2015年4月7日火曜日

ポジティブもネガティブも楽しむ

「ポジティブもネガティブも楽しんでくださいね」

3~4年前に、あるマッサージ師の方に言われた言葉だ。

丁度人生の中で、自分が何もしてなくてもどんどんと色んなことが起こり始めた時だった。

ずっと何年も音信不通だった過去に大切だった人からの突然の連絡。

自分で見ていても気持ち悪いと思ったぐらいに、自分との共通点をいくつも持つ人との出会い。

人間関係も仕事もお金も色んな意味ですごい大波に揺られていた時期だった。

本当にアップアップしていた。

今とはまた違った意味でのアップアップで、あんなにも精神鍛錬に持ってこいの時期はそれまでに

経験したことがなかった。

そんな時に訪ねたマッサージ師の方に、帰り際言われた言葉だった。

両方ともが大切な経験だから、両方楽しんでください、そんな風に説明された。

あの時は、一瞬「えっ!?」となったけど、まさにその言葉の通りだったと思う。


何をもって「うまくいってる」と言ったらいいのか、判断が難しい。

当時あった人間関係は結局すべて切れた。

自然消滅とも違うし、はっきりと「別れましょう」というような言葉があったわけじゃない。

無言の決断、みたいなものだった。

それはある日突然やってきたし、何せ突然だから、無言の決断だということに気付くのは、

さらにその後何ヶ月も経ってからだ。

だけど、今はそれがベストな流れだったんだろうなぁと思う。

もうわだかまりもなく、その流れのおかげでより一層自分の人生に向き合えたように思うから。

形はなくなっても、もしかしたらもう生涯に渡って言葉を交わすことがなくても、

それこそが必要なものなのかなとも思う。

そして、これも何とも説明しがたいのだけど。

いつかこのブログにアップしたシュウマイの女性。

今その方が新しく立ちあげたブログを時々読んでいる。

これもまた実に不思議な経緯で繋がったブログだ。

だけど、今どうしてこのタイミングでその方のブログなのかが自分ではよくわかる。

彼女は彼女の人生を写真や料理を通して語ってるだけだ、表面上は。

でも、そこにあるものが、わたしがうやむやにしてしまった過去の諸々と繋がっている。

全く別の人の全く別の人生だけど、そこに乗っている想いがどこかで自分の中の本当に奥の奥に

あるものに呼びかけている感じだ。

そのまま置き去りにした感情とか、思いとか、もうきれいに流したと思っていること。

それらを思い出す。

でも、その思い出す作業というのはとても大切で、もう本当の本当に終わりにしていいよ、

次に行っていいんだからね、という感じなんだろうと勝手に思ってる。

彼女がそんな風にわたしに語っているわけじゃない。

だけど、そういうメッセージになっている。

だから、わたしは読むだけで何を感じているのかぼろぼろと泣いてる。


ポジティブもネガティブも楽しんでください。

最近何度も何度も思い出す言葉。

2015年4月6日月曜日

2日目のカレーがおいしいのはホント

昨日の夜ごはんにカレーライスを作った。

子どもの頃から好きで好きで、一人暮らしの今も1ヶ月に1回位の割合で作ってる。

「2日目のカレーがおいしい」とはよく言われるフレーズだけど、

わたしは2日目のカレーを心底おいしいと思った経験をしたことがなかった。

1日目と2日目の差はよくわかんないけど、両方ともおいしい♪というのが自分の定説だった。

それが今回は、かなりはっきりとした違いを感じて、あの都市伝説のような話は本当だったと、

この年になって初めて気付いた。

そもそも今回は、今まで一度も使ったことがない材料を使っている。

友達から、天然の酵素ジュースなるものをいただいて、そしてその時に使用した人参とりんごも

そのままいただいた。

きび糖?てんさい糖?で人参とりんごを漬けたとのことで、そのまま食べてもいいし、

