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2017年9月29日金曜日

ブログを休んでいた間のこと

ブログを休んでいた間、実は全く書かなかったわけじゃない。


ちょこまかちょこまかと書いては、USBに残した。


といっても、それは最初の3か月ほどの話で、こうしてキーボード叩いて文章を書くのは多分1年ぶり…。


当時、今住んでいるところにどの位住むのか想像もつかなかったから、ネットを引かなかった。


そうしたらあっという間に1年4か月も過ぎていてびっくりした。


ネットがなければないなりに、生活にそこまで不自由さを感じなかった。


テレビなし生活を10年もしたわけだから、ネットもなければ何とでもなった。


どういうわけか、今の職場では、私だけメールアドレスもなければ、そうしたチェックの煩わしさからも解放されている。


iphoneも最低限の連絡用にしか使わず(さすがにネット検索はそれでするけれど)、それですべて事足りてる。


この超スーパーネット社会の中で、昭和のような生活を送っている。


それはそれで私にはとても心地よい。


ないと不便だと思うのはそのものがある時だけ。


ない生活が始まってしまえば、体も心もないことに慣れて平気になる。


平気にはなるけれど、やっぱりこうして久しぶりにキーボード叩いたら、こうして書くことは好きだなと再認識する。


書かない間も、いろんな形で私は書いていた。


日記や備忘録的なものが多かったけれど、手書きであれやこれやと残していた。


ネットはいつ再開させるかはさておいて、書くことは再開するだろうなぁという予感がする。


息をするように、私の指はひたすらキーボードを叩いていく。


考えて打ってるんじゃなくて、出てきたものをぽんぽんとキーボードに打ち込んでるだけ、という感じ。




1年4か月、実に濃密な時間がやってきた。


「働く」ことそのものが楽しいと思える経験をした。


興味のない仕事にも関わらず、働くって楽しいこともあるってことを、この春先までしていた仕事から教えてもらった。


人との出逢いもあった。


望む方向にはいかない結果が今の現実にはなったけれど、それはそれはものすごい体験が雨あられのようにやってきた。


生活の環境も、生きる道も、住む街も、あれもこれも変更した1年4か月だった。


色々先延ばしにしたこともある。


自分の選択に納得できないこともある。


これで良かったのか?なんて思うことも数えだしたらきりがない。


それでも私はたくさん笑って時々は怒って、時には泣いて気持ち吐き出して。


おいしいもの食べたり、きれいな風景に出逢ったり、人の優しさに触れたり、「生きてる」時間を過ごしてる。


今月に入ってから、1つ思い出したことがあった。


30代の中で、1年くらいに渡って「生きたい」と思えなかった時間が2回、だからトータルしたら2年は確実にあった。


きちんとカウントしたら、もっとあったのかもしれない。


その「生きたい」と思えなかった頃の自分の気持ちは今でも憶えている。


朝がくると「また朝が来てしまった」と毎朝思っていた。


死にたいとは思わなかったけれど、なぜならうっかり自殺したら次の人生ではもっと大変な人生を送ることになると聞いて、もうそれまで何とか乗り越えた数々の苦難よりきついものは体験したくないから、自殺願望だけはきれいさっぱりなくなった(10代の頃はそういうのもあった)。


先の見えないことに不安ばかりが押し寄せて、自分の力のなさに泣いて、逃げることさえ許されなかったような状況に本当に絶望していた。


例えば、10回ほど退職届を出しても辞めさせてもらえなかった仕事には、本気で逃げられないと恐怖しかなかった。


例えば、本当に何もかもと断絶して、引きこもりのような時間を13か月した時は、ひきこもることに違和感はなくても、そこから先の人生の再生の仕方がわからず1日1回は絶望すると計算したら何百回と絶望していた。


