。
その言葉たちをどんな風に使うのかはその時はわからなかったけど、
とにかく色んな自分の思いをまとめた言葉には間違いなかった。
その後、昨日の夜遅くから今朝にかけて起こったことは、驚くことばかりだった。
散歩の最中に出てきた言葉は、使い方まではわたしに教えてくれなかった。
言うなら「りんご」と「バナナ」ぐらいに、単品でぽんと出てきた言葉だ。
だから、りんごとバナナをどうするの!?という感じだった。
ところが夜になって、ひょんなことからその言葉を生かせるマニュアルが降ってきた。
「降ってきた」なんて言うと神業じみているけど、本当の本当に降ってきたのだからびっくりした。
某メルマガを登録したばかりなのだけど、正直若干胡散臭いと思いながら登録した。
そこでさらに、ダウンロードできるはずのページが「Not Found」と出てくる。
さらに怪しい。
普段のわたしだったら、もうその場で読者登録解除だ。
ところが自分でも不思議で仕方なかったけど、なんとわたしは「ダウンロードできない」旨、
メルマガ発行者に訴えるメールを出した。
返事も期待せず、出すだけ出したら自分の作業に戻った。
期待に反して、返事が来て、今度はきちんとダウンロードできるようになった。
それが「マニュアル」の正体だった。
さかのぼること3年前。
わたしに書くことを勧めてくれた手相家の方がいらっしゃって、
その時に手法の名前だけは聞いていた。
それを勉強するのに最適なテキストだという書籍も教えてもらった。
その日のうちにたしか本を買ったけど、これがわたしにはさっぱりわからず長いことクローゼットの
奥にしまわれたままだった。
この半年ぐらいの大掛かりな断捨離で、とうとうその本は手放した。
もう必要ないと判断したから。
ところが、その手法をもっとわかりやすく、そしてど素人のわたしでも理解できる内容の
マニュアルが、例の昨日のダウンロードしたマニュアルだった。
ダウンロードするまで何が入っているのかは知らずにいた。
ダウンロードしたのは良かったけど、ものすごい長い内容だった。
他にもやることはあるわけで、後に回そうかとも思ったけど、なぜか読もうと思って読み始めた。
あっという間にすべてを読み切った。
そして、ようやく散歩の時に出てきた言葉の使い方がわかった。
夜も遅く、昨日はそこまでして寝た。
今朝になって、りんごとバナナは、ブログのタイトルに生まれ変わった。
りんごとバナナを繋ぐ文章が、びっくりする位にすらすらと出てきた。
ブログはせっせと書いていたけれど、どこかインパクトに欠けていた。
直すところは山ほどあったけど、約2ヶ月放置していた。
ところがここに来て、タイトルがはっきりとし、そして自分が目指す方向性もさらにはっきりした。
おかげさまで、あの色々とドミノ倒しで滞っていた作業も解決の糸口を見つけ、
今まさに動き出している。
明日の相談も、明日のタイミングで間違いない、と確信している。
最近は、1ヶ月以上前に申し込んだは良かったけど、滞りまくりでどうしようかと思っていた。
なんだったら、自分ストライキあたりの数日間は、
「一体わたしは何を相談しに行くんだ?時期早々?」とすら思っていた。
課題山積みにしても、今はどこだったら今の段階で手をつけられるかがわかる。
自分ストライキの日は、それすらわからなかったから、余計に不安と焦りが量産された。
脈絡のない内容になったけど、今でないと書けない内容のような気がしたから書いてみた。
昨日のインク買いも含めた散歩。
出掛けて本当に良かった。
プリンターのことは残念ではあったけど、それ以上の収穫が昨日はあったから、
もう今となってはプリンターのことはすっかりどうでも良くなっている。
2015年3月26日木曜日
何でもありの時代
プリンターのインクを買いに出掛けた今日。
通常の値段の半額で売り出されている。
ラッキーと言えばラッキーだったけど、まず賞味期限もないプリンターのインクが半額なんて、
どういうことなんだんろう?と疑問がちらっと頭をかすめた。
下の方に陳列されていたから、腰をかがめてひとつ手に取る。
そこには半額よりも驚いたことが箱に書かれていた。
「本製品はまもなく販売終了とさせていただきます。」
「えっ!?」となる。
裏面を見ると、「本製品は2014年秋ごろをもちまして販売終了させていただきますのでご注意ください。」とある。
さらに「えっ!?」となる。
何をわたしは注意したらいいんだろう??