カレーの材料にしてもおいしいよと言われて、それでそのままカレーの具材として使ってみた。

1日目の昨日。

数時間煮込んだけれども、どうしても糖の甘みが浮いてしまって、おいしいにはおいしいけど、

変な甘ったるさが最後に残ってしまうのが残念だった。

2日目の今日。

昨日の糖はどこにいったのか?という位に、甘さが良い感じでカレーに溶け込んでいた。

あの浮き上がり方はなくなって、とても味がまろやかにそして深くなっていた。

昨日のカレーとは全く別物だった。

色んなものが混然一体となって、売り物のカレーとしてもやっていけるんじゃないか?と

勘違いするほどの美味しさに仕上がっていた。

わたしが夜布団敷いて寝たように、カレーも鍋の中で横たわり、良い感じで化学反応でも

起こしたんだろうか。

あの都市伝説にしか思えなかった2日目のカレー、あれ本当に美味しいんだとわかった。

ただ、材料となった酵素ジュースに使われた人参やりんごのレシピがないから、

今度それは友達に聞いて自分でも作ってみようと思う。

2015年4月5日日曜日

ゴリラのヒント②

昨日の『ゴリラのヒント①』の続き。

昨日書いた、ももちゃん。

1学年200人以上いる学校の中で、塾に入ってきた時は100番台。

それが2年いる間で学年9位まで上がったミラクルな女の子。

ある時、塾に勤めていた時の恩師のゴリラが、こんな風にわたしにアドバイスした。

「その子(=ももちゃん)がこれからおまえの自信になり、おまえのヒントになる。

だからよく見とけ。

その子がどうなっていくか、そしておまえがその子に何をしているのか。」

どうなっていくかはそれが仕事だから見ていたけど、自分が何をしているのかは結局わからず

じまいだったし、そんなことを言われたことすら忘れていた。

すでに退職してから3年以上も経過して、当時の記憶もおぼろげだけど、

もしかして・・・という仮説がおととい昨日でふわっと出てきた。

それについて今日は書こうと思ってる。


最初にももちゃんのことをもう少し詳しく紹介したいと思う。

塾にいた時もそうだし、外部の人でもそういう人にたまに会ったけど、

知的な学力がずば抜けているタイプの人がいる。

そういう人は本当に東大に入ってしまうタイプの天才肌だ。

数百人ぐらい見ると、たま~にそういう子どもに当たったりした。

ももちゃんはそのタイプでは全くない。

何も手を入れてない状態のももちゃんは、やっぱりオール3の能力かなというのは否めない。

ただ、そのももちゃん、1つずば抜けていたことがある。

問題を解くスピードが通常の人の3倍ぐらい速かったこと。

言いかえれば、人が1問解く時に、ももちゃんは3問解く速さがあった。

これは、天才系の子どもたちにも勝るものだったし、あんなに速く取り組めるのは、

数百人見た子どもの中でも、ももちゃんだけだった。

だから、ももちゃんにわたしがしたことと言えば、量を多くこなすように指示を出すだけだった。

元々の学力が高いタイプの子どもではなかったから、当然わからない問題も色々出てくる。

それも実に粘り強く取り組んでいたし、できるようになってからの繰り返す回数は半端なかった。

だから、ももちゃんが学年9位まで上がったのは、その裏では相当な行動量をこなしていたことが

大きな勝因だったと思う。

ここまでは、塾に勤めていた時にも気付いたことだし、やればやった分上がるんだ、

と実に単純に捉えていた。


でも、そうじゃない。

たしかにももちゃんは行動したけど、その前にもっと大切なことをしている。

それに気付いたのがおととい昨日だった。

ももちゃんは、「勉強で成果を上げることを自分に許可している」

これを無意識に行っていたと思う。

ももちゃんは、どちらかと言うと、独特の価値観の中で生きている風で、

「ふしぎちゃん」と呼ばれてもおかしくないと言うか、発想がとにかく面白い子どもで、