色々強烈なことがあっても、私はそれでも心ある人たちから何度も助けてもらい、そしてたくさんの色んなものたちに元気をもらっていた。


でもやっぱり心はどちらかというと弱っていた。


人生を楽しむ力が圧倒的に不足していた感が、今は当時を振り返るとそんな気がする。


例えば今。


自分の望んでいない現実もしっかりとある。


こんなの望んでいません、私が望んでいるのはこれこれこういうことです、と何度自分の中で宣言したことかわからない。


何ならこの3週間弱、毎朝の日課になった墓参りという名の願掛けの時なんか、もう自我丸出しの願い事をお墓の前で何度も何度も心の中で唱えている。


ちょっと不思議なことを話すと。


私はそのお墓参りの時間、雨の多い新潟で、実は一度も雨に当たったことがない。


1日を通じて雨の日だって確実にあった。


それでも本当にお墓参りのその数分だけ、雨の日でも雨がなぜか上がっていた。


その直後から大降りになったことだって一度や二度じゃない。


守ってもらえてるんだなぁと何度も何度も感じた。


そしてもっと不思議なことを言えば、別れと呼ぶようなその日、ものすごく雨が降った。


初めてお墓までの道すがら傘をさした。


私がきちんと泣けない分、空が泣いてくれてると本気で思った。


あほみたいなことを言ってるようだけど、そういう体験の1つ1つが「生きてる」ことをものすごく感じる。


そしてそれに勝るぐらい楽しいことも体験した。


1日の終わりにその日にあった出来事を思い出してはすごくしあわせになって、そして次の日もまたそれ以上の楽しみがあって夜眠ることが楽しみだった。


朝がきたら、その楽しいことを体験できるんだと思うと、それだけで心が躍った。


人生にこんなにも楽しいことがあっていいんだ!って感動した。


それは、生きたいと思えなかった当時の自分ががんばったことへのご褒美みたいだった。


過去の自分に何度も感謝した。


がんばったね、がんばってくれたおかげで今の楽しみがあります、って。


そしてその頃の感覚も知ってるから、今色んなことをもっともっと楽しめるようになったような気もする。


「生きたい」とかそんなの考えなくても、「今日もこれから楽しいことが待ってる」って感覚が先走る。


40代を1年半後ぐらいに控えている今、こんな感覚を自分が持てるなんて思ってもみなかった。


喜びとか希望とか、そういうものを人生で持つってすごいことだと私は思ってる。


もうそれどころじゃない日々がたくさんあったから、そういうことを人生で持てるようになった自分、もう一度持てるようになった今、感動する。


思い通りの現実じゃなくても、そういうことはあまり関係ないらしい。


思い通りじゃない部分に対して「奇跡が起きてくれないだろうか」と大真面目に思ってる。


その現実は非常に受け入れ難いけれど、それでも人生を楽しむ力が私にはあるんだということが今はわかる。


過去の苦しみや理不尽な出来事は、私に人生の楽しみ方を教えてくれる良薬に今はなった。


当時は七転八倒して、先の見えないことや目の前の悲しみや苦しみに泣くか塞ぎ込むぐらいしかなかったけれど、それでも今の私は笑ってる。


色々やらかしたことも、誰かの迷惑になってしまったことも、反省や恥ずかしさや色んなものがあったけれど、それでも今日も私は生きてることを許されてる。

2016年1月30日土曜日

心のダメージと回復

年が明けてすぐに数年ぶりの風邪を引いた。

最初は体調が優れずに体が睡眠を欲しているのだろうと思っていた。

風邪は1週間もすれば回復して、徐々に生活のペースを自分が思い描くように戻す予定だった。

なのに体はいつまで経っても意味不明な眠気と疲れを訴えてきた。

ペースを戻すどころか、風邪を引いた時と同じような感じで、時間さえあれば極力早く寝るように

なった。

今日は休みだったから昨日の夜は遅くまで起きていたって構わなかったけれど、22時過ぎには

眠くなり23時前にはすとんと眠りに落ちた。

たくさん寝ればすっきり爽やかという感じでもなく、なんとなく気持ち的にけだるい。

他にも顕著だったのは、このブログも他のブログも日々の手書きの記録も、ほとんど書くことを

やめたこと。

書きたくないとかいう感じとは違っていて、疲れた体を労わることが最優先となった。

料理や部屋のちょっとした整理整頓も面倒になり、なんとなくすべてが重たい感じ。

それで今さらだけど、心の方がすっかり疲弊してダメージ受けまくりであることをようやく理解した。

仕事の人間模様に無駄にエネルギーが使われてしまっている。

特に今週はひどかった。

わたしは他の人たちがいい加減な状態で手をつけてそのままにしている仕事を、たまたまその

仕事の対象になっているお客さんからの1本の電話でその中途半端な仕事をすることになった。

そういうのはいつかは誰かがしないといけないことだし、そして最大の救いはお客さん自体は

クレーマーでもなんでもなく、単に自分に関わることに関してどうなっているのかを連絡もらって

いないからそれについて問い合わせただけの人だった。

だけど、複数の人が実にいい加減な状態で放置していて、もう事態は大変な方向に動いていた。

当然いい加減な回答をお客さんにするわけにもいかず、わたしは回答はするけれどその肝心の

回答がどういう風なのかを確認した。

そこから悪夢のようなことが次から次へと起こりだした。

まず対応していた人たちは、「知らない、今どうなっているか知らないから、○○さんに聞いて」と

さじを投げる。

さじを投げられるたびにわたしは次の人次の人と聞いて回る。

3人目に当たった時、わたしはその人からこっぴどく怒られた。

なぜわからないものを対応しようとしているのか、なんできちんと確認しないのか、どうして勝手な

