2017年10月9日月曜日

言葉数の少ない人


数百人の人と関わってみて、これは私が独自に感じていること。
 
言葉数が少ないからと言って、その人が何も思っていないとか言いたいことがないという意味ではないこと。
 
どんな人も言葉を持っているし、色んな気持ちや考えを持っている。
 
ただそれをどの程度表に出すか、言葉にして外に発信していくか、その程度の差だと感じる。
 
自分を例にとれば、まるで今の私は全く人見知りしない人みたいに認識されがちだけど、私は自分の話をする時は相当人を選ぶし(むしろ自分の話は核心に触れるほど誰にもしない)、そして子どもの頃からの癖で瞬時に相手のことを「この人にはここまで話してもOK」とか「この人に話すのは危険」とかいうことを判断している。
 
ちなみに子どもの頃の私は、「はい」と返事すらできないような子どもだったから、当然自分の意思を周りの人に伝えるなんていうことはしなかったと言うより本当にできなかった。
 
本当に静かな子どもだったし、最強の人見知りだった。
 
年齢と共にそういう部分はだいぶ解消されたし、生活や仕事をする上で自分が困らないぐらいのコミュニケーション力はついた。
 
だけど基本的に自分からぐいぐいと行くタイプでもないし、核心に触れるような話は本当によほど相手を信頼できないとまずはしない。
 
スーパー人見知りな自分と今ぐらいになんとなくコミュニケーションをとれる自分とその途中の段階の自分と、色んな自分を体験してきてるから、だから言葉数が少ないとか人見知りするような人に対しても、私はそういう人を見ると「この人が話すと本当はどんな感じなんだろう?」なんてよく思ったりする。
 
 

何年か前、私はある中学生の女の子からとても大切なことを教えてもらった。
 
その子は社交的か内向的かとなれば、100%内向的。
人見知りかそうでないかと言われたら、100%人見知り。
ものすごく物静かで、挨拶と必要なこと以外は一切喋らない子だった。
 
大人の私だけにじゃなく、同年代の子どもたちにもそういう態度を貫いていた。
 
一応大人の私は、その子が不快にならなさそうな話題を選んで多少は話しかけたし、こちらが返して欲しい程の言葉での返答はないものの、だからと言って話しかけないのはもっとおかしな状況だったから、ある意味可も不可もない小さな会話をするようには心掛けていた。
 
いつまでも深まらない関係にやきもきもしたし、いつかその子はこの関係に嫌気がさして私の前から去っていくんじゃないかと思っていた。
 
とにかく一筋縄ではいかない相手だった。
 
週2~3回彼女とは顔を合わせていたけれど、その何の進展もない状況が延々8ヶ月続いた。
 
8ヶ月経ったある日のこと。
 
何年経っても忘れられない位、その日の光景も彼女のこともよく覚えている。
 
大革命が起こった。
 
そもそも2人きりになることのない場所だったゆえ、彼女と私だけが最後にその場に残ったのはその日が初めてだったかと思う。
 
私は仕事だからそこにそのまま居残るけれど、彼女はもう終わったからあとは帰るだけだった。
 
私は入り口まで彼女を見送ろうと思って、その子の後ろについて行った。
 
いつものように小さな声であいさつして帰るんだろうなぁぐらいの心持ちで彼女を見ていた。
 
そうしたら突然その子は堰を切ったように自分の話を始めた。
 
しかもその位の年齢の子なら、学校のことや友達のこと、恋愛なんかをべらべらと話すのが普通なのかもしれないけれど、彼女の話はそのどれでもなかった。
 
いきなり家族と家族の中の自分の立ち位置について、実にわかりやすい、それは黙ってその場で自分や家族を観察していないと絶対にわからないような話を一気に聞かせてくれた。
 
私はそこのおうちに行ったことは一度もないけれど、彼女の話だけで家庭の中がどんな風かいとも簡単に想像できた位、すごくディープな話だった。
 
その日を境に、その子は私との関わり合い方を変えてきた。
 
相変わらず余計な話や小さな声でのあいさつはそのまま継続された。
 
だけど、2人きりになる場面になると色んな話をしてくれるようになった。
 
これは私が勝手に思っていることだけれど、あの沈黙を貫いていた8ヶ月間、実は彼女は私を観察していて私が話す相手として彼女の基準を満たす人物かどうかを見定めてたんじゃないかと思う。

私は彼女のサインには何一つ気づけなかったけれど、言葉のなかった8ヶ月間も実は言葉ではない別の形で何かを私に訴えていたのかもしれないし、伝えようとしていたのかもしれない。

彼女が私に教えてくれた大切なこと、それは目に見えていることや耳に届く言葉だけで人や状況を判断しないことだった。
 
それって人間関係を築く時にとても大切な要素になる、ということを彼女は自分の身を呈して私に教えてくれていた。


   
その子だけではないけれど、言葉数が少ないからと言って、何も言わないからと言って、その人が何も感じていないとか考えていないなんてことは絶対にありえない。
 
むしろ言葉数が少ない人の方がそれを外に出さない分、内側では色んなことをたくさん感じてるんじゃないかと思う位。
 
自分もそうだけど、大事な場面で言葉を出せない時がある。
 
色んな思いが絡まって言葉にできない時もあれば、相手の決めつけてくるような態度を見て何も言いたくない時もある。
 
何か言ってもわかってもらえないとわかると、私は適当に取り繕うことは言っても自分の本心は絶対に言わない。
そうすることで自分を守る時もある。
 
だから状況はそれぞれだけど、ただそのどんな時も自分は色んなことを感じているし考えている。
それを表に出さないだけ。
 
これは私のこれまた勝手な個人統計だけれど、表面上言葉数が少ない人の方が、話してみるとすごく面白かったりする。
 
そしてそういう人たちからはっとさせられるようなことも多い。
 
言葉数の少ない人の方が黙っている時間が長いから、実際に話す時や沈黙の時の距離感が心地良かったりする。
 
人との距離感を多分ものすごく見極めているだろうから、距離感の取り方が絶妙だったりする。
 
そして視点も独創的ですごく面白い。
 
そういう視点があるんだ!と斬新なことが多々ある。
 
言葉数の少ない人の少ない言葉は、すごく深みや重みがある。

少ない言葉には奥行きがあって、そういうことにはっとさせられることがある。

いつだったか、自分は表現することがうまくないと思っている友達に、私もうまく言葉を繋げず誤解を与えたんじゃないかと思って謝った時、
「自分もそうだからわかるよ。
言葉にうまくできなくて、でも本当は言葉の裏に色んな思いや考えがあるってこと」
と言ってもらってものすごく救われたことがある。

言葉や表現が色々うまくないと思っている自分を救ってくれるのは、そういう体験を持っている人の体験から得た言葉であることが多い。

0 件のコメント:

コメントを投稿