がつがつ上を目指したいなんていうのは全くなく、非常にマイペースな子どもだった。

入試前に面接の練習もしたけど、例えば最近気になるニュースはなんですか?なんていう質問に

対し、他の子たちは当たり障りのないことを言っている中で、ももちゃんは一人だけ奇想天外な

意見を言っていた(たしか、ドラえもんが何だかんだというニュースを言ったと思う)。

面接官に絶賛されるか、反対に批判されるか、もうどちらかでしかないなぁという答えだった。

ある意味自分の個性をそのまますっと出せる強さもある子だった。

話は戻して、「成果を上げることを自分に許可している」の部分。

ももちゃんは、がつがつ上を目指すこともなかったけど、

反対に「どうせ私なんて・・・」とか「私できない」ということを一切言わない子だった。

自分を卑下したり、自分を過小評価するようなことはなかった。

多分早い段階で、私自身がももちゃんのスピード力には気付いたんだと思うけど、

わたしがももちゃんにひたすら伝えていたのは、そのスピード力が人よりもあることと、

だからそれをうまく使えば必ず結果がついてくる、やればできるということ位だったと思う。

子どもによって違うけど、ももちゃんの場合は本人の可能性の部分だけを伝えるだけで

良かったと思う。

あぐらかくような子にはそういうことを言うと危ないけど、ももちゃんはそのタイプではなかったし、

成績が上がった時も何よりも本人と保護者が一番びっくりする位だったから、自分の能力に対して

かいかぶることは最後までなかった。

だから、ももちゃんの中で、どの程度の結果が出てくるのかは未知数だったにしても、

「自分が良い成績を取ってもいいんだ」という思考はものすごく強く入っていたかと思う。

反対になかなか上がらなかった子どもは、

「どうせ自分にはできない」という思いが強かったような気がする。

当時もう少しわかっていたら、多分もっと色々違っていただろうなぁと思う。

ももちゃん以外にもそういう成功事例的な子どもが何人かいて、

やっぱり共通するのは、「自分はもっと成績を上げてもいいんだ!」とどこかの時点で

自分に許可を出していること。

これは「成績を上げたい」という考えとは大きく異なる。

「成績を上げたい」の出発点は、「今の成績の自分は駄目」というところだ。

「もっと成績を上げてもいいんだ」の出発点は、今の自分がどうであるとかは関係なく、

「別の道を自分が進むのもOK」という自分への許可だ。

だから自分を否定しているわけではなく、自分に選択肢を持たせる、そんな感じだ。

あとは、「上がっても上がらなくても、自分の価値は変わらない」という強い信念めいたものを

持ってる子どもたちは、別に上がらなくても良かったと思ってる。

むしろそういう子たちは、下がっても自分の人間性を否定するようなところはなくて、

「あぁ下がっちゃった!」の程度で、あとはいつも通りに元気だったりするから、

こういう子はこういう子でまた1つの強さの持ち主だと思う。


書いていてわからなくなってきたけれど、この「自分は○○してもいい」という思考回路、

これってすごく大事だと思う。

反対に、「自分は●●になっても自分の価値は変わらない」と思える思考回路も、すごく大事。

両方あれば一番いいけれど、どちらか片方でも身に付けていると、生きていく上でとても

強いツールになってくれると思う。

そして、どちらかがあるだけで生きやすいとも思う。

ゴリラがわたしに言った「自分が何をしているのかをよく見とけ」は、今もうまく言葉に繋げられない

けど、おそらく個人の感情を癒していく作業をしていたのではないかなと思っている。

2015年4月4日土曜日

ゴリラのヒント①

学習塾に勤務していた時、とてもお世話になった恩師のゴリラ。

(ゴリラのことは、『ゴリラのぶりしゃぶ』にも書いた)

