2022年9月14日水曜日

プラプラ散歩と散文

とても上手くとんぼの写真が撮れた
2022/09/13

右側の黒い点はとんぼ
左下は看板
2022/09/11

薄水色のような色の三階建ての家の位置に
私が子どもの頃住んでいた家があった。
雑草が生い茂っているところに隣りのお家が。
そして家から出て写真手前側の曲がり角になる、
そのくぼみのようなところが
運命の分岐点になった地点。
(この後話に出てくるスポット)

日曜日の夕方、
スーパーでお好み焼き粉を買った後の帰り道

上の夕焼け小焼けの空の約50分前の青空



2022/09/13

朝、小さなトンネルを通る時、トンネルのてっぺんより少し上のところに空が見えるスポットがある。


今日は晴天で青い空が見えた。


夏のような真っ青ではなく、かと言って秋の青さでもなく、ちょうど夏から秋へと切り替わるタイミングの青空だった。


ようやくブログを書きたい気持ちが出てきた。


書きたいは書きたかった。


けれど、先週は仕事も自分が擦り減りまくり、個人的なやりとりも何か噛み合ってなくて(相手というよりも自分と)、色々余裕の無さが際立っていた。


心も体も疲弊して、気持ちは9月をしんみりと振り返りたかったけれども、そちらに向かえるほどのパワーが残っていなかった。


だから今こうして書けるくらいになんだかんだと復活できたのはもちろん、それ以上に書けるのはとても嬉しい。


今回は途中だろうがなんだろうが、とりあえず書いてキリのいいところでアップしたいと思っている。







これを書く30分ほど前に名古屋でとてもお世話になったSさんから連絡がきた。


愛犬のサクラが先週虹の橋を渡ったというお報せだった。


サクラはチワワで、小型犬だった。


私は子どもの頃から動物が大の苦手で、犬なんかは私は怖くてたまらなくてすぐに逃げるけれども、それが逆に遊んでもらえると思うのかやたらと犬たちからは気に入られて、特に数人で歩いていて犬とすれ違う時なんかは犬好きな人たちは自ら犬に近寄るけれども、私なんかは極力離れて近寄らないようにしているのに犬からはなぜか逆に寄ってこられてというとほほな思い出しかなかった。


サクラに初めて会う日の前に、Sさんから本当におとなしい犬で超ビビりだから初めて会う人には自ら逃げて隠れるから大丈夫!と言われて、なんならずっとケージに入れるからと言われて初めて訪ねた日、本当にその通りで、でもおかけで私も怖くならなかったし、サクラもサクラで大丈夫と思ってくれたのか即慣れて、慣れた後はしっぽフリフリしてすり寄ってきて、この動物が大の苦手な私が抱っこまでできた、その後も毎回熱い歓待を受けて、散歩にも連れ出したり、人生で初めての犬との触れ合いで犬との思い出だった。


週末の前だから、先週の後半頃に、突然ふわっとサクラのことが出てきて、なんだかとても不思議な気持ちになっていた。


色々余裕がなくてあまり気にも留めなかったけれども、とにかくサクラが出てきたことがじわじわと残る、印象的な瞬間があった。


そうしたらSさんからさっき連絡がきて、なるほど納得というか、サクラが来てくれたんだろうなと思った。


Sさんも娘さんと、今頃サクラは会いたい人たちのところに行ってるねと話して、私のところには一番に行くだろうと思っていたと教えてくれた。


悲しいお報せではあったけれども、愛がそこにはあって(写真も見せてもらった)、サクラとの思い出はこれから一生持っていられるとなぜかとてもポジティブに捉えている自分がいて、そうして今これを書いている。







命の終わりを想像してみた。


何か特別なことがなくてもあちこちに思考も気持ちも飛ぶし、そして9月は私にとっての1つの区切りの月でもあるから、過去と今と未来とが色々織り交ぜになって自分の中を行き来する。


