2018年1月21日日曜日

Emotional Journey

仕事帰りに図書館に寄った。

正しくは、図書館から期限が切れているので早く返却をしてくださいという電話が来て、それでやっと返しに行ってきた。

大きな窓の前を通ると、『Emotional Journey』とタイトルが打たれていたきれいなデザイン集のようなものが見えた。

この図書館には20代の頃かなり通い詰め、この度実家に戻ってからも何度か通っている。

だけれど、そのコーナーには一度も立ち寄ったことがない。

唯一立ち寄った時は、あるメモの下書きをひたすらした時だった。

何もそんなところで下書きの練習をしなくてもいいものの、私はなぜかその図書館の個別の机でそのメモを書いていた。

個別机はそのコーナーの方面にしかなく、それで初めて足を踏み入れたような記憶がある。

名刺サイズの小さなメモの下書きではあったけれど、なんと私はそのメモを落としたことに図書館を出てすぐに気付いた。

車の中、かばんの中を探すけれど、どこにもない。

考えられるのは、図書館のどこかに置き忘れたことだった。

相手のフルネーム、私のフルネーム、そして私の個人情報がすべて書かれていたその下書きメモ、そこにプラスして短いながらも顔から火が出そうな小さな小さな短文、万が一図書館にあったらシャレにならないと思い、恥を忍んでカウンターに聞きに行った。

そもそもどう説明したらいいのか、それさえも考えると顔から火が出そうだった。

そこで考えに考えて

「あの~、個人情報が書かれたメモ用紙みたいなの、届いていませんか?」

と聞いたら、窓口の人がにやにやしながら

「それなら届いてますよ」

と即答してくれた。

あったことにホッとするよりも、あの10秒もあれば読み終わるあのメモ用紙がその窓口の人と、どこかの届けてくれた善良な市民の方の目に触れたのかと思うと、どっと変な汗が噴き出た。

これ、夏のお盆過ぎの話。

そんな冷や汗ものの思い出が詰まったスポットには、よく考えたら足をきちんと踏み入れたことがなかった。

だけど、今回はそのデザイン集のような本、『Emotional Journey』が気になってそちらのコーナーに真っ先に足を踏み入れた。

そのデザイン集は開いてみると全く心が惹かれず、すぐさまに閉じた。

周りをよく見ると、そこはデザインや画集を置いたコーナーだということがわかった。

もしかしたら…と思って、影絵作家の藤城清治さんの本がないかと血眼になって探した。

芸術とかにはものすごい疎いけれど、私は人生で初めて絵を見て泣いた。

これまでだって感動した絵や心奪われるような絵はあった。

だけど、藤城さんの影絵はもう次元が全く違った。

去年(2017)の夏、藤城さんの作品展が新潟県内の美術館であった。

ずっと先延ばしにしていて、最終日に私は慌てて思い出して行ってきた。

名古屋にいた頃も、販売用の版画展をデパートの高島屋でやっていて見たことがあったけれど、今回は原画そのものを見れるチャンスだった。

展示会場に足を踏み入れた途端、私は本当にその場から動けなくなった。

動けないまま、ただただ目の前の絵を見て涙が頬を伝っていた。

何かを考えたり感じたりするより前に、涙の方が自然と出てきた。

心の琴線に触れる、そんな風な感じを人生で何度か味わったことがあるけれど、まさにその時もそんな風だった。

時間の許す限り私は絵を見て回った。

3回はぐるぐると回ったような気がする。

そして途中、藤城さん本人のドキュメンタリーが設置されたテレビから流れていたから、適当な位置に座って見た。

それを見ていてわかった。

藤城さんが絵を通して表現しているのは、「愛」と「平和」だった。

本当にそれだけをひたすらまっすぐに伝えようと、影絵という手段を使って表現していた。

ちなみに私は「愛」とか「平和」という言葉を普通に言っちゃう人たちのものすごく軽い感じが嫌だし、「愛をこめて」とか「平和を祈って」ときれいごとばかり並べたような言葉も好きじゃない。