なぜゴリラなのかはわからなかったけど、とにかくゴリラの教室では、

幼児から高校生まで、男女問わず、なんだったら保護者まで「ゴリラ(先生)」と呼んでいた。

ゴリラは、普通の会社で言うならかなり上の役職に就いてもおかしくない立場だったけど、

本人の希望なのか、ずっと現場の人だった。

現場何十年という経歴だけあって、その洞察力や包容力、人間力が半端なかった。

会社は大嫌いだったけど、ゴリラとの縁は本当にありがたかったし、

あの会社に入らなければ出会えなかった人だと思うと、それだけでも入って良かったと思う。

入社して数ヶ月後、新入社員の人たちが4月に入ってきたのに合わせて、

ゴリラは毎週水曜日の朝1時間だけ「勉強会」なるものを自主的に開いた。

ゴリラいわく、毎年恒例の学習会らしく、誰でも参加自由、

学習面でわからないところを質問してもいいし、自分が担当している教室で困った事例があれば、

それを相談してもいい時間という会だった。

最初こそ数人いたけど、1ヶ月もしないうちに、わたししかいなくなった。

毎週毎週ゴリラとマンツーマンで学習会だった。

当時月に1日休みがあるかないか、朝も早く7時過ぎに家を出てその日のうちに帰れたら良い、

そんな生活の中で、ゴリラの勉強会だけは何が何でも体調整えて行っていた。

ゴリラみたいな大人に出会えたのは本当に奇跡的で、

毎週のごとく退職願を当時出していたわたしに(ゴリラは直接の上司じゃないから、別の人に。

でもツーカーで、ゴリラにはそのことがすべてばれていた)、

「おまえみたいな鈍臭いやつの方がこの仕事は本当に合ってる」

とある日ぽろっと言ってくれたことがあった。

わたしの鈍臭さやうまく立ち回れないことも一瞬で見抜いて、

他の研修教室ではことごとくそこを叩かれ、毎回駄目出しされ、「スピードあげて!」

「遅い!もっとまんべんなく色んなことに目を配って!」と、もう何人の担当者に言われたか

わからない。

なのに、ゴリラだけは、そんな仕事する上で欠点みたいなところを長所とし、

さらにそれがいいんだ、それがこの仕事する上で大事なんだ、と説いてくれた。

まじめに、ゴリラがそう言ってくれなかったら、わたしは多分もっと早く辞めてただろうなぁと思う。

そして、実際にゴリラの教室に2週間近く研修で行かせてもらったのだけど、

教室内で野球をしているところは初めて見た。

行く前に上司から、すごいぶっ飛んだ教室だからとは言われていたけど、本当にその通りだった。

たしかにぶっ飛んだ教室ではあったけど、

そこでどの子どももものすごく伸び伸びとしていたのが最初の印象だった。

うるさい子も静かな子も、みんなありのままだった。

そんなゴリラだったから、ゴリラの教えだけは何が何でも行きたかった。

ゴリラが何を思って何を考えて何をしているのか、もっともっと聞きたかった。

本当にそれだけでゴリラの元に足繁く毎週通った。

そのゴリラから色々アドバイスをもらったし、当時の学習会のノートは今も手元にあるけど、

教えてもらったことの1つで、今頃になってやっと気付いたことがある。


何でわたしはその女の子の話をゴリラにしたのかは忘れた。

その女の子は、2年くらい見た子で、名前をももちゃんとしよう。

1学年200人以上いる学校で、入ってきた時のももちゃんは100番台だった。

そのももちゃん、なんと驚異の快進撃で、学年9位まで順位が上がった。

テストの点数も平均点取れるかな~位だったから、5教科合計が300点届いたり届かなかったり。

最後は450点オーバーを何回も叩きだしていた。

きわめつけは、入学した高校で入試1位を取ったことだった。

この辺りでは、入試1位の子はそのまま入学式の新入生代表挨拶をすることになってる。

それに抜擢されて、入試1位だったことが判明した。


そのももちゃんについて、何をゴリラに相談したのか、それともぼやいたのか、

その辺りはすっぱりと忘れてしまったのだけど、ゴリラにその時言われたのが、

「その子がこれからおまえの自信になり、おまえのヒントになる。

だからよく見とけ。

その子がどうなっていくか、そしておまえがその子に何をしているのか。」

ゴリラはたしかにあの時、ももちゃんだけではなく、わたしが何をしているのかをよく見ろ、

とアドバイスしていた。

でも、当時のわたしには、そのアドバイスの意味はさっぱりわからなかった。

ももちゃんを見るのはわかる。

だけど、なぜ「わたしが何をももちゃんにしているのかを見ろ」と言うのかはわからなかった。

そして、色んなタイプの子が来る塾だったから、ももちゃんの例が他の子に当てはまることもなく、

ゴリラのアドバイスなんかすっかり抜け落ちていた。

退職して3年、ももちゃんを最後に見てからも3年以上経ってる。

今過去の栄光ではないけど、過去に爆発的に人生が好転した人たちをひとりひとり思い浮かべて

何がどういうからくりで好転したのかを一生懸命探ってる。

その渦中に、ゴリラの「おまえがその子に何をしているのか見とけ」というアドバイスを思い出した。

たしかに結果を出したのはももちゃんだし、わたしなんかもうお粗末なぐらいの対応だったけど、

でもたしかに何かをしたわけで、その「何」の部分をずっとずっと考えていた。

それがようやく「何」だったのか自分なりの答えが出て、それもここで書く予定でいたけど、

あまりに長くなったから、また次回書こうと思う。

2015年4月3日金曜日

苦手なものではなかった・・・

ほんの1時間前まで、自分は豪華なものとかきらびやかなものが苦手だと思っていた。

元々そういうものに興味がなかったけど、時には嫌悪感に近いものすら抱いていた。

日常生活に差し支えがあるわけではないし、自分の住む世界とは別物と捉えれば、

なんら問題はない。

ただふと、何がそんなに苦手というか嫌悪させるのかな・・・と思った。

はっきり言って、あまり重要ではない位置の価値観だと決めつけていたから、

いつもならスルーして終わった。

でも今回は、なぜそれが苦手かわかって、おかげで自分が大事にしたいものが何かわかった。

そもそものきっかけは、趣味の料理ブログ読み漁りから始まった。

時々面白いページに辿り着くこともあるから、その記事にコメントした人や「いいね」をした人の

ブログも見に行くことがある。

そうやって行き着いたページが、テーブルコーディネーターかな?という人だった。

テーブルコーディネートのことは全然予備知識もないから、何がどうとかはわからない。

ただ、わたしがすっごく気になったのは、その方の子どもの表情だった。

自宅でパーティーしました的なもので、本当に雑誌とかに載っていそうな、

気合の入ったテーブルセッティング。

それも見ていて疲れを感じるものだったけど(3歳の子どもの家で普通にナイフが出てくる)、

さらに気になったのは乾杯のグラスだ。

素材は不明だけど、ワイングラスの形をしたコップで子どもも乾杯している写真。

子どもの目が死んでるというか、本当に覇気が無い。

(ちなみに子どもの誕生日パーティー)