サクラとの時間は過去のもので今は存在しえない。


けれども今この瞬間実体のない過去の時間たちは今も私の中に普通にあって生きてる。


日曜日の夕方、あまりにもグダグダな週末で布団で伏せっていても気持ちが晴れそうにないから、お好み焼き粉を買いにスーパーまで歩いて行った。


夜はお好み焼きを食べようと思って、具材がそこそこ揃っていたから小麦粉よりもお好み焼き粉で作ったらおいしいかなと思ってそうした。


夕方の空はもう秋で、「夏」ではないってわかった。


イケメン上司の名前が大きく書かれた看板のすぐ下を歩いた。


5年前、無事に手紙をイケメン上司に渡せますように、と願掛けを先祖代々の墓にした後、もし大丈夫ならイケメン上司にまつわる何かサインを見せてくださいとお願い(ばかり)をした。


そうしたら、墓を後にして仕事に向かう道中、うちのすぐ近くでイケメン上司の苗字がデカデカと書かれた大きな看板を見つけた。


書いていて思い出した。


その道は、当時は両親が家を建替え中で、普段通らない道だった。


でもその日は墓参りをしてからその道を通ったから、そこで初めて看板を目にしたんだった。


そして看板を見た30分後くらいにはイケメン上司に手紙を押し付ける暴挙に成功したんだった。


という道を歩きながら通って、もうこのまま会えないとしたらどうなんだろう?なんて考えた。


意外にもなんともないのかもしれないと思ったり、そもそもまた会えると思う方が無理難題だろうところをなぜか私はまた会えるような気がしているという気持ちの姿勢が今も変わらなくて、そんなこんなで5年も経ってビックリというかやっぱりというか、色んな気持ちがごちゃ混ぜになりながらスーパーに向かった。


途中で子どもの頃、連れ去られそうになった道もわざと通った。


今から40年近く前になるのに、今でもはっきりと覚えている。


今回わざわざ写真に納めたのは、このすっごい短い距離が、自分の生死を分けるものだったんだと改めて感じて、それで写真に撮ってきた。


写真でいうところの雑草が生えているところが当時のお隣さんの家で、三階建てのお家が建っているところが私が小学校2年生まで住んでいた昔の家の位置になる。(建っている家は我が家の後に入った家族が建て直した家)


写真に写るUというかVの字の左上(三階建の家の前)からスタートして、右側の茶色い家の向かいの家に向かおうとしていた。


そのお宅に行っている母を迎えに行くと言って夜1人でのんきに出た。


道のVのちょうどくぼみのあたり、お隣の家1軒分の距離で私は知らない男の人に連れ去られて、その後5分後くらいにちょうど店じまいをしようと外に出ていた書店のおばちゃんが私を見つけてくれて、それで事無きを得たというまさに九死に一生というところで命を救ってもらった。


イケメン上司の看板を見た後10分もしないくらいでその連れ去られ現場の道にいて、もしあの時私が本当に連れ去られて殺されたり監禁されたりしたのなら、手紙はもちろん、イケメン上司に出逢うことさえ許されなかったんだなと強烈に思った。


すごい不思議な気持ちというか感覚だった。


生きていることも、これまでの過去のすべても、何も当たり前にあるわけじゃないんだなと、改めてしんみりと感じ取った。







話はまたさらに飛ぶ。


甘いミニトマトときゅうりと粉チーズとでサラダを作ろうと台所で手を動かしていた時だったと思う。


これを書いている今日の夕方の日が暮れる少し前の話。


思い出してきた。


サラサラっと携帯にメモした言葉があって、この後()に続けて書こうと思っているけれど、その言葉が出てきた直後に思ったことだった。


イケメン上司と新しく関係を作りたい。


手を動かしながらそのように静かに思った。


形とかそういうのはとりあえず頭の構想の中にはなくて、これまでのことはこれまでのこととして残して、そういうものとは関係なしに今から新しく関係を作っていく。


それはもしかしたら可能なことかもしれない。


とそんなことを思った。


超仲良くなる前提も必要ないし、嫌になられたらその時にまた決別するなり考えるなりしたらいい、とにかく何かしら歩を進めたい、今とは違うものを手にしたい、そういう気持ちがスルスルと出てきた。