表現者によっては、私は悪寒が走るという意味で本当に鳥肌が立つ。

おまえそんなこと1ミリも思っていないだろう!?と思うような大人たちに何度出くわしたことか。

だけど、藤城さんのは全く違っていた。

本当に愛と平和を唱えたくて、それがたとえ自分という微力な力でも、それでも声を高らかにして伝えたい、そんな想いに溢れていた。

そういうものがもろに伝わったから、私は動けなくなって涙が流れたんだと思った。

ちなみに藤城さんが新潟にこだわって個展をする理由も述べられていた。

御年90はとうに超えた方で、戦争も経験している。

戦時中藤城さんは学生だったらしいけれど、学徒勤労?四字熟語は忘れたけど、とにかく学生も仕事をしなければいけない時代だった。

藤城さんはとある会社に行って働いたらしいけれど、そこでとてもよくしてくれた事務員さんが新潟出身の方だった。

藤城さんはその方に恋心を寄せた。

「好きだったんですよね」というような表現を画面の中のおじいちゃんは語っていた。

その方とは一緒にはならなかったようだけど、それが縁で藤城さんは新潟にこだわって個展を過去にも数回開いた。

藤城さんの個展は、47都道府県中本当に限られた地域でしかされないようで、新潟はその女性との縁のおかげで開かれたようだった。

そういうロマンチックな話大好きな私はまた1人で悦に浸って、あぁ本当に良い話が聞けたし、そんな時代を超えての愛の告白みたいなのにも1人でどぎまぎしていた(笑)。

そしてその想いを寄せた女性が、生きている中で藤城さんに気付いていたらいいなぁと思わずにはいられなかった。

そんなこんなのことがあって、図書館で「図書館なら置いてそうな気がする」と思って藤城さんの本を血眼になって探したのだった。

藤城さんの画集&エッセイ集が1つになった本を見つけた。

それだけでもものすごくテンションが上がったけれど、なんとそのすぐ近くに高山なおみさんが文を書いた絵本も置いてあった。

今還暦ぐらいの年の彼女は、料理家で、そして2016年頃、生き方をがらっと変えて絵本作家へと転身した。

その彼女が書いた文章の絵本が藤城さんの画集のすぐ近くにあった。

私はそもそも彼女が書いたエッセイ『日々ごはん』(全12巻)の虜になり、そこから高山なおみさんという人物を知るようになった。

高山なおみさんが出した料理本、『料理=高山なおみ』という本に本人のサイン付きで出版社より売られているのを私は数年前ネットでたまたま見つけた。

それ欲しさに買って、その本は今も私の手元にある。




その本の一番最後のページに

「今日は何が食べたいか、
自分の心と相談しながら、
コンビニでじっくりお弁当を選ぶのも
料理だと思う。」

とある。

何ていう素敵な発想で、そしてどれだけ心が豊かなんだろうとそれはそれは胸を打たれた。

話は絵本に戻って、「もしかしたら2016年に出した絵本が図書館になら置いてあるかもしれない」と思い、検索機にかけた。

ビンゴ、『どもるどだっく』という彼女の吃音だった幼少の頃の実体験に基づいた絵本が置いてあった。

ついでに彼女の素敵な旦那様スイセイと2人で出したエッセイも置いてあることがわかり、それも一緒に借りてきた。

Emotional Journeyは単なる入り口で、その後に広がった世界の広さと言ったら!

藤城さんの画集も高山なおみさんの本も両方ともとても感動した。

そして藤城さん画集のすぐ近くにあった絵本作家のアトリエの本も気になって一緒に借りてきた。



話があちこちに飛ぶけれど、私は図書館に入る直前、ある方からいただいたメールを読んだ。

そのメールを読んで泣いた。

そのメールには、私という1人の人間の人生と他の人として生きていた人生の重なりについてのメッセージが書かれていた。

他の人の人生の方は、成人まで生きられなかったとのこと。

どういう事情かなんてさっぱりわからないけれど、それでもその人が生きたかった人生の分を今の私が生きていると思ったら、色んな想いが胸に迫って涙が出てきた。

図書館からの帰り道、町なかにあるとあるお寺の前を通った。

私はそのお寺の前に飾られている書の言葉がとても好きで、いつも信号待ちでうまいことその書が飾られているショーケースの前に当たらないかなと思うスポットだったりする。

週替わりなのか、月替わりなのか、とにかく毎回とても素敵な言葉が紹介されている。

今日、これ以上ない場所で赤信号に当たり、そして私のメガネ視力でも十分に見える位置についた。

 