お母さんが満足するためのテーブルでしかないなぁというのが一目瞭然だった。

あまりに気になって、子どもが写っている写真を何枚か見た。

こんなにも、子どもの笑顔なり何か感情が乗っていない表情ばかりが並ぶ写真も

ものすごくめずらしかった。

とぼけたり、変顔したり、おしゃまだったり、大泣きしたり、

子どもだからこそ出てくる表情が1枚もなかったことにわたしはただただ驚いた。

子どもだってぼけっとしたり、疲れ果てたりはする。

だからすべて表情が笑顔でにっこにこで・・・なんてことは有り得ないのはわかる。

目が半開きなことだってある。

どんな表情でもいいけれど、とにかく「生きてる」感じがあまりにも伝わってこないのが

とっても不自然でぎょっとした。

そこでようやく気付いた。

豪華なものが苦手なんじゃなくて、物質にあまりに重きを置き過ぎて、

肝心要の目の前の人が無視されてるような状態がわたしはすごく苦手なんだとわかった。

塾に勤めていた時も、事業経営されてるおうちの子どもが来ていた。

そういう子どもが何人かに1人の割合で入ってくるし、何ら不思議はなかったけど、

1人だけ忘れられない子どもがいる。

ドラマとかでよくありがちな「お金で何でも解決」型の家庭のようだった。

子どもはほんっとに活発だったし、感性もダイナミックですごく面白い子だったけど、

親との関係がうまくいってないのは見ていてわかった。

愛情不足なんて簡単に言っていいのかわからないけど、そういう風だった。

色々買い与えられてる様子だったけど、その子が欲しいのはそれじゃなくて、

親との時間や親からの注意だったと思う。

喜怒哀楽の激しい子でもあったけど、それをありのまま出せるのがうれしそうでもあった。

家だとそのままを出しきれないのか、出していても親の「今は忙しい」で相手にしてもらえないのか、

そのどちらかだろうなぁというのは見ていて伝わってきた。

その子はきらびやかなものには、何一つ興味を持っている風ではなかったから、

次から次へと(小学生が持つようなものではない高価な)ものを失くすんです、

と親が言っていた。

そして、ある時思いもよらないところから、その子が軽犯罪に手を染めていることが判明した。

わたしは犯罪云々よりも、SOSが出せて良かったね、と思いながら聞いていた。

情報の経由が、本人や保護者ではなかったから、どうにもできなかったけど、

その物質的な豊かさではなく、心を通わせるチャンス=心の面での豊かさになればいいと思った。

だから、目に見える豪華さとかが嫌いなわけじゃない、

むしろ、こういうのっていいなぁと思うものだって時にはある。

そうではなくて、目に見えない部分、でもどうやったって隠しきれない部分、

そういうものをいかに大事にしているかしていないかで、価値が変わってくる。

物に匹敵するぐらいに周りの人を大事にできると、それは豪華なだけじゃなく、

さらにきらきらと輝きを増す。

そういうものは、見ていても気持ちいい。

そう、苦手ではなかった。

ただ、その物の先にあるものが何かによって、好きだったり嫌いだったりしていたんだ、

ということがわかった。

そして好きなものというのは、そこに人の想いがきちんとのっているもの。

だから、物自体が高くても安くてもそんなのは関係なかったことにも気付けた。

2015年4月2日木曜日

本との出会い

やることはわかっているのに、それがなかなか行動に移せない。

このまま行動するまで待ち続けても何も変わらなそう。

そう思って、諸々の用事を足しに出掛けた。

用事のついでに本屋さんにも寄った。

本屋さんはものすごくついでだった。