代替のインクの案内がないとなると、イコール、インクが手に入らなくなったら、
もうプリンターを買い替えろということだろうか・・・。
レジに商品を持って行って、会計時に店員さんに聞く。
店員さんもさらなる上の人を呼んで、店員さんより若いけどエライ人が来た。
やっぱりインクが販売中止になることから、今後はプリンターを買い替えるしかないとのこと。
「プリンターは全く問題ないんですけど、インクがないからいつかは買い替えないといけないんですよね?」
と聞くと、そういうことになります、との答え。
さらに突っ込んで、こういう風にインクのみ生産終了して、そのついでにプリンターも使えない、
なんてことは通常あるのかどうかを聞いたら、
「滅多にありません。というより、今回初めてに等しいです。」
とのことだった。
いつ買ったプリンターか忘れたけど、多分10年選手。
普通に動いてくれるし、自分の何かを印刷する分には何一つ問題ない。
壊れてもいないのに、メーカー側がインクの生産中止という事態でいつかは使えなくなる。
説明してくれた店員さんにお礼を言って、インクを買って帰ってきたけど、
どうしても腑に落ちなかった。
壊れたのならわかる。
13種類のプリンターが該当機種になってるけど、他の人たちもみんなまだ使えるのに、
インクが手に入らなくなったらプリンターを買い替えなければならないのだろうか。
今プリンターもびっくりする位に安くはなっているけれど、使えるのに使えないというのが
全くしっくりといかない。
事情はわからないけど、環境への配慮を謳う前に、この使えるのに使えない状況を何とかする
方が先決ではないのだろうかと思ってしまう。
壊れて買い替えるのはわかるけど、壊れてないのに買い替えることはわたしは好きじゃない。
日本って、今って、何でもありの時代なんだ・・・と批判いっぱいの気持ちになった。
最先端とかどうでもいいから、まずあるものを大事にしようよ、と思ってしまう。
通常の値段の半額で売り出されている。
ラッキーと言えばラッキーだったけど、まず賞味期限もないプリンターのインクが半額なんて、
どういうことなんだんろう?と疑問がちらっと頭をかすめた。
下の方に陳列されていたから、腰をかがめてひとつ手に取る。
そこには半額よりも驚いたことが箱に書かれていた。
「えっ!?」となる。
裏面を見ると、「本製品は2014年秋ごろをもちまして販売終了させていただきますのでご注意ください。」とある。
さらに「えっ!?」となる。
何をわたしは注意したらいいんだろう??
代替のインクの案内がないとなると、イコール、インクが手に入らなくなったら、
もうプリンターを買い替えろということだろうか・・・。
レジに商品を持って行って、会計時に店員さんに聞く。
店員さんもさらなる上の人を呼んで、店員さんより若いけどエライ人が来た。
やっぱりインクが販売中止になることから、今後はプリンターを買い替えるしかないとのこと。
「プリンターは全く問題ないんですけど、インクがないからいつかは買い替えないといけないんですよね?」
と聞くと、そういうことになります、との答え。
さらに突っ込んで、こういう風にインクのみ生産終了して、そのついでにプリンターも使えない、
なんてことは通常あるのかどうかを聞いたら、
「滅多にありません。というより、今回初めてに等しいです。」
とのことだった。
いつ買ったプリンターか忘れたけど、多分10年選手。
普通に動いてくれるし、自分の何かを印刷する分には何一つ問題ない。
壊れてもいないのに、メーカー側がインクの生産中止という事態でいつかは使えなくなる。
説明してくれた店員さんにお礼を言って、インクを買って帰ってきたけど、
どうしても腑に落ちなかった。
壊れたのならわかる。
13種類のプリンターが該当機種になってるけど、他の人たちもみんなまだ使えるのに、
インクが手に入らなくなったらプリンターを買い替えなければならないのだろうか。
今プリンターもびっくりする位に安くはなっているけれど、使えるのに使えないというのが
全くしっくりといかない。
事情はわからないけど、環境への配慮を謳う前に、この使えるのに使えない状況を何とかする
方が先決ではないのだろうかと思ってしまう。
壊れて買い替えるのはわかるけど、壊れてないのに買い替えることはわたしは好きじゃない。
日本って、今って、何でもありの時代なんだ・・・と批判いっぱいの気持ちになった。
最先端とかどうでもいいから、まずあるものを大事にしようよ、と思ってしまう。
2015年3月25日水曜日
自分ストライキ
「自分ストライキ」
何かと言うと、やることは盛り沢山なのに「やりたくない」の気持ちが勝って、
気付けば本当にやらない、ふて寝したり他の事をして気を紛らわしたりすること。
今日やってきた、自分ストライキ。
24時間みっちり自分の自由に使える日なのに、朝から絶不調。
やることをリストにしたらいくらでも出てくる出てくる。
5分でも10分でもいい、少しでもやれば未来の自分を助けられると言うのに、
気持ちが追い付かない。
朝は2時間かけてノートにぐだぐだ愚痴を綴る。
お昼食べたらとりあえず1時間昼寝。