「一度きりの
尊い道を
今歩いている」

 

成人まで生きられなかった命を思う。

人生色んなことがあるけれど、それでも一度きりであること、そしてその一度きりは他の何にも代えられないぐらいに尊い。

そしてその尊い道を今この瞬間も私は生きている。

時々こうしてすごいメッセージがやってくる。

ここ数日、実際に色んなことに悶々としていた。

思い通りではない現実とか、会いたいのに会えない人とか、とにかく色々とある。

気持ちの状態としては、マイナスまでいかなくても若干マイナス側のベクトルに近いことはわかっていた。

そんな時に、私あてに届いた1通のメールに始まり、藤城さんの画集、高山なおみさんの本、お寺の言葉と続いた。

もうすっかり心は充電された。

そして何がどうであれ、今、悶々とすることさえももしかしたら成人するまで生きられなかった命からしたら体験したくてたまらなかったことなのかもしれない、とそう思った。

2018年1月15日月曜日

すーさんからの手紙


荷物の整理をしていた時にすーさんからの手紙が出てきた。

すーさんからの手紙はそれ1通だけだから、内容はおおよそ憶えている。

その手紙はもう何度読んだかわからない。

何度読んでも毎回色んな気持ちや感覚が出てきて、すごく新鮮な感じがする。

一度なんかは桜の木の下で読みたいと思い、すーさんの手紙を持って1人で花見に行ったこともあった。

その理由も今回読んでよくわかった。

すーさんは手紙の最後に「二〇十六年三月 桜の花咲く頃」と書いている。

だから桜の木の下でどうしても読みたかった。

とても粋な手紙で、どうしてすーさんと友達なのか、その手紙にすべて集約されているようだった。

今回改めて読んでみて、あぁそういうことかととても納得のいったことが1つ出てきた。

 

《ぶっしぃへ。

こんなに長い手紙をもらったのは初めてです。ありがとう。郵便受けに入っていた封筒のふくらみを見て「これは長いぞ」と思い、読み終って改めて封筒を見れば、82円の下に貼られた追加の10円の切手、とてもぶっしぃらしい手紙で嬉しく思っています。》

 

という出だしで始まっていた。

私はそんなところこれまで全く気にも留めずに流し読みをしていて、今回初めてすーさんがそんなことを言ってくれていたことに気付いた。

正しくは、顕在意識は完全にスルーしていた。

でも潜在意識はきちんとその部分を憶えていた。

 

ちょっとだけ心理学勉強しましたの風を吹かして言うと。

人間の意識は顕在意識と潜在意識に分かれている。

顕在意識は自分の頭で認識できるところ。

そして潜在意識は普段は全く意識に上がってこず、いわゆる無意識という状態に近い。

だからその潜在意識に何が格納されているのかなんていうのは、普段は気付かないし完全に忘れている。

で、顕在意識:潜在意識の割合だけれど、3%:97%と言う人もいるけれど、私が説明された中で一番しっくりきたのは、1%:∞(無限大)だった。

そして日々の色んなことは、たしかに頭で認識できてるのは顕在意識だけれど、実際は潜在意識の方が強く作用していて、だから頭で考えていることと実際の行動がちぐはぐだったりするのはそういうところから来ている。

もう少し言うと、カウンセリングやセラピーなんかでやりとりするのは、その潜在意識の方に働きかけていく。

頭でいくら「これが正しい!」と思ってもそうできないのは、心の奥深い潜在意識の方で別の何かを選択しているからであり、そこを癒すなりなんなりしないと望むような状態にはなかなかなれない。

 