判断をするのか、と到底理解できない言葉が返ってきた。

わたしの知っている範囲での状況は全部説明した。

でも1つ1つ返しても、わたしの言葉は相手の耳に全く届いている風ではなかった。

怒った人はそれでも事態を責任ある立場の者として確認し、最終的にお客さんへの回答を

知らせてくれたけれど、何だかもうどっと疲れた。

実際にお客さんと電話で話したけれど、お客さんは怒ってもいないし、少なくとも知りたいことは

全部伝えて、そして伝えきれない分についてはまたわかった時点で連絡しますということで、

ものすごくあっさりと納得してくれた。

何も難しいことなんか1つもなかった。

難しいことにしているのは、社内の関わる人たちの無責任な対応だということに誰が気付いて

いるんだろう?と思う。

そして尻拭い的なことをしているわたしが何ゆえに怒られたのか今でも理解できない。

救いだったのは、その日のお昼休み、仲良くしている人2人と一緒に初めて3人でランチをしたの

だけど、真っ先に2人ともが

「あの午前中のやりとり、何だったの?全然悪くない人がめちゃくちゃな言われようで、あれは

何だったの?」と心配してくれ、そして細かな事情を伝えたら2人とも口を揃えて

「ありえない!!!!」

とわたし以上に怒ってくれたことだった。

わたしは渦中の人物で周りの状況なんか一切見えていなかったけれど、2人いわく、仕事が手に

つかない位のヒートアップぶりと怒った人の意味不明な発言で、思わずそちらをがん見してしまう

そんな状況だったらしいことも教えてくれた。

ヒートアップしていたのは、わたしではなく怒った人一人だけ。

さらに最後、社内のわたしのフォロー役の人がわたしのところに来て、事の顛末を確認していた

時に出た言葉で、「わたしが悪いことになっていること」が判明した。

わたしは自分が本当にできなくてとか失敗したことは責められても仕方ないと思っている。

だけど今回わたしは、たまたま誰しもが放置していてそしてもう手をつけられない位にひどくなった

事態の状態で、急遽お客さん対応を依頼されてやっただけに過ぎない。

自ら引き受けたわけでも自ら放置したわけでもない。

なのに総合的に自分が悪いことになっている、というのはものすごく納得がいかなかった。

納得はいかないけれど、自分はやれるだけのことはやったし、おかしくなっていた事態をある程度

軌道修正できたと思っているから、自分のやったことは良かったとさえ思っている。

これに限らず、こういうよくわからないことがものすごく沢山日常的に起こる職場だ。

心が疲弊しないわけない。

そういうことの積み重ねが、あの異常な眠気と疲れに繋がっているのだろうと思う。


本当に一連のおかしなことは日々沢山起こる。

だけど、真面目にやっていること、道理を通してやっていることは必ず伝わるということを身を

もって体験している。

直接に関わる人たちのいい加減な仕事ぶりとそれ故に回ってくる意味不明なフォロー的な仕事

には日々嫌気がさす。

だけどそうした私的な感情と実際のわたしの仕事には何の関係もないから、回ってきたものは

できる限りの誠意を持って対応するし完結に努めている。

つい数日前、フロアの責任者の人と面談する機会があった。

この方はつい3週間ほど前に着任されたばかりで、今全員と面談している。

わたしみたいに辞めることが決まっている派遣社員とさえも面談をする。

何せ日々直接話す機会がないから、どんな考え方や価値観の人物かというのは話す時まで

知らずにいた。

それでも遠目に時々姿を見かけてはすごく真摯に仕事をするし、小さなことも大切にする姿勢

というのは言葉はなくても伝わってくる。

人柄はそれだけでも良いというのが十分わかっていた。

実際の面談の時のこと。

その人のデスクとわたしの席は、一応顔が多少は見えて声も多少は聞こえる位の距離だ。

そうしたら責任者の方は、わたしの仕事ぶりをものすごく評価してくれていた。

例のフォロー役の人からは、わたしは毎回ぼろくそに言われものすごい低い評価ばかりを数々

受けていたから、その責任者の方の発言にはものすごく救われた。

自分のやっていることが正当に評価されたのももちろん嬉しかったし、その責任者の方は何せ

今30分×60~70名の面談をしているから、席にいる時間はかなり限られてくる。

かなり限られてくるのに、驚く位に内部事情をよく見ていた。

問題点となることも、強みとなる人物も、そして自分の手持ちの情報でどこから改善に向けて

実際に動いていけるかも、本当の本当によく見ていて、惚れ惚れする位のセンスだった。

情に厚いタイプの人だと感じたけれど、組織を動かす時は私情を挟まずきちんとビジネスとしての

審美眼を持っている。

現場ではなぜか意味不明な評価とぼろくそに言われたり責任を押しつけられたりと腑に落ちない

こと満載だけれど、責任者の方はそんな第三者からの意見ではなくその人が見たまま感じたまま

をわたしに伝えてくれた。

こんなことは言うべきではないし今さら言ってもとっても遅いのはわかっているけれど・・・と前置き

した上で、「残って一緒にやって欲しかったです」と3回ほど言われた。

それは人が減って困るという意味ではなく、わたしという人物を評価してそこはあくまで一個人と

して思っていることを思っているままに伝えてくれた。

それがあったから救われた。

変な評価を山ほど浴びていたからこそ、その責任者の方の言葉はまっすぐに届いた。

きちんと見てくれる人がいるというのは、それだけで自分のこれまでのすべてが無駄ではなく、

自分の信じていることがいつか実を結ぶこともあるということを教えてくれたりもする。

心のダメージは、それに取って代わる回復薬も必ずどこかのタイミングで届けられるんだと思う。