眠たいと言うより、今の自分から逃げたい、ただそれだけだった。
とりあえず気分転換を兼ねて、スーパー目指して家を出発する。
外は時々ものすごい強い風が吹くけれど、青い空が広がっている。
いつもの通り道だけど、景色がいつもと違う。
「とまれ」の標識が真っ赤ではなくて、近くで見ると細かな線がたくさん入っていることに気付く。
ある家の屋根を見たら、高さ30~50cmくらいの仏像?はにわ?が飾ってあった。
今まで全然目にも入れない風景だったから、この街に住んで5年、初めて気付いた。
ピンクのこぶし?の花の色に目が奪われる。
スーパーの近くの公園で、今日は業者が入っての木の切断が行われていた。
木の切り口の匂いが時々風に運ばれてきた。
見慣れた風景なのに別の風景に見える。
同じもの、同じ日なんて1日もないことを改めて思い知らされる。
そして、多分自分の中でも何か変化が起こっているのだろう。
頭で考えると視界がうんと狭くなって焦りと心配だけがもれなくプレゼントされるけど、
どうも体や心は知らぬ間に変化しているようで、外で目にしたような違いを次々発掘する。
頭の中でぐるぐるしている思考を止められたら・・・と思う。
さて自分ストライキ、どこまでストライキを続行するか見守った。
もう今日1日を棒に振ることも覚悟した。
散歩のようにスーパーに行って、今日の夜ごはんの段取りを頭に思い描いて帰路に着き、
ホームに戻った。
最初に、インスタントコーヒーを淹れて日記を書いた。
今のありのままの気持ち、今日のこれまでの流れを書いた。
ストライキ終了の合図がきた。
なんだか知らないけどスイッチが入って、パソコン開いて作業を始めた。
最低限のことはとりあえず終わった。
プラスアルファは終わってない。
だけど、今日はもうこれでいいかなと思う。
妹夫婦が誕生日プレゼントに贈ってくれた茨城の笠間焼という器が今朝届いた。
第1号のおかずは、煮物にした。
人参と車麩とがんもと糸こんと椎茸。
ごはんがそろそろ炊きあがる。
ストライキの時の気分を今も少し引きずっている。
やることをやりきれてない自分への責めるような気持ちがある。
だけど、ここで何かをしても多分おさまらない。
休もうと思う。
今日はこれにてどろんで、明日仕切り直そう。
何かと言うと、やることは盛り沢山なのに「やりたくない」の気持ちが勝って、
気付けば本当にやらない、ふて寝したり他の事をして気を紛らわしたりすること。
今日やってきた、自分ストライキ。
24時間みっちり自分の自由に使える日なのに、朝から絶不調。
やることをリストにしたらいくらでも出てくる出てくる。
5分でも10分でもいい、少しでもやれば未来の自分を助けられると言うのに、
気持ちが追い付かない。
朝は2時間かけてノートにぐだぐだ愚痴を綴る。
お昼食べたらとりあえず1時間昼寝。
眠たいと言うより、今の自分から逃げたい、ただそれだけだった。
とりあえず気分転換を兼ねて、スーパー目指して家を出発する。
外は時々ものすごい強い風が吹くけれど、青い空が広がっている。
いつもの通り道だけど、景色がいつもと違う。
「とまれ」の標識が真っ赤ではなくて、近くで見ると細かな線がたくさん入っていることに気付く。
ある家の屋根を見たら、高さ30~50cmくらいの仏像?はにわ?が飾ってあった。
今まで全然目にも入れない風景だったから、この街に住んで5年、初めて気付いた。
ピンクのこぶし?の花の色に目が奪われる。
スーパーの近くの公園で、今日は業者が入っての木の切断が行われていた。
木の切り口の匂いが時々風に運ばれてきた。
見慣れた風景なのに別の風景に見える。
同じもの、同じ日なんて1日もないことを改めて思い知らされる。
そして、多分自分の中でも何か変化が起こっているのだろう。
頭で考えると視界がうんと狭くなって焦りと心配だけがもれなくプレゼントされるけど、
どうも体や心は知らぬ間に変化しているようで、外で目にしたような違いを次々発掘する。
頭の中でぐるぐるしている思考を止められたら・・・と思う。
さて自分ストライキ、どこまでストライキを続行するか見守った。
もう今日1日を棒に振ることも覚悟した。
散歩のようにスーパーに行って、今日の夜ごはんの段取りを頭に思い描いて帰路に着き、
ホームに戻った。
最初に、インスタントコーヒーを淹れて日記を書いた。
今のありのままの気持ち、今日のこれまでの流れを書いた。
ストライキ終了の合図がきた。
なんだか知らないけどスイッチが入って、パソコン開いて作業を始めた。
最低限のことはとりあえず終わった。
プラスアルファは終わってない。
だけど、今日はもうこれでいいかなと思う。
妹夫婦が誕生日プレゼントに贈ってくれた茨城の笠間焼という器が今朝届いた。
第1号のおかずは、煮物にした。
人参と車麩とがんもと糸こんと椎茸。
ごはんがそろそろ炊きあがる。
ストライキの時の気分を今も少し引きずっている。
やることをやりきれてない自分への責めるような気持ちがある。
だけど、ここで何かをしても多分おさまらない。
休もうと思う。
今日はこれにてどろんで、明日仕切り直そう。
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