友達や深い関係を目指すとかではなくて、少しだけ最初は意図的に関わるスタートを切らないといけなくても、そこから先は新しい関係を作ってみるのもありなんじゃ!?と思えた。


面倒だと思われるかもだけど、そんなの始めてみなきゃわからないし、始まるといいのになときゅうりを切りながらトマトを切りながら思った。







私がイケメン上司がいた頃のことを絶対に覚えておきたい理由は、その時の自分のことがとても好きだからだと気付いた。


ちなみに理由の1つ。


先週色々しんどかった大きな原因に、自分が擦り減ってしまうことが続いたからというのがあった。


確実に良くなることをしようとしているにも関わらず、周りの訳の分からない、全く理に適っていない、むしろ後退するような、そういうことに従わないといけないことが続いた。


そして月曜日(9/12)だったと思う、何かのエッセイだったかコラムを読んだ時に、相手のことが好きかどうかよりも相手といる時の自分が好きかどうかで一緒にいるかどうかを見極めるみたいな話が出てきた。(別れの相談の回答だったのかも)


それを読んで、気付いた。


先週の状態の自分は自分でいるのもしんどかったくらいに、とにかく色々噛み合ってなくて、自分の中が葛藤だらけで、そのしんどい矢先に寂しさや孤独もプラスされたくらいにして、とにかく自分の中の不協和音が半端なかった。


イケメン上司のことを色々振り返りたいのに、それ以外のできれば無視してしまいたいようなことがあれこれあり過ぎて、なんだか心も体も動けないというところにいた。


そうだった、そうだった。


週末を過ぎて月曜を迎えた時、気持ちが朝から沈んで仕事サボろうかと少しの時間真面目に考えたくらいになっていたんだった。


その後徐々に回復はしていくんだけれど、その回復途中で例のコラムだったかエッセイを目にして、それでイケメン上司がいた時の自分というものをものすごくはっきりと思い出した。


イケメン上司がいた時間は、自分でも見たことがない自分が色々出てきて、ものすごい活力と生命力に溢れていて、生きていることが楽しくて生きられることそのものが喜びで、あれはかなり希少というか特殊な状態にしても、とにかくそんな自分もいるんだと心底驚いた。


色々思い通りにはいかなかった現実さえも、私の中から出てくるものや感じるものは止められなかったし、本当に生き生きとしていて全身全霊で生きてるっていうことがとてもよくわかった。


そしてその状態の自分というのは、自分史上最高の自分で、色んなことが上手くいくいかないというのは関係なく自分であることがとても気持ち良い、本当に生きている間にこういう感覚を手にできるって奇跡に近いと今でも思っている。


私そのものが生きることにそんなに前向きではなくて色々逃げたくなったり終わったらいいのにと思ってみたりとか(死にたいのとは違う)、基本がネガティブというか明るい感じとは違う。


イケメン上司がいた時というのは全然違っていて、もっと生きたいという欲がモリモリ湧いて、自分の中の色んな感情や感覚がとても真っ直ぐに出ていて、生きてることの素晴らしさを本当に毎瞬毎瞬感じる、そんな時間だった。


あれと同じ状態はさすがになろうと思ってなれるわけでもなければ努力したら叶う領域とも違うからそれを意図的に目指すようなことはしないけれど、ただあの感覚は自分を好きでいられる感覚と直結していて、だから相手でも出来事でも何かと対峙している時の自分の判断基準に「その自分が好きかどうか」で見ていくのはとても良いしある種わかりやすい判断基準だなと思う。


「こんなしんどい自分は嫌だ」となってすぐに投げ出せる状況になかったとしても、それでも自分の中に違和感や不信感がムクムクと出ていたらそれは確実に黄信号だとわかるし、放置したら赤信号でさらなるドツボにハマるのも想像できる。