何でこんな説明をしたのかと言えば、すーさんの手紙に戻る。

数ヶ月前、私はとある手紙を書いた。

書く予定のなかった手紙を突然書こうと思い立ち、それでどんどんと思い付くままに書いていった。

どんどん書きながら気付けば5枚目に差し掛かり、5枚目の時点で先がどんな風に展開するのか全く読めなかったのと、これが合計何枚になるのか皆目見当もつかなかった。

我に返るとさすがに不安になり、スマホで手紙について検索をかけた。

検索をかけて後悔した。

どのサイトも長すぎる手紙に対しては手厳しい言葉ばかりが並んでいた。

ましてや手紙の相手と親しくない場合は、さらに一層長い手紙は絶対にダメぐらいに書かれてあった。

私の中でもうすでに「手紙は書くし、手紙は相手に渡す」となぜか決めていて、だから今さら引き返すわけにもいかなかった。

そこで信頼できる誰かに聞く方がいいと瞬時に判断し、それでぱっと思い付いたのがすーさんだった。

すーさんに長い手紙を出したのは、すーさんが作ってくれた料理に対して私が酔っ払ってひどいことを言い、もちろんその場でもすぐに謝ったけれど、そしてすーさんは大丈夫だよとその時も言ってくれたけれど、やっぱりそれがどうしても引っ掛かってそれで謝罪とお礼を兼ねたものを書いたからだった。

そのやりとりがあったからこそ、すーさんに長い手紙はどうか、そしてすーさんに書いた時のように起承転結があるわけでもなく結局何が言いたいの?というような手紙でそれゆえに長いけど大丈夫かと聞いてみた。

すーさんが代表して取ってくれた飛行機の時間を聞いても平気で1週間は放置されたから、その時もすーさんの返事は1ミリたりとも期待していなかった。

差し迫った予定でさえ返事がないから、ましてや手紙の長さについての質問なんかもっともっと現実的に不要なもので、返ってきたら奇跡だなぁと思った。

そうしたらまさかのまさかで、1時間後に返事が来て、
 

≫そういう手紙をぶっしぃが短く書けるはずがないので、「長すぎるかな」と考えたところでそれ以外はないよ。長さは気にせず思うように書けば良いと思うよ。 


と返ってきた。

さすがすーさん!と思い、すーさんに感謝しながら、また自分のペースで好き放題に手紙を書き続けた。

だけどどうしてあの時すーさんがパッと思い付いたんだろうとはずっと思っていた。

たしかにすーさんに手紙は出したことあるし、すーさんのことはとても信頼しているけれど、何ですーさん?と自分でもその理由がよくわかっていなかった。

だけど、今回いつぶりかはわからないけれど、すーさんからの手紙を読んでものすごく納得した。

すーさんはわざわざ分厚い手紙についてきちんと触れてくれていて、さらにはそれを私らしい手紙で嬉しいと言ってくれていた。

私も自分の文章がかなり長いのは知っている。

うまくまとめられないし、順番に話さないと相手には伝わらないような気がしていて、それで気付くと長くなる。

読み手によっては、だらだらと長い文章で読んでて疲れるとなってもおかしくない。

その時書いていた手紙は、さらに一層その可能性が高く、余計と心配になった。

心配したところで書き続けて渡そうとしていたわけだから、全くもって余計な心配なのはわかっていたけれど、それでも誰かに本当に大丈夫かを聞きたかった。

大丈夫と言って欲しかった。

すーさんがそんな風に手紙で言ってくれてたことは、頭の記憶からはすっぽりと抜け落ちていたけれど、潜在意識の深いところでの記憶にはしっかりと残っていたんだと思う。

だからすーさんに私は聞いたんだろうなぁと思った。

 

