2020年4月2日木曜日

⒁【おいせさん手帳】自分の感性という贈り物


桜2019



おいせさん手帳第14回目。
担当:私


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4月2日

唯一無二のあなた自身への贈り物。
桜開花の季節

桜の花を毎年心待ちにする気持ちは、日本人特有の感性です。桜の蕾から散る桜の花びら1つにまで日本人はそれらに心を向けます。この素敵な大和魂は、日本に生まれ育ったからこそ育まれる感性です。あなたの中に流れる感性は、あなたの中にだからこそ魂を宿しました。その感性は、あなたが生まれた時にあなたの命と共に贈られたギフトです。

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さくらのことで面白い話がある。

ドミニカ共和国にいた時のこと。

日系人のご夫婦のお宅におじゃましたことがあった。

2人とも子どもの頃にドミニカに渡ってきて、当時はおそらく若くて60代、もっと上だったような気がする。

数年に一度は日本に帰国するという。

その話の中で面白いことを言っていた。

「いつかの年、春に日本に帰って桜を見たんだけどね。日本人が毎年桜を心待ちにする、あの気持ちがわからない。たしかに綺麗だったよ。だけどまた来年もその次の年も見たいかって言ったら、そんなことはなくてね。だけど日本じゃ毎年楽しみにしてるって言うじゃない。不思議な感覚だよね」

私はこの話を聞いて、心底驚いた。

ご夫妻は生粋の日本人で、ある時までは日本国内で普通に日本人として生活していた。

ところが、ドミニカに渡って、少なくとも成人以降はずっとドミニカにいるし、今さらもう日本で生きていきたいとは思わないみたいなことも言ってた。

ドミニカは年がら年中半袖でいけるような気候で、四季がない。

雨期と乾期があると言っても、雨季は1日の中で多少雨が降るという程度で、私はあの国で最後の最後まで傘を使った記憶がない。

傘さえも持ってなかったかと思う。

とにかく四季がない風土だから、日本のように毎年桜を心待ちにするなんていうような感性もない。

その日系人のご夫妻が特別なのではなく、ドミニカにいる人たちなら皆似たようなことを言うのかもしれないなと思う。

それを聞いた時、初めて「桜を毎年心待ちにする」とか「桜を愛でる」とかいうのは、日本に住み続けることで自然と培われる感覚なんだと知った。





私が自分の感覚を、意識して一番に据えるようになってから2年くらいになったと思う。

前は自分の色んな感覚に全く自信もなければ、自分の感覚があまりにも世間のものさしとは違いすぎるとドギマギしてしまっていた。

自分じゃなくて世の中が正しいような気持ちにしょっちゅうなっていたし、自分は何かを間違えているんじゃないかと不安にもよくなった。

いつの時が本当の意味での転機となったのかは今となれば思い出せないけれども、ある時から「自分はこう感じてる」のその自分の感じ方を大事にするようになった。

周りは私に対してどう反応するかはわからなくても、私は少なくともそのように感じてる以上誤魔化すことができなかった。

今思うと、そのようにしていたからこそ、自分のオカルト的な感覚もどんどん増すようになったと思う。

私にとって自分の感覚を信じることは、すなわち色んなものをキャッチしてしまう見えない世界のものに対するパイプも太くする結果となった。

自分だけは自分のことを信じよう、そう思えるようになったことがとっても大きかった。

そう思えるようになってから、自分自身もとても楽になれた。

自分を疑うというのは、今振り返るととても骨の折れることで、ものすごい労力を必要とする。

それは自分を否定していることにも繋がっていたから、余計としんどかったなぁと思う。

今も自分を疑ったり否定したりはするけれど、以前に比べたらうんと良くなった。

そして、自分の感覚を肯定すればするほど、それで間違えても仕方ないと思えるようになったし、自分自身も「これでいいんだ」って思えるようになった。

自分の感覚を基準にできるというのは、周りに惑わされず自分の信じるものを深められて、自分にとっての安心感が得られる。

ここに来るまで本当に長かったけれども、ようやく自分を信じて大丈夫だなというのが少しずつ増えてきて、増えた分生きづらさが減って生きやすさが増した。

こんな風になって思うのは、自分の感覚というのは自分にプレゼントされたものだと知る。

誰でもその人にしかない感性がある。

その感性に正解も不正解もない。

正解も不正解もないなら、その自分の感性をいかに好きかやいかに居心地良くいられるかが大きな鍵となると思う。

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