長居する気もなく、すぐに次の目的地を目指すつもりでいた。

結局、本屋さんで2時間ほど立ち読みならぬ座り読みして1冊読破した。

今の自分に必要なメッセージ満載の本で、一気に読み終えた。

今日寄った本屋さんは、おそらく名古屋で一番大きい本屋さんだと思う。

蔵書が何冊あるのか不明だけど、あんなにたくさんある本の中で、これだ!という本に

1冊出会うというのは、どれくらいの確率で起こるんだろう。

その幸運とも呼んでもいい確率のおかげで、素敵な本に出会えた。

6店舗ほど、よく足を運ぶ本屋さんがある。

ふと気付いたけど、どういうわけか、今日行った本屋さんが断トツで「これぞ!」というメッセージに

出会える確率が高い。

抱えてる本が少ない方が見やすいけれど、そういう本屋さんでの本との出会いはほとんどない。

今日のところより若干少なめだけど、かなりな蔵書を誇る書店が6つのうち3つあるけど、

やはりそれらの本屋さんでもそんなには出会わない。

自分にとって合う合わないがあるのかなと思う。

わたしの中では、勝手に今日行った本屋さんは「ひらめきスポット」になっている。

ちなみに、読書に関して面白いことを教えてもらったことがある。

読んでいて共感するメッセージが出てきたとする。

もちろん本自体は初めて読むものだ。

なぜ共感するのかというと、そこに書かれていることは「すでに自分が知っていること」、

だから気持ちが動くんだよ、と教えてもらった。

本との出会いにより、自分自身の心との出会いにも繋がる。

本って面白いなぁと思う。

2015年4月1日水曜日

好きな会話

何気に過去の走り書きメモを見たら、面白いことが書いてあった。

1シーズンの中で2人の人にそれぞれ2回ずつ会って、

Aさんと会うととても楽しく、Bさんと会うとなんだかいまいち楽しくなく、

その違いは何なのかと考えて書いたメモだった模様。

Bさんとの会話は、「how to do」と「what to do」がメイン。

Aさんとの会話は、「how to live」と「what to think/believe」がメイン。

メモにはそんな分析が書かれてあった。

Bさんの会話は「どうやって仕事をするか」とか「仕事で何をするか」という話ばかりで、

わたしの喰らいつきはものすごく悪かった。

どうやってとか、何をするとか、興味がなさすぎて、

当時の私にはその手の会話が苦痛でしかなかった。

一方のAさんというのは、「どんな風に人生を展開するか、その中でどんな風に仕事をしていくか」

「自分の人生に何を思ったり、何を信じたりしているか」という話が中心だ。

どちらも仕事だとか、実際の動き方や生き方が含まれる。

Bさんとの会話は、ひたすら「仕事」に重点が置かれているのに対し、

Aさんとの会話はもっとスケールの大きなところから物事を見ての会話になる。

あとは興味の矛先が「人」だとか「人生」が、Aさんの場合、常に含まれていて、

話を聞いているとそこにストーリーがある。

そしてわたしはそのストーリーに惹きこまれる。

昨日会ったCさんというのも、タイプはAさんタイプだ。

1点だけを見つめるのではなく、壮大なところから物事を見て話をしてくれる人だ。

AさんもCさんも自分の視点の広さに気付いているのかわからないけど、

とにかくいつ会っても色んな視点でかつ深い話をしてくれる。

この人たちの共通点は、表面上は大きな変化が生活になくても、

その中で日々感じること、見ていること、学んでいること、そういうものがとてつもなく深い。

だから話に飽きることはないし、毎回目新しい気持ちで話を聞ける。

そういうのが自分は好きな会話なんだと、そのメモを見つけて気付いた。