実際に封筒に入れた時、自分でも「分厚い。分厚すぎる」と思った。

何が入ったらそんな厚さになるんだろう?と疑問に思うほどの厚さだった。

その厚さといい内容といい怒りや不快感をもたらしませんように、と願った。

そして最悪嫌なら嫌で相手は捨てるだろう、と予想してそれでようやく自分の中でももうどうにでもなれ位な感じで手紙を渡した。

すーさんみたいに喜んでくれてたら嬉しいけれど、それとは真逆のような気がしてならなかった。

私は手紙のことは渡して以来触れていないし、相手も何も一言も言ってこなかった。

何も言ってこなかったけれど、代わりに渡さない方が良かったのかもしれないと思った瞬間はいくつかあった。

真相は今も知らない。

相手の人がものすごく勇気を出して実はこうだったんだよと教えてくれない限り、私は一生知ることもない。

 

1つだけ、私がその手紙を書く時にとても参考にしたヒントがあったから、それを紹介したい。

相手が自分には価値がないと思ったり落ち込んだりした時に、そういえば自分は過去にそういう手紙をもらった、自分を良いと思ってくれた人がいたとどこかで自分を肯定できる材料に少しでもなれるのなら…、そういうつもりで言葉を紡ぐとすればその言葉を紡ぐ行為にも勇気が生まれるだろう、そんな内容だった。

大層な言葉は紡げなかったけれど、少なくとも私は祈りをこめて書いた。

 

あれから数ヶ月経った今も、あの時の手紙が本当に良かったのかどうかというのはわからない。

私目線で言えば、もうあれがベストだったし、あれ以上もあれ以下もなかった。

私が言うベストは、「自分が後悔しない」という意味でベストだった。

あの手紙を通じて伝えたことは、自分の心の奥底から出てきたものばかりだった。

最後は必ず死ぬことになっている以上、そういうものを伝えずに人生を生きるのは多分私の人生の美学に反することだったんだと思う。

その手紙が不快感とかをもたらすものだったとしても、それは相手の受け取り方だから私にはどうすることもできない。

そうであっても、私は自分の行為は自分にとっては良かったと思っている。

そしてその手紙に陰ながら協力してくれたすーさんの存在や、過去にすーさんと交わした手紙、そういうもの全部が実は私の人生にとって大切なものだということにもたくさん気付かせてもらった。

それこそすーさんが伝えてくれたことは、そういう私を私らしいと言ってくれて、そしてそれでいいんだということを教えてくれた。

暗号を紐解く


今日の話は、私の脳内分析で導き出したもの。

暗号と言っても、今自分の目の前にある手書きのメモを見て、気になった言葉だけを拾い上げて意味を調べたら、それが自分のこの半年ほどの人生の流れにぴったりと当てはまって驚いた。

ちなみに手書きのメモは、あるアルバムの曲のタイトルをだだっと走り書きしたもので、それを私は多分4ヶ月近くは持っていたと思うけれど、それを改めてきちんと見たのは今日が初めてだった。

しかもこのメモ書き、途中で私がオレンジの蛍光ペンのキャップを閉め忘れて、一緒に筆入れに入れておいたらその紙もオレンジ色に染まって汚くなった。

当初捨てようと思った。

汚いしこのメモ書きが何になるというんだろう?と思って、一度は確実に捨てようとした。

だけどあの時私は思いとどまって、まぁまた捨てたくなったらその時に捨てればいいかと、普段の私なら絶対にそんなこと思わないのにその時はそう思って捨てずに取っておいた。

こんな風に私はいつか自分がその言葉たちを読み解くつもりでいたんだろうか?と思う位に用意周到なメモ書きとなった。

 

気になった単語

・I’m ready 

・Be as One

・Glory Road

・Determination

・Days

・リアライズ(realize)

・リマインド(remind)

・Believer

 

>I’m ready

言葉の通り「準備できたよ!」。

当時は準備できたなんていうことは思ってもいなかったし、そもそも準備しているつもりもなかった。

これは「心の準備」に近い。

唯一思い当たることとして、私はこの時までに何年もかけて自分の中でずっとくすぶり続けていた自己否定の塊をだいぶ融解させた。

自分を責めてばかりいた30数年の人生にとうとう限界点が到達して自分がもろとも崩れそうになったのが多分3~4年前。

それで自分にやさしくすること、自分を大切に扱うこと、そういうことを始めて数年が経過した。

自分の生き方を疑問に思うことも多々あれど、まぁ今は今でこれでいいかなと肩の力を抜いてとりあえず来たものをやるというスタイルに変えていた。

そして、丁度仕事も変わる、そんなタイミングだった。

 