その感覚を大事にするためにも、イケメン上司がいてくれたことで知り得た自分の感覚を基準にできるって本当にとってもいい。


それだから覚えていたい、というのも言葉にするとなんだかいびつだけれども、1つだけ確実に言えることは、イケメン上司というのはその存在だけで私が自分でいられることを自分で肯定できる、そういう力をくれる人だった。


それって本当にすごい。


その時その時の自分が好きかどうかなんて考えたこともなくて、それはイケメン上司が自分の人生に現れた時に初めて取り込んだ視点、取り込んだというよりもそれこそ当時もどなたかのTwitterで蒼井優が山ちゃんと結婚する前に相手が好きかどうかよりも相手といる時の自分が好きかどうかが大事みたいなことを言っていたというのを見て、そこで初めて私も自分がどんな状態にあったのかに気付けた。


生きる力も生きる喜びも自活的に得られる、その境地をイケメン上司は私に教えてくれた人だった。


本人はその気などさらさらないと思ってるかもしれなくても、私側は人生で一番大きなものを手にして人生丸ごと変わった。


それも全部ひっくるめて、イケメン上司に感謝しかないというのはそことも結び付くし、大袈裟に言っているのではなくて本当にそう思っているから言っている。






2022/09/14


昨日9/13の夜に書き始めて、朝起きた後また最後の部分を書いた。


昨日の朝、トンネルの上に見える青空を見た時、イケメン上司がいた頃の9月の空はどんな風だったかなと思った。


実は最後の2週間くらい、ちょうど今くらいからイケメン上司がいなくなる9月27日の間はほとんど記憶がない。


景色も当時の天気も、突然の知らせに私が全くついていけず、心の中は常に北極の極寒の地みたいな状態になっていた。


そのXデーが来てしまうのもいつかはわからなかったし(直前に知った)、わかってもわからなくても不安だらけだったし、イケメン上司は相変わらず気まずそうだし、そういうことだけが断片的に残っている。


今と当時で何も変わらない気もする。


けれども、もしイケメン上司も私とちょっと話してみたら面白いかもという気持ちになってくれてるのなら、新しく始めることはできる、今とは違う関わり方を。


関係と言わずに「関わり方」と言えばいいんじゃないかと思った()


重たくて陰気な人にならないように気をつけるという意味でも、関係じゃなくて関わり方がいい。


そんな言葉のあやみたいな話ではないかもだけれど、少しでもハードルを下げられるものは下げる努力をしたい。


(ここからは昼休みに書いてる)


とにかく、新しい切り口を得られないかなと思っている。


連絡が取りにくいのであれば私から連絡したっていい。


さすがにアクションを起こしてスルーなら立ち直るのにとっても大変だから、例えばの話(あくまで例えば)、このブログのどの記事でもいいからコメントを一言「連絡ください」でもなんでもいい、さっと匿名で入れてくれたのなら、それを見て私から名刺にある連絡先に連絡(メールとかショートメールとか)はできる。


ブログのコメントは、匿名でもいけたはずだし、仮に匿名にできなくても適当なニックネームで入れることができる。


今日の仕事中だったか朝の車の中だったかで思ったけれど、イケメン上司の中で仮に「意志」と呼べるものが私と連絡を取ることに対してあったとしても、多分その行動力たるや人生の中で一番勇気やら覚悟やら思考力やら色々使わねばならない、そういうものなんじゃないかと思った。


「武士俣さんへ」と仮に書き出しても、その次の言葉が見つからない可能性は大いにある。


その一言目の言葉を生み出すのに一生分の気力や行動力を使わなければいけないのであれば、っていうかもしそういうものならそんなのどんなに待っても来る気配すらないから、それなら確実に物事が動くあり方を選んだらいいんじゃないかと思った。


超超超幸いにして、物理的に私が目の前に現れるとかいう心配は一切しなくていいわけだから(そもそも今どちらの都道府県にお住まいかもわからない)、とりあえずネット上のツールでのやりとりだし、嫌ならその時にブロックすればいいし、私を遠ざける現実的な方法はいくらでもある。


だから、いざとなれば絶対に私を切れるから、何かしら連絡を取れる、話ができる環境が欲しい。

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