>Be as One

「ひとつになる」

「ひとつになる」と言っても色んな意味に捉えられると思う。

私の場合の流れは、「ひとつになる」というのは、同じ空間にいるということ。

それまで全く別々の空間にいた者同士が同じ空間に初めて人生で居合わせるということ。

 

>Glory Road

「栄光の道」

栄光だと難しいから、漢字を分解して「光が栄える」として捉えるともう少しわかりやすい。

曇っていた空に太陽がひょっこり顔を出すと「光が差した」と普通に言う。


「光が栄える」でもまだ難しいから「光が差した」とするとまさにその通り!と思う。

本当に曇っていた人生に太陽の光的なものが人生に差しこんできた、そんな感じだった。

最初からたくさん光が注がれていたわけじゃなくて、あの曇っている空に一瞬太陽が出てきて、「あれ?今太陽が顔を出した?」と疑問に思うような感じで最初は始まる。

そのうちにだんだん曇り空の雲が消えて太陽の光の面積が増えていく、そこで太陽の存在をもっとはっきりと感じ取る、そんな風だった。



【pasado 安曇野】



>Determination

「決心・決定」

心が決まった。

 

>Days

「日々」

日々が濃密になっていった。

1日1日が半端ない濃度で構成されていて、生きていることにただただ感動する日々だった。

目にするもの心で感じるもの、そういうものにひたすら惹かれて惹かれてしかたなかった。

 

>リアライズ(realize)

「はっきり理解する、悟る」

光に満ち溢れた日々を送っていく中で、はっきりと理解する機会が訪れた。

理解したくて理解したというより、もうそうありすぎてそうだと認めざるを得なかった、もう降参ですという心境に近かった。

どんなに否定しても、どんなに疑っても、それでも全力で否定してもしきれないほどのものが自分の中に出てきてしまったんだから、もうどうしようもなかった。

 

>リマインド(remind)

「思い出させる、思い起こさせる、気づかせる」

人生の流れが大きく変わり出した。

自分について知ることや、多分自分の未来に対して必要な情報や人が集まり始めた(今も現在進行形)。

それはもうどうにも止められなくて、自分の中の色んなことを思い出していく作業に近い。

ちょっとだけファンタジーな喩え話をすると。

自分がこの世に生まれてくる前に、今回の人生ではどんな風に生きてどんな人生の道をたどってどんな人と出逢って…というようなことを決めてきたとする。

だけれど、生まれたらそれらすべてを全部忘れて、0から人間1年生を始める。

生まれてくる前に決めてきたこと、そんなのは思い出さなくても生きていける。

だけれど一度スイッチが入ってしまったのなら、そういうことを思い出すための材料たちがやってくる。

自分のことも自分の人生のことも自分が人生で出逢う予定の人たちのことも。

 

>Believer

「信じる人」

上のリマインドのファンタジーな喩え話。

私は本当にそういうことがあると思っている。

去年の夏、人生で初めてネイルをした。

友達の結婚式とかそういうことでもなければネイルをすることなんかもう一生なさそうだったから、これが最初で最後かもと思ってネイルサロンに行ってきれいに仕上げてもらった。

もしその直後に屋外の大清掃が予定されていたとしたら、私は間違いなく軍手をしていた。下手したら二重に軍手+軍手とか、軍手+ゴム手袋とかしたのかもしれない。

屋外の大清掃は本当にそのもっと前に実際にあったことで、その時はネイルなんてしていなかったし、その大清掃とやらが一体何をするものなのかわからなかったから、私の準備はとてもいい加減だった。

私は日焼け対策のみ万全にして、軍手とかそういう類いは一切用意しなかった。

しかもその時に限って、誰も私に軍手の用意を言ってこなかった。

ついこの間の年末の大掃除の前は、ゴム手袋の持参を言い渡されたにも関わらず。

なのに、屋外の大清掃は熱中症と日焼け対策的なことは言われたけれど、それ以外のことは言われず、だから私は日焼け対策だけはこの上ないほど念入りに用意を重ねた。

しかも私も抜けていて、屋外なのに軍手の用意とか全く思い付かずにいた。

清掃中もなくてもものすごくは困っていなかったから、気にもなっていなかった。

そうしたら軍手の物語が誕生した。

 

最初は軍手だけが物語としてわかりやすい形であった。

だけれどその他のこともよくよく考えたらありえないことだらけで、実際に周りの人から「そんなこと普段なら絶対にありえないことなのに、その人すっごく運が悪かったですね」と言われる位に、普段起こらないことがいくつも静かに起こっていた。

その絶対に起こり得ないことたちは、起こったことでほんの少し私の世界と他の人の世界が交わるようになっていた。

反対にとれば、起こらなければ何も交わることもなかった瞬間瞬間だった。

そうこうしているうちに、私自身の人生の中にこれまで登場してこなかった人たちや知識なんかがどんどんもたらされるようになった。

最初は色んなことを気のせいと思って片付けるようにしていた。

そうやって片付ける方がある意味楽ちんで、そして色んなことから目をそらしていた方がこれまでと変わらずにいられたから。

でもあまりにも色んなことが起こり出すと、もうそれを信じないことの方がありえないことへと変わってしまった。

そして私は「信じる」方を選んだ。

 

 

こんなことを思い出していた。

秋になってから書いたメモ書きだったと思う。

しかも私は曲のタイトルを拾い上げてただ書いただけだった。

まさかそれが数ヶ月後、こんな風に暗号を紐解くようにして自分の人生の流れと照らし合わせることをするなんて思ってもみなかった。

今最初から書いたことを読み返した時に、

『>Determination』

のところは一言で簡潔に書いてあるのが目に入った。

書き忘れや書き落としじゃない。

本当にそれ以上でもそれ以下でもないから、ただ一言「心が決まった」と書いた。

 

もう一度メモをよく見たら、Believerの後に実はもう1つタイトルがあった。

最後のタイトルは『Link』。

意味は「つなぐ・結びつき・絆」。

最初無視していたけれど、よくよく見たら締めは「信じる人」じゃなくて「つなぐ・結びつき・絆」になっている。

もし本当の本当にこの走り書きのメモが私の人生の暗号で、そして最後行き着くところが『Link』だったなら、これ以上ないぐらいに嬉しい。

 

世の中には数え切れないほどの音楽が存在している。

この音楽は私がそもそも最初に見つけた音楽じゃない。

ひょんなことから見つけて、それで後で調べようと思って私はささっとメモを取った。

しかもそのタイトル1つ1つがこんな風に自分の人生とリンクしているとは、想像もしていなかった。

たった1枚のメモが、たった1つの音楽タイトルが、それは信じられない形でものすごいメッセージを伝えてくる。 

冬の散歩


外はすごく天気が良かったけれど、昨日1日動き過ぎたせいか今日(1/14)は朝からぐったりとしていた。

できれば何もしたくないという感じで、朝一度ブログの下書きをした後はずっと布団の中にもぐっていた。

夕刻になろうという頃、こんなに天気がいいのに一度も外に出ないのはもったいないと思い、冬の定番、上にダウンを羽織り下だけGパンに履きかえて外に歩いて出た。

遠くの山が空の青と雪の白のきれいなコントラストを織りなし、ものすごく映えていた。


来た道と同じ道をたどると、あるお宅の軒先に2メートルぐらいの梅か何かそういう類いの木があった。

枝にはどっさりと雪が積もっている。

近付いて見てみると、枝の先々につぼみらしきものが姿を見せていた。

春に確実に向かっている、はっきりとわかった。




名古屋にいた頃、あれは絶対にニートだったいつかの時だったと思う。

何で1時間も離れた駅の近くに行ったのかは忘れた。

地下鉄1駅分は歩こうと思って、平日の人が通らない道をひたすら歩いた。

その時にわりかし大きな1本の木の前で立ち止まった。

木はさくらだったんじゃないかなと思う。

つぼみが出ていた。

外は晴れていても気温は0度に近かったと思う。

ものすごく寒いのに、木は確実に次の季節に向けて準備をしていた。

木だから誰か人間が世話をしているわけじゃない。

だけど自分の力で、太陽の様子を見ながら次の季節に向かって自分の状態を整えていた。

その姿に私はものすごく感動した。

ニートの頃というのは、先々が色々見えなくて不安になることは多々あった。

そんな中自然の力を目の当たりにして、ものすごく感動した。

ただただ冬という時期を耐え忍んで、でも耐え忍びながらも次への準備をしていた木を見て、それが今の自分への応援みたいに見えた。

 

家を出る前、母親に買物を頼まれて、今度は車で外に出た。

ついでにお墓にも寄ろうと思った。

路面に雪がほとんどないということは、もしかしたらお墓もある程度は近くまで行けるんじゃないかと思ったから。

着いてみると、連日の雪はそんなに甘いものじゃなくて、しっかりと積もっていた。

それは道路脇の高くなった雪壁とまったく一緒だった。

まぁ来たついでだから近くに行ってみようと思い、車を止めて近くまで行ってみた。

お墓に入る前に数段の階段がある。

なんと数段の階段には人が上った形跡があり、おかげで階段の上まで上がれるようになっていた。

こんな冬でもお墓参りをする人がいるんだとえらい感心した。
(私のはお墓参りという建前のもと、実際は願掛けという本音があるから、お墓参りとは言い難い)

階段を上りきってわかったこと。

階段を上りきったところのすぐ右側には6人のお地蔵さんが並んでいる。

先月ぐらいだったかに行った時、そのお地蔵さんたちに手作りのフェルトで作られた合羽を着せてくれている人がいることを知った。

どうやって寸法を測ったのかとかそんなの知らないけれど、実にぴったりの大きさの温かそうな合羽を6人全員が着ている。

そしてその誰かが歩いた足跡は、ちょうどお地蔵さんの前で終わっていた。

そのどなたかは、お地蔵さんに手を合わせるためだけにそこに立ち寄ったらしい。

しかも足跡を見るとわりと小さな足跡だったから、女性、おばあちゃんとかかもしれない。

そこに手を合わせるためだけにその誰かさんはここに来たんだなと知った。

そして多分その方がこのお地蔵さんに合羽を作って着せてあげたんだろうなということも想像できた。

願掛けの私は、お地蔵さんの末尾から1.5メートルほどしか離れていない我が家のお墓まで雪を掻き分けてそこに辿り着くような心は持ち合わせておらず(私の太ももあたりまで積もっていた)、一番末尾のお地蔵さんの前を失礼してそこから墓に向かって手を合わせた。

お地蔵さんたちにも手を合わせ、失敬と思いながら写真を数枚撮らせてもらった。







お墓のすぐ近くのスーパーで頼まれた物を買い込み、また家へと戻った。

家のすぐ近くから見える山が、今度は濃紺のような色の空を背景に白く光っているのが見えた。

私の技術ではその良さがさっぱり伝わらないけれど、途中その山がきれいに撮れそうな道に寄って写真に収めてきた。





たかが30分程度の外出だったけれど、心から満足した冬の散歩だった。

 

*おまけ*

【1月11日大雪の日のダイジェスト】

15:29 あまりの大雪に信号すら見えない


16:32 雪がやんだ白銀の風景

16:41 青空が姿を現した あの大雪の信号が見えなかった1時間前が嘘みたいだった


 

【1月12日】 

7:28 部屋から撮影した朝日



8:18 通勤途中、車から降りて撮影。昨日の雪が嘘のような青空




写真には撮れなかったけれど、12日は道路も信号についた雪も半端なく凍っていて、そうしたら、国道の信号の前で警察官の方が超ロングサイズ(青信号に届く長さ)の雪かきブラシで信号の表面についた雪を払っていた。

雪国生活で初めて見た光景だった。

職場の前の駐車場。車が雪で埋もれている。

【1月15日 月曜日の朝焼け】